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2007年02月の日記

藤沢警察署の調査会ポスター
( 2007.2.26,月 )

 昨年暮れ、神奈川県横浜市の交番(横浜駅西口)に、特定失踪者問題調査会作成のポスターが貼られている写真をご紹介しました。救う会神奈川が昨秋、県警本部に要請活動を行った際にポスター掲示をお願いしたところ、後日、県警から「ポスターを送ってほしい」との連絡があり、救う会神奈川から90枚を送りました。

 あおいのママは神奈川県に住んでいないので、県内の警察には縁もなく、その後県警に送られたポスターを見ることはありませんでした。しかし先日、救う会神奈川関係者が所用で藤沢警察署に行った際、ポスターが署内ロビーに貼ってあるのに気がつき、写真を撮って送ってくださいました。本当にありがとうございます。

 日頃「まったく警察は何してるのかしらねぇ〜」なんて口癖のように言ってしまうのですが、このことは本当にありがたくうれしく思っています。民間の調査会の作成したポスターを貼るのは、警察にとってはあまり歓迎できないことだと思います。なので県警には感謝の気持ちでいっぱいです。

 要請活動をされた神奈川の皆さん、ご家族の皆さん(大澤茂樹さん・高野美幸さん・寺島佐津子さんのご両親・河嶋功一さんのお母さん)、そしてすべての特定失踪者のご家族の皆さん、調査会の皆さん、支援者の皆さん、本当によかったですね!何か情報が得られますよう、心よりお祈りしております。

*'06 10/23 救う会神奈川の要請活動
http://aoinomama13.seesaa.net/article/26084485.html
*神奈川県の交番に調査会ポスター
http://aoinomama13.seesaa.net/article/29857535.html

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*写真は'06 12/16の横浜駅前街頭活動の時に交番前(横浜駅西口)で撮影したものです。特定失踪者・大澤孝司さんのお兄さんの茂樹さんと寺島佐津子さんのお母さん、神奈川のスタッフの皆さんです。

*'06 12/16 横浜駅前街頭活動
http://aoinomama13.seesaa.net/article/31330695.html

*藤沢警察署の調査会ポスター aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34734127.html

1/14 神奈川県民集会 斉藤文代さん
2007.2.25,日

*写真はあおいのママの撮影です。

*1/14 神奈川県民集会レポートについてのお知らせ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/31479029.html

*講演内容を文字化しました。聞き取りに間違いのある可能性もございます。どうぞご了承ください。(主催者よりレポートの許可をいただいております)

【司会者】
 続きまして、拉致被害者・松木薫さんのお姉さんである斉藤文代さんにお話をしていただきます。それではよろしくお願い致します。(拍手)

【斉藤文代さん・松木薫さんの姉】
 皆さま、今日はありがとうございます。いつもいつも私たちの話を真剣に取り組んで聞いていただきまして本当に感謝申し上げます。本当に私たちのこの拉致問題は長い年月がきております。あの、私はまだ娘ですから、その年月に関してはそんなに戦いは短いのですけれども、有本さん、私の父母、本当に長い年月、いなくなってから苦しみぬいて現在まできております。

 本当に家族は苦しんで、このような、有本さんもそうですけどこういう場で家族が訴えるというのは、私の父はいませんけど、有本さんのお父さんを見ているとね、同じような気持ちで私はお話をさせていただいて、本当に苦しかったんだ、本当に大変だったんだね、と思います。

 私も今も苦しんでおります。母は今現在病院の方で入院しておりますけれども、やはりあの「死んでも死に切れない」という言葉はここにあるんじゃないかな、と私は思いました。昨年12月もノロウィルスが流行りまして、母も年ですから感染致しました。それで私もしばらく会う事はできませんでしたが、2日ぐらい経ってから私の方に「状態が悪くなった」という事を看護婦さんに聞かされまして、「どうしたんですか?」という事で聞きしましたら、やはり体力がないもんですから「心臓が一応止まった」と。「でもすぐ応急処置をして蘇生しました」と。「本当に早い処置ができて、また元気に息をしてよかったね」と看護婦さんたちも言ってくれます。

 家族が帰って来ることを応援してくれて、一生懸命になって取り組んでいてくれているんです、皆さんがですね。本当に「ここで今待っている家族が会えないで逝く」という事は私は耐えられません。

 やっと安倍総理が今まで色んな問題に取り組んできて立ち上がってくださいました。私も期待しております。ですから戦うべきところには、やはり昔の戦後の人間は正しいものは正しいと、悪いものは悪いと言って取り組んでまいりました。私は父や母の姿をいつも見て育ってきていましたので、優しくしてくれたり強くしかってくれたりしている姿を見ておりますから、今それが少し人間が平和になったせいか忘れられているんじゃないかなと。政治家の方々も一生懸命やってくださっているのはもう本当にわかるんですけれども、もっと正しいものは正しいと、悪いものは悪いと、突き進んで真剣に取り組んでいただかないと、この問題はもういつまで経っても私は解決しないと思っております。本当に今が正念場じゃないかと、今年が正念場じゃないかな、と私は思っております。

 私は母と弟を会わせたいという一心ですので、看護婦さんたちにお任せしていて、自分の部屋に戻って来るまでは食事を与えるのも任せておこうと思ったんですけど、やはり娘である私は母と接してきていますから、一口でも食べてもらえればまた元気になるんじゃないかと思いまして、私は全部殺菌消毒してマスクをして病室の方に行きまして、母に「今あなたが頑張らなければ。みんな頑張っているんだから、家族は。ねっ、あなただけじゃないのよ!」と「ご飯を食べてちょうだい!」と声をかけました。そして少しずつですけれども、口の中に一生懸命入れました。で、あの案外母は食べ込みが上手なもんですから、少し食べ込んでくれると戻さないで元気になるのも早いんですよ。私たち家族はこのようにみんな努力しております。

 やっと拉致対策本部も大勢の方で立ち上がりましたので、ぜひ今回は皆さんに何らかの喜びが感じ取られるようにやっていただきたいと、もう難しい事は何もいう事は私はないと思っています。政治家の方々皆さん心掛けてやられれば解決ができない問題でもないんです。色んな事に一生懸命やっていただければ私はいつか解決できると。そのいつかというのが、先を長くしてもらうと困るんですけれども、なかなか母もそんなにもう待てないという事私わかっておりますので、時間がないのはもうわかっておりますけど、一生懸命取り組んでいただきたいと。

 本当に家族が帰って来る、その1日でもいいんです、母は。私たちの弟の顔を見て、父のところに行くのと行かないのでは、私のこれからの人生にも悔いが残りますので、真実、正しい事で私も貫き通して生きたいものですから、これをやっていただきたいと政府にお願いしたい限りです。

 また皆さま方にも、本当に長い間をお願いして参ってきています。もう少し応援していただきたいと思っております。何としてでもいい日が来ますように、私たちも出来る限りの事は致します。ですから、これからも皆さま方にもお力を貸していただきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。(大拍手)

*1/14 神奈川県民集会 斉藤文代さん aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/41724893.html

日本国内における脱北者支援の現状と問題点
2007.2.24,土
 '06 12/12北朝鮮人権大使サミットにて配布された『脱北者支援民団センター』の資料をご紹介します。(写真はすべて資料より転写させていただきました)

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*日本から北朝鮮へ約9万3千人が送り込まれた。(写真は万景峰号)

【脱北者支援民団センター】

1、在日脱北者問題とは

 日本にいる在日出身の脱北者数は現在100余名と推定される。中国で偽造旅券を入手して入国するケースもあり、日本政府も正確な数は把握していないと思われる。一方、韓国には8,000人以上が入国している。

 韓国内の脱北者は、まれに元在日朝鮮人や日本人、その家族等が存在するが、大半が北朝鮮で生まれ育った人々だ。日本に入国した100余名は、全て元在日朝鮮人や日本人妻・夫とその家族である。

 在日脱北者問題の発端は、1959年から始められた「在日朝鮮人帰国運動」(いわゆる「北送事業」)だ。1984年までに、187回にわたり総93,340人が北朝鮮に渡った。この中には、日本人妻・夫およびその子女6,839人の日本国籍者が含まれている。

 北送事業は人道・人権の名の下に、北朝鮮赤十字会と日本赤十字社との間に「協定」が結ばれ、当時の国会で同「協定」への支持が超党派で決議されたほか、ほとんどのマスコミが賞賛する中で実施された。まさに朝野を挙げての事業であった。過去の植民地支配の清算というよりも、在日韓国・朝鮮人を治安・民生の両面から負担視する日本政府と、「地上の楽園」との宣伝によって、労働力不足を補う格好の手段とする金日成政権の狙いが、人道・人権の名によって一致した事業と言われている。(当時の日本各紙には、北送同胞の乗る新潟行きの列車を止めようと線路に集団で横たわったり、断食闘争を行うなどの反対運動を展開した在日本大韓民国民団(民団)を反動と表現した記事が目立った)

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*民団の北送反対闘争 中央民衆大会(1959.8.15 光復節)

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*線路に横たわり北送列車を防止する人民団団員

2、脱北から日本入国に至る経路

 1994年頃からと言われる食糧難などにより、10万人とも20万人とも言われる大量の脱北者が中国に入っていることは周知の事実だ。この中に、日本にゆかりの人々がいても何ら不思議はない。元在日朝鮮人のほとんどは韓国地域にルーツを持つ人々であり、北朝鮮地域には本来、縁がない人々である。日本での生活体験が思想的に問題を含んでいるとして、大多数の人が要注意者として監視の対象とされてきた。慣れない生活に不平・不満をもらしただけで、反社会分子として行方不明になったケースが多々あると伝えられている。

 脱北してから日本国内に至るまでの経路は、大別して二つある。中国国内に潜伏した後、在中国日本公館に駆け込むルート。もう一つは、中国国境から数千キロの厳しい行程を経て、東南アジアなどの第三国にある日本の公館に辿り着くルートである。現地での日本側の対応は、脱北者が元在日朝鮮人や日本人、その家族であるかどうか人定調査を行い、確認が出来た者のみ日本入国を認めている。(「支援体制がある韓国行きを暗にすすめられる」との脱北者の証言もあるが)

3、日本における支援事業の現況

 原則的に、現地の日本領事館担当官が日本の空港まで脱北者を引率してくる。そこから先は、バトンタッチされた民間団体が全ての支援活動を行っている。脱北者支援民団センター、北朝鮮難民救援基金、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、脱北帰国者支援機構などが主となっており、在日韓国人や多くの日本の方々の善意に支えられ、定着・自立の為の支援にあたっている。

 入国に際しては外務省から事前連絡があり、支援団体の活動は、空港で脱北者を出迎えた(受け取り?)時点から本格的にスタートする。住居を事前確保したうえで、ガス・トイレ・浴室など、住居の使用方法から始まって電話のかけ方、バスの乗り方、切符の買い方、スーパーでの買い物、ゴミ分別の仕方など日常生活の全てから、北朝鮮や中国と日本との社会体制の違いなどを得心してもらう。役所での手続、銀行などの利用方法を実際に現場で説明し、理解してもらうなど、多岐にわたる。これらの仕事は、多くのボランティアの支援で成り立っている。

 脱北者の3分の1ほどがPTSD(心的外傷ストレス障害)になっている。これは当センターが行っている、精神科医によるカウンセリングで明らかになった。拉致事件やミサイル発射・核実験などにより、日本の対北朝鮮イメージは著しく悪化している中で、脱北者たちは自己の存在が周囲に知られないよう、息をひそめての生活を強いられている。また、就職もままならず、経済的にも劣悪ななかで、北朝鮮に残した家族を想い、孤独に耐えながら生活している。なかには耐え切れず、アルコールに溺れたり、行方不明になっているケースもある。当然起き得ること、と言っても過言ではない。

 脱北者の日本における法的地位でも、国籍が「無国籍」になっている人が大半で、「就業面接で無国籍が説明できない」「脱北者であることを言えない」など、意欲があっても職に就けず、悪循環に陥っているのが現状と言えよう。

4、急がれる公的支援

 日本政府は1959年当時、人道的な事業として“地上の楽園”への「北送事業」を推し進めた以上、相応の結果責任があると見なければならない。また、日本に受け入れたのであれば、支援体制を講じるのは当然のことであり、彼らが一日も早く定着し、自立する為、一刻も早く体制整備に取り組むべきであろう。

 北朝鮮の混迷は拡大こそすれ、終息するものではない。第三国で待機している日本入国希望の脱北者は、今も数多くいると言われている。今後ますます増加するであろう脱北者の為にも、彼らを一日も早く難民と認定し、今年3月まで稼動していたインドシナ難民の一時収容施設等を再度活用し、定着・自立の為の支援に動き出すべきだ。大きな意味では、この「元在日脱北者」も拉致被害者と言える。民間の善意のみに頼るのではなく、公的に対応してこそ、名実共に人道・人権を尊重する国として評価されるのではないか。

*脱北者支援民団センター
http://mindan.org/

*日本国内における脱北者支援の現状と問題点 aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/39456814.html

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 守る会・宋允復さん(第1セッションにて)
( 2007.2.23,金 )

*写真はあおいのママの撮影です。

*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35392196.html

続き

【守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん】
 すみません、時間があまりありませんが私も一言言いたいのですが。RENK・高英起(コ・ヨンギ)さん'66年生まれ、私は'67年生まれで1歳違いです。それで彼は高校から朝鮮高校に通ったんですけど、私は小学校です。もう何か懐かしいというか、でも1回もこの映画は観ませんでした。

 当時プロパガンダの映画はいっぱい観ていたんですけど、すでにもう朝鮮学校でも「北朝鮮ってウソばっかりだよ」とか「生産計画も超過達成したなんて報告、あれも全部水増しした数字ばかりでウソだ」というのは子どもの間でも常識で、時々先生も本当のことをポッポッと口をすべらしていましたから、「ああいう映画を見せたら逆効果である」と理解されたようで、ほとんど観る機会がありませんでした。

 それで、実はああいうプロパガンダが、「アメリカのせいでこれだけ苦しんでいる」「日本に支配されていた時はこれだけひどかった」というプロパガンダを、私が小学校に入ったのは'74年ですから映画の10年後です。で、最近北朝鮮から色んな資料が出てくるんですけども、子ども向けの紙芝居のような階級・・資料というのが'95年、この映画から30年経って見たんですけど、その内容を見ても未だに「南の子どもたちはボロをまとい、飢えて学校にも通えず、搾取されています」ということを延々と言っているんです、'95年でも。今でも最近までも言っているんですね。

 それを見て私が思ったのは何かというと、これだけ「戦前、日本の植民地でひどい目に遭っていた」「今韓国の人たちもひどい目に遭っている」と、その具体的な描写の中身っていうのは、今北朝鮮で現に起きていることなんです。北朝鮮の普通の中央都市で起きていることです。あんまり不幸を一生懸命イメージ化して、しつこくしつこく思い続けて教育し続けていると、自分たちがそうなるということなんです。(会場笑い)

 それで先ほど高柳先生からもありましたが、どうしても朝鮮半島問題に関わると、過去の経緯も色々あって「誰が悪い、何が悪い」という話になるんですけれども、もう一回ゼロに戻して「本当に幸福に生きるためには何が必要なんだ、何が大事なんだ」と、ゼロベースで考えるっていうことをやらないと、話がありましたが、どうしても「人のせいにしたがる」っていう傾向があるんですね、コリアンも含めて。

 朝鮮問題に関わると「あれが悪い」「誰が悪い」とそうじゃなくて、「幸せに生きたいんだったら何をこれからどうしましょうか」というのが大事なんだと思っています。(大拍手)

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。ちょっと司会の不備でずいぶん時間が押してしまい申し訳ありませんでしたが、第1セッションを終了させていただきます。

終わり

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 守る会・宋允復さん(第1セッションにて) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35467509.html

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第1セッションにて)
( 2007.2.22,木 )

*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 RENK・高英起さん(第1セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35245675.html

続き

【ジャーナリスト・萩原遼さん】
 三浦さん、一つ提案なんですがね、北朝鮮の農業問題専門家の李ミンボク先生がせっかくお見えですので、あの1963年に撮られた作品で、僕はあの当時は農業はやはり上手くいっていたと、あれは事実であったと思いたいんですが、そのことについて李ミンボク先生に事実かどうかと。ああいう豊かに実るあの稲穂。

 それから水利は私どもも見ました。川が下から上へ上がっていくというのは現物見ましてね、それは事実だったんですが、あんなに(白米を)てんこ盛りにして食べられるほど食糧事情が解決し、かつ2000万の人の、南朝鮮で飢えた人どうのって言うのがね、その辺をちょっと聞いていただけないでしょうか?

