|

2007年03月の日記
| 3/25 TBS「報道特集」北朝鮮の格差社会 |
( 2007.3.28,水 ) |
*3/25TBS放送の「報道特集」の一部を文字化しました。
「坊やは何歳?」「7歳」北朝鮮の山中、わらとビニールの小屋で暮らす母と子。「お金ください」町をさまよい物乞いをする子どもたち。その一方で・・・。「(杯を)高くあげましょう!」高級焼肉店で祝杯をあげる特権階層。映像が明らかにした北朝鮮の格差社会とは―。
最新映像 北朝鮮の格差
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「今日の特集、北朝鮮です。22日まで開かれていました六ヵ国協議ですが、実質的な進展がないまま休会してしまいました。北朝鮮は『金融制裁で凍結している資金を早く戻せ』と主張しているわけなんですが、それは言い方を変えますと、それだけ外貨を必要としているということかもしれません。
今日は、最新の映像から見えてきます北朝鮮の経済の現状、さらにはすさまじい格差の実態をご覧いただきます。」
北朝鮮でも! 広がる格差
「金日成!この行列の尊厳を心臓に刻みつけ、偉大なる首領様をささげ奉ってきた同志たちが代を引き継いで、今日、数百万の青年たちが偉大なる金正日同志を決死擁護する事業を成し遂げました。」(映像 北朝鮮平壌 2006年10月)
【ナレーター】 折にふれ、大規模な集会が行われる北朝鮮の首都・平壌(ピョンヤン)。金正日体制を象徴するこの街の住民は政権に忠実な人々が多く、物質的にも優遇されているといいます。このため、平壌の映像からだけでは北朝鮮の一般庶民の暮らしぶりを理解することはできません。北朝鮮の地方に潜入し、住民の生の生活をとらえた映像を私たちは入手しました。
薄暗い部屋の壁。明かりが外からもれています。金日成主席・金正日総書記の肖像が壁に掲げられています。そして部屋の床、毛布の上には赤ちゃんが寝ていました。おもちゃ(がらがら)もありました。ここは北朝鮮咸鏡北道(ハムギョンホクドウ)の民家です。出口に続く炊事場には、食器棚に鍋・かめなどがありました。撮影者が外に出ると女性が石炭で火を熾しています。
【ビデオの撮影者】 「おいしそうだねぇ、(鍋に)全部入れよう。そうそう、泥が残らないようにきれいに洗って」
【ナレーター】 調理をしている女性に声をかける撮影者。女性は洗ったじゃがいもを野菜と混ぜて黄色い麺のようなものを入れます。そして小麦粉のようなものを加えてお湯の入った鍋にすべてを移した後、そのまま火にかけます。
【民家の女性】 「すごくおいしそうねぇ」
【ビデオの撮影者】 「さぁ、ごはん食べて」
【ナレーター】 白いスープの麺が出来上がりました。家族揃っての食事が始まります。
【民家の女性】 「お兄さんも早く座りなさいよ」
【ビデオの撮影者】 「いやぁ、おれはいいから・・・」
【ナレーター】 北朝鮮の一般家庭に入り込み、食事風景をとらえた映像。「そう、家もこんなふうになってたわねぇ」。映像を見ながら話すのは、1年ほど前まで近くの町に住んでいた金美蓮(キム・ミリョン)氏です。
【脱北者・金美蓮(キム・ミリョン)氏】 「これはとてもおいしいです。これならマシな方です。5種類の野菜が入っていますよね。じゃがいもとか白菜とか、おからもあります。おかゆにすればこの半分の量でも6人家族がお腹一杯食べられます。」
【ナレーター】 犬を飼っているこの家は、北朝鮮では中流クラスだといいます。
北朝鮮の格差 山の親子
【ナレーター】 一方、私たちは町の外で暮らす人々の映像も入手しました。
【ビデオの撮影者】 「一体、何をしているんだい?」
【ビデオの中の年配の女性】 「時間のある時にしておかないとねぇ・・・」
【ナレーター】 撮影者から声をかけられた女性。切った木を紐で縛っています。大量の木を背負う女性。撮影者によると、ここは北朝鮮咸鏡北道(ハムギョンホクドウ)の山。この冬に撮られた映像です。
撮影者がさらに山の中を歩いて行くと、その先にはわらの塊のようなものが見えました。その傍には木の枠があり、黄色いとうもろこしがいっぱい詰まっていました。ツギハギだらけの靴を履いた人物が出て来ました。わらで囲われていたのは小屋のようです。そして現れたのは女性でした。彼女はこの小屋で暮らしているのでしょうか?
小屋の中に入った撮影者。木とわらと泥、そしてビニールで小屋は作られています。風は入ってこないようですが、さほど暖かくはなさそうです。子どもがいました。いっぱいに敷き詰められた穀物の上に座って女性の方を見ています。
【ビデオの撮影者】 「坊や、何歳だ?」
【小屋の子ども】 「7歳」
【ナレーター】 7歳だという男の子。この女性の息子のようです。女性の夫は近くの町に墓参りに行って不在だといいます。
【ビデオの撮影者】 「これは何?」
【小屋の女性】 「ああ、とうもろこしです。まだできていませんよ。」
【ビデオの撮影者】 「おいしそうだね」
【小屋の女性】 「とうもろこしをゆでていますが、まだできていません」
【ビデオの撮影者】 「これ食べようよ」
【小屋の女性】 「まだだけど、もうすぐできます」
【ナレーター】 ゆでたてのとうもろこしを見つけた撮影者。塩をつけてごちそうになります。子どももとうもろこしの実を取って食べていました。撮影者があげようとしても首を振ります。たらいや鍋、コップなど生活必需品も置かれている山の小屋。
【ビデオの撮影者】 「何年住んでいるの?」
【小屋の女性】 「4年目です。この暮らしを見てください。家があれば商売もできるので(町に)下りて行きます。家がここにあるからいるだけです。誰がここで暮らしたいと言うんですか・・・」
【ナレーター】 「ここで暮らしたいわけではない」と言うこの女性。寒さの厳しい山に4年も居続ける理由は・・・?
【脱北者・金美蓮(キム・ミリョン)氏】 「この人は家があったんですが、それを売って農業をするために山に上がって来たんです」
【ナレーター】 近くの町に住んでいたという金美蓮(キム・ミリョン)氏はこう言います。
【脱北者・金美蓮(キム・ミリョン)氏】 「男性が『何で山から下りないのか?』とたずねたら、彼女は『家があったら今すぐにでも下りる。家がなくて下りられないから、小屋を建て畑を耕しているんだ』と言いました。こんな人は多いですね。違法なんですが、土地を探して山の上で畑を耕してそのまま暮らす人が多いんです。」
【ナレーター】 北朝鮮の山中の質素な小屋で暮らす母と子。水道や電気もない不便な生活です。しかし、とうもろこしなど食糧の貯えはそこそこあるようです。山小屋の入口には飼い犬がいました。その隣の小屋には豚がいました。豚は人に盗まれないように小屋の中で飼われているのだといいます。
この親子の生活水準について金美蓮(キム・ミリョン)氏はこう言います。
【脱北者・金美蓮(キム・ミリョン)氏】 「これくらいならいい生活よ。マシな暮らしね。」
【ナレーター】 この親子は国家の統制から離れたかたちで生活していました。北朝鮮の社会に今、大きな変化が起きているのです。
北朝鮮でも! 広がる格差
【ナレーター】 寝ている人たちがいます。屋外です。起き出しました。女性・子どももいます。家族のようです。ここは北朝鮮咸鏡北道(ハムギョンホクドウ)の市場。家族は市場の中で夜を過ごしていました。北朝鮮の市場は場所代を徴収するため、周りを囲われています。家族は夜間の安全を考えて市場にいたものとみられます。
すでに配給制度が立ちいかなくなった北朝鮮では、ヤミも含め市場が増え続けています。さらに―。
「♪こうして会えてうれしいです♪」(女性が歌う映像)
国外のカラオケレストランに象徴されるように、外貨獲得の動きも顕著になってきました。北朝鮮では5年前に企業の独立採算制を認める経済政策が発表され、それ以降急速に市場経済化が進んでいます。しかしそれは、富める者と貧しい者との格差を生むこととなりました。
北朝鮮取材を続けるアジアプレスの石丸次郎氏は、その格差を裏付ける映像を入手しました。
*写真は'06 12/10「映像とシンポで語る北朝鮮」(彩の国 さいたま芸術劇場)の第2セッションで司会をされた石丸次郎さんです。(あおいのママ撮影)
【アジアプレス・石丸次郎氏】 「この映像っていうのは、リッチなお家が自分の息子を軍隊に入隊させるのを記念して、ビデオ製作業者にプライベートなビデオを撮らせた、その映像なんですね。」
北朝鮮の格差 金持ち一家
【ビデオの中の男性】(VTRにて) 「止まって、頭上げて!」
【ナレーター】 平行棒をする少年。このVTRの主人公です。彼はまもなく朝鮮人民軍に入隊するのです。
【ビデオの主人公の少年】(VTRにて) 「私は先生と両親の期待を裏切ることなく、将軍様を保衛する真の親衛者になります!」(周りから拍手)
【ナレーター】 拍手をしているのは友人たちです。ごちそうが並んでいます。少年の親戚がお祝いに集まったのです。
【主人公の少年の妹】(VTRにて) 「兄さんの入隊を祝って弾きます」
【ナレーター】 アコーディオンを弾く少年の妹。
【ビデオの主人公の少年】(VTRにて) 「♪私は解放された朝鮮の青年だ、生命も尊いです♪」
【ナレーター】 友人たちとの合唱もありました。
【アジアプレス・石丸次郎氏】 「あれは演出があって、演出家がいてカメラマンがいてっていう、いわばドラマをプライベート用に撮っているようなものですから、当然そのディレクター・監督さんがですね、『あっちを向いてくれ、こっちを向いてくれ、こうしゃべってくれ』と、一応シナリオストーリーを作ってやっているんだと思いますね。」
【ナレーター】 車で移動する一家。向った先は温泉でした。少年は家族と記念撮影をします。さらに・・・、炭火の焼肉。家族は中国式高級焼肉店で食事をします。
【ビデオの中の男性】(VTRにて) 「人民軍への入隊を祝いましょう。(杯を)高くあげよう!」
【ナレーター】 乾杯をする家族。これから少年は軍隊の仕事を10年間することになります。
「♪タンポポが美しく咲く、故郷の丘に♪」
思い出の映像は一家全員の歌で締めくくられました。
【アジアプレス・石丸次郎氏】 「この映像を入手した人は、こういう説明をしていたんですね。映像の中で中国式の焼肉店で食事をしている風景が出てきますけど、『こんな高級焼肉店がどこにあるのか知らない』と・・・」
【ナレーター】 一般庶民は行くことができないような高級焼肉店。特権階層の人々はそこで舌鼓を打ち、その模様をビデオに記録します。こうしたVTRの存在は北朝鮮社会でどう受けとられるのでしょうか?
【アジアプレス・石丸次郎氏】 「北朝鮮の中でも、これはばれると処罰の対象になるようなそういうプライベートビデオ、ヤミビデオだと思いますね。贅沢三昧をしている様子ですから。これは要するに幹部・特権(階層)の人たちが特権を使って金もうけをしているという、もう証拠物みたいなものですから、これは取り締まりの対象になるはずなんですよね。」
【ナレーター】 北朝鮮で際立ってきた格差。では、最下層の人々とは一体―。
北朝鮮の格差 物乞いも・・・
【ナレーター】 北朝鮮北部の町・羅津(ラジン)。町の広場にたむろする子どもたちがいました。大人に付きまとって、また離れて行きます。道端に寝転がる子どももいました。“コッチェビ”、北朝鮮のホームレスです。この子どもたちは何らかの理由で親から離れ、物乞いなどをして生きています。
撮影者がこの広場を歩いていると、近づいて来ました。
【広場にいた女の子】 「助けてください・・・」
【ナレーター】 物乞いをして離れて行った彼女も“コッチェビ”です。
【広場にいた女の子】 「ちょっと助けてください、お金ください、お金くださいよ・・・」
【ナレーター】 家もなく物乞いをして暮らす子どもたち。同じような大人も増えているといいます。“コッチェビ”は北朝鮮社会の歪みを象徴する存在でもあります。
軍への入隊ビデオを作られる少年がいる一方、物乞いをする子どもたちも多く存在する北朝鮮。広がり続ける格差のもたらすものとは・・・。
【アジアプレス・石丸次郎氏】 「これは弱肉強食、ルールなき市場経済化です。ですから、ちゃんとした中国のような方針・ビジョンを持った政策的な市場経済化ではないんですね。言わば特権階層・権力を持った人たちが、財産であるとか物が入ってくると、そこをむしり取り合いするという非常に歪な市場経済化が進んでしまったと。今、北朝鮮社会で必要なのは、やはり強い力を持ってきちっとした経済政策を立案することだと思います。」
*北朝鮮住民の成分分類表 http://aoinomama.trycomp.net/file/seibun.html *2/11 TBS「報道特集」(2)炭鉱地帯に潜入 北朝鮮エネルギー不足で何が・・・ http://aoinomama13.seesaa.net/article/33859518.html
終わり
製作協力 アジアプレス
*3/25 TBS「報道特集」北朝鮮の格差社会 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/37155571.html
|
| 3/26 病院に行く |
( 2007.3.26,月 ) |
*写真はすべて病院帰りに撮影しました。青空にはえるピンク色のかわいい桜がありました。今日はポカポカ陽気のせいか七分咲きくらいでした。
あおいのママは昨日検査の日で、船橋の病院に行きました。いつものように採血等を済ませ、結果を待ちました。内科は混んでいて、予約の時間を1時間過ぎてやっと診てもらえました。
この頃では悪いところがどうしても良くならず、年齢とともに症状は進んでいくので、もう仕方ないのかなと少しあきらめ気味です。2月3月はあまり出歩かないでなるべく家でおとなしくしていたのに・・・。ストレスもいけなかったのかなぁ。でも人間生きていれば色々とあるので、やはりストレスは仕方ないですよね。
くよくよせずに、また元気を出していこうと思います。萌え出づる春なんですから!
