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2006年03月の日記
| 3/16 東京集会16 増元照明さん(2) |
( 2006.3.30,木 ) |
*3/16 東京集会16 増元照明さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/15813360.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)
続き
さらに佐藤会長から後ほどお話があると思いますけれども、北朝鮮が今一番嫌がっているアメリカの金融制裁、これに関してはアメリカ、今日シーファーさんとお会いして、アメリカは拉致問題の全面解決というのは、今アメリカは六者協議の中で核、それからニセドルの問題を問題視しておりますけれども、「この拉致問題の明らかな解決がなければ、すべての問題が解決していないと理解する」とおっしゃっていましたし、シーファーさんが「今まで聞いた話の中であまりにもひどい話、一番もっともひどいストーリーである」とおっしゃって、「私が駐日大使でいる限り、この拉致問題の解決に私は協力していくし、私は努力していくし、ベストをつくす」とおっしゃっていました。
*米大使が拉致現場を視察「心動かされた」 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4855
あの、早紀江さんも何回も外国の方にお会いして感じるんですが、まぁ、彼らはおそらく政治家に近い方であるかもしれません。非常に人の心を捉えるのが上手いですし、自分の心を相手に伝えるのが非常に上手い。言葉は通じなくても、彼らが言っていること、非常にあの私たちの心の中に響いてくるんですね。
これが日本の政治家だと、本当に美辞麗句並べるんですけれども、言葉がわかるんですけれどもね、心に訴えるものがまったくほとんどないんです。これが不思議なんですけれども。今まで会った外国の方すべてが心に伝わるしゃべり方を、そして今日もそうだったんですけれども、こちらの方が感動して涙を流すほどの、そういう雰囲気がその場にできあがるわけです。
それが日本の政治家はこういう、まったく口惜しくて涙を流すことはたくさんあるんですけどもね、感動して涙を流すことはほとんどないですよね。その辺がやはりアメリカの、というか欧米人のこういう問題に対する彼らの正義感、それが私たちに伝わって非常に感動させられます。
今、北朝鮮が向いているのは何回も言いますけど、アメリカが姿勢を崩さない、さらにまた強めていっている。ということは金正日に対して大きな圧力になるんです。これがもっとスピードアップしていけば、必ずこの拉致問題解決、金正日が被害者を返すという、そう結論になるのがそんなに遠くないというふうに感じますし、そうなっていただきたいと思っています。
アメリカの公聴会に早紀江さんに行っていただこうと思っているんですけれども、なかなかご自身の体調も少し心配なようで、さらにお父さん(滋さん)一人残してアメリカに行くということに対しても非常に心配なさっておられまして、お父さんの経過しだいで、まだまだ7割方行っていただくことになっていますが、あと三割はまだわかりません。横田のお父さんの体調が本調子になっていない部分と、お母さんがお父さんを一人残して行くということに対し非常な不安を持っておられるようですから。
ですから、私たちもそれに対しあまり無理は、無理強いはできないと思うんですが、やはりアメリカの公聴会、その下院の公聴会、そこで訴えるというのは大きな意味がありまして、その訴えがやはり母親の声だともっと大きな、相手に対し感動を呼ぶわけです。
私たちは兄弟ですが、やはり親の思いと兄弟の思いというのは「雲泥の差がある」と私は感じています。私の両親の私の姉に対する思いと私の姉に対する思いは、私は同じように考えていますが、でも実際にはやはり両親の姉に対する思いは、全然僕たちには思いもつかない深いものであろうし、それを訴えるのは「やはり親の言葉でしか訴えられない」というものがありまして、ぜひ行っていただきたいとは思っておりますが。
まぁ、後はお父さん、順調に休んでいただいて体調を戻していただくこと。それと早紀江さんにもなるべく外に出ていただかないでゆっくりと休んでいただくこと。本当は「入院したらどうですか」と言ったんですけれどもね。そうしたら、でも入院したらしたで皆さん騒いで困るでしょうから、また心が休まらないだろうし。じゃあ、「なるべく集会とか出ないで休んでいただくことがいい」というふうに思っております。後は横田家が判断されることですので・・・。
来月の公聴会はぜひ成功させたいと思いますし、私たちも強行軍でありますけれども、行かなければならないなと、行ってどうにか訴えてきたいと思っています。
*米下院公聴会で初証言へ 4月に拉致被害者家族 News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50083802.html
それと先日、もう一つジュネーブで何か人権委員会がありまして、そこで「家族会がどうか?」と「来るつもりはあるかどうか?」というメールが入っていましたので、救う会の島田副会長と相談してジュネーブに行くことも考えています。・・・協議会の方とパネルディスカッションのようなものをやるようですけれども、パネラーとして・・・もしできれば国連の人権委員会などにそういう機会があるのであれば、訴えてきたいと思います。
今、こういうふうに国際的になっていったこと、本当に私たちが9年間、2001年からアメリカに行ったり国外に行ったりして、ようやくそれが徐々に徐々に広がりつつあること、これはもう時間はかかりましたけれども、ここまできたことに対して非常に私たちも感謝しておりますし、それは2002年9.17以降、日本の国民の皆さんの絶大なるご支援があったおかげだと思っております。
でもまだまだ日本人を取り戻せないかぎりはこの拉致問題というのは終わりませんし、それまで私はやっていかなければと思っております。ですので、皆さんにもその思い、私たちと同じ思いで、同胞を一人の日本人を「一人たりとも日本人をおろそかにできない」という安倍官房長官の言葉もありますが、すべての日本人を救出するまで、すべての拉致被害者を救出するまで、北朝鮮の悪というものに対して、そして一緒に戦っていきたいと思っております。よろしくお願い致します。(大拍手)
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*3/16 東京集会16 増元照明さん(2) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/15838603.html
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| 3/16 東京集会16 増元照明さん(1) |
( 2006.3.29,水 ) |
あおいのママは3月16日に東京芝公園の友愛会館で行われた「朝鮮総連施設などへの課税の適正化問題−東京連続集会16」に参加しました。ビデオカメラが不調で文字化が遅れてしまい申し訳ございません。(ただ今修理に出しております)
*横田さんら、米下院の公聴会で証言へ News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50084024.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)
家族会事務局長の増元です。あの、新潟に今日行ってまいりました。横田ご夫妻とそして私とシーファー大使をめぐみさんが拉致されたとされる現場にお連れして色々とお話させていただきました。それも後ほど横田早紀江さんがお話されると思いますけれども。
今日は朝鮮総連施設への課税の適正化問題、昨年からこの適正化に関しては救う会全国協議会の幹事会でやっていくとはっきり決められております。それにすでにここにいらっしゃる救う会熊本の加納さんたちが課税問題で裁判を起こされたわけですが、孤軍奮闘されておりまして、本当にそのことに関しては頭が下がる思いです。
えー、今回、高裁で一応課税が「減免措置が不適正」という結果出たんですが、我々としては早くこれが確定されることを望んでいたんですけれども、幸山(政史)市長が上告されたということで、これが上告されるということは、全国に広がりつつある朝鮮総連施設に対する課税がまたその、最高裁の裁判までちょっと遅れるということですよね。
*「朝鮮総連施設等への課税減免は違法」判決に対して熊本市が最高裁に上告 救う会ニュース(2006.02.15)より http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200602/20060215.htm
これが確定されればもっと広がりが強くなったと思うんですけれども、これがなかなか最高裁に上告されたものですから、また少し進まない状況になるのではないか?という、非常に残念に思っています。この幸山市長という方は、うかがったところによると保守系の方らしいですね。
なんで保守系の方がこういう減税措置に対して執念燃やすのか?ちょっと理解ができないということがあるんですが、何となく漏れ聞くところによりますと、幸山市長が市長選に立候補される時に、最終的に社民党と共産党でしたっけ?の支援をいただいたということで、僕らもそちらからの圧力があったんではないかと思います。
まぁ、幸山市長本人がどのように考えているのかは、まだ私もお話したことがないのでわかりませんけれども、選挙のためにその、当たり前のことを出来ないのであれば、これはもう市長を辞めるべきだと私は思いますけどもね。(拍手)
自分の利益のためだけに市長というものは働いてはいけないと思います。国内法に対してはやはり遵守していかなければならないし、国内にいる永住外国人に対する意識よりも、国内の日本の国民に対し県民に対して意識をおいていただかないといけない、というふうに考えています。
まぁ、その点に関しては救う会熊本の皆さんが一生懸命やっておられるので、今度幸山市長にお会いする機会があれば、熊本にも行ってみようかとも思うんですけれども。
九州って、私は九州鹿児島(出身)なんですが、九州の教育圏はどちらかというと左が多いんです。左というと非常に言葉は悪いですけども、鹿児島もそうなんです。県教委の人たちが平壌に行って、そして鹿児島県教育委員長が昔、その金日成の統治に対して絶賛をしているわけです。「平壌にはゴミ一つない」「そういう街を造った金日成という方はすばらしい」というふうに礼讃しています。
そういった方たちが九州の教育の中枢にいるということがありまして、私は九州っていうのはもっと質実剛健、どちらかというと保守系が強いかと思っていたんですけど、私自身もいつのまにか毒されていた部分もありました。
ですから今思うと、やはりそういう教育が徐々に浸透していっているのはまず間違いないと思います。教育からまず変えていかなければならないだろうなと思います。(会場から何か声をかけられる)だと思いますね。
さらに今、法の適正化に関してもそうですけれども、先日名古屋の方で、金昭子という朝鮮総連の女性部長が再入国許可を停められて保留されました。で、これはその時に局長ですか、運搬?局長が保留した理由について金昭子氏に言ったところ、「色々と今問題があるようだからもう一度審査してやりたい」ということを言われたら、すぐ弁護士を連れてその入管の方に行かれたそうですが。
その報道をした中日新聞ですけれども、「在日朝鮮人の一人である金昭子氏である」と。それが「最高人民会議の代議員である金昭子氏」、すなわち「北朝鮮の国会議員である金昭子」とは書いてなくて、いわゆるその「在日の人たちに対する非常な行為ではないか」ということを新聞では言っていました。それが何を意味するかもまったく書いてなくて、ただ事実関係だけを書いているのが非常に残念でならない。
*北朝鮮へ一時帰国許可保留 名古屋入管、女性への説明拒否 News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50080501.html
それを見た一般の人たちは、やはり何も知らない人たちは、それは「差別だろう」と言ってしまう方たちも増えるでしょうし、そうすると組織的にやっている方たちが、さらにそれが増えて、入管の方に抗議の電話なりあったと思うんです。
そこで「抗議の電話があると弱い」というのが官僚ですから、事なかれ主義の・・ですからね。多少の抵抗はしたけれども、結局はその講義の電話に屈したのか許可を出してしまいました。これは非常に残念なことなんですが。
*北朝鮮国会議員が日朝を自由往来できて、なぜ拉致被害者が帰れないのか 救う会ニュース(2006.03.10)より http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200603/20060310.htm
でも一官僚としては、ここがまず、こういったできる限りのことではないでしょうか。本当は国家が、もっと政府がきっちりと方針を決めて、そして抗議に対してもどういう対応ができるか指針を示しておけば、そのときにもちゃんと答えることができたと思うんですけどもね。官僚の現場サイドで。でもそれは政府の指針としてなかなかできていないので、だから官僚一人が抵抗してもどうしようもないです。
ですから非常に残念ではありますけれども、再入国許可が出されております。この方は4月12日に入港するバンケイ(万景峰号)で北朝鮮に行かれるということですけれども、その時は私も抗議行動、当然バンケイの方も入港に対して抗議行動に行きますので、その時にもそのことを訴えたいと思っています。
できればまぁ、金昭子さんには拉致被害者と引き換えに、拉致被害者と一緒に帰って来るのであれば帰って来ればいい。そうでなければ北朝鮮の平壌で生活してほしいというふうに思います。・・・(拍手で聞こえず)
彼女が言うには、まず「故郷に帰るというのは基本的な権利である」と言っていますが、私たちの家族は30年近く帰ることもできないし、声を発することもできないし、手紙を出すこともできない。それらの状況をまったく無視して自分たちだけの権利を主張する、何て言うのか、今はこの状況の中で日本に暮らしている、その最高人民会議の代議員としてどのように考えているのか?僕は国会で証人喚問でも参考人召致でもして聞いていただきたいと思います。
*最高人民会議第11期選挙(2003年8月3日)で代議員に選出された朝鮮総連幹部6人 救う会ニュース(2006.03.10)より
徐萬述(議長)三選 許宗萬(責任副議長)再選 梁守政(副議長・商工連会長)再選 金昭子(女性同盟委員長・元愛知県本部委員長)初選 朴喜徳(総連経済委員会副委員長・商工連顧問)初選 張炳泰(朝鮮大学長)初選
今現在6人いらっしゃるそうですね。朝鮮学校の先生とか朝鮮総連の幹部が6人、最高人民会議代議員の方。その方全員に国会で答弁をしていただきたい。「今、北朝鮮政府の一員としてあなたはこの拉致問題、どう考えるのか?」ということに対し、彼らは回答する義務があると思います。北朝鮮の最高人民会議の国会議員ですから。彼らは今、北朝鮮がやっているこの拉致の問題に対して、日本との交渉の中で言っている北朝鮮政府の姿勢について、彼らは日本国内の国会の中でこれを回答する義務があると思うんです。
はっきり言ってそれをされようとしていないし、政府サイドから要請しているのかどうかもわかりません。今度それもやっていただきたいと思っております。ですから平沼(赳夫)先生を通じて拉致特(拉致特別委員会)とか衆議院でも参議院でも拉致特とかありますから、その中で召致していただいて回答していただく、それを考えてもいいのではないでしょうか?