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 はい、わかりました。では李ミンボク先生一言だけ、壇上の方に。第2部でも語っていただきますが、北朝鮮に向けて風船のかたちでメッセージを飛ばしている李ミンボク先生、皆さん、拍手でお迎えください。

(通訳は守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さんです)

【守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん】
 この方(李ミンボクさん)は簡単にご紹介しますと、北朝鮮の科学院という所で農業の研究員をなさっていた方で、脱北のきっかけというのは、'80年代に中国を視察しまして、「中国式の農業改革を北朝鮮に導入すべきだ」ということを提起して、それで政治犯として捕まりそうになって慌てて逃げた、ということです。

 当時は金日成を信じていましたので、「こういう良い提案をすれば喜んで採択してくれるだろう」と思ったところが、個人の農業を認めると提案したら、「こんな反社会主義なものを言っているのは誰だ」ということになって逃げたと。それで、今の話について。

【李ミンボクさん】通訳:守る会・宋允復(ソン・ユンボク)さん
 今、'60年代に豊作だという映像を出していましたけれども、私がすでに子どもの頃には穀物政策は話にならない状況で、コメなんていうものは望めなくて粟ですね、粟飯。本当に砂粒を噛むようで、子ども心に食べたくなかったという思いがあります。それでもう'60年代からすでに腹を空かせていました。

 ソ連から小麦用に入種しまして、'60年代末頃ですけども、その頃がやはり一番配給事情が良かったです。先ほど盛んに映画の中で“自力更生”という「自分たちの力ですべて必要な物は調達するんだ」というスローガンが出ていましたけれども、実態としては自分たちでは調達できていなかったのです。

 実際にある程度国内で自分たちの力でまかなえたというのは'70年代の初半ですね、'74年頃までです。ようやく「とうもろこしならある程度まかなえる」そういう状況にありました。そこがちょっと心配なところなんですが、とうもろこしがまだ自給できていたのに、その頃から配給を1ヶ月あたり2日分ずつ減らしていました。

 北朝鮮のこうしたウソというのは、現にそこで暮らしている私たちにとっても「何でだろう?何でこんなウソをつくのだろう?」と理解できないくらいのものだったんです。'74年〜'75年頃はまだそれなりに配給で食べられたんですけれども、何でそこから配給を減らすかといいますと、戦争のための備蓄ですね。備蓄のために1ヶ月あたり、4日分ずつは与えないと。

 '80年代に入ってから、だんだんひもじいことが出てきました。私は農業の研究員として在籍していまして、もう'80年代には「これは餓死が生じるな」と予見しまして、金日成親子に提起したことは何かと言うと、「中国式の個人営農、共同農業ではなくて、個人に農業を営む権利を認めるべきだ」と、こういう提起を致しました。

 一般的には「北朝鮮で餓死が生じたのは'90年代」と知られていると思いますけれども、私たちは専門家でありますから、実際には'80年代後半、'87年から私が羅津(ラジン)に視察した時には餓死している人を直接見ています。私はもうすでにその'80年代後半には、「これは大量餓死が発生するな」と予見しまして、'90年に金日成親子に対して中国の実績を踏まえて「中国式の農業改革をすべきである」という提案をしました。

 私は、これは愛国心から忠誠心から出た行為だったんですけれども、返ってきた答えというのは「お前は反動分子である」ということになってしまいました。それで思想的には、個人に商売として農業を認めるっていうことは、これは反動思想になります。これは処刑の対象になります。

 それまで金日成に対して大変忠誠心を抱いていまして、父とも親とも仰いでいたんですけれども、その返ってきた結果を見まして、「これは違うんだな」と気づいて、また、このまま(北朝鮮に)いたら反動ということで殺されそうだというので逃げ出した、というのが事実です。

 それでやはり私が予見した通り'90年に入ったら餓死が発生しまして、ここまでの間に「300万人が餓死する」という大量餓死が発生してしまいました。金日成親子は明らかに知っていました。「このまま放っておけば餓死が発生するであろう」と明らかに知っていながら、人為的に、改革解放を拒んだこの人たちは餓死の原因を作った人です。二人とも、金日成・金正日とも悪いんですけども、もっと悪いというのは金正日なんです。

 '94年に金日成は、当時の韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領と首脳会談をしようとしました。何故かと言うと「戦争をやることもできないし、このままでは行き詰っていくので何とかそれを打開しよう、食糧事情を改善しよう、そして中国式の農業改革をやろう」ということで首脳会談を決意したんです、金日成は。

 金日成はもちろん悪いんですけども、それでもまぁ人民には瓦屋根に米の飯、牛肉は100パーセント約束したこともありますし、何とか大量餓死だけは阻止しようと努力する人ではあったんです、それでも。ただ、金正日はそうではなかった。「自分の政治のためなら犠牲が出てもかまわない」というそういう考えだったんです。

 私たちは北朝鮮から来た人間として「金正日が金日成を殺した」という噂については半信半疑であったんですけども、萩原遼さんの本を読んで「あっ、なるほどやはり事実はそうだったんだ」と確信させられました。人民に知られれば、核爆弾が爆発したぐらいの衝撃をもたらす話なんですね。

 それをその話をこのようなビラ、ビニールですけど印刷しまして、風船で北朝鮮に送り込むんです。今それで北朝鮮は大変騒動が起きています。午後に時間をいただいておりますので、その映像をご覧いただきたいと思います。ありがとうございました。(大拍手)

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*李ミンボクさんが萩原さんに差し上げたビニールのビラです。そのうちの1枚を譲っていただきました。二枚重ねで、風船で空から飛ばすとヒラヒラと蝶のように舞いながら落ちて来るそうです。

*風船 飛んでゆけ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/29598445.html
*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第2セッションにて)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/32638352.html
*'06 12/17 TBS「報道特集」(1)北を揺るがす“風船メッセージ”
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33070875.html

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。

(守る会・宋允復さんのお話に続く)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 李ミンボクさん(第1セッションにて) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35392196.html

『週刊現代』の「蓮池薫さんに拉致されかけた」証言を全面否定した政府への公開質問状
( 2007.2.21,水 )

*写真は2/11四市協議会講演会(埼玉)であおいのパパが撮影しました。記事は4ページでした。

【'07 2/17週刊現代より】

本誌は1月6・13日合併号で、'78年に拉致され、北朝鮮にいるはずの蓮池薫さんが、'86年に愛知県立西春町立(現北名古屋市立)鴨田小学校に忽然と現れ、その蓮池さんに拉致されかけたという元同校教諭・横井邦彦氏の証言を掲載した。横井氏によれば、蓮池さんが横井氏を拉致しに来た目的は、北朝鮮に日本革命の根拠地を築くにあたってリーダーとしてスカウトするためだったが、結局、拉致に失敗して引き上げたという。蓮池さんは本誌と横井氏の取材を拒んだが、記事掲載後、政府の拉致問題対策本部とともに、記事が事実無根であるとの声明を出した。

荒木和博(特定失踪者問題調査会代表)

 まず、誤解を生まないようにするため申し上げておきたい。拉致問題について、最もその責任を負うべきなのはいうまでもなく北朝鮮当局、金日成(キム・イルソン)―金正日(キム・ジョンイル)体制である。そして、その次に責任のあるのは国民が拉致されたにもかかわらず、救出できなかった、というより、救出しようとせず、逆に隠蔽してきた歴代のわが国の政権である。さらに言えば、日本は民主主義の国なのだから、そのような政権を作ってきた私たち国民一人ひとりも責任から逃れることはできない。

 家族会の副代表をされている飯塚繁雄さんは、大韓航空機爆破事件の犯人金賢姫(キム・ヒョンヒ)の教育係、田口八重子さんの兄である。金賢姫の自白によって李恩恵(リ・ウネ)という拉致された日本人のことが分かり、それが後に八重子さんであると特定されたとき、マスコミからは爆破事件の犯人のような扱いをされたという。飯塚さんは当時「妹は拉致被害者なのに、なぜ加害者のような扱いを受けなければならないのか」という思いをしたと語っている。

 昨年末、本誌『週刊現代』が報道した「蓮池薫さんは私を拉致しようと日本に上陸していた」という記事は大きな反響を呼んだが、もし、これが事実だったとしても、それはやむを得ず行ったことであり、非難すべきは何よりもまず北朝鮮当局なのは言うまでもない。その上で以下、政府に問いたい。

 まず、前述本誌記事の横井邦彦氏の証言は事実だったのだろうか。残念ながら、現時点ではそれを証明することはできない。横井氏がその場で問題の人物と一緒に写真を撮ったとか、声を録音したわけではないから証拠がないのだ。蓮池氏自身も否定している。

 しかし、逆に言えば「そうではない」と反証することもできないのである。私は1月末、都内で横井氏に会って当時の話を聞いたが、そこには特に矛盾と思われるものはなかった。例えば、私たちは拉致の大部分は本人の家族関係とか資質、状況などを調べて狙いを定めて行うと言ってきた。横井氏を拉致しようとした人物は、母親と二人暮らしの横井氏に「(北朝鮮に行ったら)お母さんには会えないけれど仕方ないでしょう。私もそうでしたから」と言ったという。家族関係を調べていたのだ。

 また、横井氏を選んだのは左翼活動の経歴を調べたからだろう。おそらくは横井氏の所属していた政党(社会主義労働者党)か、その周辺に北朝鮮のエージェントがいたのだろう。そのような全体の流れ、枠組みはどれも符号する。

警察は蓮池さんの対日工作を知っていた

 気になるのは、蓮池薫氏の兄、蓮池透氏の著書『奪還 第二章』(新潮社刊)126ページに書かれた〈北朝鮮のパスポートを所有していますね。日本国内へ工作活動に来たのはいつですか?誰にも言いませんから〉といった記述である。

「北朝鮮のパスポートを所有していますね。日本国内へ工作活動に来たのはいつですか?誰にも言いませんから」

「北朝鮮で日本語教育というある意味でスパイ養成に加担したわけですが、どういうお気持ちで?」

弟は、「日本国内になんて、入れるわけがないだろう。日本語教育は、われわれが生き残るためにやったまでなのに・・・あなた方は助けに来てくれたのか?」と激怒したそうです。状況を聞いた私は開いた口が塞がりませんでした。

蓮池透著『奪還 第二章』より

 新潟県警が'04年秋に蓮池宅で行った事情聴取の模様だ。確かに蓮池氏が怒るのももっともだ。しかし、なぜ警察はこのような質問をしたのか。

 '02年10月に帰国した蓮池さん夫妻、地村保志さん夫妻、曽我ひとみさんの拉致被害者5人には、今でもマスコミの個別取材は許されていない。これには当時『救う会』(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の事務局長だった私にも責任があるのだが、帰国直後、5人は2週間程度で北朝鮮に戻るつもりでいた。それを翻意させ、他の被害者の情報を出してもらうため、私たちは殺到する取材を規制せざるを得なかった。その報道規制は、本人たちが日本に残ることを決意し、北朝鮮に残してきた家族が帰国した後も続いている。

 『家族会』(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)の人たちにさえ、彼らはすべてのことを話していない(少なくとも何人かのご家族はそう感じている)。私もこれまで何度か、帰国した5人に「北朝鮮で見たことを話して欲しい」と書いた手紙を送っているが、事実上ほとんど黙殺といった状態である。それどころか、蓮池透氏の前述著書では私が出した手紙に言及し、〈特定失踪者問題調査会から「知っていることは早く話してほしい。後で間接的に事実が明らかになったら、あなた方が非難されます」というような内容の脅迫めいた手紙が来たりするのです〉とすら書かれている。

 事実を話して欲しいと直接手紙を出した人間は何人もいないだろう。政府関係者もマスコミも、大多数が腫れ物にでも触るように扱っているのである。それなのに警察が何の根拠もなくこんなことを聞くだろうか。当局はこの透氏の記述が真実なのか、真実ならなぜそう聞いたのか、政府に改めて質問したい。

 ちなみに、帰国する以前に蓮池薫氏とよく似た人物を日本国内で見たという情報は複数存在するという。横井氏も、そして金正日政治軍事大学で蓮池氏を目撃した元工作員・安明進(アン・ミョンジン)氏も、'02年10月15日、羽田空港に着いた特別機のタラップを下りてくる姿を見て気づいたと言っている。おそらくあの映像を見て「あのときの人だ」と思った人が他に何人もいたのだろう。

安倍総理はパンドラの箱を開けよ

 ところで、一般論として拉致被害者が日本に戻ってきて工作活動に関与する可能性はあるのだろうか。私には間違いなく「ある」と断言できる。

 例えば福留貴美子さんの例。福留さんは'76年、騙されて北朝鮮に入国して出られなくなり、その後『よど号』グループの一人である岡本武と結婚させられた。騙されて入って出られなくなったという意味では、'83年に欧州留学中に『よど号』メンバーの元妻によって北朝鮮に連れ去られた有本恵子さんと同じケースである。

 福留さんは'80年に一度日本に戻っている。何の目的に入国だったのか明らかになっていないが、北朝鮮当局が観光のために送り出したのでないことは子供でも分かる。そして、日本に戻って工作活動に携わるようなことを北朝鮮当局が福留さん一人だけにやらせることはありえない。

 日本人拉致の目的は様々である。しかし、その中に対日工作が大きな比重を占めていることは間違いない。だから北朝鮮当局が必要だと思えば日本に送って活動させるのは当然である(この場合人質として家族は必ず北朝鮮に残される)。ちなみに、地村さんについては帰国前に日本で目撃したという話は聞こえてこない。工作活動への関与の深さの違いを表すものかも知れない。

 さて、年末の本誌前述記事の反響が年も明けて一段落した1月11日、蓮池氏の拉致に関して「北朝鮮対外情報調査部の指導員二人が拉致の実行を指示していたことが警察当局の調べで分かった」との報道があった。蓮池氏は拉致された後、北朝鮮で二人の指導員から「狙いは女性だった」「お前は一緒にいたから連れてきた」と説明されたというものだ。