*1年間診てくださった先生が4月から移動ということで、次回から以前の先生がまた診てくださるそうです。春は別れの季節でもありますね・・・。
*空き地にたくさん咲いていた青紫色の小さな草花を見つけました。何て名前なのかな?ちょっとぶどうを逆さにしたみたいに見えました。
*壁にてんとう虫がいました。ジッとしていたのに、シャッター音で驚かせてごめんなさいネ〜!
*3/26 病院に行く aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/36984792.html
|
| 3/23 辻元清美氏 柏に来る! |
( 2007.3.24,土 ) |
*写真はすべてあおいのママの撮影です。 あおいのママは昨日夕方(3/23)、お買い物をするため柏駅前に行きました。世間は給料日でいつもより人出も多く、でもウチは給料日前・・・。まぁ、じゃあ気分直しに「久しぶりにデパ地下を見て回ろう♪」とるんるん気分で駅前デッキに上がると、何やらマイクを持っている人たちがいました。選挙が近いので「またやっているな〜」といつものごとく通り去ろうと思った時、貼られたチラシに目がとまりました。「社民党 辻元清美 柏に来る 3/23(金)16時半 柏駅東口」
「えっ!あの辻元清美氏がここに来るの?」と思わず足を止めてしまいました。ちょうど午後4時過ぎだったので、あとちょっとなのでしばらくその社民党公認の県議立候補の女性の方のお話を聞いていました。柏市内の中学校の先生という事で、「34年間の経験を活かしたい」と様々な教育問題についてのお話でした。普通のお母さんという感じの方でした。
辻元氏が柏に到着し、司会者の方が「テレビにも多く出ておられる国会議員の辻元清美さんです」と言うと、それまでほとんどの人は無関心で通り過ぎていたのに、急に人だかりが増えてきました。キレイにお化粧をして、清潔感あふれる鮮やかなブルーのジャケットに国会議員のバッジがとても輝いて見えました。
私もその人だかりに入って行きました。それから1時間近くマイクを握って熱く話していましたが、北朝鮮問題について「対話をしています」だけで、拉致問題については一言もありませんでした。社会的弱者についての話はたくさんしていたのに、主に女性・母親の気持ちを話していたのに、わが子を不当に拉致された人たちの気持ちは何一つありませんでした。「小さな党だから、一般の小さな声にも耳を傾ける事ができます」とおっしゃっていましたけど・・・。そうなんでしょうか?
それにしてもこの小さな人だかりの中にいて思ったのは、すべてではないでしょうが、サクラや熱狂的ファン?の方が結構いるような気がしました。辻元氏はさすが国会議員だけあって話し上手で、観衆の同意を求めながら、「そうですよね?」「そこから拍手がありますねぇ」なんてにこやかに言いながら、その場の人々を引き込むように話していました。関西弁を時折交えながら話すので、何て言うのか、彼女が魅力的に見えるのです。私は社民党を支持していませんが、そんな私でもこういう街頭の場では魅力的に感じてしまったのですから、とても不思議ですね。
私は今まで社民党の方の話を足をとめてまで聞いたことがなく、今回が初めてで、このような雰囲気を経験したことがありません。以前に自民党公認の議員さんの選挙応援に柏にいらした現安倍総理の時の様子しか比較対照できないのですが、この辻元氏を応援する人々の中にいるのは何となく怖い感じがしました。
最後に「社民党は1947年に社会党が出来た時から、訴えている事は何一つぶれておりません」と締めくくりました。
終了後、観衆の皆さんとにこやかに握手する辻元氏。「誰も拉致問題については言っていないんだろうなぁ・・・」と思いつつ、傍に行って話そうかとも思ったのですが、やはり恐怖感があってできませんでした。ただ、ブルーリボンを胸につけた私がこの場にいたという事だけが、せめてもの拉致問題に関心のある人間の思いの行動でした。私はやはり辻元氏や社民党は支持できないと思いました。
*辻元清美氏がこの場でお話した中で、私が頭に残っている事を書き出してみました。メモを取ったわけでもなく、あくまでも私の主観です。カン違いもある事をご了承ください。
・今日いままで国会にいた。その足で急いで柏に来た。
・私は関西のうどん屋の娘で、両親は商売で大変苦労をしてきた。今も隣のとんかつ屋さんが店じまいをしている。それは近くに大手の店ができたりすると、小さなお店はやっていけなくなってしまうから。実家はまだ何とか持ちこたえているが本当に大変だ。そんな中子どもの頃から「勉強だけはお金がかからない」と両親に言われ、自分なりに一生懸命勉強してきた。教科書を何度も読んだ。奨学金をもらい、高校・大学を卒業した。
・小泉政権に引き続き安倍総理になっても国民の格差は広がるばかり。数字的には好景気だと言うが、ここにいる皆さんは生活にゆとりを感じるか?最近、新潟・九州にも行ってこのような質問を街頭の皆さんに聞いたが、どこでも誰も好景気を感じられないと答えている。一部の大企業だけが儲けている。
・何故、銀行が儲かるのか?それはゼロ金利でしっかり儲けた。だから銀行のお偉いさんは給料が2倍・3倍になっている。つい最近まで不良債権を抱えていたのに。皆さんはものすごく贅沢をしたいとは思っていないでしょう。ただ少しでも生活にゆとりができたらいいと考えているはず。なのに、一部の大企業はこうして国民のお金でホクホクしている。
・それぞれの家庭で、子育てや介護はほぼ女性がしていてものすごく負担が大きい。子育てにしても、今のままではお金がかかりすぎて、女性が安心して子どもを産めなくなってしまう。女性を「産む機械」などという無神経な国会議員もいるが。
・母子・父子家庭の補助金をなくしたり、生活保護の見直しなど、弱者いじめを安倍政権はしている。また、学校を民間にしようなどと何でもかんでも民間に任せていいのか?これでは格差が広がるばかり。こんなことしている今の安倍さんが「美しい国」などとキレイな言葉を使っているのはおかしいのではないか?
・日本の国会議員、特に自民党には2世・3世が多い。民主党の党首の小沢氏や鳩山氏にしてもそうだが、御殿に住むおぼっちゃまで、一般市民の生活をしたことがないため、私のような商売人の娘ならわかることでも、彼らには皆さんの気持ちは絶対にわかるはずがない。世界でもこんなふうに2世・3世議員が多い国は日本だけ。
・現在、国会議員や県議会・市議会議員は男性が多く、女性はまだまだ少ない。人類の半分は女性なのに不公平だ。これからも女性の議員をもっと増やしていかなければいけない。アメリカだって近い将来ヒラリー・クリントンが大統領になるかもしれないし、フランスやドイツも女性の首相だ。日本も世界を見習わなければ。
・今日の国会で安倍総理は、沖縄のアメリカ軍基地のための費用を税金から出すと言っているが、何故そんな費用を国が出さなければいけないのか?そのアメリカだって、最近では「イラク戦争は間違いだった」という声が大きくなっている。「イラクと戦争をしてもテロは減らないし、返って怨まれるだけ」という。戦争はよくない。
・私はピースボートにいるが、内戦中のカンボジアなどに行った時、銃を向けられて怖い思いをしたことがある。しかし、こう言われた。「日本はいい、うらやましい。戦争がなくて。すばらしい憲法第9条があるから」と。それなのにその憲法第9条までなくそうとする今の安倍政権はおかしい。そう思いませんか?皆さんのご家族の中にも戦争で家族や親戚を亡くした方々もいらっしゃるでしょう? 戦争をしたくないでしょう?
・北朝鮮問題にしてもそうだが、現在六ヵ国協議の場で北朝鮮は話し合いをしている。(*北朝鮮問題を話したのはたったこれだけでした。北朝鮮と言えば拉致問題なのに、拉致については一言もありませんでした)
・皆さんは公平で平等な社会はできないと思っていないか?そんなことはない。作ろうと思えば作ることができる。社民党は今は小さな政党だが、小さいから一般の皆さんの小さな声に耳を傾ける事ができる。
・国会議員の中には、あっちにふらふらこっちにふらふらする人たちがいるが、社民党は違う。社民党は1947年に社会党が出来た時から、訴えている事は何一つぶれていない。
終わり *3/23 辻元清美氏 柏に来る! aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/36762631.html
|
| 調査会NEWSの件について |
( 2007.3.21,水 ) |
3月20日の調査会NEWSに、真鍋貞樹専務理事より「拉致問題に取り組む関係者の方へのお願い」ということが書かれておりました。この件に関しまして調査会に問い合わせをしたところ、当サイトとは「全く関係ありません」というお返事をいただきました。
しかし、この事を教訓にして、今後特定失踪者ご家族及びこれからの講演文字化レポートに対しては、一層慎重に作成したいと思っております。
*[調査会NEWS 483](19.3.20)より
拉致問題に取り組む関係者の方へのお願い
特定失踪者家族支援委員会 委員長 真鍋貞樹 過日、某所にて開催された拉致問題に関する集会における特定失踪者の御家族の発言がインターネット上で公開されました。本件については、御家族ならびに主催者と十分な事前調整が行われないままに行われました。
本件について、関係御家族から「拉致問題に取り組む関係者の方が、広報活動を熱心に行っていただくことには感謝するが、公開する上では一言事前に家族ならびに主催者に断ってもらいたい」という要請が、調査会にもたらされました。
拉致問題に関する活動が今後様々なレベルで展開されることを想定しますと、特定失踪者の御家族、特に取材等に不慣れな0番台の特定失踪者御家族に、同様のトラブルが発生する可能性があります。
そこで、調査会として、拉致問題に取り組む関係者の皆様に、下記の点を御留意されるようお願い致します。
1. 拉致問題に関する集会において、特定失踪者御家族に登壇と発言を求める際には、十分にご家族に対して、同種の問題が発生する可能性があることを事前に周知していただき、御家族の同意のもとで行っていただきたいこと。
2. 集会の主催者におかれては、特定失踪者御家族の発言を、マスコミも含めてインターネット上で公開してよいかどうかを、御家族に確認の上、集会参加者に周知徹底するよう配慮していただきたいこと。
3. 拉致問題に取り組む関係者の皆様におかれては、特定失踪者の御家族の発言などをインターネット上で公開される際には、事前に趣旨を説明し(できれば文書が望ましい)、御家族の同意を得られるよう配慮されたいこと。
以上、問題の性格上、関係者の皆様の御配慮をよろしくお願い申し上げます。 *調査会NEWSの件について aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/36543774.html
|
| 3/19 FNN「スーパーニュース」金融制裁はどこへ!?「全額返還」の衝撃 |
( 2007.3.19,月 ) |
*友人からの情報で3/19FNN放送の「スーパーニュース」の一部を文字化しました。放送は約8分間でした。
【アナウンサー・須田哲夫さん】(スタジオにて) 「およそ2500万ドルもの資金凍結を全面解除したアメリカ。米朝関係が急展開する中、曽我ひとみさんの夫・ジェンキンスさんが意外な人と遭遇していました。」
金融制裁はどこへ!?「全額返還」の衝撃 “米朝”が合意
【ナレーター】 マカオの銀行バンコ・デルタ・アジアで凍結されていた北朝鮮関連口座の資金。およそ2500万ドル(29億円)相当が全額返還されることでアメリカと北朝鮮が合意。
【グレーザー財務副次官補】 「これで北朝鮮関連資金問題は解決したと考えます」
【佐々江アジア大洋州局長】 「これは一定の評価が与えられてもしかるべきだろうと・・・」
【ナレーター】 このアメリカの大幅な譲歩を受け、今日再開した六ヵ国協議。しかし、今回のアメリカ政府の決定に異論を唱える人物が―。
【ジェンキンス氏】 「彼らと取り引きしている全部の国で制裁すべきだ」
【ナレーター】 チャールズ・ロバート・ジェンキンス氏。(拉致被害者・曽我ひとみさんの夫)
【ジェンキンス氏】 「北朝鮮が核開発をやめるわけがない」
【ナレーター】 FNNの単独インタビューに答えたジェンキンス氏。彼のケイタイには、最近出会ったある芸能人とのツーショット写真が―。
意外なツーショットが・・・ “制裁解除”を批判 ジェンキンス氏
【ナレーター】 今年1月、自宅でつまずき肋骨を折るケガをして入院。先月17日に退院したジェンキンス氏。「好きなお酒も今は控えている」と言います。
【ジェンキンス氏】 「体重は60キロ弱です。今、食欲があまりないんです」
【ナレーター】 そんな彼の元に、今月アメリカから弟が来日。ジェンキンス氏のたった一人の弟ジーン・ジェンキンスさん(62歳)。仕事で稼いだお金を貯め、弟の渡航費用を工面したジェンキンス氏。佐渡の伝統芸能“鬼太鼓”(おんでこ)を体験するなど、「島を案内して回った」と言います。
その途中、東京で偶然撮影した1枚の写真。ジェンキンス氏の隣にはお笑いタレントの猫ひろしさんの姿が・・・。何故この2人が?その理由を聞くために、取材班は猫ひろしさんを直撃しました。実は今月2日、東京駅のホームで新潟へ向うジェンキンス氏と遭遇した猫ひろしさん。
【猫ひろしさん】 「猫まっしぐらでジェンキンスさんに『写真撮らせてください』って頼んだら、快く引き受けてくれました!」
