|

2006年11月の日記
| 11/27 病院に行く |
( 2006.11.28,火 ) |
*苦しくなると福鈴を鳴らしています。ありがとうね。 あおいのママは昨日27日が病院の予約日で船橋に行きました。今回もパパに付き添ってもらいました。昨日はどうしたわけか採血が混んでいて、しばらく待つはめになったのですが、でも採血は最近になく痛くなかったです。痛い時は数日間痛くて、アザのようになってしまうんです。(泣)
診察は予約時間より40分遅れでした。検査結果は、前回少し数値は良くなったのに、結局また元に戻ってしまいました。血圧はちょっと低めだったし、どうしても貧血症その他が治らなくて、また数日後に再検査となってしまいました。今度は一度も経験したことのない検査なので少し不安です。次回の診察は来年になるので、それまで結果を知ることができなくて、ずっと心配しながら過ごさなければならないの・・と思うとつらいです。まぁ、よほど悪くないかぎり自宅に連絡はこないでしょうから、連絡のない方が安心なんですけどネ。
精神的なものでしょうが、今日は頭痛や寒気がするので一日寝ていようかと思います。(薬は飲みました)私はどちらかと言うと神経質で、少しのことでも気にしてしまう性質なんです。ダメだなぁとは思うんですけど・・・。中年なんだからどこか悪くなるのは仕方がないですよね。しっかりしろ、自分!!
あっ、それからママのウォーキングのことを心配してくださった方がいたのですけど、それは全然大丈夫です!先生にも「これからも無理なく続けてください」と言われました。腰痛持ちでもあるので歩いた方がいいんです。ダイエットついでのしおかぜポスティングも楽しみながらやっています。日頃引きこもりがちな私には気分転換にもなっていますから、心配しないでくださいね。(^^)
前にも書きましたけど、「自分との戦い」に負けないようにこれからも頑張っていこうと思います。
*福鈴シャンシャン http://aoinomama13.seesaa.net/article/26497957.html
*11/27 病院に行く aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/28454628.html
|
| 11/25 映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』初日 |
( 2006.11.25,土 ) |
写真は昨日、あおいのママとパパの友人のSさんが送ってくれました。25日は映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』の一般公開初日だったのですが、Sさんは渋谷の「シネマGAGA!」へ観に行き(午前の第一回目の上映)、その時の舞台あいさつの様子を撮影したそうです。横田滋さん・早紀江さん、そしてアメリカから帰って来たばかりの増元照明さんも駆けつけてくださったということです。
ニュースによりますと、渋谷ではたくさんの方が朝から足を運んでくださったようですね。(満席200人!)本当によかったです。私たちも機会があればまた観に行こうと思っています。
Sさん、写真を送ってくださって本当にありがとうございました。(^^)
横田めぐみさん 拉致事件描いたドキュメンタリー一斉公開
北朝鮮による横田めぐみさん拉致事件を描いたドキュメンタリー映画「めぐみ−−引き裂かれた家族の30年」(アブダクション)が25日、全国37カ所の映画館で一斉に公開された。横田滋さん(74)、早紀江さん(70)夫妻が東京・渋谷の「シネマGAGA!」で舞台あいさつに立ち、滋さんは「これほどの人が訪れてくれたことは拉致問題への関心の深さの表れで、心強い」、早紀江さんは「私たちが命がけで闘ってきたことや、拉致が日本や世界にとってどんなものなのかを分かってもらえれば」と語った。
渋谷での最初の上映には満席の約200人が詰めかけ、横田夫妻が日朝首脳会談(02年9月)後にめぐみさんの死亡を伝えられ、涙を流すシーンになると、会場ですすり泣きが漏れた。
映画は、米国在住の映像プロデューサー、クリス・シェリダンさん(37)と妻パティ・キムさん(36)が監督を務め、米国のスラムダンス映画祭観客賞など六つの賞を受けている。【工藤哲】(毎日新聞) - 11月25日17時5分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061125-00000017-maip-soci *映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』公式サイト http://megumi.gyao.jp/ *11/23 東京国際シネシティフェスティバル2006にて http://aoinomama13.seesaa.net/article/28265123.html
*11/25 映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』初日 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/28286886.html
|
| 11/23 東京国際シネシティフェスティバル2006にて |
( 2006.11.23,木 ) |
*写真はすべてあおいのママの撮影です。 祝日の23日、あおいのママは東京新宿歌舞伎町の新宿ミラノ1で上映された「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」を観に行きました。先日友人のSさんから「劇場一般公開前に映画祭で上映される」という情報を教えていただいたので、すぐにチケットを手に入れて、そして二人で行くことになりました。試写会を含めSさんは3回目、私も2回目の鑑賞です。
映画館に着くと、この日は全席指定だったのですが、開場前にもかかわらず大勢の方が並んでいまして、映画の関心の高さにとてもうれしく感じました。私たちも外でしばらく並びました。館内外に報道関係者が多く集まっていたため、「一般公開前だけど、映画祭だからこんなに多いのかなぁ?」と少し不思議に思いました。それで会場に入ってからわかったのですが、この日横田さんご夫妻や塩崎恭久官房長官ご夫妻も会場にいらしていて、その取材で大勢の方が集まっていたようです。
私たちは別々の席(ほぼ端と端)に着き、上映時間の午後4時を待ちましたが、館内は若い人が結構多くて驚きました。ちなみにママのお隣は若い男性が一人で観に来ていまして、上映中、時々涙を流しているのがわかりました。(報道では650人の方が鑑賞されたということです)
時間になり、すぐに上映されるのかと思っていたら、スクリーン前の舞台に司会者の女性が現れました。映画の簡単な説明とクリス・シェリダン&パティ・キム監督のビデオメッセージが流れ、座席の塩崎恭久官房長官ご夫妻の紹介、そして横田滋さん・早紀江さんご夫妻が登場し、少しお話されました。まさか一般公開初日でもないこの映画祭にいらっしゃるとは知らなかったので、毎日のようにどこかに飛び回っているお二人のことを思うとお気の毒でなりませんでした。
舞台あいさつより
【横田滋さん】 「あまり拉致について関心のない方にこそ、ぜひ見ていただければありがたいと思っています。」
【横田早紀江さん】 「『私だったらどうするだろうか?』っていうところから見ていただくと一番よくわかりますので、『早く解決しなければ』という思いになっていただきたくて・・・。」 ニュースにもありましたように、「中学生・高校生・大学生など、(拉致された時のめぐみさんと)同じ年頃の若い人たちにも見てほしい」とおっしゃっていました。
*「若者にぜひ見てほしい」 めぐみさん映画で両親訴え 神戸新聞WEB NEWSより http://www.kobe-np.co.jp/kyodonews/news/0000174815.shtml
横田さんご夫妻は観客の皆さんへあいさつされた後、舞台上で映画ポスターのパネルをバックに報道関係者のための写真撮影(数分)に応じ、その終了後、映画「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」が始まりました。映画の内容については以前にフジテレビの番組「とくダネ!」で詳しく放送されていました。その文字化テキストがございますので、そちらをご覧になっていただければかなりわかると思います。(テレビから撮影した写真もあります)
*10/16 フジテレビ「とくダネ!」 日本人が描けなかった拉致問題 横田夫妻30年の闘い http://aoinomama13.seesaa.net/article/26554346.html
映画の始めの方に、めぐみさんが拉致されて1年半後、家出人捜索番組に出演され訴えかけられた、ご家族の苦しみ悲しみが切なく胸を打つそんなシーンがあります。1979年あの当時、もしかしたら私たち、そして皆さんも番組を見ていたかもしれないシーンです。当時私は子どもで、番組で多くのご家族の必死な訴えを何気に見ていたかもしれませんが、でも当事者以外はあまり覚えていないでしょうね。あの頃、同じような番組がたくさんありましたし・・・。とても悲しくなるシーンでした。
横田早紀江さんが番組で訴えるシーン
「めぐみちゃん、あなたが本当に自分で出て行くとはどうしても思えません。あの暗い道で何かがあったんじゃないかとそればっかり思って、どんなつらい思いで暮らしているのかと思うと、もう本当にどうしていいのかわからない状態です。どうぞ元気でいるのなら、たった一言でいいですから、電話なりはがきの一本なりよこしてください。全国の皆さん、どうぞこの子をどこかで見かけたりしましたら、どんな小さな事でも結構でございますので、お知らせいただきとうございます。よろしくお願い致します。」 また、映画の中で街頭に立って助けを訴えるシーンがありますが、横田滋さんにチラシを叩きつける方がいるんです。講演会でも早紀江さんがよく「当時はなかなかチラシを受け取ってもらえなかった」とお話しされますが、街頭活動をしていてこのような経験をされた方もいらっしゃると思います。私たちも何度かありました。人の優しさ温かさをありがたく思う一方で、非情さ冷淡さも実感しました。そんな時、ご家族の皆さんの苦悩を思い、自分を励ましたりすることもありました。家族会の皆さんが活動を始めた頃はなかなか世間の皆さんに振り向いてもらえなかった、それがよくわかるシーンだと思いました。
その他、飾り気のない、素顔のご家族の様子がうかがえるシーンもいくつかあり、そういったシーンがまさか映画に使われるとは思ってもみなかったそうですが、作り物ではなくすべて事実なので、観ている人にストレートに伝わってきます。本当に日本人の視点では描けない映画だと思いました。
*2004年7月、選挙投票日の事務所内の様子です。多くの報道陣の中にクリス・シェリダンさん、パティ・キムさんが撮影していました。
個人的には2004年の増元照明さんの参議院選挙の際のシーンで、ママもパパもSさんも仲良しのAさんもちょっぴり出演?しているので、一応映画デビューしたとカン違いしている私たちなんですが、選挙を手伝った皆さんが結構映っていますので、心当たりのある方はぜひお薦めします!(^^)
映画終了後、目を真っ赤にして余韻を持ったままの観客の皆さんが、ホールで横田さんご夫妻に励ましの言葉を伝えていました。そしてたくさんの報道陣に囲まれながら、一人一人に誠実に答えるお二人の姿がありました。早紀江さんがたまたまSさんと私に気がついてくれましたので、私たちは会釈だけしてその場を去りました。
その際、日本テレビの「ザ・ワイド」の取材班が「インタビューさせてください」と声をかけてきました。私たちは恥ずかしくて遠慮したのですが、結局インタビューを受けることになってしまいました。カメラを向けられながらリポーターの方の質問にいくつか答えたのですが、もうあがってしまって何を話したのかあまり覚えていません。ただ、「めぐみさんを含む拉致被害者、そして特定失踪者の皆さんすべてを一刻も早く取り戻さなければ」というようなことを言ったのは覚えています。残念ながら?番組ではボツになったようですので、かえってホッとしました。