 この話は北朝鮮で蓮池氏が聞いたものなのだから、ネタもとは彼以外に考えられない。そして本人が直接マスコミに話すはずはないので、政府関係者からのリークだろう。しかしこの内容は極めて不自然である。

 蓮池さん夫妻ら5人が帰国して、当初2泊3日東京に滞在していたとき、私は『救う会』事務局長として近くで見ていた。5人のリーダーが蓮池薫氏であることは一目瞭然であった。どう考えても、78年当時蓮池さんと付きあっていた祐木子さんが目的で、蓮池氏をついでに拉致したとは思えないのである。

 政府認定拉致被害者と、特定失踪者(拉致の可能性のある失踪者)で男女(夫婦ないしアベック)でいなくなっているケースは大部分が'70年代及びその前後に集中している。

 もちろん、この時期でも松本京子さんや横田めぐみさんら一人で連れて行かれるケースもあるが、とにかく当時、二人まとめて拉致すれば精神的に安定し、北朝鮮での生活に適応できるとの方針があったことは推測できる。さらに、もともと一人だけを狙っていたのにわざわざ二人分の装備や人員を準備するとも考えられない。したがって、仮に祐木子さんがターゲットだったとしても、連れて行こうとしたときにたまたま蓮池氏がいたということにはならない。

 私にはこの発表が、昨年暮れの本誌報道から国民の目をそらすために出されたものではないかと感じられる。このことも政府に問いたい。

 蓮池薫氏は〈(日本側は持っている拉致情報を)できる限り秘密にしておいて、北朝鮮が何か新たな作り話を持ち出してきたときに、その反証として使うのが最も効果的だろうと考えていた〉(前掲『奪還 第二章』124ページ)という。

 しかし、拉致が金日成・金正日政権の国家目的によって行なわれたことはすでに明らかだ。乱暴な言い方のようだが、細かい論証など北朝鮮には時間の余裕を与えるだけである。5人を帰国させた時がそうだったように、北朝鮮は論理的に追い詰られて行動するのではなく、相手が強いと思った時初めて動くのである。

 警察がこれまで立件した拉致実行犯は皆、北朝鮮など外国にいる人間であり、日本に残留している実行犯は一人として罪に問われていない。政府認定拉致被害者である田中実さんや原敕晁さんにしても実行犯は分かっているのに何も手を付けられていないのである。

 そんな状態で、これまでもたびたび政府関係者からのリークと思われる報道がなされてきた。ここですべてを語る余裕はないが、私にはどれもが拉致問題の本質を隠蔽しようとしているように見える。横田めぐみさんの拉致ですら、西村真悟衆議院議員の国会質問と産経新聞・AERAの記事で大きな関心を呼んだ'97年2月より遥か昔、おそらくは拉致された'77年11月15日からそう時を経ずして北朝鮮の拉致だと分かっていたという話もある。少なくとも'90年代半ばには「中学校1年生の少女拉致」という安明進氏の情報が韓国政府から日本政府にもたらされているのである。もたらされた情報で調べればすぐ本人が特定できたはずだ。調べなかったのか、あるいは分かったが隠蔽したのか、このことを政府に質したい。

 拉致問題にハッピーエンドはありえない。私たちは、やがて明らかになった全貌を前に「こんなことなら、パンドラの箱を開けなければ良かった」と思うときが来るだろう。しかし、私たちはどんなに辛くてもパンドラの箱を開け、真実に向きあわなければならない。

 安倍総理は通常国会の所信表明演説で「戦後体制の見直し」に言及した。その言葉に期待したいが、何十年もの間、北朝鮮によるこの一種の戦争に目をつぶり、あるいは隠蔽し続けてきたのがまさに「戦後体制」である。それを覆すためには総理自身が自らの政治生命、場合によっては物理的生命も捨てる覚悟でやっていただくしかない。

 最後に私は重ねて政府に問いたい。今まで数十年間、何を隠してきたのか、政府はどこまで真実を知っているのか、そして拉致被害者たちをどうやってとり返すのか、万一とり返せなかった時に、その責任は誰がどう負うつもりなのかと。

荒木和博/拓殖大学教授。1956年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒業後、民社党本部、『救う会』事務局長などを経て現職。蓮池さんの帰国時には新潟に同行し、蓮池家に寝泊まりするなど、帰国当時の蓮池さんを間近で見てきた。

横井邦彦/1951年、名古屋市生まれ。愛知大学法学部卒業後、小学校教諭となる。'85年に社会主義労働者党を結党し、愛知県委員長に就任。'86年に辞職し、参院選に出馬、落選した。'86年に蓮池さんに拉致されかけたと証言している。

*『週刊現代』の「蓮池薫さんに拉致されかけた」証言を全面否定した政府への公開質問状 aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34461809.html                                            

2/19 NHKニュースウォッチ9 “めぐみさんに捧げる歌”
( 2007.2.20,火 )
*友人のリクエストにより、2/19放送の一部を文字化しました。

(スタジオに歌が流れる)

【アナウンサー・女性】(スタジオにて)
 今、流れていますのは、めぐみさんのために作られた「SONG FOR MEGUMI」という曲です。今夜はスタジオに横田滋さん・早紀江さん、そしてこの曲を作られたポール・ストゥーキーさんにお越しいただきました。どうぞよろしくお願い致します。

【横田滋さん・早紀江さん】
 よろしくお願い致します。

【アナウンサー・女性】
 通訳をお願いしますのは、この曲作りに関わられたヤス・永井さんにお願いします。滋さん、グッと心に染み入るようないい曲ですよねぇ。あの、滋さんご自身もよくピーター・ポール&マリー(P・P・M)の曲を聴いていた、ということなんですが・・・。

【横田滋さん】
 それは我々年代のものですと、みんなよく聴いて育ちました。

【アナウンサー・女性】
 そのポールさんから最初に「娘さんの曲を作りたい」と聞いた時は、どんなお気持ちでしたか?

【横田滋さん】
 それはもう高名な方が作ってくださるということは、本当にありがたいと思いまして、ぜひお願いしますって・・・。それで(昨年の)9月頃にお話があって、それから最初のサンプル版ができて、徐々に歌詞が入っていってかたちになりまして、やっと(2月)17日に成田空港でお目にかかって、昨日ライブで直接聴かせていただいたんですが、それは心に染みるいい曲で、これを世界中の方が聴いて歌ってくだされば拉致の解決に大きな力になると思って、ありがたく思っています。

【アナウンサー・女性】
 早紀江さん、やはり歌の持つ力っていうのも相当大きいですものね。

【横田早紀江さん】
 はい、ポールさんの歌っていらっしゃった「花はどこに行ったの」とか、「風に吹かれて」とかね、あと2〜3曲、若い頃によく歌っていましたので、本当にあの方が歌ってくださるのかなぁって、もう夢のような話でですね、本当にめぐみは幸せな人だと思います、そういう意味では。本当にありがたいことです。

【アナウンサー・男性】
 ポールさんは横田さんご夫妻と最初に会われた時に、どんな印象を持たれました?想像した通りの方だったですか?

【ポール・ストゥーキーさん】
 本当にもっと優しい顔からすると、お会いした時に、優しい方っていうことは想像していたんですけど、実際にお会いすると非常に芯の強い方で、本当にとてもすばらしい感性のある方だということをよく感じております。

【アナウンサー・男性】
 真っ先にどんなことをお話になったんですか?横田さんご夫妻と。

【ポール・ストゥーキーさん】
 早紀江さんにもお話したんですけど、ちょうど同じ年頃のお嬢さんをお持ちだということと、先ほどの(めぐみさんの着物の)写真も拝見しまして、自分の娘を日本に連れて行った時に、あのような格好をさせて草履まで履かせたということを先ほど早紀江さんとお話して、「非常に同じ気持ちでおります」と。ご両親と同じ気持ちでおります。

【アナウンサー・男性】
 あの、ピーター・ポール&マリー(P・P・M)と言うと我々の世代もそうですが、キング牧師公民権運動、それからベトナムの反戦運動ということで、社会的なメッセージを送り出してきた、というイメージが強いんですけれども、今回この「SONG FOR MEGUMI」作るにあたって、どんな思いをポールさんは込められたんでしょうか?

【ポール・ストゥーキーさん】
 本当にたった一人の少女が誘拐されたということに対しまして、非常な怒りを感じると同時に、その自分の声で何とか彼女を呼び戻したい、その気持ちをご両親に本当にお伝えしたい、という気持ちで作りました。

【アナウンサー・女性】
 はい、今日はその歌をこのスタジオで演奏していただきます。準備をよろしくお願いします。

 今回のこの曲が収録されたアルバムというのは、21日、あさってCDとして発売されるんですが、そのポールさんの分の収益はすべて「めぐみさん基金」として拉致被害者の家族の全体の活動のために使っていく予定だということでございます。

【横田滋さん】
 ありがたいことだと思っております。

【アナウンサー・女性】
 しかもとても覚えやすい、心に馴染みやすいステキなメロディーですよね。

【アナウンサー・男性】
 優しいメロディーですよね。

【横田滋さん】
 歌詞の中には、北朝鮮とかいったまったく強烈な言葉はまったくありませんけど、聴くと非常によく親の気持ちが伝わります。

【アナウンサー・女性】
 今、スタジオで準備をしていただいています。今日はギターの演奏とバイオリンの演奏、そしてポールさんのステキな歌声で「SONG FOR MEGUMI」を生演奏していただく予定です。

 それではお聴きください。ポールさんで「SONG FOR MEGUMI」。

「SONG FOR MEGUMI」

めぐみ こっちに来て あなたはどこに
風の中に あなたの声が聞こえます

あなたはまだ若い乙女なのに 
すべての夢を砕かれたのよね
そして別れのあいさつどころか
何の言葉もなくいなくなったの

めぐみを私に返してください
荒ぶる大海の向こうより
力の限り魂を叫びなさい
私の心なら必ずそれが聞こえるから
そしたらあなたは家に帰るのよ

私に返してください 私のめぐみを

(スタジオは大拍手に包まれる)

【アナウンサー・女性】
 どうもありがとうございました。

【ポール・ストゥーキーさん】
 最後の部分ラリラララ〜というところに、本当に自分の深い祈りを込めておりますのでどうぞご理解ください。本当に希望と祈りを込めてお贈りしておりますので。(早紀江さんの足に手でポンポンする)

【アナウンサー・女性】
 早紀江さん、改めてどのように聴かれましたか?

【横田早紀江さん】
 本当にあの新潟時代にですね、いなくなった頃に本当に海の近くを何度も何度も泣いて捜し回っていた時の波の音とか、風の冷たい感じとか、どこからか声が聞こえてこないかなといっつもそれを長い時間捜していたことがですね、本当にこう肌に感じてね、歌がもうすぅーっと入ってきて、本当に感激しています。

【アナウンサー・女性】
 滋さん、改めて。

【横田滋さん】
 やはりあのポールさんの人柄からお分かりのように、やっぱり愛の力っていうのは何でも強いっていうかたちで作ってくださったと思いますんで、そういう気持ちがよく伝わります。

【アナウンサー・男性】
 ポールさんから横田さんご夫妻にもう一度メッセージがあるとすれば、どういう言葉を贈りたいですか?

【ポール・ストゥーキーさん】
 本当にそのままでいらしてください。今めぐみさんいらっしゃいませんけど、本当に彼女と一緒にセレブレイトしたいという気持ちでございますので、このまま頑張りましょうということを伝えたいと思います。

【横田滋さん】
 一緒に曲が聴ける日が一日も早く来ることを私たちも願っています。

【アナウンサー・女性】
 めぐみさんも歌を歌うことがとても好きな娘さんでいらっしゃったんですよね。

【横田早紀江さん】
 そうなんです。いつも大きい声で歌っていましたのでね、本当にこんなに思っていただいて、たくさんの方に助けられ一生懸命に思ってくださる方がいてくださる、海の向こうからね、こんなにすばらしい方がね、歌って、私どものためにみんなのために歌ってくださっているんだと、本当にきっと魂が、さっきの歌のように届いているだろうと思うんですね。必ず帰って来たら一緒に歌ってもらいたいと思っています。

【アナウンサー・女性】
 はい、どうも今夜はありがとうございました。特集でした。

(みんなで「ありがとうございました」)

*ノエル・ポール・ストゥーキーさん公式サイト
http://www.paul-sanjapan.com/

*2/19 NHKニュースウォッチ9 “めぐみさんに捧げる歌” aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34277001.html

もう一つの拉致 福留事件の30年 〜「よど号犯」の妻になった24歳〜 ('07 1/15 AERAより)
( 2007.2.19,月 )
*写真はすべて「よど号グループに真相を究明する会」より提供していただいたものです。記事は5ページでした。

【'07 1/15 AERA・No.2より】 編集部 小北清人(こきたきよひと)

幼い頃から、父が語るモンゴルの草原に憧れた。どうしても行きたい。思わぬチャンスと思ったのだろう、彼女は羽田から飛び立った。しかし、行き着いた先は北朝鮮だった。

福留貴美子さん01.jpg

'76 いま、どこに・・・ 色あせかけた、1枚の写真がある。写っているのは、福留貴美子さん。かつて高知の自宅前で撮影されたものだ。昼は働き、夜は専門学校に通っていた。旅先で知り合った友と騒ぐのが好きだった。

 高知県警本部5階の一室。2006年12月18日、午後のことだ。「救う会高知」の役員4人に、警備部長が切り出した。「精査した結果、受理すべき相応の理由があると判断しました。関係部署と連携を取り、事案の全容解明に努力します」

 「もう一つの拉致」を訴えた告発状は受理された。4人は県庁の県政記者室で記者会見。声明文が読み上げられた。

 「物部川が流れ、山桃が実る故郷へ貴美子さんが帰ってくる日まで・・・」

 福留貴美子(ふくとめきみこ)さん。高知県出身。1976年7月、「モンゴルに行ってくる」と言い残して日本を出国したまま行方不明になった。失踪当時、24歳。その彼女が北朝鮮にいて、あの「よど号事件」の犯人の一人の妻にさせられていたことが明らかになったのは、失踪から20年後、96年夏のことだった。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 「ある女性を捜しているんだ。協力してくれないか」

 神奈川県茅ヶ崎市の喫茶店。筆者がジャーナリストの高沢皓司氏と会ったのは96年7月だった。高沢氏には平壌(ピョンヤン)にいるよど号ハイジャック犯のリーダー、田宮高麿へのロングインタビューや、メンバーの妻となった日本人女性たちへのインタビューをまとめた著作がある。よど号グループに独自の人脈を築いていた。が、最大の取材源だった田宮が前年11月に急死、グループとの間に亀裂が生まれていたように思う。

 当時、筆者は朝日新聞大阪本社社会部の記者だった。高沢氏と旧知の社会部デスクに彼と会わないかと言われ、茅ヶ崎に飛んでいた。

 女性の特徴はおおむね、こうだった。「高知県出身で、姓はフクトメかフクトミ、下の名はキミコとかキメコとか・・・。高校では剣道部に所属し、山間地の実家には大きな山桃の木がある。彼女が、よど号の岡本武(おかもとたけし)の妻なんだ」

 よど号ハイジャック事件について簡単に説明しておこう。

 69年1月に東大・安田講堂が陥落し、学生運動が退潮する中、武力闘争を志向する過激派グループ「赤軍派」が生まれた。70年3月31日、赤軍派メンバー9人が羽田発福岡行きの日航機よど号をハイジャック、乗客を人質に、平壌に向うよう要求。交渉の末、よど号機は平壌から日本に戻ったが、9人は平壌にとどまった。