【ナレーター】 その写真を見せてもらうと・・・。
【猫ひろしさん】 「こちらです!にゃんっ!!」
【取材者】 「ああ、写っていますね・・・」
【猫ひろしさん】 「はいっ!(ジェンキンスさんは)優しそうな人でした、にゃあー!」
【ナレーター】 そんなジェンキンス氏を北朝鮮で批判する人物が―。
【最後の“米軍脱走兵”ジョー・ドレスノク氏】 「ジェンキンス氏のことはこれ以上話したくありません。考えれば考えるほど頭にきます・・・」
「プロパガンダだ!」“亡命仲間”に猛反発 「かわいそうに・・・」
【ナレーター】 1962年に北朝鮮に亡命した元アメリカ兵ジョー・ドレスノク氏。彼の北朝鮮での生活に密着したドキュメンタリー「CROSSING THE LINE」(監督:ダニエル・ゴードン ニコラス・ボナー)。ジェンキンス氏は「イギリス人の監督と北朝鮮で出会い、映画撮影のことを聞かされた」と言います。
【ナレーター】 一方、「撮影に全面協力した」というドレスノク氏。ドレスノク氏は北朝鮮とトーゴ人の間に生まれた女性と結婚。3人の子どもたちと共に平壌で生活しています。
ボウリングを楽しむドレスノク氏。(映像)これについてジェンキンス氏は―。
【ジェンキンス氏】 「北朝鮮で、彼はボウリングに絶対行ったことがないですよ」
【ナレーター】 一方、ドレスノク氏は亡命仲間だったジェンキンス氏について―。
【最後の“米軍脱走兵”ジョー・ドレスノク氏】 「彼(ジェンキンス氏)は今、刑務所にいるんでしょう!?楽しいことなんて何もないはずです」
【ナレーター】 さらに―。
【最後の“米軍脱走兵”ジョー・ドレスノク氏】 「私は彼(ジェンキンス氏)が言っていることが“真実でない”と、いつでも世界に示す準備ができていますよ!」
【ナレーター】 ジェンキンス氏へ向けられる批判。対するジェンキンス氏は―。
【取材者】 「彼をかわいそうに思う?」
【ジェンキンス氏】 「もちろん、そう思うよ。ドレスノク氏はプロパガンダを言わされているだけ。あれは所詮プロパガンダなんだよ。『そう言え』と命じられたのです」
“こわもて”から“笑顔”に 金桂冠外務次官
【アナウンサー・安藤優子さん】(スタジオにて) 「さて、金融制裁の全面解除を受けまして北朝鮮の金桂冠(キム・ゲガン)外務次官なんですが、今日の六ヵ国協議の基調演説でこのように述べています。
『北京にも春がやってきた』。うれしくてしょうがないという感じなんですけれども、で、金次官はさらに『バンコ・デルタ・アジアの資金凍結が全面解除されれば寧辺(ヨンピョン)の核施設を中断する』と述べたということなんですが、一部専門家の指摘によりますと、この寧辺(ヨンピョン)の核関連施設からは、必要な核燃料棒というのはもう取り出し終わっている、というふうな指摘がありまして、今さらここを停止したところで北朝鮮のこうした核開発については何の影響もないのではないか?という指摘があるほどです。
そうなってきますと、まぁ何のための金融制裁の解除なのか?査察が徹底してできなければ何の意味もない。それから金融制裁っていうのは確かマネーロンダリング、資金洗浄しているからその制裁に始まったわけですよね?じゃあ、その資金洗浄、何も解決していないじゃないですか?」
《木村太論》 核実験と制裁の関係
【アナウンサー・木村太郎さん】(スタジオにて) 「あのこの結果、北朝鮮は『制裁も解除された』、それから『核兵器もそのまま持てる』という一石二鳥の結果になったんです。
どうしてそうなったのか?と考えてみますとね、金融制裁が起きたのは一昨年の9月なんです。それは金融制裁が起きた途端に北朝鮮は『それを解除しなければ六ヵ国協議には応じない』と言ったんですよね。それでその一方ですごい刺激的なミサイルの実験はする、核実験はやる、そしてその六ヵ国協議のハードルを高くして、アメリカがそれに上がって来なきゃいけなくなるような場所を作っている。
つまり“金融制裁解除”と“核実験”というものは、アメリカとの交渉の武器に上手く使って両方とも手にしてしまった、やはりその外交術の差みたいなものが今度、アメリカと北朝鮮の間に見えたんじゃないかな、と思うんですね。」
終わり
*3/19 FNN「スーパーニュース」金融制裁はどこへ!?「全額返還」の衝撃 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/36392315.html
|
| 拉致問題で新事実 福留さんに北との接点 ('07 3/12 AERAより) |
( 2007.3.18,日 ) |
*写真はすべて「よど号グループに真相を究明する会」より提供していただいたものです。
【'07 3/12 AERAより】 編集部 小北清人(こきたきよひと)
警備会社にいた彼女が派遣された東京のビルに、ある会社があった。「ユニバース・トレイディング」。その実態は「北の工作拠点」だった。
「モンゴルに行ってくる」そう言い残して1976年に羽田空港をたち失踪、北朝鮮で「よど号ハイジャック事件」の犯人の1人岡本武容疑者の妻にさせられたことが96年に判明した「もう1人の拉致被害者」、福留貴美子(ふくとめきみこ)さん(失踪当時24歳)。この「福留事件」については今年1月15日号で詳しく報じた。
なぜ北朝鮮でよど号犯の妻にされたのか。彼女と北朝鮮とを結ぶ接点について新たな証言を得た。
「キミちゃんは『TOC』で受付みたいなことをやってましたよ。彼女本人から聞きました。当時、TOCは出来たばかりで大変な評判で、彼女は『いろんな会社が入居してる』って驚いていた」失踪まで6年近くを過ごした東京での彼女をよく知る同郷の女性は、そう語った。
福留さんは70年に高知の高校を卒業し、大手警備会社に入社。大阪の万博会場で勤務した後、関東に異動し、都内の企業などに派遣される。73年に退社するまでの一時期、勤務していたのが五反田駅近くにあるテナントビル、TOCだった。70年2月に竣工(当時は「東京卸売りセンター」)、100以上の店舗や会社が入居している。
対日、軍事情報を収集
福留さんが勤務していた当時のTOCには貿易会社「ユニバース・トレイディング」(以下、ユニバース社)が入居していた。この会社こそ「北朝鮮の対日工作の裏拠点」(関係筋)といわれ、知る人ぞ知る存在なのだ。
資料や関係筋によると、71年6月設立の同社は、表向きは日本人を社長にたて、鉄鉱石、木材、食料などの輸出や不動産仲介などを業務にしていた。が、実際に会社を立ち上げて支配したのは、当時、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)第一副議長として飛ぶ鳥落とす勢いだった金炳植(キム・ビョンシク)氏だった。北朝鮮直結の要員がここを隠れ蓑に対日・対韓工作や在日米軍・自衛隊の情報収集をしていたという。
若手親衛隊(「ふくろう部隊」)を手駒に総連内の「反対分子」を尾行、監禁、追放と権勢を振るった金氏だが、その専横ぶりが韓徳銖(ハン・ドクス)議長の怒りを買った。金氏は72年10月に北朝鮮に渡ったのを最後に日本に戻ることが許されず、99年7月に北朝鮮で死亡した。
よど号グループと関係
しかし、ユニバース社は金氏不在でも「北朝鮮の裏部隊」として存続(84年に正式解散)。同社については幹部の在日朝鮮人が行方不明になり、その妻の渡辺秀子(わたなべひでこ)さんが監禁・殺害され、2人の子供は北朝鮮に拉致されたと報じられた。秀子さんの遺体捜索に警察当局が動いているという話もある。
注目すべきは「よど号グループ」との関わりだ。88年5月、よど号犯の1人で日本に潜伏中のSが兵庫県警に逮捕されたが、Sが持っていた旅券は、同社と関わった後に北朝鮮に渡ったとされるN名義だった。Nの兄夫婦も同社の社員だったという。
「日本にいるよど号グループの有力支援者も当時、この会社に在籍していた。北朝鮮直結の人物といわれる彼の妹は70年代に北朝鮮に渡り、よど号犯の妻になっている」(関係筋)
その人物は福留さんが岡本容疑者の妻にされていたことが96年に判明して間もなく、他の支援者とともに彼女の実家を訪れ、母・信子さん(2002年死去)懐柔に動いている。
福留さんはTOC勤務当時にユニバース社の社員と知り合った、との未確認情報もある。平壌にいたよど号犯らの結婚作戦が始まり、リストアップされていた彼女は76年に「妻候補」として北朝鮮行きの罠にかかった可能性がある―。
「貴美子はデパートや貿易会社に派遣されていました」信子さんは96年、警備会社での福留さんについて筆者にそう語っていた。その貿易会社がユニバース社だとしたら、彼女にとって最悪の派遣先だったというしかない。
*高知の県立高校を卒業し、警備会社に入社した福留貴美子さん。東京での派遣先との関わりが彼女の人生を暗転させたのか。
終わり
*拉致問題で新事実 福留さんに北との接点 ('07 3/12 AERAより) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/36333834.html
|
| 公開質問状に対する政府からの回答書に再び質す ('07 3/17週刊現代より) |
( 2007.3.17,土 ) |
*写真はあおいのパパが北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」公開収録('06 12/16)の際に撮影しました。記事は3ページでした。(P37〜39)
*『週刊現代』の「蓮池薫さんに拉致されかけた」証言を全面否定した政府への公開質問状('07 2/17週刊現代より) http://aoinomama13.seesaa.net/article/34461809.html
【'07 3/17 週刊現代より】
本誌は1月6・13日合併号で、'78年に拉致された蓮池薫さんが極秘帰国し日本人を拉致しようとしていた可能性を指摘した。これに対し政府から事実無根との声明がなされたが、拉致問題の第一人者である荒木氏は、「可能性は否定できない」として、本誌2月17日号で「政府への公開質問状」を寄稿した。これに対し、2月22日付で政府から荒木氏に対し、回答書が届いた。
公開質問状に対する政府からの回答書に再び質す 「安倍さん、拉致を政治に利用するのでなく、政治生命をかけて取り組みなさい」
荒木和博(特定失踪者問題調査会代表)
本誌(2月17日号)に掲載された拙稿〈『週刊現代』の「蓮池薫さんに拉致されかけた」証言を全面否定した政府への公開質問状〉に対し、河内隆(かわうち たかし)内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室長から、下記のような回答が届きました。忙しい中、回答をしていただいた河内室長と関係者の方々には感謝しています。
また私たちは去る2月13日に発表された6者協議の合意が、拉致問題のみならず核問題の解決にも妨げになるとし、抗議の意志を表明する意味で北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」への政府からの支援を返上することにしましたが、対策本部事務局ではこれまで予算の獲得などで苦労をしてくれていました。結果は二重の迷惑をかけることになってしまい、申し訳なく思っています。
特定失踪者問題調査会代表 荒木和博殿
平素より拉致問題の解決に向けた政府の取組みに対してご協力をいただいていることにつき、厚く御礼申し上げます。さて、これまで貴代表が、一部報道等を通じ、「帰国拉致被害者はすべてを話していない」、「表に出て発言すべき」、「政府は情報を隠蔽している」等の見解を示されていることに関しては、次のとおり考えております。
1、政府は、これまで、拉致問題の解決に向けた取組みにおいて、帰国した拉致被害者の方々より情報提供等について御協力をいただいて参りました。政府としては、これまでの帰国被害者の方々の御協力を多としており、今後とも引き続き御協力いただきたいと考えています。
2、帰国被害者の方々から提供いただいた情報については、これまで、北朝鮮との交渉や当局による捜査・調査等において重要な参考情報として活用して参りました。そのうち、安否不明被害者に関する情報については、帰国被害者の方々よりそれぞれ関係する御家族に対し、個別に直接お話しされていると承知しています。政府としては、拉致問題の進展を図る上で帰国被害者からの情報を最も効果的な形で活用することが重要であると考えており、帰国被害者の方々から提供いただいた情報をすべて公表することは、拉致問題の解決に取り組む上で適切ではないと考えています。
3、政府としては、我が国国民が北朝鮮当局によって拉致された上、数十年もの長きにわたり帰国を果たせなかった、或いは、未だに帰国を果たしていないという事実を厳粛に受けとめており、全ての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現すべく、引き続き全力で取り組んでいく所存です。
最後になりましたが、政府は、「拉致問題における今後の対応方針」においても掲げておりますように、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案についての捜査・調査等を引き続き全力で推進しているところであり、今後とも拉致問題の解決に向けて格段のご協力をお願い申し上げます。