映画館を出ると外はもう暗くとても寒かったです。新宿東口駅前には若い人たちが大勢待ち合わせをしていましたが、そこはブルーのイルミネーションがとてもキレイだったので、私たちは映画「めぐみ」のパンフレットを持ちながらお互いに写真を撮りました。(少しでもアピールできたかな?)その後、この日仕事だったパパと待ち合わせをして、一緒に食事をしながら映画館での出来事を話し、そして帰宅しました。Sさん、一日お付き合いありがとうございました。
どうか多くの皆さんが映画「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」を観てくださいますように、大ヒットしますように、心より願っております。
*映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』公式サイト http://megumi.gyao.jp/ *6/27 映画「アブダクション(拉致)」上映会 http://aoinomama13.seesaa.net/article/24989157.html
*パンフレットです。
流浪の民 (シューマン作曲 石倉小三郎訳)
ぶなの森の葉隠れに宴寿ひ(うたげほがい)賑はしや 松明明るく照らしつつ木の葉敷きてうついする
これぞ流浪の人の群れ 眼光り髪清ら ニイルの水に侵されて きららきらら輝けり
燃ゆる火を囲みつつ強く猛き男やすらふ 女立ちて忙しく酒を酌みて差しめぐる
歌い騒ぐその中に南の国恋ふるあり 悩み払う祈言(ねごと)を語り告ぐる女(おうな)あり
愛し乙女舞出でつ 松明赤く照り渡る 管弦の響き賑はしく 連れ立ちて舞ひ遊ぶ
既に歌ひ疲れてや 眠りを誘ふ夜の凪 慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり(めぐみさんの独唱)
東空の白みては夜の姿かき失せぬ ねぐら離れ鳥鳴けばいずこ行くか流浪の民 いずこ行くか流浪の民 いずこ行くか流浪の民 流浪の民
*11/23 東京国際シネシティフェスティバル2006にて aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/28265123.html
|
| 11/19 TBS「報道特集」(2)北朝鮮政治犯収容所の真実 〜父の命を代償に〜 |
( 2006.11.21,火 ) |
*11/19TBS放送の「報道特集」の一部を文字化しました。写真はテレビから撮影しましたので不鮮明です。
韓国で講演された前代未聞のミュージカル。北朝鮮の政治犯収容所の実態を伝えようと立ち上がった平壌出身の映画監督。「お父さん、僕が恨みを晴らしてみせる」。その代償に処刑された父。世界から非難をあび続ける政治犯収容所。北朝鮮がその隠蔽工作を開始した―。
*11/19 TBS「報道特集」(1) 北朝鮮政治犯収容所の真実 〜父の命を代償に〜 http://aoinomama13.seesaa.net/article/27932218.html
続き
【ナレーター】 様々な問題(政治犯収容所・核・拉致)で国際社会の非難をあびる北朝鮮。ところが政治犯収容所の存在は断固として認めていない。去年('05年)11月、国連の人権委員会で政治犯収容所が問題視されると北朝鮮は猛烈に反発した。
【北朝鮮・金昌国(キム・チャンクク)国連次席大使】 「非難決議はでっち上げだ。アメリカとイギリスはやりたいことをやろうとする。我々は非難決議を恐れていないし恥とも思っていない。アメリカと戦うことを誇りに思う。」
【ナレーター】 さらに翌12月に開かれた国連会議の本会議(米・ニューヨーク)では、世界88ヶ国が北朝鮮を名指しで非難する決議を採択した。
【北朝鮮代表】 「アメリカ・イギリスそして日本は、核問題と共に人権問題を使って我々の政権を転覆させようとしている。」
【ナレーター】 こうした国際社会の非難を避けるために、北朝鮮国内では政治犯収容所を別の呼称で呼んでいる。ミュージカルの舞台となった耀徳(ヨドク)政治犯収容所も正式名称は“朝鮮人民軍・警備隊第2915部隊”という。
これは2003年に撮影されたその耀徳(ヨドク)政治犯収容所の衛星写真。現在、朝鮮日報の記者を務める姜哲煥(カン・チョルファン)氏。北朝鮮の政治犯収容所が世界に知れ渡ったきっかけは、家族と共に耀徳(ヨドク)に10年間収容された彼の告発だった。
元国家安全保衛部・宋氏と元収容者の姜氏に耀徳(ヨドク)政治犯収容所を分析してもらった。まず「収容所の半径10キロ付近には、軍人であっても近づけないようワナが仕掛けられている」という。
【北朝鮮国家安全保衛部・宋英哲(ソン・ヨンチョル)氏】 「あらゆる場所に脱走を防ぐ深い落とし穴があり、下にはとがった鉄棒が刺さっています。周囲の草むらに同化していますから、落ちれば命を落とします。」
【耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏】 「線が見えますよね?これが鉄条網です。」
【ナレーター】 政治犯収容所の広大な敷地全体は、高圧電流が流された鉄条網で覆われている。収容者の脱獄を阻止するためだ。
【耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏】 「ここが収容所に入る正門です。軍人の詰め所があります。」
【ナレーター】 正門は鉄の扉の上に“咸鏡南道 耀徳郡(ハンギョンナムド ヨドク)第2915部隊 朝鮮人民 警備隊”と書かれた看板がある。それを開けると次に柵が上がり、さらに観音開きの門を開ける三重構造になっている。正門を抜けると集落が現れる。ここは監視役の保衛員やその家族が住む地域だ。一般と同じ教育を受ける学校もある。その先に進むと姜(カン)氏が収容されていた地域があり、彼が住んでいた小さな家が現れる。
【耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏】 「私はここに住んでいました。4番目のここ。」
【ナレーター】 所々に点在している収容者の住居は、六帖一間程度のスペース。そこに一家族が押し込められていたという。
【耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏】 「ここが収容所の学校で、初等から中学まで通います。」
【ナレーター】 収容者の子ども用に作られた学校もある。しかし一般の授業はほとんどなく、労働作業や金日成の思想教育が主だったという。さらに学校の傍の川沿いには最も恐れられた地域がある。
【耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏】 「ここで公開処刑が行われました。過酷で悲惨な時間でした。絞首刑の場合、収容者が死刑囚に石を投げつけて殺すというのが日常でした。」
【ナレーター】 姜(カン)氏がここで過ごした日々を綴った著書(平壌の水槽)には、毎月15日分の食料配給しかなく、ネズミやヘビを捕まえて食べなければ飢え死にするという食生活、何千何万にも及ぶ餓死者、女性収容者への暴行など、収容所での悪態がすべて記されている。
「ある日、保衛員が死体を埋めてあった丘をブルドーザーでならしていた。腕や足など人肉の屑が地中から飛び出し、散乱した死体片を囚人たちに片付けさせる。4日後、同じ場所にトウモロコシ畑が耕された。」
政治犯収容所での生活を綴ったこの手記をアメリカのブッシュ大統領も手にした。(映像 '05年6月米・ホワイトハウス)手記を読んだブッシュ大統領は、金正日総書記に対し怒りを露わにしたという。
【耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏】 「『北朝鮮を人権問題で追い込んでほしい。漠然とではなく、耀徳(ヨドク)など具体的な政治犯収容所の名前を出して』と伝えました。」
【ナレーター】 関係者によって明かされる政治犯収容所の実態。ところが北朝鮮にはこの他にも数種類の収容施設がある。
【北朝鮮国家安全保衛部・宋英哲(ソン・ヨンチョル)氏】 「北朝鮮には政治犯収容所以外に“労働教化所”“労働鍛錬隊”という収容施設があります。」
【ナレーター】 “労働教化所”(一般犯罪1〜15年)とは日本の刑務所にあたり、軽罪犯・暴力犯・窃盗犯など一般犯罪者が収容される施設。
崔順玉(チェ・スンオク)さんは中国への脱北に失敗し、昨年12月まで北朝鮮北東部にある大興(テフン)労働教化所に1年間収容されていた。彼女はそこで意外な人物を目撃する。
【脱北者・崔順玉(チェ・スンオク)さん】 「この二人も見ましたよ。ああ、この子も見ました。」
美女応援団も収容所に
【ナレーター】 去年9月、韓国を訪れた北朝鮮の美女応援団。(映像 アジア陸上選手権 韓国仁川'05年9月)その一部の女性たちが1ヵ月後、大興(テフン)労働教化所に収容されたというのだ。
【脱北者・崔順玉(チェ・スンオク)さん】 「担架のようなもので石炭を運ぶ仕事をしていましたから、水ぶくれがつぶれて血が出たり、朝、顔を洗いに行くと泣いている子も見かけました。」
【ナレーター】 「石炭を運ぶ作業につかされていた」という美女応援団。いったい彼女たちに何が起きたのか?
(映像 W杯・アジア最終予選カタール・ドーハ '93年10月)サッカー元北朝鮮代表(監督)の尹明讃(ユン・ミョンチャン)氏。サッカーの国際試合で国外に出向くことのあった尹(ユン)氏は、美女応援団の一部が労働教化所に送られた理由をこう語る。
【サッカー元北朝鮮代表監督・尹明讃(ユン・ミョンチャン)氏】 「国外に出た場合、『そこで見たことは北朝鮮に足を踏み入れた瞬間全部忘れろ記憶するな』と教育されます。でも、若い彼女たちには出来なかった。北朝鮮とのあまりのギャップに、韓国の実状を知人に話してしまったのでしょう。」
【ナレーター】 韓国の実状を話せば本来は政治犯となる。しかし応援団の女性たちは党幹部の娘が多かったため減刑されたものと思われる。
地獄より過酷!北の収容所
さらに軽犯罪者が収容される“労働鍛錬隊”(軽犯罪3ヶ月〜1年未満)と呼ばれる施設もある。裁判はなく、1年未満の刑期で過酷な労働が科せられるという。
この映像は2005年、北朝鮮の清津(チョンジン)で労働鍛錬隊を捉えた貴重なものだ。(映像提供 ASIA PRESS)何十人もの囚人が監視下で歩く。清津(チョンジン)の建設現場で砂を運ぶ囚人たちの様子が収められている。映像を入手したジャーナリストの石丸次郎氏に聞いた。
【ジャーナリスト・石丸次郎氏】 「労働鍛錬隊というのは、その施設の中で労働させるのではなくて、いわば市内あちこちを巡りながらですね、出張労働を毎日毎日させられるわけなんですよね。」
【ナレーター】 映像を元北朝鮮国家安全保衛部の宋氏にも見てもらった。
【北朝鮮国家安全保衛部・宋英哲(ソン・ヨンチョル)氏】 「確かに労働鍛錬隊の映像ですね。軽犯罪者に思想や精神を改めさせるために、道路工事の現場などで無報酬の強制労働をさせているんです。」
【ナレーター】 北朝鮮は「“労働教化所”“労働鍛錬隊”については刑務所と同じ扱い」としてその存在を認めている。しかし北朝鮮が断固として認めないもう一つの収容施設“政治犯収容所”。それを告発するためにミュージカルを制作した鄭成山(チョン・ソンサン)監督。韓国語のミュージカルには突然日本語の台詞(セリフ)が登場する。
日本の歌が!北の収容所で
(ミュージカルの映像) 「♪白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の・・・」(殺されるシーン)
日本でも有名なあの曲だ。「北国の春」。北朝鮮の政治犯収容所を描いたミュージカルに何故この歌が登場するのか?
