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2006年02月の日記

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(10)
( 2006.2.28,火 )

*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(9)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13552906.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)

続き

 そして軍事施設へ移されまして、そこでは私はパスポートを取り上げられましたが、パスポート番号その他を聞かれただけで何もなく、2時間ほどで済みました。それから私生れて初めてであります、“手錠”というものをしていただきました。(会場笑い)

 そしてタクシーの真ん中に乗せてもらいましてね、ずうーっと運ばれて行って、上海市内のどこかわかりません、近くの駅からタクシーなどの車の下しか見えませんでしたが、中に入りました。住宅地の中でした。市内のどこかですね。で、「出ろ」と言われて出て行きますと、そこは拘留施設でありました。

 最初の所は、まるでホテルのスィートルームと思えるような新しい部屋、応接室のような部屋でした。そこへ私は一人座らされまして、しばらくしてから尋問が始まったわけであります。夜の7時ぐらいだったでしょう。それから朝の4時頃までずうーっと尋問が続きました。

 私が「一緒にいた人がどういう人で、何故・何をしようとしたのか、それを全部説明したい」と言ったら、向こうは「ここはお前がしゃべる所ではない。こちらが聞くことだけ答えなさい」というふうなことで、なかなかこちらの言いたいことを言うことはできず、向こうは「お前は何をしてどう行動した?この日はどうした?」ということからずうっと聞いていくわけですね。そんなことばかりやりました。

 まぁしょうがないのでそれを答えながら、言えるところで色々言い、そして彼らに「北から来た人たちが私たちと会って日本へ行こうとしていた。この行動が(北に)分かって北へ戻されれば、彼らは収容所送りか処刑される可能性もあるんだから、それだけは避けてほしいんだ」ということを言うと、彼らの反応はあざ笑うように笑っておりました。「何を絵空事を言っているんだ?」というふうなことですよね。そんな表情です。

 まず通訳がヘラヘラ笑ってですね、で、そのことをみんなに伝える。そうすると取調べをしていた警官と、それを書記をしていた警官と、全員がケラケラ笑うということですね。

 もうその状況から「この人たちは脱北者の事情を何も知らないな」と「北朝鮮がどういう国で、何が起こっているのかまったく知らないな」と感じました。それは同時に「これは説明してもダメかな」と思う状況でありました。

 そうは言いながらですね、「今囚われた人たちはどうしているか?」というようなことを聞くと、「ここにいる限り彼らのことはちゃんと守るから心配するな」とかですね、そういう言い方もあり、時にはホッとしながらも、しかしどうなるかわからない状況が続きました。

 それで色々取り調べも続きましたが、私の過程ではですね、何といいますか、暴力的なところは一切ありませんでした。その時に・・彼らはこう言っていました。「ここは東京の警察と一緒だよ。近代的な警察設備がある」・・そういうようなことを言いました。「あなたが十数年前にここに来ていたら大変なことになっただろうな」というようなことも言いましたね。

 (北朝鮮難民救援基金の)加藤さんが瀋陽の方で拘束された時、これは警察じゃなくして向こうの保安省?なんですけれども、後に難民救援基金の野口(孝行)さんが捕まった時、これはベトナム国境の地方ですから、その他モンゴル国境で捕らえられた人たち、その他色々話を聞きますと、上海は国際都市ですね、近代的な。地方とはだいぶ違う。しかし、それ以外の所で捕らえられた人の境遇は本当にかわいそうです。日本人だった場合も含めましてね。

 ただ暴力的なことは少なくとも日本人は一切受けておりません。ですけど、食事の状況その他、あるいは境遇があまりにも不衛生でひどい所だったようです。私の場合は時に危険はないし、食事も食べ残すほど与えられておりました。

*'04 11/2 国際シンポジウム 野口孝行さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13956159.html

 その他内容を話すとおもしろいこともあるんですけれども、向こうの実状をですね。私は日本の牢獄を知りませんので(会場笑い)向こうだけですから。そこを話すともう時間がなくなっちゃいますので。

 そんなことでずうーっと取り調べが進みまして、それでそこからまた他の所に移されまして、最初にいた所はですね、私の印象では政治犯ばかりだと思えました。みんな紳士でした。私と一緒にいたのは台湾の老人とウィグル族のおじさんで、非常に紳士でした。

 まぁ一番困ったことというのは、ウィグルの人はある方向に向って礼拝を一日のうちにします。ある時にちょうど私水浴びを許されて、水浴びをしていてまっ裸にいる時でしたが、その前で私に向って礼拝するんです。(会場笑い)それがいてもたってもね、どうしたらいいんだろう?と思いながら、そんなこともありました。

 彼らは非常に紳士ででしてね、私がそこに入って、何をどうしていいのかわからなかったのですが、そのウィグルの人が全部やってくれました。ドロドロのござが放り込まれまして、三度くらい雑巾を絞って拭いたり全部してくれるんですね。僕はそれを見ているだけでしなくていい。掃除までその人がする。どうもそれが役割として命じられているようで、代わって僕のすることは駄目なようでした。新参者でしたから私がと思ったんですけれども。非常に皆さん紳士だったし、普通の犯罪者とはまったく違う人たちでした。

 そこから次に移された所は、本格的な刑務所だと思えるような未決囚の収容所でですね、大きな施設で、高い塀の要所要所に・・台がありまして、銃を構えてそこにいるというような所で「いよいよ本格的な所に来たなぁ」と思いました。

 今まで捕まってから中に放り込まれるごとに、最初の所はメガネも取られるし、中に入ったら一切お互いしゃべってはダメ、じっと座ってないといけないとかですね、お互いしゃべってはいけない。かなり管理も厳しかった。

 しかし今度のところはですね、入ろうとしてメガネを取ったら「つけて入れ」と言うわけですよね。中ではみんな遊んでいるか雑談して気楽にしている。中にはノートに何か書いてペンを持っている人もいる。ゲームをしている連中がいる。「何て所だ?気楽な所だなぁ」と思いました。

 ギョッとしたのが、すっごい人相の悪い人が10人も揃っている、狭い所にですね。すごい埃もあるわけでですね。「ここで朝まで歓迎会をされたら僕どうなるんだろう?」と、正直私はビックリしましたよ。「この連中にどういう歓迎をしてもらうんだろう?」と。

 そうしたらね、人相は悪いし、中には足かせをはめられている一人が、殺人犯だと聞きましたけれども、他も色んな犯罪者ですけれども、実に何と言いますか気のいい連中でね、僕に対して嫌な思いをさせたことは一度としてない。本当にね、まるで古くからの友だちが来たようにね、扱ってくれました。それは本当に助かりました。ですから、まぁこの連中といるのなら、1年なんて居たくもなかったですけどね、1年ここに放り込まれても「まぁ何とかなるだろう」と思いました。

 その他の実態も色々とお話したいのですが、もう時間が迫ってきておりますのでこの辺で止めなくてはなりません。

 そんなある日、あんまり尋問がない日が続いた後ですね、朝、看守が来て僕を指差しながら、まぁ牢名主みたいのがいるわけですね、それに指示を出した。それを聞いたらみんながワァ〜っとこう歓声を上げているんですよ。「何だ?」と言ったらね、「お前帰れる」って言うんですよね。

 私は「向こうの方から出ろと言ったんだろう?また次に移されるんじゃないか?」と言いました。しかし「そうじゃない」と言うんです。そこは南と北に廊下があるんですが、北側から指示が来た時には次に移されるんだと。南から指示が来た時には解放だって言うんですよ。「えっ、ホントかいな?」と思いながら、まぁできるだけ記念になる物を集めてですね、実は囚人服の上とかもこっそり入れましてね、今もう言ってもいいんでしょうけども。(会場笑い)

 「出ろ」と言うから出たらですね、いつも取り調べたのがまたおりまして、「これから日本に送り返す」というようなことでそこから出て来た、というような状況でありました。

 それで「他の人はどうなのか?」と聞いたら、「まぁお前の知ったことではない」ということで、「他の支援グループも同じようにもう出た」ということで、日本に送り返されてまいりました。

*上海拘束事件とこれからの課題《資料より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9764054.html

(11)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(10) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/14007775.html

とってもステキ「イナ・バウアー」
( 2006.2.27,月 )
*写真は日記とは関係ありませんが、昨年の正月に「日の丸」がいっぱいの銀座で撮影しました。

 あおいのママもパパもスポーツイベントが始まると夢中になってしまう性分です。今回のトリノオリンピックもそうでした。冬のスポーツ、私はほとんど経験がなくて本当の意味での面白さはわからないのですが・・・、世界と戦っている選手の皆さんはみんなステキに輝いていましたね。いっぱい応援しました。

 オリンピック期間中、毎日毎晩テレビに釘付けの私たち。おかげで寝不足が続き、日中つらい日々でした。(泣)でも日本中、多くの皆さんがそうだったのではないでしょうか。

 日本のメダルは荒川静香さんのフィギュアスケートの金メダル一つだったけど、それにしても荒川さんの滑りが素晴しくて、「メダル1個で残念」なんていうことを忘れてしまいました。美しくキレイな演技にもうウットリ。「日の丸」を掲げ、「君が代」を聴けて、そして表彰台に上った荒川さんが「君が代」を歌っている姿も本当に感動しました。金メダルおめでとうございます。(ちなみに関東では「君が代」斉唱時が瞬間最高視聴率だったんですね。やっぱりオリンピックで聴きたいですよね〜!!)

 何度も荒川さんの演技をVTRで観てしまいましたが、特にあの「イナ・バウアー」は本当にステキ!ママも年を考えずに思わず後ろに反り返って真似しっこ。背中と腰が痛くなってしまいました。でもつい「イナ・バウアー!!」ってやってしまいます。まるで象さんの反り返りなんですけど・・・。

 家の中で「ジャンプ」もしてみましたが、ママは1回転もできない〜!下の階にドッスンと響くのであんまり何回もできません。パパは1回転はできました。いいなぁ〜!!

 聞くところによると、こんなふうにやってしまうのは私たちだけではないようです。「イナ・バウアー」や「ジャンプ」を大人も子どももみ〜んな真似しっこしちゃうみたいです。スケートリンクも大盛況とか。ああ〜、私もスケートやりたくなってきました。(ママを知っている皆さん、笑わないでね〜)新婚時代以来もう15年くらいスケートやってないです。

 選手の皆さん、たくさんの感動と興奮をありがとうございました。今年はもう一つ、サッカードイツワールドカップがありますね。本当に今から楽しみにしています!また燃えます!!ニッポン・チャチャチャ!!!