それとあの「適正化問題」ということでは、私たちは本当に色々な要請をしております。昨日の救う会の加納さんもおっしゃっておりましたけれども、在日の方たち、私も在日の友人が以前おりました。今でも友人の一人ですけれども、彼らが言うには「自分たちは韓国でも自分たちのいる場所がない。北朝鮮でもいる場所がない。日本でも自分たちのいる場所がない」ということを。非常につらい立場であることは確かでしょう。
在日というのは、本国でも非常に差別されている状況が続いている。彼らは今の朝鮮総連に対して非常に恐怖も抱いているし、朝鮮総連が本当にすべてだと言う人は今ほとんどいないと思います。彼ら自身が声を出していっていただくことが一番大きな力になるんじゃないか、と思っておりますけれどもね。
私たちは日本人として当たり前にその、「私たちの家族を返せ」「同胞を返せ」というのは当然当たり前のことなんですが、彼らも「自分たちの祖国である」と言うのであれば、自分たちの祖国を良くするために今日本で声を上げていく必要があるのではないか、と思うのですが、それがなかなかできないのかやろうとしないのか、私にはちょっと理解できない苦しい状態であります。
でも恐怖はあるようです。「自分たちがそういうことをやったら親類に危害を加えられる」という、それは目の当たりにして見ているわけですから。その恐怖を乗り越えるのは大変なことだろうとは思いますけれども、もう3世4世の時代ですから、彼らにはそのことを考えていただきたいと思います。
向こうに対する、今、色々な教育の中で彼らは反日になっていらっしゃる方もいらっしゃいますけれども、まず「自分たちの国を良くしよう」という気持ちの強い人たちがもっと彼らの中に表れてしかるべきだと。現状を一番知っているのは彼らですから。彼らは修学旅行で平壌に行ったりしているわけですから、その中で見聞きしたことを非常に、たぶんあの、絶賛はしないと思います。「奇妙な国」だと感じているのは彼ら自身でしょうから。それを「自分たちの手でどうにかしていこう」という、こう気運が高まることを強く望んでいます。私たちは今この運動をしているわけです、彼らとの共生するためにも。
あの、彼らは果たすべきことをやっていかなければならない、税金にしてもそうですけれども、ちゃんと日本の、日本人だったら払うべきで、彼らは在日というその地位だけで減税されていると、非常にそれは逆差別であり非常に恥ずかしいことと思っていただきたい。
「もう日本で生活していく」と決めていらっしゃる、大勢いらっしゃるでしょうから、これはもう帰化することが嫌だったら日本での法律は守っていただきたいですし、そしてあの不当な、その国の税から国民の血税から不当な支援を受けるようなかたちになるのは、彼らがプライドの高い人間であるとすると、それ自身さえちょっと逆らってしまうというか、彼らのプライドが高ければ高いほど日本の、何て言うのかな、その減税措置に対してもしっかりとそれに反発して「日本のそういうお金はいらない」「措置はいらない」「ちゃんと自分たちは自分たちのアイデンティティーとして暮らしているから、私たちは払うべきものは払う」という、そういうプライドは持っていただきたい、と僕は思っているんですね。(拍手)
本当に在日の方たち、良い方たちいっぱいいらっしゃいます。で、私の友人もそうですけれども、「本当に残念、自分たちの国がこういう拉致というものをやったということを非常に恥ずかしいことだし、残念に思う」と言う方たち、本当に大勢いらっしゃる。まぁそういう方たちとも連携していく必要があるのかなぁと思っております。
今週末に、有本さんから連絡があったんですけれども、「神戸で在日の集会がありまして、20〜30人集まりますので、そこに有本さんに来ていただきたい」ということでご相談があったようです。それで、私はそういうところで、民団系らしいんですけれども、そういうところに行って有本さんたちにも話してもらう、有本さんたちの気持ちをわかってもらう、そして拉致問題を考えていっていただく。・・・本当にそれが手を結ぶようだったら、あの金正日政権の崩壊が近くなるのではないかと思っております。
日本から行くお金が少なくなればなるほど彼らは困るわけですし、崩壊が早く始まるということ、それを非常に望んでいます。
(2)に続く
*3/16 東京集会16 増元照明さん(1) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/15813360.html
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| 3/26 TBS「報道特集」拉致事件本格捜査!全ぼう解明への道(2) |
( 2006.3.27,月 ) |
*3/26 TBS放送の「報道特集」を文字化しました。
ついに行われた拉致事件の捜査。主犯の男は今何を・・・。拉致された人々。地下の訓練所。その奥には何が?闇の向こうに見えてきたもの、それは・・・。
*3/26 TBS「報道特集」拉致事件本格捜査!全ぼう解明への道(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/15574212.html
続き
《キム・ヒョンヒが語った“拉致”》
【ナレーター】 田口八重子さん。田口さんの情報はおよそ20年も前にある人物によって語られていた。(韓国ソウル87年12月)キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚。大韓航空機爆破事件の実行犯だ。1987年、乗客乗員115人の命が奪われたこの事件、バグダッド発ソウル行きの858便がアンダマン海上空で爆破された。経由地アブダビで降りた彼女ともう一人の男が、機内に爆発物を残したテロだったと韓国当局は断定している。
彼女は何度も日本人拉致被害者について語ってきた。
【キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚】(90年6月ソウル) 私が一緒になって日本語教育を受けた“李恩恵”(リ・ウネ)という女性は、日本から来た日本女性です。彼女は78年に北朝鮮によって拉致されて、日本にいる時は彼女は子どもが二人いて・・・。
【ナレーター】 これは、取り調べ開始直後のキム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚が、韓国の捜査員に連れられソウルの街中を歩く写真。彼女は北朝鮮で、韓国がいかに抑圧された国であるか教え込まれていたという。だが、近代化された街並みや人々の明るい表情を目の当たりにして、北朝鮮の嘘に気づいていった。
キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚はその後、全面自供に転じ、部厚い自筆の供述書も作られた。「日本語や日本についての教育係は日本人拉致被害者だった」とされている。招待所と呼ばれる施設の中で、日本人拉致被害者はどのような様子だったのか?供述書には詳細が綴られている。
【キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚】 “李恩恵”(リ・ウネ)はお酒を飲むと、ボーっと座り込んで「子どもに会いたい」と愚痴を言いながら「日本に帰りたい」と泣いていました。
【ナレーター】 事件から4年後の91年(5月)、キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚は日本の捜査当局から複数の日本人女性の写真を見せられた。
【キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚】 写真を見た瞬間、あれが「恩恵(ウネ)先生だ」と私はっきり思いつきました。李恩恵(リ・ウネ)先生がどこからどのように連れられて来たのか、はっきりわからないんですけど、彼女のお話によると「海岸で船に乗って来た」と言いました。
【ナレーター】 この時日本の捜査当局は「彼女の教育係“李恩恵”(リ・ウネ)は田口八重子さんである」と断定した。今から15年前のことだ。
95年に出版されたキム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚の手記(「忘れられない女」文藝春秋)には、数多くの日本人拉致被害者についても具体的な記述がある。
【キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚】 「ある日本人夫婦は、海辺でデートを楽しんでいたところを拉致され、北朝鮮で結婚式を挙げた」
【ナレーター】 蓮池さん夫妻や地村さん夫妻のことのようだ。さらに・・・。
【キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚】 「まだ高等学校に通っていた少女」 「ある日本人女性は北朝鮮で外国人男性と結婚させられた」
【ナレーター】 曽我ひとみさんとジェンキンス氏のことなのか。だが、この記述は別の拉致被害者のことを指していたのではないかと見ることもできる。
《めぐみさんは北朝鮮で・・・》
【ナレーター】 その拉致被害者とは横田めぐみさん。めぐみさんもまた、あのシン・ガンス容疑者に拉致された疑いがある。
【安倍晋三官房長官】(2月14日) 本件については、横田めぐみさんのご両親から具体的要望を受けていることもあり・・・。
【ナレーター】 「めぐみさんの夫は韓国からの拉致被害者ではないか?」(韓国・東亜日報2月1日付)そんな情報が去年の暮れ頃から日本や韓国を駆け巡った。
日本政府は調査を開始した。現在、韓国人拉致被害者のDNA鑑定が着々と進んでいる。鑑定が行われているのは5人の韓国人拉致被害者。いずれもめぐみさんと同じ時期に拉致された同じ年頃の若者たちだ。(韓国・インチョン2月14日)
仙遊島・・・78年8月(1人) 紅島・・・・77年8月(2人)78年8月(2人)
*横田めぐみさん「夫」、政府は本格調査へ News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50075638.html
彼らは何故拉致され、北朝鮮でどう暮らしているのか?同じく拉致された日本人は北朝鮮で何をさせられているのか?
5人の韓国人拉致被害者の1人チェ・スンミン氏の父はこう語った。
【チェ・スンミンさんの父 チェ・ジンファ氏】 「チェ先生」と息子たちは「先生と呼ばれていた」と言うんです。「韓国の実状を工作員に教える教官みたいなもの」だと言うんです。
《“地下ソウル”拉致被害者が教官》
【ナレーター】 1993年に韓国に亡命した元工作員のアン・ミョンジン(安明進)氏。3年前(03年)の取材の際、さらに具体的な証言をしていた。
【元北朝鮮工作員 アン・ミョンジン(安明進)氏】 工作員が韓国になじむための教育が徹底されています。
【ナレーター】 工作員が韓国になじむための教育。それは「山をくりぬき、その中にソウルの街並みを造り上げる」という壮大なプロジェクトだった。
彼をはじめとする複数の元工作員の証言に基づき、その巨大施設をコンピューターグラフィックスで再現した。
北朝鮮の首都、平壌。その中心部から北東におよそ15キロ、工作員養成学校と言われる金正日政治軍事大学がある。アン・ミョンジン氏の証言によると、地下施設はそこからバスで20分。山の中におよそ4キロに渡ってソウルの街が再現されていたという。
施設の名称は“以南化環境館”。普段内部は街灯だけが点っているが、手前にある統制室に訓練内容を告げると天井の蛍光灯が点けられる。トンネル内にはレストランやカラオケ、公共施設などソウルにあるものが本物そっくりに造られていた。
入口からおよそ500メートル、実在するチョソン(朝鮮)ホテルまであった。しかし地下という制約上、不自然な部分もあったという。縦ではなく横に動くエレベーター。その先に造られていた部屋は実在のものとまったく同じ。窓から見える景色まで同じに見えるよう造られていた。そこではこんな教育が行われていた。
【元北朝鮮工作員 アン・ミョンジン(安明進)氏】 ホテルではシーツをだらしなくしていると、体格などの痕跡が残ることになるので、何かあった場合に備え「常にベッドメーキングをして活動せよ」という教育を受けました。
【ナレーター】 ソウルに実在する有名な料理店もある。(料理店チョンジンジャン)内部も本物と寸分違わぬ造りだったという。工作員たちは訓練で、こうした豪華な食事やカラオケに慣れていくはずだった。だが逆にソウルに憧れ、韓国に亡命する者も急増していったのだ。実は彼もそんな1人だ。
【元北朝鮮工作員 アン・ミョンジン(安明進)氏】 何故こんなすばらしい世界を体験して、北朝鮮で我慢して暮らさなければならないのでしょうか?そんな不満があふれたのです。それがこの地下施設が私たちにもたらした大きな変化です。
【ナレーター】 メイン通りの一番奥にある交差点には“関係者以外立ち入り禁止”の看板があった。実はアン・ミョンジン氏は、教官からこの奥にある施設について聞かされていた。それは“再現された日本の街並み”だったという。
北朝鮮の地下に造られたという本物そっくりのソウルの街。元北朝鮮工作員のアン・ミョンジン氏はその一角に「日本の街もある」と聞かされたという。だが「その時は真っ暗で見えたのは瓦屋根の一部だけだった」と話す。
別のある元工作員は、地下施設でのこんな体験を語っている。
【元工作員証言】 中の店舗で働いている8人ほどが、韓国から拉致されてきた人たちでした。彼らは韓国に関する常識をたくさん教えてくれましたが、一緒に酒を飲むと憎んだような目で私たちを見て泣いていました。私の先輩が強制的に拉致してきた人たちだったのです。
【ナレーター】 アン・ミョンジン氏が聞いたという日本の街でも、日本人拉致被害者が涙を流しているのだろうか・・・。
北朝鮮による拉致を容疑とした国内で初めての強制捜査。(大阪市3月23日)捜査当局は「北朝鮮による拉致事件の全ぼうを明らかにする」ことを目指している。安倍官房長官もこう語った。(首相官邸 3月23日)
【安倍晋三官房長官】 わが国の捜査当局は引き続き全容解明に努めていくものと承知をしております。この拉致の全ぼうを明らかにしなければならないと・・・。
【ナレーター】 発生から数十年の月日を経て解き明かされる拉致の全ぼう。横田めぐみさんの夫に関するDNA鑑定の結果は近く明らかになる。
《急げ!拉致の解明》
【司会者】 横田めぐみさんの夫が韓国人の拉致被害者であるのかどうか?それをめぐるDNA鑑定の結果は近く出るだろうと思われます。
このめぐみさんの夫の件もそうなんですが、拉致に関してもたらされます情報や証言、あるいは過去の出来事などが、ここへきて少しずつ結びついて、こう点と点が線になって見えてきたような感があります。ただしかし、それが面となって、北朝鮮による拉致の全ぼうが見えてくるまでにはまだ時間がかかるのかもしれません。
また、北朝鮮が国内では英雄とされているシン・ガンス容疑者、拉致の鍵を握るシン・ガンス容疑者の身柄をそう簡単に日本に引渡すとは思えませんけれども、先日の強制捜査のように日本国内でも捜査を進め、掘り起こしていく事実はたくさんあります。拉致の協力者も日本に留まっているケースもあるわけですから、地道な捜査をして解明を進めていくことができるのではないでしょうか。
*拉致強制捜査 「国家犯罪」あぶり出せ News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50086583.html
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*3/26 TBS「報道特集」拉致事件本格捜査!全ぼう解明への道(2) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/15601883.html
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| 3/26 TBS「報道特集」拉致事件本格捜査!全ぼう解明への道(1) |
( 2006.3.26,日 ) |
*写真は北朝鮮の記念切手です。(拡大写真)原さんを拉致した辛光洙(シンガンス)が右端上から4番目に載っています。(「原敕晁さんを救うぞ! 東京集会10」にて撮影)
*3/26 TBS放送の「報道特集」を文字化しました。
ついに行われた拉致事件の捜査。主犯の男は今何を・・・。拉致された人々。地下の訓練所。その奥には何が?闇の向こうに見えてきたもの、それは・・・。
《北の英雄は拉致実行犯》
【司会者】 続いての特集は北朝鮮による拉致問題です。さてこちらはですね、北朝鮮の切手なんです。2000年に出されました“北朝鮮の英雄たちを集めた記念切手”ですが、ずらーっと並んだ英雄たちの中に皆さんが見覚えのある顔があります。シン・ガンス(辛光洙)。「獄中闘争15年」と書かれています。
で、つい先日このシン・ガンス容疑者が実行犯とされる拉致をめぐりまして、日本国内で大きな動きがありました。警察による初めての強制捜査があったわけなんですが、この動きをきっかけに拉致問題の解明は進むんでしょうか?
