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2006年10月の日記
| 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田滋さん |
( 2006.10.31,火 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (多少読みやすいように変えております)
瀬谷区の皆さん、こんばんは。(大拍手)今日はもっと早くお伺いする予定だったのですが、急に、新潟市が今度政令指定都市になるにあたって新潟出身の作家・坂口安吾氏の生誕100周年を記念して第1回安吾賞(*下記に記事あります)、これは文学賞ではないんですが、新潟にゆかりのある人という事で、人気作家で演出家の野田秀樹さんが獲得されたんですが、私たちも、これまでも拉致の問題に関して一生懸命やって新潟市民が新潟市が支援をしているという事で、市特別賞をいただきまして、それはちょっと欠席できませんので、行ってまいりました。それでこちらの到着が遅れまして、申し訳ございませんでした。
今日10月15日ですか、今から4年前に羽田空港から5人の北朝鮮が生存を発表した方がお帰りになりました。そして当初は、2週間くらい滞在して親族に会ったりして、北朝鮮にいったん戻って子どもさんと相談した上でどうするかを決めて、「日本に行く」という事であればその後帰って来る、という事になっていたようなんですが、しかしそんな事をすればもう二度と帰って来られなくなるという事で、政府の責任でそのまま日本に留め置くという事になりました。
しかし、北朝鮮側からみれば「約束を破った」という事で、子どもさんが帰ったのは小泉総理の二度目の訪朝、平成16年の5月の小泉総理の再訪朝によって5人の方が帰って来て、そしてその後、曽我さんの家族もジャカルタ経由で帰って来ましたので、生存していた方は、本人はもとより家族の人がすべてこの日本に帰って来て、子どもさんも「日本に永住する」と決めて、もう順調に日本の生活に慣れてきております。しかし北朝鮮側はそれ以外、当初は「死亡」と発表した人、それから曽我さんのお母さんもその時は拉致かどうかわからなかったんですが、その後政府が認定していますが「そういう人は入国していない」と言っております。
それで「拉致問題は解決済みだ」という事で、保障問題等に移ろうとしたんですが、小泉総理は「それでは日本人が納得しないから」と再調査の約束を取りつけました。そしてその年の8月9月に日朝実務者協議が北京で行われましたが、まったく新しい情報は入手出来ませんでした。しかし3回目の11月の時には、めぐみの物が中心だったんですが、めぐみの学校に入った時の物だとか自筆のメモ、これは新潟市の住所・家族の名前・年齢・父親の勤務先等々を書いたメモがありました。
それから三枚の写真、一枚は拉致された直後に写されたと思われる不安そうな顔をした写真、それからもう一枚は割りあいきちっとした姿でコートを着ているもの、もう一枚は唯一のこういった笑顔の写真です。それより何より決定的なものは、めぐみの夫である金英男(キム・ヨンナム)さんが現れて遺骨も提供しました。そして「自分が直接渡したい」という事だったんですが、藪中団長は「我々は両親から任意を受けているから持って帰る」という事で、持って帰って来てくださいました。
それ(遺骨)は我々から見ますと本物かどうかわかりませんので、新潟県警が裁判所の令状を取って、証拠品として押収してDNA鑑定を行いました。そして帝京大学と科学警察研究所の2ヶ所で鑑定を行いました。
我々が心配したのは、高温で焼いたので鑑定不能と出た場合、北朝鮮の夫が「規則を破って共同墓地から妻の遺体を持って帰って、それを保存して自分の事務所に大事に保管してたものだから、もう絶対本人も間違いない」と、しかし「DNA鑑定は出来なかったけど骨はめぐみのものに間違いないんだ。こんな不安そうな顔をしている少女をわが国は立派な大人に育てて、しかし病気になって入院をして、それで自殺をしたんだ、これで納得してくれ」っていうかたちだった場合、科学的に反証する材料がないわけなんです。それを心配したのですが、日本の技術水準・科学水準の高さで「別人のもの」と判明致しました。
そしてその他の方のものも精査をしまして、これは12月8日に決まったわけです。我々は「こんなに誠意のない対応をする国には経済制裁をしてください」とお願いをしましたし、その翌日に超党派の国会議員で作る“拉致議連”というのがありますが、そちらの総会でも外務省から説明があって、こちらでも「経済制裁を」という決議がなされております。それから10日の自民党拉致対策本部、衆参両院の拉致特別委員会でも「制裁」を決議しておりますが、小泉総理が「対話の窓口が途絶える」という事で「制裁を」とは言っておりません。
そして今年の2月に、今度は日朝友好協議といって「拉致だけではなくて、核やそれから保障の問題も並行的に協議する。しかし・・保障問題が済んだとしても、拉致が解決しなければ保障には応じない」と通告した上での協議だったわけですが、その時も具体的な進展は何もなくて「次回いつ開かれる」って事は決まっておりません。その時に政府から説明がありましたが「何も政府からはなかった」という他に、その時に梅田さんという方が団長だったわけですけど、「その時感じた事が三つありました」と「北朝鮮は日本の世論を非常に気にしている」という事でした。
その一つの例としましては、2月頃にめぐみの写真展を新潟で開きまして、その事が話題に出たそうです。それで北朝鮮の代表が「新潟は拉致の問題の関心が深い所だけど、写真展には2000人の人しか来なかったそうですね」と言ったので、梅田代表が「私が行った時も超満員だったんですよ。誰がそんないいかげんな報告をしたのか知りませんけど、実際には2万5000人の人が入りました」と、その時もらってきたリーフレットを渡したそうです。それにしても「新潟のデパートで開かれた写真展もチェックしている」という事にちょっと驚かされました。
ですから今日も椅子に座りきれない方々が大勢いらっしゃいますが、これだけ大勢の方が拉致問題解決を願って来てくださったという事は、非常に我々としましては心強いですし、またこれが新聞に出たりしたら北朝鮮の耳に入ります。おそらく上の方に報告する場合はこの3分の1くらいの数しか言わないかもしれませんけど、大勢の方がこうして参加してくださるという事は、拉致問題解決のために非常に大きな力となります。
二つ目には拉致の国際化を恐れているようです。以前はレバノンの人、それから日本・韓国の被害者の事だけが話題になって「レバノンの人は解決済み」となっているわけですが、しかしジェンキンスさんがお帰りになって本を書いた事によって、「東南アジア・ヨーロッパと12ヶ国の人が拉致されていた」とわかりました。ですからそういった国からも色んな圧力がかかりますし、サミットの場とかASEAN(アセアン)の代表会議の場でも、拉致についての北に対する追求が見られますし、特に今回は最初のミサイル発射の時に、日本では万景峰号の入港を半年間止めたわけですけど、しかしその追加措置として日本に来るすべての船の入港を半年間止める、という事です。
それから「食料品等の輸入を全面禁止」としておりますが、これは従来、アメリカだけでも金融制裁が効いているわけですから、それを日本でも進めたいですし、今回国連による決議の制裁等が加わりますと、北朝鮮側は何も対応しないでいるとそれこそ自滅の道を辿る事になりますから、何らかのかたちで対応せざるを得ないかと思います。
それから今の話とだぶりますけど、「やはり経済制裁が非常に効いている」という事です。安倍内閣の誕生によりまして、従来から我々家族は「拉致の担当の大臣を任命していただきたい」とか「前に対策本部の参与もやっておられた中山恭子さんに、拉致の解決のための何か要職に就けてその能力を発揮していただきたい」とか「拉致の対策本部、今の特命チームというのがありますけど、閣僚級の拉致の対策本部を作って、それこそプツっと切れる事無く検討して欲しい」と、色んな事をお願いしておりましたが、それもすべて実現しました。拉致問題に非常に熱心だった麻生外務大臣・鈴木官房副長官と、非常に拉致の解決にはいい環境が整いまして、我々も大いに期待しております。
今年の初めの4月頃ですか、めぐみの夫が「1977年〜78年に拉致された5人の高校生の内の一人ではないか?」という情報が入って、それぞれの方のお母さんから血液とか口の粘膜等提供を受けて肉親関係を検査したところ、それは「金英男(キム・ヨンナム)さん」だという事がわかりました。
そして我々も韓国に行って、お母さん・お姉さんと対面したんですが、やはり日本とはかなり違いまして、我々も実状として「北朝鮮に行くと、北朝鮮側は『救助した』とか『本人が望んで北朝鮮にいる』と言わせる」という話をしたんですけど、ただ韓国の場合は分断国家で日本とまったく状況が違いますし、お母さんは非常に高齢で、お父さんが亡くなって早くから子育てに苦労していたので体が弱っているんです。
それで「生きているうちにぜひ会いたい」とおっしゃっていまして、それは会う事が出来て非常に良かったと思っています。そして話を聞きますと予想通り「めぐみは死んだ」とか「自分は救助された」とか色んな事を言っていますが、しかしそれに対して日本の世論は「ああ、やっぱりめぐみさんは死んだのか」という事にはならないで「それは作り話ではないか?」とあまりそれを信用しなかったので、北朝鮮側の目論みは外れたと思います。
今日も大勢の方が来てくださっていますけど、日本の“家族会”は政府認定16人でその内5人が帰って来ていますので、実質的に解決していない方は11人ですから、人数は非常に少ないわけです。しかし韓国の方は朝鮮戦争の時の被害者だけでも8万人、それから日本と同じような漁船員の方が中心ですけど、北に捕まった方が480人くらいいらっしゃるわけですが、日本と一番大きな違いというのは“救う会”というような組織がないわけなんです。日本だったら救う会神奈川が会を開く場合もありますし、それから今日の場合のように国会議員の方が主催してくださるケースとか、ロータリークラブの方とか色んなかたちで会を開いて世論を盛り上げてくださるわけです。日本の拉致問題がこれだけ進んだのは、皆さんの関心が非常に高いからこれだけの事が進んだわけなんです。
事実、アベックの拉致事件とか新聞に報じられたのは昭和55年ですけど、その時は家もあまり話題にもならなかったし、昭和63年に参議院の予算委員会で採り上げられた時も、新聞が小さく報じてテレビがまったく報じなかったので、日本の人はほとんど気がつかず、家族も名乗り上げなかったものですから救出運動も起きなかったわけです。しかし平成9年にめぐみの事が出た時は、我々も実名と写真を出して報道、産経新聞・アエラ等も大きく報道して、それから西村眞悟代議士の質問が全国でテレビ生中継されたという事があって、世論が高まったわけです。