*こちらの「A Whiter Shade of Pale」さんで、「イナ・バウアー」について詳しく説明されています。↓↓↓
http://cirque.seesaa.net/article/12287139.html

*とってもステキ「イナ・バウアー」
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13929115.html

2/26 湯島天満宮にて拉致被害者早期救出祈願
2006.2.26,日
*写真は神主さんよりいただいた御札です。(全部ではありません)県人会の方が記者さんたちに見せていましたところを撮影させていただきました。(ブログに写真が数枚あります)

http://aoinomama13.seesaa.net/article/13880361.html

 あおいのパパは26日(日)午後から湯島天満宮で行われた拉致被害者早期救出祈願に参加してまいりました。主催は定期的に上野で署名活動をされている関東新潟県人会です。

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日時:平成18年2月26日(日) 午後2時半〜午後3時
場所:東京・湯島天満宮

【御神札】
横田めぐみさん・曽我ミヨシさん・大澤孝司さん・山本美保さん・藤田進さん(青梅)・中村三奈子さん・藤田進さん(川口)・巽敏一さん・高野清文さん

関係者は神殿に入り、神主より祝詞・御祓いの儀

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 今年は寒かったせいか、湯島天満宮の梅の花もまだ満開ではなかったようです。雨の降る寒い午後となりましたが、横田めぐみさん等被拉致日本人救出の会・県人会・ボランティア等関係者・新潟日報・世界日報などの記者の合計十数人が集まりました。

 参加者の皆さんは神殿に入りました。神主さんより拉致被害者および特定失踪者の方々の名前が一人一人呼ばれ、そして祝詞・御祓いの儀を行っていただきました。時間にしたら10分くらいだったようです。

 予定ではこの後、上野で街頭署名活動を行うことになっていましたが、雨のため中止となりました。パパは少し仕事があったので、ここで皆さんとお別れしました。参加されました皆さん、お疲れさまでした。

 拉致されたすべての皆さんの早期救出を心より祈っております。

*写真は湯島天満宮内で撮りました。

*2/26 湯島天満宮にて拉致被害者早期救出祈願 aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13880361.html

鳩の恩返し
2006.2.25,土
 もう10年くらい前になりますが、あおいのママとパパは南柏の社宅に住んでいました。今日のような雨の日の午後、庭に一羽の鳩が柿の木の下で休んでいました。よくよく見ると片足をケガしているようでした。

 しばらく様子を見ていたのですが、飛び立つ様子もなく、動けないでいます。このまま放っておいたら、猫がよく来る庭だから、襲われても逃げることができそうもないので、庭に出てその傷ついた鳩を捕まえました。やはり思った通り、逃げることもできずに私に簡単に捕まってしまいました。「グヮー、グヮー」って鳴いていましたが成すがままでした。

 とりあえずダンボール箱に入れて、動物愛護協会に連絡をしました。これからどうしたらいいのかわからなかったし、鳩の足首に何か数字など書いてある足輪がはめてあったので、もしかして飼い主がわかるかもしれないと思いました。

 足輪の話をしたら「伝書鳩協会に連絡をしてみてください」と紹介をされ、すぐに電話をしました。この子は伝書鳩だったようで、協会の方が迎えに来てくれることになりました。ちょうどその日、ママは午後からパートの日で「帰宅は夜8時頃になるのでどうしたらいいですか」と聞いたら「そのままダンボール箱に水を入れて置いてください」ということでした。

 仕事から帰ると社宅の前に協会の方が待っていてくれました。「ポッポちゃん、バイバイ」って、ちょっとの時間でしたが一緒に過ごしたので声をかけました。相変わらず目を合わせると「グヮー、グヮー」と怒っているみたいでしたが、何だか別れるのが寂しく感じました。

 協会の方が「これはお礼です」と封筒を渡してきました。お断りしたのですが「どうしても」ということだったので、いただきました。あとで封を開けてみたらそれは数枚の“ビール券”でした。

 鳩の恩返しはビール券。パパと二人でありがたくおいしくいただきました。

 現在、私たちはその社宅から引っ越してマンション暮らしなんですが、ベランダの前にちょうど電線があって、そこに鳥たちが羽休みをしているのを間近で見ることができます。たまに「ポッポッポー」って鳩が鳴いていると、思わず「あの時のポッポちゃんでは」とベランダに出て探してしまいます。あの赤茶けた羽の鳩が会いに来たのではと。

 今日のような雨の日の午後はポッポちゃんのことを思い出します。

*鳩の恩返し aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13823152.html

'05 5/30 「よど号犯妻」第五回公判(判決)
( 2006.2.23,木 )
 あおいのママは5/30の午前10時から東京地方裁判所429号法廷で行われた「よど号妻・田中協子被告」の第五回公判(旅券法違反)判決を傍聴してきました。(八尾恵証言によれば、田中協子被告は拉致された有本恵子さんの教育係だったということです)

 救う会神奈川及び支援者の皆さんの計5人で傍聴しました。いつものようによど号犯妻やその子どもたち、支援者が何人も来ていました。田中協子被告が入廷しましたが、ちょっと緊張しているような感じがありました。いつも堂々として胸張ってニッコリ笑うのですが、今回はその微笑みも少し強張っているように感じました。

 始まってすぐに裁判長から判決が言い渡され、求刑通り懲役1年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決でした。傍聴席に座っていた報道関係者がサァーっと退席して各社に連絡をしていました。田中協子被告は始終ブスッとした表情をして判決文を聞いていました。どうやら判決に納得できなかったようです。

 裁判は短い時間で終わりました。予想していた通りの執行猶予付きの判決ですから、実質無罪のような気がしますが、でも今までのよど号犯妻たちに比べて検察側の言い分がかなり採用された判決になったようです。旅券法違反の裁判にもかかわらず、裁判中拉致の件にもかなり触れていました。また、救う会神奈川を始めとする拉致被害者支援者がブルーリボンを身につけて、毎回裁判を傍聴し続けたのも判決に少なからず影響を及ぼしたようです。

 しかし拉致事件で裁かれたわけではないので、結局自由を手に入れたことになります。彼女が言っていたように、田舎に帰って自分の娘たちと一緒に住み、現在刑務所に入っている夫・田中義三の刑期終了を待ち、年老いた両親に親孝行するのでしょう。よど号犯妻たちに拉致された被害者は、どんなに家族のもとに帰りたいと願っていても、現在帰ることができないでいるのに・・・。本当に理不尽です。

 よど号犯のリーダー田宮高麿は「自分たちの手で20人くらい拉致した」と高沢皓司さん(「宿命」著者・今回の裁判でも重要視されました)に告白して、その後亡くなっています。粛清されたのではないかという疑いがあります。よど号犯の妻たちが海外で実際に拉致を行っていたのは間違いなく、まだまだ公表されていない被害者が多くいるものと思われます。本当にやり切れない思いでいっぱいです。

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*'05 2/10 東京集会5 有本嘉代子さん
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=160&no=102

 それは、先ほども申し上げました「高沢皓司さん」という方が、初めて私どものところに訪ねて来られて、まぁ、震災の年なんですけれども、その時に「その手紙は私が託りました」とおっしゃいました。

 「私が平壌に行きまして、田宮さんの手までは渡してきましたよ」って、田宮さんというのは「よど号」乗っ取り犯のリーダーですけれども、「この方までは渡してきましたよ」と。「それから先、娘さんの手に入ったかどうかはわかりませんけれども、田宮さんまでは届けてきました」っておっしゃいました。

 それでその時に田宮さんは、「よど号の私たちの手で、20人くらいはこの国に連れて入っている。だからこれは私たちがここにおる間に、絶対に日本の国へ帰すようにせないかん!」っていうことを、田宮さんが言われたんですよ、ということは聞いております。それからまもなくして田宮さんは心臓麻痺で亡くなられました。私は「粛清されたのでは?」と今でも思っていますけどね。

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 裁判終了後、弁護士会館でマスコミ各社を集めて救う会神奈川の会見をしました。声明文・レポートは救う会神奈川「救いのカモメニュース」(メルマガ)及び電脳補完録さんなどに詳しく掲載されておりますので、どうぞそちらをご覧になってください。

*よど号犯妻に有罪判決 救う会が声明発表 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4000
*救う会神奈川HP
http://www.geocities.jp/sukuukai/

 あおいのママは第一回から第五回まで「よど号犯妻・田中協子被告」の裁判はすべて傍聴してきました。レポートや傍聴記録はこちらをご覧になってください。仕上がりまで1年近くもかかってしまいましたが、ようやくすべて終わりました。(涙)

*'04 12/24「よど号犯妻」第一回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3292611.html
*'05 1/27「よど号犯妻」第二回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3337465.html
*'05 1/27「よど号犯妻」第二回公判 傍聴記録
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3489719.html
*'05 2/24「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
*'05 2/24「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(1)〜(18)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4181628.html
*'05 4/12「よど号犯妻」第四回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13636423.html
*'05 5/30 「よど号犯妻」第五回公判(判決)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13665900.html

*「よど号犯妻公判」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html

 1/19に行われた「東京集会14 よど号犯人と拉致」にて、救う会神奈川会長の川添友幸さんが講演をしております。そちらで“よど号裁判を通して見た拉致事件”について詳しく説明してくださっております。講演内容と資料を文字化テキストにしておりますので、よろしかったらどうぞご覧になってください。

*1/19 東京集会14 川添友幸さん(1)〜(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12003304.html
*よど号裁判を通して見た拉致事件(1)〜(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12579615.html

 あおいのママは裁判を傍聴するのは「よど号犯妻」裁判が初めてでした。この裁判の傍聴をするまで、裁判所なんてあまりお世話になりたくない場所であるし、「よど号ハイジャック事件」は自分が小さい頃の事件、そして「日本赤軍」とか言われても、そういう言葉があるということしか知りませんでした。毎回裁判所に行って、支援者の皆さんに色々と教えてもらいながら、レポートを作成しながら勉強してきました。裁判用語もわからなくて本当に四苦八苦しました。ですからレポートもトンチンカンなものになっていると思います。

 この裁判を通じてあるジャーナリストの方と知り合いました。プロの方に読まれるのはすごく恥ずかしいのですが・・・。いつもありがとうございます。それから、ある筋?から、警察公安関係者やよど号支援者の方々もご覧くださっているという情報をいただきました。

 またレポートを作成するにあたって、よど号をやっつけるバルタン星人さんに大変お世話になり、支えていただきました。一緒に裁判を傍聴してきた皆さん、そして情報をくださった皆さん、レポートを紹介してくださった電脳補完録の山本さん、本当にありがとうございました。感謝申し上げます。

*'05 5/30 「よど号犯妻」第五回公判(判決) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13665900.html

'05 4/12「よど号犯妻」第四回公判
( 2006.2.22,水 )
 あおいのママは4/12の午前10時から東京地方裁判所で行われた「よど号妻・田中協子被告」の第四回公判(旅券法違反)を傍聴してきました。(八尾恵証言によれば、田中協子被告は拉致された有本恵子さんの教育係だったということです)

*'04 12/24「よど号犯妻」第一回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3292611.html
*'05 1/27「よど号犯妻」第二回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3337465.html
*'05 1/27「よど号犯妻」第二回公判 傍聴記録
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3489719.html
*'05 2/24「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
*'05 2/24「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(1)〜(18)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4181628.html
*「よど号犯妻公判」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html

 救う会神奈川を始めとする支援者5人が集まりました。いつものように外で傍聴券を得るために並び、その後ボディチェックや手荷物を預けて法廷に入りました。この日はよど号犯妻やその子どもたち、そして田中(水谷)協子被告の実母がよど号支援者と一緒に来ておりました。

 被告はすでに保釈金を払って保釈されていたそうで、入廷して来た姿を見て私は驚きました。今まではジャージ姿で化粧気もまるでなかったのに、この日はきれいに化粧をして、髪も染めてセットして、クリーム色のパンツスーツをピシッと着こなして、そしてブルーに光る大きめのネックレス・・・。

 傍聴席の実母や子どもたち、支援者にいつものようにニッコリ微笑む田中協子被告。私は一瞬「ここはどこなのか」と、法廷であることがわからなくなるような錯覚に陥りました。別にどんな格好をしていてもいいけど・・・、私がとても目に付いたのは、そのニッコリ笑う唇にきれいにぬられた口紅でした。そしてブルーのネックレス。何故ブルーなの?なんて思ってしまいました。

 いつも着ていたジャージも、よく考えてみたら、あるスポーツメーカー(多分アメリカ)のブランドでした。元々おしゃれ(支援者も?)だったのかもしれませんが・・・。しかし私はこの日の様子はやはり場違いのような気がしました。

 裁判の間、メモをしながら被告の絵を書きました。下手で本当に恥ずかしいのですが、こんな雰囲気でしたという意味で載せます。(笑わないでくださいね〜)もう一度ちゃんと描き直そうかとも思ったのですが、やはり現場で描いたものが一番だと思いますので・・・。

 この裁判もいよいよ最終段階に入ってきたようで、検察官が“懲役1年6ヶ月の求刑”を言いました。そして弁護士側は“無罪”を主張しました。(裁判用語はわからないので、自分の言葉で表現します)

 その後は田中協子被告が色々と主張していました。それをメモしましたので、わかる範囲でレポートしたものが下記にあります。間違いやカン違いがあるかもしれませんが、どうぞご了承ください。

 裁判終了後、被告はうれしそうに楽しげに傍聴席にいた家族や支援者たちと集まっていました。何ともやり切れません。この場に拉致被害者のご家族はいらっしゃいませんでしたが、どんな気持ちでいるのだろうかと思うと怒りの気持ちを禁じ得ませんでした。

 次回5月30日は午前10時より429号法廷にて判決となります。この裁判が始まる前からある程度わかっていた結果になると思いますが、それでも少しでも彼らにプレッシャーになるように、私たちは胸にブルーリボンをつけて、ブルーリボンの気持ちを心を表して傍聴したいと思います。参加された皆さん、本当にお疲れさまでした。

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【田中協子被告の主張】(あおいのママのメモより)

