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2007年04月の日記
| 4/22 国民大集会 横田滋さん |
( 2007.4.28,土 ) |
*横田滋さんの主催者挨拶の要旨レポートです。(約2分間)聞き取りに間違いやカン違いの可能性もございます。どうぞご了承ください。
【横田滋さん 家族会代表】 皆さん、こんにちは。(会場から「こんにちは」)日曜の絶好の行楽日和にもかかわらず、こんなにも大勢の方がいらしてくださったということは、拉致問題の解決に関して皆さま方が如何に関心が深いかという表れで、心から感謝申し上げます。
今も櫻井さんから話がありましたように、めぐみのことが明らかになり、それから家族会ができてから満10年になりました。それから拉致された時から試算しますと、ほとんどの方が30年間が経過しております。その間、一部の方はお帰りになりましたが、それ以外の方につきましては北朝鮮は「もう解決済みだ」ということで、まったく誠意を見せておりません。
しかし今日の午前中、家族会の総会があって話をしたんですが、やはり家族の者は今の安倍内閣を安倍総理大臣を皆さん全員信じております。先般の六者協議の時でも、日本側は「拉致問題の進展なしにエネルギー支援はない」ということを各国の同相にとりつけてそれを通すことができましたし、それから拉致問題の解決なしに国交正常化はできないという姿勢を貫いてくだされば必ず解決すると思って、我々は政府を信じております。
しかし、議員の方でも一部の方はやはり北朝鮮の今、融和みたいなことを考えておられる方がありますし、それから国民の中にも一部にはそういった方もいらっしゃるようですけど、しかし現在の政府の方針である、また繰り返しますけど、「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」という、日本が一枚岩を示せば必ず解決すると信じております。
今日いらっしゃった方は特に関心の高い方ですが、これからも拉致問題の解決のために関心を持って見守ってくださいますようにお願い致します。今日はどうもお忙しい中、ありがとうございました。(大拍手)
*4/22 国民大集会 横田滋さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/69758912.html
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| 4/22 国民大集会レポート(1) |
( 2007.4.27,金 ) |
あおいのママとパパは4/22東京・日比谷公会堂で開催された「拉致被害者全員の即時返還を求める国民大集会」にボランティアスタッフとして参加しました。スタッフとしては2004年から参加していまして、かれこれ3年になります。毎年「これが最後」と願いつつまたこの日が来てしまって、何ともやりきれない思いです。
今回私たちは事前に特定失踪者問題調査会に問い合わせをしました。代表の荒木和博さんが登壇されることや、いつものように「しおかぜグッズ」の販売等をするということを聞き、当日の様子見でお手伝いの承諾をいただきましたので、実際は報道受付と調査会のブースの掛け持ちとなりました。報道受付担当は10人くらいいましたので、開場して忙しくなったら調査会の手伝いをするというわがままを聞いていただきました。皆さん、ありがとうございました。
スタッフは会場に午前11時に集合し、その後各部署に分かれ、責任者の指示に従い準備をしました。報道受付は友人のSさんが以前にも担当したことがありましたので、色々と心得などアドバイスをしてもらいました。マスコミ関係者が受付を済ませた後、会場内にご案内します。その際の場所が確保されているのですが、一般席と混乱しないようにビニールテープを張りました。
また、パパとSさんは救う会の平田さんに、壇上の机に置く各国の国旗の組み立てを頼まれたとかで、それがとても細かく分かりづらい作業で本当に苦労したそうです。二人とも応援を求めて私を捜したそうなのですが、私はあっちこっちに行っていたので、その時は全然気がつきませんでした。ごめんなさいね〜。
荒木さんが会場にいらしたので、私たちは調査会の販売ブースを作り、グッズの到着を待ちました。しばらくして理事の真鍋さん・杉野さん・村尾さんが大きなダンボールを持っていらっしゃいました。特定失踪者・高野清文さんの妹さんの美幸さんも到着したので、後は皆さんにお任せして、私たちは開場後にしおかぜのチラシ配布や販売を手伝うことにしました。
しばしの休憩で昼食をいただき、開場時間の午後1時を待ちました。ちらっと外を見ると並んでいる皆さんが結構いました。この日は全国で選挙がありましたし、天気予報もあまりよくなかったので、どれだけの方が足を運んでくださるか心配でした。しかし何とか雨も降らず、例年通りかしらとこの時は感じました。
午後1時となり開場しました。いっせいに大勢の皆さんが受付を通り会場内の席に向います。その途中にブルーリボンバッジとしおかぜグッズ売り場はありました。私たちは急ぎ足の皆さんにしおかぜチラシを配り、「短波放送しおかぜにご支援よろしくお願いします」と訴えました。声はかすれて恥ずかしかったけど、でも多くの方が受け取ってくれてうれしかったです。500枚用意されたチラシはあっという間になくなっていきました。
しばらくして、拉致被害者・横田めぐみさんの友人の方がいらっしゃいました。そして立ち止まって皆さんに深く礼をした後、そっとしおかぜのカンパ箱に手を入れていました。そうしたさりげない方がこの日、他にも大勢いまして、本当にありがたいことだなぁと思います。また、お隣のブースでブルーリボンバッジを購入された方の中には「おつりはしおかぜカンパに」と言ってくださった何人かの方もいらっしゃいました。ありがとうございます。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
開場から30分ほど経つと、受付の慌ただしさも和らいできます。席を確保した皆さんが、グッズを購入するために戻って来てくれました。この日調査会ブースでの販売は、タオルマフラー・タオルハンカチ・ストラップ2種、新製品のネックボールペン、そして自信作のステッカーの品々でした。このステッカーはとってもステキなのですが、ミスプリということで安く販売しまして、村尾さんいわく「超プレミア物」で「二度と手に入らない限定品!」ということです。調査会の皆さんはいじわる?で、どこがミスプリなのかなかなか教えてくれなくて、私はまったく気がつきませんでした。言われてみて「あらっ〜!」。皆さんも車などにブルーリボンのステッカーはいかがですか?
*新製品のステッカーとボールペン http://senryaku-jouhou.jp/newgoods.html
続く(しばらくお待ちくださいね!)
*4/22 国民大集会レポート(1) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/40488872.html
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| 金正日を「除去する」旅の日記 〜ストックホルム大学からの招請〜 (正論2006年10月号より) |
( 2007.4.26,木 ) |
*昨年末、ジャーナリスト・萩原遼さんより「正論2006年10月号」の記事のコピーをいただきました。それをテキストにしてご紹介致します。記事は8ページ(P138〜145)でした。写真は3/31藤沢市民集会での萩原さんです。(あおいのママの撮影)
萩原遼氏
一九三七(昭和十二)年、高知県生まれ。大阪外大朝鮮語科卒。六九年、赤旗記者となり、七二年、同紙平壌特派員。平成元年にフリーとなり、米ワシントンに三年近く滞在して、国立公文書館に秘蔵される米軍奪取の北朝鮮文書百六十万ページを読破、それをもとに「朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀」を著した。「北朝鮮に消えた友と私の物語」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。昨年十月から韓国に滞在中。 【正論2006年10月号より】ジャーナリスト・萩原遼
4月末、スウェーデンのストックホルム大学にあるアジア太平洋研究所から私のパソコンに1通のメールが入りました。その研究所の所長でストックホルム大学の教授池上雅子さんからのメールです。招聘教授として1ヶ月講義をお願いしたいというものでした。往復の飛行機代、宿舎、研究室、日当を大学がすべて負担するという条件でした。私の性格では教師はつとまらないと若いころから避けてきましたが、そのとき心が動いたのは私の本『金正日 隠された戦争』を高く評価してくださっていることでした。
アメリカで4年もかけて書いた本ですが、予想外に売れなく経済的にも大きな打撃をうけ、一時は引退も考えました。しかしよく考えると、売れないのにはある種の圧力が働いていることに気がつきました。それならばむしろ外国で広め、読んでもらおうと思い直して英語版を作っている最中でした。その矢先にストックホルムで評価されたことに意を強くして応諾の返事を送りました。
池上さんから、招請をお受けくださりとてもうれしいとの返事とともに、『金正日 隠された戦争』についてこんなふうに書かれていました。
「昨年東西センターのフェローシップでハワイに滞在した際、プロジェクトリーダーの金忠男氏に萩原先生の『金正日 隠された戦争』と『朝鮮戦争』を紹介したところ、顔色を変えて、数ヶ所の詳しい翻訳を頼まれました。氏の昨年秋出版の本には萩原先生の本も引用されています。また、金日成の『不自然死』にいたる経過詳細部分を頼まれて翻訳したところ、顔が凍ったようでした。金氏はかつて全斗煥、盧泰愚、金泳三の3人の大統領のアドバイザーとして青瓦台に勤めただけに、当時青瓦台で把握していた情報とも合致するのだなと直感した次第です」
私の本『金正日 隠された戦争』の核心部分は、1990年代初頭の社会主義圏崩壊のさなか、北朝鮮の崩壊を食い止めようとして金日成と金正日が生き残りのために激しい政策的対立を引き起こした結果金正日が金日成を謀殺した、というものです。池上先生のメールによって、元の韓国大統領補佐官から金日成謀殺を肯定されたと私は思い、いっそう意を強くし、ストックホルム行きの準備に入りました。
準備とは、『金正日 隠された戦争』の英語版の印刷製本です。昨年10月から滞在していた韓国を離れ日本に一時帰国中でしたので、きゅうきょソウルに戻りました。
●ソウルでの悪戦苦闘
ストックホルムでの講演には『金正日 隠された戦争』の英語版が絶対必要です。すでに英訳は終わっていましたので印刷製本を急がなければならない。日本よりも安いといわれる韓国です。5月10日韓国に戻りました。『金正日 隠された戦争』の韓国語版を出してくれた出版社アルファの柳良洙(ユ・ヤンス)社長になんとか2週間で印刷製本をやっていただけないかお願いしました。柳社長は「金正日を打倒するためには命をかけねばならない」という考えの方で、私の無理な注文にもこころよく応じてくれました。
1000冊の英語版作製の作業と並行して、私のかかわっている北朝鮮帰国者を守る会の冊子『脱北帰国者』2000冊の印刷製本もお願いしていましたので、二つ並行しての作業で、こんぐらがったり、大変でした。10日間で二つとも見事にできました。
5月22日、社長といっしょにソウル市内光化門の中央郵便局でストックホルム、アメリカ、日本など各地に発送作業。英語版1000冊、守る会の冊子2000冊は、小型トラックいっぱいの量です。それを上限20キログラムの段ボールに詰め、荷造りして何十箱も、次々に送り出しました。二人とも70歳前後の完全な老人です。汗だくになって丸一日がかりでした。柳良洙社長は本当によくやってくれたと思います。
柳社長は私より2歳上。大柄のたくましい方です。縦横に入り組んだ狭い路地に零細な印刷業者がひしめくソウル市忠武路の一角。その2階の一間が柳社長の会社です。階段は人ひとり通れる狭さ。勾配は60度くらいで手すりもない。のけぞってあおむけに倒れたら全治3ヵ月の重傷か、あるいはおだぶつだろうなと思われる階段を何十回上り下りしたことでしょう。
すべての作業が終わった次の日の夕方、柳社長は私を自宅に招いて奥さんの心づくしの料理でもてなしてくれました。ソウルにもこんなところがあるのかと思われる閑静な住宅街です。ソウル市の北にある北岳山のふもと。大統領府青瓦台の近く。樹木におおわれ、野鳥が餌台に姿を見せるのどかな山の中でした。お人よしの零細出版社のおやっさんと思っていたのですが、話しのなかで若いころ数年ドイツに留学したことがあると知り、人は見かけによらないものとあらためて思ったものでした。
●森と湖のストックホルム
6月6日、成田空港からデンマークのコペンハーゲン空港で2時間の乗り換え待ちを含めて15時間ほどかかってストックホルムに着きました。
宿舎は大学のキャンパスからほど遠からぬ高台にありました。4階建てのマンションは木の国らしく廊下も床も階段もみな木製。部屋はゆったりとして、6人がけのソファもあるリビング。台所と食卓もついています。
アジア太平洋研究所は歩いて15分のところにあり、赤レンガ造りのどっしりとした4階建てでした。由緒ある富豪が寄与したとかで、風格のある建物でした。歩いて1分の湖のそばに立っています。私の専用の研究室も用意されていました。
研究所の窓から木の間がくれに湖のさざなみが見えます。野鳥の鳴き声。リラが五分咲きで、窓からほのかに香りがただよってきます。快晴ですが、風は冷たく肌寒いぐらい。日本は梅雨のさなか、水害の被害も伝えられるなか、梅雨もなく乾いてさらさらの風。地平線までスモッグのない青空です。これまで見たこともない青い青い空の下で、スウェーデンが一番美しいといわれる季節を満喫しました。
夜11時すぎまで白夜で、日本の夕方のように明るい。夜12時ごろ、暗くなったなと思うと午前1時半ごろから空が少しずつ白みはじめ、小鳥が鳴きだします。小鳥も寝る間がないのでは?