今日会場にいらっしゃったほとんどの方は「平成9年に日本人の拉致がある」とご存知になったと思いますし、若い方でしたら「小泉総理の訪朝によって拉致がわかった」って方もいらっしゃると思います。しかし、先ほどの昭和63年の時には政府が「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である」という事を答弁で言っておりますから、政府の関係者・議会関係者の方だとかご存知だったわけですけど、国民の世論がなかったものですから、めぐみの事が明らかになった時でも「たった10人くらいの拉致の事で騒いで日朝国交正常化交渉が進展しなければ国益に反する」なんて言う外務省の局長がいて顰蹙をかった事がありましたけど、世論の力がなければ誰よりも政府は国交正常化を急ぐという事がずっと続いてきたわけなんです。
政府認定されている人は現在16人、その内の解決していない人は11人ですが、それ以外に特定失踪者問題調査会に相談をしている人が480人くらい、警察に対して相談している人は1000人くらいいらっしゃるという事です。しかし警察に相談した方は我々がそうだったように、「必ずしも北朝鮮に行ったとは思えないけど、いなくなり方が不自然で、もしかしたら北朝鮮かもしれないから調べてほしい」という人もいるでしょうから、この1000人が全部北朝鮮の拉致とは言えないでしょうが、かなり大勢の方がいらっしゃると思います。こういった人たちを助けるためには、国内の世論・国際的な世論の高まりはもう欠かせる事は出来ません。
今は安倍内閣になって特に熱心にやってくださるので、急に世論が下火になるなんてちょっと考えられませんけど、それでもやはり解決のための最大の力というのは、皆さんがこの問題に関心を持ってくださる事です。ぜひこれからも今日のように大勢の方がこの問題に関心を持ってくださって、見守ってくださる事が大勢の人を助ける事になると思います。どうぞよろしくお願い致します。(大拍手)
終わり
*写真は講演会終了後、控え室前で報道各社のインタビューを受ける横田滋さん・早紀江さんご夫妻です。
*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/25892892.html *'04 4/10 流山講演会 横田滋さん(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/15144323.html
新潟市で第1回安吾賞授賞式
新潟市出身の作家、坂口安吾(1906―1955年)の生誕100周年を記念して同市が設立した「安吾賞」の第1回授賞式が15日、新潟市民芸術文化会館で開かれ、同賞の劇作家野田秀樹さん(50)と、市特別賞に決まった横田滋さん(73)、早紀江さん(70)夫妻に賞状や賞金が贈られた。
野田さんは大学時代に安吾作品に出合ったといい「大好きな作家の賞をいただき光栄だ」と喜びを語った。会場では安吾原作の舞台「贋作(にせさく)・桜の森の満開の下」のセリフを一部読み上げ、会場から大きな拍手を受けた。
新潟日報2006年10月15日 *10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田滋さん aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/27585711.html
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| 10/16 フジテレビ「とくダネ!」日本人が描けなかった拉致問題 横田夫妻30年の闘い |
( 2006.10.30,月 ) |
*10/16フジテレビ放送の「とくダネ!」の一部を文字化しました。(約20分、写真はテレビから撮影したので不鮮明です)
映画「めぐみ」が語る横田夫妻“30年の闘い”
【メインキャスター・小倉智昭さん】(スタジオにて) 僕がショックを受けたのは、この映画の中でね、沼田爆(ぬまたばく)さんがリポートをするのがあったんです。あれ「小川宏ショー」の“裸の事件簿”のワンコーナーなんですけど、僕はその時“裸の事件簿”一緒にやっていましたから、スタジオでめぐみさんの行方不明のニュースを一緒に考えていたはずなんですが、当時のそのめぐみさんの事と今回のめぐみさんが同一の人だっていう事は、まったく今まで気づいていなかったんです。
【アナウンサー・佐々木恭子さん】 私も日本のメディアで働きながら知らない事がいっぱいあって、「どうやって闘って来られたか」という重みがまだまだ感じていなかったな、と思いますね。
【メインキャスター・小倉智昭さん】 「申し訳なかったなぁ」と改めて思ったんですけどね・・・。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 そこで改めてご紹介しましょう。今日のゲストは横田滋さんと早紀江さんです。
【横田さんご夫妻】 よろしくお願いします。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 ドキュメンタリー「めぐみ」という1本の映画に、外国人の監督さんによって物語が映画になりました。滋さん、改めてこの30年間を振り返るドキュメンタリーを見てどんな思いになりましたか?
【横田滋さん】 やはり当初は「拉致なんて本当にあるのかどうか?」っていうような感じでみられて、それほど関心がなかったんですが、それが今は政府も非常に強力な布陣を敷いて努力してくださっていますし、国民世論の高まりも非常に皆さん関心が高くて、この間の変化っていうのは本当に感慨無量なんです。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 この「日本人が何故こういったドキュメンタリーを作らないのか?」という質問を監督にしますと、「外国人だから出来たんです」というふうに言い切りました。早紀江さん、そんなふうに感じた部分はありました?この映画で?
【横田早紀江さん】 はい、そうですね。あの、私たちは何度かアメリカに行って、色んな方に高官にお会いしたり、何度か行って拉致問題の事をお願いして来ましたけど、やはりあちらの国柄っていうんでしょうか、「本当に悪い者に対しては許せない」そして人命とかそういう大事なものを本当に大事にしている国なんだな、ということを何度も感じていましたので、パティさんやクリスさんもそういう視点で「これは大変な事だ!」と「何でこんな事がこんなになおざりにされているのか?」って思いを持たれた事を聞きましたので、そういうふうな中でのものではないかな、と思っておりますけども。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 そこでこれからですね、この映画の中にふんだんに入っております、我々が普段目にした事がないような映像、そういったものをですね、ご夫妻と一緒に見ていきたいと思います。
まず初めは、拉致とわからずに行方不明になって1年半後、とにかくご夫妻は「何とか行方を捜さなければ」という事で、色々な事をやりました。その中で藁をも掴む気持ちで、フジテレビの朝の情報番組に出演したシーンが映画の冒頭に登場します。ちょうど私たちの番組がやっている時間帯の番組なんですが、フジテレビに埋もれていた映像で「とくダネ!」でも知らなかった映像でした。
【ナレーター】 当時13歳だった横田めぐみさんが忽然と姿を消した1977年11月15日、新潟県警は捜査員のべ3000人を動員し捜索を行なったが、その足どりは掴めなかった。この時から横田さん夫妻の長い闘いが始まった。
【リポーター・沼田爆さん】 この道路からですね、突然消息を絶った当時13歳の横田めぐみちゃんを捜しております。全国の皆さん、よろしくお願いします。
【ナレーター】 事故なのか?それとも事件なのか?それさえもわからない状況の中、横田さん夫妻はめぐみさんの情報を求めて「出来る事はすべて行ってきた」という。その一つがテレビ番組への出演だった。
小川宏ショー15年記念特集(1979年放送・フジテレビ系)
【小川宏さん】 さて、家出をいたします少年少女のその家出の理由というものは、一人一人まったく違うわけでございますが・・・。
【ナレーター】 失踪した人の情報提供を呼びかけるテレビ番組。めぐみさんの失踪は「絶対に家出ではない!」と強く信じている横田さん夫妻の思いが、当時の呼びかけの中に現れている。
家出か、誘拐か!或る日 突然消息を絶っためぐみさん! 【小川宏さん】 さて、これがですね、めぐみさんを捜すポスターでございます。呼びかけていただきたいと思います。お気持ちをどうぞ。
【横田早紀江さん】 「めぐみちゃん、あなたが本当に自分で出て行くとはどうしても思えません。あの暗い道で何かがあったんじゃないかとそればっかり思って、どんなつらい思いで暮らしているのかと思うと、もう本当にどうしていいのかわからない状態です。どうぞ元気でいるのなら、たった一言でいいですから、電話なりはがきの一本なりよこしてください。全国の皆さん、どうぞこの子をどこかで見かけたりしましたら、どんな小さな事でも結構でございますので、お知らせいただきとうございます。よろしくお願い致します。」
【ナレーター】 しかし、めぐみさんに関する情報は得られぬまま、長い長い時が過ぎて行った。
【メインキャスター・小倉智昭さん】(スタジオにて) この家出人捜索の番組っていうのは、実は僕の近しい人も取り上げられた事もあってね、その人も出て来てないんで、僕も実感としてこれに出るという事のつらさはよくわかるんですね。で、これも早紀江さん、家出人捜索という事でしか当時は出演なさっていないわけですもんね。
【横田早紀江さん】 そうですね。わたしたちはもうどんなに捜しても何にも出て来ないので、とにかく全国の方にめぐみの写真を見ていただく事で誰かが「この子見た事がありますよ」って言ってくださる事だけを期待して、「どんな事であってもいい、もうとにかく出させていただこう」と思って出たわけなんです。
【メインキャスター・小倉智昭さん】 滋さん、でもめぐみさんに関する情報はなかったそうですね。
【横田滋さん】 はい、そうです。フジテレビだけではなくて、他の局も同じような番組がありましたんですが、そこで見ますとやはりテレビの力は大きくて、ほとんどの方はその日の内に解決するケースが多いわけですけど、めぐみにつきましてはもうまったく、まぁいたずらっていうものはなかったんですけど、情報が何も入りませんでした。
【メインキャスター・小倉智昭さん】 警察から毎年発表になる身元不明者の死体の写真ファイルを、早紀江さん見に行ったりなさった事もあるそうですね。
【横田早紀江さん】 そうですね、何年かありましたけれども・・・。本当に見た事もないようなつらい時間でですね、怖い写真ですから、もう途中で「とても私は見られないから、その人の持ち物の方のを見るから」とお父さんが見てくれて、一生懸命見てくれましたけど、やはり時々丸顔のよく似たような写真があるとドキっとしてですね、「いやぁ・・ひょっとしてこんなふうになっちゃったのかしら・・・」とかね、色々と調べましたけど全部違いました。
【アナウンサー・佐々木恭子さん】 では何の手がかりもない中で「もしや家出では?」というふうに思われる気持ちもあったと思うのですけど、そういう時、お母さまとしてはどうでしたか?その、めぐみさんどんな気持ちだったかと・・・?