・私は無罪を主張します。この裁判が終了したら、両親そして3人の娘たちと一緒に住みたいです。

・裁判ではずっと拉致問題に絡めて検察側から責められ続けました。そのような関係の事実はありません。拉致問題はこの裁判の審議の対象ではありません。

・私は4ヶ月間勾留されました。帰国して4半世紀ぶりの日本、変わらないのは人情でした。故郷の皆さんは涙ながらに私の帰郷を喜んでくれました。それなのに、何故私が極悪人としてこのように裁判で裁かれなければならないのでしょうか?私にはわかりません。

・私が「旅券返納命令」を知った時(1988年8月)にはすでに返納期限が過ぎていました。ですから旅券を返納するのは無理なのです。その頃東海岸にいたのですから。それなのに日本国からは「テロをする恐れがある」と言われました。92年によど号犯(田中義三)の妻であることを公表した後、93年5月には国際指名手配をされました。

・私は今ここにいらっしゃる皆さんに3つのことをお話したいと思います。

@現時点の公正な判断をお願い致します。私たちがソウルオリンピックテロと関係があると思い込み、それが十数年に及びました。しかしそれらに関して何も証拠は出ていません。私は何でも誠実に答えました。

A皆さんは北の生活について理解できないのではないでしょうか。検察側も「旅券返納命令」を知らないはずはないと思い込んでいました。日本にいる感覚で言っていると感じました。

 北は一般的に電話がありません。私たちの住んでいた村にも管理の方の所にしかありませんでした。当時そこは郊外でしたから、新聞などの情報手段がいつ到着するかわからない状況でした。88年8月にその記事の載った新聞が来たのかもしれませんが、遅れた可能性もあります。それに私はずいぶん後になって「旅券返納命令」の載った「かんぽう」が届いて知ったのです。

B意図的・政治的日朝の敵対に、私たちよど号関係者は利用されていると感じました。何故私たちが突然指名手配されなければならないのでしょうか?「旅券返納命令」は外務省がいち早く私たちに言ってくれればそれでいいのです。北=よど号という図式で広く国民に敵対感情を持たせるためだと思っています。北=ならずもの国家としたいのでしょう。ですから“チマチョゴリ切り裂き事件”などが日本で起きるのです。

 夫・田中義三もアメリカ主導の偽ドル事件で捕らえられました。タイでアメリカのシークレットサービスの手によって、偽ドルに指紋をつけるという捏造によって捕まりました。よど号関係者が拉致問題に関わっているという言われなき証言によって陥れられていると感じています。イラクへの自衛隊派遣問題を含めて日本がおかしくなってきていると思います。夫・田中義三は本当に日本を愛する人なんです。私たちは何かと言えば「テロを起こす」とか「拉致実行犯」だとか言われ、困惑しております。

 私は24年間の北での生活、共和国での生活を後悔しておりません。日本人としてとても貴重な体験をしたと思っております。この共和国での体験は、これからのアジアの平和のために活かせると考えています。現在、日本のアジアに対する侵略戦争を問い直すことが求められています。戦後60年の平和と歴史の再検証を求めていこうと思っています。私はテロを起こす危険分子だと、拉致した人間だというふうに利用されていると感じます。

 傍聴席にいる皆さん、この裁判を最後まで見守ってください。よろしくお願い致します。

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【裁判官】(敬称省きます)
小川正持(裁判長) 水上周 川尻恵理子 斉藤早苗(裁判書記官)
【検察官】
石井隆 遠藤伸子 大塚雄毅

*「よど号」ハイジャック事件 無限回廊さんより
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yodo.htm

*'05 4/12「よど号犯妻」第四回公判 aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13636423.html

'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(18)最終です
( 2006.2.21,火 )
 あおいのママのメモから、裁判の様子を再現しました。聞きもれやカン違いなどもあるかもしれません。後ほど加筆・訂正する場合もあります。どうぞ皆さまご了承ください。

*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
*「よど号犯妻公判」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html

*2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(17)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13374785.html

続き

【検察官】
 1988年8月6日発令の「旅券返納命令」の件について田宮をどのように思いましたか?

【田中協子被告】
・田宮さんを悪く思うことはありませんでした。

【検察官】
 88年9月によど号犯妻たちは田宮から「旅券返納命令」を聞いたんですよね。その時、村であなたと一緒に聞いたのは誰ですか?

【田中協子被告】
・魚本(民子)さんが村にいました。
・赤木(金子恵美子)さんはその時に村にはいませんでした。海外から9月中旬頃に帰って来ていたようなので。

【検察官】
 魚本はどう言っていましたか?

【田中協子被告】
・旅券返納について「教えてくれなかった」「自分は審査請求しているのに」と言っていました。
・私は魚本さんに対して、この件について9月5日以降に「そうだったんだね」(旅券返納命令が出ていたと)二人で話した記憶があります。

【検察官】
 当時、魚本・赤木以外に村にいたのは誰ですか?

【田中協子被告】
・たしか若林(黒田佐喜子)さんと森順子さんです。
・小西(福井タカ子)さんはその時に日本に帰国していました。顛末書を出しています。

【検察官】
 小西はあなたと違って「旅券返納命令」を田宮から聞いたのではなく、赤木・魚本から知らされていますね。

【田中協子被告】
・それはわかりません。

【検察官】
 あなたは村で北朝鮮工作員と接触しましたか?

【田中協子被告】
・工作員と接触していません。
・このように思われるのは怒りの気持ちでいっぱいです。

【検察官】
 あなたは「旅券返納命令」が発令される前でも、返納する意思はなかったのではありませんか?

【田中協子被告】
・そんなことはありません。日本外務省に連絡して、事情を話して、そして自分が納得すれば返納しようと思っていました。
・私は日本が不利益になるような、公安上、法に反することは何もしていません。

【検察官】
 今回の日本への帰国は誰が決めたんですか?

【田中協子被告】
・それは自分です。それから「かりの会」が話し合って決めました。

*「かりの会」帰国支援センター
http://www.karihayuku.ecnet.jp/

【検察官】
 あなたは1982年(オランダのハイム)と87年(コペンハーゲン)に旅券を更新していますね。どうして違う場所で更新したのですか?意図的に変えたのですか?

【田中協子被告】
・意図的にではありません。コペンハーゲンでいいだろうと思っただけです。

【検察官】
 コペンハーゲンにした理由があったのではありませんか?

【田中協子被告】
・別にありません。

【検察官】
 あなたはユーゴスラビアでキム・ユーチョルとチェなる人物と会っています。これらは北朝鮮の工作員と思われますが、ユーゴスラビアはよど号犯たちの前線基地であったのではありませんか?

【田中協子被告】
・知りません。

【検察官】
 あなたはこの前線基地のユーゴスラビアで八尾恵と会ったことがありますね?

【田中協子被告】
・ありません。

【検察官】
 そうですか?高沢晧司氏の「宿命」によると「田中義三・水谷協子夫婦に民宿で会った」と書いてありますが。

【田中協子被告】
・会っていません。
・1980年5月韓国で起きた光州事件の際も村にいませんでした。フランスのパリにいました。八尾証言はまったくの嘘です。

*光州事件 ウィキペディア(Wikipedia)より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

【検察官】
 あなたは本当にソンダンに行っている間に正確な日付を聞いていないのですか?

【田中協子被告】
・それは聞いたかもしれませんが・・・記憶にありません。

【検察官】
 これで答弁を終わります。

*「よど号」ハイジャック事件 無限回廊さんより
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yodo.htm


【皆さんへ】
 第三回公判傍聴記録がやっと終わりました。(涙)時間がかかりまして申し訳ございませんでした。第四回・第五回公判のレポートは、なるべく早めに仕上げるようにしますので、しばらくお待ちくださいね。

 最後まで読んでくださって本当にありがとうございました〜!!
 (*^^*)/~~

'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(18) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13588379.html

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(9)
( 2006.2.20,月 )

*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(8)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13421984.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)

続き

 その日の前日まで韓国の国籍の二人の、まぁ日本に住んでいる人とそうでない人といましたけれども、二人の支援者ともう一人が駆け込みの当日に合流しました。

 状況から相談をしまして、私の判断として「可能性のあるのは日本人学校である。そこを目指したい」ということを、前日の夜だいたいの決断をしました。そして当日「ではそこにしよう」と決めて、上海の駅に午後3時頃ようやく一人の最終の支援者が到着しまして、全員を集めたわけであります。

 その過程で一人の女性が前日に来まして、前日に来てもらう予定はなかったのですが上海に到着しましたので、どこへ泊まってもらおうかということですが、泊まるところもない。しょうがないから私、自分のホテルの部屋へ連れて行きましてね、私そこに一緒にいるわけにもいかないので、その後家族がやって来て「ドアは誰にも絶対に開けるな」と説明しました。

 そして僕はある上海の、知っている人がいたんで「過ごせる所はないか?」と。実はうちの大学院の留学生でしてね、彼には何にも言わずに「どこか過ごせる所を教えてくれ」と言ったら風呂屋を教えてくれまして。えっ、朝までいられるんだと。

 その風呂屋で朝まで過ごしまして、それでホテルに戻りまして、朝、ある合図で開けてくれました。それから上海の駅に北京から来たグループと合流いたしまして、そしてタクシーに分乗して日本人学校へ向ったのでありますが、もうその現場、いやそれよりも前から中国公安はずうーっと私たちの動きを全部、要所要所を掌握していたと思われます。

 そして分乗して行きましたが、おそらくその段階で、可能性のある日本人を、日本領事館やその分室、それに日本人学校、全部の所にある配置をしていたと思います。

 日本人学校の近くでタクシーからそれぞれ降りまして、みんな集まって日本人学校の入口まであと50メートルの所までずうっと歩いて行った時、最初にオートバイが来たんです。二人乗っておりました。それが上海公安でありました。それが来て日本人学校に入って行ったんです。

 それを見ましてね、もう「先に入られたらもうダメだ」と。でもともかく今は全部いったん元に戻すしかないので、たまたま通りかかったタクシーを止めまして、乗れる者だけ乗って、タクシーで「ともかく上海の市内まで戻ろう」ということで、戻していこうとしました。

 タクシーが出かけた時、その横に公安のトラックが来て止まりました。公安のトラックの荷台に十数人の男が乗っておりまして、それがワァーっと降りてきて我々を取り囲んだんです。「お前たち、何だ?」と言ったら「降りろ」と言いました。そして次々にパトカーが来まして、警官の・・も降りてきたというのがその時の状況でありました。

 これはもうどうしようもないと。そして何ができるのだろうと思いました。

 その時、ある一人の脱北者の女性がちょっと離れた所におりました。その人が知らん顔をして、ずうっと歩いて行って道を渡って逃げて行こうとしました。走ったらバレますから、歩いて行ったんです。私はずうっと見てました。上手くいけばいいなと思ったんですが、おそらく向こうは全部掌握していたんでしょうね、サァーっと公安の何名かが行って取り押さえたという状況でした。

 その時の皆さんは本当に処刑場へ送られるような顔をしていました。もう絶望の状況ですね。もう何も励ます言葉もない。ここでできるのは何か。それはともかくこの人たちを北に送り返さないでくれと、実状を説明するしかないと、そう覚悟を決めました。

*上海拘束事件とこれからの課題《資料より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9764054.html

(10)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(9) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13552906.html

2/19 上野で署名してきました
2006.2.19,日
*写真は2004年に撮影したものです。

 今日、あおいのパパが上野で署名をしてきました。この頃仕事が忙しく、今日も休日出勤だったのでお手伝いはできませんでしたが、時々、こうして少しの時間のお手伝いや署名、少しばかりのブルーリボンや頑張っている皆さんへの差し入れなどを持って顔を出しています。

 パパは午後3時頃に着いて署名をしました。(もちろんママの分も)新潟県人会、ボランティアの皆さんの計4人で署名活動をされていたそうです。この日は、陽は差していなかったもののいつもよりは寒くなかったようで、本当によかったです。人通りはまぁまぁで、署名もいつも通りのようです。(正確な数はわかりませんが)

 私たちが初めてボランティアを経験したのがここ上野の街頭署名活動でした。(2004年4月より)その後事情があって時々しか参加しておりませんが、やはり上野での経験が現在のボランティア活動に活かされていると感じています。

*写真は2004年に撮影したものです。(ブログに載っています)