研究所には40人ほどのスタッフがいるのでしょうか。ほとんど働かない。6月末から2ヵ月のバカンスが始まるので、そわそわしています。アメリカと違ってヨーロッパの人はアルコール好き。スウェーデンも例外ではなく、いたるところにオープンカフェがあり、昼から客でいっぱいです。これで国がまわっているなら死ぬほど働かされる日本はいったいどうなっているのか。休みも与えず利潤追求だけの日本の資本家の残酷さが腹立たしいかぎりです。
●研究所での講演
研究所での講演といってものんびりしたものです。アジア太平洋研究所とはいえ、アジアはヨーロッパからは遠い極東の地、関心の度合いはいまひとつという感じでした。日本語で約40分話し、質疑応答を含めて通訳入りで2時間の講演。池上雅子先生が英語に通訳してくれました。うまく訳すものだなあと感心しながら聞いていました。
いちばん関心があったのはやはり金日成の死亡原因についてでした。いくつか質問も出ました。金日成が死んだ1994年7月当時を思いだして、ロンドンの新聞で金日成死亡を知ったという人もいました。別の研究者は「避暑地に向う車の中でニュースを聞いた。同乗者がスウェーデンの朝鮮戦争休戦協定にともなう中立国監視委員もしていたことがあり、板門店に常駐していたこともある人だったため金日成死亡をめぐり話し合った」という思い出話も出ました。スウェーデン人で韓国語を教えている別の学者は「私も長く朝鮮半島にかかわっているが、金日成が金正日に殺されたというのは初耳だ」という感想もありました。
次の日、スウェーデン駐在スイス大使館のナンバー2の方が、別途話を聞きに研究所に来てくれました。池上先生の紹介です。前日の講演内容を池上先生が手短に説明したあと、大使館幹部が「金日成が殺された状況について知っていれば教えてほしい」といいました。
私はいくつか聞いたなかで最近の二つの話に合理性があると前置きして紹介しました。すでに『正論』に紹介したものですが、あらためてかいつまんで紹介します。
1.脱北した元の北朝鮮高官の話
1994年7月5日、6日の両日、金日成が招集した経済協議会が終わった次の日の7日も午前中会議が続いた。金日成は午後も続けようといって習慣の午睡に入った。その直後、会議参加者100人ほどはきゅうきょ平壌にもどれという金正日の指示でバスで引き返した。なぜか数人の人間は残った。いずれも熱烈な金正日忠誠派であった。午睡から目覚めた金日成は誰もいなくなったことを知り、怒りの目で宙をにらんでいた。そして残った数人を自室に呼びいれ、金正日のとった措置について厳しく叱責し平壌に戻ってよく伝えよと不満の言葉を並べ立てた。金正日に代わって何時間も叱責された幹部たちを金日成の副官は気の毒がって別室でとりなし、酒食でもてなした。深夜になった。まだ主席の部屋に明かりが灯っている。
「ちょっと様子を見てきます」といって席を立った副官は真っ青な顔で戻ってきた。金日成がすでに死んでいると伝えた。(この話を伝えた北朝鮮の元高官は、金正日忠誠派が金日成死亡のさなかに現場にいたことが金日成謀殺の疑念をぬぐえないと述べた)
2.脱北したエリート農学者、李民馥氏の話。「金日成を暗殺したのは金正日の密命を受けた軍人グループ」
7月7日の夜、平壌を飛び立ったヘリコプターが北に向かって飛んだ。その後突然機影が消えた。この事実は在韓米軍のレーダーも確認している。
金正日側の説明では、金日成が心臓発作を起こしたとの急報ですぐに医者、看護婦、医療機器を乗せたヘリを現場に急行させたが、豪雨をともなった悪天候でヘリは墜落した。
「これは真っ赤なうそだ。ヘリに乗っていたのは金日成暗殺チームだったのだ。金日成を殺し、戻る途中でヘリを爆破し、証拠隠滅したのだ」
李民馥氏の話です。彼は1995年に韓国に亡命した北朝鮮のエリート農学者。彼はこう言いました。「軍のベテランが操縦するヘリが悪天候ぐらいで墜落しますか?」
情報の出所は脱北した二人の北朝鮮高官だといいました。
李民馥氏は私にさらに詳しい話が聞けるように北朝鮮高官に会わせてあげようと言いました。そうなれば、また新しい情報をストックホルムにも必ずお伝えすると約束し、くだんのスイスの外交官とメールアドレスを確認して別れました。
●北朝鮮のミサイル乱射
研究所のスタッフのなかでも、いまの北朝鮮の問題点を的確に把握してい方はやはり池上先生でした。40代初めとお見受けする若さでストックホルム大学の国際的に知られたアジア太平洋研究所の所長をまかされるだけの力量の持ち主です。一見勉強のよくできる清楚な女子学生といった風情の方ですが、スウェーデン語、英語を流暢に話し東大とストックホルム大学の双方で博士号をとった学究には珍しく、各国の著名人とファースト・ネームで呼び合う社交性の持ち主です。学者であると同時に政治家の資質を備え、中学生を頭に3児の母親。超人的な日本女性です。
これまで政治社会学的視点から日米軍事研究開発共同化、日本の防衛調達過程分析に従事してきたといいます。池上さんの自己紹介の文章ではこう書かれています。
「ミサイル防衛開発問題などの研究から始まり防衛安全保障政策、東アジア地域安全保障などに問題意識が広がりました。しかし、最も情熱を傾けるのは軍縮軍備管理、特に核兵器廃絶をライフテーマにしています。学生時代、広島、長崎を訪れ、核物理学者の娘として科学技術の悪用がもたらす災禍にショックを受けたのが、このテーマを選んだ原体験です。この核軍縮の点から、北朝鮮問題に入り込みました」
現在は北朝鮮問題にも通じた専門家として国際会議でも幅広く活躍しています。私の何冊かの本もほとんど読んでおられました。とりわけ『金正日 隠された戦争』を高く評価し、金日成謀殺説を支持してくれました。金正日を相手に6カ国協議だ、話し合いだと言っているかぎり拉致も核問題も解決はない。武力による圧力ではなく、人権問題で北に迫ること、脱北者からの聞き取り調査の重要性を強調しながら人権問題で金正日を退陣させる戦略で国際的圧力をかけるべきだ―等々。私とほとんど意見が一致しました。
そんな話し合いのさなか北朝鮮によるミサイル乱射のニュースです。私もあちこちから意見を求められました。日本を離れてなんの情報もない、はずれているかもしれないが、と前置きして次のような感想を述べました。
これまで十数年間の金正日の軌跡を追ってきて感じることは、今回のミサイル発射の狙いは対外的というより国内向けとみられる。国民に大々的に公表していないところから軍内部、または党幹部向けに金正日が「威信」を誇示するためにとった措置ではないか。1993−94年の核危機も狙いは国民向けだった。反政府に向う北朝鮮人民の不平不満を、核でアメリカを挑発することによって反米にすりかえたのと同じ手口だ。当時の騒ぎ方と比べると今回はおとなしい。限定的な効果を狙っているとみられる。アメリカの金融制裁がきいて、軍高官や党幹部たちの不正蓄財に支障をきたしていると伝えられる。そうした不満で金正日が孤立しつつある。彼らの不満を抑えつける狙いがあるのではないか。
対処の仕方としては放っておけばよい。過剰に反応すれば金正日の思うつぼ。かつてクリントンがピンポイント爆撃だ、先制打撃計画だとか騒いでかえって反金正日の北人民の世論を反米で団結させ逆効果を招いたのと同じ過ちを犯す。
金正日のはなはだしい人権侵害を暴露し国際的制裁をいっそう強めること、私は金正日にとっていちばん泣きどころである金日成殺しをあらゆる手段で北朝鮮の民衆に伝え彼をいっそう孤立させ、無血で排除する戦略をとるのが得策だと考える。
こうした意見交換の結果、池上先生と基本的に意見の一致を確認しました。7月11日彼女は、その線で発言すると言ってロンドンで開かれる国際会議に出発しました。私は翌12日、ワシントンに向かいました。『金正日 隠された戦争』の英語版を広めるためです。
●酷暑のワシントンで
涼しいストックホルムから10時間かけてワシントンに着いた7月12日。なんと蒸し暑い!こんなに暑い国だったのかと、ほとほと閉口。こんな暑い国でよく4年間も住んでいたなあと思いました。異常高温で死者も出ているとのことでした。
次の日の13日夕方、旧知のチャック・ダウンズ氏と会えました。元国防総省の幹部だった人で、私のワシントン滞在中(2000年5月から2004年9月)に知り合いいろいろ教えてもらった人です。いまは北朝鮮問題の専門家としてテレビのコメンテーターとしても活躍しています。会ったのはワシントン中心地のジュポン・サークルにある日本料理店「すし太郎」。セットしてくれたのはワシントン在住の日本人の友人。
話題はやはりミサイル発射になりました。チャック氏はごく最近ソウルに行った際こんな話を聞いたと披露しました。金正日がこれまでは部隊を中心に忠誠を誓わせていたが最近は軍幹部を一人ひとり呼んで忠誠を誓わせている。これは彼が軍の中でも危機感を感じている表れではないか。あなたはどう思う?