平成19年2月22日 内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室長 河内隆 ただ、私は「公開質問状」でも、けっして事務的な手続きの問題を言っているのではありません。根本的な政治レベルの判断、決断に関わる問題が拉致の解決の妨げになり、さらには核問題解決の妨げにもなっていると言っているのです。
2月8日から13日まで行われた6者協議の合意は結論から言って失敗でした。各国の代表、つまり佐々江賢一郎外務省アジア大洋州局長も、クリストファー・ヒル国務次官補も、そして金桂冠(キム・ゲグァン)外務次官も含め、世界中にこの合意で北朝鮮が核を放棄するだろうと思っている人間はほとんどいないでしょう。
北朝鮮から核開発あるいは核兵器の保有というカードを取ったら、ただの貧乏な独裁国家でしかありません。6者協議で日米中露という4大国が下へも置かぬもてなしをしてくれるのは、北朝鮮が核カードをちらつかせるからです。したがって現体制が存続する限り、北朝鮮は核カードを手放すはずがないのです。
日米中露で日本以外の3ヵ国は核大国であり、北朝鮮が単に核兵器を保有したところで痛くもかゆくもありません。他国への移転が行われない保障さえなされれば、何も困らないのです。
それに対して独自の核抑止力を持たない日本は直接の脅威にさらされます。今回の合意に関して「拉致問題より核問題の方が重要だから」として肯定的に評価する声がありますが、頓珍漢もはなはだしいと言わざるをえません。この合意は北朝鮮の核保有を認め、体制の存続を認めるという、日本にとって核問題の解決という側面から見ても最悪のシナリオの第一幕になりえるのです。
北朝鮮にまつわる諸問題、核、拉致(日本以外の国も含め)、生物化学兵器、在日朝鮮人帰国者とその日本人家族の人権問題、政治犯収容所や脱北者など北朝鮮国民の人権問題は、北朝鮮の金日成(キム・イルソン)・金正日(キム・ジョンイル)体制にすべてが起因しています。問題の解決は体制を転換する以外にありません。そして米国はそれをあきらめたと言って良いでしょう(可能であればやろうとするでしょうが、政府レベルで言えば気力はすでに失せています)。
総理にしかできないことをやれ
私たち特定失踪者問題調査会では現在、朝と夜に30分ずつ、一日1時間の北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」を流しています。この放送には昨年度補正予算で100万円、今年度当初予算案で400万〜500万円の、実質的な補助が行われることになっていました。前述のように私たちは6者合意に抗議してこの支援を返上することにしました。
6者協議の場で、米国も中国も合意をせよという圧力をかけているのに、日本が孤立を覚悟しても合意しないように粘る、あるいは合意から離脱して反対の意思を表すということはもちろん並大抵のことではないでしょう。自分が総理だったとしても、決断ができるという確信はありません。
その決断にくらべればささやかなものですが、私たちにとって500万円の支援というのは大変なお金です。正直言って当分はしんどい状態が続くことになります。しかし、だからこそ、それをやることによって、この合意の意味を明らかにしなければならないと思ったのです。
*2月21日の衆院拉致問題特別委員会では、この荒木氏の支援拒否について質問を受けた林芳正内閣府副大臣は、「民間団体なのでわれわれがどうこう言う問題ではない」と無視を決めこんだ。また、6者協議の直後というのに、拉致特委は議員の欠席が目立ち、途中から米国のフォークグループPP&M(ピーター・ポール&マリー)のメンバーが発売した横田めぐみさんの歌談義になる低調ぶりだった。
また、安倍首相は拉致問題の“盟友”衛藤晟一前議員を強引に復党させようとしているし、2月25日には新潟で拉致被害者5人との懇談を行った。参加した拉致被害者・地村保志さんの父・保さんに聞くと、「保志は、『(就任5ヵ月も過ぎてからやって来て)いまさら時期が遅いのでは』と言っていた」という。安倍首相としては拉致問題にしがみつくことで、これ以上の支持率低下を何とか食い止めたいのだろう。
首相官邸にアメリカの歌手を呼んで家族や官僚らと歌を聴くのもいいでしょう。帰国した5人と会って政府の活動に協力してくれていると強調するのもいいでしょう。しかし、総理にしかできないことがあるはずです。
「人気取りだ」「低下する支持率に歯止めをかけるためのパフォーマンスだ」との批判もあります。あえて言いますが、私はそれでもいっこうに構わないと思います。問題は拉致被害者を取り返せるか、日本を北朝鮮の核の脅威から守れるか、そして北東アジアの脅威の根源の一つを取り除けるか、ということにあるからです。そしてそれらの根本的問題を歴代政権は皆、避けてきたのです。
政府は真実を一貫して隠蔽してきた
ここに挙げればきりがありませんが、例えば昨年11月に拉致認定された松本京子さんのケースだけみてもそれは明らかです。
'00年12月、金子善次郎衆議院議員が提出した質問主意書への回答で政府は「(松本京子さんの失踪について)鳥取県警察において、家出人捜索願を受理し、所要の調査を実施したが、北朝鮮に拉致されたと疑わせる状況等はなかったものと承知している」としています。
これは明らかなウソです。私たちが最近聞いた話では、警察は失踪翌年の'78年から松本さん失踪を拉致の疑いがあると認識していたというのです。もちろん、当時安倍総理は首相でなかったのでこの回答に責任があるとは言えませんが、ご自分が、数十年間蓄積さたウソの山の上に立っているということだけは理解しておいてほしいのです。
松本京子さんの失踪が、'78年から拉致だと疑われていたとすれば、その3週間後の横田めぐみさんの失踪はどうだったのでしょう。私たちのところには、未確認ですが、失踪後まもなく拉致の疑いが持たれていたとの話もあります。ちなみに'93年に亡命した元工作員安明進(アン・ミョンジン)氏の「'70年代後半に日本海側で失踪した中学校1年の少女」の情報は、西村真悟衆議院議員の質問で'97年2月3日、初めて国会に取り上げられましたが、この情報はそれより数年前にすでに韓国の情報当局から日本政府にもたらされています。つまり、日本国民の生死と安全に関わる重要な情報を政府は一貫して隠蔽してきたのです。
'78年8月15日の富山県高岡市におけるアベック拉致未遂についても同様です。当の富山県警の幹部は、関係者に「高岡の未遂事件が拉致だと分かったのは'87年の大韓航空機爆破事件のとき」だと言ったといいます。
よくもこれだけウソをつけるものだと思います。(もし本気で言ったなら、それはそれで無能これに極まれりで責任を取るべきでしょう)。しかし、これらは私たちが知らないことまで含めればとんでもないことが隠されているのでしょう。ちなみに私は常々、「拉致問題の全貌が明らかになったとき、日本の現代史は書き換えを迫られる」と言っています。
この構造を打破しなければ拉致問題の解決はありえません。そして、それはやればやるほど「政府は今まで何をしていたのか」と国民に思わせることになるはずです。そのとき個人としては何の罪もない安倍総理は、矢面に立たされるでしょう。
'02年の「9.17訪朝」で北朝鮮に拉致を認めさせることとなり、パンドラの箱を開けかけてしまった小泉純一郎前総理も、「これは自分がやったことではない。これまで数十年間の内閣の責任であり、自分が責任をとる必要はない」と思ったはずです。だから本来、14年前に国会の議席を得た政治家安倍晋三がこの問題に責任を負う必要はないとも言えます。
しかし安倍総理は「拉致問題を国政の最重要課題」と位置づけた以上、このパンドラの箱を開けて、その中に飛び込んでいただかなければなりません。もう後戻りはできないのです。
前回の「公開質問状」でも書きましたが、それは政治生命どころか、物理的生命すら危なくする重大な問題です。総理がパンドラの箱に飛び込んで戦えるのであれば、パフォーマンスでも、利権ねらいでも一向に構わないし、国民もそれを許すでしょう。逆に、ここで引き返すのであれば歴史に汚名を残す総理となるはずです。今、安倍総理に求めたいのは、日本にもっとも必要であり、かつ欠けている“決断”なのです。
終わり
荒木和博/拓殖大学教授。1956年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒業後、民社党本部、『救う会』(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)事務局長などを経て現職。拉致問題の第一人者として知られる。 *'07 2/11 四市協議会講演会 荒木和博さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/35180281.html
*公開質問状に対する政府からの回答書に再び質す ('07 3/17週刊現代より) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/36155483.html
|
| 今年もメガマス |
( 2007.3.16,金 ) |
*写真は昨年開催された第6回メガロスマスターズの様子です。(千葉国際総合水泳場にて)
あおいのパパが近所のスポーツクラブに通い始めたのは2003年1月のことでした。それからは時間のある限り、帰宅してご飯を食べると通っていました。スイミングのお友だちも大勢できました。そして毎年春に行われる水泳大会に2004年から出場しています。
初めての大会はもう散々だったようですが、2005年・2006年はある種目でそれぞれ1位になって盾もいただいてきました。マスターズで出場人数も少ない種目なのであまり自慢になりませんが、それでも励みになりますよね。
しかし昨年から何かと忙しくなり、しばらく通っていなかったので今年は出場する気はなかったのですが、クラブの方やお友だちの皆さんに声をかけていただき、3月18日の大会に出場することになりました。それで慌てて練習に通っていますが、当日どうなることやら。皆さんの足を引っ張らないといいのだけど・・・。
私は伊豆出身で毎日海を見て育ちましたが、水が怖くて水泳は苦手です。でも私のように苦手だった方々が毎日一生懸命練習して、このような大きな大会に出場するという話も聞いています。この千葉国際総合水泳場のプールは水深が2メートルで足がつきません。飛び込みだって練習しなければとても怖くてできないそうです。
皆さん、どうか優勝目指して頑張ってください。応援しています。
*'05 3/21 第5回メガロスマスターズ http://aoinomama13.seesaa.net/article/4957181.html
*今年もメガマス aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/36130299.html
|
| ホワイトデーのケーキ |
( 2007.3.15,木 ) |
3月14日のホワイトデーにあおいのパパがケーキをプレゼントしてくれました。「マキシム・ド・パリ」のケーキで、今回はいつになく?奮発してくれてもう感激です〜。(仕事帰りに買ってきてくれたので、ケーキが少しずれています)
ダイエット中の私たちだけど、ひとときあま〜い香りに酔いしれました。パパ、本当にありがとう。おいしかったよ。また買ってきてね。
*2月14日のバレンタインデーにパパにチョコをくださった皆さん、本当にありがとうございました。(^^)
*ホワイトデーのケーキ aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/36090924.html
|
| '06 万景峰号入港抗議活動一覧表 |
( 2007.3.14,水 ) |
*2006年7月5日、北朝鮮のミサイル発射によりしばらく海上に足止め状態となった万景峰号です。(写真はすべて新津市民さん撮影)
昨年2006年の万景峰号入港抗議活動を一覧表にしました。毎回抗議活動に参加されました新津市民さん(万景峰号の入港を阻止する会)の撮影したビデオ映像から文字化したレポートです。よろしかったらご覧になってください。昨年抗議活動に参加されていました皆さま、本当にお疲れさまでした。二度とこのような活動をしなくてもいいように、万景峰号やその他の北朝鮮の船が日本に入港しないように願っています。
*万景峰号は、2006年7月5日に北朝鮮がミサイル発射を行って以後、日本政府が入港禁止の制裁措置を行っております。(期限つき)
*'06 万景峰号入港抗議活動一覧表 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/35913633.html
|
| 3/11 TBS「報道特集」生き別れた兄妹 北朝鮮元スター選手の消息は? |
( 2007.3.12,月 ) |
*3/11TBS放送の「報道特集」を文字化しました。約50分の放送です。
「韓弼花(ハン・ピルファ)、今第2カーブにかかります」。妹の存在を知ったのは札幌オリンピック。「母に瓜二つの女性が・・・」兄は再会のため日本へ。そして直面した国家の壁。孤立する北朝鮮。妹は無事生きているのか。「見たことありますか?」「分かりません」。北朝鮮の元スター選手、その消息を追った―。
札幌五輪が転機 南北離散兄妹の半生