 ここで知り合った埼玉のAさんは今日も頑張って署名を集めていました。県人会の方々と一緒に毎週のように参加しています。また、ブルーリボンを時間のある限り作って、署名をしてくださった皆さんにお配りしています。

 あおいのママも上野で初めて署名に行った2004年2月14日にこのかわいいリボンをいただきまして、それを胸につけて4月4日大宮の講演会に参加しましたが、そこでボランティアをしていたAさんが声をかけてくれて、それから親しくなりました。

 AさんはママがHPを始める前、某サイトにレポート等を投稿していた時から見てくれています。レポートをコピーして知り合いの方々に配ってくれたこともありました。上野には外国人観光客も多いので、署名のお願いの英文のカードを作ってくれたり、いつでもどこでも一生懸命な方です。誰に言われるのでもなく、自分で考えて、自分のできることをしています。

 日本全国、また海外の方々の中には、Aさんのようにボランティア活動をされている方がたくさんいらっしゃると思います。ご家族に知られることもない、陰ながら大変なそして面倒なことも引き受ける、そういった善意の方々がたくさんいらっしゃると思います。

 私たちは、陰ながらご家族の皆さんを支えていらっしゃる方々のごく一部しか知り得ませんが、これからも頑張っている皆さんを応援していきたいと思っています。みんなでみんなを支え合えたらいいなと思っています。

 休日にわざわざ足を止めて署名をしてくださった皆さん、本当にありがとうございます。そして署名活動に参加されました皆さん、お疲れさまでした。

*「署名活動」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332839.html

*2/19 上野で署名してきました aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13491657.html

2/16 「被害者家族今、訴えたいこと」東京集会15に参加しました
2006.2.18,土
 2月16日、東京芝公園の友愛会館で行われた東京集会に、あおいのパパが途中から参加しました。いつものことですが、仕事が終わってからの参加なので、どうしても始まる時間に間に合いません。あおいのママは都合があって参加できませんでした。

 会場の席はほぼうまり(150人くらいでしょうか)報道関係者もいつものように何社か来ていたそうです。ボランティアのSさんや特定失踪者「生島孝子さん」のお姉さんの馨子さん、何人かの方々が「今日ママさんは?」とパパに声をかけてくださったということで、皆さんありがとうございます。お会いできなくてとても残念に思っております。

 拉致被害者「田口八重子さん」のお兄さんの本間さんのご家族の方、特定失踪者「佐々木悦子さん」のお母さんのアイ子さん、その他特定失踪者のご親類の方、ジャーナリストの小山唯史さんも参加されていたようです。

*拉致被害者「田口八重子」さん 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.net/jokyo/03.html
*'05 8/31 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」拉致疑惑(1)〜(6)
特定失踪者 生島孝子さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/6599997.html
*'05 11/19 第3回埼玉県民の集い 佐々木アイ子さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/10676252.html

 パパが席に着いた時にはもう横田滋さん、早紀江さんのお話は終わってしまいました。(滋さんはとりあえず元気に見えたようですが、体調が心配です)飯塚繁雄さん、増元照明さん、その後救う会常任副会長の西岡力さんのお話だったそうです。

 今回はビデオを持参しておりませんので、文字化レポートはできません。パパも最近仕事で疲れているのと途中からなので、写真のみの紹介とさせていただきます。

(当日配られた資料です↓↓↓)
*福岡高裁判決で救う会・家族会声明 救う会ニュースより
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200602/20060207-2.htm
*「朝鮮総連施設等への課税減免は違法」判決に対して
 熊本市が上告したことについて
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200602/20060215.htm

(前回の東京集会のレポートです↓↓↓)
*「'06 1/19 東京集会14」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/1065063.html

 増元さんが帰国した皆さんに「できれば記者会見の場で拉致実行犯のことについて話していただきたい」とおっしゃっていたそうです。

 参加されました皆さん、本当にお疲れさまでした。

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*「経済制裁、早く実現を」 拉致被害者家族が集会 News Flashより
http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50076116.html

「経済制裁、早く実現を」 拉致被害者家族が集会

 北朝鮮による拉致被害者の家族らが16日、東京都内の集会で現在の心境を語り、「被害者救出にはやはり経済制裁しかない」と訴えた。

 「子供たちの姿が見えないと心が苦しい。話してもらちが明かない国には、経済制裁しか武器がない」と訴えたのは、横田めぐみさん=失跡当時(13)=の母、早紀江さん(70)。

 父親で家族会代表の滋さん(73)も「日朝交渉のたびに『今度こそ』と期待したが、それ(成果)がなかった。経済制裁が早く実現すればいいと思う」と述べた。

 田口八重子さん=同(22)=の兄、飯塚繁雄さん(67)も「やわな対話では絶対に解決しない。制裁で日本の怒りを示すべきだ」。さらに「真相究明は後でもできる。被害者が北朝鮮のどこで生きているのかをきちんと調べ、何かあったときにすぐ奪還できるような方策が必要だ」と強調した。(共同)

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*2/16 「被害者家族今、訴えたいこと」東京集会15に参加しました aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13457291.html

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(8)
( 2006.2.17,金 )

*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(7)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13138280.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)

続き

 そんな中で2003年4月の始めのことでありました。日本から北朝鮮へ家族とともに連れられて、子どもの頃に渡って行った女性、申貞愛さん(シンジョエンさん?)という方がいらっしゃいます。この方が北朝鮮を脱出してですね、娘さんとともに韓国まで上手く入ることができていました。韓国にいました。

 この人から「中国に自分の息子2人と次男のお嫁さんと子ども2人、それから姪の6人が今中国まで来た。何とか助けてくれ。日本へ行かせたい」という話でありました。その他にもこの時、同じくらいの人数の問題がありましたし、もう1人、別なところである女性から「中国にいる。何とかしてほしい」というような連絡が日本の別な親族にありまして、それからまた私たちの方へ連絡がありました。

 外務省にも「こういう人たちが中国にいる。何とか救いたい」「何とか外務省の力をお借りしたいんだ」と「やってほしい」ということをお願いに行きまして、4月から何度にも渡り外務省を訪問することが繰り返されました。

 そんな過程でですね、そのまず1人の女性は取りあえず安全な場所にかくまってもらえていましたからいいとして、残りの6人は北京まで移動しました。北京のある理解者の家にかくまってもらったんですわ。

 何しろ6人でしょ。それは大変ですよ。皆さんのご家庭でも考えてみてください。6人突然来たと。まぁそりゃあ「かわいそうな人で、命懸けで来たんだなぁ。何とかしてあげよう」となりますけれども、それは1週間・10日間は皆さん我慢していただけるでしょ。でも何ヶ月も居たらそれは大変なことですよ。しかもそれが中国の警察に分かれば一緒に捕まっちゃうんですからね。

 それで何とかそこにお願いをし、「生活を送りながらもうちょっと我慢してくれ」と言いながら、「何とかしてくれ」ということで外務省と話をしていたんでありますが、「何か良い知恵がないかと日夜考えているんですが」と、まぁ返事はくるんですけれども、「韓国政府も動いてくれない。向こうとも連絡を取っているんですが」という返事のままですね、どんどん時は過ぎ去っていくわけです。

 それで中国のかくまっている所からはですね、「もうダメだ、他の場所に移動してくれ。部屋も空けてもらわないとダメだ」ということで、急遽別な所を用意して移動してもらったんであります。

 そうしたら移動した日の夜中、また連絡がきましてですね、夜になってからこれが意味がわからないんですけど、向こうの言葉で言えば「水道局の人が何人いるか確かめに来た」んですね。で、「ワッとたくさんいる」と。6人とあと支援者の人たちといますからね。「『どこから来たんだ?』ということになって困った」と。それで「『ともかく明日もう一度来るから』と言って帰って行ったがどうする?」と言うわけですよ。

 そこでですね、脱北者が見つかってしまったら大変ですから「しょうがない」ということで、急遽元の所に戻るか何かしなきゃということで、元の所はご主人はね、「もうそんなことならしょうがない、戻って来い」と言ったんですけどね、奥さんがもう怖がっちゃって、「そんなことで家に来られちゃかなわない」そういうことで「ダメ」って言われちゃいまして。

 「それではどうするか?」で、まぁともかく向こうの宿へとりあえず入ってもらって、そして別の所が、「部屋を明日片付けたら来て良い」という所があったんで、移ってもらったと。

 こんなことで本当にもうヒヤヒヤしながら何が起こるかということで、何とか次の所に移った。しかしそこも期限付き。それが7月の始め頃でした。「8月に入ったらもうダメですよ」と言われていたわけですけど。「何とかしなければ」ということでしたが、なかなか外務省の方「上手く手が見つからない」というようなことでありました。

 それで、もうこのまま放って置いてはダメだ。何かしよう。一つは南方の方・・海岸・・の行程を歩んでもらう。もう一つはどこか。保護してもらうために駆け込めないか、ということでありました。それで経験のあるいくつかの方や、実績のある韓国の諸団体とも、直接韓国まで行って実情を聞きながら、「そちらの動きはどうなのか」ということを確認しながら色んな相談をしました。

 それで、残念ながらその時の条件として、幼い子どものうち、小さい子どもの、あの時で3つになっていなかったかなぁ、そのぐらいの子がですね、北京にいる時ちょっと高熱でね、中国の家庭の子どもたちと一緒にいてずっと病院に行っていたんですよね。で、ようやく熱は下がったけれども、何ヶ月もの過程、医者も何もいないジャングルをどうなるかわからない所を駆けて歩いて渡る。それはもう無理だろうと思いました。危険です。成功する可能性もどのくらいかわからない。それで、それならもう中国国内でどこかで保護してもらおうと。

 まぁそんなことから、まだあのこういう事例がなくって、幾分可能か?ということで、上海という道を考えたわけであります。7月、今から考えたらそういう行動自体がやっちゃいかんのだと、後ろから言われる批難もありうるでしょうが。

(テープ交換のため中断)

 武装警官がいる。武装警官というのは警官と軍隊の間でしてね、機関銃持っているんですよ、日常。機関銃持ってずっとそこにいるんですよ。そんなのを見ながらね、「ここの連中を押しのけて入れるか?」というと「それは無理だ」と。こちらも怯えてしまいまして、そして見て回った中の日本人学校、そこがちょうど工事していましてね、まだ工事中でしたから一部塀が開いているんですよね。そこから入ることはできるなと思いました。

 そしてすぐに日本領事館に電話をして、依頼をすれば中国国内よりも早く来てくれれば何とかなる。まぁそういう一つの可能性に賭けざるを得なかったのです。こちらも追い詰められてしまってですね、そんな決断をしたわけであります。最終的にそうすることを決めたのは実はその決行を決めて上海に入り、全員を上海に集めて、決行する当日のことでありました。

*上海拘束事件とこれからの課題《資料より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9764054.html

(9)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(8) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13421984.html

'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(17)
( 2006.2.16,木 )
 あおいのママのメモから、裁判の様子を少しずつ再現したいと思います。聞きもれやカン違いなどもあるかもしれません。後ほど加筆・訂正する場合もあります。どうぞ皆さまご了承ください。

*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
*「よど号犯妻公判」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html

*2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(16)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13323012.html

続き

【検察官】
 それで「旅券返納命令」のニュースについて他のよど号犯妻はどのようにして知ったのですか?

【田中協子被告】
・金子(恵美子)さんはユーゴスラビアから、魚本(民子)さんはフランスから村に帰って来ていました。
・魚本さんは88年の8月29日か30日に田宮さんに会った後に聞いたようです。

【検察官】
 小西(福井)タカ子はあなたと違う証言をしています。あなたは「ソンダンから平壌に帰る途中、大雨で交通遮断となり帰れなかった」、しかし小西は別のことを言っています。「電車(汽車)が動かなくて帰省が延期になった」と。あなたの言っている「雨が降った」とは言っていません。これはどういうことですか?

【田中協子被告】
・大きく同じだと思っています・・・。

【検察官】
 そうですか?それで足止めを食って、「帰省が遅れる」という連絡を村にしたんですか?案内の人が連絡したんですか?

【田中協子被告】
・私たちは案内の人が「村に連絡を当然した」という認識です。

【検察官】
 8月20日から村に戻るまでに「連絡してある」と思っていたんですね?では20日過ぎ頃に田宮はもちろん足止めのことを知っていたんですね?