 京大農学部出身の岡本武は有力メンバーだったが、80年代になると外部に姿を見せなくなった。80年代半ば、日本に届いた手紙には「朝鮮で当地の女性と結婚し、幸せな生活を送っている。そっとしておいてほしい」。自身の朝鮮名、妻の北朝鮮女性の名前も記されていた。

電話攻撃で人物は割れた 記事が出た2日後、死亡情報が流された

 その妻が、実は朝鮮人ではなく、高知県出身の日本人――。高沢氏は前年春に田宮から情報を得ていた。

 大阪に戻り、高知県の電話帳を取り出し、「フク」から始まる姓に片っ端から電話をかけて「親類か知人に、こういう特徴の人はいませんか」と聞いた。対象は約200件。何十件目かで「これは」という人に当たった。「70年代半ばに娘さんが行方不明になった福留さんというお宅がある」。「北朝鮮」という話も出てきた。結果として該当の女性は「福留貴美子」で、実家の住所もわかった。

 目指す家は高知市からタクシーで1時間余りの町にあった。「貴美子はうちの娘ですが」母親の信子さんは、貴美子さんの写真を見せてくれた。貴美子さんの私物の大半は、父・正信さん(84年死去)が「もし北朝鮮にいるのなら大変なことになる」と焼却していた。「北の影」を恐れたのだろうか。家に「山桃の木」はなかった。だが、貴美子さんがいたころに一家が住んでいた、林道を上った山頂に近い家には確かに「山桃の木」があった。

 「妻は20年前失踪の高知県の女性/『よど号』事件 岡本容疑者」8月7日付の朝刊に記事は出た。

 2日後。「岡本夫妻、北朝鮮で死亡か?」朝日記事への回答のような記事が、各紙に掲載された。情報源はよど号グループの日本国内の支援者とみられ、福留さんを妻と認めたうえで、2人が88年ごろ作業中の事故で死亡した、というものだった。

 8月22日、田宮に代わるグループのリーダー、小西隆裕(こにしたかひろ)の手紙を携えた支援者が信子さん宅を訪れた。手紙は、「2人は80年代初め、グループと別に北朝鮮の工場か農場で働きたいと申し入れてきた。84年には別の招待所に移り、話し合いを続けたが、合意に至らなかった。86年夏、地方の農場に行くことになって子供2人を我々に預けたが、88年夏、土砂崩れで死亡したとの通知を北朝鮮側から受けた」などと説明し、訪朝を促していた。

 その後も、よど号グループと親交のあった高知県選出の井上泉元社会党衆院議員(故人)、社会党高知県本部訪朝団の一員として訪朝経験がある病院事務長、自治労出身の元県議ら高知の「よど号」人脈と東京の支援者が相次いで訪れ、貴美子さんの死亡届提出と訪朝を信子さんに詰め寄った。

 97年2月、横田めぐみさんの拉致問題がアエラと産経新聞に報じられ、国会質問に取り上げられた。3月にはめぐみさんの両親らが「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成する。しかし、朝鮮労働党と友好関係にあった社会党の後身、社民党系の月刊誌7月号には、めぐみさん拉致を「荒唐無稽で、創作された事件というほかない」という文章が堂々と掲載されていた。

 2000年、東京での拉致被害者救出集会に信子さんは高知から参加、貴美子さん失踪の真相究明と救出を訴えた。信子さんは02年1月に亡くなる。

福留貴美子さん02.jpg

*北朝鮮で撮られた福留さん(右)の写真。左は故・田宮高麿幹部の妻、森順子(もり よりこ)容疑者。いまも平壌にとどまる。

'96 真夏のスクープ 「岡本容疑者の妻は高知の女性」。記者は報じた。が、経緯は不明だった。彼女が主体思想を学んだ形跡はない。よど号との関係も見えてこない。騙されて出国していたとは――。記事には、拉致の視点は欠落していた。

妻は20年前失踪の高知県の女性/「よど号」事件 岡本容疑者

故田宮容疑者、生前に明かす

 日航機「よど号」ハイジャック事件で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に渡った元赤軍派メンバーのうち、ただひとり現地の女性と結婚したと伝えられていた岡本武容疑者(五一)の妻が、実際は高知県出身の日本人(四四)であることが六日、わかった。公安当局もこの女性の確認を急いでいる。この女性は高校を卒業後上京し、「海外旅行に行く」と言い残したまま失踪。一九七〇年代半ばに北朝鮮に渡ったらしい。岡本容疑者は政治的対立から他のメンバーと離れているといわれ、動静は不透明のままだ。

 「よど号グループ」のリーダーだった田宮高麿容疑者=去年11月に死亡=が生前、ジャーナリストの高沢皓司さん(四八)に明らかにしていた。

 それによると、この女性は七六年夏に、第三国経由で北朝鮮に入った。現在、岡本容疑者との間に十代後半の娘が二人いるという。

 高知県在住の母親(七九)らの話では、女性は県立高校を卒業後、東京で就職。

 都内の同じアパートに住んでいた友人に七六年七月、「海外旅行に行く。年末には帰ってくる」と言い残して出たまま、行方を絶った。荷物は部屋に残したままだった。

 翌七七年夏、この女性の名前で「お金には不自由していない。もう一年ほど外国にいるつもりです」と書かれた、東欧の消印の手紙が届いた。これを最後に実家への連絡は途絶えた。

 母親は「娘がいなくなってから眠れない毎日が続いた。でもどこかに無事にいるのではないかと思い、それを支えに二十年間、生きてきた。元気で帰って来ることだけを願っている」と話した。

 岡本容疑者の動静についてはこれまで、「北朝鮮の女性と結婚し、北朝鮮に帰化した」とされていた。

よど号ハイジャック事件
 一九七〇年三月、赤軍派メンバー九人が日航機「よど号」を乗っ取り、北朝鮮行きを強要。同機は平壌に到着し、メンバーは北朝鮮当局に投降した。吉田金太郎容疑者(死亡)を除く八人とも現地で結婚しており、岡本容疑者を除く全員の相手が日本人とされていた。

1996年8月7日付・朝日新聞朝刊

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

「何だって?本当?川口(順子)外相の間違いじゃないの?」02年8月末、平壌。アエラに異動していた筆者は北朝鮮にいた。北朝鮮に入りたいマスコミ関係者は、北朝鮮当局か在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に申し込むか、声がかかるのを待つ。が、表玄関では無理とみた記者は独自ルートを持つ筋と接触し、入国を試みる。筆者もその手を使った。

 農場見学を終えて移動中の小型バスの中。案内人が興奮した様子で切り出した。「小泉首相が、わが国を訪問する」模範農場のスピーカーから、それを伝える放送が流れたという。信じられない。首相は「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」と明言していた。北朝鮮が拉致を認める?あの北朝鮮が?

 案内人は有頂天な様子で、市民に感想を聞こうとする筆者らを何ら止めようとしなかった。「近くて近い関係になればいいと思います」。事前学習したように、女性が確か、こうしゃべった。話を終え、筆者らがその場を離れようとしたときだ。女性は案内人に近づき、オドオドした様子でいった。「これでよろしかったでしょうか?」「よしよし」と満足げに応じる案内人。相互監視の中では住民は与えられた役柄を演じるしかないのだ。

 その数日前の夜、よど号グループの2人と会った。仲介者の条件は「絶対にマスコミ関係者とバレないように。きわどい質問もなし」。場所は外国人用ホテル地下のカラオケルーム。2人は「無罪帰国が実現しない限り、日本には帰らない」と持論を展開し、昔の学生運動用語を連発する彼らの周りだけ、時間が凍結されたようだった。

金正日が拉致を認めた 騙されて入った彼女も拉致被害者ではないのか

 話が終わり、土産の食べ物や洋酒を手にロビーに出た2人を短髪に白のスーツ、鋭い目の大柄な男が待っていた。男に促されるように2人は高級外車に乗り込み、平壌の闇に姿を消した。

 9月17日、日朝首脳会談。金正日総書記は日本人拉致を認め、日本中が衝撃で揺れた。よど号グループが欧州で拉致した3人の名前もあった。拉致問題は日朝の最大テーマとなり、日本政府による新たな拉致被害者認定が始まった。

 05年4月、田中実さん、認定。06年11月、松本京子さん、認定。

 福留貴美子さんはどうか。事件のカギは「モンゴル」だ。同級生たちの話によると、戦前に旧満州で憲兵をしていたともいう父親は、幼い彼女に寝物語でモンゴルの話を聞かせていた。高校の入学式も卒業式も父親が出席し、彼女は「お父さん子」だった。大草原を駆け回るイメージに憧れ、モンゴル関連の本を集めていた。

 警察官に憧れ、高校で剣道部に。が、採用試験に落ちて警備会社に就職。70年の大阪万博の警備にも関わった。東京に転勤したが、間もなく退社。昼は働き、夜は保育専門学校に通った。

彼女を送り出した人間と受け入れた人間がいる 北朝鮮と直結した―

 モンゴルに行きたい思いは消えなかった。独学でモンゴル語を勉強し、友人と会う時もモンゴル語の辞書を持ち歩いていた。モンゴル行きの貯金もしていた。しかし、70年代半ば、社会主義体制下で閉鎖政策のモンゴルに一人で行くのはまず不可能だった。

 「日本とモンゴルは72年に国交正常化するが、一般の人が行こうと思っても到底無理。留学も、75年暮れに東京外大の学生2人行ったのが最初。観光は1週間程度で、費用は約50万円。旧軍関係者の墓参目的で行く人が大半。当時、私は東京外大の学生だったが、月の生活費が5万円。とても出せる額ではなく、諦めたのを覚えている」(窪田新一社団法人日本モンゴル協会理事長)

 都内のモンゴル大使館や日本外務省を訪れた彼女は門前払いされる。「モンゴルへの直行便はない。でも、第三国経由なら入れる」。諦めきれない思いを彼女は友人に打ち明けている。

 そんな彼女からモンゴルに行く話しを幼なじみのAさんが聞いたのは、76年春。Aさんは3年ほど、福留さんとアパートで同居していた。「途中で、ある人と落ち合えれば、モンゴルに行ってくる。落ち合えなかったら年内に帰ってくる」しかし、どこで、どんな人間と会うかを彼女は教えなかった。「そう不思議には思わなかった。あの頃はフラッと海外に出る人が結構いた。放浪の旅から戻った友達もいたから」

 7月中旬。Aさんら友人たちが福留さんと一緒に山手線に乗った。「羽田空港まで送ろうか」しかし、福留さんは「すぐには行かない。一泊して出るから」と断った。有楽町駅か浜松町駅か、友人たちの記憶は食い違う。いずれにせよ彼女は「じゃあ」とホームに降り、姿を消した。

 「いま羽田空港。いまからモンゴルに行く。2、3ヵ月、ゆっくりモンゴルを見てくるから」郷里の友人に彼女は、念願がかなった喜びの電話をしてきた。「親には言ったの?着いたら必ず連絡ちょうだい」

 国内の旅に出ると、旅先から絵はがきを送ってくれる彼女だった。その年の秋ごろ、彼女から手紙が届いた。消印は東ベルリン。「もう少しでモンゴルに入れる」。彼女の筆跡だった。「キミちゃん、夢に向って一歩一歩近づいているんだな」友人はそう思った。

 彼女がどこで、誰に会ったかはわからない。しかし、行き着いた先は北朝鮮だった。出国から3ヵ月後には長女を妊娠している。

 平壌で彼女と一緒だった「よど号メンバーの妻たち」に一人、八尾恵元店主は著書に書いている。「(労働党の)指導員は福留さんを岡本武と結婚させようとしましたが、彼女はなかなかそれを承諾しませんでした」「『福留さんは岡本に夜這いされて言うことをきくようになった』という話をよど号メンバーの男性たちが笑い話としてよくしていました」

 福留さんは「モンゴルに憧れ、行くはずだったのにここに来てしまった」と悲嘆したという。

 「妻たち」はみな75〜77年に北朝鮮に来た。小西隆裕の恋人を除く大半が北朝鮮の「主体(チュチェ)思想」の普及を唱える団体に関わったことがあり、勉強名目で北朝鮮行きを誘われ、現地でよど号メンバーとの結婚を労働党に迫られたとみられる。金正日主席の「よど号メンバーにも結婚相手を見つけ、代を継いだ革命を行わなければならない」との指示を受け、労働党は、思想的に北朝鮮に同化できる女性たちに目をつけたようだ。その意味では「妻たち」も騙された「拉致被害者」といえるだろう。

 が、福留さんには主体思想と関わった形跡がみえない。自室の本棚に北朝鮮関係の本はなかった。彼女が残したアドレス帳を見た関係筋は「主体思想普及の組織関係者の名前は見当たらない」。友人Aさんも「長い間、一緒だったからわかりますけど、貴美子さんは運動みたいのはやってないですよ」と明言する。

 アドレス帳を見る限り、専門学校で共産党系の自治会活動に関わったフシはある。が、学生運動に深入りした形跡はない。しかも共産党と朝鮮労働党の関係は当時悪化していた。

 気になるのは労働党の友党だった社会党。岡本武の妻だと報じられ、すぐ母親の懐柔に動いたのは社会党系の面々だ。「救う会高知」が告発状の中で福留さんと関わった可能性があると暗に言及した、モンゴルの旅行では老舗の旅行会社がある。当時、この会社のオーナーでモンゴルとの親善交流団体を運営する人物は、北朝鮮との文化交流団体の理事。自治労会館内に営業所を置いたこともあり、周囲は「もともと自治労、社会党系」との見方で一致する。

 しかし、この人物は「まったく寝耳に水の話。福留なんて名前も初耳だ。警察だって来てない。よど号とは昔、田宮高麿が本を買ってくれと訪ねてきたときに会った程度。自治労会館に営業所を置いたのは、近所で、たまたま部屋が空いていたから」と全面否定した。

よど号01.jpg

*よど号グループに合流した「ナゾの人物」小川淳氏。(右端)1982年、ウィーンで撮影。中央は土井たか子元社会党委員長。

 出国から3年後、福留さんから東ベルリン消印の手紙が実家に届いた。彼女が知るはずのない4ヵ月前の従兄弟の結婚式のことが書かれていた。94年には実家に関西なまりの男の声で「娘を帰国させたかったら4千万円用意しろ」との脅迫電話がかかる。背後に北朝鮮、もしくはよど号グループの協力者が動いたとみられる。

 「救う会高知」の上野一彦幹事は、「貴美子さんを羽田から送り出す人間と、香港あたりで受け取る人間がいたのではないか。モンゴルに行けると騙したのは北朝鮮直結の『裏の人間』だろう」とみる。

 福留さんは80年3月に日本に入り、都内に姿を現す。この時点で一児の母(翌年に2人目を出産)、逃げようにも逃げ出せなくなっていただろう。4年前に山手線の駅で見送ってくれた横浜市内の知人宅に2泊した。彼女は昔の仲間たちと居酒屋で飲み、高知に戻っていたAさんと電話で話した。

 北朝鮮にことなど露とも知らないAさんが「元気?」と聞くと、「元気だよー」「大阪に寄って、それから田舎に帰る」

 新横浜駅で新幹線に乗る彼女を横浜の知人が見送った。しかし、帰郷することもなく6月、伊丹空港から出国。「高知に帰るつもりだったが、途中で関係者に取りおさえられた」との情報もある。