《撃沈!北の貨物船》
【ナレーター】 オーストラリア沖に浮かぶ一隻の船。(3月23日)爆発炎上したのは北朝鮮の貨物船。オーストリアにヘロインを密輸したとして拿捕された。(2003年)
この日(3月23日)、オーストラリア空軍の爆撃訓練の標的となった。麻薬や核開発、さまざまな疑惑が浮かぶ北朝鮮。同じ頃・・・。
*だ捕の北朝鮮の麻薬密輸船、軍演習の「標的」で撃沈 News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50085907.html
《北の拉致 捜査開始!》
【記者】 警視庁公安部の捜査員が朝鮮総連大阪商工会の建物へと入って行きます。(大阪・北区3月23日午前8時40分)
【ナレーター】 朝鮮総連傘下の事務所など6ヵ所に警視庁の強制捜査が入った。原敕晁(はら あだあき)さんの拉致に関する捜査だった。北朝鮮による国内の拉致事件で警察が家宅捜索を行なうのは初めてのことだ。
大阪の中華料理店に勤めていた原さん(当時43歳)は1980年6月、「新しい仕事を世話する」と言われ、宮崎県の青島海岸に連れて来られた。そこから船で「北朝鮮に拉致された」とされている。この日の家宅捜索には原さんの勤めていた中華料理店なども含まれていた。
*原さん拉致事件:「身寄りなし」狙い 中華料理店主が紹介 News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50085875.html
去年(2005年)7月、経営者本人を直撃した。
【記者】 原さんのこと・・・。
【中華料理店経営者】 いや、それは関係ない。働いていただけ。それだけのことや。
【記者】 宮崎の海岸へ・・・。
【中華料理店経営者】 だから、そんな話を聞いたことはあるけど、行ったこともないし・・・。
【記者】 行ったことない?
【中華料理店経営者】 ない。何かあれば私を(警察は)引っ張って行くはずや。
【ナレーター】 事件への関わりを一切否定した。しかしこの経営者には、原さんを拉致の対象者として推薦し、宮崎の海岸まで誘い出すのを手伝った疑いが持たれている。
《拉致事件 主犯の男》
【ナレーター】 そして事件を指揮していたとされるのがシン・ガンス(辛光洙)容疑者。85年、韓国で逮捕されたシン容疑者は「原さんに成り済まして日本でスパイ活動をするために拉致を行った」と供述していた。
これまでの調べで、「シン容疑者を中心に10人以上の国内協力者が原さんの拉致に関わっていた」ことが明らかになっている。
ソウル郊外。路地裏を歩く男性。シン容疑者だ。韓国政府は1999年にシン容疑者を恩赦で釈放。1年後、北朝鮮に送還された。この映像は送還される寸前に撮られたものだ。(2000年1月 ジンネット提供の映像)
【記者】 原さんを拉致してもいいのか!!
【シン容疑者】 バカなことを言うな!!クソタレめ!!
【ナレーター】 「拉致について」問われると感情をあらわにしたシン容疑者。送還されるまでシン容疑者はソウル郊外の施設に収容されていた。そこでボランティアをしていた女性は、当時の様子をこう話す。
【ボランティアの女性】 マスコミとか外から支援者がたまに来ると、警戒して怖がって隠れていましたねぇ。健康でしたよ。お酒をたくさん飲むと「自分は北に帰らないといけないんだ」と酔った勢いで話していました。
【ナレーター】 普段のシン容疑者は、他人と交わることを避けているように見えたという。北朝鮮に送還後、どうしていたのだろうか?平壌で目撃した人物がいた。
【記者】 彼を見たことってございますか?(写真を見せる)
【脱北者 チャン・ミョンイル氏】 2001年かなぁ・・・。その時、この人たちを体育館に集めて集会があったのです。
【ナレーター】 去年脱北したチャン・ミョンイル氏は「平壌市内で行われた集会でシン容疑者を見かけた」という。
【脱北者 チャン・ミョンイル氏】 平壌体育館で行いました、「この人たちを見習い、さらに職場に戻って彼らのことをみんなに話せ」という集会です。
【ナレーター】 集会は500人以上入る体育館で行われた。
「首領金日成同志の革命思想で徹底的に武装しよう!」(壇上の垂れ幕)
最前列に座ったチャン氏は、英雄として紹介された10人の中で、左から2番目に座るシン容疑者を覚えていた。
【脱北者 チャン・ミョンイル氏】 他の人たちは「自分がいつ戦争に行った」とか「記者をしていた」とか「戦闘員をしていた」とか、自分から話しました。この人が印象に残ったのは、そうしたことを話さなかったからなんです。「祖国統一のために一生を捧げた」と言いますが、銃を抱えて戦ったわけではないし、珍しいので印象的でした。
【ナレーター】 シン容疑者について、「韓国に捕まっても寝返ることがなかった『非転向長期囚』」という紹介はあった。しかし、詳しい経歴などは紹介されなかったという。テレビにも出演していたシン容疑者。
朝鮮人民軍のエリート軍人だったパク・キルナム氏は、帰国後のシン容疑者の生活についてこう証言する。
【朝鮮人民軍元兵士パク・キルナム氏】 『非転向長期囚』たちは、平壌の中心部に大型アパートをあてがわれ、家電製品とかすべての生活必需品の特別支給を受けています。最近聞いた話によると、シン・ガンスは非常に健康で、特に朝鮮労働党・軍の特殊部隊、それから対南連絡所などに通いながら、講演などを頻繁に行っているといいます。
【ナレーター】 人民の模範となる人物、シン容疑者は北朝鮮の中でも特別な存在だという。
【朝鮮人民軍元兵士パク・キルナム氏】 自分たちのかがみとして、英雄として祭り上げた人を、日本に差し出すことはできないです。
【ナレーター】 北の英雄に対して、警察当局は、地村さん夫妻の拉致容疑に続き、原さんの拉致容疑でも逮捕状を取り、国際手配をする方針だ。
原さんの拉致から26年を経て行われた強制捜査。北朝鮮は原さんのその後について、もう一人の拉致被害者の名を上げてこう説明している。
「原さんは田口八重子さんと結婚し、1986年肝硬変で死亡した」
(2)に続く
*3/26 TBS「報道特集」拉致事件本格捜査!全ぼう解明への道(1) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/15574212.html
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| 春の歌 |
( 2006.3.25,土 ) |
【スピッツ 〜CYCLE HIT 1997-2005より〜】
重い足でぬかるむ道を来た トゲのある藪をかき分けてきた 食べられそうな全てを食べた
長いトンネルをくぐり抜けた時 見慣れない色に包まれていった 実はまだ始まったとこだった
「どうでもいい」とか そんな言葉で汚れた 心 今放て
春の歌 愛と希望より前に響く 聞こえるか? 遠い空に映る君にも
平気な顔でかなり無理してたこと 叫びたいのに懸命に微笑んだこと 朝の光にさらされていく
忘れかけた 本当は忘れたくない 君の名をなぞる
春の歌 愛も希望もつくりはじめる 遮るな 何処までも続くこの道を
歩いていくよ サルのままで孤り 幻じゃなく 歩いていく
春の歌 愛と希望より前に響く 聞こえるか? 遠い空に映る君にも
春の歌 愛も希望もつくりはじめる 遮るな 何処までも続くこの道を
*「歌詞」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/539308.html
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| 魂よ安らかに |
( 2006.3.24,金 ) |
いとこのAちゃんが亡くなったのは一昨年の秋、四十代前半の若さで眠りについた。早婚だったためか、すでに小さな孫もいたという。
別れの少し前に、私と妹は千葉県舞浜のイクスピアリで偶然Aちゃんに会った。「あれっ!○○○さんじゃない〜?」って声をかけられた。こんなことがあるなんて本当に驚いた。Aちゃんは地方に住んでいて、この日たまたまディズニーランドに遊びに来ていた。
「今ね、誰か知り合いに会わないかなぁって話していたとこだったんだよ!」と一緒にいた人と言っていた。後でこの人は子どもだと聞いてビックリした。まるできょうだいのようで、とても母子とは思えなかったから。それほどAちゃんは若くてキレイだった。これがAちゃんのとの最期となった。
父が秋祭りの際、久しぶりにAちゃんに会っていたという。「大丈夫か?」と聞いたら「うん、おじさん、大丈夫だよ!」と言って笑っていた。父はAちゃんの肩をもみながら「お前はいくつになってもきれいだなぁ」と声をかけた。Aちゃんが生まれてから少し一緒に暮らしていたせいか、とてもかわいがっていたように思う。
先日、父からAちゃんの子どもが亡くなったと聞いた。母が逝ってからまだ一年ちょっとしか経っていない。まるで追いかけるように逝ってしまった。人生はこれからだというのに。
私はあの子が生まれた時に会っている。あの時Aちゃんが赤ちゃんを抱っこしていた。あのかわいかった子も亡くなってしまったんだ。
Aちゃんの昔の写真を見つけた。結婚式に妹と一緒に撮ったものだった。この時Aちゃんのお腹にはあの子がいた。みんな幸せいっぱいの笑顔。それがあまりに悲しい写真となってしまった。
*魂よ安らかに aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/15903481.html
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| 秋田美輪さん「拉致認定」への遠すぎた道のり |
( 2006.3.23,木 ) |
あおいのママは先日3月16日の東京集会のおり、ジャーナリストの小山唯史さんに、特定失踪者「秋田美輪さん」のお母さんがお作りになった「アクリルたわし」のおすそ分けをしました。その時に「以前に秋田さんのご自宅で取材をしたことがあります」と教えていただきまして、後日その記事と写真を送ってくださいました。転載の許可をいただきましたのでご紹介致します。小山さん、本当にありがとうございました。(写真はブログにあります) http://aoinomama13.up.seesaa.net/image/IMG_2184.JPG
*母の手作り 「アクリルたわし」 http://aoinomama13.seesaa.net/article/11513446.html *小山さん ありがとう http://aoinomama13.seesaa.net/article/5289714.html
《娘は入水自殺じゃない!父と母は18年間、叫び続けた・・・・。秋田美輪さん「拉致認定」への遠すぎた道のり》
光文社『女性自身』2003年12月16日号(取材・文 小山唯史)
◇ ◇ ◇
「ここが、もしあの子の第二の人生の始まりの地であったのなら、その人生のなかで、どうか無事でいますように」
秋田嶺子さん(69)は、毎年12月4日の前後、兵庫県の日本海側の海岸、弁天浜の砂浜に立って、心の中でこう祈る。傍らに立つ、夫の正一郎さん(71)も思いは同じだ。18年前の85年12月4日、女子大生だった娘・美輪さんは、忽然と姿を消してしまった。この砂浜にバッグと靴だけを残して。
遺体は上がらなかったが、警察は「入水自殺」と片づけた。だが、正一郎さんは当初から拉致ではないかと訴え、嶺子さんも娘の生存を信じ続けている。失踪当日自宅に掛かってきた電話、バッグに残されていた急行券──自殺とするには多すぎる謎。
船に乗せられ北朝鮮に連れ去られたのなら、この浜があの子にとっては、まがりなりにも新しい人生のスタート地点となったはず。その人生のなかで無事でいてほしい。いまごろどうしているのだろう。生きていれば、もう39歳。東京五輪の年、64年の生まれ。横田めぐみさんと同い年だ。帰国した曽我ひとみさんたちのように、かの国で結婚もしたのだろうか。
でも、目を閉じれば、浮かんでくるのは失踪した21歳当時の面影ばかり。野良犬を拾ってきて、「この犬(野良だから散歩のときも)アクセサリーにはならないわね」と笑いながら、チビと名づけて可愛がっていた。心優しい娘だった。小柄(155センチで43キロ)で、いつも控えめにしている子だったから、なおさら不憫さが募る。
真っ黒な日本海を望む初冬のこの浜辺。1年に1度、ここに、必ず足を運ばずにはいられない。あのとき以来、毎年ずっと。夫の運転する車で、はるばる徳島から夫婦2人通い続けている。
そして、今年もまた──。
◇ ◇ ◇
神戸松蔭女子学院大(国文科)の4年生だった秋田美輪さんは、その日、一番仲の良かった友人と学生食堂で昼食を取ったあと、正門前で午後1時頃別れた。友人は「ケーキ食べにいかへん?」と誘われたが、予定があったので断ったという。85年12月4日のこと。美輪さんの姿が目撃されたのは、それが最後となった。
そして翌日早朝、同じ兵庫県でも神戸とは正反対、日本海側の竹野町・弁天浜という浜辺で、美輪さんのバッグと靴が発見されたのである。バッグの中には、名前を記した学生証が残されていた。
「秋田美輪さんというのは、おたくのお嬢さんですか?」警察からの突然の連絡に、母・嶺子さんは、自宅(兵庫県川西市=当時)から、列車を乗り継いで現地に急いだ。損害保険会社の管理職だった父・正一郎さんは単身赴任先の徳島市から駆けつけた。
2人が到着したときには、もうヘリコプターや巡視艇、ダイバーや消防団が出動し、本格的な捜索が進んでいた。警察によると、バッグと靴は波打ち際1メートルのところに、きちんとそろえて置かれ、そこから海に向かって足跡もついていたという。
「女子大生、入水自殺か?」地元新聞は警察の判断に基づいて、小さくこう報じた。当時の記事の、古く黄ばんだ切り抜きを手に、正一郎さんは無念さを新たにする。
「私たちは、あの子が自殺するなんて信じられませんでした。失踪の少し前、『梅田(大阪)で若い男の人に、モデルにならへんかって声を掛けられたの』などと、父親である私にも気さくに話してくれるような娘でしたから。捜索に熱心に協力してくれた漁師さんの話でも、『ここは入水自殺は多いけど、入り江だから遺体はいままですべて発見されていますよ。見つからなかったケースは1例もない。これだけ捜して見つからないのは、違うのでは……』ということでした」
2日間の捜索が打ち切られたとき、正一郎さんは地元警察に懸命に訴えた。「拉致という線で、捜索をお願いできないのですか?」何年か前にすぐ近くで北朝鮮の工作船侵入事件があり、2人が強制送還されたということも地元で耳にしていた。
だが、警察の答えは、「お父さん、バッグが見つかっただけで物証もないし、目撃者もいませんからねえ。事件性があるとは考えられません。お気の毒ですが」と言うばかり。バッグも中身ごと「捜査は終わったから」と、その場で返された。
その中には赤い定期入れと財布、卒業の行事予定がメモしてある小さなノート、リップスティック、カバーの掛けられた文庫本(蒲原有明詩集)、「おぜんざい」とプリントされた小さな食券……。
いまも自宅に大切に保管してあるその黒い小さなバッグを手に、母の嶺子さんがポツリともらした。「ときどき、こうしてバッグを取り出したとき、フタを開けると、私にだけ分かる、あの子の匂いが、かすかに立ちのぼって、辛くなるんです」
美輪さんは父親の転勤先の岐阜で生まれた。小学校に上がる頃、一家は兵庫へ。「幼い頃は体は小さいのに駆けっこが得意な活発な子でした。中学では新聞部に入って学校近くの桂米朝さんのお宅に嬉しそうにお話を聞きにいったり、川西明峰高校(ヤクルト古田敦也選手の出身校としても知られる)ではブラスバンドに熱中していました。でも、年頃になってからは急におしとやかに、おとなしい性格に変化しましてね。大学のお友達に『ケーキ食べにいかない?』なんて自分から積極的に誘うのも珍しいことだったので、その友達も記憶に残ったようなんです。大学に進むときは考古学を勉強したいと。でも、主人が遠くに手離したくなくて、結局、地元の女子大に入ったんです」(嶺子さん)
◇ ◇ ◇
正一郎さんが当初から「拉致ではないか」と考え、18年間そう訴え続けているのにはいくつもの理由がある。美輪さんが最後に友人と正門前で別れたのは12月4日の昼。じつはその日の夜8時、母・嶺子さんは美輪さんから謎の電話を受けている。
「おかあさん、遅くなってゴメンね」その言葉で始まった電話は「きょうMちゃん(校門で別れた大学の友人)の下宿に泊めてもらうから。心配しないでね」と告げて切れた。
嶺子さんと次女の美輪さんは、当時、母と娘の2人住まい(父は単身赴任、長女は9カ月前に結婚)。夕食は毎日のように2人で仲良く一緒に作って食べた。帰りが少し遅くなったときは、自宅の最寄り駅の川西能勢口からでも、「これからバスに乗るところ」と、母を気づかってこまめに電話してくる娘だった。それなのに、今日はどうしたのかしら。夕食をとうに作り終えてしまった母は心配しながら電話の前に座り続けていた。夜8時、やっと電話が鳴った。美輪さんの声だ。
「あのときは、ホッとした気持ちが先に立ってしまって……。もっといろいろ聞けばよかったのですけど、『それじゃ、Mちゃんによろしくね』とだけ答えて、受話器を置いてしまったのです」
だが、翌朝突然、警察からバッグ発見の電話がかかってきたのだ。そんなはずはない!驚いた嶺子さんは、慌てて友人の家に電話したが、「美輪さんは泊まっていません。きのう泊まるという約束もしていません」という返事。全身から血の気が引いた。いったい何が起きたの?