アメリカの金融制裁以来軍内部で不平不満が高まっている話をして私も同意見だというと、彼は、「やはりそうか」というように納得の表情でした。英語版の完成を心から喜んでくれました。何人かの北朝鮮問題専門家に配りたいから次の日ある集まりに20冊持ってきてほしいと。その集まりはスザンナ・ショルテ女史が会長を務める「防衛フォーラム基金」の100人ほどの昼食会。チャック氏と隣りあわせで日本人の友人といっしょに出席。彼が通訳してくれたおかげで私は下手な英語を話さなくてすみ、助かりました。
こんな調子で毎日関係者を訪ね、本を渡し、金正日による金日成殺しを説明し、こんな人物をいつまでアメリカは相手にするつもりかと問いました。いまこそ金正日を排除する好機だ、中国を説得して平和的に金正日の排除に動いてほしいと私の主張を展開しました。みな熱心に聴いてくれました。とくに金日成が息子に殺されたことは知らなかった、どういう経緯でそんなことになったのかと強い興味を示しました。
昨年12月までブッシュ政権の高官をしていていまはシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)の研究者にもどったマイケル・グリーン氏に会ったとき彼は「それは知らなかった」と金日成殺しに強い興味を示し、「きょうは早く帰ってこの本を読みたい」といいました。私がライス国務長官や官僚にもぜひ渡していただきたいと『金正日 隠された戦争』英語版を10冊手渡しました。「かならず渡します」と約束してくれました。
アメリカの政策担当者、北朝鮮問題研究者、在米韓国人研究者たちの主な人たちを訪ねて10冊20冊と手渡し、300冊近い英語版はたちまちなくなりました。夏休みにゆっくり読んでいただき、涼しくなったころもう一度2−3ヵ月かけてアメリカに来るからそのとき感想をお聞きしたい、と言うとみな快く応じてくれました。日本での反応よりはるかに直截で率直なことが大きな違いでした。
●励まされた二つの出会い
紙数がほとんどつきましたが、あと一つ二つふれさせてください。
ワシントンで北朝鮮人権問題アメリカ委員会の事務所を訪ねたときです。事務局長のクー氏は在米韓国人の2世。両親から習い大学でも学んだという韓国語は在日韓国人と比べると格段に流暢でした。彼が、あしたミュージカル「ヨドク・ストーリー」の鄭成山監督を囲む昼食会があるが、ごいっしょにいかがですかと誘ってくれました。ヨドクは北朝鮮咸鏡南道耀徳(ヨドク)にある強制収容所の名前です。そこでの目を覆わせる残忍な拷問、虐待、国家保衛部幹部による女囚の強姦、公開処刑など世界の悪という悪をすべて集めた現代の地獄です。そこから命からがら脱出した人たちの体験にもとづいたミュージカルが韓国で完成しました。韓国政府や北朝鮮信奉者の妨害のなかでのさまざまな困難を乗りこえた末の完成です。8万人近い観客を動員したとのことです。
監督自身脱北者で強制収容所の体験者でもあります。監督は今年37歳。黒のサングラスをかけていましたが、はずしたときの瞳が澄んでいることが驚きでした。やせた小柄な体は脱北者に共通していますが、過酷な体験を経た人にもかかわらず瞳の澄んでいることに私は打たれました。誠意という言葉を感じました。自己紹介をしたときです。
監督「はぎわらさんの名前は知っています」 私「どうして?」 監督「自由アジア放送で聞きました」
自由アジア放送とは米議会がスポンサーとなって朝鮮語、中国語、ベトナム語、モンゴル語などアジア各国語で放送している放送局のことです。その放送で私の『金正日 隠された戦争』について聞いたというのです。とたんに親近感をおぼえ打ちとけました。
昼食会は取材のためのもので通訳を入れて6人ほどでした。ワシントン・ポストやもう1社の記者がインタビューするためでした。そのやり取りを通じても誠実な方だとの印象を強くしました。今回の訪米はミュージカル「ヨドク・ストーリー」のアメリカ公演の準備のため。帰国の途次日本にも立ち寄り、東京、大阪で講演をするとのこと。再会を約しながら別れました(8月6日大阪で再会しました)。
日本人グループとの出会い。
拉致日本人救出のための組織がワシントンにもできたことをはじめて知りました。日本にもどる日の前々日、7月22日の土曜日でした。中心になっている浅野泉さんという方の自宅で10人の方が私をかこむ話にきゅうきょ集まってくださいました。在米韓国人1人のほかはみな日本人です。ワシントンで10人もの日本人に会ったのは初めてです。アメリカで日本語話しあえるとは願ってもない機会でした。アメリカ人と結婚した人、仕事で来た人、留学生、大学卒業後そのまま居残った人などさまざまの人生がありました。
このグループは昨年5月に結成、12月に拉致問題解決のために6人ほどでホワイトハウスの前に集まって米政府に要請行動をしたことをきっかけに、拉致問題や北朝鮮問題について学習会やデモを重ねてきたそうです。自分たちも何かできないかと話し合い、可能な行動を起していくことをめざしているといいます。いまは拉致家族会が出した本『家族』の英語版の翻訳や出版に力を入れているそうです。
4月に横田早紀江さんを招いて米議会で証言集会を開いたことやブッシュ大統領と早紀江さんとの会見にもこのグループがかかわったことを知りました。地道な努力が実を結ぶことを教えられた夜でした。
中心になっている浅野泉さんは滞米20年。公認会計士です。いとこの大沢孝司さんが北朝鮮に拉致された可能性がきわめて強いことをのちに知り、どうしても取り返したい、真相を知りたいと奥さんの前島明美さんや妹の優子さん(元米テレビ記者)たち20人あまりでグループを結成したとのことです。
その日の私を囲む学習会は昼食から始まって夜の9時過ぎまで続きました。熱心な質問が次々に出ました。別れ際浅野泉さんはこう言いました。
「金正日に拉致を解決せよというだけでは解決にならない。崩壊を期待するだけではいつのことかわからない。萩原さんの言うように金正日の金日成殺しを広く宣伝して彼を退陣させ拉致問題を解決できる次の指導者にとりかえることしか解決の展望はない。私は萩原さんの説に懸けています」
そう言って車の窓越しに私の手を強く握りしめました。浅野さんの手から力強いエネルギーをいただいた思いでした。ワシントンの最後の夜でした。
終わり
*金正日を「除去する」旅の日記 〜ストックホルム大学からの招請〜 (正論2006年10月号より) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/40237226.html
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| 折り鶴が高知県へ |
( 2007.4.24,火 ) |
4月22日の国民大集会では多くの皆さんとの新しい出会いがありました。その中の一人、「救う会高知」の会長さんに秋田県の子どもたちが中心になって作っている折り鶴をお見せしたところ、今度の28日(土)の県民集会で資料と一緒に配布してくださるそうです。本当にありがとうございます。
四国の集会でブルーリボンの折り鶴が配布されるのは初めてです。解決を願い、心をこめて鶴を折り続けている大勢の皆さんの気持ちが、どんどん各地に伝わっていくのがとてもうれしいです。高知の会長さん、心より感謝申し上げます。
*「折り鶴」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/332846-1.html
*その他、同じ四国の「救う会徳島」「救う会愛媛」でも、今後の写真展や集会等で配布してくださるとのことです。皆さん、本当にありがとうございます。
■北朝鮮による拉致被害者と家族の人権を考える県民集会
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの弟・横田拓也さんを高知に迎え、拉致と人権を考える県民集会を開催します。また、北朝鮮に連れ去られ「よど号」ハイジャック犯の妻にされた、旧香北町出身の福留貴美子さん(昭和27年生れ。山田高校卒業)についてのシンポジウムも行ないます。同胞であり隣人である方が襲われた残酷な運命に心を寄せる全ての人々に参加を呼び掛けます。
■講演:横田拓也氏(「家族会」横田めぐみさんの弟) 荒木和博氏(「特定失踪者問題調査会」代表) ■福留貴美子さん拉致の真相究明と帰郷を実現するシンポジウム 荒木和博氏(同 上) 萩原遼氏(ジャーナリスト) 川添友幸氏(「救う会神奈川」代表)他 日時:平成19年4月28日(土)午後4時30分開場、午後5時開演(午後7時30分終了予定) 会場:高知モラロジー会館 高知市鷹匠町2−2−30 (TEL)088−873−3455 参加費:無料(活動へのカンパをお願い致します) 主催:北朝鮮に拉致された日本人を救う高知の会 (「救う会高知」) 協賛:よど号グループに真相を究明する会 後援:高知県 高知市 高知新聞社 RKC高知放送 読売新聞・高知支局 毎日新聞・高知支局 KUTVテレビ高知 KSSさんさんテレビ 連絡先:088−892−5354 *折り鶴が高知県へ aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/39978967.html
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| 4/22 TBS「報道特集」ナゾの女性 北朝鮮のジャネット |
( 2007.4.23,月 ) |
*4/22TBS放送の「報道特集」の一部を文字化しました。放送時間は約15分でした。(写真はテレビからの撮影です)
「外国の女の人ですよね」北朝鮮に住む欧米人のような女性。一体誰なのか?「ジャネットじゃないのかな・・・」ジェンキンスさんの新たな証言とは?謎の女性、ジャネットを追った―。
欧米人? 北朝鮮にナゾの女性
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「次は拉致問題です。先ほどまで東京日比谷公会堂では拉致問題に関する大集会が開かれまして、拉致された可能性の強いルーマニア人女性・ドイナさんの弟さんも出席しました。大きな注目を集め始めたヨーロッパの拉致ですけれども、今日はそんな欧米人の風貌をした北朝鮮の謎の女性の存在についてお伝えします。」
欧米人?北にナゾの女性が
【ナレーター】 船から降りてきたこの男性、ルーマニア人で拉致被害者家族のガブリエル・ブンベアさんです。(新潟・佐渡 4月21日)姉のドイナ・ブンベアさんは1978年北朝鮮に連れ去られ、アメリカの脱走兵・ドレスノク氏と結婚、2人の息子をもうけました。1997年に肺がんで死亡したといいます。ガブリエルさんが佐渡に来たのは、曽我ひとみさん・ジェンキンスさん夫妻と面会するためでした。
【ドイナ・ブンベアさんの弟・ガブリエル・ブンベアさん】 「こんにちは。お目にかかれてうれしいです。」
【ナレーター】 ドイナさんは、曽我ひとみさん・ジェンキンスさん夫妻と同じアパートで暮らしていました。姉やその子どもたちの情報を得ようというのです。面会後の会見でガブリエルさんは・・・。
【ドイナ・ブンベアさんの弟・ガブリエル・ブンベアさん】 「面会できてすごく感動しました。私はずっと涙をこらえていました・・・。」
【ナレーター】 明らかになったヨーロッパからの拉致。北朝鮮の拉致問題は国際的な広がりを持ち始めています。こうした中、私たちは北朝鮮で欧米人にも見えるナゾの女性が暮らしていること知り、調べ始めました。それは1枚の写真がきっかけでした。
3月中旬(3月13日)に行われたインタビュー。話を聞いたのは李昌成(リ・チャンソン)氏。帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人ですが、1998年に脱北した人物です。彼は1枚の写真を取り出しました。