【北朝鮮出身・鄭成山(チョン・ソンサン)監督】 「近所に日本人が住んでいて、酒を飲むとよくこの歌を口ずさんでいたんです。その人も政治犯収容所に連れて行かれました。実際、耀徳(ヨドク政治犯収容所)にも日本人妻が数多くいたと聞いています。」
【ナレーター】 「耀徳(ヨドク)政治犯収容所には、かつての帰国事業で北朝鮮に渡った多くの日本人妻が収容されていた」という。(映像 北朝鮮帰国事業1960年代)
北国の春
【いではく作詞・遠藤実作曲】
白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春 季節が都会ではわからないだろうと 届いたおふくろの小さな包み あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
雪どけ せせらぎ 丸木橋 落葉松の芽がふく 北国の ああ 北国の春 好きだとおたがいに言いだせないまま 別れてもう五年あの娘はどうしてる あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
山吹 朝霧 水車小屋 わらべ唄聞こえる 北国の ああ 北国の春 兄貴も親父似で無口なふたりが たまには酒でも飲んでるだろか あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな
(ミュージカルの映像) 「みんな撃ち殺せ」
【ナレーター】 ミュージカルは軍人によって全員が銃殺される場面で終焉を迎える。これも事実に基づいた演出だ。
決意!金正日との戦い
【耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏】 「数年前に隠城(オンソン)政治犯収容所で大きな暴動が起きました。保衛員と収容者の区別がつかないので、軍が出動し5000人を皆殺しにしたと聞いています。」
【ナレーター】 鄭(チョン)監督は「“ヨドク・ストーリー”(YODOK STORY)を全世界で公演したい」と考えている。先月(10月)4日にはアメリカのワシントン郊外で初めて国外での公演を行った。会場にはローレス国防副次官も訪れ、その関心の高さをうかがわせた。自らの危険も顧みず、北朝鮮の政治犯収容所の実態を世界に訴え続ける鄭(チョン)監督。
【北朝鮮出身・鄭成山(チョン・ソンサン)監督】 「亡くなった父と母はたぶん・・・、僕を褒めてくれていると思う・・・。父を思うたびに考えます。僕が恨みを晴らしてみせる。父も『よくやった』と言ってくれると思う。北朝鮮にいる兄弟や親戚も統一すれば理解してくれるはずです。これ以上話せません・・・。」(涙があふれる)
【ナレーター】 インタビューは中断し、彼は奥の部屋に入って行った。(奥から嗚咽が・・・)
政治犯収容所を隠蔽工作
告発される政治犯収容所の実態。北朝鮮にもあせりが出始めている。現在、朝鮮日報の記者でかつて耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏は、衛星写真から収容所のある変化を指摘した。
【耀徳政治犯収容所にいた姜哲煥(カン・チョルファン)氏】 「ここに家があったんだけど、無くなっているなぁ。たくさん家が無くなっている・・・。おかしいなぁ。学校の運動場が畑になっている。閉鎖したみたいだぞ。閉鎖しましたね。」
【ナレーター】 「耀徳(ヨドク)政治犯収容所内の施設が様変わりしている」と言うのだ。その理由を元国家安全保衛部・宋(ソン)氏はこう語る。
【北朝鮮国家安全保衛部・宋英哲(ソン・ヨンチョル)氏】 「耀徳(ヨドク)政治犯収容所は北倉(プクチャン)に移転しました。耀徳(ヨドク)は国際的に政治犯収容所の代表格として名前があがるので、北朝鮮は統合したのです。」
【ナレーター】 2003年にアメリカの人権委員会デービット・ホーク氏がまとめた報告書によると、かつて北朝鮮に20ヶ所あった政治犯収容所は6ヶ所しか確認されていない。(今寧・清津・化成・耀徳・北倉・价川)さらに耀徳を含めた2ヶ所(耀徳・今寧)が別の収容所に統合され、現在は4ヶ所になったことがわかった。世界からの非難が厳しくなり隠蔽を図ったものと思われる。それでも収容者は現在30万人に及ぶ。公開処刑・虐待・餓死など年間の死者も数万人にのぼるとみられている。
*'04 11/2 国際シンポジウム デビット・ホークさん(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/10531442.html
北朝鮮の悪政を発信し続ける一人の映画監督。彼は最後にこう付け加えた。
【北朝鮮出身・鄭成山(チョン・ソンサン)監督】 「私がヨドク・ストーリーを公演する理由、それは金正日に立ち向かうためなのです。」
政治犯収容所 北朝鮮の恐怖
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「北朝鮮の人権問題をミュージカルを通して告発しています鄭(チョン)監督ですが、太陽政策をとっている韓国では、政府関係者から国家保安法違反として舞台の内容の変更を求められたり、あるいは運転中にトラックに追われたり、脅迫電話を受けたりと、身の危険を感じながら公演を続けているわけです。それでも処刑された、自分のために処刑された父や母の無念を晴らすため、そして金正日総書記に立ち向かうため公演を続けていく、という決意です。
ところでおととい(11月17日)国連では、北朝鮮の様々な人権蹂躙を非難する決議案が今年も採択されました。で、韓国はこれまで朝鮮半島の特殊な状況を理由に欠席や棄権を続けてきたのですが、今回は潘基文(パン・キムン)氏が次の国連事務総長に決まったこともありまして、今回初めて韓国も賛成票を投じました。北朝鮮に対する韓国の対応、少しずつ変わってきているということなんでしょうか。」
*強制収容所・公開処刑に関する記事はこちらをご覧ください。 ↓ ↓ ↓ *北収容所 恐怖の実態 http://aoinomama13.seesaa.net/article/27520297.html *'06 9/20 テレビ朝日「報道ステーション」北朝鮮 公開処刑の全貌 http://aoinomama13.seesaa.net/article/24132616.html *'06 9/4 フジテレビ「ニュースJAPAN」北朝鮮収容所の実態 http://aoinomama13.seesaa.net/article/23332256.html *脱北者の証言《資料より》(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/9685031.html *'04 11/2 国際シンポジウム 小川晴久さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/10504648.html *'04 11/2 国際シンポジウム 金 英順さん(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/10712128.html
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*11/19 TBS「報道特集」(2) 北朝鮮政治犯収容所の真実 〜父の命を代償に〜 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/28073505.html
|
| 11/19 TBS「報道特集」(1)北朝鮮政治犯収容所の真実 〜父の命を代償に〜 |
( 2006.11.20,月 ) |
*11/19TBS放送の「報道特集」の一部を文字化しました。写真はテレビから撮影しましたので不鮮明です。
韓国で講演された前代未聞のミュージカル。北朝鮮の政治犯収容所の実態を伝えようと立ち上がった平壌出身の映画監督。「お父さん、僕が恨みを晴らしてみせる」。その代償に処刑された父。世界から非難をあび続ける政治犯収容所。北朝鮮がその隠蔽工作を開始した―。
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「では、続いての特集はこちらです。」
【ナレーター】 「お父さん、僕が恨みを晴らしてみせる」。涙で父への想いを語る男性。危険を顧みず独裁者と恐怖政治に立ち向かった。その理由は・・・。
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「さて、北朝鮮の核問題について話し合う六ヵ国協議の再開に向け、今大詰めの調整が続いているわけですが、北朝鮮にはもう一つ世界中から非難をあび続けている施設があります。“政治犯収容所”と呼ばれる施設です。で、実際にこの収容所での過酷な拷問に耐えた一人の男性が今、新しいかたちでその悲惨な実態を世界に訴えようとしています。」
前代未聞の舞台内容
(ミュージカルの映像) 「死ぬまで尻を叩け」「焼き殺せ」「こいつを火の釜に入れろ」「骨が砕けるその音を聞け」
【ナレーター】 残虐な言葉が次々と発せられるミュージカル。今年5月に韓国で公演された舞台の一幕だ。韓国全土で30回を数えたこの公演は連日超満員。チケットの値段も最大10倍にまで跳ね上がった。人気の理由はどこにあるのか?
(ミュージカルの映像) 「見ろ、我々は無敵の(金正日)指導者同志の軍隊だ」
【ナレーター】 セットに掲げられた金親子の肖像画。衣装は朝鮮人民軍の軍服だ。そう、この舞台はお隣・北朝鮮を題材にした初のミュージカルなのだ。タイトルは“ヨドク・ストーリー”(YODOK STORY)。ヨドク(耀徳)とは北朝鮮中央部・咸鏡南道(ハンギョンナムド)に位置する山岳地帯で覆われた町。このヨドク(耀徳)、華やかなミュージカルには到底そぐわない施設があることで世界的に有名になった。その施設とは―。
“政治犯収容所”
地獄より過酷!北の収容所
【ナレーター】 ミュージカルを制作したのは、北朝鮮出身の映画監督・鄭成山(チョン・ソンサン)氏だ。政治犯収容所の実態を世間に知ってもらおうと、ヨドク(耀徳)に収容されていた6人の証言を基に構成した。実はこの鄭監督自身も収容所に送られた経験がある。
【北朝鮮出身・鄭成山(チョン・ソンサン)監督】 「私も'94年に『韓国のラジオ放送を聴いた』という理由だけで突然、沙里院(サリウィン)の収容所に送られました。」
【ナレーター】 金日成主席が死去したこの年、学生だった鄭監督は朝鮮人民軍に徴兵され任務についていた。ところが韓国のラジオ放送にチャンネルを合わせたまま居眠りをしてしまい、その現場を目撃した上司が党に報告。「思想に問題がある」として収容所に送られた。
【北朝鮮出身・鄭成山(チョン・ソンサン)監督】 「(収容所で)死ぬほど殴られました。拷問でした。正座してムチで殴られたり、楢(なら)の木で作られた細い棒で爪と指の間を刺して爪をはぐんです。食事は監視員の残飯で、まず全員にケンカをさせます。一番強い者だけが食べられます。地獄より過酷な場所です。」
【ナレーター】 しかし収容中、思わぬ事態が起きた。開城(ケソン)で開かれた軍事裁判で13年の判決を受け、収容所に戻る途中、悪天候で鄭監督を乗せた護送車が横転したのだった。彼は死に物狂いで家族のいる平壌に向ったが、住んでいた家は跡形もなかった・・・。
【北朝鮮出身・鄭成山(チョン・ソンサン)監督】 「多分、両親や兄弟たちは家族バラバラにされ、離婚もさせられたんだと思います。」
【ナレーター】 両親が政治犯収容所に送られたことを知ると、彼は国境を越え中国へと脱出した。そんな自らの経験も加え出来上がった政治犯収容所のミュージカル。
(ミュージカルの映像) 「お母さん、これはどういうこと?この人たちは誰?」(連行されるシーン)
【ナレーター】 政治犯となった一家が軍人に強制連行されて行く。
(ミュージカルの映像) 「お前らしっかり見ろ。コイツみたいにジャガイモを盗むとどうなるか。」(腕を切られるシーン)
【ナレーター】 収容所内での過酷な尋問や虐待。
(ミュージカルの映像) 「許してください、助けてください」(銃殺されるシーン)
公開処刑も!北の恐怖政治
【ナレーター】 脱獄を図った者へ容赦なく行われる銃殺、弱りきった囚人の姿など収容所の実態が再現されている。監督の鄭(チョン)氏は、このミュージカルを手がける以前にも北朝鮮を描いたドラマや映画を数々制作してきた。
(映画のワンシーンの映像) 「お前の所属部隊はどこだ?」「朝鮮民主主義人民共和国」
北朝鮮工作員と韓国情報機関との戦いを描き、580万人の観客を動員した映画「シュリ」。
(映画のワンシーンの映像) 「裏切り者。アメリカ帝国の手先め。」「朝鮮労働党、万歳」
38度線での韓国兵士と北朝鮮兵士の交流と分断の悲劇を描いた「JSA」。
日本でも有名なこの二つの作品で、鄭氏は脚色を手がけた。彼が“ヨドク・ストーリー”を制作した決意の裏には、こんな出来事があった。
【北朝鮮出身・鄭成山(チョン・ソンサン)監督】 「『逃亡したお前の息子が共和国をこき下ろす映画を作っている』という理由を告げられ、父は『政治犯収容所で公開処刑された』と聞きました。『母親も死んだ』と聞いています。兄弟たちも離婚させられ家族は皆引き裂かれたそうです。」
【ナレーター】 鄭監督の作品に激怒した北朝鮮政府が、政治犯収容所にいた彼の父を「たくさんの市民が集まった運動場で公開処刑した」という。無念のうちにこの世を去った父。再会を果たせなかった母。行方知れずの兄弟たち。鄭監督が政治犯収容所をテーマにした裏にはこんなつらい過去もあったのだ。
5年前まで政治犯収容所を管理する北朝鮮国家安全保衛部に所属していた宋英哲(ソン・ヨンチョル)氏。政治犯収容所の実態を事細かに知る人物だ。
【北朝鮮国家安全保衛部・宋英哲(ソン・ヨンチョル)氏】 「(政治犯収容所は)ドイツのユダヤ人収容所より酷い。人間以下、動物以下に扱う、それが政治犯収容所です。人権蹂躙・殺人・暴行。そのまま殺すのはもったいないから、死ぬまで働かせます。」
【ナレーター】 北朝鮮にはこれまで「“政治犯収容所”(政治犯 無期限)とされる施設が20ヶ所ある」と指摘されてきた。政治犯として捕らえられる対象は、北朝鮮の体制批判や金親子の誹謗・中傷など10項目が定められている。中には日本の植民地時代の地主という理由まで含まれている。
●金日成・金正日を非難 ●金親子に反対するビラ・宣伝物・組織を作る ●朝鮮労働党・社会主義制度への不満 ●内部機密の漏洩(スパイ活動) ●韓国へ帰順した人物 ●金正日・労働党と異なる思想の持ち主 ●北朝鮮の反革命分子 ●日本植民地時代の富裕層・地主 ●戦争時代、韓国・米国に協力した人物 ●在日同胞で北朝鮮批判した人物 【北朝鮮国家安全保衛部・宋英哲(ソン・ヨンチョル)氏】 「'80年代までは、政治犯本人の親戚8親等まですべて収容所に送られました。」
【ナレーター】 政治犯の収監は、宋氏が所属していた国家安全保衛部で選定される。「政治犯のあぶり出し作業も、'70年代に構築された情報網によって現在まで続いている」という。
【北朝鮮国家安全保衛部・宋英哲(ソン・ヨンチョル)氏】 「隅々にまでスパイ網が敷かれています。北朝鮮の3人に1人は情報提供者です。住民自らが“おとり”となり、反抗勢力を引きずり出すこともあります。」