「おそらく電話は銃でも突きつけられた状態で掛けさせられたのでしょう」正一郎さんは、そう推理する。家族が「娘が帰らない」と騒ぎだすのを遅らせるための時間稼ぎ。偽装工作だ。
「あら?ずいぶんシーンとして静かだったわ」嶺子さんが、娘から掛かってきた電話の背後が妙に静寂に包まれていたことに気づいたのは、娘の声に安堵し電話を切ってしまった直後だった。いつものような雑踏のザワメキとは違う。そのことが、一瞬、心に引っかかった。「弁天浜に駆けつけた日、私は夜、泊まっていた民宿からもう一度浜辺に出てみて、ハッとしました。真っ暗な闇の静寂に。あ、電話の向こうはこういう静けさだったと」。
正一郎さんは、バッグの中に残っていた急行券の謎を訴える。日付は12月4日。大阪から150キロ圏。900円だ。「これだと弁天浜の最寄り駅の竹野までは行けません。あと50キロ不足です。最初から200キロまで買っても千円で、たった100円高いだけ。財布の中には1万8千円も入っていたのに、なぜ半端な切符しか買わなかったのか」しかも、この急行券には改札を通った鋏も、車内で受けるはずの検札のパンチ跡もない。未使用状態なのだ。
「美輪は列車に乗ってないと考えることもできるのです。神戸近辺で拉致されて、自動車でどこかに連れ去られたのかもしれない」(正一郎さん)前の晩、雨が降ったというのに、バッグも靴も濡れた様子がないのも変だった。
しかし、警察はこれらの疑問に全く関心を示してくれようとはしなかった。
◇ ◇ ◇
事件直後の数カ月間、嶺子さんは時間のあるかぎり冬の列車に乗っていたという。
「大阪・神戸方面から山陰本線の竹野駅に向かうルートはいろいろあるんです。福知山線、播但線、京都回り……。その一つ一つを自分の足で実際に確かめずにはいられませんでした。徳島に転居することが前から決まっていましたから、それまでに、できるかぎり辿っておきたかったのです。どこかで美輪に出会うんじゃないかという思いもあって……。竹野駅に着いてみたら雪が1メートルも積もっていたこともありました」
徳島に転居したあと、正一郎さんは仕事先で「うちは娘1人」で通してきたが、嶺子さんは近所の人に問われて、「下の娘は神戸に置いてきました」と答えた。娘は1人きりだなんて一度だって思ったことはない。毎日、蔭膳を据えている。「でも、こんなに長くなるなんて……」。
自分が至らなかったせいではないか。2人で暮らしていた時代の出来事だから、来る日も来る日も自分を責めた。徳島大学に近い自宅は、歩いていても若い学生と出会うことが多い。そのたびに学生時代の娘とだぶってしまう。
毎年真夏の8月には、夫とともに県警本部の行方不明者相談会にも出席してきた。そこでは毎回100枚近い写真を見せられる。全国の漂流死体、変死体のうち、若い女性のものだ。何年目かでとうとう耐えられなくなった。私が見たいのは、美輪の元気な姿なのに。以後は夫が1人で出席してくれるようになった。
その相談会に訪れるたび、正一郎さんは18年間毎年毎年訴え続けてきた。「拉致として捜査してください」と。
そして時は流れ、昨年9月17日。あの衝撃の小泉訪朝。その2日後、正一郎さんは直ちに徳島県警に拉致事件としての再捜査を申し入れた。地元新聞の取材を受け、実名公開にも踏み切った。特定失踪者問題調査会(民間の支援組織)も今年9月末、美輪さんのケースを「極めて拉致の可能性が高い」と認定するに到っている。
さらに、11月、両親は兵庫県警に容疑者不詳のまま「国外移送目的略取誘拐容疑」で告発状を提出。拉致事件として初動捜査からやり直してほしいと求めた。11月27日には正一郎さんが上京、内閣府・家族支援室で中山恭子参与に訴えた。
「ぜひ政府による拉致認定をしてください」
今年、神戸は阪神の18年ぶりの優勝で沸いた。その同じ歳月を秋田さん夫婦は、悲しみと苦しみのなかで過ごしてきたのだ。でも、母は信じて待ち続けている。
「おかあさん、遅くなって、ゴメンね」 ──あの日と同じ言葉とともに、娘・美輪がこの胸に戻ってくることを。
*写真は2004年7月4日に有楽町マリオン前で撮影しました。増元照明さんの選挙応援をされていた秋田美輪さんのお父さんです。(ブログに載っています)
*秋田美輪さん「拉致認定」への遠すぎた道のり aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/15543416.html
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| '04 8/22 朝霞講演会 高野美幸さん |
( 2006.3.14,火 ) |
*撮影したビデオカメラより文字化しました。 (多少読みやすいように変えております)
(藤田隆司さん) あの、配られた資料をですね、高野さんがもう非常に粘密に作ってくれた資料がございますので、この資料をご覧になりながら高野さんの話もよろしくお願い致します。
(高野美幸さん) こんにちは。ただ今紹介にあずかりました特定失踪者「高野清文」の妹の高野美幸と申します。家の家族がですね、「拉致ではなかろうか?」と思って申し出をしたのは、曽我ひとみさんが(拉致被害者として)出ていらっしゃった時にですね、まず名前が公開されていなかったので、私は家の兄の可能性を感じまして、「兄の名前を言ってくれ」と「高野清文と報道してくれ」というふうに祈りながらテレビの報道を見ておりました。
フタを開けてみれば曽我ひとみさんだったんですけれども、曽我さんみたいに政府の拉致認定がなくても拉致の被害に遭われている方がいらっしゃる、ということを認識しまして、今の特定失踪者問題調査会の方に申し出をしました。
*特定失踪者問題調査会 http://chosa-kai.jp/
それで私はその時にですね、1つの事件ではわからないけれども、1つ1つの失踪者の事件が重ね合っていけば、そこに何か糸が見えてきたり方向性が見えてきたり、拉致の可能性を示唆する物が出てくるのではないか?ということで申し出をした、という意図もありました。
その後ですね、藤田さんの方が後から特定失踪者問題調査会の方に申し出をされてきまして、調査会の間がありまして藤田隆司さんとお会いしてお話をしていく中で、私の方の資料の中にあります、“兄の関係にありそうな武蔵野地域の失踪事件”というかたちで藤田さんのお兄さん、そして私の兄、あと他に大学生の方が、公開されていない方もいらっしゃるということで4名になるようなんですけれども、あとは久米裕さんですね、拉致被害者でいらっしゃる、この辺の方たちが地域として、そして時期的にも非常に重なるものがあり、特に藤田さんのお兄さんと私の兄は年齢が一緒で、同じ年の春休み・夏休みにいなくなっているということで、非常に意図を感じております。
まぁ特に藤田さんは川口の方でも何名も失踪者がいらっしゃるということで、いろんな可能性があると思います。
ある方にちょうど「藤田さんのお兄さんの写真が出て来た」ということで、私も実は報道される前に調査会の方でたまたま写真を拝見する機会がありまして、見た瞬間というのがですね、お兄さんの写真よりも隆司さん、弟さん自身を思い浮かべまして「ああ、家族の絆とはこんなに何年も経っても深くつながっているものなんだなぁ」というふうに改めて感じました。
*'04 8/22 朝霞講演会 藤田隆司さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/14882253.html
それからですね、もう1点。私の方の資料で「大町ルート」というものが裏表紙になっているのですけれども、こちらは最近「川口の方からも失踪者が多い」ということで少し注目をしていただけるようになった資料なんですが、私も兄も長野県の出身です。「大町ルート」と聞いた瞬間にちょっと背筋が凍りました。
調査会で申し出をされてきた方を集めていきますと、この地図の上にあるようにたくさんの方がいなくなっていたり、拉致被害者になっているということを、私は頭の中に思い浮かべることができたんですけど、一般的にはなかなかご理解いただけないかなということがありましたので、図式化をしてみました。
*大町ルート 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
そして先ほど藤田さんもおっしゃいましたが、これだけたくさんの特定失踪者というかたちで出ている方がいらっしゃいます。北朝鮮の脱北者から出てきた写真が、あと「女性の方が4名と男性の方が8名いる」ということなんですが、現在このポスターの中でいる方で特定されている方はいません。そうなってきますと、本当にこの特定失踪者調査会に申し出てない方がいらっしゃるんじゃないか?ということも私たちも疑っております。
その一例としましてですね、私の兄が行方不明になる前に(伊豆七島の)新島でいなくなった女性がいます。そのことについては“新島で行方不明になった女性の情報を求めています”とこの資料に載せておりますので、見ていただければと思います。
あと私の田舎の方で「私の兄がいなくなっている」という話をしましたところ、実は近所でいなくなっている方がいらっしゃるようなんですが、その方のご家族も拉致の可能性も一応考えていなくはないようなんですが、「今ここで何を言っても、政府も警察も何もやってくれないじゃないか」という気持ちがどこかにあるようで、「調査会に申し出る気持ちもない」というようなお話もされています。
家族がいなくなってどうなっているか、行方不明になっていてわからない、という家族の人たちは、警察も政府も何も認めてもらえなければ、どんなに心苦しい気持ちでいることでしょうか。家の母親が(兄が)いなくなった時に「こんなに悲しい気持ちはどこの誰にもしてほしくない」というふうに言っていました。でも調査会に申し出ている方たちだけでも400名を超す方がいらっしゃるということがわかって、非常に心を痛めておりました。
そういった意味で特定失踪者の問題、これから拉致問題で同時に重なっていくことになります。皆さまにもこれからも関心を持ち続けていただければと思います。どうかよろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)
*KONAboration-SSQ 高野美幸さんのblog http://konaboration-ssq.seesaa.net/ *特定失踪者「高野清文」さん 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com/takano/ *'05 8/31 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」 拉致疑惑(4)〜(5) http://aoinomama13.seesaa.net/article/6644348.html http://aoinomama13.seesaa.net/article/6648618.html
*'04 8/22 朝霞講演会 高野美幸さん aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/15355213.html
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| '04 8/22 朝霞講演会 藤田隆司さん |
( 2006.3.13,月 ) |
*特定失踪者「藤田進さん」の写真が北朝鮮から流出したすぐ後の講演会です。
*撮影したビデオカメラより文字化しました。 (多少読みやすいように変えております)
皆さま初めまして。「藤田進」の弟の藤田隆司と申します。私の右におられますのが「藤田進」と同時期の昭和51年に失踪しました「高野清文さん」の妹さんです。
(高野美幸さん) 調査会のポスターでもちょうど右と左に兄が並んでおります。「高野清文」の妹の高野美幸です。(拍手)
高野さんには私の話の後にお話していただきますので、よろしくお願い致します。(高野さんは藤田さんの横でお話が終わるまでポスターを持って立っていました)
まずですね、つい2週間ほど前から私もテレビに頻繁に出るようになりまして、うちの兄らしき人物の写真がですね、北朝鮮から流出して、その写真を私が見ましたのが7月6日(2004年)だったんです。
*写真は、7月4日の増元さんの有楽町マリオン前での街宣演説に、応援に来られた藤田さんです。川口駅前で署名活動を終えてこちらに参加されました。(ブログに載っております)
ちょうど参議院議員の選挙期間中でしたね。調査会の荒木代表から「写真を持って来てくれ」と「できれば原板に近いものをできれば多く持って来てくれ」という突然の電話があったんですね。それで「何故急にそんな話をしてくるのかな?」と最初はですね、何の疑問もなかったんです。「新しいポスターでもまた新しく作るのかな?」というふうな軽い気持ちで調査会に行ったんですが。
まぁ「夜でもいいからすぐ来てくれ」というふうな話だったものですから「これはもしかして何か新しい情報が入ったんじゃないかな?」ということで7月6日の夜にですね、東京にある調査会に行きましたところ、この写真ですね(写真を見せる)をTBSの方から「見てくれないか」と「もしかしてあなたのお兄さんではないですか?」という話がありまして、その時に初めて見たわけです。
*'04 8/1 TBS「報道特集」 http://aoinomama13.seesaa.net/article/4093824.html
*写真は講演会後に撮らせていただきました。(ブログに載っております)
その時のこの写真の印象がですね、私が記憶している家の兄、こちらですね(学生時代の写真)今から28年前、まぁ撮った時は29年くらい前の写真なんですが、私が記憶している写真とはとても思えなかったんですね。まぁ人間何度か人生の中で人相が変わると言いますが。
*写真は講演会後に撮らせていただきました。(ブログに載っております)
この写真はですね、聞くところによると「失踪して約10年ぐらい後の写真であろう」ということでしたから「人間10年くらい経てば多少の人相は変わるんではないかな?」というふうに思っていたもので、しかも私と兄の顔つきがですね、小さい頃からずいぶん違った顔だったんですね。だもんですから、とても家の兄がこういうふうなね、顔になるとはとても思えなかったんで、最初は「家の兄ではない」というふうに思ってしまったんです。
ところがその後ですね、調査会の荒木代表とそれからTBSの記者さんにですね、“口の形”それから“鼻の形”“耳の形”“ほくろの位置”というところまで指摘されて、(写真を)同じ大きさにしたわけですね。で、こういう明かりのところにかざして、2つの写真をこう合成したわけですよね。それを見せられましたら見事にほぼ一致したわけです。
その時に“目”がですね、私が記憶している兄というのは一重だったんですね。ところがこの写真、新しく出てきたこの写真の“目”というのは二重なんですよね。どう見ても二重なんです。ですから一重が二重になるなんていうことは、私は「ない」と思っていたものですから「兄ではない」というふうに思っちゃったんですね。
ところがその後先生たちとか話を聞きますと、家の兄は「奥二重だった」と。「実は一重に見える奥二重で、年とともに二重になることはよくあるんだ」ということを指摘されたんです。
その他にも家の兄特有の特徴、要するにケガの痕ですね。あの、左の眉毛のこの傷がですね、私が持っていた昔のうちの兄の写真、どれにも傷が付いているんです。そしてこの新しく出てきた写真の中にもですね、家の兄の特徴であるここの目の眉の傷が同じ位置にあるわけですよね。ということは「どう考えても本人以外にありえないだろう」ということで、私が思っていた兄貴ではなかったのですが。
7月6日に初めてこの写真を見せられまして、東京医科歯科大学の橋本先生という専門の先生がおりまして、その先生に鑑定をお願いしました。そして7月28日に「ほぼ同一人物である」ということの中間報告をいただいたんですね。
正式な(鑑定)書類はその時はまだもらっていなかったんですが、まぁ「専門家というのは100パーセント同一人物とは言わない」と「どんなに一致していても言わないもの」だということです。報告の中では「同一人物」まぁ色んな表現がありますが「同一人物とみて間違いない」とか「問題ないであろう」とか、あるいは「その可能性が高い」とか色んな表現がありますが、まぁとにかくもう「同一人物である」ということを口頭ではっきり言っているわけです。