【横田早紀江さん】 はい、あの、やはり私たち、(めぐみちゃんが)バトミントンの選手に選ばれて、いなくなるちゃっと前にですね、強化選手に選ばれて、非常にちょっと「私に出来るかな・・?」って重荷に感じていたりして、「どうしようかなぁ」って私にも相談していたりしていたものですから、その時に「1位とか2位にならなきゃこの学校ダメなのよ」って先輩にも言われていたのに5位だったんですね、ダブルスの。で、非常に泣いててですね、「はぁ、ダメだ・・・」って言っていたんで、「いいじゃない5位だったら」って言ったその事がかなり重荷になったんじゃないか?という事ばっかりあの時は考えまして、それで「何かもうちょっといたたまれなくなって、どこかにフラっと行っちゃったのかなぁ・・」とかね、もう色んな事を思いました。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 そしてその後、産経新聞のスクープによりまして“拉致”というようなキーワードが出てまいりました。ただその“拉致”という事が表面化しましてもですね、様々なトラブルがやはり被害者の会の皆さんにはありまして、横田さんを始め皆さんストレスが頂点に達し、また横田夫妻のプライベートにもさざ波が立ったと思われます。今では日本のマスコミが放送や取材を控えているような部分も、この映画には登場してきましてハッとさせられます。
【ナレーター】 1997年、横田さん夫妻の闘いに大きな変化が生じる。初めて新聞が「北朝鮮による横田めぐみさんの拉致の可能性」を伝えたからである。(1997年9月4日付 産経新聞)
「新潟県における少女行方不明事案も拉致の疑いがあると判断し、全体で7件10人と判断するに至ったところでございます。」(1997年 参議院 決算委員会)
闘う相手は誰なのか?横田さん夫妻にようやく敵の姿が見えてきた。相手は日本とは国交のない“北朝鮮という国”だった。
【横田早紀江さん】 「私は横田めぐみの母です。20年の間、本当に悲しい思いをしてきました・・・。」(映画「めぐみ」より)
【ナレーター】 横田さん夫妻は街頭に立ち、拉致被害者の救出を訴えた。しかし、当時はまだ拉致問題に関心を示す人は少なかった。(滋さんがチラシを渡そうとするとそれを叩きつける女性の映像)思うように伝わらない拉致被害者たちの声。その姿はシェリダン監督の目にどう映ったのか?
【クリス・シェリダン監督】 こんな状況に追い込まれなければ、決してビラを配る事などなかった普通の人たちです。彼らの努力にこれほど大きな問題の解決が委ねられているのはとてもおかしな事だと思いました。
【ナレーター】 浮上した北朝鮮による拉致の可能性。にもかかわらず、北朝鮮への米支援を決定した日本政府に家族たちは怒りの声を上げた。「娘を返せー!ばかやろうー!!」
横田さん夫妻の祈りはまだ届かなかった。
めぐみさんの失踪から25年が経った2002年、事態が大きく動き出した。日朝首脳会談で北朝鮮側が公式に拉致の事実を認めたのである。これをさかいに横田さん夫妻の生活は一変した。突然注目されるようになり、多くの人が二人の訴えに耳を傾けるようになった。
横田さん夫妻の自宅に入ったシェリダン監督のカメラは、日本のメディアすら伝える事が出来なかった二人の闘いの日々を克明に捉えていた。(自宅に電話が鳴り続ける)頻繁にかかってくる電話。政府やマスコミ関係者、そして一般の人からの情報である。しかしその電話が時には言い争いの元にもなる。
(二人の諍いのシーン)
(早紀江さんと滋さんが鏡に向うシーン) 世間や政府やマスコミの対応が変化していく中、横田さん夫妻はこの30年変わらず娘を取り戻すための闘いの日々を送って来た。そしてその生活は家族が再び集まる日まで変わる事はない。
【メインキャスター・小倉智昭さん】(スタジオにて) 本当にお見受けすると温厚なご夫婦でいらっしゃるのに、あんなふうに口げんかになったりする事も早紀江さん、時には?
【横田早紀江さん】 もうしょっちゅうやっております。あの、どこでも夫婦喧嘩というのは普通のお家でもあると思いますが。このようにやっぱりもう本当に考えられないような重荷をいつも背負っているわけですから、言葉の一つにしても電話の中の応対一つにしても、主人は「そこまで言わない方がいい」とか、あれ(映画の中のシーン)はちょっと私の方が正しいと今でも思っているんですけど。(スタジオに笑いが)やっぱりちょっとそこらへんを聞いてくれないで、もうあんなふうになっちゃったんですけど。あの、色々な事がやっぱりありますねぇ。
【メインキャスター・小倉智昭さん】 滋さん、北朝鮮の拉致っていう事がわかってから本当にお忙しくなったんじゃないですか、逆に。
【横田滋さん】 そうですね。それまでは集会に行くっていっても、救う会が主催するもので数が少なかったんですけど、それ以降はもうほとんど1月に10回以上出掛ける事もありますし、それ以外に取材とか政府関係者との打ち合わせなんかでほとんど何もない日っていうのもほとんどまぁゼロですね。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 特に印象的だったのは一つ、「ばかやろうー!!」と米支援を決めた自民党本部に向って、あの「ばかやろう」のシュプレヒコールが映画では何分も続くんですよね。そこに強烈な、こう救う会の皆さんの思いが刻まれていたんですが、改めてあれを見て滋さん、どんな思いですか?
【横田滋さん】 あの時はね、やっぱりそういったまぁ激情に駆られたのかもしれないですけど、ずいぶん批判の声が上がりまして、やはり運動するにも節度っていうものがなければいけないなと思って、「議員をやめろ」とか「ばかやろう」とか、それから道を通る人にチラシを渡そうとして受け取ってくれないと「お前、それでも日本人か!」何て言うような人がいたりしてですね、運動の方もやはり気をつけなければいけないな、という事も感じました。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 そういうシーンは今ではやはりあまり放送もされませんし、一つの一ページとしてまぁ深層深いところに織り込まれているんですよね。
そしてもう一つ、こちら。これはですね、めぐみさんが拉致される半年前に撮影されました小学校の卒業記念写真です。この卒業式でめぐみさんはクラスで歌を披露して独唱をしました。その歌の部分がこのテープに収められております。このテープは今日早紀江さんに持って来ていただきましたが、その歌のタイトル、そして歌っている歌詞の内容、大変胸を揺さぶるものがありました。
運命を予感・・・めぐみさん肉声テープ
【アナウンサー・笠井信輔さん】 さて、これからその卒業式で歌った曲をお聴きいただきますが、早紀江さん、曲目は?
【横田早紀江さん】 はい。あの、「流浪の民」っていう曲目の、シューマンですか。非常に高い声が出ているんで私もびっくりしたんですけど、後で聴いて。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 その歌詞の中身、本当に驚きますね・・。
【横田早紀江さん】 ああ、そうですねぇ・・、本当にもう不思議な事ですね。だからもう私はこのめぐみの事に、初めて浮上したけれども、拉致問題っていう事によってね、本当に色んな事が不思議な事がね、次から次からありますから。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 運命的なものを感じますね。
【横田早紀江さん】 はい、それを感じました。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 では、その歌声をお聴きください。
流浪の民 (シューマン作曲 石倉小三郎訳)
既に歌ひ疲れてや 眠りを誘ふ夜の凪 慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり(めぐみさんの独唱) 慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり
【アナウンサー・笠井信輔さん】 このめぐみさんの独唱部分は「慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり」、まぁ30年間北朝鮮でめぐみさんが思っている思いはまさにこれではないかな、という歌をめぐみさんは卒業式で歌っていたわけです。しかも独唱をされていました。もう何とも言えないですね、これは・・・。
【メインキャスター・小倉智昭さん】 スタジオにたくさんお持ちいただいた写真、私たちが今まで目にした事のない写真があるんですよね。家族で旅行された写真が多いですよね。
【横田早紀江さん】 そうですね、旅行が好きなんですよね。だからいつも旅行に連れて行ってくれて、全国を行くたびにその珍しい所に行きましたね。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 これを滋さん、映画のために協力して初めてたくさん映像を出そうとお決めになったその心は?