【脱北者・李昌成(リ・チャンソン)氏】 「この写真はどうしたかというと、これは外国人の、外国の女の人ですよね。北朝鮮で映画俳優をやっています。ちょっとこの女の人有名なんですよね。」
【取材者】 「何という人ですか?」
【脱北者・李昌成(リ・チャンソン)氏】 「ジャネット」
【取材者】 「ジャネット?」
【脱北者・李昌成(リ・チャンソン)氏】 「ジャネット」
追跡! 北朝鮮のジャネット
【ナレーター】 北朝鮮で映画女優をしている“ジャネット”という女性。横にいるのは李昌成(リ・チャンソン)氏本人です。「写真は平壌(ピョンヤン)の映画撮影所で撮った」といいます。
“映画俳優たちと一緒に '91年9月4日”(写真の書き込み)
【脱北者・李昌成(リ・チャンソン)氏】 「北朝鮮でそういう映画がね、有名な映画が20本あったわけです。それにみな参加したの、この女の人が。1人アメリカ人で(北朝鮮から)帰って来た人がおるでしょう。あの人がこの人(女性)のだんなになって映画に出ていたんです。帰ったアメリカ人がおるでしょう?」
【取材者】 「ジェンキンスさん?」
【脱北者・李昌成(リ・チャンソン)氏】 「ジェンキンスさん!」
【ナレーター】 ジェンキンスさんも出演した映画“名もなき英雄たち”にジャネットさんは出ていたといいます。李昌成(リ・チャンソン)氏は彼女と話がしたいと思いました。
【脱北者・李昌成(リ・チャンソン)氏】(証言より) 「“名もなき英雄たち”に出ていましたね?どんな人かなぁと思っていました。お会いできてとてもうれしいです!」
【ジャネットさん】(証言より) 「ありがとうございます。普段は写真はお断りしていますが、撮りましょう!」
【ナレーター】 欧米人の風貌をしているジャネットさんですが、「流暢な朝鮮語を話した」といいます。彼女はどういう人物なのでしょうか?私たちは“名もなき英雄たち”を見てみました。
死の証人・ケルトン博士役のジェンキンスさん。「私は主人を愛しています」(映画のセリフ)その妻としてジャネットさんは出演していました。字幕にも“ジャネット”の文字が・・・。
ジャネットさんはどこから来た誰なのかを説明できる人は1人しかいません。彼女と共演したジェンキンスさんに会うため私たちは佐渡に向かいました。
【取材者】 「見たことありますか?」
【ナレーター】 渡された写真を見つめるジェンキンスさん。
【ジェンキンスさん】 「ジャネットじゃないのかな?」
【取材者】 「ジャネットのように見えるんですか?」
【ジェンキンスさん】 「ええ・・・」
【ナレーター】 「ジャネット」という名前をあげたジェンキンスさん。
【ジェンキンスさん】 「彼女は私の妻を演じていました。同じ時期に仕事をしていたので彼女を知っているのですが、会ったのはメイク室で、かつらをつけてあげましたよ。」
【取材者】 「かつらをつけてあげた?」
【ジェンキンスさん】 「真っ白のをね。」
【ナレーター】 欧米人のような風貌をしている彼女は、役柄そのままに「ジャネット」と呼ばれていました。実際にはどういう人物なのでしょうか?
【ジェンキンスさん】 「彼女は自分が『ロシア人と朝鮮人のハーフで1952年生まれ』だと言っていました。朝鮮戦争の最中ですね。」
【取材者】 「彼女はどこで生まれたのですか?」
【ジェンキンスさん】 「北朝鮮の平壌です。」
【取材者】 「本当ですか?」
【ジェンキンスさん】 「ええ、彼女の祖母は平壌にいましたよ。」
【ナレーター】 ジャネットさんの父親はロシア人で母親は朝鮮人。1952年生まれで、北朝鮮の大学でロシア語を学んだ後、映画撮影所に入り女優になったといいます。「映画“名もなき英雄たち”には、他にもハーフの俳優がたくさん出演している」といいます。ジェンキンスさんはこう話します。
【ジェンキンスさん】 「北朝鮮にはハーフの人がたくさんいます。“名もなき英雄たち”には、20歳から23歳くらいまでの若くてきれいな女性が大勢起用されました。ロシアとの国境地帯で生まれ、平壌に連れて来られてこうした仕事に起用されたのです。」
【ナレーター】 ジェンキンスさんはハーフの俳優の父親や母親の出身国についてはわかるものの、その親がどうやって来たのか?といった詳細は知らないといいます。北朝鮮に住むハーフについては多くのナゾが残されています。
一方、ジェンキンスさんへのインタビューでは、こんな話も飛び出しました。
【取材者】 「日本人の拉致被害者が外国人と結婚している可能性は?」
【ジェンキンスさん】 「その可能性は高い・・・」
まだ知られざる拉致が・・・
【ナレーター】 アメリカの脱走兵・ジェンキンスさん。北朝鮮で横田めぐみさんに会ったほか、有本恵子さんや石岡亨さんと見られる夫婦など「複数の日本人を見た」といいます。
また、曽我ひとみさんやタイ人のアノーチェさん、レバノン人のシハムさん、ルーマニア人のドイナさん、これら4人のアメリカ人脱走兵の妻は拉致被害者とされます。
【取材者】 「あなた方4人のほかにも北朝鮮にアメリカ人がいる可能性はありますか?」
【ジェンキンスさん】 「ええ、ベトナムから逃れて来たような人がいるかもしれません。定かではないけど・・・可能性は高い・・・。」
【取材者】 「日本人の拉致被害者が外国人と結婚している可能性は?」
【ジェンキンスさん】 「可能性は高い・・・。そうだとすれば、そのことも生きている拉致被害者の存在を認めたくない理由なんでしょう。」
【ナレーター】 日本人・韓国人以外にもまだいるとされる拉致被害者。その解明は始まったばかりです・・・。
ナゾの女性 北朝鮮のジャネット
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「ジェンキンスさんとも映画で共演した“ジャネット”さんという女性、これまではその存在はほとんど知られていませんでした。ジェンキンスさんの話によりますと、北朝鮮には私たちが想像する以上に外国人、さらにはハーフの人たちがいるということなんですね。ただ、そのハーフの人たちの親が自らの意思で北朝鮮に入ったのか?あるいは拉致された被害者なのか?は定かではありません。
今回来日したルーマニア人女性・ドイナさんの弟のガブリエルさんは、今後姉の拉致に関してルーマニア政府に対応するよう要望するということなんですが、そのガブリエルさんは先ほどまで開かれていました日比谷での大集会でも、今後も家族と国際的に連携していくと訴えています。
またさらにこの集会では、家族会の代表を辞任する意向を示していました横田滋さんが、75歳を迎える今年の11月までは代表を続投する、ということです。」
*写真は4月22日、日比谷公会堂で開催された国民大集会で姉の救出を訴えるガブリエル・ブンベアさんです。(あおいのママ撮影)
(ディレクター 山本将文さん 丹羽小百合さん 吉田豊さん)
終わり
*4/22 TBS「報道特集」ナゾの女性 北朝鮮のジャネット aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/39864274.html
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| イエローハンカチバッジ |
( 2007.4.22,日 ) |
*写真はいただいたイエローハンカチバッジです。 あおいのママとパパは、4月22日に東京日比谷公会堂で開催された国民大集会にボランティアスタッフとして参加しました。報道受付と特定失踪者問題調査会のブースの掛け持ちでした。当日は、正確な人数はわかりませんが、約1500人くらいの皆さんが会場に足を運んでくださっていたと思います。声をかけてくださった皆さん、本当にありがとうございました。詳しいレポートはできるようでしたら後ほど書きたいと思っております。
集会終了後、韓国からお見えの拉致被害者ご家族・崔祐英(チェ・ウヨン)さんと1年ぶりにお会いしました。崔さんは昨年4月の神奈川県民集会に登壇されたのですが、その際私と友人のSさんは控え室の担当をしていまして、Sさんがたくさんのかわいい手作りイエローリボンを贈ったことがありました。そのことを崔さんは覚えていてくれて、李美一(イ・ミイル)さん(朝鮮戦争拉致被害者ご家族)や李玉哲(イ・オクチョル)さん(韓国拉致被害者家族協議会会長)にも紹介してくださいました。(崔さんは日本語がとても上手です)
写真のイエローハンカチバッジは崔祐英さんと李美一さんが当日身につけていたもので、Sさんと私に「どうぞ」とわざわざお洋服から外してくださいました。(あおいのママは李さんからいただきました)そして「このバッジはイエローハンカチが風になびいている姿を象ったものです」と教えてくれました。日本ではブルーリボン運動ですが、韓国ではイエローハンカチ運動として定着しているようです。色々とお話を聞いていて、私たちは崔さんたちのご家族に対する思いをとても感じて涙ぐんでしまいました。
崔さん、李さん、イエローハンカチバッジを本当にありがとうございました。世界中の北朝鮮に拉致された人たちが一日も早くご家族と一緒に暮らせますよう、これからも私たちは心よりお祈りし、できることで支援をしていきたいと思っています。
*写真は昨年4/16の神奈川県民集会で撮影したものです。登壇された崔祐英さんが、Sさんから贈られたイエローリボンを会場の皆さんに紹介してくれました。
*'06 4/16 神奈川県民集会レポート http://aoinomama13.seesaa.net/article/17673726.html
*イエローハンカチバッジ aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/39808817.html
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| フォトアルバムご紹介 |
( 2007.4.18,水 ) |
あおいのママが拉致問題を知るきっかけとなったのが、2002年日韓ワールドカップであったというのは以前に書きました。ヤフー掲示板のサッカーや国内ニュースのトピックスで色々と勉強させていただきましたが、2003年か2004年頃だと思いますが、「ミニイワさん」という方もそのトピにいらっしゃいました。
東京集会や国民大集会、街頭活動に足を運び、いつも報告レポートを投稿されています。以前には、「東京集会に参加できなかった」と日記に書きましたら、ご家族の訴えを文字化してくださったこともありました。
また、私はサッカーや野球が大好きなんですが、ミニイワさんも大好きだとトピで知りました。特にメジャーリーグファンで、アメリカによく観戦に行っているようです。(うらやまし〜)私もメジャーリーグは大好き!松井秀喜選手のファン。もちろんイチローも大好き。日本でプレーしていた頃は、東京ドームでよく観戦したものです。巨人の宮崎キャンプにも行ったことがあるくらいなんです。
ミニイワさんが最近アメリカに行った時の写真がフォトアルバムにあるとぷち掲示板で教えてくれました。メジャーリーグ観戦写真はもちろんのこと、ニューヨークの北朝鮮国連代表部のあるビルの写真も撮影しています。
拉致問題関係の写真もたくさんあります。皆さん、ぜひご覧になってみてください。(ブログにリンクしております)ミニイワさん、いつもお疲れさまです。本当にお知らせありがとうございました。(^^)
*ggazzirraさんのフォトアルバム http://photos.yahoo.co.jp/ggazzirra
*フォトアルバムご紹介 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/39320865.html