それでその時点で私は確信というか、もう正に私が「拉致ではないかな?」と疑っていた部分が確信に変わったわけですね。その後8月1日にTBSの「報道特集」によって、日本全国の方々にその「1枚の写真が出てきた」と放送されたわけですね。
そして8月9日に改めて正式な鑑定書類をですね、橋本先生(橋本正次助教授)の方から説明とともにそれをもらってきた、という経緯でございます。
それでですね、私が今日ぜひとも皆さまに訴えたいことは、あくまでも私の兄というのは、拉致被害者であろう多くの人たちの氷山の一角である、というふうに私は思っているんです。
というのはこちら(ポスター)にもありますように、いわゆる特定失踪者なんですが、拉致以外に失踪理由が非常に考えにくい、だけども拉致被害者とは言い切れないその他の可能性も若干残っている方々ですね、そういう方々を今特定失踪者と呼んでいるわけです。そして今届け出がある、把握されている人数というのは日本全国で400名(2004年8月当時)にも及ぶわけです。その中の私の兄は1人なんです。
調査会に兄弟や親がいれば届け出はできます。ところが届け出ができない方々もおそらく当然いるはずです。(親兄弟が)亡くなっていれば当然届けられない。そして身寄りのない人は届けようがない。現に「原敕晁(はら ただあき)さん」とか「田中実さん」みたいな方もいるわけです。家族がいなければ届けられないんです。ということは、この方々の他にもおそらく相当数の拉致被害者というのがいるんであろう、というふうに私は確信しています。
*原敕晁さん拉致の全容 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com/nenpyo/siryo03.html *'05 5/1 TBS「報道特集」《16人目の拉致被害者》 http://aoinomama13.seesaa.net/article/3276673.html
ですからこの兄の件を突破口にしまして、ぜひとも拉致問題の全容を、とにかくこれからの日本の総力をあげてですね、解明していただきたいと思っております。それと同時に、今北朝鮮のどこかで助けを求めているであろう多くの拉致被害者を、何としても元の日本の国に戻してあげたい。家の兄も当然、失われた奪われた28年間を早く日本に戻って取り戻して欲しいんです。
私の兄だけではなく、まだまだ多くの方々がいます。日本政府にお願いして何とか「拉致被害者として認定してもらいたい」と思っていますが、未だに日本政府は「まだ材料が足らない」と言っているわけです。
これ以上私たちがどんなね、どんな証拠をこれから探すことができるんでしょうか?この写真にしたって、あくまでも国内からの情報ではないわけですね。脱北者からの、たまたまあるルートを通じて入手できた写真と、私が届けていた家の兄の写真が照合したらたまたま一致しただけの話なんです。
ですから、これから我々一市民がね、「日本国内で拉致されたんだという証拠を突き付けろ」と言われても探しようがないんです。当然いなくなった当時に、その当時の警察の方々の総力をあげても探せなかったわけです。何の証拠も出てなかったんです。あれから数十年経って「もう一度証拠を探せ」と言われても探しようがないんです。これがほとんどの特定失踪者の家族の気持ちだと思います。ですから私の兄の件が大きく取り扱われていますが「まだまだ氷山の一角である」ということをぜひとも皆さんに知っていただきたいと思います。
それと、ほとんどの“北朝鮮による拉致”というのは日本国内で行われているわけですね。で、ほとんどはまぁいわゆる完全犯罪ですよね。証拠を残さないで見事に人をさらって行ったと。それが成功したわけです。それでほとんどの方は、その消えた自分の家族に原因があったんじゃないか、自分から進んで家を出て行ったんではないか、自殺したんではないか、と自分自身をずうーっと責めてきたわけです。そして自分の家族をずうーっと責めてきたわけです。
ところがその他の理由もいろいろ考えられましたが、数十年間拉致以外のことはほとんど考えたんですが、拉致だけは考えなかったわけなんですね。「まさかそんなことを北朝鮮という国がするはずないだろう」と思い込んでいたわけです。ところがその思い込みというのは大きな間違いであった、ということがここ2〜3年の報道によって明らかになったわけですね。
今帰って来ているご家族5人(2004年8月当時)と言うのは、本当に「氷山の一角」でありまして、まだまだ拉致被害者というのは日本全国にありとあらゆる所にいるんだと、そして今も北朝鮮のどこかでひっそりと日本に帰れる日をおそらく待っているであろう、と私は思っております。
ぜひとも今後とも皆さまの応援と支援と、それから協力をよろしくお願いしたいと思います。ありがとうございました。(大拍手)
*'04 4/4 第13回大宮講演会 藤田隆司さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/11530018.html
*'04 8/22 朝霞講演会 藤田隆司さん aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14882253.html
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| アップルパイでカンパイ |
( 2006.3.12,日 ) |
あおいのママは今日“アップルパイ”を作りました。昨日は私たちの結婚記念日だったのですが、ケーキの代わりに出来たてパイでお祝いしたかったので、パパの帰りを待ちました。(昨日はお仕事でした)でも遅くまでかかってしまったので、今日アップルパイを焼くことにしました。
以前はパイ生地を自分で作っていたのですが、最近は手抜きになってしまって、冷凍のパイ生地を利用しています。パイシート1枚を半分に切って、甘酸っぱい煮リンゴを作りそれをはさんで、卵黄をぬり、オーブンで焼きます。
15分くらいで焼きたてアップルパイが出来ました。コーヒーを入れてパイと一緒に「いただきま〜す!」とってもおいしかったです。(^^)
パパ、結婚記念日おめでとう。これからもずっと仲良くしていこうね。カンパ〜イ!!
*アップルパイでカンパイ aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14721028.html
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| 部屋とYシャツと私 |
( 2006.3.11,土 ) |
*今日は私たちの結婚記念日です。
【平松愛理 〜シングルより〜】
お願いがあるのよ あなたの苗字になる私 大事に思うならば ちゃんと聞いてほしい 飲みすぎて帰っても 3日酔いまでは許すけど 4日目 つぶれた夜 恐れて実家に帰らないで 部屋とYシャツと私 愛するあなたのため 毎日磨いていたいから 時々服を買ってね 愛するあなたのため きれいでいさせて
いつわらないでいて 女の勘は鋭いもの あなたは嘘つくとき 右の眉が上がる あなた浮気したら うちでの食事に気をつけて 私は知恵をしぼって 毒入りスープで一緒にいこう 部屋とYシャツと私 愛するあなたのため 毎日磨いていたいから 友達の誘うパーティー 愛するあなたのため おしゃれに行かせて
大地をはうような あなたのいびきも歯ぎしりも もう暗闇に独りじゃないと 安心できて好き だけど もし寝言で 他の娘の名を呼ばぬように 気に入った女の子は 私と同じ名前で呼んで ロマンスグレーになって 冒険の人生 突然 選びたくなったら 最初に相談してね 私はあなたとなら どこでも大丈夫
もし私が先立てば オレも死ぬと云ってね 私はその言葉を胸に 天国へと旅立つわ あなたの右の眉 看とどけたあとで 部屋とYシャツと私 愛するあなたのため 毎日磨いていたいから 人生の記念日には 君は綺麗といって その気でいさせて
*部屋とYシャツと私 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14626377.html
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| '05 10/19 ウィーン・ピアノデュオ・クトロヴァッツ・コンサート |
( 2006.3.9,木 ) |
あおいのママとパパは昨年('05年)10月19日に東京文京区にある文京シビックホール(大ホール)で行われたクトロヴァッツ兄弟のピアノコンサートに行ってきました。主催は「礫川(れきせん)おやじの会」、後援は「オーストリア大使館」「財団法人日本青年館」です。
*礫川(れきせん)おやじの会 http://www.oyaji.gr.jp/info.htm *文京シビックホール http://www.b-civichall.com/
★クトロヴァッツ兄弟の紹介★
兄:ヨハネス・クトロヴァッツ 1962年 ブルゲンランド州アイゼンシュタット市に生まれる 1980年 国立ウィーン音楽大学入学 ピアノ、クラリネット、指揮法を学ぶ 1985年 同大学教授として教鞭を取る
弟:エドワード・クトロヴァッツ 1963年 ブルゲンランド州アイゼンシュタット市に生まれる 1981年 国立ウィーン音楽大学入学 ピアノ、打楽器、指揮法を学ぶ 1986年 同大学教授として教鞭を取る
《2人の主な受賞歴》 1985年 オーストリア文部省名誉大臣賞受賞 1986年 イタリア/ストレサ 国際ピアノデュオコンクール金賞受賞 1986年 オーストリア/ブルゲンランド 文化奨励賞受賞 その他、受賞歴多数
《2人の主な演奏会場》 ウィーン学友会館、コンツェルトハウス、ロンドン・ウィグモアーホール 東京・サントリーホール、ニューヨーク・カーネギーホール、等
このコンサートのチケットは、パパの会社の取引先から手に入れることができました。当日、会場の大ホール1800席はいっぱいになり、私たちはこんなに大勢の方が来るなんて思ってもみなかったので本当に驚きました。
あおいのママは子どもの頃ピアノを習っていました。「ピアニストになりたい」なんて小学生の時大それた夢を見ていたこともありました。(今思えばはずかし〜)中学生になって自分の才能の限界に気づき挫折しましたが、20年以上前に弾いていた曲を今でも弾けるんですよ〜!子どもの頃に弾いていた曲は、何十年経っても指がちゃんと覚えているものなんですね。自分でもビックリです。
前からピアノコンサートに行きたかったのですが、パパは「クラシックは眠くなるから・・・」ってあまり乗り気ではありませんでした。でも今回思わぬところからチケットを手にできてとてもうれしかったです。パパ、ありがとう。 (^^)
★プログラム★
1.フランツ・リスト:交響詩「マゼッパ」 2.アストル・ピアソラ:3つのタンゴ @ル・グラン・タンゴ Aアディオス・ノニーノ Bリベルタンゴ
(休憩15分)
3.ジャズ・パラフレーズ @デューク・エリントン:A列車で行こう Aジョゼフ・コスマ:枯葉 Bカルロス・ジョゼム:ディサフィナード Cエドワード・クトロヴァッツ:エスプレッソ・プロント 4.ジョージ・ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
専用のホールで聴くピアノの音の響きはとってもステキで、またユーモラスな弾き方そして見せ方も上手で、私たちは引き込まれていきました。途中、地震が起きたのですが、弾きながら「あっ、地震だ!」ってな感じで、特に動揺することもなく弾き続けてくれました。そして席に座っているお客さんが不安にならないように、プログラムにない(と思いますが)明るい楽しい曲を弾いてくださっていました。
最後は日本の童謡を四季に合わせたメドレー。アンコールも3回くらいありましたが、何だか名残惜しい感じでした。もっと聴いていたかったなぁ〜。本当に夢のような時間でした。
コンサートが終わった後、後援の日本青年館の皆さまにご挨拶をして会場をあとにしました。ちなみに次の日('05 10/20)に日本青年館で「韓国人拉致被害者も救うぞ!東京連続集会12」があり、ママもパパも参加したのですが、その時に「あれっ、今日も会ったね」と声をかけられました。本当にすばらしいチケットをありがとうございました。
文京シビックホールの近くに後楽園があるので、ラクーアと東京ドームを少しぶらぶらしながら帰りました。写真はその時のもので、とてもキレイだったので撮りました。(ブログに載っています)
以前は東京ドームの外野席で巨人戦やオリックス戦を観るために徹夜して並んだものですが、そういえば全席指定になってからずいぶんと観戦していません。何年経つのかなぁ。「またドームで野球を観ようか」なんて言いながら、久しぶりにドームの周りを歩きました。
*東京ドームシティ LaQua(ラクーア) http://www.laqua.jp/map/index.jsp
あわただしい毎日の中で、たまにはこんなふうにコンサートに行ったり、キレイな夜景を見たりして、心が満たされる感動するそんな時間を過ごせたらいいなと思いました。
*'05 10/19 ウィーン・ピアノデュオ・クトロヴァッツ・コンサート aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14581708.html
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| 3/5 TBS「報道特集」北朝鮮ニセ札疑惑(1) |
( 2006.3.8,水 ) |
*3/5 TBS放送の「報道特集」を文字化しました。
北朝鮮で作られたという100ドル札。怪しく輝く液体。金日成主席の頭髪との関連が・・・。
《独占解明!頭髪に秘密が・・・北朝鮮とニセ札の接点》
【司会者・田丸美寿々さん】 続いての特集も北朝鮮です。あさって(3月)7日、ニューヨークで米朝協議が開かれますけれども、ここでの最大の争点は“北朝鮮による偽ドル製造疑惑”です。今回私たちは中朝国境で100ドル札を入手しました。で、それを詳細に調べていきますと、ドルの偽造と北朝鮮を結びつける興味深い物証にたどり着きました。
《独占解明!北朝鮮ニセ札疑惑》
【ナレーター】 中国から届いた一通の電子メール。それは3年に渡り追跡してきた“偽造アメリカドル札”に関する情報だった。100ドル札の写真が1枚。ニセ札だという。私たちは情報提供者のもとへ向った。
(中国 '05年11月)密貿易業者や脱北者らの越境があとを絶たない中朝国境地帯。張り詰めた空気。中国のとある駅で、カメラは列車で大移動する中国人民解放軍兵士をとらえた。近年、中国は北朝鮮の有事に備え、新たに戦闘能力の高い兵士を10万人以上も国境周辺に投入したといわれている。
私たちが目指す先は、中朝国境地帯の奥深い地方都市トモン(図們)。列車を降り、バス・タクシーと乗り継ぐ。高い塀に囲まれた建物は“トモン(図們)収容所”。脱北者の多くはここに収監され、後に北朝鮮に送り返されるという。その北朝鮮が間近に迫る国境の街、トモン(図們市)に到着した。
【記者】 階段を上るとこうした観光地になっています。みんな望遠鏡で見てます。
【ナレーター】 観光客が覗き込む望遠鏡のその先に北朝鮮がある。(北朝鮮・南陽)国境の橋の向こう側では、故金日成主席の肖像画が住民を見下ろしていた。望遠鏡を覗くと、銃を持った北朝鮮の国境警備兵が行進していた。観光客の呼びかけに北朝鮮の兵士が答えることはなかった。
川をはるかにさかのぼると、そこは麻薬などの密貿易地帯である。川が凍るこの季節、密貿易や脱北者らがあとを絶たないという。
【記者】 北朝鮮の山が目の前にあります。
【ナレーター】 3年前(中国 '03年)私たちはこの場所で「北朝鮮製のニセドル札を受け取る」という中国人密貿易者に同行した。現れたのは、凍った川を渡って中国側に密入国した北朝鮮の現役兵士だった。
【中国人密貿易者】 何枚持って来たんだよ。
【北朝鮮兵士】 3枚です。
【ナレーター】 北朝鮮の兵士が中国人密貿易者に何かを手渡した。旧100ドル札が数枚。北朝鮮製のニセ札だという。
【記者】 北朝鮮では誰がニセ札を使うのですか?