(2)に続く
*11/19 TBS「報道特集」(1)北朝鮮政治犯収容所の真実 〜父の命を代償に〜 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27932218.html
|
| 11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(2) |
( 2006.11.17,金 ) |
*写真は新津市民さんの撮影です。 *忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟) http://aoinomama13.seesaa.net/article/27604807.html *11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/28884210.html
*新津市民さん撮影の映像より文字化しました。 (・・・は聞き取り不能です)
続き
あの写真を、4月にアメリカに行かせていただいて、そしてブッシュさんにも思いがけなくお会いすることができました。息子はその時の思いを・・なって、あの白いブラウスの写真と萩で撮った4人の家族の写真2枚を、このくらいの大きなパネルにして袋に入れてブッシュさんの部屋に持ち込んでおりました。そして私のご挨拶した後に息子がすぐに出して、その写真を白いブラウスの写真をブッシュさんに向けて言いました。
「これは姉です。姉がこんな悲しい顔をしていたことは一度もありません。本当に明るく元気なお姉ちゃんでしたのに。これは北朝鮮がめぐみを連れて行った後にお姉ちゃんが写された写真なんです。こんな悲しい目をしているんです。どうか支援をしてください」と言いました。
ブッシュさんは本当に泣き出しそうな非常に複雑な悲痛な思いをした表情をなさって、しばらくチェックしたようにその写真を見ておられました。そして「本当に残酷なことです。この子は本当にこの子の姿、この子の体はこの部屋にないけれども、その写真をこの子の心を私たちと一緒に写真に撮ってもらいましょう。」そう言って「ここに来なさい」と、自分の横の小さなテーブルに立て掛けてくださいました。そして瀋陽で捕まえられたハンミちゃんというかわいい女の子の家族も一緒に来ておりました。その子どもたちも席に着かれて、小さな写真を持って来られていました。「それも一緒にここに飾りなさい」と言って、そこに飾ってくださいました。
そして「ブッシュさんはよく会見をなさいますが、一緒に写真を写される事はあるけれども、メッセージを他の記者の前で出される事は滅多にないんですよ」と、案内をしてくださった加藤大使がおっしゃっていました。「そうですか?」と言いましたけれども、「本当なんですよ。こんな事滅多にないけれども、今日はメッセージが出ます」とおっしゃいました。私たちはますます緊張して、私たち二人が部屋に招かれましたけれども、その写真を飾った後にたくさんの記者の方が入って来た時に、ブッシュさんははっきりとおっしゃいました。
「本当にこんなに罪のない若い者を『他国から拉致をして来い』と指令をしているような、そんな国があるなんて信じられない」とおっしゃいました。そして「北朝鮮が本当に世界から尊敬されたいのなら、尊敬されるような国になりたいのなら、たくさんの連れて行った人たちを全部親のところに返しなさい」とメッセージを出してくださいました。「このお母さんは何にも欲しがっていない。ただ『娘を返して欲しい』と言っているだけなんです」と言ってくださいました。「この人の胸の中にこの女の子を返しなさい」と言ってくださいました。
ブッシュさんの前には、あちらも滅多に出て来られないようなたくさんの高官たちが真正面に2列に並んで、その事を全部メモをして聞いていてくださいました。そして「お母さん、頑張りなさい。本当に私も一度・・でいいから頑張りなさい」とメッセージをくださいました。本当に私たちはうれしい思いで力強く思って帰ってきました。
こういった本当の悪に対しての真剣な取り組み方というものが日本の国にあったんでしょうか?どれだけたくさんのチャンスを逃してきたのかと、私たちはこの救出活動を通して色々と思わせられてきております。お米の支援をする時もそうでしたけれども、今もご覧になるように「北朝鮮の国の子どもたちがあんなに痩せ衰えてごろごろと遺体となって転がっていても、真横で・・の人たちがいても、遺体を見てもどうにもしょうがないんですよ」と昨日もテレビで観ました。「何人かの遺体が転がれば、ようやく穴を掘ってそれを投げ込んで隠せる事もできるけれども、一人くらい転がっていてもどうしょうもないんです」そのようなことを聞いて、もうゾッとしました。
そしてそのようなかわいそうな人たち、強制収容所でもう本当に獣のように、今もこの瞬間も何の罪もないのに、ちょっと政治批判をしただけで犯罪者となって放り込まれて、何十年もムチ打たれてボロボロになりながら暮らしている人たち、今も誰かがムチ打たれて悲鳴を上げている被害者、そのようなことが行われている国、そしてたくさんの100万人単位もの餓死者が過去もでております。そのような国にいくらお米の支援をしてもお金をあげても、そういう物は全部それこそ高官のところにだけ行って、そちらの方が今よくやっているように、本当に贅沢なマグロだのメロンだの、車は全部ベンツだの、もうすばらしい時計とか、全部そういう幹部たちに配られる物として持ち入れられ、それが日本の製品がみんなそういうふうになっていって、後はあちらに苦しんでいる人たちはもう虫けらのように放り投げられているんです。
「そのようなところにお米をあげないでください。おにぎりを作ってすぐに『はい食べなさい』と目の前に持って行ってあれば、その人たちが食べてくれれば、元気づけるところを見る事ができますが、何にもない状態であげても、そんなものは絶対にそのような方たちの口には入らないんですから」と言っても、あっという間にお米は向こうに支援されてしまいました。私たちは外務省の前に座り込みをしてそれを反対していましたけれども、それでもその様な事があっという間に出されました。どうしてこうなるんだろう?と思いました。
金正男という金正日の息子という人が不法入国をして来た時も、こんな事、子どもたちとカードとして引き換えに、この人が大事な息子であるなら拉致被害者救出されるチャンスだと本当に思っていましたけれども、あの時も外務大臣が「帰しなさい、帰しなさい」という考えられないような一言で、外務省の上の方たちが高官たちが6名も付き添って飛行機に乗せて返した、という事を聞きました。私たちは、何でああいうことをしたのか?今でもその人がわかりません。
そうした、先ほども・・先生のお話にありましたように、本当にこれは悪の根源と言われても仕方がない、人格を持っていないような指導者が立っているその国のやる事ですから、リビアの高官だった一番指導者だった方と、北朝鮮の金正日の人間性・人格というものがどれほどの差があるのか?私たちにはどこかが・・・温かいものがあったか?その辺は私たちにはわかりませんけれども、金正日という人にどれだけの物を高官に与えても、必ずそれはまた軍備に使われて、もっともっとそれが拡大していくに違いない、と私は思えて仕方がないんです。
そして制裁をする事が、非常に本当に向こうにいる方たちの子どもたちでさえどこにいるかわからない、食べられないかもしれないという覚悟で命懸けで、親子共に命懸けで戦っているわけです。何とかしてあの国も平和になってもらいたい。みんなが人間らしい、神さまからいただいた大切な命を本当の自由の中でちょっとでも幸せに生きて欲しい、と私たちは思っているんです。
けれども、そのような所にそれだけのものを今まで時間稼ぎをして訴え続けてきたのでしょうか。私たちはこの運動に立ち上がった時から、支援の方たちと一緒にそのことを訴え続けてきました。「どんなに(米)支援をしても何をあげても、それは苦しい人たちには絶対助けにはならない。みんなそれは幹部の人たちが裕福に暮らすだけで、残りの物は全部軍備にあげられて・・まで行くような時間稼ぎをすることにしかならないのだ」と一生懸命に言い続けてきましたけれども、どういうわけか、私たちの思うような方向にはいきませんでした。
そしていよいよ今、一番恐れていた“核”という問題が持ち上がってきました。そんな時になって慌てふためいても仕方がないから、私たちは早くから子どもたちを犠牲にしてでも、そんな事ないようにしなければ、と一生懸命に戦ってきたのに、本当に残念で仕方がないんです。
今このような大変な状況の中にあって、先ほどの話にもありましたように、何が一番良い方法なのか?制裁をかけ続けてもっともっと苦しめて「もうこれ以上我慢がならないから、やっぱりもう拉致をした人たちだけはもう何とか返すから」というようなことが起きるのか?それを少し和らげてでも何かを支援すれば、それが本当に良い方向に使われていくのか?その辺は私たちはもう庶民でありますから知る事はできません。こんなに大変な事になるまで、日本人は本当に私たちは何をしてきたんでしょうか。本当に悲しい有様だと思います。
今も色んなたくさんの子どもたちが自殺をしたり親が子どもを殺したり子どもが親を殺したり、本当に人間としての魂がどうしてこんなになくなってしまったんでしょうか。私たちは悪いことをした時、父や母に厳しく叱られました。「こんな事、二度とするんじゃない!」と本当に父親なんかは女の子であっても殴りつけてでも、人の差別をしたり卑しいことを言ったりした時には叩かれました。今の子どもたちは本当にそんなことをされたことがあるんでしょうか。いい事と悪い事っていう事だけは小さい時に「叩かれると怖い」っていう思いで教え込んでおかなければ大変な事になる、と私は思うんです。
あちらの指導者もそういう事をされてきたんでしょうか?思ったまま自由自在に何でも欲しいものは手に入る、自分の思ったようにやっていけばいいという、そういう人たちが指導者になった時に国が滅びていき、それだけ多くの人が苦しまなければならないのか、という事に私たちは本当に思い至るところまでなってきました。
この拉致問題を通して今日・・色んな思いで、どこに連れて行かれて、どんなふうにどこに囲われて、どんなふうに生活していたのか?出てくるまではわからないめぐみの事ですけれども、あちらの国で必ず守られて一生懸命に助けを待って、るみ子さんも有本恵子さんも市川修一さんも田口八重子さんも曽我さんのお母さんも大澤さんのご家族も、みんなが一生懸命に生きていると思うんです。
色んなニュースが入りますけれども、はっきりとしたかたちで帰って来るまで真実はわからないと私は思っています。ただ日本中の国が家族も支援の人たちも政府も首相も警察の方も外務省、人間として日本人の一人として本当に人間らしい思いで悪と善としっかりと嗅ぎ分けて、どちらが正しいのかという事をしっかりと見極めて、そして頑張っていくしかないと私は思っています。
めぐみがどうか命をいただいたままで、みんなが命をいただいて、またタラップから降りて来る日を私たちは本当に夢を見ながら頑張っております。どうか助けてください。皆さんのお力によって、本当に世論によって国が回っていきます。悪い事がはっきりと見えてきます。どの議員の方が悪い事をしているのか?本当にこの人は真実ブッシュさんのように、色んな欠点もあるかもしれませんけども、やっぱり人間の命というものをどんなに慈しんでいらっしゃるかという事だけは、はっきりと私は感じさせていただきました。
そういう事を私たちは本当に思うことができ、たくさんの事を学ばせていただいて、今日は本当にめぐみちゃんがかわいそうで、こんな事のために親や多くの人たちに、このような事を分からせるために、たくさんの日本の子どもたちが犠牲になっている、その犠牲者をあんな国でどこかの穴に放り込まれたままで引き会わせさせたくないんです。必ず「頑張ってきたね」と取り返してください。どうかよろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)
終わり
*映画「めぐみ」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/2343114-1.html *'06 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/25892892.html *'06 9/14 NHK「クローズアップ現代」倒れても娘を取り戻すまで http://aoinomama13.seesaa.net/article/23773562.html *'06 5/28 第8回茨城県民集会in水戸 横田早紀江さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/24330988.html *'06 4/16 神奈川県民集会 横田早紀江さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/19879990.html *'04 4/10 流山講演会 横田早紀江さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/15390181.html
*11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(2) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/29044725.html
|
| 11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(1) |
( 2006.11.16,木 ) |
*写真は新津市民さんの撮影です。 *忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟) http://aoinomama13.seesaa.net/article/27604807.html
*新津市民さん撮影の映像より文字化しました。 (・・・は聞き取り不能です)
新潟の皆さん、こんばんは。(会場から「こんばんは」大拍手)・・・ちょうど今日は29年目の11月15日、ちょうどもう○分くらい前でしょうか、「・・近くの家の角の所で男性に捕まえられて、そして北朝鮮に連れて行かれた」ということを曽我ひとみさんが帰って来て「めぐみちゃんがそんなふうに言っていました」と教えてくださいました。
この角で何があったんだろう?と私たちは本当に長い間、煙のように消えてしまった子どもを、本当に一つも消息が何にもわからない、あんなに大きな長女が、私より1センチ背が高かったんですが、その人がもうまるっきり煙のように消えたまま20年も経ち、どんなに捜していただいても私たちがどんなに泣き叫んでも、海岸を走り回って名前を呼びながら「めぐみちゃん、どこに行ったのー!」「めぐみちゃーん!」と子どもたちと一緒に懐中電灯持って捜し回り、また自転車に乗ってあの浜辺を寄居浜をどれだけ走ったかわかりません。