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| 3/31 藤沢でいただきました |
( 2007.4.17,火 ) |
あおいのママとパパは3月31日、救う会神奈川主催の藤沢市民集会(藤沢産業センター)にボランティアスタッフとして参加しました。会場内は多くの皆さんでいっぱいになり、大変熱気が感じられました。(詳しい様子はできましたら後ほど・・・)
私たちはいつものように書籍販売と署名活動担当でしたが、今回も何人かの方々から声をかけられまして、差し入れ等いただき感謝の気持ちでいっぱいです。皆さん、心づくしを本当にありがとうございました。その中の一部をご紹介したいと思います。
写真はかわいい小鳩のかたちをした和三盆のお菓子です。「豆の香りを楽しみ、また、マメに楽しく過ごせるように」という願いが込められているお菓子ということです。すっきりとした甘さで、心や体の疲れを癒してくれました。
いつも藤沢に来てくれるKさん。署名も必ず進んでしてくれる方です。毎回「ご家族・スタッフの皆さんへ」と差し入れしてくださいましてありがとうございます。おいしくいただきました。(^^)
こちらはご夫婦で参加の方からいただいた葛餅です。「パパと食べてね」といつも何かとおいしいものを持って来てくださるお二人に感謝です。今回たくさんいただいたので、友人宅で一緒においしくいただきました。ありがとうございました。
ボランティアをしていれば色んなことがあります。でもこんなふうにちょっとしたことでも人の優しさに触れることもあり、私たちは励まされたりしています。これからも何かとあるでしょうが、自分たちにできる支援を無理なく続けていきたいと思っております。
*'06 10/7 藤沢でいただきました http://aoinomama13.seesaa.net/article/25112780.html
*3/31 藤沢でいただきました aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/39227351.html
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| 4/15 フジテレビ「新報道プレミアA」米朝開戦の危機 13年目の“真実” |
( 2007.4.16,月 ) |
*4/15フジテレビ放送の「新報道プレミアA」の一部を文字化しました。約30分間の放送でした。
*4/15 フジテレビ「新報道プレミアA」 核の停止・・・期限切れ 北朝鮮で盛大祭典 http://aoinomama13.seesaa.net/article/38865678.html
続き
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「続いてはですね、忘れえぬ実験ですとか、そして事故の舞台裏を当時の関係者の証言をもとに描きます運命の舞台裏です。」
「歴史は何も教えない。ただ学ばない者を罰するだけだ。」(歴史家 バシリー・O・クリュチェフスキー)風化していく過去の記憶。しかし、長い時を経てようやく語れる真実がある。あの日、何があったのか?運命の舞台裏―。
「運命の舞台裏 X1994」 歴史を変えた一本の電話
【ナレーター】 やはり約束は守られなかった。昨日(4/14)、非核化へ向けた最初のタイムリミット、北朝鮮は何の動きも見せなかった。
【アメリカ合衆国ヒル国務次官補】 「期限を守れない北朝鮮に不信感を持っている」
【ナレーター】 北朝鮮。核の脅威を武器にして経済制裁を反故にし、様々な譲歩を引き出す、その瀬戸際外交。彼らは世界を愚弄したと言っていい。だが私たちは知ってしまった。今から13年前(1994年3月19日・南北実務者協議)、まったく同じ出来事があったことを。しかも事態は恐ろしく深刻だった―。
【北朝鮮代表】(VTR) 「戦争になればソウルは火の海になる・・・」
【ナレーター】 金日成率いる北朝鮮とアメリカは、全面戦争勃発の間際だった。
【元国務次官補・ロバート・ガルーチ氏】 「あの時アメリカは、北朝鮮の空爆に踏み切る予定でした。」
【ナレーター】 (1994年韓国では)韓国大統領は震えた。
【元韓国大統領・金泳三氏】 「この韓国を戦争に巻き込もうというのか・・・」
【元統幕会議幹部・杉山靖樹氏】 (そして日本でも・・・)「自衛隊として初めての実際の紛争に入っていくのかなと・・・」
【ナレーター】 一触即発の最前線で、一人の男とあるジャーナリストが38度線を越える。戦争を食い止めたのは一本の電話だった。
【ジャーナリスト・イーソン・ジョーダン氏】 「電話をするまでわずか5分でした・・・」(13年目の証言)
【ナレーター】 米朝開戦危機の舞台裏、そこから繰り返される悪夢が見えてくる―。
米朝開戦 核危機 13年目の“真実”
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「アメリカと北朝鮮、核のカードを切った北朝鮮に対してアメリカは金融制裁というかたちで応酬しました。で、結局この2つの国の神経戦にも似た外交交渉は、北朝鮮が一方的にアメリカの譲歩を引き出すかたちで終わっております。
さて、こうした2つの国の睨み合いというのは、今さらながら始まったことではありません。遡ること13年前、一触即発、本当に戦争になるか?という危機がありました。その舞台裏を丹念に取材して見えてくることは、北朝鮮何ら変化していない、そしてひたすら北朝鮮の脅威のみが増している、という厳しい現実です。」
実在した“北朝鮮空爆計画”
【ナレーター】 「歴史は繰り返す」あなたはその言葉を苦い思いでかみ締めることになるかもしれない。北朝鮮の核疑惑を巡る緊迫のドラマは、1994年ピークを迎えていた。
ジョージア州アトランタ(1994年6月9日)。ドラマの要となるジャーナリストは当時CNN本社に勤務していた。その彼(CNN記者・イーソン・ジョーダン)に一本の電話がかかる。受話器を取って腰を抜かした。相手は元アメリカ大統領ジミー・カーター(当時69)。カーターは北朝鮮の事情を詳しく知りたがっていた。
北朝鮮での取材経験を持つジャーナリスト・イーソン・ジョーダン(当時33)は、後に米朝戦争を阻止するスクープをものにすることになる。
【ジャーナリスト・イーソン・ジョーダン氏】 「もしも北朝鮮に私のようなジャーナリストが行っていなかったら、歴史は変わっていたかもしれません。」
【ナレーター】 この時期アメリカの偵察衛星は、北朝鮮のある施設に神経を尖らせていた。そう、今もまさに核問題の焦点となっている寧辺(ヨンビョン)の核施設。13年前から同じ施設を巡って、すでに核兵器開発疑惑は浮上していたのだ。
核武装を恐れた国連は特別査察を要求し、当時の最高指導者・金日成はこれを拒否。あきれたことに、今と何一つ変わらぬ構図だった。クリントン大統領は強行姿勢を貫こうとしていた。経済制裁を終え、軍事行動さえも厭わないという激烈な姿勢を―。
【元アメリカ合衆国大統領・ビル・クリントン氏】(VTR) 「もし核兵器を開発し使用すれば北朝鮮は終わりだ!」
【ナレーター】 今の六ヵ国協議アメリカ代表・ヒル(国務次官補)と同じ立場にあった当時の国務次官補(ロバート・ガルーチ)によれば、「危機感は極めて具体的だった」という。
【元国務次官補・ロバート・ガルーチ氏】 「当時、北朝鮮は弾道ミサイルに核爆弾を搭載する脅威だけでなく、核兵器を他の国やテロ組織に売り渡す恐れもありました。」
【ナレーター】 その年(1994年)3月19日、南北実務者会議は北朝鮮代表の暴言で紛糾する。
【北朝鮮代表】(VTR) 「ここからソウルは遠くない。戦争が起きればソウルは火の海になるだろう!」
【韓国代表】(VTR) 「今、何を言った?」
【北朝鮮代表】(VTR) 「あなたも生き残れないだろう」
【韓国代表】(VTR) 「そんな話があるか!戦争には戦争で対応する?」
【北朝鮮代表】(VTR) 「そうだ!」
【韓国代表】(VTR) 「会談の場で戦争の話をする意図は何だ?」
【北朝鮮代表】(VTR) 「そちら側が戦争宣言をしたからだ。ちょっと黙って聞いていろ!」
【ナレーター】 アメリカも黙ってはいなかった。韓国の米軍基地を中心に、ミサイルや攻撃ヘリなどを追加配備する。それは決して単なるプレッシャーではなかった。ホワイトハウスの奥深くでは、現実的な北朝鮮空爆計画は練られていた。
【元国務次官補・ロバート・ガルーチ氏】 「軍が先頭に立って爆撃計画を作成しました。戦闘機による空爆です。ターゲットはもちろん寧辺(ヨンビョン)の核施設です。」
【ナレーター】 関係者の証言によればこの時、「攻撃目標は核施設のみならず主要な軍事施設にも及んでいた」という。13年前のアメリカは、力ずくで核武装を阻止する構えだったのだ。「当時すでに寧辺(ヨンビョン)には、数個の原爆を作るだけのプルトニウムがあった」とも伝えられている。
一方の北朝鮮も、「この時はほとんど戦時体制だった」という。
【脱北者(当時軍人)】 「軍人たちは夜も靴を履いたまま寝ていました。いつどんな時に戦争が始まっても、すぐ対応できるようにするためです・・・」
【ナレーター】 危機感は市民の間にも広がっていた。
【脱北者(当時学生)】 「アメリカの核攻撃や化学兵器、細菌兵器を想定した避難訓練が何度もありました。テレビで行進曲が3回流れたら、それが『戦争が始まったぞ』という合図だと教えられました。」
【ナレーター】 韓国大統領・金泳三(キム・ヨンサム)はクリントンからの協力要請に「愕然とした」という。
【元韓国大統領・金泳三氏】 「あなたはどういうつもりなんだ?と突っぱねました。『朝鮮半島で戦争をするなんて絶対にやめてくれ』と言いましたよ・・・」
【ナレーター】 北朝鮮とアメリカの全面戦争となれば、日本も無傷では済まない。だが、深刻な状況を把握していたのはほんの一握りだった。
【元統幕会議幹部・杉山靖樹氏】 「戦後初めてですね、日本を含めて紛争が影響してくる、というのを感じた最初ではないでしょうかね。自衛隊として初めての実際の紛争に入っていくのかなと・・・」
【ナレーター】 その頃、日本の政局は混迷し、危機管理どころではなかった。大量の避難民が押し寄せ、ミサイルさえ飛んで来るかもしれないというのに。
【元警察庁警備局長・菅沼清高氏】 「万一、ミサイルが日本に発射されたりした時にはどうするか。その当時だったら、『それはこういう対策が出来ている』というものはゼロと言ってよかったと思いますね。相当の犠牲が出る可能性があった・・・」
【ナレーター】 CNNのジャーナリスト・イーソン・ジョーダンが、カーター元大統領から、北朝鮮の事情を聞かれたのはあわや開戦か?という時期だった。そしてジョーダンは決意する。平壌に、戦場となるかもしれない舞台へひそかに潜入することを―。
北朝鮮、空爆直前・・・38度線で記者が見た真実
【ナレーター】 今とまったく同じ展開を見せていた、かつての米朝対立。ただ一つ違うのは、アメリカが空爆作戦まで準備していたということだ。
CNNのジャーナリスト・ジョーダンは、カーター元大統領が北朝鮮からの招待状を持っていることを聞かされた。カーターには、韓国からの米軍撤退を主張した過去がある。金日成はそれを評価していた。
【ジャーナリスト・イーソン・ジョーダン氏】 「カーターが訪朝を決断してから出発まではあっという間でした。一週間もなかったと思います。」
【ナレーター】 1994年6月13日、カーターは韓国に入った。現役を退いた大統領にアメリカを代表する権利はない。しかもカーターは外交音痴と言われた人物だ。ホワイトハウスなら彼の訪朝に何の期待もかけていなかったことをジョーダンは知っている。だが何としてもスクープが欲しいジョーダンは、懸命に平壌潜入のルートを探っていた。