【北朝鮮兵士】 会社です。
【記者】 貿易会社とかですか?
【北朝鮮兵士】 はい。
【ナレーター】 後日、この旧100ドル札は「質の悪いニセドル札」と鑑定された。密貿易の決済にニセ札が使われたことになる。
これまで世界各地で数多く確認されている旧100ドル札のニセ札。90年代半ばから大量に出回っていたのが通称「スーパーK」と呼ばれるニセ札だ。この「スーパーK」の製造には“北朝鮮の国家ぐるみの関与”が指摘されてきた。「スーパーK」の印刷精度は非常に高く、当初は本物との判別は困難を極めた。
だが今回、我々のもとに送られて来たのは新しい100ドル札の写真。高度な偽造防止技術が導入され、偽造は困難とされてきた。本当にニセ札なのか?
その真偽を確かめるべく、私たちは情報提供者との接触を試みた。やって来たのは中国のとある街。寂れたホテルのロビーで、情報提供者が現れるのをひたすら待ち続けた。
やがて現れたのは「北朝鮮との闇取引きをしている」という中国人密貿易者のグループ。一人がおもむろに白い封筒を取り出した。「北朝鮮から待ち出した」という100ドル札が3枚。すべてニセ札だという。光にかざすと“すかし”が確認できた。見る角度で色の変わる特殊インクで印刷された「100」の文字を本物のそれと比べてみる。違いはわからない。
肉眼での判別は諦め、持参したループで覗いて見る。偽造防止のための“安全線”と呼ばれる特殊文字が見事に印刷されていた。また、特に偽造が難しいとされている“マイクロ文字”。「USA100」もはっきり確認できた。画面左が本物のマイクロ文字。その差は見た目ではわからない。
これは本物ではないのだろうか?中国人の密貿易者を問いただすと男は「この100ドル札は北朝鮮で製造されたニセ札だ!」と主張した。
北朝鮮国内で、このニセ札を受け取った際に撮影したというビデオテープがあった。映し出されたのは金親子の肖像画。白い封筒から取り出された3枚の100ドル札。
【中国人密貿易者】 「こんなによくできているニセドル札は見たことがないですよ。本当によくできていますね。」
【男】 「本物と同じだよ。」
【ナレーター】 一瞬、北朝鮮の男性と思しき姿が映った。
【男】 平壌で製造したものを持って来たんだ。
【中国人密貿易者】 これは直接平壌に行って購入したものですか?
【男】 その通り。
【中国人密貿易者】 保衛部の人間から買ったと言っていましたね?
【男】 そうだ。
【ナレーター】 北朝鮮製のニセ100ドル札。本当だろうか?札の番号は「DE04948139A」。今回、私たちに提供された100ドル札の番号と一致した。中国人の密貿易者がニセ100ドル札について語った。
【中国人密貿易者】 中国でも北朝鮮でもたくさんニセドルを見たことがある。海岸で海産物を買う時にニセドルが使われているよ。素人には(本物とニセ札の)見分けはつかないな。
【ナレーター】 さらに「ニセ100ドル札は日本国内にも入り込んでいる」という。
【中国人密貿易者】 北朝鮮では貿易をする時、例えば日本との海産物の貿易でもニセドルが使われているよ。
(2)に続く
*3/5 TBS「報道特集」北朝鮮ニセ札疑惑(1) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14414118.html *3/5 TBS「報道特集」北朝鮮ニセ札疑惑(2) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14441708.html *3/5 TBS「報道特集」北朝鮮ニセ札疑惑(3)最終です aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14488506.html
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| 3/5 TBS「報道特集」届け!亡き母の声(2) |
( 2006.3.7,火 ) |
*3/5 TBS放送の「報道特集」を文字化しました。
〜北朝鮮へのラジオ放送 届け!亡き母の声〜
金総書記の誕生日に行われたスポーツ大会とは。同じ頃、母親の一周忌を迎えた家族がいた。拉致の可能性がある妹。「よく頑張ったねぇ」。母の言葉をあの国に向け放送したい。北朝鮮へのラジオ放送。亡き母の声は届くのか。
*3/5 TBS「報道特集」届け!亡き母の声(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/14272336.html
続き
《北朝鮮へ!亡き母の声を》
【ナレーター】 金総書記の誕生日、その4日前・・・。東京にあるビルの一室では・・・。(東京・文京区2月12日)
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 よろしくお願い致します。
【ナレーター】 生島馨子(けいこ)さん。1972年に東京で失踪した生島孝子さんの姉だ。孝子さんは特定失踪者問題調査会が“北朝鮮による拉致の可能性が濃厚”としている1人である。
ここは「北朝鮮にいる拉致被害者を激励し救出しよう」と始まった短波放送“しおかぜ”のスタジオ。生島馨子さんは妹・孝子さんへのメッセージを録音するために訪れていた。“しおかぜ”は家族から託されたメッセージだけでなく、家族自身の声も録音し放送している。
*しおかぜ通信 http://www.senryaku-jouhou.jp/shiotsuu.html
【横田めぐみさんの母・早紀江さん】 「北朝鮮にいる横田めぐみちゃん、元気にしていますか?お母さんですよ。あなたがいなくなって長い間本当に捜しました・・・。」
*横田早紀江さん しおかぜ録音 「電脳補完録ーこの声を聞け」より http://trycomp2.seesaa.net/article/10932137.html
【ナレーター】 横田早紀江さんを始め、多くの拉致被害者家族の声が北朝鮮に向けて流されている。
録音の前にテレビモニターを見つめる生島馨子さん。映し出されていたのは母・うらさんの姿だった。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 あの寝巻きを着ている時だからあまり調子が良くなかったのかなぁ・・・、(母・うらさんの)舌が良くまわらない・・・。
【ナレーター】 去年(2005年)の2月7日、一緒に孝子さんの帰りを待っていた母・うらさんが99歳で亡くなった。一周忌を迎え馨子さんは「自分の声だけでなく、亡き母の声も一緒に録音したい」という希望を持っていた。そこで、2004年に放送した「報道特集」のインタビューから、うらさんの生前の声を選ぶことになった。
電話交換手をしていた生島孝子さんは(1972年)31歳の時、東京渋谷区のアパートから出かけたまま姿を消した。一昨年(2004年6月韓国・ソウル)、平壌で孝子さんによく似た女性と会話したという人物が現れた。韓国人経済学者オ・ギルナム博士。85年から1年間平壌で生活していた。
【オ・ギルナム博士】(2004年10月放送VTR) この写真とこの写真、この写真はみんな繋がります。こういう姿の人を私は一度見たことがあるんです。繋がります。
【ナレーター】 馨子さんは、オ博士から聞いた孝子さんの目撃情報を母・うらさんに報告した。その時撮影されたのがこのインタビューだ。
【生島孝子さんの母・うらさん】(2004年10月放送VTR) よく頑張ったねぇ・・。きっと苦労したんだろうねぇ。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 見つかってこっちに帰って来てくれるといいね。
【生島孝子さんの母・うらさん】 うん、ああ、帰れるようになればね。
【ナレーター】 この8ヵ月後、うらさんは帰らぬ人となった。母の最後のインタビュー。どの声を選べば良いのか・・・。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 母が「孝子に会いたがっていた」ということだけは伝わるといいと思いますね、孝子にね。
「ターちゃん、今どのように暮らしてますか?ターちゃんが帰って来るまでお母さんを守りきれなくてごめんね・・・。ターちゃんとお母さんの最後の会話は・・・。」
【ナレーター】 収録は2時間以上に及んだ。翌日(2月13日東京・新宿区)馨子さんは母・うらさんとよく散歩した場所を案内してくれた。そこで明かされたうらさんの娘への思いとは・・・。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 もう一回ね、見させてあげたかったなぁと思いますよね・・・。
*'05 3/13 TBS「報道特集」特定失踪者のご家族『時間がない』 http://aoinomama13.seesaa.net/article/3537239.html
《拉致!娘へ・・・母の思い》
【ナレーター】 北朝鮮にいる拉致被害者に向けた短波放送“しおかぜ”。収録の翌日、生島孝子さんの姉・馨子さんは母・うらさんとよく散歩した場所を案内してくれた。押していたのは、うらさんが長年使っていた車椅子だった。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 どこへ行くでもこの車椅子を使って行っていました。
【取材者】 最後亡くなる寸前というのもやっぱりこうやって馨子さんが押して、ずっとこう川の所を散歩されていたんですか?