【田中協子被告】
・知っていたのでは、と思います。

【検察官】
 田宮からソンダンの宿舎に連絡はあったんですか?

【田中協子被告】
・別にありません。

【検察官】
 足止めを食らって村に戻れなかったのに?

【田中協子被告】
・汽車が不通となっていたので・・・。そういう判断で連絡がなかったのだと思います。

【検察官】
 あなたは北朝鮮からヨーロッパにまで行って、旅券の更新をしています。それなのに「旅券返納命令」のニュースを知りながら当の本人に連絡しなかったのは何故だと思いますか?緊急時ですよね?

【田中協子被告】
・(しばらく沈黙)・・・。
・状況が難しいと判断されたのではないでしょうか・・・。

【検察官】
 あなた方はすべてリーダーの田宮の決定に従うんですか?

【田中協子被告】
・私は旅券返納が期日より遅れるのが犯罪とは認識していませんでした。村の方でもそう考えたのではないでしょうか。

【検察官】
 それでソンダンから村に帰って来て、田宮から「旅券返納命令」の件をすぐに知らされたんですか?

【田中協子被告】
・私たちが村に帰って来てすぐには知らせてくれませんでした。それは田宮さんの奥さんの森(順子)さんがちょうど入院中だったので、後で知らせようとしたのではないでしょうか。

【検察官】
 そうですか?「旅券返納命令」ですよ。

【田中協子被告】
・田宮さんが「旅券返納命令」のニュースを聞いても、私たちが村に帰った8月29日か30日では、すぐに対応できないので仕方がなかったのではと思っています。

【検察官】
 当時あなたは田宮に対して「何故早く教えてくれなかったのか?」と思わなかったんですか?

【田中協子被告】
・思い出せません。

(18)に続く

*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(17) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13374785.html

久しぶりのお菓子作り
( 2006.2.15,水 )
 昨日はバレンタインデーでした。あおいのママは久しぶりにチョコレートのお菓子を作りました。写真は出来上がった「チョコレートクッキー」と「チョコレートカップデザート」です。

 久しぶりに作ったので、かなり失敗してしまいました。クッキーは焼きすぎて焦がしてしまったし、溶かしたチョコレートを上手にクッキーにぬれなくて、とってもブサイクです・・・。チョコレートのカップはキレイにできたけど、何かイメージ通りには仕上がらなかったし・・・。

 でも味はおいしかったですよ〜!パパも満足してくれました。よかったぁ〜!!

 お菓子作りって、本当に作り出したら何時間もかかってしまうし、後片付けは大変だし、思ったようにできなかったりしちゃうけど、やっぱり楽しいですよね。(^^)かたちなんてあまり気にしなければ結構おいしくできるものなんですよ〜。何たって愛情いっぱいだから。お菓子は愛情がなくては作れません。

 い〜っぱい作っちゃったから、しばらくチョコばっかりでダイエットは無理そうだけど、まっ、いいかぁ〜って思っています。たまにはね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【型抜きクッキー】
(あおいのママは13歳の時からこのクッキーを作っています)

〜材料〜
・薄力粉・・・300グラム  ・砂糖 ・・・100グラム
・バター・・・200グラム  ・卵黄 ・・・1個分

〜作り方〜
@薄力粉は2回ふるう。
Aバターは溶かしておく。それをボールに入れて砂糖を混ぜ、白っぽくなるまで泡立て器でかき混ぜる。
B卵黄を混ぜる。
C薄力粉を加える。手で混ぜる。
Dしばらく寝かせた後に、麺棒でクッキー生地をのばし好きな型で抜く。
E温めておいたオーブントースターで7分〜10分(機種により加減してください)焼いて出来上がり。


【チョコレートカップ】
(テレビで見て作ってみました)

〜材料〜
・板チョコレート・・・適量

〜作り方〜
@板チョコは細かくちぎって湯せんにかけて溶かす。
A大きくて平らなお皿にラップを敷いて、チョコレートをお玉かスプーンで丸く薄く伸ばす。
B好きな器にチョコのついたラップを上にして入れて形を整える。
C冷蔵庫でしばらく固める。
D固まったら静かにラップを外す。アイスクリームやフルーツ・スポンジケーキ・生クリームで飾って出来上がり。

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*久しぶりのお菓子作り aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13304151.html

先生が好き
( 2006.2.14,火 )
 あおいのママは高校時代、学校のK先生が好きでした。

 下田の高校に入学した15歳の春に先生と出会いました。当時、幼なじみの子のクラスの先生がK先生で、その子が「かっこいいよ」って教えてくれて、そっとノゾキに行って一目惚れしてしまいました。

 それから卒業するまでの3年間、先生のことが好きで、用事もないのに職員室に毎日行ったり、放課後になると先生がグランドで走っていたので、真っ暗になるまで教室の窓からこっそり応援していたりしました。

 クラスのみんなには先生が好きなのを知られていて(年中「先生が好きっ!」って言っていたから)よく「おじん趣味だぁ〜!」って笑われました。そう、先生は私たちよりひと回り年上だったんです。

 先生は市内の独身寮に住んでいました。食事を作りに行くなんてことはできないので、お菓子を作っては職員室に毎週のように持って行きました。そのおこぼれを担任の先生やその他独身の先生たちに配っていました。「今日はお菓子なに?」なんて言われたりしました。

 家でも「今日先生がね・・・」って毎日のように話して、お菓子の失敗作とか残りものとか、父や母や妹たちが楽しみにしていて、「もっと作ってよ〜」ってよく言われたっけ。

 ホント、いろいろ作りました。クッキー・タルト・クレープ・シュークリーム・パウンドケーキ・アップルパイ・チーズケーキ・バウムクーヘン・チョコレートケーキ・ババロア・スイートポテト・・・etc、ありとあらゆる洋菓子作って学校に持って行きました。

 先生が本当に好きで、将来の夢は「お嫁さん」なんて言っていたくらいで、「18歳の花嫁さん」にとっても憧れていました。今はとんでもない夢を見ていたって思うけど。

 今日はバレンタインデー。この高校3年間、毎年腕によりをかけてチョコレートのお菓子を作りました。大好きなK先生に食べてほしかったから。「好き」なんて言えなかったけど、思いを込めて愛情込めて甘いチョコレートを贈りました。「いつもありがとう」って言ってくれました。

 卒業式の後、K先生と担任の先生が短大の合格祝いに下田のお店で食事をおごってくれました。駅で「元気で頑張れよ」と手を振って、そしてお別れしました。私は泣きながら帰りました。

 それから5年後のママとパパの結婚式の日、二次会で担任だった先生から「この間K先生結婚したよ」と聞きました。自分だって結婚したのに、何故か懐かしく、そして寂しく、涙してしまいました。青春は終わったんだって思いました。

 パパと過ごした18回のバレンタインデーは覚えていなくても、高校3年間の甘酸っぱい思い出は忘れないものなんですね。先生、元気にしているかなぁ。

*先生が好き aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13253532.html

熱が出た 《病院にて》
( 2006.2.13,月 )
 あおいのママは入院してしばらくした頃、発熱した。高熱ではなかったけど、頭がずうーんと重く、寒気がしたり体がほてったりしていた。

 検査に来た看護師さんから「あらっ〜、少し熱がありますね」って言われて初めて自覚した。「えっ?大丈夫でしょうか?」と心配になってしまった。

 「今日はおとなしく寝ていてくださいね」と言われ、じっとして寝ていた。でもだんだん気分が悪くなってきてますます心配になってしまった。「治療中に突然昏睡状態になるかもしれない」なんて大げさに先生にも言われていたので、今思えば精神的なものだったのだと思うけど、その時はもう胸がドキドキしてしまって、ずっとナースコールをすぐに押せるように見つめていた。

 どうしよう、だんだんひどくなってくるような気がする。我慢し続けて大丈夫なんだろうか・・・。薬違うのにした方がいいんじゃないかなぁ・・・。不安でたまらなかった。

 あんまり考えすぎて、もう限界かもって思ったその時に、先生が病室に来てくれた。その日は調査会の荒木さんに似た先生で、何度も「先生、私大丈夫ですか?」「大丈夫ですよ」という会話を繰り返した。(先生、しつこくてごめんなさい!)

 結局2〜3日、熱が下がったり上がったりしていたけど無事過ごすことができた。食欲もありすぎるほどあったので、元々そんなに心配するほどでもなかったようだった。それにパパが夜、仕事帰りに来てくれたので安心したみたい。病院ではちょっとのことで不安になっちゃうから・・・。

 あ〜、本当になんでもなくってよかった。でももしかしてサッカーでストレスになったのが原因だったのかも・・・。

*あれは八咫烏(やたがらす) 《病院にて》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/7590079.html
*「ママの入院」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/626188.html

'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(16)
2006.2.12,日
 あおいのママのメモから、裁判の様子を少しずつ再現したいと思います。聞きもれやカン違いなどもあるかもしれません。後ほど加筆・訂正する場合もあります。どうぞ皆さまご了承ください。

*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
*「よど号犯妻公判」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html

*2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(15)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13207176.html

続き

【検察官】
 あなたはソンダンの宿舎にラジオを持って行きましたか?

【田中協子被告】
・はい、持って行きました。
・私はいつも朝7時のニュースだけを聴いていました。

【検察官】
 何故、朝だけなのですか?

【田中協子被告】
・夕食後子どもを寝かしつけていたので、夜はラジオを聴いていません。

【検察官】
 あなた方がソンダンの宿舎に行った88年8月以前の5月に、日本でよど号犯仲間の柴田泰弘が逮捕されていますね。ですからその当時、日本の状況には深い関心があったのではありませんか?あなた方はラジオで情報を得ていたのでしょう?

【田中協子被告】
・それは・・・、救援の方たちが柴田さんを助けるために動いていましたから・・・。救援の方から連絡はありました。

【検察官】
 8月6日に「旅券返納命令が発令された」と午後9時のニュースで報道されています。その後ラジオで聴いていないのですか?

【田中協子被告】
・「旅券返納命令」のニュース・・・、ラジオで聴いていないと思います。

【検察官】
 ソンダンの宿舎でもラジオを聴いていたのでしょう?聴いていたのではありませんか?

【田中協子被告】
・それは、ラジオは聴こえましたけど、午後9時に聴いたりできるのは村でのことです。ソンダンの宿舎では受信状況が悪いんだと思います。ソンダンは平壌から18時間もかかる場所にありますから。

【検察官】
 では、平壌で夜「旅券返納命令」のニュースを聴いていたのではありませんか?

【田中協子被告】
・ラジオで聴いていません。
・夜は子どもを寝かしつけるんです。ラジオを聴く時間はありません。

【検察官】
 ソンダンでニュースが流れたかどうかわからないんですね?

【田中協子被告】
・さぁ?わかりません。

【検察官】
 新聞はいつ頃から読んでいましたか?また、それは何新聞ですか?複数ですか?

【田中協子被告】
・87年8月頃から村に日本の新聞が届けられるようになりました。「朝日新聞」「日経新聞」その他何社かありましたが、発売日から10日くらい遅れて届きました。

【検察官】
 ソンダンの宿舎に行く前の6月〜7月の夕刊で「旅券返納命令」についてのニュースが報道されていますが、あなたはソンダンに行く前に村で新聞を読んでいたんですね?

【田中協子被告】
・村で見ていたと思うんですけど・・・。

【検察官】
 当時、村に田宮高麿はいましたか?

【田中協子被告】
・いたと思います・・・。

【検察官】
 では田宮高麿は「旅券返納命令」のニュースを知っていたのではありませんか?10日後には村に新聞が届くのでしょう?

【田中協子被告】
・(沈黙)・・・それは田宮さんが「旅券返納命令」を知ったのは知人から「かんぽう」のコピーが送られてきて、それで知ったんです。知ったのは先の話です。

【検察官】
 先の話と言いますが、前回あなたは「田宮さんが知ったのは8月20日過ぎ頃ではないかと思う」と言いましたね?

【田中協子被告】
・それは、だいたいの推測の話です。新聞がいつ届いたのかわからなかったから・・・。
・実際はいつ田宮さんが知ったのかわかりません。

【検察官】
 当時「旅券返納命令」のニュースを知っていたら、あなたは異議申し立てをしましたか?