北朝鮮が西側メディアの同行を許すはずはない。「もしも自分が先に平壌に入れれば・・・」。最小限の機材を携えて彼は北京へと飛ぶ。
カーターは南北の軍事境界線・板門店(ハンモンテン)から北朝鮮に入国することになっていた。それを北朝鮮側から撮影出来るだけでも十分なニュースになるはずだ。300を越える西側の報道陣を背にして、カーターは38度線を越えようとしていた。
この2日前、核査察を拒絶してIAEA(国際原子力機関)を脱退した北朝鮮に対し、アメリカは国連安保理を通じて経済制裁を求めている。文字通り一触即発。
【元アメリカ合衆国大統領・ジミー・カーター氏】(VTR) 「また数日後に会いましょう。一緒に行けなくて残念だね!」
【ナレーター】 境界線を越えたカーターは、その先に見知った人物を見つけて驚いたという。イーソン・ジョーダン、からくもこの瞬間に間に合っていた。ジョーダンのカメラは、山のような西側の報道陣を置き去りにして、ゆっくりと近づいて来るカーターをとらえた。先ほどまでの笑顔とはうって変わった険しい表情。
ジョーダンの機転によって、電撃的なスクープが世界に配信されるのはこの2日後のことだった―。
“瀬戸際外交”の原点
【ナレーター】 思い出して欲しい。拉致問題で小泉首相が北朝鮮を訪問した日のことを。(2002年9月17日)あの時、金正日(総書記)の傍らにいた人物、今も外交交渉のカギを握るこの男・姜錫柱(カン・ソクジュ 第一外務次官)は、実は13年前も瀬戸際外交のしたたかさを見せつけたのだ。
ジョーダンはカーターと金日成の歴史的出会いに立ち会った。金日成(国家主席)当時82歳。同じテーブルに姜錫柱(カン・ソクジュ)もついていた。
ジョーダンが撮影出来たのは、会談前の驚くほど和やかな二人の様子だった。この席上で金日成は核査察を受け入れる。そして見返りに莫大なエネルギー支援などを手にした。何と今と少しも変わらぬ構図。
【ジャーナリスト・イーソン・ジョーダン氏】 「カーターは自分の役割に興奮しているように見えました。何せ、自分の働きによって戦争か平和かが決まる、と考えていたからです。」
【ナレーター】 まさにこの時、ホワイトハウスではクリントンが在韓米軍の増強を決めようとしていた。けれど、世界はまだ北朝鮮が核査察を受け入れたことなど知るよしもない。西側のジャーナリストはジョーダンのクルーだけなのだ。
会談を終えた二人はまるで旧知の友人同士のようだった。だが、北朝鮮の外交手法は昔も今も変わらない。
“瀬戸際外交”陰の男
【ナレーター】 カーターの前に立ち塞がったのは、あの姜錫柱(カン・ソクジュ)だった。この国で取材経験を持つジョーダンは、彼がどれほど厄介な人物かを知っていた。彼の背後には、この時もそして現在も実はあの金正日がいたのだ。
【ジャーナリスト・イーソン・ジョーダン氏】 「姜(カン)は実に手強い男です。カーターは、姜(カン)があまりに攻撃的で相手を見下すような態度だったことに激怒していました。」
【ナレーター】 姜錫柱(カン・ソクジュ)は、カーターを睨みつけながらこう言った。
【姜錫柱(カン・ソクジュ)第一外務次官】 「核査察の受け入れは今後の米朝交渉で話し合いましょう。もし我が国に経済制裁が実施されれば、あなたの努力は無駄になります。」
【ナレーター】 金日成との合意内容を覆そうとする姜(カン)に、カーターは突然こう返したという。
【元アメリカ合衆国大統領・ジミー・カーター氏】 「あなたはさっき金日成主席が約束したことを勝手に否定する気か!」
【ナレーター】 譲歩したように見せながら、一方で恫喝にも似た強い姿勢に出る。カーターの動揺がジョーダンには手に取るようにわかった。
歴史を変えた一本の電話
【ナレーター】 ホテルに帰ったジョーダンは、すばやく計算した。この事実を一刻も早く世界に伝えなければ、また何が起きるかわからない。平壌は深夜だがアメリカはちょうど真昼にあたる。同じホテルに泊まるカーターの部屋を訪ねたのは深夜1時過ぎ。電話なら、ホワイトハウスにもCNNのスタジオにもつなぐことが出来るはずだ。
【ジャーナリスト・イーソン・ジョーダン氏】 「私はパジャマ姿のカーターを説得しました。『もし会談の内容を早く伝えることが本当に重要なら、電話という手段があります』ってね。」
【ナレーター】 カーターはジョーダンの提案を受け入れた。最初に押した番号はホワイトハウス。この瞬間、平壌から遠く離れたホワイトハウスの大統領執務室では、軍事計画が決断されようとしていた。カーターからの電話が飛び込んだのは、新たな米軍派遣に踏み切るその刹那だったのだ。
【元国務次官補・ロバート・ガルーチ氏】 「カーターは『これからCNNに電話出演する。全世界に向けて合意事項を発表する』と伝えてきました。」
【ナレーター】 慌ててテレビを見つめる閣僚たち。その貴重な写真が残っている。合意事項の中身など誰一人知らなかった。テレビ画面からは電話を通したカーターの言葉が流れ始め、やがてニュースは全世界を駆け巡る―。
【アナウンサー・安藤優子さん】(ニュースJAPAN 1994年6月16日) 「北朝鮮を訪問中であります、アメリカのカーター元大統領が今日、金日成主席と会談しました。で、アメリカのCNNテレビによりますと、会談は3時間の長きに亘りまして・・・」
【ナレーター】 北朝鮮はもはや身動きが取れなくなった。一本の電話がなかったら、歴史は変わっていたかもしれない。
【ジャーナリスト・イーソン・ジョーダン氏】 「あっという間でした。カーターが電話をかけるまでわずか5分ですよ。」
【ナレーター】 確かに戦争は回避された。けれど、私たちは13年前の出来事から何を学んだらいいのだろうか?
カーター訪朝の1ヶ月後、金日成は世を去った。(1994年7月8日)しかし、当時から背後で権力を操っていたのは、息子である金正日だったという。あの時、核疑惑を武器に莫大な見返りを手にした北朝鮮は、今年もまたまったく同じやり方で世界を翻弄した。不気味な核の脅威を引きずったまま―。
“核”で世界を威嚇 その時、日本は・・・?
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「はい。こうやって米朝の間で合意をしたこの枠組み合意というのは、2002年に実は北朝鮮がプルトニウムの抽出を新たに、技術を新たに取得していたことがわかって、結局パァーになってしまったわけですよ。そういうことがあったにもかかわらず櫻井さん、今回まったく同じ道を歩んでいるようにしか見えない、何故同じことを繰り返すんでしょう?」
【ジャーナリスト・櫻井よしこさん】(スタジオにて) 「あのね、アメリカには2つの大きな意見がありまして、1つは安藤さんのように『我々はもう騙されてはならない』と『だからきちんとした対処をすべきだ』という人たち。それは例えば“ネオコン”とか言われる人たち、チェイニーさんたちですね。
もう1つは、今のライス国務長官とかヒル国務次官補ですね。『北朝鮮と話をすればちゃんとわかってくれるはずだ』という考え方。かつて日本の小泉首相がですね、外務省の田中均さんという非常に北朝鮮に対して親切な方と、それから安倍さんという原理原則をちゃんとやろうと、対策を打とうという人の2つを使い分けたように、ブッシュさんも今この2つを使っているんですね。
だけどもイラク戦争で手を取られてしまって、この余裕がなくなってしまって、『何とか早く収めたい』という焦りがあるものですから、ライスさんたちの意見に耳を傾けている。でもこの必ず失敗するであろうとみんなが思っているその道に、余裕がないために踏み込まざるを得ないという事情があるのだろうというふうに思いますね。」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「今後ですね、本当にIAEA(国際原子力機関)によって査察が出来るのかどうか?どこまで出来るのかどうか・・・?」
【ジャーナリスト・櫻井よしこさん】(スタジオにて) 「出来てもほとんど意味がないですね」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「そうですか。ということは、仏の顔も三度までですからね。」
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*4/15 フジテレビ「新報道プレミアA」米朝開戦の危機 13年目の“真実” aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/38995378.html
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| 4/15 フジテレビ「新報道プレミアA」核の停止・・・期限切れ 北朝鮮で盛大祭典 |
( 2007.4.15,日 ) |
*4/15フジテレビ放送の「新報道プレミアA」の一部を文字化しました。約5分間の放送でした。
核の停止・・・期限切れ 北朝鮮で盛大祭典
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「さあ、それでは続いてですが、今日は北朝鮮から最新の映像が届いております。北朝鮮の今のところ最大のイベントと言っても過言じゃないと思います、“アリラン祭”が始まっております。で、この“アリラン祭”、一体何がどのように行われて、何が姿を現したのでしょうか?今の北朝鮮を読み取る上でこれほど絶好の機会はありません。ご覧いただきましょう。」
*北朝鮮のマスゲーム 時事通信社より(写真あり) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070415-05167616-jijp-int.view-001
【ナレーター】 今日(4/15)、故・金日成国家主席の誕生日を迎えた北朝鮮。前夜祭となる昨日午後8時から、平壌でアリラン祭が始まった。総勢10万人の市民が動員された世界最大のマスゲーム。奥のスタンドで学生たちが作った巨大な人文字には、「偉大なる領導者 金正日同志に最大の栄光をささげます」という文字が・・・。
【共同通信・磐村和哉記者】 「第一回目(初日)ということもありまして、金正日総書記も観覧するのではないかと期待はされていましたけれども、昨晩は姿を見せませんでした。日本などが独自に去年から行っている制裁の影響なんですけれども、私たちが出歩いて見る限りでは、ほとんど感じられませんでした。」
【ナレーター】 これ(映像)は北朝鮮への旅行客が先月平壌市内で撮影した映像。赤い炎を象った棒を掲げ、マスゲームの練習をする市民。そして昨日、あの赤い炎のついた棒を持った人たちが登場。一糸乱れぬ演技を披露していた。
実は今年1月、朝鮮総連の機関紙(朝鮮新報電子版 1月12日)がアリラン祭の総責任者にインタビューしたところ、「今回の公演には核実験を宣伝する内容が盛り込まれる」と示唆し、注目を集めていた。ところが初日となった昨日のアリラン祭では・・・。
【共同通信・磐村和哉記者】 「昨年7月の弾道ミサイル発射、それから10月の核実験、こういったものが盛り込まれるのか?という部分なんですけども、そういったものは一切ありませんでした。」
【ナレーター】 何故予告通り、核を盛り込まなかったのか?専門家はこう指摘する。
【毎日新聞・鈴木琢磨編集委員】 「まぁ、最終的にはですね、米朝の合意を見ていないということで、自制したんだと。先軍政治の偉大な勝利ということをこの舞台(マスゲーム)で高らかに謳いたかった。」
【ナレーター】 2000年(10月)、当時のアメリカ国務長官・オルブライト氏は北朝鮮を訪れ、米朝間の緊張が緩和された際、北朝鮮はマスゲームでミサイル(模型)を発射、オルブライト氏を驚かせたという。