 この時期、「妻たち」の多くがおこなった日本潜入活動の一環だったことは間違いない。が、この時に昔の友達に会ったことなどが後に「規律違反」と厳しく批判されたようだ。

'06 故郷は帰りを待っている 失踪から、はや30年。支援団体の告発状を警察が受理し、真相究明と救出の動きが本格化した。福留さんが生まれ育った地域を訪ねた。ひっそりと、沈むような山里だった。でも、待ちわびた両親は、もういない。

漁船で逃亡図り拘束?強制収容所に送られた?辺境の地で日本語教師か

 八尾元店主の著作によると、夫の岡本はリーダー田宮と活動路線をめぐって確執を深め、生活が荒れ始めた。ある夜、夫妻はロープで体を縛られ、労働党のワゴンでどこかに運ばれた。「再教育」を何度も受けた。「2人は招待所にいたが、近くの漁師に酒を飲ませて酔わせ、漁船を奪って逃亡を図り、北朝鮮当局に捕まった」別のよど号メンバーは八尾元店主にそう話したという。

 00年に脳梗塞で倒れたが、一命を取りとめ、回復途中の高沢氏は言う。「95年に田宮は、岡本はいま連絡のつかないところにいると言った。彼とは長い付き合いで、2人は強制収容所にいるんだなとピンと来た」

 奇妙な情報もある。日朝首脳会談の半年前、さる国会議員の元に届いた手紙。差出人は別の国会議員の元秘書で、詐欺罪で実刑判決を受けて獄中にいた。手紙には、この人物が独自ルートで確認したという拉致被害者の名前が明記され、そこに「福留貴美子」の名前がある。

 「88年に逃亡を企てたが拘束され、収容所に入れられた。私が保証金を払って助け出し、現在は地方の外国語学校で日本語教師をしている」この差出人の居場所はわからない。

 「騙されて北朝鮮に連れて行かれた福留さんは、欧州でウソの仕事を持ちかけられた有本恵子さんの拉致とよく似ている」。集会を開くなど「福留問題」を引っ張ってきた「救う会神奈川」の川添友幸会長は、早急な拉致認定を訴える。

 06年2月、北京で行われた日朝協議で、日本側は三十数人の安否確認を北朝鮮側に求めた。その中には、福留貴美子さんの名前がある――。

終わり

*もう一つの拉致 福留事件の30年 〜「よど号犯」の妻になった24歳〜 ('07 1/15 AERAより) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34173424.html

2/18 東京マラソン有楽町にて
2007.2.18,日

 写真は東京有楽町にてあおいのパパが撮影しました。初めての東京マラソン開催で、首都圏は交通規制がしかれ、そのため仕事にも影響する可能性があったので、日曜日ですが都内に出ました。警視庁にも問い合わせたりもしたのですが、「初めての事で予想もつかない」と言われ心配したようです。

東京マラソン01.jpg

 とりあえず仕事の方も混乱はなく、無事すみました。そして帰宅途中、3年前の夏の参議院選挙最終日に増元照明さんが最後の街宣をした場所、有楽町で、雨の中一生懸命に走っている選手の皆さんを見ていたら、とっても感動したそうです。

 私たちはマラソンは苦手でやらないしできません。42.195キロ走った皆さん、完走できなかった方もいたかもしれませんが、走ろうとした皆さん、本当に尊敬致します。

 東京でまたオリンピックが開催されるといいですね!(前回の昭和39年にはまだ生まれていなかったから〜)

東京マラソン03.jpg

*有楽町で配布された応援の旗です。

*2/18 東京マラソン有楽町にて aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34069231.html

'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 RENK・高英起さん(第1セッションにて)
2007.2.17,土

*写真はすべてあおいのママの撮影です。

*チョンリマ(千里馬)―社会主義朝鮮の記録― 1964年度作品
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34007322.html

*撮影したビデオカメラより文字化しました。(撮影許可を得ております)

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 最後に、RENK・救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワークの高英起(コ・ヨンギ)さん、またビデオジャーナリストでもあります。高さんからこの映画ならびに、そしてRENKとして今後の北朝鮮の状況について、また帰国者について、一言お話をお願いします。

【RENK・高英起(コ・ヨンギ)さん】
 どうも、こんにちは。救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワークの高英起(コ・ヨンギ)と申します。あまり時間もないのでそんなに長く話はできないと思うんですけども、まずちょっとこの映画の感想を述べさせていただきます。

 僕は1966年生まれですから、この映画は1964年ということで生まれる2年前ですか。僕自身は、家は朝鮮総連系の家庭に育ちましてね、高校だけですけども朝鮮学校を出ています。幼少期の思い出として、一番やっぱり家にあったのが“朝鮮画報”といって今はもうないんですけども、いわゆるグラフ雑誌で、朝鮮総連が出した機関紙ですよね。そういうのを小さい頃何もわからずによく見ていまして、この映画を観て非常に思い出しました。

チョンリマパンフレット05.jpg

*チョンリマパンフレットより。

 当時の千里馬、「千里を走る馬」ということで、「それほど北朝鮮が躍進しているんだ」という象徴として“千里馬”という言葉を確かに当時はよく使われていたと思います。

 それで今この映画を観て、基本的には100パーセントプロパガンダ映画なんですけれども、そう言ってしまうと面白くないので、ちょっとまぁひねくれた見方というか、僕なりの感想をちょっと述べさせていただきます。

 僕は思っていたよりもイデオロギー色が弱いなと思いました。朝鮮学校とか通じて、こういうプロパガンダ映画を本当に腐るほど観てきたんですけども、それに比べるとかなり弱い。弱いというのは、それは意図的に弱くしたかどうかではなくて、まだそこまでする余裕がなかったんじゃないかな?という気もするんです。だから例えば観ていてキレイな方もおられると思うんですけども、バッチは皆つけていませんよね。バッチをつけるというのがまだなかったのかもしれません。それはよくわかりませんが、当然あったらつけるはずなんです。そのバッチをつけていないということ。

 あと面白かったのは、農村で皆さんが踊る風景とかありましたね。あそこで流れている音楽というのは、朝鮮の伝統的な音楽なんですけれども、今日流れていた音楽と違って、その後朝鮮のああいう音楽っていうのは全部近代化というか、朝鮮独自の音楽に変わっちゃうんです。ああいう打楽器だけではなくて、それにいわゆるオーケストラチックな歌をつけたりとか変わっていくんですけども、それが結構、素のままで出ていたというところでは、非常に僕はまだ牧歌的な雰囲気が残っていたし、そういうことをすべて変える余裕もなかったのではないか?と思っています。

 僕はそういう意味では、この映画というのは貴重な映画だったし、本当に観ていてちょっとあの語弊があるかもしれませんけど、「非常に楽しかった」というのが今日の感想です。

 この映画を、先ほど萩原さんが指摘されたように「減っていく帰国者、それを新たに盛り返そうとしてやった」と言う指摘というのは、僕は非常に正しいと思います。映画は64年、僕が生まれたのは66年ですから、もう生まれた頃には帰国するという話はほとんど聞いていません。僕の親戚も帰国しているんですけど、やっぱりもうちょっと前です。60年代前半まででしたから。

 そういう意味では、やはりそれをもう一回する(盛り返す)ためにこういう映画が作られて、また宣伝が行われたんじゃないかというように思っております。それは非常に評価して宣伝した日本の進歩的なマスコミとか進歩勢力、そういった方々の罪は大きいなと僕は思うし、今だからこそそれは問うべき問題じゃないかと思っています。

 帰国者問題について、若干、僕たちの見解というか個人的な主観も含めて言わせていただきます。「何であんなにたくさんの帰国者が?」って、やはりみんなが思われると思うんですけれども、まずこの映画が多分かなり後の方ですが、やはり朝鮮戦争が終わった、朝鮮戦争が53年に終わって、その当時の在日の生活状況を考えると、あくまでも想像でしかないですが、かなり苦しかったことが非常に想像できると思います。

 一つエピソードがありまして、これは文献として残っているんじゃないかと思いますが、一時帰国船で、ちょっと年代を忘れたんですけども、まだ朝鮮戦争が終わって間もない頃に、一時帰国船で在日の代表団が北朝鮮に帰るわけですよね。それは臨時です、永久的に帰るとかそういうのではなくて、代表団が北朝鮮に帰るわけですよね。その時に故金日成主席が在日の代表団に対してこう述べているんですよ。

 「先生たちは今は日本で苦労されて、非常に心も体も疲れているでしょう。私たち祖国でとりあえず一時の間ですけれども、ゆっくり体も心も休めてください」と言うんですよね。ちょっと僕の記憶が定かでないので正確ではないかもしれませんが、これを読んだ時に「ああ、何故在日がこれだけ騙されちゃったのかなぁ」というのがわかったような気がするんですけども。

 先ほども言いましたように、当時の在日は貧しい中で生きてきたわけです。生きてきて、本当に船といっても当時北朝鮮に行くのは大変なことでしたから、それを北朝鮮に行って、当時も金日成というのは日本の朝鮮総連とか支持する方から見ればそれなりのカリスマ性があったわけですから、そのカリスマ性を持った一国の主席から「先生」という言葉で迎えられるということ自体、僕はこれはコロッと騙されちゃったんじゃないかなと思うんです。

 もう一つはやはり北朝鮮側の事情があったんじゃないかと思います。やはり北朝鮮側としましても、朝鮮戦争でかなりの数の方が亡くなっていて、その復興をしなければいけない、そして労働力が必要だったんじゃないかと。そのために在日に対して「帰国しなさい」というような宣伝をやっていったのではないかと思います。

 よくこんな話を言う人がいまして、「金日成は最初から在日を人質にするつもりで帰国をさせたんじゃないか」と。僕はそれは違うと思うんです。当時「金日成は在日を人質にして後々在日からお金を絞りとろう」とか、そこまで考えていなかったと思います。何故なら当時の在日はそこまで、今も裕福とは言えないんですけども、みんな食べるのも必死で、その日暮らしの方がたくさん多くてそんなことを考えることはなかったと思います。

 ただ結果的に、この金日成の戦略が見事に当たっちゃいまして、在日朝鮮人の中にはそれなりに頑張って裕福な方も出てきて、その方からお金を絞ることができたという、これは結果論だし、そういうところで金日成さんというか、北朝鮮という国は運が良かったんじゃないかと思っております。

 いずれにせよ、この映画に現れるような帰国問題、なかなか“RENK”っていうのは、実は基本的に我々は北朝鮮の民主化っていうものを訴えているわけで、帰国問題に関してはむしろ難民基金や守る会の方々がやっていただけるんで、我々としてはそんなに熱心にやっていないんです。結成当時からそういったことをひっくるめて「人権問題」というものを訴えてきましたし、それが最終的に北朝鮮の民主化につながるようなかたちで訴えてきております。

 今後もこういったシンポジウムに積極的に参加させていただいて、我々なりの見解、それで私も一応在日コリアンの端くれですので、在日コリアンとしての立場とか考え方っていうのを述べさせていただきたいと思います。どうもありがとうございます。(大拍手)

*RENK・救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/

【守る会・三浦小太郎事務局長】
 ありがとうございました。最後に司会というより「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」としてぜひ付け加えておかなければならないことがあります。

 このような映画を今観ますと、どちらかというと「騙されてしまった」もしくは「騙した」とそういう表現でどうしても私たちは印象づけられる面があります。ただこの帰国事業というのは、本当に戦後日本の負の歴史の遺産です。そして、この自由民主主義の国から9万3000人の人たちが共産主義の国に、共産主義を名乗る国に帰って行ったなどということは、人類の歴史の中でこれが最初で最後でしょう。そしてこのような負の遺産を私たちは今、何とか清算しなければならない時にきている。

 こちらにいらっしゃる二人の脱北帰国者の方、実は本日も、後に発言されます荒木和博代表の好意によりまして、特定失踪者問題をやっています「しおかぜ」という北朝鮮向けの放送がありますが、こちらで日本から初めてこの日本にいる脱北者の方が北朝鮮に向けて、北朝鮮の帰国者・日本人妻に向けて電波を飛ばすことになっております。

*'06 12/17 TBS「報道特集」(2)北朝鮮に発信 帰還事業の真実
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33130475.html

 このようなかたちで私たちも、すでにこの映画に映った方々は年老いて、おそらくこの世にはもういらっしゃらないでしょう。もしくはもっと早くに亡くなったかもしれません。この日本から旅立って行き、天国に行ったつもりであったか、もしくは祖国に自由を求めていったのか、そういう方々が今、何とか死に物狂いで北朝鮮を脱出して、この日本を目指しております。

 これは「北朝鮮難民救援基金」が先駆的に非常にこの方々の救援をしてきましたが、私たちはなかなかそういうダイナミックなことができていませんけれども、せめてこの日本に戻って来た人たちがより少しでもその人生をやり直せるように、幸せに生きていけるように、私たちが努力していくことは大きな務めではないかと。

 この帰国事業を単に怒りだけで、怒りやまた批判だけで終わらせるのではなくて、さっき金日成が言った「北朝鮮に帰国したら少し休んでください」それと同じように私たち日本国民がですね、40年間本当に苦労してこられたどころか、明日の命もわからないような状況で生きてきた方々をこの日本にもう一度温かく迎えるように、皆さまのお力を貸していただければと思います。(大拍手)

(李ミンボクさんのお話に続く)

*'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮 RENK・高英起さん(第1セッションにて) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35245675.html

2/12 埼玉東部の会講演会 野口孝行さん
( 2007.2.16,金 )

*写真は講演会に参加したあおいのパパの撮影です。

この講演会のレポートはこちらをご覧になってください。
 ↓ ↓ ↓
*2/12 埼玉東部の会講演会
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33546692.html

*講演要旨をレポートにしました。聞き取りに間違いのある可能性もございます。どうぞご了承ください。

【北朝鮮難民救援基金国際担当・野口孝行さん】

 本日はお招きいただきまして、どうもありがとうございます。私たちの団体は脱北者を支援している団体という事で、日本と韓国にも私たちみたいに支援してくださる方はたくさんいます。

*北朝鮮難民救援基金
http://www.asahi-net.or.jp/%7Efe6h-ktu/toppage.htm

 それで私自身3年前の12月、北朝鮮から逃げて来た帰国者の人たちを助けるという作戦をしている間に中国で捕まって、8ヶ月拘束されたのですが、韓国でもちろんそういう方たちがいます。実際そういう方たちが中国に捕まった時にどういう仕打ちを受けるのか、そしてまた韓国という国はどういうふうに対応をとるのか、というのをですね、ちょっと私の場合と完全に同じ条件ではないので多少状況はかわってくるのですが、違いみたいなものをちょっとお話したいと思っております。

 皆さん記憶にある方もいらっしゃるかと思いますが、今から4年前、2003年の1月に“煙台ボートピープル事件”(中国山東省煙台港にて)がありました。その時は漁船を2隻使って、日本と韓国に1隻ずつ、脱北者を中国から脱出させるという作戦がありまして、1月18日に決行させ、船が出て行くという計画だったんですが、その未明に一網打尽にされてしまって、約80名くらいの脱北者の人たちが拘束され、その計画に関わっていた現地の主に朝鮮族の人たちと、首謀者とされた韓国人が拘束されるという事件がありました。