【横田滋さん】 日本の方は色んなめぐみの事をご存知だと思いますけど、アメリカの方はそれほどこの事は知らないんで、出来るだけ多くの事を知っていただこうと思って出しました。
【メインキャスター・小倉智昭さん】 あの、この写真を見るとめぐみさんの笑顔の写真が結構多いんですよね。
【アナウンサー・笠井信輔さん】 はい、そうなんですよ。あの拉致被害の時に出ている映像というのは清ましたお顔なんですけれども、やはり本当にたくさん色んな映像があるという事が、このドキュメンタリーを見てもわかりました。(映画「めぐみ」は)11月25日公開です。
【メインキャスター・小倉智昭さん】 改めてめぐみさんへの思いを気持ちを持たれた方大勢いらっしゃると思いますが、どうぞお体にお気をつけになってください。今日は朝早くからどうもありがとうございました。
【横田さんご夫妻】 本当にどうもありがとうございました。
*映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』公式サイト http://megumi.gyao.jp/ * 取り戻すまで 拉致被害者家族写真展 子どもの頃の横田めぐみさんの写真など 産経新聞 http://www.sankei.co.jp/special/torimodosumade/ *6/27 映画「アブダクション(拉致)」上映会 http://aoinomama13.seesaa.net/article/24989157.html *10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/25892892.html
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*10/16 フジテレビ「とくダネ!」日本人が描けなかった拉致問題 横田夫妻30年の闘い aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/26554346.html
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| 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 川口より子さん(元外務大臣 参議院議員) |
( 2006.10.27,金 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
皆さま、こんばんは。川口より子でございます。先ほど横田ご夫妻のお話の後、そして今の大澤さんの本当に心にずしんとくるお話の後、私がどういうお話を申し上げていいのか非常に今悩んでおります。
*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 横田早紀江さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/25892892.html *10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 大澤茂樹さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/25802389.html
私が外務大臣になりましたのが2002年の2月の事でございました。今からちょうど4年前になります。その後、どれくらいしてだったかちょっとはっきり記憶にないのですが、2月のどこかの時点で外務省の下の人たちから「北朝鮮と話し合いが始まった。非常にこれは水面下で話しをしていたわけですけれども」という事を聞きました。
同じ頃に、横田さんご夫妻始め数人の拉致家族の方と外務省でお会いさせていただきました。その時に横田さんご夫妻からお書きになられた本をいただきまして、それでめぐみさんの失踪のその事からお話が始まり、本でございましたけども、それを読ませていただいて、涙が出るのを禁じ得ませんでした。
北朝鮮との話はそういう中で、まぁ非常に難航するかたちで続けられました。何が難航かと言いますと、私ども日本側が言っていたのはもちろん拉致を始め、それから当時すでに問題になっていた核の問題、あるいは日本に向って北朝鮮の“ノドン”というミサイルが200基も配置をされているわけでして、その核・ミサイルの問題等々が日本の関心事であったわけですし、北朝鮮側の関心事というのは植民地支配に対しての謝罪に始まる、まぁ一連の事でございました。両方共平行線でありまして、それぞれの例えば会合で「何を先に話をするか」と言うことすら開くはめになった、という具合に話が進んでいったということでございました。
それで最終的にそれが総理のご判断で、これは9月17日にご出発になられたわけですけども、(北朝鮮に)行かれたわけですが、その近くまでにギリギリのご判断で「周りがしてくれるけど自分が行く」という事で北朝鮮に行かれた、そして日朝平壌宣言というのがございまして、それからそれがちょうど4年前の今日で、蓮池さんや地村さんたちが、それから曽我さんが日本の土を踏むということにつながった、ということでございました。
色んな事がありました。色んな事がありまして、私自身も北朝鮮の外務大臣と二回、二回目はインドネシアで「曽我さんの夫ジェンキンスさんが北朝鮮を出る」という事についての会談でしたけれども。まぁ大変に相手が相手という事ですので、本当に会談をした事を信頼、普通は会談というのは信頼関係があって話が出来るということですけども、まぁそれすらおぼつかない中で話し合いが開幕しました。
その中で最終的には今のようなかたちになって、何人かの方はお帰りになられたけれども、何人かの方は残っていらっしゃる方は今、大澤さんを始め特定失踪者の方々も含めて未だにまだ日本の土を踏むに至っていない、というのが今の状況でございます。
最近北朝鮮がエスカレーションをどんどんしていって、「おそらく核爆発の実験をしただろう」ということでありますけれども、昨日、日本ですと今日ですけども、国連で安保理の議会で「安保理で決議が決まった」という事は大変重要な事と思っています。
今まで色々な制裁等々のお話の時に、中国及びロシアもそうですが、様々な判断から必ずしもそれに対して積極的でなかった、まぁ「中国は中国の立場もある」という事でございましょうけれども、その中国がこの北朝鮮のエスカレーションに対して、言わば「堪忍の緒を切らした」として「我々と同じ仲間として行動をとる」という事になったのは、これから先の北朝鮮問題の展開については非常に大きな影響を持つ事になるだろう、と私は思っております。
経済制裁の効果のためには、北朝鮮と大きな貿易をしている中国・韓国・ロシアのこの3つの国が同じ事を考え行動に移してくれなければ話が効果が上がらないわけでして、そこに大きな変化をもたらしたのは今度の制裁の決議になったと思います。たまたま日本が今年の12月まで安保理の非常任理事国でありますし、また、たまたま日本が今議長をしているという事で、この問題についてリーダーシップを取れた事は大変よかったと思います。
それからいきますと今年の10月の後、日本は安保理の非常任理事国からも外れてしまうわけで、また引き続き北朝鮮の問題が様々な展開をすると思いますけれども、そういう中で日本が今度は安保理の外に行ってリーダーシップ、あるいはその安保理の中に入っている国々に働きかけをしていかなければいけない、ということだと思います。
この拉致の問題がここまで国際社会の認識を得る問題になったという事は、本当にひとえに横田さんご夫妻を始め拉致家族、あるいは特定失踪者の方々のご家族、そして世論、こういうものが全部一緒になって、そして国際社会を動かした、という事でして、私としても今後今までのネットワークを使いながら、この問題が国際的な社会の中で変えていく、そうされていく。
まぁ外務大臣時代に決して言えなかった台詞を申し上げれば、これは何らかのかたちで北朝鮮の政権が変わっていく、ということでなければいけないと思っておりますが、このための今度の決議というのはひとつの大きな一歩だと思いますし、またみんなのこれに向けての拉致問題解決に向けての努力というのが非常にまた大きな役割を果たす事だろう、と思っております。ちょっと長くなりましたが、一応これで終わりにさせていただきます。(大拍手)
(パネルディスカッションにて)
【進行・吉田勝明さん】 さてこの会場の帰りに、自分の娘とか息子とか子どもたちがいなくなる可能性、そのようなパーセンテージで起こった事かと思います。他人事とは思えない、一生懸命我々支援していこうというふうに思っております。
で、その当時川口先生が外務大臣であられた頃に、“対話と圧力”という様な事をスタートしたかと思いますけど、先ほどお話がありました通り、小泉総理大臣が“対話と圧力”、この話をよくしていたんですけど、実はこの発案というか「こういう作戦でこういう対応でいきましょう」と発案されたのは、その当時の川口先生とお聞きしております。その辺のところを一言コメントをいただけますでしょうか?
【川口より子さん】 あの、“対話と圧力”という言葉を日本政府も方針としてずっと使ってきているわけですけども、ちょっと日付ははっきりと覚えていないのですけども、私の外務省の大臣室で「外務省の今後の対応について」幹部の人たちとまとめて会議をやっておりましたけれども、再起動しまして、「日本政府の方針が決するまで小泉総理の訪朝を待って、“対話”路線を追及をしよう」という事でやってきたわけですけれども、「北朝鮮側の対応がまったく誠意がみられない」という状況があったという事は皆さんご記憶に新しいと思います。
それで「“対話”という路線を、“対話と圧力”という事をはっきり言おう」というふうに路線の変更をし、まぁ下の人が持って来た紙?に、そこに“対話と圧力”という項を私が挙げさせた、というのがいつのことだったかちょっと日にちは覚えていませんが。それ以来“対話と圧力”、この二つを私はペダルを適切に踏んで行く、ということが非常に大事だと思っています。
それで「核実験をした」と北朝鮮が言っているという状況で、また「微量の放射能も検出された」ということがありますし、その前に「ミサイル発射」もあった。これは“対話”から、もっと前からですけども“圧力”を徐々に強くしていって、今国際社会の安保理の合意も得て“圧力”を非常に強くした。「今後どういうふうになるか?」っていうのは、これは「北朝鮮の対応を見ていく」という事だと私は思います。“対話と圧力”で今は圧力をかけるべきである、その時期である、と私は思っております。(大拍手)
【進行・吉田勝明さん】 ありがとうございました。本当にその当時“対話と圧力”という話の中で、今回ある意味で川口先生が継承された“対話と圧力”、その“圧力”の部分は「世界全体でかけ始めた」「スタートになった」とそんなような気がしております。
終わり
*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 川口より子さん(元外務大臣 参議院議員) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/26265101.html
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| 銭湯に通う18歳 |
( 2006.10.25,水 ) |
*写真は学生時代に東京ディズニーランドで撮影しました。(毎年課外授業で行きました)
あおいのママは高校を卒業した18歳の春に上京しました。何とかかんとか短大に合格し、渋谷区幡ヶ谷のアパートで下宿生活をスタートさせることになりました。初めての一人暮らしに期待と不安でいっぱい、勉強もついていけるのかなぁって、それも心配でした。入学式の後、母と妹は帰ってしまい、とうとう一人に。その夜は寂しくて泣いたっけ。
アパートは六畳一間に小さな台所とベランダ、トイレは大家さんと共同でお風呂付ではありませんでした。近くに銭湯があったので、そこに通うことになったのですが、私は子どもの頃、銭湯に通ったことがあります。でもあまり覚えておらず、ほとんど初めてと同じでした。(ママが学生の頃は今と違って一人暮らしの子はだいたい銭湯通いをしていました)
それでドキドキしながら銭湯に行ったのですが、ドアを開けて脱衣場に入るととにかく驚きの連続でした。まず番台に男の人が座っているんです。30代か40代の男性・・・。ショックでした。ウソでしょうー!みんな平気で裸になってる!!どうしよう〜。しばらく服を脱ぐことが出来ませんでした。もじもじしながら真ん中にあるロッカーを壁にするようにしゃがんで、隠れながら裸になりました。そしてあわてて風呂場に入って行ったんです。ふぅ〜。
周りを見てみると皆さん、ロッカーの鍵を腕につけて体を洗ったり湯船に入っていました。私もそうしました。それにしても恥ずかしくって、端っこでコソコソとシャワーを浴びて、湯船に誰もつかっていない時を見計らい、サササーって行って。すると湯の温度が違う2つの湯船。少し低めの方に入ろうとしましたが、これがまた私には熱くて入れないんです。水をジャージャー入れたら他の皆さんに迷惑になるし、なかなか入れず困りました。やっとの思いでお湯につかっても、ゆっくり入ってはいられません。(ホント熱いんだから!)