【毎日新聞・鈴木琢磨編集委員】 「彼らの最終的な勝利を見て『ついに我々は勝った、こういう大国になったんだ』と、『そして世界の中でも超大国になったんだ』『超大国と対峙できる大国になったんだ』ということを『ビジュアルで見せたい』と本当にそう思っているような気がしますね。」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「はい。まぁエネルギー不足も指摘されている中で、今回の今年のアリラン祭、一体できるのかどうか?と危ぶまれたような時期もあったんですけれども、こうやって児玉さん、映像で見ている限りは、その盛大さによっては何ら引けを取らないと言うんでしょうか、国力まだまだだぞと。」
【プレミアゲスト・児玉清さん】(スタジオにて) 「そうですね、踊っている方をのぞけるといいのですけど。どんな思いで踊っていらっしゃるのかわからないですけど、でも潜入リポート何かを見ていますとね、飢えと貧困みたいなことで喘いでいる国民、ところが今のマスゲームですと、そういうのを感じられませんよね。」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「はい、そうですね。」
【プレミアゲスト・児玉清さん】(スタジオにて) 「ますますそのマスゲームが見事に華やかに、そんな感じさえしますよね。」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「あの、櫻井さん、私は数日前なんですが、映像で停電の中でみんな真っ暗な中で練習しているんですよ。もう彼ら国民をこれだけ駆り立てているものっていうのは一体何なんでしょうか?」
【ジャーナリスト・櫻井よしこさん】(スタジオにて) 「あの、国民は駆り立てられているだけの話なんですよね。で、その駆り立てる方は六ヵ国協議で『わが国は電線がもうダメになっているから早く取り替えてほしい』ということを依頼しているんですね。つまりその、これほど大々的にお金を使ってやりながら、実際は社会のインフラである電線が老朽化して使いものにならない。そこまで経済は切迫しているのにこういうことをやるというのは、本当に許せないことだっていうふうに思いますね。」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「そうですね。本当に国民の人権無視としか言いようがないわけですよね。」
【ジャーナリスト・櫻井よしこさん】(スタジオにて) 「人権なんてないんです、あの国にはね。」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「それではですね、北朝鮮とそしてアメリカの、米朝の色々の交渉がありました。そうした舞台裏も含めまして後ほどゆっくりそのあたりは見てまいりたいと思います。今夜の見どころです。」
終わり
今もなお核の脅威で世界を揺さぶり続ける北朝鮮。あの日(1994年開戦の危機)直面した悪夢は深刻だった。開戦を止めた一本の電話(寸前の回避)。今、歴史は繰り返す―。
*続きの特集「運命の舞台裏 X1994」の文字化です。 ↓ ↓ ↓ *4/15 フジテレビ「新報道プレミアA」米朝開戦の危機 13年目の“真実” http://aoinomama13.seesaa.net/article/38995378.html
*4/15 フジテレビ「新報道プレミアA」核の停止・・・期限切れ 北朝鮮で盛大祭典 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/38865678.html
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| シュガーポットの彼 |
( 2007.4.13,金 ) |
私が中学2年生の時、幼なじみの男の子を好きになった。彼とは小学校1年〜4年生まで同じクラスで、中学に上がってまた同じクラスになった。小さな頃から知っていたのに、不思議だけど突然好きになってしまった。
2月のバレンタインデーが近づくにつれ、女の子はみんなソワソワ。何といっても思春期の女の子たちにとって最大のイベントだもの、好きな子にどんなチョコレートを贈ろうか、どうやって告白しようか、誰が誰にあげるかなどなど、友だち同士で相談したり情報交換したり。この時代はほとんどが本命で義理はまだ少なかった。
しばらくして、彼は小学生の頃から毎年2月14日は学校を休むのが恒例だと知った。昔、女の子にせまられて困ったのが原因とか。そんなにモテて羨ましく思う男の子もいるだろうに、中学生になってもやはり休んでいたという。
「じゃあ、チョコは受け取ってもらえないなぁ・・・」と私がシュンとしていたところ、友だちが気を利かせて?直接彼に交渉してくれた。「14日に○○ちゃんがチョコを渡したいっていうから、絶対に学校に来てよ!」と言ったらしい。そ、そんなストレートな・・・って思ったけど、彼は「わかったよ」と答えてくれたそう。でも当日まで本当に学校に来るかどうかわからなかった。
この時、14歳の私が思いを込めて作ったのは“トリュフ”。ひとつひとつ丁寧に手で丸めて、大き目のガラスビンの中いっぱいに入れてフタをした。リボンも結んだかな。カードには「好きです」って書いた記憶も。(恥ずかし〜)
当日、学校では朝早くから女の子たちが思い思いのチョコレートを見せ合いっこしていた。私もみんなにせがまれて、ビン詰めした“トリュフ”を見せたら、言葉を失ったようだった。「ねぇ、それあげるの?何かお団子をぎゅうぎゅうに詰めたみたいだねぇ・・・」と不評だったけど、「見た目より味よ!」と自分を慰めた。
でもやっぱり直接手渡す勇気がなくて、結局友だちが何年かぶりに14日に登校してきた彼に渡してくれた。後に「食べたよ」とだけ。普段と変わらない様子だったが、それでも私は満足だった。
次の年は、事前に自分で「チョコいる?」って聞いてみたけど、「今年はいらないよ」と断られたのであげなかった。卒業後、別々の高校に通うので、最後にと思ったんだけど・・・。ちょっと悲しかった。
それから5年後の成人式で、久しぶりにその彼と会った。お互いひとり暮らしの学生で、首都圏の大学に通っていることなど、話は尽きなかった。そして帰り際、突然彼が言った。「中学の時もらったチョコレートのビン、シュガーポットにして今でも下宿で使っているんだよ」と。
私はすっかり忘れていたので、最初は何のことだかわからなかったが、彼があの日を覚えているのにも驚いた。あの大きなガラスのビンを5年間大切に持っていてくれたんだ。「大事に使ってくれてありがとう」とお礼を言った。
その後も私が結婚するまで何度か会った。今は疎遠になってしまったが、きっといいお父さんになっているだろう。いつか地元の同窓会で会えるかな。
その彼は13日生まれだった。月は違えども私は13日にはいくつかの縁がある。私自身も13日生まれだし、夫も実妹も甥もそう。他にも知人や友人のお子さん、学生時代好きだった人も13日生まれだった。みんな「13日の金曜日」が必ずやってくる。
今日は4月13日(金)。硬派だけど優しかった、シュガーポットの彼を思い出した。
*シュガーポットの彼 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/38633262.html
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| 4/1 フジテレビ「新報道プレミアA」スクープ!秘密文書と新証言 今も“北”に拉致被害者の影 |
( 2007.4.12,木 ) |
*4/1フジテレビ放送の「新報道プレミアA」の一部を文字化しました。放送は約20分間でした。
スクープ!ジェンキンス氏『秘密文書』 まだ拉致被害者が・・・
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「さぁそれではですね、番組のスタートは今日は皆さんにスクープからお伝えして参ろうと思います。本当に手詰まりと言うか膠着状態に入っています、北朝鮮による拉致問題なんですが、今日お届けする私どもが入手しました大変重要な証言によっては、もしかしたらこの膠着状態、打開することができるかもしれません。」
【アナウンサー・滝川クリステルさん】(スタジオにて) 「拉致被害者・曽我ひとみさんの夫・ジェンキンスさんが、北朝鮮での生活を赤裸々につづったこの『告白』、今回私たちが入手したのは、この本にも書かれていない新たな証言です。」
スクープ!秘密文書と新証言 今も“北”に拉致被害者の影
【ナレーター】 英文でつづられた31枚の“秘密文書”。我々は拉致被害者・曽我ひとみさんの夫・ジェンキンス氏が2004年、脱走兵としてアメリカ軍の取調べを受けた時の調書を入手した。情報源を守るため、調書をそのまま放送することはできない。今お見せしているのは、その調書を書き写したものである。
そこには、ジェンキンス氏が北朝鮮での生活を赤裸々につづった『告白』という本にも書かれていない証言の数々が並んでいた。そしてその証言から日本人拉致被害者に関する新たな情報が浮かんできた。
「日本人拉致被害者は18人」 「北朝鮮北東の海岸に日本人拉致被害者の村が存在する」
今も北朝鮮で暮らす日本人拉致被害者の影。我々はジェンキンス氏本人にさらに詳しい情報を求めた。
【ジェンキンス氏】 「言えない、言えない・・・これが最後のインタビューだ・・・」
【ナレーター】 さらに我々は、工作員として重要な任務を担っていたとされるある脱北者に接触することができた。彼は小泉前総理の二度目の訪朝後に脱北、5人の拉致被害者とその家族が帰国した後の北朝鮮を知っている数少ない貴重な人物だ。メディアの取材に初めて答えた。
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「拉致日本人問題が明らかになってからは、拉致された日本人たちは二重三重に監視されています」
【ナレーター】 「残された拉致被害者はさらに厳しい監視下に置かれている」と彼は語った。
【衆議院議員・平沢勝栄氏】(報道A会議室より) 「日本人の拉致被害者がいることは、私は間違いないと思います・・・」
【ナレーター】 スクープ!秘密文書と新証言、まだ北にいる拉致被害者の影―。
〜マドンヒ大学の日本人教師〜
【ナレーター】 ジェンキンス氏がアメリカ軍の取調べに語った内容で、我々がまず注目したのはこの記述だ。「かつて英語を教えていた大学で日本人拉致被害者を見た」という。大学の名は“マドンヒ大学”、スパイ養成機関である。ベールに包まれたスパイ養成機関で「日本語を教えていた」という日本人拉致被害者とは一体誰なのか?我々はジェンキンス氏を訪ねた。
【記者】 「マドンヒ大学では3人の日本語教師がいたそうですが?」
【ジェンキンス氏】 「日本語教師は1人です。朝鮮人ですが日本で生まれて住んでいた人がいました。」
【ナレーター】 調書では「日本人拉致被害者が教えていた」となっているが、インタビューでは「在日朝鮮人」と話した。
時を同じくして、韓国・ソウルで我々は北朝鮮工作員としてハイレベルの地位にいたある脱北者と接触することができた。彼はマドンヒ大学に日本人教師がいたのを知っていた。
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「日本人教師が1人来て教えていましたが、今はいないと思います。それは女性でした・・・」
【ナレーター】 拉致された日本人女性教師とは一体誰のことを指しているのか?この日本人についての記憶は、90年代初めから半ばまでのことだという。