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 えーとね、最後は12月でしたね。(母は)自分はまだとっても「死ぬ」なんて思っていないから、一生懸命声を出して、ここ、こうやって二人で(私が)車椅子を押しながら歌を歌っていたんですよね。
【ナレーター】 最後の散歩。二人は童謡などを歌いながら歩いたという。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 ここは桜がすごくきれいな公園なので、桜の時期は朝晩二回歩いたことがありますね。もう一回見させてあげたかったなぁと思いますよね。
【ナレーター】 馨子さんはある写真を見せてくれた。母・うらさんが「旅行に行く」と言っては孝子さんを捜し回っていた時の写真だ。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 「北の方にいる」と占い師から言われたので、まず東北・北海道から(捜索を)始めたんですよね。
【ナレーター】 北海道から始まったあてもない捜索は、ついには奄美大島まで全国に及んだ。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 「どこかで働いていて、ひょっと会えるんじゃないかな」って期待をしていたんじゃないでしょうかね。
【ナレーター】 杖をつき、全国を捜し回っていたうらさん。「娘に会いたい・・・」しかし母の願いはかなわなかった。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 (母が亡くなって)1年の間にだんだんと「孝子が帰って来るのは時間がかかるんだなぁ」っていう実感がわいてきたんですよね。あの、この1年、ほとんど拉致問題前進していない中で母の命が亡くなったんだと思うと・・・。
【ナレーター】 今は亡き母の声が北朝鮮に向け放送される。
《北朝鮮へ届け!母の声》
【ナレーター】 2月19日(東京・新宿区)、放送当日。ラジオに耳をかたむける生島馨子さん。午後11時・・・。雑音交じりで“しおかぜ”は始まった。
「絶対に帰れるから・・も頑張ってね」「私もお兄ちゃんと必ずまた会えることを信じていこうと思います」(家族の声が流れる)
家族や友人らのメッセージが続く。
「1972年に失踪された生島孝子さんへ、お姉さんの馨子さん・お母さんのうらさんからのメッセージです」(調査会・荒木代表)
「ターちゃん、今どのように暮らしてますか?病気もしないで元気に過ごしていますか?突然ですが驚かないでくださいね。お母さんは昨年、ターちゃんを待ちくたびれて99歳で亡くなってしましました。あることから北朝鮮にいるらしいと知ってこんなふうに言ってましたよ。
(母・うらさん)『よく頑張ったねぇ。きっと苦労したんだろうねぇ。』 (姉・馨子さん)『帰って来てくれるといいね』 (母・うらさん)『うん、帰れるようになればね』 (姉・馨子さん)『105歳まで生きなきゃならないのかな』 (母・うらさん)『あと5年・・・』 (姉・馨子さん)『あと5年頑張れるかな』 (母・うらさん)『5年なんて頑張れない。あと1年くらい・・・』
お母さんは『私が生きているということを伝えたい』と言っていました。ターちゃんが帰って来るまでお母さんを守りきれなくてごめんね・・・。この放送を聞いた方で孝子に心当たりがある方は、母が亡くなったことを知らせてやってください。お願いします。」
「ただ今お聞きいただきましたのは、昭和47年、1972年に失踪された生島孝子さんのお姉さんの馨子さんとお母さんのうらさんからのメッセージでした。」(調査会・荒木代表)
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 良かった・・・、声を聞かせられるだけでも・・・。(涙ながらに)本人が聞いてくれることが理想だけれども、無理かなぁ・・・。
【ナレーター】 金総書記の誕生日から3日、北朝鮮にうらさんの声はどう伝わったのだろうか・・・。
【生島孝子さんの姉・馨子さん】 (孝子が)聞かなくても、きっと孝子の心の中にはね、母の声が届いているんじゃないかな・・・。そう信じていますね、私は。
《亡き母の声よ届け!北朝鮮への放送》
【司会者・田丸美寿々さん】 実は、生島孝子さんの姉・馨子さんは、亡くなったうらさんの遺骨の一部を“人工ダイヤ”に加工して保管していらっしゃいます。ネックレスにしているそうなんですけれども、いつの日か孝子さんが帰って来た時、お母さんそのものであるそのネックレスを孝子さんに渡したい、と話していらっしゃいます。
*'05 6/30 テレビ朝日「スーパーモーニング」 《遺灰ダイヤモンド物語》 http://aoinomama13.seesaa.net/article/5112150.html
ラジオ放送の“しおかぜ”は毎日放送されています。馨子さんは本人に伝わらなくても、せめて聞いた誰かが孝子さんに情報を伝えてくれれば、とおっしゃっているんですが、本当に家族の必死の思いが伝わってきます。
先日、拉致の実行犯として辛光洙(シン・ガンス)容疑者、そしてチェ・スンチェル容疑者、二人が国際手配となりました。やはり遅きに失した感はあるんですけれども、こうして少しずつでも前に進めていくしか今方法はありません。
*元工作員2人 拉致で国際手配 News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50080267.html
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*3/5 TBS「報道特集」届け!亡き母の声(2) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14349935.html
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| 3/5 TBS「報道特集」届け!亡き母の声(1) |
( 2006.3.6,月 ) |
*3/5 TBS放送の「報道特集」を文字化しました。
〜北朝鮮へのラジオ放送 届け!亡き母の声〜
金総書記の誕生日に行われたスポーツ大会とは。同じ頃、母親の一周忌を迎えた家族がいた。拉致の可能性がある妹。「よく頑張ったねぇ」。母の言葉をあの国に向け放送したい。北朝鮮へのラジオ放送。亡き母の声は届くのか。
《北朝鮮への放送 オリンピック中何が?》
【司会者・田丸美寿々さん】 こんばんは。「報道特集」です。さて、北朝鮮にいる拉致被害者に向けたラジオの短波放送“しおかぜ”、これにつきましては以前「報道特集」でもお伝えしましたけれども、先月行われたあのトリノオリンピックの最中、ある家族が北朝鮮に向けメッセージを発信していました。それはどんなメッセージだったのでしょうか。そしてその頃、北朝鮮では何が起きていたのでしょうか。
*しおかぜ通信 http://www.senryaku-jouhou.jp/shiotsuu.html
《オリンピック最中の北朝鮮》
【ナレーター】 イタリア・トリノで冬季オリンピックが開催されていた2月(16日)、平壌にある体育館でも華やかな衣装に身を包んだスケート選手たちの姿があった。中央にある2月16日を祝う文字。(慶2・16祝)
【場内アナウンス(男性の声)】 「ただいまより、我が党と人民の偉大なる指導者・金正日同志の誕生日を祝う第15回白頭山賞国際フィギュアスケート大会の閉会式を行います。」
【ナレーター】 この日は金総書記64歳の誕生日。それを祝うフィギュアスケートの国際大会が開かれていた。映像はある日本人旅行者が撮影したものだ。
【場内アナウンス(女性の声)】 「まずはわが国の女子シングル、リム・へヨン選手です。」
(演技と曲の映像)曲が流れる・・・。 「♪金正日将軍様 私たちのお父様♪」
【ナレーター】 華麗な滑りを見せる北朝鮮の選手。曲はもちろん金総書記を称えるものだ。
【場内アナウンス(女性の声)】 「カザフスタンの女子シングル、ナジェジュダ・バレツカヤ選手です。彼女は2005年国内選手権で優勝しました。」
【ナレーター】 参加しているのは各国を代表する有名な選手だと言うが・・・?それでも1万人入る会場は満員だった。こんな質問をしてみた。
【日本人旅行者】 「オリンピック今やっているの知ってます?」
【北朝鮮ガイド】 「どこで?あっ、中国で?」
【ナレーター】 この日の平壌では様々な祝賀行事が行われていた。
【日本人旅行者】 「何か日本の盆踊りみたいだねぇ。」
【ナレーター】 中心部の広場では大規模な舞踏会が開かれていた。(慶祝舞踏会)
市内の展示会場。場内を埋め尽くす赤や白の花。ここは金総書記を称える花、“金正日花”の展示会場だ。(第10回金正日花祝典)
【花の出品者】 「私ども観光局では、偉大なる将軍様の誕生日を迎え、この展示会に忠誠の心を込めて育て上げた花を出品しました。」
【日本人旅行者】 「外まですごいですねぇ・・・。溢れている。」
【ナレーター】 人の列は会場の外まで続いていた。さらに真冬にもかかわらず、こんなスポーツの大会まで開かれていた。“水中バレエ”と書かれているが(ポスターに“水中バレエ発表会”)シンクロナイズドスイミングのようだ。しかし私たちが見慣れた競技とは少し違う。プールに入ったのは100人を超す選手たち。(大きな“金正日花”を手に持って)一糸乱れぬマスゲームを繰り広げる。この会場も満員だ。
(会場内垂れ幕) 「偉大なる指導者・金正日同志に最大の栄光を差し上げます」
この日、平壌は金総書記の誕生日に沸いていた。
《拉致!娘と亡き母》
同じ頃東京。(2月)拉致された疑いがある娘を待ちながら亡くなった母親。その一周忌を迎えた家族がいた。
「ターちゃんが帰って来るまでお母さんを守りきれなくてごめんね・・・」
(2)に続く
*3/5 TBS「報道特集」届け!亡き母の声(1) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14272336.html
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| 2/26 TBS「報道特集」安倍晋三氏“拉致にかける思い” |
( 2006.3.5,日 ) |
*2/26 TBS放送の「報道特集」の一部を文字化しました。
《拉致にかける思い》
【ナレーター】 安倍氏は“故郷”を自らの集会でも合唱した。しかしその時に思ったのは「北朝鮮に拉致された被害者の一日も早い帰国」だという。安倍氏は政治の表舞台に出て日が浅いが、拉致問題への取り組みはアピールできる政治課題の一つだ。
【弟・岸信夫参院議員】 (晋三氏の長所は)日本人としてしっかりとした国家観を持っているところだと思いますね。例えば“北朝鮮の拉致の問題”ですよね。まぁ政治家というのは、もちろんしっかりした考えを持って口に出さなきゃいけないと思うのですけど、それを「いかに実行していくか」ということが何よりもまして重要なことだと思いますから。
【ナレーター】 安倍氏が拉致問題を知ったのは今から18年前。父晋太郎氏の秘書の時だ。それは偶然から始まる。
〜北朝鮮からの石岡亨さんの手紙〜 『家族の皆さま方、無事におられるでしょうか?途中で合流した有本恵子君共々、3人で助け合って平壌市で暮らしています。』
88年9月、北朝鮮からこんな手紙が届いたことを有本明弘さん夫婦は知らされる。5年前に「帰国する」という手紙を最後に、消息を絶った恵子さんが「北朝鮮にいる」というのだ。
有本さんは、北朝鮮とパイプがあると聞いた複数の議員に支援を求めるが、反応はなかった。そこでわらでもすがる思いで、自民党の実力者だった安倍晋太郎氏の事務所に電話をかけることになる。
【有本嘉代子さん】 連絡して、上手いことこう聞いてくださったのが安倍先生の事務所だったのです。
【ナレーター】 有本さんの訪問は、事務所に居合わせた安倍氏も鮮明に覚えていた。
【安倍晋三さん】 「自分の娘がどうやら北朝鮮に拉致をされたかもしれないけれども、外務省も警察も動いてくれていないようなので、紹介してくれないか」と。
【ナレーター】 安倍事務所の秘書に連れられて、有本さんは警察庁・外務省を訪れる。しかし警察庁では「国内のことなら何でもするが、外国ではどうにもならないので外務省に相談したら」と言われた。
外務省には「国交がない」と協力を拒まれ、「娘さんに危害が及ぶ可能性があるから、公表しないでおきましょう」と告げられたという。
【安倍晋三さん】 「本当かな?」と当時は思ったんですけど、その後警察の方々から話をうかがったら、それが「事実である可能性が高い」ということだったので、「国ぐるみでこんなことをしている」と。「これは正に主権の侵害ではないか」と。そして、こういう若い女性の人生が奪われたとしたら、これはしっかりと国家で対応していかなくてはならない、というふうにその時に考えて、爾来(じらい)ずっとこの問題に関わってきました。
【ナレーター】 安倍氏がこの問題に本格的に取り組むのは、93年の初当選以降になるが、拉致被害者家族の政府への申し入れや国会質問を通して、さらに拉致問題への関わりを深めることになる。
そして安倍氏が拉致被害者家族から絶対の信頼を得たのは、2002年、小泉総理と金正日との間で行われた日朝首脳会談の時だ。日本側が「5人生存、8人死亡」という愕然とする報告を受けることになる。安倍氏は小泉総理にこう迫ったという。
【安倍晋三さん】 「先方がですね、まぁ国家の関与を認めて謝罪をしなければ、金正日委員長自らが謝罪をしなければ、(日朝平壌宣言に)調印をするのは考えてはどうでしょうか?」ということを申し上げました。
【取材者・田丸美寿々さん】 かなり強い調子で進言なさったんですか?
【安倍晋三さん】 あの、まぁそんなに大きな声で言ったわけではありませんけれども、まぁ私の意思としてそう申し上げました。
【ナレーター】 金総書記が謝罪したため“平壌宣言”に小泉総理は署名したが、安倍氏は深夜帰国すると、翌朝早く被害者家族がいるホテルへ駆けつけた。
【安倍晋三さん】 (北朝鮮に)行った当事者がやはり説明するべきだろう、とそういうふうに思いまして、次の日の朝、(拉致被害者家族のところへ)おうかがいを致しまして、先方(北朝鮮)が言ったことをご説明を致しました。
それとともにですね、残念ながら20数年間早く結果を出せなかったことを「こういうことになって申し訳ございません」というふうに申し上げました。
【有本嘉代子さん】 (安倍氏は)長いことね、自分が関わってきた人も亡くなった、いうことも聞きましたので、ものすごくショックだった、ということをおっしゃいましたからね。ああ、これは恵子のことだなぁと思いました。お父さん(晋太郎氏)の時分からお願いしていましたものだから、やはり気にかけていてくださったんだなぁと思いました。
【有本明弘さん】 我々にとっては(安倍晋三氏は)一番信頼できる政治家やな。
【ナレーター】 あれから4年。生存と伝えられた人たちは帰国したが、有本さんら他の拉致被害者の問題は何の進展も見ていない。今月(4日・北京)開かれた日朝協議も成果を得られずに終わっている。
*有本恵子さん 電脳補完録さんより http://trycomp.oc.to/jokyo/10.html *'05 2/10 東京集会5 有本嘉代子さん http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=160&no=102
《北朝鮮に圧力を》
【安倍晋三さん】〜2月13日 官房長官会見にて〜 “対話”を続けていくことにおいてですね、問題を解決するためには“圧力”が必要である、という認識は一層強くなったわけでありまして・・・。
【ナレーター】 官房長官は内閣のスポークスマン。慎重な発言をせざるを得ない立場で、最大限踏み込んだ安倍氏に、対北朝鮮について今後の方針を聞いた。
【安倍晋三さん】 拉致問題を抱えているのは日本ですから、日本が主体的に・・しっかりと“圧力”をかけていこうと考えています。必要なのは北朝鮮側がこの問題を解決をしなければ、彼らにとって事態は好転しない、むしろ国の置かれている状況はもっと悪くなっていく、ということをですね、理解すれば彼らは変えざるを得ないということですね。ですから“対話”だけでは不十分であって“圧力”をかけていかなければならないと。
【取材者・田丸美寿々さん】 まだ“圧力”は足りないと思いますか?
【安倍晋三さん】 まだまだかけられる“圧力”はあると。まぁ伝家の宝刀である最終的な“圧力”は、経済制裁法案に則った法の発動によって「経済制裁をかけること」は最終的な“圧力”なんですが、それまでにですね、厳格な法執行等によって相当な“圧力”をかけることができるのではないか、と思っています。
【取材者・田丸美寿々さん】 最終的な「経済制裁は今年発動される」ということはあるのでしょうか?