そして入浴を済ませると、またまた脱衣場で着がえをしなければいけない。風呂場を出て急いでロッカーの陰に隠れるように体を拭ことしていたら、偶然にも番台の向こうに男性がお金を払っていて、裸の私と目が合ってしまいました。もう恥ずかしさで気が遠くなりそうでした。花も恥らう乙女?だった私は濡れた髪もろくに拭かないまま、逃げるようにアパートへ帰りました。
「もう二度と銭湯には行きたくない!!」と思いましたが、お風呂に入らないわけにはいかないわけで、それからも泣く泣く毎日通い続けました。で、しばらくするとあの初日の恥じらいもなくなり、番台の方も男風呂の男性も気にならなくなりました。たまに裸を見られてもぜ〜んぜん平気に。う〜ん、慣れとは恐ろしいですネ!(^^)
*銭湯に通う18歳 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/26452900.html
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| 10/23 救う会神奈川の要請活動 |
( 2006.10.24,火 ) |
*写真は、10/15瀬谷区拉致問題を考える会講演会終了後に最寄りの駅で撮影しました。特定失踪者ご家族の皆さん(大澤さん・寺島さんご夫妻・高野さん)と救う会神奈川会長の川添さんです。(掲載の許可をいただいております) 10月23日に救う会神奈川は、横浜地方法務局・神奈川県庁・横浜市・神奈川県警本部などに要請活動を行いました。(15日にスタッフとご家族の皆さんは集まって、念入りな打ち合わせをしました)会長の川添さんより活動の様子などの連絡をいただきましたので一部ご紹介します。皆さん、本当に長時間お疲れさまでした。
神奈川県警・神奈川県・横浜市に、特定失踪者ご家族の高野さん・大澤さん・寺島さん・河嶋さんと拉致問題や特定失踪者支援の要請に行きました。県警では警備部長が「特定失踪者問題を含めて徹底的に捜査する」と、神奈川県や横浜市も「出来る範囲で協力したい」と言っておられました。本日の読売新聞の神奈川版に昨日の県警の要請活動の件が出ています。 読売新聞の神奈川版の記事はこちらです。記事は転載禁止なのでクリックしてご覧になってください。写真もあります。 ↓ ↓ ↓ *拉致疑い「特定失踪者」問題解決を 家族ら市役所などで協力要請 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news007.htm
★☆救いのカモメニュース★☆要請活動のお知らせ No.76 2006/10/21より
■要請活動のお知らせ
北朝鮮人権法における自治体の北朝鮮人権啓発週間の活動参加の要請と特定失踪者の徹底捜査と被害者支援求める要請活動を横浜地方法務局・神奈川県庁・横浜市・神奈川県警本部に10月23日に行おうと思っています。
10月23日の予定は ・横浜法務局 11時〜 ・横浜市 13時〜 ・神奈川県警本部 14時〜 ・神奈川県庁 15時〜 ・神奈川県庁記者クラブ 会見 16時〜 以上の日程と時間で考えています。
参加予定者ですが ・救う会 川添友幸代表 ・調査会 杉野正治常務理事 ・特定失踪者ご家族 大澤茂樹さん 高野美幸さん 寺島佐津子さんのご両親 河嶋功一さんのお母様 ・北朝鮮難民救援基金 加藤博事務局長
*救う会神奈川ホームページ http://www.geocities.jp/sukuukai/ *10/23 救う会神奈川の要請活動 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/26084485.html
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| 10/23 病院に行く |
( 2006.10.23,月 ) |
あおいのママは23日が予約日で病院に行きました。仕事が忙しい中、今回もパパに付き添ってもらいました。いつものように検査をして診察を待ったのですが、この日担当の医師は急なお休みだったようで、別の先生に診てもらいました。先生は血液内科の先生で、年に数回診てもらっているのですが、いつも脅す?ので診察前は緊張しました。
結果は前回よりは少し数値も安定していました。よほど無理をしない限り急変する事はないようで、少しホッとしました。でも「他の科にもかかった方がいい」とおっしゃっていたので、次回担当の先生と相談の上決めることになりそうです。はぁ、またかぁ・・・。
私の亡くなった母も若い頃から年中病院通いをしていました。娘の私も同じ運命なのかと思うと気が重くなりますが、とりあえず少しは良くなってうれしいです。無理せずゆっくりとやっていこうと思います。(^^)
*10/23 病院に行く http://aoinomama13.seesaa.net/article/26123543.html
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| うれしい贈り物 |
( 2006.10.22,日 ) |
今年の夏の終わりに、ある地方にお住まいの特定失踪者ご家族のAさんからうれしい贈り物が届きました。ご自分で丹精込めて作った完全無農薬・有機肥料のお野菜と、パッチワークの手作りポーチです。お野菜は畑から収穫してすぐに箱に詰めて送ってくださったので、とてもみずみずしく輝いていました。箱から開けた瞬間、懐かしい土の匂いがして心がホンワカしました。
「今年はあまり良くできていませんが感謝のきもちです。ポーチは昨日作りました。良かったら使ってみて下さい。」とメッセージもいただきました。ありがとうございます。
*丁寧に縫われたパッチワークのポーチ!一日で作ったそうです。大切に使わせていただいています。 お野菜はパパとママとあおいちゃんでぺロリといただきました。「普段食べていた野菜は何だったの?」と思うほど新鮮でした。根しょうがは、友人のお店「つがる」さん(リンクしています)に調理していただいて食しました。かぼちゃやじゃがいもやなす、ネギはおみそ汁の具に、きゅうりやプチトマトはサラダにしたり一夜漬けにしました。パセリはみじん切りにしてクリームスープに入れました。にんじんとじゃがいもはカレーの具にしました。(さつまいものようなじゃがいも、初めて食べました!)どのお野菜も色や香りがものすごく良く、とってもおいしかったです。(^^)
下手っぴで申し訳ないと思いつつ、料理したものを一部写真に撮りましたのでご紹介致します。
↓ ↓ ↓
*これはしそ揚げです。ワンタンの皮でしそとチーズを巻いて揚げました。しその香りが良く、とてもおいしかったです。パパはビールのつまみにしていました。
*かぼちゃの煮物(そぼろあんかけ)です。とても柔らかく甘くおいしかったです。その他、じゃがいも・にんじんと共にほうとうに入れて食べました。(暑い季節も何のその)かぼちゃパイを作ろうとしていたのに、おいしくて全部食べちゃいました。(泣)
*揚げなすです。大根おろしとポン酢でいただきました。ネギの良い香りと、なすは口の中でとろけるような感じでとってもおいしかったです。 Aさんとお会いするまで、このような小さなサイトを見てくださっていたとは思いもよりませんでした。驚きとともに「少しは役に立っているのかな」と思い本当にうれしかったです。私たちに出来る事は小さな事ですが、一刻も早くすべてが解決しますように、これからも心を込めて皆さんを応援していきたいと思っています。Aさん、本当にステキな贈り物をありがとうございました。
*Aさんの好きな“れんげ草”、私も大好きです。子どもの頃に田舎のれんげ畑でよく遊びました。花吹雪にしたり首飾りを作ったり。小川に流して追いかけたりもしました。みんなで歌を歌いながら畑の中を飛び回った思い出。寝っころがって見たあのキレイな青い空は忘れられません。教えていただいたれんげ草の花言葉「私の苦しみを和らげる」にちょっぴり泣いてしまいました。いつかまた、れんげの咲くあのお花畑に行きたいと思いました。
*うれしい贈り物 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/26075567.html
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| 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 川添友幸さん(救う会神奈川会長) |
( 2006.10.20,金 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
こんばんは。まずこのような講演会を企画していただきました皆さま、実行委員の皆さまに深く感謝を致します。私たち救う会神奈川なんですが、基本的には湘南地区で活動しております。今年の4月に横浜の開港記念館で大規模集会ということで、横田さんご夫妻にご参加いただきまして集会を行いまして、大成功を収めました。今回の実行委員会の方に「瀬谷集会を開催する」というお話をうかがいまして、「全面的に協力したい」ということで私たちも協力しております。
今、北朝鮮の情勢を見ると、7月ぐらいからミサイルを発射、先日も核実験を行いましたが、私はですね、こういうことが起こりますとマスコミの方から「コメントを」ということを言われまして、いつもコメントをするのですが、「三つの裏切りをした」というふうに言います。
一つは、小泉総理の行った日朝平壌宣言ですけど、日本との約束を破った。二つ目は、国連や六ヵ国協議の中で「核やミサイルをやめる」と言ったのも裏切った。さらに三つ目ですが、私が一番許しがたいのは自国民をですね、あそこは今2000万人くらいいるそうなんですが「300万人も10年間に国民が餓死した」というお話をうかがいました。核やミサイルをやらなければそういう人たちが助かった、ということを考えるとですね、非常に私は許すことはできません。さらにこの拉致問題というのは許すことは出来ない人権の問題だと思っています。
今、この拉致問題、先ほどさかい先生の方からもご紹介ありましたが、(早紀江さんが)アメリカのブッシュ大統領とも面会し、国連の非難決議も出ております。非常に今、国際的な人権問題になってきております。しかしですね、まだまだ日本国内では(人権問題は)関心が薄いということもありますし、マスコミの報道などを見ていましても、ちょっとワイドショー的な面になってしまっている部分もありますが、地元でやはりこういう会を開く時にはぜひご参加をして、直接拉致被害者ご家族の方、横田さんたち、政府が認定しています11件16人、さらに今日こちらの顧問に入られております大澤さんなどの特定失踪者の問題など、すべての北朝鮮の人権問題を含めて関心を持っていただきたいと思っております。
最後にご紹介なんですが、今日配布しましたチラシの中にですね、私たちの方で来年1月14日に横浜情報文化センターで有本さんのご両親をお呼びして講演会を予定しておりますので、ぜひご関心のある方はご参加していただき、この拉致問題、かわいそうで済ませるのではなく、皆さん主体となって声を上げていっていただければと思いますので、ひとつよろしくお願い致します。(大拍手)
 *写真は横田さんご夫妻と一緒に地元の中学1年生の女の子たちから花束をいただく川添さんです。
*救う会神奈川ホームページ http://www.geocities.jp/sukuukai/
北朝鮮によるすべての拉致被害者を救出するぞ!!北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会 〜よど号グループよ!!拉致した松木薫さん 有本恵子さん 石岡亨さん 福留貴美子さんを返せ!!〜
日 時:平成19年1月14日 日曜日 午 後1時開場・午後1時30分開演(午後4時過ぎ終了) 場 所:横浜情報文化センター 情文ホール http://www.idec.or.jp/shisetsu/s6-jouhou.php4?f=jouhou/6-map.htm みなとみらい線「日本大通り駅」 情文センター口 0分 JR・横浜市営地下鉄「関内駅」 徒歩10分