色んな町の知らない所まで歩き続けて、どこかのアパートの竿にめぐみの着ていたようなものが洗濯物がかかってないかな?っていう思いで、色んなところを歩き回って、・・おばあさんの所を・・しまったこともありました。めぐみによく似た写真が出たり、これはひょっとしてそうかもしれないというところのものはあらゆることをやってきました。絶対に見つけてあげなければ、と捜し回っておりました。
そしてテレビにも4〜5回出て、絶対に家出なんかしてないと思いましたけども、とにかく誰でもいいからめぐみの写真を見て「あっ、この人はあそこで見たことがあるよ」って言ってくれる人がいるんならばどんな事でもしようと思って、「私たちはめぐみのことを捜して、どこにいるのかわからないけれども、あなたが家出するなんて思わないけれども、どこかにいるんなら、ハガキの1枚でもよこしてください」と呼びかけました。
小さな小学校3年生だった男の子も何が起きたかわからない、昨日まであんなに元気で楽しく笑って歌ってキャーキャー騒いでいたお姉ちゃんがパッと消えたままで、そしてその椅子のところはいつも空っぽで、ごはんをいくら作っても食べてくれない皿を並べてくれました。何でこんな事が起きたんだろう?と私たちは知りませんでした。けれども、本当に私たちは今でもこの問題が北朝鮮の工作員による拉致だというような事が、まさかこの日本の地で起きているとは考えた事もありませんでした。国内の事件だと思って一生懸命に捜していましたし、新潟県警は本当にもうよくここまでと思うほどすごい大捜索をしてくださっておりました。
けれども、5人の方がお帰りになって、そして私たちが考えてもみなかった曽我ひとみさんという方が一緒に帰って来られました。そして向こうに連れて行かれて、めぐみが連れて行かれて1年後に、ひとみさんがやはり「お母さんと一緒に夜に買い物をしに行って3〜4人の人に襲われて茂みの陰に連れ込まれて、目隠しをされ猿ぐつわをされ、そしてぐるぐる巻きにされて袋に詰められて、そしてゴムボートに乗せられ、また、少し沖の方で違った船に乗せ変えられて、工作船まで連れて行かれて、そして北朝鮮に連れて行かれた」という事をはっきりと知ることができました。蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻も同じように「そのような状態で連れて行かれた」ということをはっきりと聞くことができました。
「柏崎の灯が目隠しをされたすきまから少し見えていた」ということを聞きました。「だんだんその灯が小さくなって行く、どうなっていくんだろう?と本当に恐ろしくてたまらなかった」と薫さんに聞きました。「その時に船の中でどんなことを考えていたんですか?」ってお帰りになった時に聞きました時、「きっともう殺されると思った。海に投げ込まれるかなあと思っていた。怖かった、恐ろしかった。だけど北朝鮮という所で朝を迎えて何でこんな所にいるんだろう?わからなかった。けれども、きっと誰かが助けて来てくれる、必ず誰かが日本の誰かが来てくれると思って一生懸命3年間頑張ってきたけれども、誰も助けに来てくれなかった。だから私たちはもう北朝鮮人となってここで暮らしていくしかないと思って、180度心を転換してここで暮らしてきたんです」とおっしゃっていました。
めぐみも同じように「あの工作船のような船の船底に放り込まれて、本当に絶叫しながら、あの制服姿のままスポーツバッグを持って学校のかばんを持って、一緒に投げ込まれて泣き叫んでいた」と安明進さんが教えてくれました。「爪がはがれそうになって、かきむしった扉や壁は血だらけになって、めぐみちゃんの爪は剥がれそうになって血だらけだった、という事を聞いた」とおっしゃっていました。
どの人もどの人も本当に何の罪があってこんな恐ろしい目に遭わなければならないのでしょうか。こんなに平和な豊かな、平和平和と一生懸命にみんなが一生懸命に生きてきたこの国の中で、そして転勤をしながら朗らかに頑張ってきためぐみは何にも悪いこともしないで、一生懸命勉強してバトミントンの強化選手に選ばれて一生懸命に汗をかいて、お腹がぺこぺこになって帰って来たその角の所で、待ち伏せられていたのかどうかわかりませんが、男の人に連れられて北朝鮮に連れて行かれた、という事がわかりました。
ひとみさんはあちらでのめぐみとの生活を色々と話してくださいました。「本当に怖くて恐ろしくて、二人とも『怖かったね』『恐ろしかったね』って声をひそめて泣いたんです」とおっしゃっていました。「夜、お布団に入って、日本の唱歌を日本語で小さな声で歌いながら泣いたんです」とおっしゃっていました。本当に大きな声で、いつもお隣にあんまり大きな声で歌を歌うから「あんまり大きな声を出すんじゃない」って言うほど大きな声で、めぐみはいつも“みかんの花咲く丘”やそして“故郷”や・・色んな歌を本当に大きな声で歌っていました。廊下を歩きながら台所にめぐみは立ちながら歌っていました。
そんな子どもが声も出せないで、それもたった一人日本から連れて来られた同じくらいの子どもたちができて、二人はどんなに心安らかに思ったことでしょうか。そして助け合いながら一生懸命に生きてきたと思います。何ヶ月か過ぎて、また違う所に連れて行かれ、また何ヶ月か一緒に暮らしてまた違う所に連れて行かれ、そして曽我さんはとうとうジェンキンスさんたちがいらっしゃるアメリカの方の人たちが連れて来られた所に移動になりました。
そしてその時にめぐみも「もうこれでこの方と会えない」と思ったんでしょうか、一生懸命にバトミントンの用具を入れた、練習したあの赤いスポーツバッグを大事に持っていたそうですけども、ひとみさんに「私だと思ってこのかばんもらってちょうだい」と「私を忘れないでね」と言って、ひとみさんにそのかばんを渡したと言っていました。ひとみさんはそれを大事にしてジェンキンスさんと一緒によく・・、・・そんなものが書いたかどうかわかりませんが、ジェンキンスさんの本なんかを読むとテニスの時、非常に重宝して・・もらったとおっしゃっていました。本当にどんなに悲しい思いをしていたんでしょうか。そして日本語の先生として向こうの人に工作員の人に教えていたと聞きました。
そしてある日、一人の男性が連れて来られて「この人にあなたは日本語を教えなさい」と言われたということです。その人がこの間の韓国の高校生として5人の中にいた拉致をされた金英男(キム・ヨンナム)さんでありました。そして北朝鮮は、すべてが指導者の指令でありますから、「その人に日本語を教えなさい」と言って連れて来ても、最終的には「この人と結婚させようという何らかの意図があったんだろうと思う」っていうことをおっしゃっていました。
そしてそれは「結婚しなさい」と言われればどんな人であっても「嫌です」とは言えないのです。蓮池さんや地村さんは共に連れて行かれた人たちと夫婦になれてまだ本当に心が安らいでいたけれども、めぐみちゃんは違った国の人と夫婦になったためにいつも不安定で、心が不安定で「帰りたい、帰りたい、帰りたい」といつも泣いて泣いて泣いて泣きまくっていたという事を聞いていました。
そしてヘギョンちゃんという、こんなに大きくなったかわいい女の子が私たちの前に現れた時は本当に私はビックリしました。こんなに悲しい恐ろしい残酷な人生の中で、こんなに知らない所に連れて来られて監視をされ続けて、そして故郷を恋しがって「助けて、助けて」と言いながらも、こんなに元気な女の子が生まれて成長していたんだと思いました。何にも教えてあげられなかった、・・子どもができてから何にも教えてあげられなかったのにどうやって育てていたんだろう?と思いました。非常に苦労したと思います。蓮池さんご夫妻には本当にどんなにか色々とお世話になったんだろうと思っています。
けれども出てきたあのヘギョンちゃんという女の子は、どんな所で育ったんだろう?と思うほど元気で明るくて賢そうで、何のどんな質問にもはきはきと答えている女の子が私たちの目の前に突然に現れました。私たちはめぐみがいなくなったあの夜から、今日11月15日のあの夕方のあの恐怖感の中から、どれだけたくさんのショックを受け続けていたことでしょうか。そして一つの喜びが「ヘギョンちゃんというあんなに元気な女の子がめぐみにもいたんだ、こんな女の子に支えられて生きていくことができていたんだ」という事でした。
後は死亡宣告、そしてうつ病、自殺、そして白い骨の白い箱を持って来られました。どんなに私たちがあちらにお願いしても北朝鮮は「拉致などしたことがなく、そんな人は一人も入って来たことも見たこともない」と何度となくいい続けてきたでしょうか。大韓航空のあの問題も未だにまだ「李恩恵(リ・ウネ)さんというような人は、田口八重子さんというような人はこの国にはいないし、この問題は私たちの国のしたことではない」といい続けているといいます。
そのような嘘ばっかり言い続けて、終いに生きている人の骨をいかにも他人の骨を入れて、私たちの家族の前に藪中さんが持って来られました。「どうしてこんなものが本当だと信じられるか!」って言って投げ返さなかったのか?と、親である私たちは本当にそのぐらいの思いをしました。私は「こんな骨はめぐみのものとは思っておりません!信じていません!!」はっきりと藪中さんの前でお返しました。
けれども、私たちがあんなに捜し続けていた学生服の白いブラウスのあの時と同じ年代の写真、白いブラウスの写真と大人になっためぐみの2枚の写真を一緒に出された時は、骨の白い箱を見るよりも大きいショックを受けました。何という悲しい目をしていたでしょう。あの子があんなに悲しい目をしてじっと見つめている顔を見たことがない、明るい元気な子でしたから。「ああ、めぐみちゃんなのね」と私は思わず悲しくて、涙を流しながらあの写真を撫でました。「こんなに捜していたのに、20年もわからなかったのに、こんなところにいたのね」と「こんな悲しい顔をして」と思いました。本当に息子たちも思わず男泣きに声を上げて薮中さんたちの前で泣きました。
(2)に続く
*11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(1) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/28884210.html
|
| 忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟) |
( 2006.11.15,水 ) |
*写真はすべて新津市民さんの撮影です。 新潟西港でずっと万景峰号入港抗議活動に頑張っていた新津市民さんが新潟県民集会(新潟ユニゾンプラザ)にご参加、集会の映像をアルバムにアップしてくださっています。
プログラムによりますと、横田さんご夫妻と特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんの昭一さんの講演、それから伊豆見元さん(静岡県立大学教授)が基調講演をされているようです。また、ドキュメンタリー映画を製作中のオランダ人監督のミリアム・バン・ベーレンさんが来日してこの集会に参加されていたということで、映画の公開は来年のようですが今から本当に楽しみですね。もちろんその前にめぐみさんたちが帰って来てほしいです。
*特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんの昭一さんです。
*オランダ人監督のミリアム・バン・ベーレンさん。中央下に座っています。 私もできるようでしたら、時間がかかるかもしれませんが、少しだけ講演の文字化のお手伝いをさせていただきたいと思っています。新津市民さん、いつもお疲れさまです。ご連絡いただきまして本当にありがとうございました。
*'06 11/15 新潟県民集会 横田早紀江さん(1)〜(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/28884210.html *'06 11/15 新潟県民集会 大澤昭一さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/35763013.html
*皆さん、ぜひご覧になってみてください。 ↓ ↓ ↓ *11.15 県民集会 新津市民さんのアルバムより http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?un=53702&key=1858601&m=0
横田めぐみさん拉致から29年 「世論の力で解決を」
■新潟で集会 滋さんら訴える
横田めぐみさん=当時(13)=が北朝鮮に拉致されて丸29年となる15日、新潟市内で「忘れるな拉致 11・15県民集会」が開かれ、めぐみさんの父、滋さん(74)と母、早紀江さん(70)らが「被害者は生きて助けを待っている。世論の力で取り返してください」と早期解決を訴えた。
集会には約450人が参加。新潟県の泉田裕彦知事が「拉致問題への関心を失わず、胸にとどめ続けたい」とあいさつ。静岡県立大の伊豆見元(はじめ)教授(国際関係論)が、北朝鮮のミサイル発射や核実験について講演した。
滋さんは「世論の力がなければ、拉致問題よりも日朝国交正常化が先行していたはず」と指摘。「被害者を取り返す日まで、今後も国民に見守ってほしい」と支援を呼びかけた。
早紀江さんも「めぐみに何の罪があって、こんなに恐ろしい目に遭わなければいけないのか」と涙ながらに語り、「必ず生きていると信じている。一刻も早く取り戻してほしい」と、一層の協力を求めた。
めぐみさんは昭和52年11月15日、中学校から下校中、新潟市の自宅近くで北朝鮮の工作員に拉致された。 (産経新聞) - 11月16日8時2分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061116-00000005-san-soci
*新潟西港中央埠頭にて撮影。(2004年5月19日) こちらにもミリアム・バン・ベーレンさんの写真があります。 (2004年5月29日撮影) ↓ ↓ ↓ *6/27 映画「アブダクション(拉致)」上映会 http://aoinomama13.seesaa.net/article/24989157.html
*忘れるな拉致 11・15県民集会(新潟) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27604807.html
|
| 北収容所 恐怖の実態 |
( 2006.11.14,火 ) |
*将軍様の兵士も明日は地獄?! 人権無視の強制収容所では、休日は皮肉にも金日成(左)、正日父子の誕生日などごくわずか。中朝国境の農場で働く北朝鮮の兵士たちも、厳しい生活は例外ではない。(いずれもロイター) 【11/5 夕刊フジ週末特別版より】
公開処刑、餓死・・・
逃げれば公開処刑、食事は1回100グラムのトウモロコシ―。米人権団体「北朝鮮の人権のための米国委員会」(HRNK)が、北の陰惨極まる矯正労働収容所(強制収容所)の実態を明かし、国連に行動を起すよう訴えている。収容所には元在日朝鮮人も多く収容され、“楽園”を見ることもなく命を落とした人は、40万人にのぼるという。(北朝鮮取材班) 米人権団体 国連に行動訴え