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「こんばんは、報道特集です。まず、ちょっとこの曲をお聴きください。(スタジオに「虹と雪のバラード」が流れる)お聴き覚えがありますでしょうか。アジアで初めて開かれました冬季オリンピック、札幌オリンピックのテーマソングです。懐かしいですねぇ。今日ご覧いただきますのは、この札幌オリンピックを舞台に再会を果たそうとしたある兄妹の物語です。兄は韓国に住み、そして妹は北朝鮮のスター選手でした。」
北朝鮮のスター選手は・・・
【ナレーター】 今月、北朝鮮から1枚のディスクが届いた。ディスクには、かつて北朝鮮の人々を熱狂させた1人の女性の半生が描かれている。
弾丸のように氷を滑っていく女性スケーター。北朝鮮を代表するスピードスケートの選手・韓弼花(ハン・ピルファ)さんだ。彼女には朝鮮戦争で生き別れになった兄がいた。引き裂かれた兄と妹。二人の存在は1970年代のある出来事をきっかけに、日本でも知れ渡ることとなった。
1972年、アジアで初めての冬季オリンピックが札幌で開催された。世界各地から選りすぐられた一流のアスリートたち。その中にスピードスケートの北朝鮮代表・韓弼花(ハン・ピルファ)さんの姿もあった。「韓弼花(ハン・ピルファ)今、第2カーブにかかります。第2カーブを入って、今カーブの頂点を通過しております。」(実況VTR)
彼女は1964年のインスブルックオリンピック(オーストリア)で、アジア人女性として冬季五輪史上初のメダル(銀)を獲得。北朝鮮の金日成主席は彼女をこう賞賛したという。「銀盤の彗星」―。
北朝鮮のスター選手は・・・妹
【ナレーター】 朝鮮半島が南北に分断されて半世紀以上が経つ。北朝鮮を見渡せる展望台を度々訪れる男性がいる。(統一展望台 韓国・ハジュ)韓弼聖(ハン・ピルソン)さん、74歳。北朝鮮のスケート選手・韓弼花(ハン・ピルファ)さんの兄だ。弼聖(ピルソン)さんは、この展望台から自分が産まれ育った北朝鮮を眺めている。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「故郷まで近いはずなのに・・・、長い間道は閉ざされ、家族の消息も途絶えている。何故、何故、こんなことになってしまったんだろう・・・」
【ナレーター】 向こう岸の国に残った妹。弼花(ピルファ)は元気で過ごしているのだろうか・・・。弼聖(ピルソン)さんは、姉2人と弟、そして妹2人の6人兄妹の長男として生まれた。一番末っ子の弼花(ピルファ)さんとは8歳離れている。両親は今の北朝鮮の港町・南浦(ナンポ)で飲食店を営んでいた。幸せだった家族があの時、引き裂かれた。
1950年、朝鮮戦争はアメリカと旧ソ連の勢力争いを背景に勃発する。北朝鮮の奇襲攻撃の後、韓国軍はアメリカの介入を受けて攻勢に転じる。爆撃機の音が迫った1950年12月5日、母は息子にこう告げた。「お前は生き延びなさい。船で南へ逃げるのよ。」港には避難民を乗せるアメリカ軍の船が停泊していた。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「『泣いてはいけない、何日かしたら帰って来ればいいから心配しないで』、そう言った母の姿が心に残っています。」
【ナレーター】 弼聖(ピルソン)さんは夜明け前に家を出発した。港は南へ避難する人たちでごった返していた。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「南浦(ナンポ)港でアメリカ軍の船に乗って、1日がかりで仁川(インチョン)に到着しました。そこから今度は日本の連絡船に乗り換え、3日かかって釜山(プサン)まで辿り着いたんです。」
【ナレーター】 弼聖(ピルソン)さんが避難した時、8歳だった妹の弼花(ピルファ)さんは寝息をたてて眠っていた。あれから21年、その妹が北朝鮮の代表選手として日本に来ていると知った。北朝鮮のスター選手が生き別れになってきた自分の妹だと知った時の驚きを、今でもはっきり覚えている。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「『韓弼花(ハン・ピルファ)という北朝鮮の選手が札幌のプレオリンピックに参加する、という記事が新聞に出ていたぞ。お前の妹じゃないか?』そう友人に言われたんです。母親に瓜二つの女性の写真が目に飛び込んできました。妹の弼花(ピルファ)でした。ああ、とてもうれしかったです・・・」
【ナレーター】 1971年(2月)、38歳の弼聖(ピルソン)さんは、札幌での競技を終えた妹が東京に立ち寄ると知り、日本に向った。しかし、兄妹の再会劇の裏側で、北と南、両政府の駆け引きが繰り広げられる。韓国政府は弼聖(ピルソン)さんに、許可が出るまで妹に会わないよう指示した。家族への思いを募らせる弼聖(ピルソン)さんに、北朝鮮が亡命を持ちかけることを警戒していたのだ。
一方、北朝鮮系の朝鮮総連は、都内のホテルに日本人記者を呼び込み、弼花(ピルファ)さんの会見を行った。「兄がホテルに来てくれるならいつでも会う」そう告げて弼花(ピルファ)さんは会見の席を立った。
妹のホテルから1キロのところにある別のホテルで兄は再会の時を待ち続けた。弼聖(ピルソン)さんと世界的なスケート選手である弼花(ピルファ)さんの再会劇を北と南どちらが演出するか、互いに自分の国のイメージアップにつなげたい両国は、激しい主導権争いを繰り広げた。2つの国は最後まで意地を張り合い、兄妹が再会する絶好の機会をつぶしてしまった。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(会見VTR) 「次の機会にはもっとしっかり準備をしたいと思います・・・」
【ナレーター】 兄と妹の願いは届かなかった。(映像 帰国する弼花さんが飛行機のタラップの上から国旗を振りながら涙する)弼聖(ピルソン)さんは、当時をこう振り返る。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「初めて涙が出ました。会うことはできたのにだめだったんです。言葉で言い尽くせないほどショックでした。涙があふれて止まりませんでした。」
【ナレーター】 札幌オリンピックで弼花(ピルファ)さんはスピードスケート3000メートルで9位。この大会が現役の選手として最後のオリンピックとなった。
弼聖(ピルソン)さん兄妹の一件がきっかけとなって離散家族の問題が進展を見せた。1971年、韓国の赤十字社の呼びかけで北朝鮮との間で離散家族の再会に向け協議が始まる。(南北赤十字予備会談 71年 板門店)南と北、合わせて1000万組に上ると言われる離散家族。弼聖(ピルソン)さんはその象徴的な存在だった。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(会見VTR ソウル 71年8月) 「とにかく家族が会えないのは胸が痛いです・・・」
【ナレーター】 1985年、ついに韓国と北朝鮮は離散家族の相互訪問の実現にこぎつけた。だが、この歴史的な流れを作った弼聖(ピルソン)さんと弼花(ピルファ)さんの再会はなかなか実現しなかった。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「その後、妹と会える機会は一切ありませんでした。私たちが再会を果たせなかった後で、南北の交流がたくさん始まりました。何とかなってほしいという気持ちでいつもニュースを見ていました。」
【ナレーター】 届かぬ思い。そこへ思いがけない動きが二人の追い風になろうとしていた。1989年、ベルリンの壁が崩壊。この時期、東ヨーロッパ諸国に民主化のドミノ現象が広がった。東西冷戦時代の終結。世界に雪解けムードが広がる。韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領も北朝鮮に南北首脳会談を呼びかけ、対話を促した。韓国と北朝鮮の接近。それは兄と妹にとって再会のチャンスでもある。
1990年、弼聖(ピルソン)さんは「妹が日本で開かれる冬季アジア大会に参加する」という情報を得た。場所は札幌。この街で開かれたオリンピックの時、二人が再会を果たせなかった因縁の街だった。妹の弼花(ピルファ)さんは、北朝鮮選手団の副団長として一足先に札幌に到着していた。兄・弼聖(ピルソン)さんは札幌に向った。一方、妹の弼花(ピルファ)さんも兄がやって来ることを知り、新千歳空港に駆けつけた。
妻と共に日本にやって来た兄・弼聖(ピルソン)さん。妹は到着ゲートまで来ていた。今度こそ本当に会えるのだろうか。互いの姿を確認するまで二人の緊張は解けなかった。
【妹・韓弼花(ハン・ピルファ)さん】(40年ぶりの再会の映像) 「お兄さん、どんなに待っていたことか。お父さんがお兄さんをどんなに待っていたか・・・」(泣きながら抱き合う)
【ナレーター】 40年ぶりの再会。妹・弼花(ピルファ)さんは「死んだ父が最期まで兄を心配していた」ことを涙ながらに話した。16歳と8歳で引き裂かれた兄と妹は、56歳と48歳になっていた。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(90年 会見VTR) 「40年ぶりの再会の喜びは一言で言い表せません。」
【妹・韓弼花(ハン・ピルファ)さん】(90年 会見VTR) 「前は会おうとして会えなかったけど、この日を待ち望んでいました。」
【ナレーター】 「北朝鮮が兄妹を札幌で再会させたのは“人道的な国である”と世界にアピールするため」、当時そんな冷ややかな見方があったのも事実だ。札幌で再会した兄と妹。与えられた時間はアジア大会が開かれている1週間だけ。妹は北朝鮮の家族の様子を兄に伝えた。母親の雀元和(チェン・ウォンファ)さんが平壌市内で元気に暮らしている。母は85歳になっていた。妹に促されて弼聖(ピルソン)さんは札幌から平壌の母に国際電話をかけた。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「耳は遠くなっていましたが、『ちゃんと暮らせているの?元気で暮らしなさい』という母の声を聞きました。死ぬ前に母の声を聞けるなんて思いもよりませんでしたよ。」(涙しながらうれしそうに話す)
【ナレーター】 兄と妹の1週間が終わった。「また会おう」寂しさを紛らわすように何度も誓った。先に帰国する兄を妹は空港で見送った。
【妹・韓弼花(ハン・ピルファ)さん】(90年 会見VTR) 「40年ぶりの再会は大きな衝撃でした。」
【ナレーター】 40年ぶりに再会を果たした兄と妹。しかしこれが二人にとって新たな苦しみの始まりだった―。
韓弼花(ハン・ピルファ)さんの人生は揺れ動いてきた北朝鮮の歴史と重なっている。弼花(ピルファ)さんがスケート選手として活躍した1960年代から1970年代初め、この時期の北朝鮮は旧ソ連の支援を受け、一定の経済力を維持していた。アジア人女性として初めて冬季オリンピックのメダルを獲得した弼花(ピルファ)さん。彼女はこの時期の北朝鮮のシンボルだった。
故金日成主席は彼女の功績を称えて平壌に室内スケート場を作った。札幌オリンピックの後に彼女が平壌に帰って来ると、出迎えの人たちが50キロにも渡って行列を作っていたという。
しかし、弼花(ピルファ)さんが兄と再会した1990年を境に、北朝鮮の経済は疲弊していく。1990年代半ばに発生した水害による食糧難。また、テポドン・ミサイルの発射や核開発を強行したことで、北朝鮮は国際的に孤立を深めていった。
現役引退後も選手団の幹部として国際大会では入場行進に加わっていた弼花(ピルファ)さん。そんな妹を兄の弼聖(ピルソン)さんはテレビで捜してきた。しかし1990年以降、妹に関する情報はつかめなくなった。
弼聖(ピルソン)さんの妻・洪愛子(ハン・エジャ)さんも北朝鮮の出身。二人共戦火を逃れて韓国に辿り着いた。(今年1月 韓弼聖さんの自宅の映像)
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(食卓での映像) 「いつもこんな感じです。騒がしいでしょう?家族が多いんで・・・」
【取材者】 「一番やんちゃなのは誰ですか?」
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】(食卓での映像) 「そりゃあ、この子です。ホント、よく食べるんですよ。」(一番小さな男の子)
【ナレーター】 これまでの弼聖(ピルソン)さんの半生は苦労の連続だった。朝鮮戦争で家族と離れ離れになった弼聖(ピルソン)さんは、韓国で一人で生きていくために必死で働いた。テレビやラジオの修理、そして牛の世話。20年前に北朝鮮との国境の街・坡州(パジュ)に移り住んだ。牧場を開き乳牛を飼い始めた。お腹が空くと、落ちている栗を拾って食べるほど当時の生活は貧しかった。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「借金して牧場を始めたんです。だから朝は3時半に起きていました。あまりにも疲れ果て夜は倒れるように寝ました。」
【ナレーター】 娘2人と息子2人、そして10人の孫に恵まれた。生活にゆとりができたのは70歳を越えてからのことだ。
【韓弼聖さんの二男・韓泰石(ハン・テソク)さん】 「父はいつも北朝鮮の情勢を見つめています。実は私もあせっています。両親は歳をとってきているし、観光でも何でもいいから北朝鮮に連れて行ってあげたいんです。」
妹は北のスター選手 消息は?