講演者:有本明弘さん(有本恵子さんの父) 有本嘉代子さん(有本恵子さんの母) 斉藤文代さん(松木薫さんのお姉さん) 三浦小太郎さん(人権活動家) 野村旗守さん(ジャーナリスト・著作 社会党に騙された!ほか) 村尾健兒さん(特定失踪者問題調査会専務理事)
参加費:500円(学生 300円) 主 催:北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会 共 催:北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会実行委員会 協 賛:拉致被害者と家族の人権を考える湘南の会実行委員会 問合先:090(9816)2187又はsukukaikanagawa@hotmail.com *10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 川添友幸さん(救う会神奈川会長) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/25861023.html
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| 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 寺島佐津子さんのご両親 |
( 2006.10.18,水 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
【大澤孝司さんの兄・茂樹さん】 一番左側のお二人は昭和54年8月10日、銀行の親睦会で鎌倉の花火大会に参加し、現地解散で戸塚の駅から自宅の最寄のバス停まで来られて、その最寄のバス停から帰宅途中に突然失踪した寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。一言よろしくお願い致します。
【寺島佐津子さんのお父さん】 私は皆さまと同じ横浜市内の戸塚区からまいりました寺島です。こちらは家内です。今、大澤さんからもお話がありましたように、私の娘・佐津子は昭和54年8月10日に事件が発生しました。勤めの帰り、夜遅く帰りまして、バス停から自宅までの途中で失踪したわけです。
あくる日になって「娘が帰って来ない」ということを知りまして、警察の方へすぐ連絡をしまして捜査が始まったわけですが、皆さまは同じ横浜市民の方ですから、事件当時の模様などはテレビ・新聞等でご記憶の方もおありかと思います。
早いもので、事件からもうすでに27年が過ぎました。私も一応高齢者の仲間に入る年齢になりました。これ以上は待てません。一日も早い事件の解決を願っておるわけです。それには皆さま方の温かい一層のご支援とご協力をよろしくお願い致します。(大拍手)
【大澤孝司さんの兄・茂樹さん】 どうもありがとうございました。私どもは救う会神奈川の川添会長の下であちこちで救出活動をさせていただいております。私たちはこの拉致問題が完全解決するまで頑張っていく所存でございますので、今後ともよろしくお願い致します。(大拍手)
*特定失踪者「寺島佐津子さん」 昭和54(1979)年8月10日失踪 調査会公開リストより http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=228&mode=search3 *6/28古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟 報告会 寺島さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/23065762.html
*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 寺島佐津子さんのご両親 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/25742807.html
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| 10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 高野美幸さん |
( 2006.10.17,火 ) |
*写真はこの日ご参加の特定失踪者ご家族の皆さんです。右から大澤茂樹さん、高野美幸さん、寺島佐津子さんのご両親です。
10/15に瀬谷区拉致問題を考える会講演会が横浜市で開催されました。救う会神奈川が共催ということもあり、またこの会の顧問を特定失踪者大澤孝司さんのお兄さんの茂樹さんがされていますので、あおいのママとパパも神奈川のお手伝いに参加しました。立ち見も出る1100人の方々が集まる大盛会となりました。詳しいレポートは後ほど書きたいと思っています。(いつもすみません!)先に特定失踪者ご家族のお話を文字化テキストにしておりますのでご紹介致します。
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
【大澤孝司さんの兄・茂樹さん】 本日、私の他にですね、特定失踪者二家族がこの会場に参加いただいておりますので、簡単に私の方からご紹介させていただきます。(ご家族が壇上にあがる)
私の隣のご家族は昭和51年7月30日、お兄さんが電気通信大学の2年生の時に、大学の寮生の仲間と東京都の神津島に遊びに行き、神津島の民宿から突然失踪した高野清文さんの妹さんの高野美幸さんでございます。高野さんは出身は長野県ですが、現在すぐ近くの磯子区に在住しております。
【高野清文さんの妹・美幸さん】 磯子区からまいりました、長野出身で神津島から行方不明になりました高野清文の妹・美幸でございます。今日は鼻声でこの場所に参加しております。何故かと申しますと、ちょうど「北朝鮮が核実験をした」ということで、各社報道の中で北朝鮮の核の工場に元働いていた脱北者の方のお話がありました。たいした施設もなく、遮断される洋服もちゃんと整えられないまま、核施設の中で働いている方たちの映像を皆さんも見たことがあると思います。嘘の情報を教えられた技術者たちが、核兵器の製造、もしくはそれの工程をさせられる、ということを目の当たりにしました。
その直後に、調査会の方が第7の“マッピング・リスト”、これは今まで看護婦さんの集まりであるとか、その中に曽我さんも入っています、そして地村さんとか蓮池さんのようなカップルの失踪などをまとめたものの発表がありました。そしてとうとう核・原子力・ミサイルに関係する失踪者の“マッピング・リスト”の中に「高野清文」という名がありました。
兄がこのような状態の中で核実験とか核の開発に従事させられていたら、そしてもしそれがあなたのだんなさん、あなたの息子さん、弟さん、お兄さんだったら、というふうに想像してみてください。私の昨日の号泣の様子がわかっていただけるかと思います。兄の作ったかもしれない核兵器が日本やアメリカを攻撃する前に助けて欲しい、助けてください。よろしくお願い致します。(大拍手)
*マッピング・リスト7 高野美幸さんのブログより http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/25688462.html *'05 8/31 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」拉致疑惑(4)〜(5) http://aoinomama13.seesaa.net/article/6644348.html
*10/15 瀬谷区拉致問題を考える会講演会 高野美幸さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/25698818.html
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| 大澤孝司さんたちを救出するために |
( 2006.10.15,日 ) |
*写真は5月21日の街頭活動(桜木町駅前)での大澤茂樹さんです。
*5/21 国民大集会告知街頭活動 桜木町駅前にて http://aoinomama13.seesaa.net/article/18475004.html
10月7日の第15回藤沢市民集会にて、特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんの茂樹さんより教えていただいた集会と写真展、署名活動情報です。茂樹さんは9月17日の集会告知街頭活動にも参加され、そして今回の集会ではボランティアスタッフとして頑張っていらっしゃいました。弟さんたちを救出するために本当にいつも一生懸命な大澤さんです。ご都合のつく方がいらっしゃいましたらどうぞよろしくお願い致します。
*このお知らせは10月15日までトップページにしています。
この笑顔ふたたび 横田めぐみさん 曽我さん 大澤さん −家族の記録と闘い− 写真展
日時:平成18年10月14日(土)〜15日(日) 9:00〜18:30(15日は16:30迄) 場所:巻文化会館ホール 協力:新潟日報社、新潟市、巻商工会
*大澤孝司さんと再会を果たす会 http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
*曽我ひとみさんも参加されるそうです。
署名活動
10月15日(日)多加良まつり <巻本町通り> 11月3日(金)弥彦菊祭り(http://www.e-yahiko.com/kiku.htm)
*大澤孝司さんと再会を果たす会 http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/

「瀬谷区拉致問題を考える会」講演会 横田夫妻が語る 〜拉致の現状〜
講 演:横田滋さん・早紀江さんご夫妻(拉致被害者横田めぐみさんのご両親) 大澤茂樹さん(特定失踪者大澤孝司さんの次兄) 川添友幸さん(救う会神奈川会長)
【コメンテーター】 川口順子氏(参議院議員) 小林ゆたか氏(北朝鮮拉致問題対策本部 国際連携推進チーム事務局長 参議院議員) 吉田勝明氏(瀬谷区拉致問題を考える会 実行委員長) 【コーディネーター】 川口まさとし氏(横浜市議会議員) さかい学氏(衆議院議員)
日 時:平成18年10月15日 日曜日 午後5時30分開場 午後6時開演 場 所:瀬谷公会堂(相鉄本線 三ツ境駅徒歩7分 瀬谷区役所に隣接) http://asp.netmap.jp/map/226300318625.html 入場無料 主 催:瀬谷区拉致問題を考える会 共 催:北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会 あさがおの会 問合先:横浜市戸塚区戸塚町4092 戸塚ビル1号館4階 さかい学事務所内 TEL:045-863-0900 FAX:045-865-6700
*瀬谷公会堂のホールは400〜500席だということです。

10/7 第15回藤沢市民集会 大澤茂樹さん
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
皆さま、こんにちは。私は北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な特定失踪者「大澤孝司」の兄で大澤茂樹と申します。本日、私の他に二家族の特定失踪者の家族が参加されております。皆さまの中には初めてこの集会に参加された方も多いと思いますので、簡単に紹介させていただきます。
皆さま方から向って左側のご家族は、昭和51年お兄さんが電気通信大学の2年生の時に、神津島に寮生の仲間と遊びに行き、そのまま失踪した高野清文さんの妹さんの高野美幸さんでございます。
(高野美幸さん)