【安倍晋三さん】 あの、そうした手段も「すべてテーブルの上にはある」と思っています。
【ナレーター】 北朝鮮への“圧力”を力説する安倍氏。もし安倍氏が総理になれば、北朝鮮への対応は変わることになりそうだ。
*'05 4/24 第7回国民大集会 安倍晋三さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/3559507.html *'05 9/2 柏駅東口にて 安倍晋三さんの応援演説 http://aoinomama13.seesaa.net/article/6896793.html *心強い政治家 http://aoinomama13.seesaa.net/article/8832759.html
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*2/26 TBS「報道特集」安倍晋三氏“拉致にかける思い” aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14203249.html
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| ひなまつりの夜 |
( 2006.3.4,土 ) |
3月3日ひなまつりの日に私たちはおひなさまを飾った。父が初節句に買ってくれたおひなさまと、妹が買ってくれた「つるし雛」。ひなあられと桜もちを亡き娘に捧げて手を合わせる。そして一緒に食べた。
私たちは小さなつぼの中に眠るわが娘に声をかける。今日は女の子の日。もう3回目のひなまつりなんだね。今年3歳になるんだね。生きていたらどんなにかわいいのだろうね。
ひなまつりの夜、私たちは泣いた。これから先も生きている限りずっと泣き続けるのだろう。わが娘を想い泣き続けるのだろう。
《'05 3/3あおいのママの日記より》
今日は女の子の日。あおいのママの実家でも、おひなさまが飾られています。私が子どもの頃、お友だちの家では何段飾りの立派なおひなさまを飾っていて、とてもうらやましかった記憶があります。
私のおひなさまは、ガラスケースに入った小さなおひなさまでした。私が長女だったので、初節句に父方の祖母が買ってくれたそうです。私が生まれた頃、我が家は狭いアパート暮らしで、祖父母も孫がたくさんいたから、手ごろな小さなものにしたのだと思います。
もうかなり傷んでいるけど、祖父母や両親の思いがこもっている大切なおひなさまです。今は亡き祖父母、母に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。
写真のおひなさまは、昨年私の父が買ってくれたものです。(ブログにあります)昨年('04 3/3)は、本来なら私たちの娘あおいの初節句になるはずでした。このおひなさまをお店で見つけた時「わが子に見せてあげたい」と思いました。それで父にたのんで買ってもらいました。お父さん、本当にありがとう。
私が祖父母におひなさまを買ってもらったように、わが娘にも唯一の祖父である父に買ってもらえたらきっと喜ぶと思いました。私たちの娘あおいは、ずうっとお空にいて、これから先もお祖父ちゃんに何もねだったりしないから・・・。
*あおいのママの田舎に伝わる「つるし飾り」(静岡県賀茂郡東伊豆町稲取)をイメージして作られた歌です。
『娘へ』
記憶の片隅に 埋もれかけていた 母との思い出 今よみがえる
港の町に 伝わる風習 小さな飾りを 雛壇に
這い子人形 うさぎ 三番叟 はぎれで作った つるし飾り 母の想い届く 小さな贈りもの
私も祈りたい 眠りつくこの子に 幸せになるように 苦労せぬように
思いをこめて 一針一針と やさしい面影 重ねながら
決して華やかじゃないけど 親心(こころ)で作った つるし飾り 母の想い届け 小さな贈りもの
這い子人形 うさぎ 三番叟 親心(こころ)で作った つるし飾り 母の想い届け いとしい我が娘
http://www.izu-net.com/ http://www.izu.co.jp/~hamabe/new_page_4.htm
*ひなまつりの夜 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14165849.html
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| '05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(12)最終です |
( 2006.3.2,木 ) |
*11/13 第16回大宮講演会に参加しました http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html *講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介 http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html
*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(11) http://aoinomama13.seesaa.net/article/14053528.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)
続き
時間の関係で上手くできませんが、もう一つ、最後にもう一つだけ。六者協議が色々と続いておりますが、あの中で「核問題にて前進があった」なんて言っていますけれども、皆さんにちょっとご覧いただきたい。13ページご覧ください。線を引いておりますが、これは1991年に南北が協定を結び、92年に発行しているんです。そういう“南北朝鮮半島の非核化宣言”というのがあるんですが、そこに何と書いてあるか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1991年12月に北朝鮮と韓国が合意した二つの文書【南北間の和解と不可侵及び交流・協力に関する合意書】と【朝鮮半島の非核化に関する共同宣言】は、1992年2月に公式に発行する
◆南北朝鮮の和解・不可侵・交流協力合意書(要旨) 1、相手の体制を尊重する 1、相手の内部問題に干渉しない 1、破壊・転覆行為はしない 1、休戦状態を強固な平和状態に転換させる努力をする 1、合意書発効後3ヶ月以内に板門店に南北連絡事務所を設置する 1、相手を武力で侵略しない 1、大規模武力移動や軍事練習の通報、軍人交流など軍事的信頼醸成と軍縮実現を図る 1、軍事当局者間に直通電話を設置する 1、経済、文化、報道など各分野で交流と協力を実施する 1、自由な往来と接触、離散家族の再会などを行う 1、交通網を連結、開設する 1、郵便、通信に必要な施設を設置し、交流の秘密を保障する 1、発効後1ヶ月以内に、政治・軍事・交流協力の3分化委員会を設置する
◆朝鮮半島非核化共同宣言(要旨) 1、核兵器の実験、製造、生産、受け入れ、保有、貯蔵、設備、使用をしない ---------------------------------------------------------- 1、核エネルギーを平和目的にのみ利用する ------------------------------------ 1、核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない ---------------------------------------- 1、非核化検証のため、相手側が選定して双方が合意する対象について、南北核統制共同委員会が規定する手続きと方法で査察を実施する 1、宣言発効後1ヶ月以内に同委員会を設置する
朝日新聞1992年2月18日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【核兵器の実験、製造、生産、受け入れ、保有、貯蔵、配備、使用をしない】南北が宣言している。協定を結んだんです。発行しているんですよ。そして【核エネルギーを平和目的にのみ利用する】さらに【核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない】と宣言しているんです。
それで実態はどうですか?これが守られていれば、今も六者協議は必要なかったんであります。このことを日朝平壌宣言でも“国際的な協定を遵守する”と宣言しているわけです。
*日朝平壌宣言 http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html
彼ら(北朝鮮)との関係で、いくら文面で約束をしても無意味であります。同時に、明確な違反の時の制裁措置を決めない限り「何の実行もない」ということは明白であります。
したがいまして、現在の六者協議の有様でいくならば、むしろアメリカは攻撃しないことをもう誓約しました。これは実行するわけですよね。だから北は安心してあの協議の今後を引き延ばして、安全を確保した上で何でもやれる状況を作ってしまった、ということであります。こんなことを絶対に続けてはいけない。
*北朝鮮1人勝ちの6か国協議共同声明 カルメギ66号より http://homepage1.nifty.com/northkorea/karu66go.htm
じゃあその中でやれることは、まず私は脱北者の保護と、これから日本が行うことの出来る可能な制裁措置をどんどん実行する以外にないと考えております。
脱北者の保護は何故有効か。それは韓国政府、特に中国政府が脱北者を保護することを嫌っているんですね。それで彼らは明確に言っています。「そんなことをすれば、金正日体制崩壊が起こる危険があるではないか」と韓国の首相もそう言っております。
つまり脱北者保護というのはですね、金正日政権の存立を脅かしてしまうだけの意味があるということを、中国政府・韓国政府は明言しているんですよ。それだけの意義があることをぜひご理解いただきたいと思います。
私は今の北の中で、北の住民に、唯一本格的に実行できる反政府行動は脱北であると考えております。だから脱北者の性格の中には、北の政権に対する抵抗としての性格をもう持っていると考えております。これをですね、促進することは巨大な影響を与えるんだ、そういうことに世界が協力すればこれは人権の・・という建前でできるわけです。
それを阻んでいるのは中国政府です。しかも中国政府は難民条約に加入しているのです。そして北京にその難民条約を履行するためのUNHCRですね、国連難民高等弁務官事務所を置いていながらこれも機能させない。そんな国はですね、常任理事国になる資格もないのではないかと思うのであります。(拍手で聞こえず)
*脱北者は国際法上の難民 News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50044001.html
北に対して、極めて有効な圧力をかけるということは、難民を保護して、難民は世界が協力して保護しますから、韓国だけに負わせる難民収容所にする必要はない。アメリカも「収容する」と言っているんですから、世界が分担し得るんですから、そういう場所を作って勧める。
そして、日本は日本の姿勢を明確にすべきであります。北が“行動”対“行動”、“約束”対“約束”と言うならば、何故それが今北にとって有利になるかといいますと、それは“行動”対“行動”、これをしてこなかったからです。
明確にこれまで協定違反をし「核保有国だ」と宣言までした、それに対するやるべき制裁を執行していくことこそがですね、“行動”対“行動”であります。それを何もしないから“行動”対“行動”が北にとって一番いいことのような状況を生み出してしまったわけであります。
*北朝鮮、6者協議参加を無期限中断 核兵器製造も宣言 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3635
それでここを状況を変えるために、日本が実行ある行動をとる。それがですね、「北の経済封鎖に役立たないではないか」という議論もあります。しかしそれはね、役立つか役立たないかの問題ではないんですよ。日本の姿勢ですよ。(拍手)
そして日本がこういう姿勢でヨーロッパ諸国、ヨーロッパ諸国は北の人権問題に対して非常に敏感になってくれています。それはナチの人権犯罪との共通性を感じてくれているからです。そういう国々の支援を得る。そして・・タイの女性の拉致問題から、タイ政府あるいはレバノン政府の協力も得ながらですね、北に対する圧力を強める。そういうことをしなければ問題は解決しないだろうと考えております。
*「拉致など目にあまる」北朝鮮へ解決の決断促す 国連人権委報告 News Flashより http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50080016.html
ちょっと最後端折ってしまいまして、もう少し説明したかった点ができず、これは私の問題であります。申し訳ございませんが、気持ちはご理解いただけると思います。どうか皆さまのお力をこれからも私共にもお借りしたいと思います。本当にどうもありがとうございました。(大拍手)
*北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 http://homepage1.nifty.com/northkorea/ *上海拘束事件とこれからの課題《資料より》 http://aoinomama13.seesaa.net/article/9764054.html
終わり
*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~
*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(12) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/14073756.html
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| '05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(11) |
( 2006.3.1,水 ) |
*11/13 第16回大宮講演会に参加しました http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html *講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介 http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html
*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(10) http://aoinomama13.seesaa.net/article/14007775.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)
続き(*次回が最終となります)
日本に戻ってからわかったことでありますが、結局(脱北者)全員が北へ送られたわけでありますし、さらにこの時の私と一緒に行動した7人の脱北者の他にもう1人脱北者が送り返されておりました。
これはどういう人かというと、脱北して自分の家族が北にいることもあり、中国に留まっていてですね、脱北者を色々と助けていた人物なのです。この人が北京から上海への移動を手伝ってくれたんですね。上海から来てホテルに入ったところを捕まったと。・・ですから全部で8名であります。
そのうちの2人の子どもと母親は早くに自宅へ戻されました。残りの申(シン)さんの息子さん2人と姪の3人、これは現在も所在不明であります。そしてこの脱北を手伝ってくれた1人は北に残っていた奥さん含めていなくなっています。どこかへ連れて行かれた。何の手がかりも、親族その他から探ってもらったりしていますが皆無であります。
明らかにどこかの収容施設に入れられているし、そこで現在も生きているかどうかもわからない。向こうの収容施設はどんなレベルであろうと生き延びることが難しい所であります。ですから現在生きているかどうかはわからない。
*'04 11/2 国際シンポジウム 金 英順さん(1)〜(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/10712128.html
そういう点では私も拉致被害者のご家族と同じとは言いませんが、自分の直接の関係者が生きるか死ぬかの状態で北にいる一員と私もなっております。そういう点では六者協議が長々と続くことを我慢して待っているような心境ではございません。一日も早く何とかしなければ、生きて出られるかもわからない状況でございます。
失敗したおかげで申(シン)さん、そのお母様は私に対して非難の一言もこれまでに言ったことはありませんが、今どんな気持ちでおるかと。もちろんそれ以降も何度もお会いしておりますけれども、「あの時この男に頼まなかったら」というふうな後悔もずっと繰り返していらっしゃることと思います。
その時の1人、つまり1人だけ別に女性がいましたが、もう一度脱北して来たんです。それで6ヶ月間捕らえられて拷問を受けたそうです。しかしこの女性が言うには「自分は食べ物を探しに中国に出ただけだ」と「そこで色んな人にこっちへ行け」と「この人について行けと言われて色々動いていたけれど、何をしているのかは知らなかったんだ」と言ったそうです。
つまりその意味はですね、「日本人なんかと接触して『日本へ行こう』『韓国へ行こう』そんなこと考えてない」ということです。ただ「わからなかった。言われたままに動いていただけだ」ということですね。
しかしそこで書類を見せられた。それは中国での調書です。その一番上はあんた(山田文明さん)の写真だったと。僕の写真も出して来たって言うんですね。そして思わず自然体で「日本人と一緒になって連絡を取って日本へ行こうとしたではないか?」と。しかし「自分は知らない、わからない」と言い通したんです。そのために「本当のことを言え!」と6ヶ月間に渡り色んな拷問を受けた、ということです。
その一端はこれおわかりになるでしょうか。(写真を掲げて)ある時何日も眠らされずに尋問を受けたんですね。眠りかけると水をかけられたり色々したが、その時一つには焼けた・・・のようなものを腕にあてられた、それがこの記事であります。これは日本に来た時に話を、その時のことを色々聞きながら写真を見せてもらったものです。こんな程度の拷問は序の口のものであります。
そしてもう立ち上がることもできない状態になった時、一旦治療に家に戻された隙にまた色んな手段で中国に行き、「今中国にいる、何とかしてくれ」ということでありました。
今度捕らえられたら確実に処刑されます。どうするか。私たちは色んなところと連絡を取った時に、たまたまそこにベトナムまで脱北者を誘導している一グループがあるということがわかりまして、そこへ合流を頼みました。それが上手くいきまして、ベトナムまでたどり着きました。
そして「『ベトナムの首都ハノイに集団で行け』と言われて行って『そこで次の人に合流しろ』と言われたけど、誰もいない。どうしたらいいのか?」と夜中に電話があって「それは日本にいる我々には今何もできない。ともかく待て。来なければ2時間後に電話をしてくれ」と言いました。
しかしそれから電話はなかった。だからもう何とかなったんだろうと思っていましたが、それから全然連絡が取れない。しかしおそらくもう大丈夫だろうと思いました。そしたら去年7月、ベトナムから468人が集団で2台の飛行機でソウルに入りましたね。「あの時ソウルに来ました」って連絡がありまして、ホッとしたっていうことがありました。
まぁそんなことで、私の力ない行動のために色んな人が色 | |