【ナレーター】 弼聖(ピルソン)さんと弼花(ピルファ)さんの思いをきっかけに始まった“離散家族の再会事業”。去年の夏、北朝鮮のミサイル発射の後、凍結されている。一般の人たちが北朝鮮へ連絡をとる手段はない。北朝鮮にある弼花(ピルファ)さんの所属団体に韓国から電話をかけてみると・・・「この番号はない国番号なので、もう一度おかけ直してください」(電話案内の声)
今から4年前、人づてに母親の雀元和(チェン・ウォンファ)さんが亡くなったことを聞いた。だが、それを確認する手立てもない。
「お正月にまんじゅうを食べましたか?」「ああ、食べました」「食べました?」「はい」弼聖(ピルソン)さんは3年前から近くの公民館で日本語とパソコンを習っている。
【取材者】 (パソコンの前の弼聖さんに)「北朝鮮の話だとか、妹さんの情報は出てきますか?」
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「ああ、だめです。カットされています。」
【ナレーター】 死ぬまでにもう一度妹に会いたい。しかし、消息を知る術すらない・・・。弼花(ピルファ)さんは北朝鮮で今どうしているのだろうか?手がかりを求めて脱北者を訪ねた。北朝鮮の元アイスホッケー代表選手・皇甫永(ファン・ボヨン)さんはこう話す。
【北朝鮮アイスホッケー元代表選手・皇甫永(ファン・ボヨン)さん】 「96年に彼女を見かけたのが最後です。(北朝鮮で開かれた)白頭山(ペクトゥサン)賞競技大会とか、万景台(マンギョンデ)賞競技大会の時によく姿を見せました。金日成や金正日の言葉を引用した形で、『精神力を発揮していいゲームをするように』そんな話をしていました。」
【ナレーター】 皇(ファン)さんは99年に脱北したが、その時まで弼花(ピルファ)さんの消息に接することはできなかったという。ところが弼花(ピルファ)さんの消息が意外なところからわかった。私たちは北朝鮮の映像を探している中で、弼花(ピルファ)さんが偶然映っている映像を見つけた。これは6年前の2001年(8月)、日本のNGOの若者が平壌を訪れた時に撮影されたものだ。
【日本のNGOの人】(01年 平壌 VTR) 「普段はどんな料理を食べているの?」
【北朝鮮の女の子】(01年 平壌 VTR) 「他の国の人と同じ食べ物を食べていますよ。」(日本語で話す)
【ナレーター】 平壌の一般市民と交流を深めるために企画されたツアーだった。若者たちが案内されたのは、平壌の中心部にある高層マンション。一組の老夫婦が笑顔で迎えた。この女性、韓弼花(ハン・ピルファ)さんだった。弼花(ピルファ)さんは若者たちを居間に招き入れて歓迎した。「この家はオリンピックでメダルを取った褒美に、故金日成主席からもらったものだ」弼花(ピルファ)さんはそう説明したという。映像を弼聖(ピルソン)さんに見てもらった。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「あ、あっ、弼花(ピルファ)だ!何となくこれは見せるために作ったという気がします。再会した時よりもやつれているし歳もとりました。北朝鮮の事情が厳しいことを考えると、余裕のある生活ではないと感じます。胸が痛みます。」
【ナレーター】 「弼花(ピルファ)さんの家に行った」という脱北者を訪ねた。尹明讃(ユン・ミョンチャン)氏。サッカー北朝鮮代表チームの監督を務めた人だ。
【元サッカー北朝鮮代表監督・尹明讃(ユン・ミョンチャン)氏】 「有名なスポーツ関係者に国が与える家です」
【ナレーター】 「弼花(ピルファ)さんは北朝鮮のスポーツ界で最も尊敬されている選手だった」と尹(ユン)氏は語る。
【元サッカー北朝鮮代表監督・尹明讃(ユン・ミョンチャン)氏】 「彼女は氷点下40度になるところで訓練していたんです。服を着込んで着込んで、それから帽子をかぶって、頬は凍傷で真っ黒でした。本当にかわいそうなくらい頑張っていました。」
【ナレーター】 親交のあった尹(ユン)氏は「弼花(ピルファ)さんの近況はわからない」という。「国際的なスポーツ大会で見かけなくなった」、脱北したスポーツ関係者はそう口を揃える。
表舞台から遠ざかっていた弼花(ピルファ)さんだが、1年ほど前、スケートの国際大会に姿を見せていたことがわかった。場所は台湾。一昨年の秋に開かれたフィギュアスケートの大会だった。(2005年)ベージュのスーツに身を包み微笑む小柄な女性、64歳になった弼花(ピルファ)さんだ。大会の役員として参加していた。弼花(ピルファ)さんは今もアジアスケート連盟の副会長に名を連ねていた。大きな大会があれば姿を見せる可能性がある。
私たちは今年1月に中国の長春(チョウシュン)で行われる冬季アジア大会に、北朝鮮が大選手団を送るという情報を得た。弼花(ピルファ)さんの消息を求めて長春(チョウシュン)を訪ねた。北朝鮮は選手・役員合わせて100人近い大選手団を送っていた。
かつての満州国の首都・長春(チョウシュン)。北朝鮮との国境が近く、関係も深い。市内には北朝鮮と中国が合弁で作ったレストランがある。(「北国の春」を日本語で歌う北朝鮮女性)接客係は北朝鮮から派遣された女性たち。彼女たちに弼花(ピルファ)さんの写真を見せてみた。
【取材者】 「誰だかわかりますか?」
【北朝鮮女性接客係】 「見た気もするけどわかりません。」
【ナレーター】 北朝鮮の選手たちに聞けばわかるかもしれない。市内で選手の姿を捜した。
【取材者】 「あっ、いた!いたいた、あそこ・・・」
【ナレーター】 北朝鮮の国名が入ったコートを着た集団。後をついて行ってみると、そこは氷まつりの会場だった。
【取材者】 「さっきの人たち北朝鮮の人ですよね?」
【露天の店主】 「そうだ。『買いたいけどお金がない』って言っていた。それなのに写真を持って行こうとするから『ダメだ!ダメだ!』って言ったんだ。」
【ナレーター】 選手たちに弼花(ピルファ)さんのことを聞こうと近づくと、カメラに気づいたのか立ち去ってしまった。
アジア大会開会式。(中国長春 07年1月)韓国と北朝鮮が一緒に入場する統一行進は2000年のシドニー・オリンピックから回を重ね、今回で9回を数えた。客席の北朝鮮の役員や選手たち。弼花(ピルファ)さんの姿を捜したが、見つけることはできなかった。弼花(ピルファ)さんは今年で66歳になる。「病気を抱えている」という情報もある。果たして無事なのであろうか。
北朝鮮の関係者に確認を試みることにした。北朝鮮選手団が宿泊しているホテルを訪ねた。ロビーに現れた男性、北朝鮮のコートを着ている。弼花(ピルファ)さんの写真を見てもらった。
【取材者】 「この人、誰だかわかりますか?」
【北朝鮮の男性】 「知っています。韓弼花(ハン・ピルファ)先生です。」
【取材者】 「今、何をしているんですか?」
【北朝鮮の男性】 「顧問です。顧問。冬の種目に関する全般的なことを助言する立場です。」
【ナレーター】 この男性、チームの付き添いで来たスタッフだという。
【北朝鮮の男性】 「この大会に来る予定になっていたんですが、家庭でお祝い事があって忙しくなり来られませんでした。」
【ナレーター】 男性は「弼花(ピルファ)さんは今もしばしばスケートの練習に顔を出し、選手の指導についてコーチに助言している」と語った。冬季アジア大会には来ていないが、今も弼花(ピルファ)さんは元気でいることがわかった。
かつて“銀盤の彗星”と呼ばれ、女性ではアジアに始めてのメダルをもたらした韓弼花(ハン・ピルファ)。その後、彼女ほどの選手は北朝鮮に現れていない。
私たちは「弼花(ピルファ)さんの近況を知りたい」と北朝鮮のスポーツ関係者に申し入れた。すると今月、私たちのもとに北朝鮮から1枚のディスクが届いた。
北朝鮮から 1枚のディスク
【ナレーター】 このディスクを持って再び私たちは韓国の弼聖(ピルソン)さんの家に向った。(韓国・坡州 07年3月)途中、道端に人影を見かけた。弼聖(ピルソン)さんだ。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「家はもう少し先だよ。行きましょう。」
【ナレーター】 「待ちきれずに迎えに来たのだ」という。弼聖(ピルソン)さん一家は、最近近くのマンションに引越したばかり。「苦労を重ねた両親に親孝行をしよう」という子どもたちの計らいだという。
【取材者】 「こういうディスクが送られて来ました」
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「(ディスクを見て)あっ、これ、弼花(ピルファ)だ!弼花(ピルファ)ですよ!!弼花(ピルファ)です。」(ディスクを再生する)「ああ、出てきた、出てきた・・・」
【ディスクのナレーション】 「絶対に優勝するのだという野心満々の決意、それが3000メートル競技で彼女をオリンピックの銀メダル受賞者にしたのです」
【ナレーター】 オリンピックでメダルを取る。スケート選手として最も輝いていた頃の弼花(ピルファ)さん。現役を引退した後、後輩を指導する様子。そして映像には生前の母・雀元和(チェン・ウォンファ)さんの姿も映っている。弼聖(ピルソン)さんがさらに驚いたのは、この後の映像だった―。
弼聖(ピルソン)さんが目を見張ったのは、受話器を持って話す母・元和(ウォンファ)さんの姿だった。母が話している相手は日本を訪ねた時の自分なのだ。17年前の1990年、弼聖(ピルソン)さんが札幌から国際電話をかけた時に話した母の姿だった。
弼花(ピルファ)さんの娘は結婚し、孫が二人いた。66歳の妹の姿を74歳の兄は見つめた。ディスクは最近収録されたと思われる弼花(ピルファ)さんの言葉で締めくくられている。
【妹・韓弼花(ハン・ピルファ)さん】(ディスクより) 「冬季オリンピックと言えば、札幌のオリンピックを忘れることはできません。それは札幌の(プレ)オリンピックで2つのメダルを取ったことがうれしかったからです。2回目に札幌に行った時、私はこの時のことも忘れられません。それは40年ぶりに生死がわからなかった兄と再会できたからです。」(見終わって拍手をする弼聖さん)
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「こうして暮らしているのを見て安心しました。あの程度の暮らしなら大丈夫でしょう。暮らしが厳しいと聞いていたけど、これを見ると心配しなくていいです。とても安心しました。」
【ナレーター】 朝鮮戦争が引き裂いた家族。北と南の政治的な駆け引きで翻弄される兄と妹。
【兄・韓弼聖(ハン・ピルソン)さん】 「むしろ、あの時会わずに知らないままでいたら、一度会ってしまったがゆえに想像を絶するほど苦しみました。故郷や母、それに家族のことがいつも頭を離れませんでした。」
【ナレーター】 「死ぬまでにもう一度だけ妹に会いたい・・・」兄の願いはいつ世界に届くのだろう―。
進まぬ“再会” 長い順番待ち
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「かつて札幌を舞台にあのような兄妹のドラマがあり、そしてあの二人がきっかけとなって離散家族の再会事業が始まったということ、実は私知らなかったんですが、野村さん、弼聖(ピルソン)さんは今も会いたいのに、まだなかなか会えないままなのは何故なんでしょうね?」
【ディレクター・野村麻理子さん】 「はい。大きな理由の一つに、離散家族の高齢化という問題があると思います。韓国の統一部によると、面会を希望して登録している人は12万人いるのですが、この内80代・90代の人も多くて、70代の弼聖(ピルソン)さんはまだ若い方なんですね。で、これまでに高齢者や親子を中心に優先的に再会事業が行われてきたんですが、会えたのは1万人たらず。まだ70代の弼聖(ピルソン)さんが再び再会できるチャンスというのは、極めて、可能性が極めて低いと言えます。」
【司会者・田丸美寿々さん】 「うーん、じゃあ妹さんがスター選手で、政治的な思惑もそこにあって、一度だけでも会えたというのはまだ恵まれているということなんですね。」
【ディレクター・野村麻理子さん】 「そうですね。離散家族の中には、再会を待っている間に亡くなる人も多いんですね。そうしますと『一度でも弼聖(ピルソン)さんは妹に会えたので、まだ幸せな方じゃないか』と周りから見られているようです。実際に韓国で取材して『離散家族問題の解決のためにこれ以上北朝鮮との関係悪化は避けたい』という空気を感じました。」
【司会者・田丸美寿々さん】 「なるほど。あの、ミサイル発射で凍結されていた再会事業はこの5月からですか、また再開されるということですね。はい、野村麻理子さんでした。」
(ディレクター 野村麻理子さん 赤城一郎さん)
終わり
*こちらに離散家族の画像対面の様子が載っています。 ↓ ↓ ↓ *'05 10/30 TBS「報道特集」北朝鮮への通信 http://aoinomama13.seesaa.net/article/9000643.html
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*3/11 TBS「報道特集」生き別れた兄妹 北朝鮮元スター選手の消息は? aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/35779125.html
|
| ありがとうの言葉 |
( 2007.3.11,日 ) |
*写真は今年の2月14日バレンタインデー用に作った“チョコレートブラウニー”と“チョコレートクッキー”です。夫と実家の父とAさんの、三人の想い人に贈りました。
私は知り合った20年前から、ほとんど毎日「ありがとう」という言葉を夫からもらっています。「ご飯を作ってくれてありがとう」「洗濯してくれてありがとう」「掃除してくれてありがとう」と、何気ないほんのちょっとした事でも「ありがとう」という感謝の言葉を欠かさない人なのです。
いくつになっても「ありがとう」は言われたらうれしいですよね。それがたとえ口癖のようになっていたとしても、心はちゃんと伝わってくるものです。
パパ、ぐうたら主婦でごめんね。時々はちゃんと家事もするね。私も極力「ありがとう」と感謝の言葉を言うようにします。ああ〜、本当にダメな私です・・・。
*今日は私たちの結婚記念日です。平成元年3月11日、当時住んでいた神奈川県川崎市の高津区役所に婚姻届を二人で提出しました。(^^)
*ありがとうの言葉 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/35737685.html
|
| '06 11/15 新潟県民集会 大澤昭一さん |
( 2007.3.7,水 ) |
*写真は新津市民さんの撮影です。
*新津市民さん撮影の映像より要旨レポートを作成しました。聞き取りに間違いのある可能性もございます。ご了承ください。
【司会者】 北朝鮮に拉致された可能性が濃厚な特定失踪者の大澤孝司さんのお兄様、大澤昭一様からメッセージをいただきたいと存じます。弟の孝司さんは、旧佐渡新穂村の県佐渡農地事務所勤務だった1974年2月24日夜、飲食店で食事後、友人宅に立ち寄ったのを最後に行方不明になりました。それでは大澤さん、よろしくお願い致します。
*特定失踪者・大澤孝司さん 昭和49(1974)年2月24日失踪 特定失踪者問題調査会リストより http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=69&mode=search3
【特定失踪者大澤孝司さんの兄・昭一さん】 皆さん、こんばんは。お忙しい中、こんなにたくさんの多くの方々が集まってくださって感謝しております。これだけの方から拉致問題のためのご支援をもらっている、私ども感謝の気持ちでいっぱいです。また、今横田さんの熱弁の後に私が話すのは雰囲気を壊すのではないかと心配ではございますが、私は一応特定失踪者の家族の立場として、現在の特定失踪者の状況だけちょっとお話させていただきます。