アメリカ軍によるジェンキンス氏の調書には、ある地名が頻繁に登場する。その地名とは“コバンサン”。ジェンキンス氏はマドンヒ大学で英語を教えていた頃、平壌中心部からおよそ8キロ東の山間にあるコバンサンの招待所で曽我ひとみさんと暮らしたという。
【ジェンキンス氏】 「コバンサンはここです。この建物の中に妻のひとみと住んでいたことがある。」
〜コバンサンの男女3人〜
【ナレーター】 衛星写真でジェンキンス氏が指差したのは、周りから孤立した集落だった。そのコバンサンには、同じような招待所が点在していたという。
【記者】 「そこで何をするんですか?」
【ジェンキンス氏】 「勉強です、スパイになるための・・・。レンガを割ったり、ナイフとか箸を使ってね。箸を削ってアイスピックのように投げる訓練とか・・・」
【ナレーター】 そして今回、メディアの取材を初めて受けたこの地位の高い元工作員は「1999年頃、このコバンサンで3人の拉致被害者を見た」というのだ。
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「拉致された日本人女性2人と男性1人がいました」
【ナレーター】 「女性は2人とも当時40代前半で、男性は40代後半。工作員の養成教育を担当し、コバンサンには2001年までの2年ほどいた」という。
【記者】 「帰国した5人とは別?」
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「違う、違います・・・」
【ナレーター】 帰国した5人以外の政府が認定した拉致被害者で2001年当時、40代前半となる女性は田口八重子さん、40代後半になる男性は松木薫さん・市川修一さんが該当する。さらに北朝鮮によれば、帰国した5人以外の拉致被害者はすべて1996年までに死亡したことになっている。
しかし、元工作員が日本人拉致被害者を目撃したのは1999年から2001年まで。とすれば、これは死亡したとされる拉致被害者、田口さん・松木さん・市川さんがやはり生存しているか、新たな拉致被害者ということになる。
【特定失踪者問題調査会代表・荒木和博氏】(報道A会議室より) 「(該当者は)何人かいますね。前上昌輝さんもそうだし、河嶋功一さんとか・・・」
【衆議院議員・平沢勝栄氏】(報道A会議室より) 「手配リストの中でもいるんじゃないですか?」
【特定失踪者問題調査会代表・荒木和博氏】(報道A会議室より) 「(調査会ポスターの)この中だとですね、50歳前だというと、石岡亨さんなんか比較的・・・」
【衆議院議員・平沢勝栄氏】(報道A会議室より) 「北朝鮮の死亡記録とか日本側に伝えてきた情報は全部デタラメです。北朝鮮はそもそもどなたが死んだからって、きちんとした記録なんかとっていませんよ、あの国は。」
【ナレーター】 一体、どれだけの拉致被害者が今も実際に存在するのか?日本政府も答えを出せずにいる疑問を解くカギが、アメリカ軍へのジェンキンス氏の供述調書にあった。「北朝鮮には18人の拉致された日本人がいると聞いた」。18人、18人とは一体誰なのか?アメリカ軍へのジェンキンス氏の供述調書には、さらに気になる記述があった。
「北朝鮮には18人の拉致された日本人がいると聞いた」 「5人は帰国し、13人は亡くなったことになっていると聞いた」 「亡くなったことになっている13人は北朝鮮東海岸のホンウォンに住んでいると聞いた」
〜ホンウォンの10数人〜
【ナレーター】 これらはあくまで伝聞に基づく証言である。しかし、北朝鮮が認めているのは13人。日本政府が認定している被害者でも17人だ。18人とは一体誰のことを指しているのか?ジェンキンス氏は新たな拉致被害者を目撃してはいないのか?
【記者】 「18人の顔はわかりますか?」
【ジェンキンス氏】 「いいえ。前にも見たがわからない・・・」
【ナレーター】 「何度見ても、特定失踪者の写真の中に見覚えのある顔はない」という。13人の拉致被害者が住んでいたという村については・・・。
【ジェンキンス氏】 「村はハムフンから30キロ離れています。道は本当に悪いです。」
【ナレーター】 「日本人拉致被害者がいた」という村について、元工作員はこう証言している。
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「“ホンウォン”に招待所があります。北朝鮮の名勝地です。そこには軍所属の拉致日本人が住んでいるのではないですか。」
【ナレーター】 元工作員の言う“ホンウォン”という場所は、ハムフンからおよそ30キロ東に位置している。ジェンキンス氏が言う「ハムフンから30キロ」という場所とほぼ一致する。そしてそこにいた拉致被害者の人数について、元工作員は注目すべき発言をした。
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「13人だけじゃないと思います。軍の所属でそれぐらいだと思います。党の所属だともっといたということを知っています・・・」
【ナレーター】 「拉致被害者には軍所属の人と党所属の人がいる」という。
【記者】 「党の所属は違う所にいるのですか?」
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「他にいます。もう聞かないでください・・・」
【ナレーター】 元工作員は黙ってしまった。ジェンキンス氏と高い地位にいた元工作員の証言で重なるのは、「“ホンウォン”というエリアに軍所属とみられる日本人拉致被害者、少なくとも10数人が住んでいる場所があった」という。さらに元工作員は驚くべき証言をした。
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「小泉訪朝で拉致問題が注目され、拉致日本人の管理が厳しくなりました・・・」
【衆議院議員・平沢勝栄氏】(報道A会議室より) 「拉致被害者が生きていて・・・」
【ジン・ネット代表・高世仁氏】(報道A会議室より) 「大変なことだなぁ・・・」
【ナレーター】 政治家も専門家も証言の重さに黙りこんだ―。
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「小泉訪朝で拉致問題が注目され、拉致日本人の管理が厳しくなりました・・・」
【ナレーター】 こう証言したのは、小泉前総理の訪朝後に脱北し、5人の拉致被害者とその家族が帰国した後の北朝鮮国内の状況を知る数少ない元工作員だ。何故、拉致日本人の管理が厳しくなったというのか?
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「精神疾患で自殺する拉致日本人たちが多かったので、観光させたりしていました。しかし拉致問題が明らかになってからは二重三重に監視がつき、とても不便な生活をしています。」
【ナレーター】 「小泉訪朝後、拉致日本人の管理が厳しくなった」ということは、「今もまだ北朝鮮で暮らしている拉致被害者が存在する」ということではないのか?
【記者】 「今もホンウォンにいる拉致日本人たちが、日本語の教育をしたりする可能性がありますか?」
【脱北者・元北朝鮮工作員】 「それはいつも必要です・・・」
【ナレーター】 「拉致された日本人によって、今もなお工作員教育が行われている可能性がある」という。
【特定失踪者問題調査会代表・荒木和博氏】(報道A会議室より) 「今まで思っていたよりもはるかにさらに規模が大きいのかなと。やっぱりそれはもう100(人)とかそういう数が当然出てきておかしくないないんじゃないですかね。」
【ジン・ネット代表・高世仁氏】(報道A会議室より) 「これだけたくさんの拉致日本人がいるとすると、大変なことだなぁ・・・」
【衆議院議員・平沢勝栄氏】(報道A会議室より) 「まだ生存していることは間違いない。小泉さんが訪朝された後も結局、日本人の被害者の方がおられたなんて話しは、私は一切聞いていません。極めて貴重な情報だと思いますけどねぇ。」
ジェンキンス氏と元工作員の新証言
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「はい。という証言については驚きました。もう一度ですね、私たちが今回つかんだ情報を整理してみますと、まずこちらなんですが(図で説明)、平壌東部の“コバンサン”という招待所で、曽我ひとみさんを始めとする日本人拉致被害者が、日本語教育などで工作員養成を担当していた、ということなんですね。曽我さんもその一員だったということです。
こちらまた平壌南部の“マドンヒ大学”という所なんですが、ここはいわゆる工作員を養成する機関、ここで90年代の半ばまで拉致被害者と思われる日本人女性教師が存在していて日本語を教えていた、ということがわかりました。
さらにこちらなんですが、“ホンウォン”という北東部の海岸近くの場所には、軍に属する日本人拉致被害者が10数人も生活していたのではないか、という驚愕の情報が初めて明かされたということになります。
そして私たちがビックリしたのは、今『軍に属する』というふうに申し上げたんですが、日本人拉致被害者は“軍に属する被害者”と、そして“党に属する被害者”この2つのグループがあった、ということに大変驚かされました。
まぁ(ゲストの)伊東さん、こういう証言を聞いてみますとね、小泉さんが北朝鮮に行った後も拉致被害者がいた、じゃあ北朝鮮が今まで私たちに言っていたこととずいぶん違うじゃないか?こういうことですよねぇ。」
【ゲスト・伊東四朗さん】(スタジオにて) 「今までにも色々、反故にしてきた国なのでね、すべて私は信用できないんですよ。ですから、ご家族の方はもちろんですけど、こんなおじさんでさえも私はこの生きている間に、ご家族と抱き合う姿をやはり見たいですよね。どうしても・・・」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「そうですよねぇ、はい。まぁ『人の生死については何の記録も取っていない』という発言もありましたけれども、そんな簡単に人の生死を扱っていただいたら本当に困ると思います。
(中国・北京にいる)櫻井さん、今回のこの証言なんですが、事実とするとですね、本当に私たちもう一度、これ北朝鮮に再調査を促す大きなきっかけになりますよね?」
【ジャーナリスト・櫻井よしこさん】 「そうですねぇ、あの、安藤さんもさっきおっしゃってましたけれども、『日本人拉致被害者が“軍の所属”と“党の所属”に二分されている』ということ、そして『10数人の軍の所属の人たちが、ハンフンから30キロも離れた所に集団で住まわされている』ということ、これ大変に衝撃なんですね。
『軍所属の拉致被害者がいる』ということは極めて新しい事実関係なんですね。ですから新しいだけに、そのことをよく調べて、調べることによって、この拉致の非常に暗い闇に切り込んでいって、解決への力としてほしいというふうに思います。」
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「はい、本当にそうですね。今回の情報もですね、ジェンキンスさんの証言とそして元工作員の証言、重なる部分を追跡していってこういうことが浮かんできました。さらに番組としても徹底的にこの情報については精査して参りたいと思います。」
終わり
*4/1 フジテレビ「新報道プレミアA」スクープ!秘密文書と新証言 今も“北”に拉致被害者の影 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/38530512.html
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