【田中協子被告】
・心情的には「したいな」とは思っていました。しかし「よど号妻」と世間に公表していなかったので・・・。

【検察官】
 「できなかったであろう」と言うことですか?

【田中協子被告】
・はい・・・。

(17)に続く

*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(16) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13323012.html

'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(15)
2006.2.11,土

 あおいのママのメモから、裁判の様子を少しずつ再現したいと思います。聞きもれやカン違いなどもあるかもしれません。後ほど加筆・訂正する場合もあります。どうぞ皆さまご了承ください。


*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
*「よど号犯妻公判」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html

*2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(14)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12518214.html

続き

【検察官】
 1988年8月6日に旅券返納命令が出ましたが、あなたはその時にソンダンという海水浴に行っていて知らなかったんですね?

【田中協子被告】
・はい、そうです。私たち家族はソンダンに行っていました。

【検察官】
 ソンダンの場所を教えてください。

【田中協子被告】
・場所は東海岸の元山(ウォンサン)から汽車で3時間くらいの所にあります。

【検察官】
 それではこちらに朝鮮半島と日本が載っている地図があります。ソンダンの場所を赤ペンで印してください。だいたいの場所でいいですから。

【田中協子被告】
・(動揺しているように見えました)・・・地図オンチなので正確な場所はわかりません。

【検察官】
 では、あなた方の泊まったソンダンの宿舎の予約は誰がしたのですか?

【田中協子被告】
・それは・・・、予約は田宮さんがしました。田宮さん経由で北の人に、そして最終的には政府関係者がしたと思います。

【検察官】
 あなた方家族以外に何人で行ったのですか?

【田中協子被告】
・黒田(若林佐喜子)さん、小西(福井タカ子)さんたちと一緒に行きました。よど号妻の子どもたち、当時生れていた子どもたちと合わせて15人くらいで行きました。

【検察官】
 このソンダンの宿舎には1988年8月以外にも行ったことがありますか?

【田中協子被告】
・はい、あります。

【検察官】
 宿泊料金はいくらですか?

【田中協子被告】
・聞いたことありません。

【検察官】
 宿舎には食堂がありますか?

【田中協子被告】
・(しばらく沈黙)・・・わかりません。

【検察官】
 その宿泊所はあなた方以外、どういう人たちが利用していましたか?

【田中協子被告】
・他の人たちがその時にいなかったので、それはわかりません。

【検察官】
 その宿泊所は、あなた方のような特別待遇の人たちだけが利用できるのですか?

【田中協子被告】
・そんなこと知りません。

【検察官】
 例えば緊急事態が起きた場合、その宿舎から村へ連絡できましたか?

【田中協子被告】
・わかりません。

【検察官】
 宿舎へ着いたとか、遅れたとか、そういった連絡の方法を教えてください。

【田中協子被告】
・案内の方が電話で連絡していたと思います。
・それは村の方で何か起きればの話です。

【検察官】
 88年以外にもソンダンに行ったと言いましたね。その時は村と連絡を取りましたか?

【田中協子被告】
・私たちは連絡をしたことはありません。一緒に行った仲間もないと思います。
・案内の方が急があれば何らかの方法で連絡を取ったのではないでしょうか。

(16)に続く

*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(15) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13207176.html

浅草橋に行きました
( 2006.2.10,金 )
*写真は、シモジマで買ったリボンで作ったものです。

 あおいのママは8日に浅草橋の“シモジマ”というお店にリボンを買いに行きました。パパが仕事でよく浅草橋に行っていて、それでリボンやピン等がたくさん売っているのを見て「一度行ってみたら?」と言うので行ってみました。

 ちょうど先週、実家の妹が柏に遊びに来ていました。8日は帝国劇場でミュージカルがあり、それで二人で都内に出ました。ちなみにそのミュージカルはジャニーズの堂本光一主演の「SHOCK」で、席はもう二度と取れないような、舞台から真ん中の端1列目でした。すっごく良かったようです。

 妹と秋葉原で別れてから、お昼休みのパパと待ち合わせをしてシモジマに連れて行ってもらいました。リボンの多さにビックリです。そして安い。作ってみないとわからないけど、とにかく今まで買っていたリボンの値段からしたら信じられないような金額でした。あれもこれもというわけにもいかないので、とりあえず気に入ったリボンを何巻か買いました。

 あおいのママの作るブルーリボンはいつもクロスのデザイン(ラメ入り)で、あまり色んなデザインのものは作っていません。現在、集会・講演会・署名活動などに配っていまして、何しろ数を多く作りたいので、あまり手間のかかるデザインだとたくさんは作れないので同じものばかりです。もっと器用だったらなぁと思うのですけど・・。

 このリボンの見本はボランティアをしている埼玉のAさんのリボンです。2004年2月14日に上野街頭署名でいただきました。(彼女は現在もたくさんの手縫いのリボンを作り、署名活動等で配っています)そして私たちがボランティアをすることになったその年の3月から作り始めたので、もうかれこれ2年になってしまいます。早く作らなくていい日が来てほしいとずうっと願い続けているのですが・・・。近いうちに拉致被害者奪還の象徴リボンとしてたくさん作りたいと思っています。

 シモジマは店舗があちこちにあって、欲しいものがいっぱいで、3〜4時間うろうろしてしまい、くたくたになって帰宅しました。疲れたぁ〜!!

*コサージュも作ってみました。(ブログに載っています)

*浅草橋に行きました aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13159157.html

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(7)
( 2006.2.9,木 )

*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(6)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12995505.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)

続き

 私たちが北の脱北者に出会いましたのは、元々、先ほど申し上げましたように、北へ行った人たちの境遇、それを「どういうふうに支えるか」と「勉強しながら何かしよう」ということで集まりました。

 1990年代の中頃以降、向こうの経済状態が非常に悪化し、配給も止まりました。向こうの社会というのは“勤めに出ている”ことが原則です。仕事をしないでいる、そういった意味では犯罪と見なされます。何らかのかたちで職業に就かざるを得ないということですね。だけど給料はろくにもらえません。まともに仕事に就いている、という立場の人でもですよ。で、給料は到底生きていけるものに値するものは出ないんです。それを補うのが配給制度です。

 配給でいつでも食料が渡される、それが基本。しかしそれも30日分はなかなか出ません。20数日分あればいいところ。それを工夫して何とか30日分にして生きていく。で、ほんのわずかな給料、それが年金収入で、それで少しでも何か買えればということであります。

 だから働いていても給料はろくに出ないし、いつ出るかもわからないし、それはあてにできない、この配給を止めたら。一部を除いては。これは向こうの生活をとんでもない状態に追いやる。これがどういう目的で何故かということはまた色んな方式?がありますが。それで生活に破たんをきたすことが起こる。大勢の餓死者、だいたい推定300万人が死んだと見なされますが、同時に細かく食い物を探して、などを含めて大量の脱北者が出始めたわけであります。

 そんな中でですね、日本から向こうへ渡った人たちの、向こうで結婚して家族ができたり、恐らく20〜30万ぐらいの人数になっていると思いますが、そういう帰国者関係の方で餓死する人がだいぶ出てきた。そのような中、日本の親族が「中国まで逃げて来た」と「助けてくれ」というような、救助を求める連絡が来ることが起こってきたわけでございます。

 それで、そういう時に「一体どうしたらいいのか?」ということで、「北問題で何かやっているところが色々あるようだ」ということで、そういうところへ「何とかしてほしい」「どうしたらいい?」という連絡が入るようになり、私たちもそういう問題にですね、関わることになっていったわけであります。

 この問題では加藤博さん、「北朝鮮難民救援基金」というところで中心に活躍されている方でありますし、中国で・・拘束された最初の人でありますけれども、この人が特派員時代にアジア地域をちょっと取材をして、各地を回っていましたから良く知っているし、その方に知り合いがたくさんある。

 そういう特殊な人脈もお持ちの方でもあり、早くからシベリアに北朝鮮の労働者が伐採の動員にかり出されている、その人たちが逃げたりしている、というような問題も含めて脱北者にも関心がありましたから、この人が色々救援に動き、その手伝いというふうなことをしながらですね、私も色んなことで関わることになりました。

*北朝鮮難民救援基金
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/

 当初は外務省はですね、「中国国内では日本の在外公館は何も動けません」と「自分の責任で第三国まで出てください。そこまでは何もできません。中国以外まで逃げてくれたら大使館領事館から何かできるかもしれません」という姿勢でした。

 ですから、ともかく中国からどうして外へ出せばいいか?ということで、色んな出来事を手探りですると。そして当初関わった事例では、ロシアへ中国からの観光団の中に紛れてですね、中国からロシアへ出て、そしてそこからようやく日本に入って来たのが、私が最初に関わった脱北者の日本入国でありました。

 この時は幸いロシアでいったん拘束されたんでありますが、実は加藤さんもこれはあまり表には何も出ていないかと思いますけれども、ある程度は今はいいかと思いますが、あの、ロシアで拘束されましたけど、一週間ほどホテルで軟禁状態で監禁されて尋問は続くんでありますが、最後「もう隠し通せない」ということで「北から逃げて来たんだ」と。そして「自分の生まれ育った日本へ戻りたい。家族を連れて行きたいんだ」ということを話したわけであります。

 ロシアのその時に担当した刑事さんはその話を聞き、内容を聞いてですね、「わかった、この件は上にはあげない、何とかしよう」と協力してくれました。そして空港へ連れて行ってくれまして、その段階では日本の外務省の了解を得ておりましたから、そのまま在外公館の担当者と共に飛行機に旅客機に乗せてくれました。

 そして日本の領空に入った時、在外公館の担当者からご証明(承認)?をいただいて日本に入った。「日本に着くまで、いつ飛行機がロシアに戻って拘束されるかわからなかった」と言っていましたけど、そんなかたちで帰って来たのが私たちが関わった最初のことでありました。

 それからいくつかのことがありましたが、もう一つの大変な例では、ベトナムからカンボジアを経てタイにまで入るとかですね、ミャンマーからカンボジアを経てタイに入るとか、大変な行程を経てタイにたどり着く。タイに入るとですね、何とかタイの“難民高等弁務官事務所”、これは国連の組織ですね、あるいは日本の領事館、あるいは韓国の領事館で対応してくれて、タイの政府の了解を得て韓国あるいは日本へ入って来る、というルートがありました。

 でもそこまでたどり着くのが大変でありまして、実際にはその過程でですね、転落して死亡する、あるいはワニに襲われるとかですね、あるいはそこでですね、やくざのようなブローカーに囚われ、女性が奪われていくとかですね、色んな被害が実は発生しています。

 今年の始めには、アメリカ国籍の人ですからアメリカ人ですが、民族的には韓国の人であります、その牧師が、もう80歳を超えた年配の方でした。「私が誘導のために行こう」ということで、ある脱北者グループ6人を連れてミャンマーに入り、そしてタイまで誘導しようと行きましたけれども、途中の川でこの牧師は行方不明になりました。他のメンバーは何とか泳ぎきりましたけれども、現在まで行方はわかりませんから、この川の中でもうお亡くなりになったのだと思います。

 そういう支援者の犠牲者も出ながら、「何とか救える人を救おう」と動いているのが日常でございます。

 それで今は、日本から(北朝鮮に)帰国した人たち、もちろん日本国籍者は当然のことでありますが、日本から北へ渡った人やその家族であるならば、そして日本に身元引受人がいる、そういった条件が満たされればですね、中国国外においても日本の在外公館が「何とか保護しよう」と、そういう姿勢にまで日本政府の対応は変わってくれました。

 ですけど、中国政府が問題であります。なかなか保護を認めないし、まぁ拒否はしないですよ、だけどほったらかしているんですね。ですから在外公館まで保護をされた後でも、いつ日本にまで来れるかわからないんですよ。何ヶ月もほったらかされたりもする。その時のもう向こうのそのさじ加減一つ、気持ち一つなんですよね。迅速にするということをしない。

 そのために韓国の場合でも同じでありまして、韓国の大使館の中にですね、脱北者がもうたくさん入り込んで溜まってしまってですね、業務さえできないと。「脱北者の収容施設になってしまっている」ということなんです。迅速に送れればそういう問題も発生しないんですが、中国政府はそういう対応もしようともしない、という光景であります。

*北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
http://homepage1.nifty.com/northkorea/

(8)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(7) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/13138280.html

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(6)
( 2006.2.8,水 )