私たち特定失踪者の家族は先日初めて政府の総理大臣官邸に呼ばれまして、塩崎官房長官が面会してくださいました。(11月9日)特定失踪者家族として運動を始めて4年、政府がやっと私たちの家族が拉致被害者であると認めてくださったのです。家族として一番の気がかりの「拉致問題の解決はこれまで認定された16人で終わるものでないか」という心配に対して官房長官は「特定失踪者を含むすべての拉致被害者の救出をするまで終わりはない」と言明してくださいました。
また同時に、結局ここに結びつくんですけども「拉致認定」の問題については、これまで認定者が16人にとどまっているのは証拠を第一、韓国の目撃者証言、いわゆる証拠第一のものなので、認定被害者が拉致でなかった場合の責任問題などを、という気持ちでなかなか認定されませんでした。しかし20年〜30年前のこと、そうそう証拠もあるわけではありません。認定条件の見直しもお願いしました。これについても、一応日本政府も見直しについては今後、政府と調査会で話し合いの場所を作ってこの問題に対する、ということです。私たちにとっては大きな前進だと思います。
また「情報開示等その他現在、政府ではなく民間のマスコミ・特定失踪者問題調査会が行っている韓国の目撃者との対談、そういう作業を私たちに任せないで何とかひとつ政府の方でやっていただきたい」とお願いしました。
認定問題ですが、私の弟は現在日本でも証拠もなく、北朝鮮での目撃情報もないので認定されておりません。拉致されたと思われる日を思い出しますと、弟は昭和49年2月24日、新穂村(にいぼむら)の隣町の金井村(かないまち)に行って、仏像を買い、それを風呂敷に包んで抱えて、夕方新穂村のバス停で降り、日曜日のせいか寮で夕食が食べられないため、町の焼肉店で酒少量と焼肉を食べ「女将に仏像を見せる」と言うと「見てもわからない」と断られ、食べ終わって「飲んだし食ったし、帰って寝るか」とそういう言葉を残して店を出て寮に向いました。
その中間点にある蕎麦屋さんのタバコ販売所のガラス窓越しで、狩猟免許証を奥さんに返し、「あんたも入ったら?」という誘いを断って歩き出そうとすると、2〜3人の男性が店内に入ろうとして入らずに出て行きました。その後、急発進のタイヤの軋む音がして車が走り去ったということで、寮には翌朝になっても孝司の姿はなかったのです。これが当時の状況です。
私も佐渡中、警察を始め同僚・部落の人、多数の応援で長時間捜しましたが見つかりません。そうしていると、弟は自分から命を絶ったんだろうか、他所の土地で暮らしているんだろうか、という気持ちになりました。しかしよく考えてみると、自分で命を絶つ者が観賞用の品物を買って来るものだろうか?また焼肉店を出る時「飲んだし、食ったし、帰って寝るか」という言葉が出てくるのか?と思いました。
また翌日の25日以降、日本海も荒れていて、小船での島外脱出も考えられず、佐渡汽船も貨物船も乗った形跡もなく、その後数年間島の内外で遺体も発見されませんでした。佐渡を離れて他所へ行ったんじゃないか?という推測も考えられました。しかし、寮では金も衣類も持ち出された形跡はなく、後日、通帳から金を引き出した形跡もありませんでした。
この運動を始めて、特定失踪者用の公開したポスターを見て、国内では「十数人の方が家族のもとへ帰られた、家族のもとへ連絡があった」という話がございますが、私は「それでもいい、恥をかいてもいいから家に連絡が来ないか」と希望を持ちましたが、現在まで連絡はございません。私もすでに4年間、テレビ・新聞等に出させてもらって、「弟が日本に暮らしていれば何かの連絡がある」と思ってずっと待ち続けましたが、連絡はありません。
という事は、弟は自分を殺めた、または島外での生活、というようなかたちの消息不明ではないような気がします。結局、その頃も「神隠し」という言葉、「神隠ししかもう考えられない」という状態に陥りました。
しかしその後、第一次小泉訪朝で曽我さんが帰って来ました。「弟も同じ佐渡だし、失踪の理由もないし、これ以外はない」という気になりました。しかし証拠はありません。でも新潟県警は「大澤孝司は拉致の疑いが濃厚である」と発表してくださいました。また、先日新潟県警は曽我ひとみさんの拉致の実行犯として、北朝鮮工作員キム・ミョンスクを指名手配してくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。これからその他拉致実行犯の特定を一刻も早くお願いして、これが佐渡内外の拉致問題の真相究明に大きくつながるものと考えております。
また、一連の報道の中で、ジェンキンスさんの話しとして、曽我さんを拉致するのが一番難しかったと言われています。ということは、北朝鮮は佐渡でも拉致を何件か実行しているということです。私の弟は曽我さん・横田さんの拉致より数年前でした。その頃より拉致があったものと思われます。政府も今後、特定失踪者等の拉致認定に対しては、数十年前の証拠とか韓国の目撃証人たちなどにこだわらず、私の弟のようなケースにも一刻も早く拉致認定してもらい、その方向に進んでくださるようにお願い致します。
私の親父は明日12日が97歳の誕生日です。まだその歳にしては元気です。昨日も新聞・テレビを見て、六ヵ国協議の再開などをまだ気にしています。でも97歳です。政府には一刻も早く対応してもらわないと再会ももう間に合いません。日本国家も交渉など次々と実行してくれています。どうぞこれからも「どうしたらこの拉致問題が一刻も早く解決するのか」と全力で考えて交渉されることをお願い致します。
私たちは、今後は安倍総理もやってくれそうだと日本国を信じています。どうぞ政府の皆さん、一刻も早い解決をお願いします。
今日はこうして多数の方から支援をしていただきました。この問題の解決には国民の世論、これを大きくして政府に迫ることが一番大事な条件です。ひとつ、今後とも一層のご支援をお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)
*大澤孝司さんと再会を果たす会 http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
*こちらで写真と映像がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ *11.15 県民集会 新津市民さんのアルバムより http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?un=53702&key=1858601&m=0
終わり
*'06 11/15 新潟県民集会 大澤昭一さん aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/35763013.html
|
| ブルーリボンのコサージュ |
( 2007.3.6,火 ) |
写真のコサージュはあおいのママの新作です。以前に作ったものよりも簡素に仕上げました。少し太めのリボンとレースのリボンにブルーローズの造花1本を縫い付け、そして裏に安全ピン(大き目)を付けて出来上がり。ぶきっちょな私でも、ちょっと見はそれなりに見えるブルーリボンコサージュが作れました。(^^)
私が拉致問題を知ったのは2002年の日韓ワールドカップの時でした。始まってしばらくは「日本は韓国にひどいことをしたのだから、韓国を応援しなければいけない」と、今ではとても信じられない気持ちで応援していたのです。従軍慰安婦問題もかなり信じていました。それでパパと泣きながらケンカしたこともあったのです。(パパはもともと嫌○だったから)
しかし、サッカーのプレーを見ているうちに、「何で他国を応援しなければならないの?」と気がつきました。あの頃は「応援しなければいけない」と思う半面、どうしても心が納得しなくて、「私はおかしいのだろうか・・・」とインターネットを見て、「ああ、同じように感じている人たちもいるんだ」と喜んだものでした。いわゆるその時期に多かった“目覚めた人”の中の1人が私です。
その時に、サッカーを通じて拉致問題を知ったのでした。ですから、この2002年は色んな意味で私たちの運命を変えたとも言えます。あれから本当にたくさんの出来事があり、そのたびに笑い、泣き、してきました。
この拉致問題が解決するまで、そして解決しても、空と海の青色の、日本人の優しい心を表すこのブルーリボンを、少しずつでもいいから私は作り続けたいと思っています。
*100円ショップで見つけたギフト用のリボンで作りました。キラキラ光ってとってもキレイなんですよ〜!
*ブルーリボンのコサージュ aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/35665790.html
|
| よど号グループと北朝鮮 福留貴美子さんの軌跡 ('07 1/15 AERAより) |
( 2007.3.5,月 ) |
*写真はすべて「よど号グループに真相を究明する会」より提供していただいたものです。
幼い頃から、父が語るモンゴルの草原に憧れた。どうしても行きたい。思わぬチャンスと思ったのだろう、彼女は羽田から飛び立った。しかし、行き着いた先は北朝鮮だった。
編集部 小北清人(こきたきよひと)
*もう一つの拉致 福留事件の30年 「よど号犯」の妻になった24歳 http://aoinomama13.seesaa.net/article/34173424.html
年表中、黒字はよど号グループ関連 青字は福留さん関連の出来事
1951年12月 高知県香美郡(現・香美市)で生まれる 1969年1月 東大・安田講堂が陥落 8月 「赤軍派」結成(塩見孝也議長) 1970年3月 県立山田高校卒業。モンゴルに憧れていた。綜合警備保障に就職。大阪万博の会場に勤務後、東京に転勤 3月31日 田宮高麿幹部をリーダーとする赤軍派メンバーの9人、日航機よど号をハイジャック。北朝鮮・平壌に入る 1972年2月 連合赤軍による「あさま山荘事件」。その後、粛清された同志14人の遺体が見つかる。国内の赤軍派は壊滅、新左翼運動は衰退に向う 5月30日 日本赤軍の3人がイスラエルのテルアビブ空港で銃乱射。2人が射殺され、岡本武容疑者の弟が捕らえられる 1973年7月 綜合警備保障を退社 1974年4月 専門学校に入学 5月 「青年チュチェ研」の第1回総会が東京都内で開かれる 1975年5月6日 金日成主席が「5.6教示」。「よど号のメンバーにも結婚相手を見つけ、代を継いだ革命を行わなければならない」 11月 よど号グループ・小西隆裕容疑者の恋人が日本から北朝鮮に入る 1976年3月 専門学校を卒業。保育士の免許を取得 春ごろ 田宮幹部が「妻の獲得」を朝鮮労働党に提起。「結婚作戦」が開始される。以降、76年から77年にかけて、チュチェ研などに関係していた女性たちが北朝鮮に入り、メンバーと相次いで結婚 6月 パスポートを取得 7月 「モンゴルに行く」と言い残して羽田から出国。第三国を経由し、最終的に北朝鮮に。岡本武容疑者と結婚させられる。八尾恵元店主の著書によると、福留さんは「モンゴルに行くはずだったのに、ここに来てしまった」と話したという 1977年 長女を出産 1979年暮れ 欧州を舞台にした日本人獲得工作開始 1980年3月 日本に入国し、横浜の友人宅に2泊。高知に帰郷すると言って新幹線に乗ったが、実家には戻らず
4月 バルセロナの動物園で、よど号グループの妻2人と石岡亨さんが一緒に写った写真が撮られる。彼女らと知り合った石岡さんと松木薫さん、北朝鮮に拉致される 6月 伊丹空港から出国 1981年 次女を出産 1983年6月〜7月 有本恵子さん、留学先のロンドンで八尾元店主に誘われる。北朝鮮工作員キム・ユーチョルに引き渡され、北朝鮮に拉致される 1985年9月 よど号グループ・吉田金太郎メンバーが死亡。病死とされる 1988年5月 よど号グループの1人と妻の八尾元店主が日本の潜伏先で逮捕される(のちに離婚)。この年、よど号グループの妻6人に旅券返納命令が出される 1992年4月 金日成主席、訪朝した日本の報道関係者に「よど号グループには妻も子もいる」発言。メンバーに妻子がいる事実が明らかになる 1994年7月 金日成主席、死亡 1995年春 田宮高麿幹部がジャーナリスト高沢皓司氏に「岡本の妻は日本人」と告げ、「いまは連絡がつかないところにいる」 11月 田宮高麿幹部が死亡。心臓麻痺とされる 1996年3月 よど号グループ・田中義三容疑者、カンボジアで逮捕される 春 「岡本夫妻が漁船を乗っ取り脱出を図ったが阻止され、収容施設に隔離されている」との外電が流れる 8月7日 朝日新聞、岡本容疑者の妻は高知県出身の福留貴美子さん(実名は伏せる)と報道 9日 よど号グループの支援者から「地方にいた岡本夫妻は88年、土砂崩れで死亡した」との話が流され、報じられる 1997年3月 「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」結成 10月 金正日書記、朝鮮労働党総書記に就任 1998年5月 母親の信子さん、小渕外相(当時)に真相究明の要請書を提出 2002年1月 信子さんが死去 9月17日 小泉純一郎首相が訪朝し、初の日朝首脳会談。金総書記、日本人拉致を認める 2004年 福留さんの2人の娘が日本に帰国 2006年2月 北京での日朝実務者協議で日本外務省が北朝鮮に対し、福留さんを含む36人の安否確認を求める 11月 「救う会高知」が「福留さんは拉致された疑いが強い」として高知県警に告発状を出し、高知市内で集会を開く 12月 高知県警、告発状を受理 田中義三受刑者、病状悪化で大阪の医療刑務所から釈放、千葉県内の病院に移される
*よど号グループと北朝鮮 福留貴美子さんの軌跡 ('07 1/15 AERAより) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/35614172.html
|
| 3/4 TBS「報道特集」空前の亡命計画の行方 |
( 2007.3.4,日 ) |
*写真は'06 12/10「映像とシンポで語る北朝鮮」(彩の国 さいたま芸術劇場)の第2セッションでお話をされた韓国の人道活動家・文国韓(ムン・クッカン)さんです。崔永勲(チェ・ヨンフン)さんから「力を貸してくださった日本の皆さんへ」と絵をたくさん描いて預けられたそうです。メディアの方と北朝鮮難民救援基金の加藤博さんに贈られました。(あおいのママ撮影)
*3/4TBS放送の「報道特集」を文字化しました。今回の番組の内容について、2/12の講演会で「北朝鮮難民救援基金」の野口孝行さんが詳しくお話してくださっています。その要旨レポートがございますので、よろしかったらご覧ください。「北朝鮮難民救援基金」はこの番組の映像協力をされています。
「娘が日本に行くというので、私もついていきます」中国の港から船で韓国・日本へ。北朝鮮を捨てた人たちが抱く亡命の夢―。「ここを撮影してください。アザがあります・・・」脱北者支援者を待ちうける過酷な運命。脱北者80人による空前の大量亡命計画、その行方は―。
空前の規模 脱北者亡命計画
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「北朝鮮をめぐる六ヵ国協議での合意を受けまして、週明けから米朝、そして日朝の協議が行われます。そこでは「北朝鮮への支援」ということがキーワードになりそうなんですが、肝心の拉致問題、あるいは北から逃れる人々・脱北者問題については、国際的関心から置き去りにされてしまうんでしょうか?