ただ今ご紹介にありました高野清文の妹の美幸でございます。今日は御足労ありがとうございます。今ですね、色んな方向で解決の方向に見せているように思います。ただ安倍さんが総理になったということで、ここで安心してしまうのではなくて、これから本当の解決に向けて私も今やっとスタートラインに立ったところだと思っております。皆さんに言い方は悪いですけどケツを叩いていただいて、本当の解決に向けてこれからさらにお力を貸していただきたいと思っております。
まだ兄は拉致かどうかわかりません。わからない人がたくさんい過ぎます。早く解決することで「拉致かどうか?」はっきりします。それをご協力をお願いしたいと思っております。よろしくお願い致します。(大拍手)
*特定失踪者「高野清文さん」 昭和51(1976)年7月30日失踪 調査会公開リストより http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=80&mode=search3 *高野美幸さんのブログ http://konaboration-ssq.seesaa.net/ *'05 8/31 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」 拉致疑惑(4)〜(5) http://aoinomama13.seesaa.net/article/6644348.html どうもありがとうございました。私のお隣にいらっしゃるお二方は、昭和54年銀行の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、その帰り同僚と別れて、最寄のバス停まで来られて、そのバス停から自宅に戻る間に行方不明となりました寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。一言よろしくお願い致します。
(寺島佐津子さんのご両親) 私は戸塚の寺島です。こちらは家内です。この事件は私たちの身には本当に悲しい事件です。一日も早い解決を願っております。皆さまのこれからのいっそうのご支援をお願い致します。(大拍手)
*特定失踪者「寺島佐津子さん」 昭和54(1979)年8月10日失踪 調査会公開リストより http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=228&mode=search3 どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。
私の弟は昭和49年、1974年の2月24日新潟県の佐渡島で曽我ひとみさん母子が拉致された真野町の現場から7〜8キロしか離れていないトキの保護センターのある新穂村という所で、日曜日で寄宿舎の食堂が休みということで行きつけの飲食店に夕飯を食べに行き、その帰りに忽然と失踪、北朝鮮に拉致された疑いが濃厚になっております。
今、日本政府の拉致問題の取り組み状況は、先日の7月5日北朝鮮が挑発的に弾道ミサイルを5発も6発も発射して以来、何の拉致問題の進展もございませんが、今、北朝鮮の核問題を世界中の国々が「核の実験と核武装を断固阻止しよう」と包囲網をしており、我が日本政府はこの拉致問題を解決するいいチャンスじゃないかと思っております。ありとあらゆる手段を用い、一刻も早く解決していただきたいと思っております。
安倍新政権が誕生し、先ほど飯塚副代表の方からもご説明がありましたが、首相自らが本部長となる拉致問題対策本部が発足され、私は拉致問題の解決を大きく期待しております。副代表のお話を聞いてさらに私は安心しました。安倍さんならきっと私ども特定失踪者を含め、すべての拉致被害者救出を解決していただけるものと確信しております。
それにはさらなる皆さま方のお力で日本政府を応援していただかなければならないと思っております。それをお願いし、私の挨拶と代えさせていただきます。どうもよろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手) *7/1 『兄を捜して−拉致事件は終わらない−』集会 大澤茂樹さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/21221834.html
*大澤孝司さんたちを救出するために aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/25134470.html
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| リンク追加のお知らせ |
( 2006.10.14,土 ) |
下記のリンクを追加しました。
*ワシントンDCらち連絡会 http://www.asanocpa.com/rachi/ 「ワシントンDCエリアを拠点に全米の有志からなり、北朝鮮拉致問題を一般のアメリカ人及び、世界中の人々に知ってもらうための広報活動をします。」特定失踪者大澤孝司さんのご親戚が立ち上げられた会です。
*あさがおの会 http://asagaonokai.jp/ 「2003年5月 横田ご夫妻と同じマンションに住む住民有志がご夫妻の拉致被害者救出活動を身近で支援するために設立した団体です。」横田めぐみさんのバーチャル写真展や会の最新情報などが見られます。
《めぐみさん写真展、ネットでも=支援団体がHP》 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061013-00000067-jij-soci
横田めぐみさんが生まれてから13歳で拉致されるまで、父親の滋さん(73)が撮り続けた写真が13日から、支援団体「あさがおの会」のホームページ(HP)で公開されている。これまで各地で開催してきた写真展をHP上に再現したつくりになっており、滋さんは「若い人にぜひ見てほしい」と話している。(時事通信) - 10月13日17時1分更新
*リンク追加のお知らせ aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/25414371.html
【追記】 *あさがおの会のHPより
お越しいただいた皆様へ 現状の報告とお詫び 10月13日に開設しました当ホームページですが、報道発表直後から想像をはるかに上回る数のアクセスをいただきました。その結果、以後の閲覧が不可能な事態に至りました。
現在、回線の強化などの対策を含め復旧を急いでおります。 お越しいただいた皆様には大変申し訳ありません。再開の時期についてはこのページでアナウンスさせていただきますので、今しばらくお待ちいただきます様お願い申し上げます。
私たちも予想外の反響に、改めて皆様の関心の高さを実感いたしております。
再開時にはぜひよろしくお願いいたします。 (あさがおの会・ホームページ制作担当) Our website was accessed by over ten thousand people in just two hours, which was beyond our expetation. This resulted a halt in connecting our site, hence we are making every effort in its recovery. Please wait for the reopening. Thank you for your cooperation.
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| 39年前に行方不明「拉致濃厚」 日高信夫さん |
( 2006.10.13,金 ) |
特定失踪者日高信夫さんが「拉致濃厚」とのことでニュースになっています。日高さんは失踪当時印刷会社に勤めていたそうです。“印刷工”というと“偽札”を思い浮かべてしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。下記に関連記事(レポート)を紹介しております。よろしかったらご覧になってください。
*特定失踪者日高信夫さん 昭和42(1967)年9月失踪 調査会リストより http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=29&mode=search3
《39年前に行方不明、鹿児島出身男性は「拉致濃厚」》 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061013-00000004-yom-soci
北朝鮮による拉致の疑いがある行方不明者について調べている特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)は13日、1967年9月に東京都内で行方不明になった鹿児島県出身の印刷工、日高信夫さん(当時22歳)について、「拉致の疑いが濃厚」と発表した。
日高さんをめぐっては今年8月、韓国在住の北朝鮮脱出住民(脱北者)が、「(日高さんに似た男性と)入院先の平壌の病院で何度も話をした。故郷は日本と語っていた」と証言しているとの情報が、調査会に寄せられていた。
今回、調査会の担当者が脱北者から直接聞き取り調査を行い、証言は信ぴょう性が高いとして「拉致濃厚」と判断した。日高さんの家族は近く、警視庁に対し、国外移送目的略取罪で刑事告発する方針。 (読売新聞) - 10月13日13時10分更新

「'05 6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原」での真鍋貞樹さんの講演より一部抜枠 http://aoinomama13.seesaa.net/article/4935551.html
それからですね、千葉で怪しい事件はですね、あのこれは千葉ならではのことなんですけれども、「印刷関係の方の失踪が多い」ということです。これもマスコミで紹介されていますので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、千葉の西・東京の東地区に失踪の方が多発しているんですけれども、それが何故か「印刷関係の仕事に就かれていた方ばかり」ということです。
えー、あの千葉大学というのはですね、とても印刷業界の中では有名な大学なんですってね。それで千葉大学の卒業の方も失踪されていますが。
それがですね、マスコミの人が一生懸命に調べてくださって、印刷関係の失踪者の方の経歴、それからどういう分野に優れているかということを分析すると、だんだんだんだんレベルが上がってきているんです。最初に失踪された方は職工さんみたいなかたちでですね、それで最後に失踪されている方は千葉大学を出て、ちゃんとした理論的に印刷を勉強されてきた方で失踪はストップ、後は印刷関係の人たちはそれっきり失踪はないんです。
その時に、その時期、その場所でしか印刷関係の人たちの失踪がないという不思議なことなんですが、それと北朝鮮における偽札作りっていうのがありますが、偽札作りが作られていくプロセスと一致するということです。
偽札も最初はもう粗悪品と言いますか、今や本物のドルよりも、アメリカで刷られるドルよりも、精巧な北朝鮮製の偽ドルが出回っているわけですね、アジアに。もう本当にアメリカ人もビックリというくらい細かい、本物のドルよりも細かい精巧なものが。
あの拡大するとですね、本物のドルの線はやはりにじんでくるんだそうです、拡大してみると。しかし、北朝鮮製の偽ドルはそれがくっきり入っているということで、やはり高度な技術を持っていることは間違いない。じゃあ「一体誰がそれを作るんだい?」ということになると、とてもとても北朝鮮の国内だけでそうした偽札を作る技術が入手できるとは思えません。
ということは、これから先はまぁ推測になるわけですけれども、「そうした技術がやはり日本から持ち出されたのではないだろうか?」というふうに思うわけです。これがまだまだ推測の域を出ていないわけですけれども「もしかしたら・・・」という状況でございます。