*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html


*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(5)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12871633.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(多少読みやすいように変えております)

続き

 後ろの方11ページに「北朝鮮強制収容所配置図」というものがあります。これについてはこのような航空写真もございます。(写真を見せる)これ、もしご興味があれば、インターネットでですね、私たちのホームページ、カタカナで「カルメギ」これは“かもめ”という意味なんですけれども、「カルメギ」という言葉で検索していただいてご覧いただくとそのホームページの中に出ております。

*衛星による強制収容所の画像
http://homepage1.nifty.com/northkorea/gulag1.htm

 おそらくアメリカの航空衛星から撮ったものですけれども、時間帯のせいなのか人影が全然見えません、この写真では。

 そして、その政治犯の収容所の他にですね、様々な名目の犯罪者を入れていく場所があります。その中の一つは「教化所」。教育の教に、化ける、「教化所」(きょうかしょ)。あるいは重労働をさせる「管理所」。あるいはまず一時的に放り込んでいく「集結所」(しゅうけつじょ)。

 色んな名前の組織が国家保衛部のもとに、あるいは“人民保安省”になりましたかね、前は“社会安全部”と言っていましたけれども、そういう、これがあの警察機構です、国家保衛部は秘密警察・政治警察ですね。そういったもののもとに色んなものがあってですね、そこへ放り込んでいくわけであります。

 何かの理由で「あいつは危険分子だ」というふうな判断をされますと、されていることも本人も家族もわからない。しかしされますと、仕事に行って、お父さんはそこからはまったく帰って来ない、連絡も何もない、行方不明、だということが突然起こるわけですね。何の連絡もないわけです。

 そう思っているうちにある夜、保衛部の連中が夜中に来てですね、音も立てずに全員を拘束して連れて行くんです。隣に住んでいた人たちの話として「朝起きたら隣の一家がいなくなっていた。家財道具も何もない」と「別に音はしなかった」と言うわけですね。しかしそれは政治犯としてやられたんだ、ということです。

 それで前兆がないわけですね。そういう不安を抱きながら、向こうの人たちは日常を送っているわけです。いつ自分にそれが降りかかるかわからない。もうともかく色んな理由をつけられますし、何か問題が起こったら誰かに責任を被せられるわけですね、摘発しなければ許されませんから。そうすると誰かをやっちゃう、ということであります。そういう恐怖の中で生きているわけであります。

 この体制の中で、人々が自由を奪われ、そしてひそかに日本のことを思いながら、帰国者や当然拉致被害者の人たちも毎日を暮らしているのが現状でございます。

 そして政治犯と見なされますと、もう裁判なんてありません。そういう判断が下された、どこかで、それがすべての最終決定であります。そして収容所へ放り込まれれば基本的に一生出て来ることはできませんし、長年生きることも極めて難しいわけであります。

*'04 11/2 国際シンポジウム デビット・ホークさん(1)〜(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/10531442.html
*'04 11/2 国際シンポジウム 金 英順さん(1)〜(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/10712128.html

 皆さんが収容所の一端を知る上では最良の本は、姜哲煥(カンチョルファン)と安 赫(アンヒョク?)という二人が書いた「北朝鮮脱出」という本ですね。姜哲煥(カンチョルファン)がブッシュ大統領にも会いましたからどんどん有名になっていますけどね。私たちも2回ほど招いて('05 11/13時点)その当時は無名でありましたけれども、本当にいい青年であります。

 なかなか優秀で、彼が話す内容は本当にそのまま文章にして活字にできる、本当にまとまった話をしっかりする、そんな話からこの青年はまぁ「いい青年だなぁ」と思っておりましたけれども、姜哲煥(カンチョルファン)安 赫(アンヒョク?)二人が自分の収容所体験を記した本であります。

*北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所 〈下〉氷上の逃走 文春文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/416710914X/qid=1139327546/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/503-4979859-5767146
*永田町の水槽 酔夢ing Voiceさんより
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/4552374.html

 この姜哲煥(カンチョルファン)は、京都にいた在日コリアンの家族であります。北朝鮮に行ってから生れたのでありますが、お父さんが突然いなくなった、その後収容されていくんです。お祖母ちゃんが熱心な北朝鮮の支持者ででしてね、お祖母ちゃんの説得で一家は帰るわけですけども、お祖母ちゃんは「自分のせいでお前たちをこんな目に遭わせた」ということを嘆きながら亡くなっていくわけであります。

 そこで9年間過ごし、そして脱出。9年間過ごした後は一応釈放されるんですね。これはもう家族ですから、収容所でもそんなに特に厳しい所ではなかった。それでもその生活は悲惨なものであります。その辺で見つけたものはなんでも食べることで、ようやく姜哲煥(カンチョルファン)は生き延びたんです。そうしなければ死んじゃうんですね。

 カエルを見つけては食べる。そして未だ言っていたのは「かつてこれまで一番上手くて食べたのは何だかわかるか?」とそう言うのはですね、「ネズミを見つけて捕まえて、その足を焼いて食べた。あの時のね、『うわぁーうまい』と思った、その感激はそれ以上うまいと思うものはまだない」と言うんですね。そんな生活をして、そういうことをもした者だけが生き残る世界であります。そういうところから脱出する。

*カルメギ特別号 2003.9.6より
 「ひどい詐欺の犠牲になった北朝鮮帰国在日朝鮮人」姜哲煥
http://homepage1.nifty.com/northkorea/tokubestugo.htm

 それから安明哲(アンミョンチョル)という人がいます。安明進(アンミョンジン)さんは色々証言で有名ですけれど、そうじゃありません。安明哲(アンミョンチョル)という人はこの収容所の守衛兵、兵士でありました。収容所のね、警備兵でありました。

 そしてその中でどんな虐待が行われているのか。これはもう本当に驚くあまりであり、特にその、そこにおける女子収容者に対する虐待は凄まじいものであります。私は学校で教師をしておりますが、学生に「読め」と言うことをためらっております。特に女子学生に「読め」とは私、言えない内容であります。それほどのひどいことが行われていると記憶しております。特に実態を知る上で貴重だと思います。

*安明哲(アンミョンチョル)証言 2003.9.11 松山集会
http://homepage1.nifty.com/northkorea/matsuyama1.htm

 収容所の中での虐待は、もう気に入らなければ殴る蹴る。そしてその結果死んだってまったく罪を問われない。何故なら収容者はもう政治的生命を奪われた、失った、あるいは政治的生命を捨てた人間。もう動物的生命しかないんだと、その価値もない、ということです。本当にそう扱われるんです。犬猫以下ですよ。もう政治的生命を失ったような人間にね、生きている価値もないのに、生かしてやっているんだ、という程度なんですね。そんな扱いを受けているんです。

 そして皆さんご存知の今年になって色んな映像も出ました、公開処刑。こういうものも頻繁に行われた時期がたくさんありましたね。脱北者の中でもそれを見せられた人は数多いわけであります。そういうもので支配してきている、北朝鮮はこういう社会体制でございます。

*CNN、脱北者を処刑する北朝鮮の実像を放送
 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4534

(7)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(6) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12995505.html

麻の葉もよう母ごころ
( 2006.2.7,火 )
 あおいのママの知り合いの方から聞いたお話です。ゼロ番台のある特定失踪者のお母さんからいただいたお手紙の中に写真が入っていました。それは“麻の葉もようの産着”です。この産着は失踪したその方の子どもさんが赤ちゃんの時に着ていたものでした。

 「この産着と一緒に旅立つのです」(原文とは多少違います)年老いたお母さんが涙ながらに綴っていたそうです。

 「麻の葉」は昔、多くの母親が産着によく好んで使われた生地のもようだということです。偶然この「麻の葉もよう」の折り紙を見つけた方がいました。昔のもようなので、たくさんは生産・販売されていないようです。普通の折り紙よりも少し小さめです。昨年折り鶴が届いた時、私は「麻の葉もよう」を知らなかったのに、不思議と懐かしい気持ちになりました。

 産着をずっと大切に持っていたお母さん。かわいいわが子をずっとずっと捜し続けています。

*失踪者公開リスト 特定失踪者問題調査会
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list2.cgi

 今日2月7日は特定失踪者「生島孝子さん」のお母さんの一周忌です。うらさんもずっと孝子さんに会える日を待ち続けました。今は美しく輝くダイヤモンドになって、孝子さんの胸に抱かれる日を待っています。

*'05 6/30 テレビ朝日「スーパーモーニング」
《遺灰ダイヤモンド物語》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/5112150.html
*生島孝子さんのお姉さんの著書刊行へ 特定失踪者問題調査会
http://chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news060119.TXT

*生島さん、本をありがとうございました。

*麻の葉もよう母ごころ aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12905259.html

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(5)
( 2006.2.6,月 )

*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(4)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12838756.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)

続き

 それから、向こうには収容所がたくさんございます。その前に“十大原則”(資料)のところをちょっと見ていただきます。向こうが国民に対してどういうことを教え、どんなことをしているのか?

 これは金正日が政権中枢まで影響を及ぼすようになってから、金正日がかなり主導的役割を果たして作り上げた金日成崇拝の体制なんですけれども、その中で作ったもので、9ページをご覧ください。「党の唯一思想体系確立の十大原則」というものを作っているんです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(引用)

「党の唯一思想体系確立の十大原則」の骨子

 金正日は、1974年2月に開催された中央委員会第5期第8次全員会議で後継者として正式に決定されるとともに、政治局委員に任命された。金正日は2月19日の演説で、「全社会の金日成主義化」を党の戦略目標として提起した。また、4月14日には「全党と前社会に唯一思想体系をよりしっかりと立てよう」と題する演説を行い、「党の唯一思想体系確立の十大原則」を提起した。

 偉大な首領金日成同志の革命思想によって全社会を一色化するため身を捧げて闘争しなければならない。

1、偉大な首領金日成同志を忠誠で高く仰ぎ奉じなければならない。
2、偉大な首領金日成同志の権威を絶対化しなければならない。
3、偉大な首領金日成同志の革命思想を信念として、首領さまの教示を信条化しなければならない。
4、偉大な首領金日成同志の教示執行において無条件性の原則を徹底して守らなければならない。
5、偉大な首領金日成同志を中心とする全党の思想意思的統一と革命的団結を強化しなければならない。
6、偉大な首領金日成同志に従い学ぶ共産主義的気風と革命的事業方法、人民的事業作風を所有しなければならない。
7、偉大な首領金日成同志が抱かせてくださった政治的生命を大切に守り、首領さまの大きな政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術により忠誠で報答しなければならない。
8、偉大な首領金日成同志の唯一的領導の下に全党、全国、全軍が一体となって動く強い組織規律を立てなければならない。
9、偉大な首領金日成同志が開拓された革命偉業を代を継いで最後まで継承し完成させていかなければならない。
P.266−P.267

*政治的生命
 「首領さまは人々が政治的生命を持っていてこそ、真の社会的人間になることができ、誇りに満ちて生きられるということを明らかにしてくださった。」
 「父母を離れては肉体的生命を考えられないように、首領を離れては政治的生命について考えることはできない。人において政治的生命は、肉体的生命とはくらべものにならないほど貴重である。」
P.284

『資料 北朝鮮研究 T政治・思想』慶應義塾大学出版会

(引用終わり)

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 もっとかなり長い文章なんですが、その中の要点だけを申しますと、こういうことを宣言している。本当にこれを実行しているのが向こうの社会です。

 「偉大な首領金日成同志の革命思想によって全社会を一色化する」って言うんですねぇ。そして1番目、「高く仰ぎ奉じなければならない」金日成をね、神さまのように扱うわけです。2番目、「金日成同志の権威を絶対化しよう」ってわけですね。

 そして3番目、「金日成同志の革命思想を信念として、首領さまの教示を信条化しなければならない」疑うことは一切許さんということですね。そして4番目、「金日成同志の教示執行において無条件性の原則を徹底して」って書いているんですよね。もう言われたらまっすぐ何も計算せずにやれと、いうことです。

 そして7番目をご注目ください。「金日成同志が抱かせてくださった政治的生命を大切に」とあります。これも向こうの体制の重要な言い方であり、現在でも最近脱北した人からも「こういうことを言うんでしょ?」って聞いたら「何度も未だに言っている」ということで、この言葉も未だに使っていることを確認致しましたが、この「政治的生命」って何だ?という、その下に書いてあります。