このレポートは2003年、北朝鮮からの亡命者らの証言を元に作成された。全142ページ。矯正収容所は2種類あり、ひとつは政治犯らが収容される「管理所」。山岳地帯に、一カ所で5000−5万人、合計で15−20万人がいるとみられる。多くは警察に「誘拐」され、裁判も受けずに収容された人たちだ。
特徴のひとつは「不法行為者」の家族が、共同責任というヌレギヌで3世代にもわたって逮捕されること。悪の“タネ”までをすべて取り去るためで、金日成(キム・イルソン)主席時代に始まった。このため内部は不法行為者用の独房と、家族のゾーンに分かれている。
食事は生存できる最低限の量で、労働は1日12時間、週7日で休日は新年、金日成、正日(ジョンイル)父子の誕生日など国家の休日だけ。多くが飢え死にするが、脱獄者や決まりを破ったものは、絞首刑など公開処刑される。
レポートではまた、餓死寸前の状況で虫を食べてしのいだ囚人や流産するまで殴打された妊婦、眼球が飛び出るまで殴られたり、「汗の箱」と呼ばれる狭い独房に押し込められ、何カ月も身を屈した姿勢を取らされた囚人など、収容所の極限状況を描き出している。
1平方メートル独房に1年・・・22キロ痩せ
具体的な事例も挙げられている。 北朝鮮外務省でスペイン語通訳として働いていたベネズエラ人は1967年、1メートル×1メートル×3メートルの独房に1年間入れられ、22キロ痩せた。1年後に平壌に戻ったが、2カ月後に再び逮捕。3週間手錠をされたまま氷点下の部屋に毛布なしで寝かされ、足は凍傷に。74年にベネズエラ政府などの働きかけで釈放された。
「祖父が反逆罪」で10年投獄
「カン」という名前の人物は68年平壌生まれ。在日朝鮮人の祖父は元パチンコ王。祖母が金日成を信奉、平壌に渡った。9歳のとき祖父が失踪。エージェントが父の元に来て「祖父が反逆罪を企てた」と告げた。名門出身だった母親以外は投獄され、突然釈放されたとき、19歳になっていた。
政府の奨学生だったアンさんは86年逮捕。やらされた仕事は水没した電力発電所の復旧工事。氷を割り、腰まで冷水に浸かり、石を拾う。足が凍傷になり、多くの同僚が死んだ。次に日本に輸出する木を切り出したり、キノコを採らされた。
中国の親類を訪ねて19歳で逮捕されたのはキムさん。食事は塩ゆでトウモロコシだけで、生きるために草やヘビ、蛙も食べた。毎週、人が死に、公開処刑は5回見た。金総書記のボディーガードのリーさんは、多数の拷問を受けた。数人に押さえつけられ、口と鼻に液体を流し込まれる。目、耳、口を殴られ、歯が折れ、鼓膜が破れた。
家族でいても、性的接触は厳禁。妊娠が発覚したら堕胎させられる。男性は体罰を、女性は辱めのため性体験を全部告白しなければいけない。
もうひとつの施設が、政治犯以外が入る「教化所」。文字通り再教育を担う。食事は1食100グラムのトウモロコシ。スプーン何杯かのトウモロコシ粉に、キャベツの葉のスープということもある。重労働をさせられる。女性は針仕事をさせられ、グループのひとりが間違えると全員が罰せられる。死ねば死体は山に捨てられるだけだ。
ある収容所では、食糧難だった91年から95年の間、3、4人に1人が死亡。死にかけた囚人は釈放され、残りは金総書記の誕生日に、「恩赦」として釈放された。収容所での死者は、40万人にのぼるとみられている。
収容者だけではなく、北朝鮮人民が、独裁国家から解放される時は来るのか。
*強制収容所・公開処刑に関する記事はこちらをご覧ください。 ↓ ↓ ↓ *'06 9/20 テレビ朝日「報道ステーション」北朝鮮 公開処刑の全貌 http://aoinomama13.seesaa.net/article/24132616.html *'06 9/4 フジテレビ「ニュースJAPAN」北朝鮮収容所の実態 http://aoinomama13.seesaa.net/article/23332256.html *脱北者の証言《資料より》(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/9685031.html *'04 11/2 国際シンポジウム 小川晴久さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/10504648.html *'04 11/2 国際シンポジウム デビット・ホークさん(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/10531442.html *'04 11/2 国際シンポジウム 金 英順さん(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/10712128.html
*北収容所 恐怖の実態 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27520297.html
|
| 11/12 TBS「報道特集」“拉致”なのか よど号犯の妻 |
( 2006.11.13,月 ) |
*11/12TBS放送の「報道特集」の一部を文字化しました。写真はダントンさんからいただいたものと、テレビから撮影したものです。
“拉致”なのか よど号犯の妻
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「続いては北朝鮮による拉致問題です。曽我ひとみさん母子の拉致実行犯への逮捕状が出たのに続きまして、29年前に失踪した鳥取県米子市の松本京子さんも拉致被害者に認定される方向になるなど、このところ拉致問題、新たな展開が続いています。で、こうした中、拉致と疑われながらもこれまで忘れられてきた、と言うよりむしろ触れられないできた一人の女性の問題があります。この女性は横田めぐみさんが拉致される前の年に失踪しています。」
失踪女性はよど号犯の妻に
【ナレーター】 急ぎ足で歩いて来る大柄な男性。(藤沢市市民活動推進センターの)席に着くなり、コンピューターの中にある書類を引き出そうとしています。拉致被害者を救う会神奈川の川添友幸会長。北朝鮮に渡った一人の日本人女性について、新たな行動を起そうとしていました。(神奈川県藤沢市・11月9日)
【記者】 「これは何なんでしょうか?」
【救う会神奈川・川添友幸会長】 「これはですね、今回11月14日に高知県警本部に出す告発状です。一応、被疑者不詳という事で、まぁ犯人がまだわかりませんので、“被害者・福留貴美子さんに関する告発状”というかたちになります。」
【ナレーター】 被害者とされる福留貴美子さん。どういう女性なのでしょうか?高知県出身の福留貴美子さんは地元の高校を卒業した後、警備会社の職員として大阪や東京で働き、その後、幼稚園の先生になるため退社。東京都内の専門学校に通いました。そして1976年7月18日、幼い頃から憧れていた「モンゴルに行く」と言って出国します。
【救う会神奈川・川添友幸会長】 「友だちに『モンゴルへ行くんだ』と言って、羽田空港から出国しています。で、出国する時に同郷の友だちがですね、見送りをしていますので、まぁいわゆる工作船で連れて行かれてしまった、とかそういう事ではなく、自分自身の足で羽田から出発したという事自体は間違いないと思いますね。」
【ナレーター】 その後、福留貴美子さんからとされる手紙が実家に二度届きましたが、居場所はわからないままでした。しかし1980年、福留貴美子さんは突然、横浜に住む同郷の友人を訪ねて二泊し、実家にも電話を入れます。
【救う会神奈川・川添友幸会長】 「友人が『電話をかけなさい』という事で(電話した)、それが最後のお母さんとの会話になってしまったみたいなんです。『これから高知に帰ります』という事で、友だちが新横浜まで送って行ったそうなんですが、その後、消息が途絶えてしまいました。」
【ナレーター】 これ以降、日本国内で福留貴美子さんの姿は確認されていません。しかし、1996年(8月7日付 朝日新聞)衝撃的な記事が出ました。
「妻は20年前失跡の高知県の女性」
1970年、赤軍派の学生が日航機を乗っ取り北朝鮮に渡った“よど号ハイジャック事件”。
【よど号事件メンバー・岡本武容疑者】 「岡本です。熊本県出身です。」(VTR)
【ナレーター】 そのメンバー岡本武容疑者と福留貴美子さんは北朝鮮で結婚し、娘も二人いたと言うのです。これを明らかにしたのは、平壌でよど号グループの取材を続けていたジャーナリスト・高沢皓司氏でした。彼はグループのリーダーの田宮高麿容疑者から、岡本容疑者とその妻についてこんな話を聞きます。
【ジャーナリスト・高沢皓司氏】 「(田宮容疑者は)『日本人やで』と突然言い出したんです。『(岡本容疑者の)ああ、奥さんの事かい?』と聞いたら『そうや』と言う。でもそんな人がおるなんて話は今まで表に出てないから、『じゃあ、どういう人だい?』と聞いた。そしたら(田宮容疑者は)何だかんだ言うんだけど、作られた話が色々とある・・・。」
【ナレーター】 高沢氏は田宮容疑者から聞き出した断片的な情報から新聞記者と協力し、「岡本容疑者の妻が福留貴美子さんである」という事をつきとめました。また、高沢氏は「福留さんが北朝鮮にいた」という証拠も入手しています。
にこやかに笑う二人の女性。一人は福留貴美子さん。もう一人は田宮高麿容疑者の妻・森順子(もりよりこ)容疑者です。
森順子容疑者は拉致被害者「石岡亨さん」と共にスペインの動物園で撮られた写真があり、拉致に関与したとされます。この写真が撮られたのは中朝国境の“白頭山”だと言います。北朝鮮にいた事がわかった福留貴美子さん。しかしその直後、「岡本容疑者と妻・福留貴美子さんが作業中の事故で死亡した」という記事が報じられます。
そして貴美子さんの故郷・高知(香美市)には、よど号グループからの手紙が届けられました。
(2000年5月取材VTR)
【記者】 「本当に小さい頃から本の虫だったんですね。」
【貴美子さんの母・故 福留信子さん】 「そうです。」
【ナレーター】 2000年の春、私たちは高知にいました。福留貴美子さんの母、今は亡き信子さん(当時82歳)を取材するためです。
【貴美子さんの母・故 福留信子さん】 「(貴美子さんは)国語と社会は優れていました。平均して40〜50点とっていけばいいが、できる科目はできて、できない科目はそれこそ赤点ギリギリだった・・・。」
【ナレーター】 うれしそうに娘の事を話す母・信子さん。しかし北朝鮮からは残酷な知らせが届いていました。
【貴美子さんの母・故 福留信子さん】 「これが小西さんからです。」
【ナレーター】 よど号グループから届いた手紙。死亡した田宮高麿容疑者に代わり、リーダーになった小西隆裕容疑者は福留貴美子さんの実家に何度も手紙を送っていました。
【小西隆裕容疑者の手紙】 「私たちは大変申し訳なかったのですが、活動上の都合からご家族にお知らせするのを避けてきました。」
【ナレーター】 小西容疑者は手紙で「岡本容疑者と福留貴美子さんがグループから離れて行動していた」と説明します。そして―。
【小西隆裕容疑者の手紙】 「1988年夏、朝鮮側から通知が来ました。『岡本と貴美子さんの二人が土砂崩れのため死亡した』との通知でした。貴美子さんの遺骨は岡本のと共に墓に納められています。これについてどうするか、ご遺族の意向をお知らせください。」
【ナレーター】 福留貴美子さんは「何故北朝鮮に行って岡本容疑者と結婚したのか?」また、「何故亡くなったのか?」母・信子さんは小西容疑者に説明を求めましたが・・・。
【貴美子さんの母・故 福留信子さん】 「医者の診断書もあるだろうし、医者の診断書も見せてもらいたい。埋葬許可証もあるだろうし見せてもらいたい。それから貴美子が死んだら衣服も泥だらけだろう、赤土がついているか黒土がついているかそれも見たいから、それで死んだ当日の衣服も見たいから送ってくれと言ったら、朝鮮人参を送って来ました・・・。」
【ナレーター】 信子さんに対し、二人の孫娘からは「会いたい」と手紙が届きました。また、小西容疑者らは「二人の孫娘が日本国籍を取るため、貴美子さんの死亡届に判を押してほしい」と求めました。さらに―。
【小西隆裕容疑者の手紙】 「この問題について、手紙などを通じて信じあう事は到底できないのではないかと思います。それでお願いしたいのは、こちらに来ていただく事です。」
【ナレーター】 「納得のいく説明があるまで北朝鮮には行かない」と決めていた信子さんでしたが、心は揺れていました。
【貴美子さんの母・故 福留信子さん】 「私がまだここ1〜2年のうちだったら行ける気がするが、『自分の目で確かめないうちは死亡届に判は押せません』と言ってあります。」
【記者】 「お母さんとしてはここ1〜2年、行けるものなら行こうと今も考えていますか?」
【貴美子さんの母・故 福留信子さん】 「考えています。そりゃあ人任せにはできない。自分の子どもです、何といっても。」
【ナレーター】 同じ2000年(4月)、東京日比谷で開かれた集会。小泉総理が訪朝し、金正日総書記が拉致を謝罪する2年前の事です。控え室には拉致被害者家族と共に信子さんの姿がありました。
【有本恵子さんの母・嘉代子さん】 「こちらも同じような手紙が来てるから、どうもケースは同じですね。」
【ナレーター】 拉致被害者「有本恵子さん」の母・嘉代子さんからは「似たケース」と言われました。二人の女性の間には、海外から消息を知らせる手紙が届いた事や失踪の経緯など共通点があります。また、北朝鮮への訪問、孫との面会、遺骨の返還などをめぐってはその後、横田めぐみさんの家族が北朝鮮を相手に同じようなやりとりをする事になります。
拉致被害者家族が演説する中、それをジッと聞いている信子さんの姿がありました。舞台に歩いて行く信子さん。
【集会司会者・桜井よし子さん】 「福留さんは拉致された上、無理矢理結婚させられたとみられております。1976年の事でございました。本当に亡くなっているのか、現在も生存していらっしゃるのか、真偽のほどはわかっておりません。」
【ナレーター】 信子さんはこの時、82歳でした。
【貴美子さんの母・故 福留信子さん】 「大勢の方が来て熱心に話を聞いてくれた事に感謝しました。」
【ナレーター】 信子さんはこの2年後(2002年)に亡くなりました。そして福留貴美子さんには(2004年)旅券法違反の容疑で逮捕状が出されました。その後、貴美子さんの娘は支援者に伴われて相次いで帰国しました。(映像は二女だということです)現在二人共日本で生活しています。
福留貴美子さんと岡本武容疑者は本当に死亡したのか?ジャーナリストの高沢皓司氏はこう言います。
【ジャーナリスト・高沢皓司氏】 「田宮容疑者は『岡本と福留さんはすぐに直接連絡はつかないけど、つかない所にいる』と言ったんです。」
【記者】 「『いる』と言ったんですか?」
【ジャーナリスト・高沢皓司氏】 「『いる』と言った。『死んだ』とは言わなかった。」
【記者】 「今も生きているという確信はありますか?」
【ジャーナリスト・高沢皓司氏】 「うん、そう思っているよ。」
【記者】 「二人とも?」
【ジャーナリスト・高沢皓司氏】 「うん。だから福留さんもそうだし、岡本も助けてやらないといけないと思っている。」
【ナレーター】 では、二人はどこにいるのでしょうか?