 それでこの首謀者の方が崔永勲(チェ・ヨンフン)さんなのですが、裁判を経て5年という刑を言い渡されました。その後3年11ヶ月の服役を経まして、去年の11月に中国から韓国に帰ったという、そういう流れがありました。

 私は実は、彼が拘束される2週間前に中国の煙台で会っていまして、それで「こういう計画がある」という事を聞かされていまして、「日本に1隻のボートが行くから」と「もしか行って、日本の領海に入った時は日本の海上保安庁等々に連絡をして受け入れをお願いします」というような事を知らせ、それで実際に煙台の事があったわけですが、捕まったと。

 今回韓国に帰って来た時も、私は彼に会いに行ったんです。今年の1月、2〜3週間くらい前です。それで、色々話を聞いていくうちに、これはもう私のケースとはすごい桁違いだという事で、すごく驚きました。

 まず彼が捕まって、もちろん韓国の領事が来るわけですね、彼に会いに。監置所に来た時にその領事の方が言うには「あなたは中国の法律を破ってしまったんだから(逮捕は)しょうがない」と。「これから裁判に行ってどういう結果が出るかわからないが、ここでずっと仕事もしないで寝起きできるんだからゆっくり休みなさい。」「私も変われるものなら変わりたい。私も忙しくて、休めるものなら休みたい。」と、そんなような言い方をしたらしいですね。

 かたや私が捕まった時にもすぐ(日本の)領事館から来まして、その時は「野口さん、心配しないでいいから」と「日本の政府も一生懸命中国の政府とかけあって、なるべく早く釈放されるようにこちらも動くから。大変だと思いますけど、何か欲しいものがあったら、何か不都合があったら今言ってください」と、まぁこういう感じでした。

 それでそれから3年11ヶ月の間、彼は拘束されるのですが、出所になる2ヶ月くらい前から約1ヶ月の間、囚人たちが6〜8人がよってたかって殴る蹴るの拷問を加えた、というんですね。それだけではなく、彼はキリスト教徒だったので「ちょっとお祈りをする部屋を欲しい」と言ったらそれが認められて、小さな部屋をあてがわれたらしいのですが、そこでお祈りをしていると背後から囚人たちが何人か来て羽交い絞めにし殴る蹴るをすると。

 場合によっては、ある時注射を持った医務官みたいなのも一緒に来て、「注射を何回かされた」事もあったようです。それでその注射をすると、とにかくもう意識が朦朧として、記憶がなくなる感じがあったそうですね。実際それが何だったのかわからないんですけど、彼が言うには「韓国に帰って来て頭の調子もおかしくなった」と。

 そういう暴行があった2ヵ月後に釈放されたという事を考えると、もしかしたら中国の政府がもう帰国が決まっている彼に対して、もうこいつ廃人にしちゃおう、廃人にすれば実際にどういう事があったのかとか、どんなひどい事がその現場で起こったのかとか、そういう事をもしかしたら口封じしちゃおうと、そういうような可能性も深読みすればあったのかな、と思いました。

 私の場合は刑務所ではなくて未決囚が収容されている監視所だったので、もちろん拷問みたいなものもありませんでしたし、そういった注射をされるという事もありませんでした。

 その後彼は、去年の11月に帰って来るんですが、最初に私のケースを言えば、成田空港に着いた時には取材の方たちが来て、記者会見をしてそのまま帰って来ました。その後は外務省の邦人保護課の方に呼ばれて、その時の状況、「拷問されましたか」とか「体は大丈夫ですか」とかそういった色んな事を聞かれるわけです。

 かたや崔(チェ)さんの場合、彼は空港に降り立って、税関というか出口を出るゲートというか、搭乗口の迎えの人たちがいる所に出る前に韓国の警察が待っていまして、いきなり3年11ヶ月もそれこそ脱北者を助けるために一生懸命やっていた人にもかかわらず、「あなたには詐欺の罪がある、詐欺の容疑がある」と「現行犯で逮捕する」と言って、手錠をかけられ連れて行かれそうになった、という事なんです。

 それはどういう事かというと、彼は脱北者を助けるために中国で事業をしていて、それは建設機器の部品の商社みたいなんですが、どうやらいくらかお金を借りていたらしいのです、事業のために。それでそれが確か200万円ぐらいだったと思うのですが、もちろんそれは返すはずだったのですけど、3年11ヶ月の間、返せるわけがないですよね、捕まってしまったんですから。「あなたは返すはずだったお金をこの間返していないから、これは詐欺だ」と言われ、逮捕されそうになったと。逮捕状をよく見ると、罪状なんかも身に覚えのない事が含まれていたり、生年月日はいいかげんだったらしいのです。

 中国は拷問にかけて彼を破壊しようとし、自分の国である韓国に帰って来たら、あたかも空港を出て何か記者に向けて発言するのを阻止するような口封じするような感じで、降り立った瞬間に手錠をかけてそのまま留置しようとする。そういう本当に耳を疑ってしまうような事件が実際去年の11月に起こっていた、という事ですね。

 彼は結局その後、せっかく帰って来て家族に対面する前に手錠をかけられたというストレスだと思うのですが、ちょっと頭がその時おかしくなったような状況で、たまたま出迎えの空港に国会議員の方がいて、「私が彼の身柄をちゃんと保証するから、今日は帰してあげなさい。私が国会議員として保証するから。」という事で帰る事ができたのですが。

 手錠を外されて家に帰っても、やはりPTSD(心的外傷後ストレス障害)というかすごく情緒が不安定になってしまいました。もちろん家族に会えるのはうれしいんですけど、夜にパッと起きて奥さんの顔を見ると、自分をリンチした囚人に見えたり、時によっては奥さん・子どもが看守の人たちに見え、最初の1ヶ月くらいは家族に暴力を振るうという事があったらしいです。

 それで実際に病院に行くと「統合失調症ではないか」という診断を下されまして、家族も支援してきた人たちも「これは大変だなぁ・・・」という事になったんですが。落ち着いて何件かの精神科医を訪ねて行ったところ、「急激なストレスが加えられたことによる一時的な錯乱状態だった」という事で、統合失調症というのは誤診だったらしいですね。それで今徐々にそういった状況から脱して精神的にも安定してきている、という状況らしいです。

 ただ、本当に韓国と日本の間でも、人道支援家という人の目を通して見ても、これだけ大きな差があるという事です。もちろん彼がやった事は僕がやった事よりも規模は大きいのですが、それでもこれだけの大きな差があって、逆に言えば彼がやった事というのは「自分の民族を助ける」という、本当に韓国の人たちが常々言っている事をやったにもかかわらず、そういったとんでもない仕打ちを受けるという事を、今回本当にまざまざと見た思いでした。

*脱北者支援したチェ・ヨンフンさん「中国で服役、暴行される」
http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2006/1130/10017338.html

 韓国の人たちは「太陽政策だ」とか「私たちの民族だ」とか色々言うのですが、それは今に始まった事ではなく、実際に私もまだ東南アジアとかで動いていた時に、脱北者の人を、あれはカンボジアのプノンペンでしたが、子ども6人を韓国の大使館に「保護してください」と連れて行った時にすごく嫌な顔をされまして、「今回今日は彼らを受け取りますが、次にまたそういう事をしたら、私たちはあなたたちをこの建物の中に入れる事はできないですよ」と韓国人の参事官が言ったりするのです。本当に不思議な国だなぁとその時思ったんですが・・・。

 この後、萩原(遼)先生からもおそらくまた詳しいお話があるかと思いますが、私は1月に韓国に行って、「今年の大統領選はどうなるでしょうか?」と何人かに聞きましたら、ウリ党、野党でハンナラ党がありますけども、「ハンナラ党が仮に政権をとってもあまり状況は変わらないでしょう」という意見が大半でした。もちろん今の盧武鉉(ノムヒョン)政権を批判するために、ハンナラ党としては「今の太陽政策が間違っている」とか、そういった発言をする人たちも多いのですが、基本的には無関心だというのですね。「自国の拉致問題に関しても無関心だし、脱北者の問題にしても無関心」だと。「選挙に勝つための材料としてウリ党、今の政策を批判する事はあるけれど、結局どっちが勝とうとも基本は無関心だし、あまり大きな変化を期待しちゃいけないよ」と言われました。

 そうなるとやっぱり脱北者、人道人権の問題にしろ拉致の問題にしろ、韓国に頼る事は本当に無駄だと、頼れないのかなという思いを本当に強くしました。

 最後に、実は今お話した話がおそらく2月25日もしくは次の週だと思うのですが、この崔永勲(チェ・ヨンフン)さんという方の韓国の人道活動家の方の話とか、韓国の今の状況を含めた事が、たぶんTBS「報道特集」で放送されると思いますので、よろしければ韓国の状況をご覧になっていただけたらと思います。どうもありがとうございました。(大拍手)

*3/4 TBS「報道特集」空前の亡命計画の行方
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35493545.html

終わり

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*写真は'06 12/10「映像とシンポで語る北朝鮮」(彩の国 さいたま芸術劇場)の第2セッションでお話をされた韓国の人道活動家・文国韓(ムン・クッカン)さんです。崔永勲(チェ・ヨンフン)さんから「力を貸してくださった日本の皆さんへ」と絵をたくさん描いて預けられたそうです。メディアの方と難民救援基金の加藤博さんに贈られました。(あおいのママ撮影)

*「'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/2412170-1.html

*2/12 埼玉東部の会講演会 野口孝行さん aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34115396.html

2/11 TBS「報道特集」(2)炭鉱地帯に潜入 北朝鮮エネルギー不足で何が・・・
( 2007.2.15,木 )
*2/11TBS放送の「報道特集」を文字化しました。

真冬の北朝鮮で働く労働者たち。カメラが潜入したのは炭鉱地帯。「ここはまだ出てきてないな・・」とうもろこし畑にできた無数の穴。死と隣り合わせで働く人々。エネルギー不足の北朝鮮で今何が起きているのか?「何か用か!」

*2/11 TBS「報道特集」(1)六ヵ国協議 拉致問題は
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33481756.html

続き

北に潜入! 路上の撮影者

【ナレーター】
 路上に現れた人影。緑色の軍用トラックの方へ歩いて行きます。私たちはこの人物が今年の冬、北朝鮮咸鏡北道(ハムギョンホクドウ)の町で撮影した映像を入手しました。

 道の端の方でもみ合っている男女がいました。ケンカをしているようです。撮影者は近づいて行きます。

【男性】
 「出て来いっ、こいつめ!」
【女性】
 「そんな事しないで、おじさん!」
【男性】
 「殺してやるっ!」
【女性】
 「もう、そんな事しないでよ!」

【ナレーター】
 カメラがとらえた北朝鮮の人々の生活。その中には、北朝鮮のエネルギー事情がうかがえるこんな映像もありました。白いシートの脇にある黒い物質。売られているようです。何なのでしょうか?

【撮影者】
 「これはどこから持ってきた物?」
【女性】
 「センギリョンの石炭」
【撮影者】
 「センギリョンの石炭・・・?」
【女性】
 「石炭の粉も売ってます。たくさん必要なの?」

北に潜入! 路上の石炭売り

【ナレーター】
 かつては“黒いダイヤ”と呼ばれた石炭。北朝鮮では今も重要なエネルギー源です。その石炭が何人もの女性たちによって路上で売られているのです。

【撮影者】
 「これいくら?」
【女性】
 「600ウォンだけどまけるよ!」

【ナレーター】
 この石炭売りの光景を実際に見ていた人物がいます。

【脱北者・朴淑子(パク・スッチャ)氏】
 「これは市場じゃなくて、空き地で売っているみたい。市場の中には石炭を売る人は入れません。外で立って売らないといけないんです。」

【ナレーター】
 近くの町に住み、1年ほど前に脱北した朴淑子(パク・スッチャ)氏。こう話します。

【脱北者・朴淑子(パク・スッチャ)氏】
 「この人たちは生活が苦しい人たち。市場で売り場を確保できないので、石炭を掘って外で売り、その日暮らしをしています。子どもたちを勉強させて靴を買い、食料を買わなくてはなりません。全部自分の力でやらないといけないのです。」

【ナレーター】
 賑わいを見せる北朝鮮の市場。市場から少し離れた場所でも石炭は売られていました。しかし貧しいはずの人々が、北朝鮮の重要なエネルギー源である石炭をどこからどうやって調達してくるのでしょうか?それを示す映像がありました。

北朝鮮潜入! 畑にナゾの穴

【ナレーター】
 撮影者が自転車で走っていると、奇妙な光景が見えました。柱が三角形に組み立てられ、10人くらいの男たちの姿があります。

【撮影者】
 「ご苦労さん、今何をしているんですか?ああ、ここを掘って石炭があるかどうかを見ているのか。」

【ナレーター】
 自分たちの手で石炭を掘り出そうとしていますが、まだ出てきていないようです。

【撮影者】
 「出てきましたか?何メートル掘りましたか?」

【ナレーター】
 撮影者は再び石炭採掘の穴を見つけます。しかし―。

【撮影者】
 「ここはまだ出てきてないなぁ・・・。

【ナレーター】
 さらに歩いて行くと―。

【撮影者】
 「まだ石炭は出てないですか?これは何メートル掘ったんですか?」
【男性】
 「18メートル」

【ナレーター】
 18メートルの深さの穴。そこにバケツを下ろしていきます。しばらくしてロープでそのバケツを巻き上げると・・・、そこには“黒いダイヤ”石炭が入っていました。穴の横には掘り出した石炭が山積みされていました。石炭が掘り出されている場所はとうもろこし畑。高い所から見下ろすと、いくつもの穴が掘られていることがわかります。また、周囲には大きな三角形の山が点在しています。これは石炭を掘った土などでできた“ぼた山”です。

 地下資源の宝庫ともいわれる北朝鮮。その中でも石炭は量・質ともに豊富だとされています。咸鏡北道(ハムギョンホクドウ)には数多くの炭鉱がありますが、その近くではこうしたかたちでの石炭掘りがよく見られるのだといいます。

 別の穴に近づいた撮影者。穴の入口に腰掛ける男性。中の様子をうかがい、しばらくすると下に下りて行きました。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「今、乗るじゃない。ああやってつかみながら下りて行くんです。」

【ナレーター】
 映像を見ながらつぶやいているのは金美麗(キム・ミリョン)氏。1年ほど前までこの地域で暮らしていた脱北者です。彼女は石炭ではなく砂金を採っていましたが、「採掘の仕方はまったく同じだった」といいます。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「(絵を描いて説明)このバケツに人が乗って、紐を握って、バケツは揺れるので紐を握っていないと落ちて死にます。穴の底に降りてツルハシで。道具はみんなここに置いてあるから。初めはこんなふうに・・・、徐々にツルハシで掘っていきます。だから広がっていくんです。」

【ナレーター】
 「複数の人間が交代で石炭を掘っているのだ」という金美麗(キム・ミリョン)氏。穴の中の様子を教えてくれました。とうもろこし畑に広がる石炭採掘の穴。石炭を掘る人はバケツに乗り、ロープにつかまって穴の底へ下りて行きます。そこでツルハシとスコップを使って石炭を掘り出していくのです。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「これは企業としてやってるんじゃなくて、個人で食べていくためにチームとしてやっています。違法な行為です。とうもろこし畑をこんなふうにしたら罰金をとられます。捕まったら違法だから・・・。どうしても食べていかなきゃならないので、苦労して土も掘るんです。石炭をこんなふうにツルハシで。」

北朝鮮 命がけの石炭採掘

【ナレーター】
 しかし、採掘には様々な危険があります。穴の傍らに人だかりができていました。撮影者は近づいて行きます。そこにいたのは大の字になって倒れている男性でした。作業事故が起きたのです。男性は脇に移動させられジャンパーをかけられました。

【男性の仲間】
 「垂直に落ちたんじゃないかなぁ・・・。」

【撮影者】
 「すごく高さがあるから、落ちたら痛いだろうさぁ。」

【ナレーター】
撮影者が偶然にとらえた事故直後の映像。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「『勢いがついて落ちるからやめろ』と言ったのに、落ちてしまったんです。」

【ナレーター】
 石炭を掘るため、ロープとバケツでゆっくりと下りようとしていた男性。しかし、下りるスピードがつきすぎてバランスを崩し、穴の底に落下してしまいました。仲間の女性から顔についた血をふき取られる男性。命に別状はないようです。しかし、石炭掘りの穴をめぐる事故は多発しているといいます。例えば―。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「ある人は夜に穴を掘ろうとして、他の人が掘った穴に気づかず、そこに落ちて死にました。」

【ナレーター】
 また、石炭を掘っていて穴が横に広がり、弱くなった土砂が崩落。こうした落盤事故によって亡くなる人も多いといいます。

 命がけで得た石炭は牛車に積まれて運ばれ、売りさばかれます。危険と隣り合わせの石炭堀、いつ頃から始まったものなのでしょうか?