今日の特集は「大量の脱北者を日本に亡命させる」という脱出計画についてお伝えします。前代未聞の大型脱出計画、関係者の初めての証言などを交えて取材しました。」
史上最大!脱北者亡命計画
【ナレーター】 中朝国境を流れる豆満江(トマンガン)。今年は暖冬ですが、それでも凍結しています。向こう岸に広がる北朝鮮の風景。雪と氷に覆われた川面には、人の足跡が向こう岸まで続いていました。その近くにあるアパートの一室。そこは脱北者が潜伏するシェルターでした。
この女性は1月下旬、撮影の5日前に脱北して来たばかりです。
【1月下旬に脱北した女性】 「食糧の値段が急に値上がりしました。突然生活が苦しくなりました。去年の11月からです。こちらに来て、お金を稼いで戻る予定で脱北してきました。」
【ナレーター】 生活の苦しさから国境を越える北朝鮮の人々。その流れは止まっていません。
【脱北者支援をしている元北朝鮮工作員】 「北朝鮮からの電話によると『配給がない』ということでした。2007年に入ってからは(食糧難だった)96年・97年の状態と同じになっていると・・・。」
【ナレーター】 「配給はなく食糧事情も悪化した」と話すこの女性、北朝鮮の工作員でしたが脱北し、今は脱北者を助ける活動をしています。
【脱北者支援をしている元北朝鮮工作員】 「『脱北した女性を助けてほしい』と電話がありました。でも、今の状況ではどうしようもないです。」
【ナレーター】 中国国内に数十万人いるとされる脱北者。中国当局の摘発が厳しさを増す一方、多くの脱北者は少人数で東南アジアに逃れ、その後韓国へ亡命しています。しかし、4年前の2003年、それとはまったく異なるかたちで練り上げられた史上最大規模の亡命計画があったのです。
(2003年1月撮影) 「早く明日にでも韓国に行きたいです。それしかありません。」 「とにかく祖国を裏切って出て来たから、政治犯として扱われてそれで終わりだと思います。」
カメラに向って訴える脱北者。2003年の1月にNGO関係者が撮影した映像です。シェルターに集まった脱北者たち。目前に迫った大規模亡命計画には暗号名がありました。その名は“リボン”。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】(2003年1月撮影) 「書き方ですが、この名前の欄に・・・」
【ナレーター】 “難民申請書”の書き方を説明しているのはチェ・ヨンフンさん。韓国人の支援者です。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】(2003年1月撮影) 「船は小さいので、大きな船が通り過ぎると揺れます。また、エンジンが壊れる場合もあります。慌てるでしょうが、その時船長の言うことを聞かないと沈没します。」
【ナレーター】 脱北者に注意を与えるチェさん。彼は中国山東省にある煙台の港から脱北者たちを船で韓国や日本に運ぼうとしていたのです。中国東北部の各地から別々に集まった脱北者。煙台に複数あるシェルターには、この日までに50人以上が終結していました。空前の大規模亡命計画“リボン”の全貌とは―。
煙台の港に用意された2隻の木造漁船。沖には38トンの大きな船が待機しています。およそ80人の脱北者のうち、日本へ向う40人はこの大きな船に乗り換えます。3隻の船はしばらく一緒に航行した後、分かれます。2隻の漁船は韓国・楸子島(チュジャトウ)を目指し、大きな船は長崎・佐世保沖に向います。
“リボン”計画決行の4日前、脱北者たちは支援者のカメラに向って自らの思いを吐露しました。
【支援者】 「おばあちゃん、名前と歳を教えてください」
【脱北者 キム・ウングムさん(当時73)】 「名前はキム・ウングム、歳は73。」
【ナレーター】 耳が遠いこのお年寄りはキム・ウングムさん。
【支援者】 「北朝鮮で一番つらかったのは何ですか?」
【脱北者 キム・ウングムさん(当時73)】 「一番大変だったこと?何て言うか、全部大変だったよ。食べ物も自給自足だし、台所の火も自分でおこしていた。木を集めなくてはならないことが大変だったよ。でも、食べていくことが一番大変だったね・・・。」
【ナレーター】 キム・ウングムさんは亡命計画にこんな夢を託していました。
【脱北者 キム・ウングムさん(当時73)】 「子どもたちがそこにいるから。そろそろお迎えも近いから会わなくちゃね。」
【支援者】 「子どもたちはどこにいるんですか?」
【脱北者 キム・ウングムさん(当時73)】 「子ども・・・、うちの長男が韓国にいるよ。長女も韓国にいるしねぇ・・・」
【ナレーター】 ウングムさんは脱北した子どもたちとの再会を夢みていました。そして―。
【脱北者 リ・オッキさん(母)】 「96年から98年までは飢え死にした人も多かったです。たくさん見ました。」
【ナレーター】 こう話すのは、リ・オッキさんと娘のパク・ヒャンスクさん。1998年に脱北してこの街、煙台に逃れて来ました。ヒャンスクさんが15歳の時でした。
【脱北者 リ・オッキさん(母)】 「祖国(北朝鮮)の人から『捕まれば高い罰金を払わされる』と言われ、一か所に集まりました。娘はその人の家に預けました。」
【ナレーター】 「安全のために娘を他人の家に預けた」と言う母・オッキさん。しかし、娘のヒャンスクさんは・・・。
【脱北者 パク・ヒャンスクさん(娘)】 「私は中国の南の方に売られてそこにいました。」
【支援者】 「じゃあ、他のところに売られたわけですね?」
【脱北者 パク・ヒャンスクさん(娘)】 「お母さんと離れてすぐに南の方へ・・・。そこに行ってからはつらいことばかりでした。そこの人たちにバカにされたり、若いからこき使われたり、苦労は限りなくしてきました。」
【ナレーター】 ヒャンスクさんは身売りされた先での生活について、難民申請書にこう記していました。
「その家には息子がいて、結局彼の嫁として売られたようだった。私を束縛して、夜は逃げないように服も隠され、ドアも外からカギをかけられた。その家で陵辱されながら・・・。」
ヒャンスクさんは1年後に逃亡、廃品を拾っては売るという日々を送りながら母親を捜し続けました。そして―。
【脱北者 パク・ヒャンスクさん(娘)】 「たった今お母さんと再会できました。もうお母さんと離れたくない。」
【ナレーター】 会えたのは撮影されたこの日でした。実に4年ぶりの再会。二人はこんな夢を語りました。
【脱北者 リ・オッキさん(母)】 「娘が日本に行くというので、私もついて行きます。」
【脱北者 パク・ヒャンスクさん(娘)】 「日本へ行って勉強したいです。とにかく発展した国だから。言葉を一生懸命勉強して就職しようと思います。」
【ナレーター】 脱北者の夢を託した“リボン”計画。しかしこの時すでに不吉な情報が入っていました。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】 「昨日連絡した場所はなくなりました。捕まったんです。(中朝国境の)延吉は修羅場ですよ。捕まった人が泣きながら電話してくるんです。」
【ナレーター】 支援者のチェ・ヨンフンさんのもとに届いた情報。それは「中朝国境・延吉にいた脱北者10人が捕まった」というものでした。
狭まる包囲網。当時、相次いだ脱北者の駆け込み事件によって、中国側の取り締まりは強化されていたのです。史上最大規模の脱北者亡命計画“リボン”。その行方は。
チェ・ヨンフンさん、そして現場にいた脱北者らの証言をもとに当時の状況を再現します。
【取材者】 「チェさんが捕まったのはどこですか?」
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】 「ここです、煙台の駅前です。私の周り半径50メートル以内にいる中国人も含めたすべての人が捕まったんです。」
【ナレーター】 (再現VTR)2003年1月18日の早朝、チェさんは煙台の駅前にいました。ここは集合場所、脱北者を待っていたのです。物音を聞いて振り返るチェさん。中国の公安当局の車でした。チェさんは周りを取り囲まれてしまいました。
脱北者のキム・ヨンチョルさんも娘と共に“リボン”計画に加わるため煙台駅に来ていました。
【脱北者 キム・ヨンチョルさん】 「駅前で座っていたら、撮影機みたいなものを見たんです。あれは何だろうかと。そして北朝鮮の住民票のようなものを見せられ、車のところまで連れて行かれたんです。」
【ナレーター】 カメラによって記録に残された脱北者の拘束。娘といた脱北者のヨンチョルさんも警官に周りを囲まれ、そのまま捕らえられてしまいました。そして全員煙台にある拘置所へ連行されたのです。煙台駅前だけではありません。前日の1月17日にはシェルターに潜んでいた脱北者11人が拘束。18日未明には、煙台の港に到着したばかりの脱北者10数名が拘束されていました。
計画失敗の理由について、韓国人支援者チェ・ヨンフンさんは「情報の漏洩や密告があったのではないか」と推測しています。
大規模亡命計画“リボン”は決行寸前で阻止され、脱北者・支援者合わせて62人が捕まりました。そして彼らはその後過酷な運命をたどることになります。
5日後、中国政府は拘束した脱北者の処遇について「国内法と国際法に照らして人道主義的に解決する」との公式見解を表明。ところが翌日には拘束した脱北者たちの強制送還を開始します。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】 「送り返された何人かは殺されたでしょう。彼らの死の責任は中国政府が負うべきものです。」
大亡命計画 脱北者の運命
【ナレーター】 「日本で生活する」という夢を語っていたリ・オッキさんとパク・ヒャンスクさんの母娘。身柄を北朝鮮に送られ、それ以降の消息はわかっていません。そして、韓国にいる息子や娘との対面を楽しみにしていたキム・ウングムさんは・・・。
【キム・ウングムさんの娘 ペ・ミョンオクさん】 「連れて来られたらどんなによかったか・・・」
【ナレーター】 泣いているのは、キム・ウングムさんの娘で韓国に住むペ・ミョンオクさんです。
【キム・ウングムさんの娘 ペ・ミョンオクさん】 「この手で母に温かいご飯を思う存分食べさせられたらと・・・」
【ナレーター】 キム・ウングムさんは「北朝鮮へ送還された直後、取調べ中に脱水症状を起こして亡くなった」といいます。
【キム・ウングムさんの娘 ペ・ミョンオクさん】 「本当に(北朝鮮に送還した)中国もひどすぎる。あんな年寄りに下心があるはずないのに。ただ子どもに会いに来ただけなのに・・・。」
【ナレーター】 一方、北朝鮮に強制送還されながらも生き延び、その後再脱北を果たした人物がいます。
【脱北者 イ・ガンチョルさん】 「保衛部に入るやいなや・・・人間扱いされません。」
【ナレーター】 イ・ガンチョルさん。「北朝鮮の保衛部で取調べを受け、過酷な体験をした」といいます。
【脱北者 イ・ガンチョルさん】 「穴はこれくらいで、この上に窓があって、ここから手を出したり入れたりします。」(絵を描いて説明)
【ナレーター】 (再現VTR)監視カメラのついた部屋に6人ずつ入れられた脱北者。仲間同士の会話も許されません。
【脱北者 イ・ガンチョルさん】 「朝の5時に起きて顔を洗い、このように座って夜の10時から11時までいます。動けないし、腰を伸ばしてちょっとでも動くとすぐに看守が来て殴られます。」
【ナレーター】 (再現VTR)睡魔に負けてウトウトしたりすると、すぐに看守に呼び出されます。監房の小窓から両手を差し出すよう命令され、看守はイ・ガンチョルさんの手を拳銃で力いっぱい打ち据えたといいます。
【脱北者 イ・ガンチョルさん】 「手錠をかけられたまま拳銃で殴られると、骨が砕けそうでした。」
【ナレーター】 脱北は初めてだったため、3ヶ月で解放されたガンチョルさん。その後再び脱北し、今は広告デザイナーをしています。
亡命失敗 支援者に拷問
【ナレーター】 一方、亡命計画を主導した韓国人チェ・ヨンフンさんは、「不法な越境を組織した罪」で中国の刑務所に収監されました。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】 「刑務所には夜、看守がいませんでした。他の囚人に殴られて記憶喪失になりました。」
【取材者】 「何人に殴られたんですか?」
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】 「1、2、3、・・・11人です。」
【ナレーター】 (再現VTR)中国の刑務所にいるチェさん。中国人の囚人たちに両手足を強く押さえつけられ、毎晩殴られました。「拷問は45日間続いた」といいます。
【人道支援家 チェ・ヨンフンさん】 「看守は表には出てきません。刑務所では中国人の囚人が他の囚人を管理します。」
【ナレーター】 チェさんによると、「囚人たちの暴力を看守に訴えても改善されないばかりか、10日間食事を抜かれ、水だけで過ごしたこともあった」といいます。
刑務所内の病院に連れて行かれた時の話をするチェさん。服を脱ぎ始 | |