【ジャーナリスト・高沢皓司氏】 「田宮容疑者がその『連絡のつかない所にいる』と言った時に、おれは田宮の前で『これ(捕まった)か?』って言って両手を出して。田宮はそれをうんともすんとも言わなかった。北朝鮮で収容所は無い事になっているんですよ。だからそれを『うん』とは言えないんだよ。それを『うん』と言ったら大変なんだよ・・・。」
*写真は6/3に行われた救う会神奈川主催の福留貴美子さん拉致事件を考える集いで撮影しました。この時TBS「報道特集」(テレビカメラ)の方が取材に来ていました。
*6/3 「福留貴美子さん拉致事件を考える集い」に参加しました http://aoinomama13.seesaa.net/category/1597824-1.html
【救う会神奈川・川添友幸会長】 「福留問題といって、まだほとんど皆さんご存知ない拉致事件だと思います。」
【ナレーター】 今年6月(3日)、神奈川県藤沢市で開かれた集会。福留貴美子さんの問題は母・信子さんの死後、忘れられたようになっていました。しかし拉致問題に取り組む人たちによって、あさって(14日)高知県警に告発される事になりました。しかし、福留貴美子さんの失踪はまだ多くの謎が残されています。まず、北朝鮮にどのように渡ったのかもわかっていません。
【記者】 「ちょっとザァーっと見てください」
【福留貴美子さんの友人】 「あっ、これは福留さんの字かな?字は上手だったのは覚えているんです。」
【ナレーター】 私たちは福留貴美子さんが失踪直前に持っていたアドレス帳のコピーを入手して取材。失踪前に「友人だった」という女性に会う事ができました。彼女はこれまで明らかにされなかった貴美子さんの交友関係を証言しました。
【福留貴美子さんの友人】 「当時、好奇心から勉強会などに彼女に誘われて参加した事があったんです。デモとかにも誘われて1回だけは出た経験もあったんですけど・・・。」
【ナレーター】 「福留貴美子さんは、デモや当時の政権を批判する左派系の勉強会に度々出ていた」といいます。
【福留貴美子さんの友人】 「いざ出てみると、その勉強会の内容がいわゆる後で思うには赤軍派的な、そういう系統の勉強会だったんだなぁという事で、私を含めて他の3人の友人と『ちょっと違うかな?』というんで、それ以後は誘われても行かないようになったんですけどね。」
【ナレーター】 また、「姿を消す直前、別の友人にこんな誘いをかけていた」といいます。
【福留貴美子さんの友人】 「『モンゴルに一緒に行かないか?という電話がきたのよ』って。後で聞いた話なんですけども、その時に別の友人ももちろん行く気はなかったので、断ってそれっきりで会ったわけでもないんだという事だったんですが・・。」
【ナレーター】 また、福留貴美子さんは「旅行に同行者がいる」と話していた事を別の友人が証言しています。福留貴美子さんが憧れたモンゴルは当時社会主義国でした。日本からのルートも限られていたといいます。ジャーナリストの高沢皓司氏はこうみています。
【ジャーナリスト・高沢皓司氏】 「『第三国を経由してならそこ(モンゴル)に行けるよ』って言われれば、あなたならどうしますか?だから拉致されたという感覚はなかったと思います。ただ中継点としてそこ(北朝鮮)に行っただけだと。で、何故かそこで止められちゃったという事ですよ。」
【ナレーター】 福留貴美子さんが出国してから3年後、1979年に東ベルリンからの消印で実家に手紙が届いた事があります。「今、共産圏の国にいる。いとこが結婚したらしいが、お祝いが言えなくて申し訳なかった。」という内容でした。しかし―。
【救う会神奈川・川添友幸会長】 「彼女はもう出国して3年4年も経ってですね、何で自分のいとこが結婚した話を知っていたのか?と。これは簡単に申し上げますと、福留さんの家の周辺にですね、やはり工作したと思しきグループに近い人間がいると思うのが必然ですし、そういうプライベートな事が何で外に出るのか?と考えた時、そう考えざるを得ないというのが私たちの考えですね。」
【ナレーター】 謎が多い福留貴美子さんの失踪。北朝鮮の影が色濃く感じられます。
【ジャーナリスト・高沢皓司氏】 「北朝鮮問題の要するに膿が全部集まったところ。だからみんなあまり何て言うのか、手を触れない。北朝鮮もそこに触られるのを一番恐れている。朝鮮総連もそう。日本政府もそうだよ、知らん振りしている。」
【ナレーター】 日本政府は福留貴美子さんについて拉致被害者であると認定をしていません。その最大の理由は「1980年に帰国して横浜に現れ友人宅に二泊したにもかかわらず、助けを求めなかったから」だとされます。しかし、拉致問題に取り組む特定失踪者問題調査会の荒木和博代表はこう話します。
【特定失踪者問題調査会・荒木和博代表】 「一度日本に戻って来たにもかかわらずそのまままた北に戻っている、という事が拉致認定をされていない理由なんだろうと思います。まぁしかし当然監視つきで(北朝鮮へ再び)戻るわけですし、しかも向こう(北朝鮮)に子どももいるという状態でですね、そんな事(助けを求める)が出来たのか?というと、それはもうおそらく不可能だったろうなと思うんです。」
【ナレーター】 また、荒木代表は日本政府の拉致認定のあり方について次のように批判します。
【特定失踪者問題調査会・荒木和博代表】 「本人が拉致だという明確な意思表示をしない限りは、向こうにいたとしても拉致だと認定しないという事ですね。これはもうそんな事言ったら誰も認定出来ないはずなんですけども、今の日本政府の対応はそういう対応であると思います。非常に大きな問題だと思います。」
17人目の拉致被害者か
【ナレーター】 こうした中、29年前に失踪した一人の女性が新たに拉致被害者に認定されようとしています。
新たに拉致被害者として認定しようと政府が最終調整に動いている女性がいます。松本京子さん。(失踪当時29歳)1977年、自宅近くの編み物教室に行く途中、不審な男と一緒にいるところを目撃され、そのまま姿を消しました。
【京子さんの兄・松本孟さん】 「男が2人と妹らしき者が1人と、で、3人がここにおったということです。家の主人が帰って来て、『ここで何しているんだ?』という事で、何かどっちかの男の人が(主人を)叩いたと。で、叩かれている間にどうも逃げたらしいんですわ。」
*特定失踪者 松本京子さん 調査会リストより http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=90&mode=search3
【ナレーター】 特定失踪者問題調査会は松本京子さんを「拉致の疑いが濃い」と判断していました。拉致認定となれば“希望の灯火”だとしています。その一方で荒木代表はこう言います。
【特定失踪者問題調査会・荒木和博代表】 「認定をされていようがされてまいが拉致被害者は拉致被害者で、それをこちら(日本政府)がたまたま気がついていないだけの話ですから。一番大事なことはまずともかく助け出すことです。」
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「ご覧いただいた福留貴美子さんのケース、ジャーナリストの高沢皓司さんは『これまでの北朝鮮による拉致事件の様々な問題、あるいは膿といえるものが凝縮している』とおっしゃいます。確かに福留さんが国外に出てから失踪した経緯は有本恵子さんの場合と似ていますし、あるいは『本人が死亡している』と伝えた上で『北朝鮮に孫に会いに来てほしい』と要請するやり方は、横田めぐみさんの両親に対するやり方と酷似しています。福留貴美子さんに関してはお伝えしましたように、救う会高知はあさって(14日)高知県警に対し、国外移送目的略取の容疑で被疑者不詳のまま告発する方針です。」
*写真は6/3福留貴美子さん拉致事件を考える集い終了後、救う会神奈川会長の川添さんが撮影しました。高沢皓司さんと拉致被害者「松木薫さん」の姉・斉藤文代さんです。
*ダントンさんのブログ (北朝鮮にいるよど号グループに拉致問題等の情報公開を求めるブログです) http://kaese.at.webry.info/ *救う会神奈川ホームページ http://www.geocities.jp/sukuukai/ *'06 1/19 東京集会14 川添友幸さん(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/12003304.html *よど号裁判を通して見た拉致事件(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/12579615.html *「よど号犯妻公判」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*11/12 TBS「報道特集」“拉致”なのか よど号犯の妻 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27453995.html
|
| 11/10 FNN「スーパーニュース」元工作員が緊急検証 曽我さん拉致の“真実” |
( 2006.11.11,土 ) |
*11/10FNN放送の「スーパーニュース」の一部を文字化しました。写真はテレビから撮影しましたので不鮮明です。
元工作員が緊急検証 曽我さん拉致の“真実”
【メインキャスター・安藤優子さん】(スタジオにて) 「あの日、拉致の現場で一体何がどのように行われたのでしょうか?北朝鮮の元工作員であります安明進(アン・ミョンジン)氏が初めて曽我さんが拉致された佐渡に入りました。」
【メインキャスター・西山喜久恵さん】(スタジオにて) 「取材班と共に検証したのはこちらの現場です。曽我さんは路上のこの辺りで拉致された後、近くの川で小船に乗せられて、そこから日本海へと抜けたとみられています。この拉致ルートを追いました。」
元工作員がナゾ探る 曽我さん拉致現場
【ナレーター】 午前9時、新潟県佐渡市両津港。フェリーを降りるのは北朝鮮の元工作員・安明進氏です。
【記者】 「佐渡は初めてですか?」
【北朝鮮元工作員・安明進さん】 「初めてです」
【ナレーター】 曽我ひとみさん拉致の実行犯としてキム・ミョンスク容疑者が国際手配されて1週間。曽我さん拉致の現場に、今回初めて立った安明進氏。その口から出た言葉は―。
【北朝鮮元工作員・安明進さん】 「こんな場所では拉致しません。曽我さんが声でも出したら助けようと人も出て来るでしょう。とても危険な場所です。」
【ナレーター】 1978年8月12日、当時19歳だった曽我ひとみさんは、母ミヨシさんと買い物をしてその帰宅中に3人の男に襲われました。
【拉致被害者・曽我ひとみさん】(2003年) 「私が、何か後ろで気配がするような気がして一度後ろを振り向いた時に、3人の男の人が1列に並んで私と母の後ろからついて来ていました。『あの人たち何なんだろう?何か気持ち悪い・・・』とか、そういう話をしていた矢先に後ろから急に襲われて、道のすぐ横にある木の下に連れ込まれました。」
【ナレーター】 当時は街灯もなく、夜になれば車もほとんど走っていなかったといいますが、見通しもよく、付近には住宅もあり、拉致するには不向きな場所だと指摘する安氏。それでも曽我さんが狙われた理由をこう推測します。
【北朝鮮元工作員・安明進さん】 「曽我ひとみさんを絶対拉致しなくちゃいけなかったのでしょう。北朝鮮からの命令で『いなくなったとしても、本人の意思で蒸発したと周りから思われるような女性を拉致しろ』と言われていて、その1人に選ばれたのが曽我さんだったと思います。」
【ナレーター】 「事前に曽我さんについての情報が北朝鮮に渡っていて、偶然ではなく曽我さんを狙った犯行ではないか」と言います。
【北朝鮮元工作員・安明進さん】 「工作員は100メートルを陸上選手と同じくらいのスピードで走ります。(100メートルを)13秒以上かかる人はいません。自分と同じくらいのものを持っても、すさまじい速さで駆け抜けます。」
【ナレーター】 「捕まえた後は、人目につかない場所で曽我さんを袋に入れ、近くの川に待たせていた船に乗せ工作船まで運んだのではないか」と言う安氏。実は当時、近所の人が付近の川で不審な船を目撃していました。
【不審な船を目撃した地元の人】 「(不審な船が)この辺にうろちょろしていた。1日や2日じゃない。変な船がいるから(自分の船で)追いかけたら、(自分の船は)時速40〜50キロくらい出るんだよ。それなのに(不審な船は)全然スピードが違う。逃げられた。」
【ナレーター】 イラストにすると「その船はこんな形をしていた」と言います。取材班は続いて、曽我さん拉致の前にキム・ミョンスク容疑者が潜伏していたという旧佐和田町へ。拉致の後、キム容疑者は曽我さんに「サワダの浜の方に1週間いた」と話したといいます。
かつては雑木林が広がっていたという海岸沿い。キム容疑者は1週間こういう場所に身を潜めていたのか?それとも・・・。
【北朝鮮元工作員・安明進さん】 「こういう所にテントを張ってもいいし、下にシートを敷いて過ごす事も出来ますが、海風が強いので屋外で過ごす事はつらいと思います。たぶん協力者がいたと思います。おそらくその家で寝泊りをしていたと思います。」
【ナレーター】 この付近の協力者の家に寝泊りをしていた可能性を指摘した安氏。そして安氏は「1週間という滞在日数が曽我さん拉致だけを目的に北朝鮮から来たとしたら長すぎる」と断言します。
【北朝鮮元工作員・安明進さん】 「工作船が北を出発して日本に来て帰るには1週間も停泊出来るほど燃料に余裕がありません。日本で工作活動をして帰国するためここに来て、そのついでに拉致をしたのではないか?と思います。」
【ナレーター】 キム容疑者は北朝鮮から工作船に乗って佐渡に来て、その工作船で北朝鮮に帰るとしたら3日以内に拉致を終えなければならない、といいます。では、曽我さんの拉致事件で、キム・ミョンスク容疑者はどんな役割を果たしたのでしょうか?