*'05 6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋貞樹さん(7) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4935551.html
その他、偽札についての関連記事です。↓ ↓ ↓ *'06 10/1 テレビ朝日「サンデープロジェクト」 北朝鮮ヤミ資金ルート(1)〜(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/24809569.html *'06 7/1 『兄を捜して−拉致事件は終わらない−』集会 真鍋貞樹さん(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/22084466.html *'06 3/5 TBS「報道特集」北朝鮮ニセ札疑惑(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/14414118.html
*39年前に行方不明「拉致濃厚」 日高信夫さん aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/25401596.html
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| 市川トミさんから修一さんへ 「しおかぜ」に乗せる想い |
( 2006.10.10,火 ) |
10/7第15回藤沢市民集会にて、講演された市川龍子さん(修一さんの義姉さん)のお話の中で、修一さんのお母さんが初めて短波放送「しおかぜ」に乗せるメッセージの原稿を書かれたということで、それを代読・披露されました。その部分をご紹介致します。
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
【市川龍子さん】 そして私の義母、修一の母はもう90歳を過ぎたんです。家族会発足から9年です。私も声をからして叫んで叫んで叫んでまいりました。色々、悔しさとか悲しさとか色んなことを述べてきましたけれども、今回ですね、義母が、北朝鮮に向ける短波放送「しおかぜ」をご存知でしょうか?あの短波放送に主人が前回(メッセージを)乗せたんです。それで「お母さん、乗せてみないね?呼びかけてみないね?」と言ったら「うん」って言ってくれたんです。初めて母が原稿を書いてくれましたので、それを読ませていただきます。
【市川トミさんのメッセージ】 修一、お母さんですよ。「修一!修一!!」と叫び続けて丸28年が過ぎました。お母さん、生きていくのも大変な毎日です。人には涙を見せなかったけど、一人になると涙は滝のように流れる。修一の使っていた物は見る勇気もなく、一人で泣き続けましたよ。
北朝鮮の元工作員だった方と会い、修一のことを色々お話してくださいました。修一が北朝鮮で生きていてくれたことを聞き、お母さんはもううれしくてうれしくて、それから毎年毎年、今ではもう着られそうもないかもしれないけど、修一の洋服を出して思い出しながら虫干ししていますよ。
お母さんは北朝鮮の38度線の鉄柵の前まで行って、大声で修一の名を何度も何度も呼びましたよ。お父さんもお母さんも90(歳)を過ぎましたが「元気な姿で修一を迎えてやりましょう」と、お父さんと励ましあって生きていますよ。修一もるみ子さんを励まし、二人揃って会える日を楽しみにしていなさいね。修一たちに会える日を一日千秋の思いで待っています。
今度、安倍さんが首相になられました。拉致問題に一生懸命に取り組んでくださっています。必ず解決してくださる方です。だから修一、体を大切に大切にしてくださいね。修一とお母さんの心は必ず通じ合っています。必ず会える日がきます。一日も早く会いたいね。お母さんどんなことになってでも待っていますからね。るみ子さんと二人揃って必ず生きて生きて生き抜くんですよ。機会があったらまた短波放送に乗せてもらいます。
我が家の柿や栗の実もたくさん生りましたよ。
【市川龍子さん】 これを(特定失踪者問題調査会理事の)杉野さんに託したいと思います。また母の生の声を乗せていただいて、必ず修一に届くと思って、たくさんこれからも持って行きたいと思っています。
*市川トミさんから修一さんへ 「しおかぜ」に乗せる想い aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/25391720.html
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| 10/8 TBS「報道特集」迫る核実験 |
( 2006.10.9,月 ) |
*10/8TBS放送の「報道特集」の一部を文字化しました。写真はテレビから撮影しましたので不鮮明です。
北 核技術のルーツとは 「死の灰」日本への影響
【司会者・田丸美寿々さん】(スタジオにて) 「北朝鮮の核技術は未だベールに包まれています。果たしてその技術のレベルはどうなのでしょうか?そして安全性、日本への影響はあるのでしょうか?」
北朝鮮 核実験迫る
【ナレーター】 10月6日、北朝鮮の平壌から緊急事態を告げる外電が発信された。「モスクワとの連絡に深刻な問題が生じた。平壌からモスクワへ何度国際電話をかけようとしてもつながらない。」ロシアのイタル・タス通信平壌支局が打電したものだ。7月5日、北朝鮮が7発のミサイルを発射した直前にも同じ事態が起きたという。
昨夜8時(10月7日)の朝鮮中央テレビ。「偉大なる指導者金正日同志がロシアのプーチン大統領に誕生日の祝電を送った」トップニュースは、金正日総書記がロシアのプーチン大統領に誕生日を祝う電報を送ったというものだ。結局、この日のニュースは核実験宣言で世界中に波紋を投げかけていることには一言も触れなかった。北朝鮮国内では一体何が起こっているのか?
一方、韓国では―。(10月4日 ソウル)「爆撃しろ!爆撃しろ!」(映像 金正日総書記の写真を燃やす)韓国でもすでに緊張感は高まっている。我々が接触した元朝鮮人民軍幹部の脱北者は「核実験は間近に迫っている」と警告する。
【朴吉男氏・元朝鮮人民軍幹部】 「時期は一番早くて10月8日、または10日だと思われます。8日は金正日が朝鮮労働党の総書記に就任した日です。10日は労働党が創立された日です。どちらかの可能性が高いと思います。」
【ナレーター】 事態を深刻に受け止めた国連安保理は、核実験の自制を求める議長声明を採択。北朝鮮に強いメッセージを突きつけた。(10月6日 米・ニューヨーク)声明文を受け取った北朝鮮の朴(パク)大使は不快感をあらわにした。
【朴吉淵国連大使・北朝鮮】 「これが私たちのコメントだ。これを読めっ!」
【ナレーター】 核実験の実施を宣言した後、沈黙を守り続ける北朝鮮。国際的な逆風の中、本当に核実験は強行されるのだろうか?
北の核実験 こう実施される
【ナレーター】 突然発表された北朝鮮による核実験宣言。(映像 朝鮮中央テレビ10月3日)北朝鮮情勢に詳しい惠谷治氏はこう語る。
【軍事ジャーナリスト・惠谷治氏】 「金正日総書記にとってみればですね、独裁政権を安定させる、あるいは軍の指揮を高める、それしか理由はないわけです。外交的に国際関係上何のメリットもありません。しかし国内から見るとですね、あるいは金正日総書記個人から見ると、これは大変な実績になるわけですね。」
【ナレーター】 凍結されていたはずの北朝鮮による核兵器開発が明らかになったのは4年前。アメリカを訪問していた橋本元総理に対し、アメリカ側が伝えたのがきっかけだった。この際「標的は日本だ!」と橋本氏に伝えていたという。(ワシントン2002年10月)
「日本を標的にした」という核開発。本当に地下核実験を行える段階にまできているのだろうか?韓国に脱北した元朝鮮人民軍の幹部は―。
【朴吉男氏・元朝鮮人民軍幹部】 「北朝鮮はすでに起爆装置実験を150回から180回行ったので、十分なノウハウを備えており、地下核実験は行えます。一般的な土木の知識さえあれば十分準備できるでしょう。いつ行うかは金正日総書記の決断にかかっています。」
【ナレーター】 では、どこでどのように行われるのだろうか?現在有力と言われるのは“吉州郡豊渓里”(キルジュ郡プンゲリ)。衛星写真では様々な施設が確認されている。“実験支援ビル”“アクセス道路”などが写っている。
【朴吉男氏・元朝鮮人民軍幹部】 「吉州郡豊渓里(キルジュ郡プンゲリ)と言うのですが、もちろんそこを除くことはできません。他にハムギョン南道のチャンジン、プジョンの蓋馬高原(ケマ高原)、次にチャンガド、または平壌北道側、これらが候補地とみられています。」

【ナレーター】 北朝鮮情勢に詳しい惠谷治氏も、実験が行われる可能性がある場所として、山岳地帯である中部“蓋馬高原”(ケマ高原)という地名を聞いている。北朝鮮国内には地下核実験が行える施設が複数あり、それぞれに特徴があるという。例えば吉州郡豊渓里(キルジュ郡プンゲリ)の施設は山肌を横から掘り進む横穴式。中部蓋馬高原(ケマ高原)の山岳地帯にある施設は縦穴トンネル。北朝鮮の山岳地帯、そしてトンネルで行われる地下核実験。「いずれも北朝鮮独特なもの」と惠谷氏は言う。
【軍事ジャーナリスト・惠谷治氏】 「現在の核保有国の地下実験というのは、砂漠かあるいは海洋、海の真ん中というのが一般的で、今回のように北朝鮮が森林地帯がある山岳部で実験をする、というのはこれは世界で初めてなんです。」
【ナレーター】 例えば、パキスタンで行われた(1998年5月)核実験は山岳部ではあっても森林地帯ではない。森林地帯で実験を行う際には、雨水や地下水などにも配慮が必要となる。そしてトンネル。北朝鮮にはミサイルの格納庫など、ありとあらゆる地下施設がある。「森林地帯での地下核実験を決断しやすい事情がある」という。
【軍事ジャーナリスト・惠谷治氏】 「北朝鮮の場合は、これはもうトンネル、あるいは地下坑・地下道を掘る専門部隊があってですね、縦であれ横であれ関係なく作れる。これは費用対効果を考えない北朝鮮ならではです。『地中深く掘れば可能』だと金正日総書記は考えていると思います。」
【ナレーター】 地中深く掘ったトンネルでの実験であれば本当に大丈夫なのか?脱北した元朝鮮人民軍の幹部に聞いてみた。
【記者】 「核実験をしたら汚染という問題が起きると思うのですが?」
【朴吉男氏・元朝鮮人民軍幹部】 「北朝鮮は『安全性が確実に確保された核実験を行える』と表明しましたが、北朝鮮がどんな対策をとっているかは知りません。」
【ナレーター】 実験の際には、トンネルを塞いで爆発を起こす。しかしそのトンネルや岩盤の割れ目から放射性物質が外部に流出する危険性も指摘されている。ところで北朝鮮は実験の技術をどこから入手したのか?
【軍事ジャーナリスト・惠谷治氏】 「もともと1950年代に(北朝鮮は)当時のソ連と核技術協定を結んで、北朝鮮から留学生を毎年毎年派遣しています。」
【ナレーター】 '50年代後半、北朝鮮はソビエトと“原子力の平和利用に関する協定”を結んだ。ソビエトの技術を基に核開発は進められてきた。
【軍事ジャーナリスト・惠谷治氏】 「ソ連がですね、『核実験のトンネルはこうだ』というようなことを直接教えたかどうかはわかりませんが、カザフスタンのセミパラチンスクか北部のノバヤゼムリャ島しか実験場はありませんから、その実験場にも当然北朝鮮留学生たちは行ったと思います。」
これが核実験場だ
【ナレーター】 父から子へと引き継がれ、ついに最終局面を迎えた北朝鮮の核開発。私たちは貴重な映像を入手した。地平線までさえぎる物がない草原。ここに何があるというのか?
【報道写真家・山本将文さん】 「ここからですね、数十分走りますと核実験場があります。」
【ナレーター】 こう話すのは報道写真家の山本将文氏。「この草原すべてが核実験場」なのだという。広さは実に日本の四国に匹敵する。
【報道写真家・山本将文さん】
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