【脱北者・河日(ハ・イル)氏】
 「“苦難の行軍”と呼ばれた時の94年〜98年の間、一部の炭鉱の労働者が外に出て、炭鉱の周辺の土地を掘り始めたんです。こっそり、こっそりと・・・。」

【ナレーター】
 こう話すのは取り締まる側、北朝鮮で警察の仕事をしていた脱北者・河日(ハ・イル)氏です。その当時、1990年代中盤に始まった食糧難。飢餓で死んでいく労働者や家族のため、「緊急措置がとられた」といいます。

【脱北者・河日(ハ・イル)氏】
 「炭鉱の党委員会が決めたのは、『石炭をリュック1つ分ずつ持って帰れ』と。これが配給で月給です。家に帰ると家族は本当に喜びました。子どもと奥さんは石炭50キロを次の日市場に持って行って、とうもろこし1.5キロと交換します。そういうふうに生きてきました。」

【ナレーター】
 恒常的な電力不足によって、多くの設備が稼動せず生産力が低下しました。そして労働者も出勤しなくなりました。その結果、違法と知りながらも「炭鉱の周辺の土地を掘り始める人が出てきた」といいます。

【脱北者・河日(ハ・イル)氏】
 「穴が1,000個あったら、警察の人間が30〜40人しかいないのにどうやって取り締まるんですか?だからどうしたかというと『掘れ、掘っても30%は警察に出せ』と・・・。」

【ナレーター】
 掘り出した石炭のうち30%は警察に、20%は炭鉱の職場に供出、10%は牛車での運搬費となり、残り40%が個人の手に。しかし「そうやって稼いでも一向に生活は楽にはならないのだ」と河日(ハ・イル)氏は言います。

潜入映像 北朝鮮の炭鉱

【ナレーター】
 雪に覆われた線路沿いを歩く撮影者。向った先にはトンネルが。入口に書かれているのは“電車坑”(でんしゃこう)“3大革命赤旗争奪戦闘場”(3大→思想・技術・文化)という文字。こうした場所に掲げられるスローガンです。

 トンネルの中から労働者が出て来たその直後、闇の中で点滅する青い光。列車が現れました。ここは咸鏡北道(ハムギョンホクドウ)にある炭鉱。「日本の植民地時代からある」といいます。貨車に積まれていたのは、採掘されたばかりの石炭です。列車を見届けた後、撮影者は坑道の入口から離れます。そして、ある建物の中に潜入しました。そこは―。

【炭鉱労働者】
 「何か用か?」

【ナレーター】
 そこは脱衣所でした。これから坑内に行く労働者が作業着に着替えています。汗ビッショリになるので、パンツまで替えます。炭鉱の奥深くで石炭を掘る労働者は職場が暑いので薄着ですが、炭鉱を出入りする労働者は綿の入った服を着ているといいます。

 別の部屋を訪れた撮影者。そこには薄い布団がありました。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「こんなもの、どこで撮って来るの?あきれるわねぇ。こんなのは『反動工作』って言われるわ。何か見ているだけでも震えがくるわ・・・。」

【ナレーター】
 緊張しながら話すのは、この地域に住んでいた脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏です。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「炭鉱にいるのは結婚していない除隊軍人たち。金正日の方針によって集団で働きに来ているのです。まだ結婚していないので寄宿舎で生活します。」

【ナレーター】
 再び外へ出た撮影者。今度は青い扉の部屋に入ります。壁に絵が描かれたその部屋は食堂でした。労働者が食べているのは“とうもろこしで作った麺”でした。次々とやって来る労働者で食堂はいっぱいになります。きつい労働に耐えるためでしょうか、とうもろこし麺は量が多いようにも見えます。しかし「かつて炭鉱にもいたことがある」という脱北者・朴淑子(パク・スッチャ)氏はこう話します。

【脱北者・朴淑子(パク・スッチャ)氏】
 「これは食堂ね。昔しっかり運営されていた頃、炭鉱の労働者たちはパイロットと同じ待遇だったんです。肉類・菓子類・油、すべて保障されていたのに、だんだん落ちていって、今でも何とか運営されているけど1日1食です。とうもろこし麺ですからね、1食なのに・・・。」

【ナレーター】
 朴淑子(パク・スッチャ)氏によると、炭鉱は実質8時間労働。彼らは午後3時に坑道に入り深夜まで作業し、交代するのだといいます。

【脱北者・朴淑子(パク・スッチャ)氏】
 「坑道に入る前に昼食をとるのです。とうもろこしご飯にして食べる場合には、体への吸収は30%しかされません。でもとうもろこしを麺にして食べると消化吸収がいいから、ほとんどそうやって食べているんです。」

【ナレーター】
 食堂を出た撮影者。そのカメラがとらえたのは5人の労働者たち。充電の完了したバッテリーとライトをここで受け取るのです。腰に付けて坑道に入っていきますが、その重さは体に堪えるといいます。

 ここは坑道を支えたりするための木材を作る部屋。さらに溶接などで修理を行う部屋もカメラはとらえていました。

 仕事を終えて炭鉱を出ようとする一人の労働者。その肩には・・・。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「この人のリュック、リュックが・・・」

【ナレーター】
 この地域にいた脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏はリュックを指し示しました。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「リュックサックに石炭を入れて家に持って行く、それが目的です。国家の石炭なのに盗んでいくんです。このリュック一つ売ると1家族4〜5人が1食は食べられます。1日は生きられます。」

【ナレーター】
 何気ない映像の裏には、未だ苦しい炭鉱労働者の生活がありました。

大変化! 北朝鮮の民衆

【ナレーター】
今年初めから、電気・石炭問題の決定的な解決を訴えてきた北朝鮮。しかし炭鉱の労働者の待遇はかつてより悪くなり、とうもろこし畑での危険な石炭掘りが行われ続けています。この背景には何があるのでしょうか?

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*写真は'06 12/10「映像とシンポで語る北朝鮮」(彩の国 さいたま芸術劇場)の第2セッションで司会をされた石丸次郎さんです。(あおいのママ撮影)

*「'06 12/10 映像とシンポで語る北朝鮮」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/2412170-1.html

【アジアプレス・石丸次郎氏】
 「北朝鮮は今、外側からはなかなか見えにくいんですけども、北朝鮮の国内は今大変化を起こしているんですね。」

【ナレーター】
 こう話すのは、1990年代前半から北朝鮮取材を続けるアジアプレスの石丸次郎氏。大変化とは何なのでしょうか?

【アジアプレス・石丸次郎氏】
 「これまで統制経済システムをとってきた北朝鮮の中が、今ほとんどもう市場の原理で動いている事なんです。つまり配給制がなくなって一般の民衆っていうのは、国家がちゃんと面倒をみてくれないですから、自力で生きていかなくてはならなくなっている。そうすると国家とか指導者とか政権に対する忠誠心が非常に希薄化してきて、皆さん自力で生きていますから言うこと聞かなくなってきているんですよね。一番関心があるのはやはり『毎日をどうやって食べていくのか』という事です。」

【ナレーター】
 「指導者への忠誠心が希薄になっている」という北朝鮮の民衆。この映像は変化を象徴するものなのでしょうか?

【アジアプレス・石丸次郎氏】
 「VTRにあったようにですね、皆さん一生懸命商売をやっています。危ない、危険なんだけども、石炭を地下に入り込んで掘ってきてそれを市場で売っていると。これは危険なんだけれども、国家が面倒を見てくれませんからそうするしかない。またそうする事で、自分が生きていく手段となっているわけですよね。今回のVTRで、非常に今、民衆が頑張って生きている様子、国家を当てにせずに自力で何とか頑張って生きている様子がVTRの中によく現れていると思います。」

北朝鮮 石炭拾いの女性たち

【ナレーター】
 雪が積もっている咸鏡北道(ハムギョンホクドウ)の炭鉱。線路の上に倒れた貨車がありました。そこにいたのは何人もの女性たち。防寒対策なのかシュールを頭に巻き、手袋をはめています。そして泥のようなものを掘り起こしています。何をしているのでしょうか?これも石炭なのでしょうか?

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「質の悪い石炭を捨てている所があります。それが山になっているので鍬を持って行って拾い、エプロンなどに集めるんです。良い石炭も混ざっていますから。」

【ナレーター】
 この地域に住んでいた脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏。この映像を見て「色んな事を思い出すのだ」といいます。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「ええ、私もやりました。夫がいなかったり、一人で生活する女性たちはあそこに行って掘って、ましな石炭をリュックに入れて家々を回って『石炭を買わないか』って声をかけるんです。そうやって石炭を売って麺1キロを買えたら大したものじゃないですか。そうすれば1日は生きられるじゃないですか。」

【ナレーター】
 「こうした炭鉱には帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人や日本人妻、さらに戦争後日本に帰国できなかった残留日本人もいた」といいます。金美麗(キム・ミリョン)氏は、食糧難で石炭を売り歩いていた当時に両親を亡くしていますが、その事を思い出しながらこう語りました。

【脱北者・金美麗(キム・ミリョン)氏】
 「経験した人ならわかるでしょう。人は寒かったら飢えていたら眠くならないのです。夜が長く感じるんです。お腹の皮が背中にくっつくんです。夜が過ぎるのを待って、先の破けた靴を履いて石炭拾いに歩いて、石炭が売れなかったら声をあげるんです。家に帰るのが本当につらくて苦しかったです・・・。」(涙を流しながら語っていました)

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*写真は'06 10/1日比谷公園で行われたグローバルフェスタJAPAN2006にて、北朝鮮難民救援基金さんが出展していた“ある脱北者が履いていた北朝鮮の靴”です。(あおいのママ撮影)

*ある脱北者が履いていた北朝鮮の靴
http://aoinomama13.seesaa.net/article/27315039.html

省略(続きはこちらをご覧になってください)
 ↓ ↓ ↓
*金正男氏?北京に現る
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33449593.html

終わり

(ディレクター 吉田豊さん、岡本浩一さん、富岡裕一さん、竹澤英敏さん)

*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~

*2/11 TBS「報道特集」(2)炭鉱地帯に潜入 北朝鮮エネルギー不足で何が・・・ aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33859518.html

2/12 埼玉東部の会講演会
( 2007.2.14,水 )

*写真は調査会の杉野さん、お隣は難民救援基金の野口さんです。

 2月12日(祝)埼玉県越谷市で開催された埼玉県越谷市の講演会にあおいのパパが参加しました。主催は「救う会埼玉東部の会」です。会場には支援者の皆さん、拉致被害者「田口八重子さん」のご家族、特定失踪者「鈴木賢さん」・「佐々木悦子さん」・「生島孝子さん」のご家族の皆さん、その他特定失踪者の親類の方、30人ぐらいの皆さんがお集まりになっていたそうです。

救う会埼玉東部の会講演会

日時:平成19年2月12日(祝)14:00より
会場:越谷サンシティ視聴覚室
    埼玉県越谷市南越谷1−2876−1
講師:萩原遼さん(ジャーナリスト、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・名誉代表)
    杉野正治さん(特定失踪者問題調査会常務理事)
    野口孝行さん(北朝鮮難民救援基金・国際担当)
問い合わせ:同会代表(048-958-5813)

 午後2時から講演会が始まりました。主催者あいさつの後、北朝鮮難民救援基金の野口孝行さん、特定失踪者問題調査会常務理事の杉野正治さんのお話、特定失踪者「鈴木賢さん」のお兄さんによる川口の会とご家族の皆さんのご紹介、休憩の後、ジャーナリストの萩原遼さんの1時間に及ぶお話、質疑応答、で午後5時頃すべて終了しました。

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*昨日の東京新聞記事(北朝鮮 拉致の現状)を見せる萩原さん。

 同日同時間に東京集会が開催されておりましたので、せっかくのいいお話が聞ける講演会だったのですが、残念だとパパも言っていました。できるようでしたら、お話の要旨をレポートにしたいと思っています。

*2/12 埼玉東部の会講演会 野口孝行さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34115396.html

 会場で声をかけてくださった皆さん、本当にありがとうございました。パパ、連日の参加、お疲れさまでした。

*2/12 埼玉東部の会講演会 aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33546692.html

2/11 四市協議会講演会
( 2007.2.13,火 )

 2月11日(日)埼玉県和光市で開催された講演会にあおいのパパが参加しました。主催は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会」で、連休中にもかかわらず、300人前後の皆さんがお集まりになったという事です。

拉致から29年 家族の思い 拉致と最近の朝鮮半島情勢

日時:平成19年2月11日(日)午後2時半〜4時半 午後2時開場
会場:和光市民文化センター
登壇予定者:増元照明さん(家族会事務局長 増元るみ子さんの弟)
       荒木和博さん(特定失踪者問題調査会代表 拓殖大学教授)
会場案内:和光市広沢1−5 サンアゼリア小ホール
      東武東上線和光市駅徒歩15分 ※駐車場有
主催:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会

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 会場内では、特定失踪者問題調査会の北朝鮮向け短波ラジオ「しおかぜ」が流れ、スクリーンには特定失踪者の写真などが映し出されました。また、川口の会所有のブルーリボンの幟が壇上正面に掲げられていました。(Mさんの手作りです)

式次第

1、開会の言葉
2、国家斉唱
3、主催者あいさつ
4、来賓あいさつ
5、講師紹介
 増元照明さん(家族会事務局長)「拉致から28年 家族の思い」
 荒木和博さん(特定失踪者問題調査会代表)「拉致と最近の朝鮮半島情勢」
6、埼玉県拉致被害者家族の訴え
 飯塚繁雄さん(田口八重子さん兄)
 本間勝さん(田口八重子さん兄)
7、埼玉県特定失踪者家族の訴え
 鈴木智さん(鈴木賢さんの兄)
8、質疑応答
9、閉会のあいさつ

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 講演された増元照明さん、荒木和博さんはそれぞれ30分〜40分の熱のこもったお話だったそうです。(開催中の六ヵ国協議についてや、週刊現代のスクープについてのお話)できるようであれば要旨をレポートにしたいと思います。時間がかかるかもしれませんが、気長にお待ちくださいネ!