【北朝鮮元工作員・安明進さん】 「拉致する対象が女性だったので、彼女(キム・ミョンスク容疑者)が選ばれたのでしょう。曽我さんを尾行して行動パターンをチェックするだけで拉致現場に行く必要はありません。被害者が連れて来られるのを待ってその場で確認するだけです。そして動揺した被害者にこう言って安心させます。『心配しないで。殺すつもりはない。』と―。」
*11/1 古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟 報告会 安明進さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/26683132.html *11/1 古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟 報告会 質疑応答(安明進さん) http://aoinomama13.seesaa.net/article/26713472.html
終わり
*11/10 FNN「スーパーニュース」元工作員が緊急検証 曽我さん拉致の“真実” aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27236523.html
|
| 11/10 FNN「スーパーニュース」もう売ってあげない |
( 2006.11.10,金 ) |
*11/10FNN放送の「スーパーニュース」の一部を文字化しました。写真はテレビから撮影しましたので不鮮明です。
“1700万円”最高級車 愛車が消える
【メインキャスター・須田哲夫さん】(スタジオにて) 狭まる北朝鮮包囲網はついにこんなところにも。金総書記が愛してやまないあの車も、もう手に入りません。
“北”貨物船拿捕 乗組員12人を拘束
【ナレーター】 北朝鮮の船が今度はインドに出没。地元の沿岸警備隊によると先月29日、インド洋のムンバイ沖を航行していた北朝鮮の貨物船が故障を理由に救助を要請。インドの治安当局は「領海侵犯の疑いがある」としてこの貨物船を拿捕し、北朝鮮の乗組員12人を拘束しました。
こうした中、今北朝鮮では金総書記が笑っていられなくなるほどの大問題が発生。それは―。
高級外車が消える!笑えない事態が・・・
【ナレーター】 金総書記や高級幹部が愛用する外国の高級車が北朝鮮から消えるかもしれないのです。金総書記の素顔を知る元専属料理人の藤本健二さんは―。
【元専属料理人・藤本健二さん】 「やはり(金総書記が)気に入っているのはベンツですよね。『ベンツに勝るものはない』といつも言っていますからね。」
【ナレーター】 「大変なベンツ好き」だという金総書記は、エリート幹部や藤本氏にもベンツを買い与えていたといいます。2年前(2004年)に撮影された平壌市内の映像を見てもベンツがずらり。これはベンツ、これもベンツです。自動車評論家の山田昇氏は―。
【自動車評論家・山田昇さん】 「やはりベンツが多いですね。新しい車は比較的にヨーロッパの車、ベンツなどが多く見られますね。これはクラウンですね。予想したよりも高級外車が多いですねぇ。」
【ナレーター】 ところがFNNがドイツのダイムラー・クライスラー社に取材したところ、意外な事実が・・・。
【ダイムラー・クライスラー社】 「救急車なら考えますが、それ以外の高級車は市民の元に届かないので販売を拒否しています。」
【ナレーター】 1980年代以降、ダイムラー社は北朝鮮へのベンツの販売を中止。そこで北朝鮮は高級外車の購入先をドイツのフォルクスワーゲン社に変更。金総書記は日本で売られていない最高級車を手に入れていた、というのです。それがフォルクスワーゲン社の最高級車“フェートン”。ベンツの新車を買う事が出来なくなったため、北朝鮮は幹部クラス用にこの高級外車を4台購入。(その)内1台については当初、防弾仕様にするよう北朝鮮から要望があったものの、フォルクスワーゲン側が断ったという経緯もあり、金総書記の専用車だった可能性が指摘されています。
“フェートン”の価格は1台およそ1700万円。その最高級車の乗り心地は―。
【記者】(ドイツにて) 「130キロから140キロで走っているのですが、非常に走行が安定しています。」
【ナレーター】 北朝鮮は2004年から今年までにフォルクスワーゲン社から大衆車を含めおよそ500台を購入。ところがフォルクスワーゲン社は9日、FNNに対し「これ以降、新車販売の契約を北朝鮮と結ばない」事を明らかにしました。
実は「北朝鮮はこうした外車が故障した時に、部品の交換や修理が難しいという弱点がある」といいます。
【山梨学院大学・宮塚利雄教授】 「『それなら(修理よりも)新品を買ってこい』という事で、修理だとか部品の供給・保管だとかそういうとこまではあまり考えていない、というのが北朝鮮ですよね。」
【ナレーター】 国連決議の経済制裁で、高級外車などぜいたく品の輸入がさらに深刻になる北朝鮮。
【山梨学院大学・宮塚利雄教授】 「今まで高級な物をもらっていた幹部連中は、逆に言えば不安から今度は不信になるという事があるんですよね。ですから金正日としては、それはどうしても避けなければならない。(正規ではない)秘密のルートを通して、裏の世界のルートを通してそれを買う、という事になると思いますね。」
【メインキャスター・安藤優子さん】(スタジオにて) 「はい、この北朝鮮にはいわゆる中流階級というのは存在しないわけで、車に乗っているのは党や軍の最高幹部だけ。よって走っている車も高級外車ばかりという事になるわけなんですが、いずれにしても国連の制裁決議の中にぜいたく品、車・お酒・たばこというのが含まれているわけですから、金総書記とその周りを狙っている事はもう明らかですね、その制裁のターゲットとしては。」
【メインキャスター・木村太郎さん】 「制裁決議は全加盟国に適用されて、みんながそれをキッチリ守り始めているという事でしょう。問題はそれ(ぜいたく品)を買う現金がまだあるって事なんですよね。ですからそこもキッチリ締めなきゃいけないという問題が残っている、と思うんですよ。金剛山(クムガン山)の観光だとか、やっぱり韓国には決議の趣旨をちゃんと汲んで、そういう現金を向こうに行かないような措置を取るべき時期に来ていると思いますね。」
【メインキャスター・安藤優子さん】 「そうですね。ちょっとここのところ曖昧になっていますよね。」
終わり
*11/10 FNN「スーパーニュース」もう売ってあげない aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27195929.html
|
| きつねのでんわボックス |
( 2006.11.9,木 ) |
一冊の本を買いました。読んだらきっと泣くだろうなと思いつつ、それでも何かに惹きつけられるように手にしました。小学校1・2年生向きの本ですが、ぜひお母さん方にも読んで欲しいなと、わが子をいとおしく思う気持ちが再確認できる本だと思います。きつねのお母さんの思いが自分の思いと重なって涙がとまりませんでした。
「あのね、かあさん、まほうがつかえたのよ、ほんとよ・・・」 あおいにも読みきかせてあげました。あの子はどんな感想言ってくれるのかしら。
*きつねのでんわボックス(単行本) http://www.amazon.co.jp/gp/product/4323020104/sr=8-2/qid=1163139976/ref=sr_1_2/250-4279253-1433861?ie=UTF8&s=books
【どこのおはなし?】 山のふもとにあるふるいでんわボックスでのできごとです。 【だれのおはなし?】 子どもをなくしたかあさんぎつねとにんげんの男の子のおはなしです。 【どんなひとがでてくるの?】 やさしいおじいさんや、とおい町ににゅういんしている男の子のおかあさん。 【そして、どんなおはなし?】 かあさんぎつねは、とおい町にまいにちでんわをかけている男の子にであいました。 *きつねのでんわボックス aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27179144.html
|
| 「しおかぜ」チラシのポスティング |
( 2006.11.8,水 ) |
あおいのママとパパは最近ウォーキングをしています。健康のため、ダイエットのため(これはムダかもしれないけど・・・)、無理しないようにやっています。夕飯を済まして少しくつろいだ後、自宅近くの閑静な住宅街を30〜40分かけてゆっくりと、そして日々の出来事を話しながら楽しみながら続けています。毎回コースを変えていますが、どのコースも坂道はほとんどないので、思っていたよりも楽なのですが、それでも家に帰る頃には二人とも大汗をかきます。
*あるお宅の柿の木です。たわわに実っています。 ちょっと前まではキンモクセイの甘い香りに包まれ、今は虫の声を聞きながら、柿の実やみかんの実が生るお宅を見ると「そろそろ食べ頃ね〜」なんて言いながら、人通りの少ない並木道をてくてくと歩いて行きます。途中、小さな向日葵が咲いていたりしてそんな発見にも驚きます。この季節に夜でもパッと花開いているんですよ。すごいなぁ〜!!
*夜もキレイな向日葵です。 どのコースも一軒家が多く、ポストも通りに面しているお宅が多いので、いつも歩きながら「これならポスティング出来るかも」って思っていました。2年前にも少しだけ救う会の国民大集会のチラシをポスティングした事があったのですが、最近はマンションなどは管理が厳しいのでなかなか実際難しかったです。(もちろん救う会関係者の了承の下、行いました)
とにかくポスティング目的でウォーキングしたら難しいだろうけど、ダイエットついでだと思えば自分のため人のため?に少しでも出来るのではと考えました。それで特定失踪者問題調査会の荒木さんにポスティングの事をお話したら快くOKしてくださって、そして「しおかぜ」のチラシを用意してくださいました。本当にありがとうございます。
*こんなふうにやっています。 早速今晩から始めました。最初からたくさんは無理なので、少しずつ少しずつです。
ポスティングをしたって、チラシがムダになるかもしれないし何の力にもなれないかもしれない。自己満足だって言われてもいい。少しでも自分たちの出来る何かをして、家族を取り返すべく一生懸命な皆さんを応援していきたいと思っています。
*ポスティングをする場合、不審者と思われないように気をつけましょう。 (^^)
*しおかぜ通信 http://www.senryaku-jouhou.jp/shiotsuu.html *特定失踪者問題調査会 http://chosa-kai.jp/
*「しおかぜ」チラシのポスティング aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27057848.html
|
| 私のお弁当箱 |
( 2006.11.7,火 ) |
写真のアルミのお弁当箱と袋は35年前にあおいのママが使っていたものです。母が亡くなった時、台所を整理していて偶然見つけました。「ああ、懐かしいなぁ」と思わずウルウルしてしまいました。母はこんなに小さなお弁当箱いっぱいにごはんとおかずと愛情を詰めてくれて、私は毎日幼稚園に通っていたんだなぁって。ちょっとへこんだり傷はあるけど、今だって使える立派なお弁当箱です。
私がお弁当のメニューで覚えているのは、エビフライとかたまご焼きとかスパゲティとか焼肉(豚だけどね)とかのわりといいものばかりです。パパにも「ぜいたくなもの食べていたんだね」といつも言われます。父も母も「自分たちが子どもの頃は食べ物がなくて大変な時代だった。だからどんなに家計が苦しくても、子どもたちには少しでもいいものを食べさせてあげたい」とよく言っていました。おかげで私は必要以上に成長してしまいました!(妹たちはガリガリだったのになぁ・・・)
お弁当は幼稚園の時の1年だけでした。小中学校は給食だったので三姉妹のお弁当はそれぞれ1年間だけ。あとは給食が休みの時とか遠足とか運動会とかのお弁当はあったけど、そういう時はたいていおにぎりかおいなりさんでした。
私は母のお弁当がとっても好きで、いつもキレイに残さず食べていました。それで幼稚園の時には「ごはんつぶ一つも残さないよい子」として先生に褒められ「よくできました」シールをもらい、それが今でも私の自慢なんです〜!!反対に一番下の妹は病気がちで食が細く、いつも残してばかり。どうしたら食べてくれるのか母も苦労していました。(今は私にそっくりですが・・・)
お弁当を入れていた袋も母の手作りです。ご覧のようにもうシミだらけでボロボロです。35年経っているんですもの、当然ですね。年中、お弁当から出るお汁で汚していたし。あの頃は我が家にはミシンがなく、すべて母の手縫い、小学校の時の色んな袋類や雑巾もすべて手縫いの時代。お弁当のおかずだって今のように冷凍食品はなかったし、お母さんたちは本当に大変だったと思います。(もちろん現在子育て中のお母さんたちも!)母は「子 | |