*2/11 四市協議会講演会 荒木和博さん aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35180281.html

 ご参加の皆さん、本当にお疲れさまでした。

*2/11 四市協議会講演会 aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33505993.html

2/11 TBS「報道特集」(1)六ヵ国協議 拉致問題は
( 2007.2.12,月 )
*2/11TBS放送の「報道特集」を文字化しました。

六ヵ国協議を動かした新たな脅威。北の核に何が・・・。「まさに米朝の隠された密約が・・・。」アメリカと北朝鮮、核をめぐる密約とは。そして拉致問題の行方は。水面下の激しい駆け引き。六ヵ国協議の裏側に迫る―。

六ヵ国協議 拉致問題は?

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「こんばんは、報道特集です。北朝鮮の核問題を話し合う六ヵ国協議が今北京で開かれています。『今回は一つの分水嶺になる』と日本側の代表も語っていた協議なんですが、現在の状況はどうなっているんでしょうか?また、拉致問題での進展は何かあったんでしょうか?北京で取材しています林記者に聞いてみます。林さん。」

【林三郎記者】(中継・北京釣魚台 日本時間2月11日午後5時前)
 「はい。核放棄に向けた初期段階措置の見返りに、北朝鮮側が桁外れのエネルギー支援を要求している事から、合意文書の作成が難航しています。

 一方、拉致問題についてですが、外務省の佐々江賢一郎・外務省アジア大洋州局長は、金桂冠(キム・ゲグァン)外務次官と協議初日に会話をしていますが、実質的な協議をするには至っていません。北朝鮮は翌9日の朝鮮中央通信で、拉致問題を採り上げる日本に対して『協議を故意に妨害しようとしている』などと非難をしています。

 拉致問題について日本側は、核・ミサイル問題と共に各国へ理解を求め言及していますが、核放棄への合意ができるかどうかが今回の最大の焦点であるため、大きく取り扱われてはおらず、今後日朝関係の作業部会が設置された際に期待をつなげる事になります。」

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「北京から林記者でした。さて今回の協議で注目されましたのが、アメリカと北朝鮮の急速な歩み寄りです。その米朝の歩み寄りの背景にはどんな思惑が働いていたのでしょうか?」

北の核 最悪のシナリオ

【ナレーター】
 「北朝鮮が寧辺(ヨンビョン)にある核施設の稼動を停止する」「他の5か国が代替エネルギーの支援を行う」開催前からすでに合意内容が話されていたとされる今回の六ヵ国協議。アメリカと北朝鮮の歩み寄りの裏にあったものは―。

【朝鮮中央テレビ】
 「我が科学研究部内では2006年10月9日、地下核実験を安全に成功させました。」

【ナレーター】
 去年10月に行われた北朝鮮の核実験。1キロトン以下の小規模なもので、一時失敗説も流れた。しかし―。

【韓国国防研究院・金泰宇(キム・テウ)博士】
 「小規模の爆発が北朝鮮の狙い通りなら、相当深刻な問題でしょう。」

【ナレーター】
 こう話すのは韓国国防研究院の金泰宇(キム・テウ)博士。安全保障問題のスペシャリストだ。

【韓国国防研究院・金泰宇(キム・テウ)博士】
 「小型核兵器は大型よりも恐ろしいのです。テロの武器になるということ、第三国などテロ集団に流出したらすぐに国際テロにつながるという事、そういう意味で大変恐ろしいのです。」

【ナレーター】
 北朝鮮の核兵器のテロ集団への流出。この新たな脅威は、北朝鮮が小規模とはいえ核兵器を爆発させた事によって芽生えたのだという。アメリカが恐れるテロ集団とは―。

 静岡県立大学の伊豆見元教授はこう話す。

【静岡県立大学・伊豆見元教授】
 「北朝鮮の核兵器は、テロリストにとって魅力的な兵器になった可能性がある。テロリストはアルカイダは買いたいと思うかもしれないし、北朝鮮は売りたいと思うかもしれない。」

【ナレーター】
 イスラム過激派のテロ組織・アルカイダが起こした同時爆破テロ。「その再来をアメリカは恐れている」のだと伊豆見教授は話す。

【静岡県立大学・伊豆見元教授】
 「もし北朝鮮の核兵器がアルカイダの手に渡れば、アルカイダは必ずアメリカにそれを持ち込んで、例えばニューヨークのマンハッタンあるいはウォールストリートを狙うかもしれない。あるいはワシントンに持ち込んでホワイトハウスを狙うかもしれないと、これを当然アメリカは考えるわけですね。そちらの方がはるかに切迫感がある。今すぐにでもできるかもしれないという事。」

【ナレーター】
 「核兵器を流出させないため、そして作らせないために、寧辺(ヨンビョン)の核施設を停止させ、プルトニウムなどを廃棄させる」これがアメリカの目標だと伊豆見教授は指摘する。

 1月、ベルリンで行われた米朝協議。酒を酌み交わすなど終始和やかに進んだという。そこでは「東アジア情勢以外のある問題が話し合われた」とする見方がある。

㊙ 北朝鮮とアメリカの密約

【関西大学・李英和(リ・ヨンファ)教授】
 「まさに米朝の隠された密約が中東問題だと、イランの核開発の問題だと・・・。」

【ナレーター】
 こう指摘するのは関西大学の李英和(リ・ヨンファ)教授。「イランの核開発に関してアメリカと北朝鮮が密約を結んだ」と言うのだ。どんな密約だというのだろうか?

【関西大学・李英和(リ・ヨンファ)教授】
 「この問題で、アメリカ側は北朝鮮に対して『核物質をイランに渡さない、そしてミサイル等の大量破壊兵器をイランに輸出しない、という事を約束してくれれば、アメリカは六者協議で大幅な譲歩をする』という提案を行って、北朝鮮側もそれに同意をしたと。この時点で今度の六者協議の進展は担保されたようなもの、保証されたようなものですよね。」

【ナレーター】
 「イランへ核物質や大量破壊兵器を流出させないと北朝鮮に約束させる代わりに、大幅な譲歩をする」という密約。「アメリカがそこまで踏み込んだのには訳がある」という。

 イランが誇る弾道ミサイル「シャハブ3」、これはその発射実験の映像だ。北朝鮮から技術供与を受けて作られ、ノドンミサイルに酷似しているとされる。

【イラン最高指導者・ハメネイ師】
 「自分の才能や能力を知っている国民は、アメリカの脅迫を怖がらない。イラン国民は引き下がらない。」

【ナレーター】
 イランは4日前にも革命防衛隊が軍事演習を行った。さらに今日(2月)11日の革命記念日には、「シャハブ3」の改良型による人口衛星の打ち上げ、もしくは何らかの核開発に関する発表を行うともみられている。「米朝の歩み寄りは、こうした動きにも深い関係がある」というのが李教授の見方だ。

【関西大学・李英和(リ・ヨンファ)教授】
 「特にアメリカは場合によっては、イランの核開発施設を限定的にでもピンポイントで空爆しなければならないと。その時に北朝鮮の核物質があるいは核爆弾がイランに渡って反撃を受ける、という事は最悪のシナリオですからね。何としても北朝鮮を抱き込みたい、という事ですよね。」

北朝鮮 止まらない核開発

【ナレーター】
 アメリカは核移転を防ぐために、まず寧辺(ヨンビョン)の核施設の停止と査察の受け入れを主張している。しかし「北朝鮮には核施設の停止を遅らせた方が都合がいい事情もある」という。

 静岡県立大学の伊豆見元教授はこう指摘する。

【静岡県立大学・伊豆見元教授】
 「(北朝鮮は)現在5メガワットの原子炉を動かしていますが、もう少しあと数ヶ月、あるいはあと6ヶ月も動かせばですね、全部の燃料棒を交換する事ができる時期にくるんですね。そうすると、もう1回その燃料棒を交換して使用済みの核燃料から10キロ位のプルトニウムが作れるんですよ。そのプルトニウムをまず増やしておいて、それから凍結するって考えるかもしれないですね。」

【ナレーター】
 「北朝鮮は核施設凍結の時期が遅い方が望ましいと考えているのではないか?」、こう伊豆見教授はみている。

 六ヵ国協議で北朝鮮へのエネルギー支援が正式に決まっても、各国は新たな難問に頭を悩ませる事になる。「実際に誰が支援するのか?」という問題だ。

【関西大学・李英和(リ・ヨンファ)教授】
 「日本がキーパーソン・・・。」

北朝鮮の核開発と拉致

【ナレーター】
 昨日(2月10日)鳥取県米子市で開かれた拉致問題の集会。「どうか今日は最後までよろしくお願い致します。」(大拍手)壇上には地元の拉致被害者・松本京子さんの母親三江(みつえ)さん等の姿があった。また、会場近くでは横田めぐみさんの写真展も開かれ、松本京子さんや地元の特定失踪者の写真も展示された。

*'06 12/3 TBS「報道特集」失踪した日本人特殊技術者
http://aoinomama13.seesaa.net/article/29436087.html

 北朝鮮への支援が論じられている今、六ヵ国協議の行方をどう見ているのか?特定失踪者問題調査会の荒木和博代表はこう話す。

【特定失踪者問題調査会・荒木和博代表】
 「今、日本政府は『拉致問題の進展がなければ一切援助はできない』という事を言っているわけで、これをどこまで頑張り切れるかという事だと思うんですね。頑張りきるためには、やはり世論の支持がなければいけないと・・・。」

【ナレーター】
 「拉致問題で進展がなければ北朝鮮への支援はできない」という立場の日本政府。北朝鮮側は「日本が核問題の解決を妨害している」と批判している。しかし、もし北朝鮮が核施設の停止と査察受け入れの方向に進んだ場合、エネルギー支援が重要なテーマになってくる。日本も応分の負担を求められる可能性は高い。

 静岡県立大学の伊豆見元教授はこう話す。

【静岡県立大学・伊豆見元教授】
 「ともかく『我々は拉致問題が進展しないと、応分の負担はできないんだ』という事を残りの4カ国が十分に理解してくれて、『それなら今回あなたはいいですよ』と、むしろ日本にもそういう時に応分の負担が可能になるように、残りの4カ国が北朝鮮に対して拉致問題について相当な働きかけ・圧力をかけてくれるのが我々のベストシナリオですけど、それは現実にそうなるかどうかっていうと非常に難しいだろうと・・・。」

【ナレーター】
 参議院選挙を控えた安倍政権。これまで北朝鮮への強硬姿勢を取ってきただけに、エネルギー支援をするとなれば、これまでの支持層をも失う可能性がある。その一方で頑なな姿勢を見せ続ければ、六ヵ国協議の中で孤立化していく事も考えられる。非常に難しい状況だ。しかし、逆に「日本が六ヵ国協議の鍵を握っている」という見方もある。それは―。

【関西大学・李英和(リ・ヨンファ)教授】
 「アメリカは重油支援、まったくお金を出す気はありません。中国も出す気はないですね。ロシアもまったく出す気はない。まぁ韓国の場合は北朝鮮に支援をしたくって仕方がないですね、うずうずしていますから。本来なら単独でも50万トンあげたいくらいですよね。あるいはもっとあげたいくらいですけども、単独で支援するわけにはいかないから日本を道連れにしたい、というのが韓国の立場ですよね。まぁそういった意味では、日本が50万トンの支援に応じないと韓国も出せないという意味では、ちょっと際どいですよね。ご破算になりかねないと。そういう意味では日本がキーパーソン、鍵を握っている・・・。」

【ナレーター】
 経済的な苦境に立つ北朝鮮。「重油の支援をきっかけに食糧や医療の支援の道筋をつけ、最終的には日朝国交正常化に伴う日本からの経済協力で国を立て直す戦略」だと李教授は指摘する。では、拉致問題は―。

【関西大学・李英和(リ・ヨンファ)教授】
 「今回の六者協議がいったん軟着陸して、その後に急速に動き出すというふうに私は見ていますね。今回の六者協議だけを見て楽観したり失望したりする必要はない、と私は思いますね。」

【ナレーター】
 拉致問題にどのような影響を与えるのか?鳥取県米子市で拉致された松本京子さんの兄・孟さんは「政府関係者からある話を聞いた」という。

 北朝鮮への支援が論議されている六ヵ国協議について尋ねるとこんな答えが返ってきた。

【拉致被害者松本京子さんの兄・孟さん】
 「私ども、政府から聞き及んでいる範囲内では、かなり日本も北朝鮮に対しては圧力をかけて、ある面有利に進んでいるというような事を聞いていますので、まぁさほど(六ヵ国協議の行方を)気にはしません。」

【ナレーター】
 「日本に有利」だという見解。特定失踪者問題調査会の荒木和博代表は「拉致問題は日朝間で解決する問題」としながらも
こう話す。

【特定失踪者問題調査会・荒木和博代表】
 「少なくともこの拉致の事が進まなければ六者協議の進展にも応じないんだよ、と日本がメッセージを出すという事はですね、北にとってはものすごい圧力ですね。」

【ナレーター】
 難しい局面に立たされている日本政府。安倍政権はどんな決断を下すのだろうか?

六ヵ国協議 米朝の密約

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「はい、『拉致問題で進展がなければ日本は北朝鮮に対して支援をしない』というのが譲れない原則なわけですが、もし他の各国が北朝鮮に対して経済あるいはエネルギー支援で一定の合意を見た場合、それに日本が参加しない時は、北朝鮮は『日本が協議の足を引っ張っている』と非難するのは明らかです。

 自ら核の危機を作り出して、今度は『それを止める代わりに援助しろ』という北朝鮮のやり方は、本当に強い憤りを覚えます。

 ところでもしエネルギー支援の作業部会が設置され、それに日本が参加するとなった場合、直接的な支援はできないとしても、日本は例えば北朝鮮のエネルギー事情を実態調査するという間接的なかたちで参加する、という選択肢を選ぶ事もありそうです。

 そうした中、北朝鮮の今のエネルギー事情を知る上で大変貴重な映像を入手しました。どうぞご覧ください。」

(2)に続く

*2/11 TBS「報道特集」(1)六ヵ国協議 拉致問題は aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/33481756.html

金正男氏?北京に現る
2007.2.11,日

*先ほど放送された報道特集(2/11午後5時半〜6時半TBS放送)での最新ニュースです。どうでもいい事かもしれませんが、一応ちょっとだけ先に文字化してみました。

【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて)
 「ここでつい先ほど入ってきた映像をちょっとご覧ください。(北京空港午後5時ごろ)金正日の長男・金正男氏と見られる男性が先ほど北京に姿を現しました。帽子をかぶって小太りという感じですが・・・。これは日本時間の午後5時ごろ北京空港で撮影された映像です。」

Q:「日本語話せますか?」
A:「わかりません。」

Q:「何を目的に北京にいらっしゃいました?」
A:「・・・。」

 「正男氏と見られる男性は滞在先のマカオからの直行便で北京入りをしました。で、報道陣とのちょっとしたやり取りの後、タクシーに乗り込みまして、北京市内のホテルに入りました。男性には同行者はなく、一人で行動してい