 これも向こうの文章から抜き出したものでありますが、このお父さんお母さんから与えられたものが「肉体的生命」だというんですね。で、首領さまからはですね、目覚めさせていただいて得たものが「政治的生命」だというんですね。この「政治的生命は肉体的生命とは比べものにならないほど貴重である」という説明をしております。

 この他いっぱい、これについてもまた文献探せばいっぱいあるんですけれども、こういうことを徹底して教えるわけなんですね。そしてこういうことを現実にあてはめながら行動させる、そういう状況であります。そしてそれに反する者は、どんどん収容所へ放り込んで処罰していくのが向こうの仕組みです。

(6)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(5) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12871633.html

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(4)
2006.2.5,日

*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12720099.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)

続き

 それでこの北朝鮮の状況でございますが、日本から帰って行った人たちを迎えた社会はどんな社会であるのか?おそらくここにいらっしゃる皆さまは、ご関心の高い方々でもうご存知のことだとは思いますが、簡単にまた触れさせていただきます。

*北朝鮮住民の成分分類表
 (パパと電脳補完録さんの協力によります)
http://aoinomama.trycomp.net/file/seibun.html

 向こうの社会は国民を三つの階層に区分しているんですね。一つが「核心階層」でありまして、金正日、当時は金日成でありますが、その政権を支え忠誠を尽くす部隊、これが「核心階層」であります。

 そしてその次が「動揺階層」です。これはどっち向くかわからん、というので「動揺階層」と言うわけなんですね。

 それからもう一つが「敵対階層」と言います。自分たちの政権に刃向かう連中だと見なしている、ということですね。この三つに分かれています。

 さらにその中をこと細かに分けましてですね、51成分。成分って言うんですね。まるで物質の成分みたいなもんですが、国民を51の階層成分に分けて区分するわけですね。それを記録を留めて就職やその他、どういう地位に就けるか全部それに基づいて判断していく、というのが向こうの社会であります。

 ざっと内容を見ていただきますと、皆さまにお配りした10ページをご覧ください。ここに51階層、ざっと並べてある資料を持ってまいりました。で、順位とありますが、これは一応向こうが1位から51位までつけたものでありますが、内容からはですね、それらを「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」に分類し直すと少し順位が変わるので、順位が1から51まで順番に並んでおりません。

 このうちの「核心階層」の中を見ますとですね、まぁ向こうはああいう国ですから、1位が“労働者階級”と形だけは、形だけです、そんなのはですね。そんな中でですね、餓死された人もたくさんあるわけですから、労働者階級がみんな豊かに金正日にかわいがってもらっている、大事にされている、決してそんなことではありません。むしろ金正日王朝でありまして、特異な支配体制であります。しかしまぁ形だけでもそういうものが並びます。

 それから8番ちょっと見てください。解放後、つまり金日成が政権を取った以後、北朝鮮あるいは共産圏国家で高等教育を受けた者は“インテリ”として優遇されます。自国内で教育を受けた者は「核心階層」なんですね。ところが留学した者は監視対象、これ「動揺階層」になります。こういう国外に出た者は信用ならん、と言っているわけなんですよね。こういう体制です。

 そして“被殺者”、つまり殺された人の家族ということで、朝鮮戦争の時に殺された人の家族とかですね、そういう者を一応「核心階層」の下層に置いているわけなんです。しかしこれが全部「核心階層」であるなどとは到底言えません。

 だいたいざっと下を大まかに見通すとですね、これまでの・・「核心階層」は20〜25パーセントぐらいであろうと思われます。

 それから「動揺階層」として分類される、途中黒い線があったりしますが、小商人からずうっとありまして、その中の真ん中から少し下32番の順位、ここをご覧ください。“日本帰還民”、これが帰国者です。北送された在日僑胞(ざいにちきょほう)。朝鮮総連系の激烈分子は入党。これが「核心階層」で、成り上がることができているわけですね。しかし、そういう一部を除いては監視対象の「動揺階層」であります。信用ならん連中だと見なされたまま、だということなんですね。こういう分類を失礼にもするわけであります。

 そして42番をご覧いただきますと“罪を犯し投獄された者の家族”、つまり向こうは連座制でありまして、家族・親族がやられちゃうんですね、一人が何か刃向かうとね。そういう仕組みを持っている、ということもここからお分かりいただけると思います。

 それで、一番厳しい状況に置かれているのが「敵対階層」であります。ここに“カトリックの信者・教徒”(30番)などが入ってくるわけなんですが、それらとともに“スパイ関係者”(43番)と見なされたらこういうふうにされるわけですね。向こうでは、“スパイ関係者”と見なすというのは別に証拠も何もない、気に入らない奴はそういう分類しちゃうわけであります。そして“処断者”(45番)、これは何らかの理由で処刑された人の家族ということでしょうね。こういう人は「敵対階層」と見なされちゃう、ということであります。

 こんな形に分類してですね、支配する。そういう国だということです。民主主義も何もない国だということがこれからもお分かりいただけると思います。

(5)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(4) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12838756.html

増元さんと飛び立った折り鶴たち
2006.2.4,土
 あおいのママとパパは昨年(05年)4月24日、日比谷公会堂で行われた第7回国民大集会の終了後、「家族会」事務局長の増元照明さんに、折り鶴を作っている有志の皆さんからお預かりした折り鶴150羽と、少しばかりのブルーリボンをお渡ししました。

 次の日の25日から増元さんが訪米すると知った有志の皆さんが、我が家に送って来てくれました。

*米の関心高さに手応え 増元事務局長ら帰国 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3898

 この折り鶴たちはご覧のようにアメリカ仕様になっています。(慌てて撮ったので下手でごめんなさい!)カブトの中には英語で書いて、そしてブルーリボンシールは個々が好きな場所に貼れるように別っこにしてあります。

 それから、少し大き目の折り鶴たちが入っていました。親鶴が子鶴を「抱っこ」「おんぶ」「たかいたかい」している3種類です。とてもすばらしい折り鶴、愛情のこもった折り鶴に、封を開けた時に涙ぐんでしまいました。(aoi blogに写真があります)

 昨年10月20日、日本青年館にて行われた「韓国人拉致被害者も救うぞ!東京連続集会12」の終了後にブルーリボンをお渡ししました。24日から訪米するということで、以前に横田さんに贈られた折り鶴たちと一緒に飛び立って行きました。

*拉致家族 特使と面会へ出発 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4435

 先月1月20日に増元さんは「スラムダンス映画祭」に参加するために訪米しました。前日の19日に東京芝公園友愛会館で「よど号犯人と拉致・東京連続集会14」が行われ、その時にいつものブルーリボン等お渡ししました。折り鶴たちと一緒に今回もアメリカに飛び立って行きました。

*めぐみさん拉致の映画公開 米ユタ州 News Flashより
http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50067828.html

 「ABDUCTION The Megumi Yokota Story」は、スラムダンス映画祭で観客賞を受賞しました。監督のクリス・シェリダン、パティ・キムさん夫妻は日本で撮影していた時に、何度かお見かけした記憶があります。本当におめでとうございます。

 23日にテレビでニュースを見ました。この日あおいのママはとても落ち込んでいましたので、かえって励まされました。増元さん、本当にありがとうございます。それで電脳補完録の山本さんにお願いして、25日日本テレビ「ザ・ワイド」の映像をブログに載せていただきました。山本さん、いつもありがとう。(aoi blogに載っています)

 映画を通して、海外の多くの皆さんにこの拉致問題を知っていただければと願っています。そしてすべての拉致被害者を救い出す力になってくれるとそう思っています。

*横田めぐみ物語:米の映画祭で観客賞を受賞 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4750
*映画「拉致〜ABDUCTION 横田めぐみ物語」日本で、なぜ、作れない? 酔夢ing Voiceさんより
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/12343001.html
*「折り鶴」カテゴリ
http://aoinomama13.seesaa.net/category/332846.html

*増元さんと飛び立った折り鶴たち aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12760215.html

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(3)
( 2006.2.3,金 )

*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12666613.html
*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12691972.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(多少読みやすいように変えております)

続き

 このようにして、北へ帰った人たちに対しては、日本の家族に、先ほど申し上げましたように日常生活にも事欠く物資不足、それを「何とかしてくれ」という手紙が届く。それで必死で日本の家族は北の家族を支えるために、お金や品物を送る、という生活が始まるのです。

 ですから、帰った人たちだけが被害を受けたのではありません。日本に残った親族は、北の家族を支えるために、それから長い長い長い苦労が始まるわけであります。

 そして自由にものも言えない、総連に対して刃向かうこともできない、それは北に人質がいるからであります。私はこれは“北朝鮮の人質政策”と考えております。

 そして時には、色んな理由をつけて帰国者を収容所へ送るのです。そして日本の親族に莫大な寄付金を要求するのです。その「寄付金を集められた人は出してやる」という構造ですね。こういうことをやってきたわけであります。

 朝鮮総連を通じて「帰国者の家族の日本における財産状況」まで調べ上げるんです。向こうへ送るんです、それを。そしてお金持ちのところへはどんどん要求してくるんです。こうして吸い上げていく。こういうことが続いています。

 そして向こうからは、お金持ちの親族であれば飛行機で日本に戻すんです、一時的に。帰国者で戻って来た人、一時的に戻ってきた人は何人もおられる。ただし一人で戻って来るのがありません。向こうの政府の“保衛部”という秘密警察のメンバーと、その政府の関係者、または労働党の関係者が監視役で付いてきて戻すんです。

 それで何をするか。日本のお金持ちの親戚を回らせるのです。そしてお金を集めさせるわけです。そしてまた北京経由で飛行機で戻って行くわけであります。

 こういうことをして、日本の親族からお金を集める、ということをずうっと続けてきたのが実態であります。したがいまして、戻った人だけが被害を受けたのではない。そのことによって、日本に残る家族が長い苦しみを味わってきた、ということでございます。

 ですから、もう北の戻って行った親族は連絡は取らない、縁を切ると。それは日本にいる人たちの生活を守るために、そうせざるを得ないという人が多くってですね、関係を絶ってしまう人が非常に多いです。

 しかし直接一緒に育った、育てた、その生みの親である方や直接育ってきた兄弟ではですね、そういう気持ちにはなれません。必死で自分の生活を犠牲にしてでも応援を続けてきたわけであります。

 そういう人たちはある時からは、場合によってはですね、北へ直接訪問もできるようになりました。行って来てはまた現実を見て来るわけであります。そして北の実態を知り一段と詳しく知りますが、人質でありますから何も声も上げられない。そういう状況が続いてきたわけでございます。

 ですからこれはなかなか当事者が声を上げて、当事者がそれを政治の問題化するのは非常に難しいと、できる者が代わりにやっていかねば、というふうにも我々は考えております。

 それで1994年2月20日にこの私たちの団体を作りましたが、神田のカンダパンセという会場にはですね、設立の時、朝鮮総連の動員部隊がわぁーっと来ましてですね、それから「北朝鮮と言うとは何だー!!」とそこからまずもう野次が始まりましてですね、で、設立宣言を読み上げたのが小川(晴久)代表でありました。

 朝鮮総連部隊がわぁーっと押し寄せ、首を締め上げるようにネクタイをつまんでですね、そんな中で小川先生は一生懸命設立宣言を読み上げる、というような時代から始まりました。

 大阪で次に集会をやった時も押し寄せて来るんでありますが、その時は向こうの不法行為は明確で、実は大阪の朝鮮総連に警察が捜査に入ったんですね。それ以後二度と出て来なくなりました。まぁそんなこともありながら取り組んできました。

*北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
http://homepage1.nifty.com/northkorea/

(4)に続く

*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(3) aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12720099.html

'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(2)
( 2006.2.2,木 )
*11/13 第16回大宮講演会に参加しました
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9366165.html
*講師「山田文明(やまだ ふみあき)」さんの自己紹介
http://aoinomama13.seesaa.net/article/9667106.html
*'05 11/13 第16回大宮講演会 山田文明さん(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/12666613.html

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です 多少読みやすいように変えております)

続き

 北朝鮮によるわが国社会に関わる巨大な人権犯罪のスタートは、もうこの時にあったということです。そして日本人妻たちには「3年で里帰りできるんだ」ということを明確に説得していた。これは日本に戻られた日本人妻の人たちから「どういう説明を受け、どういうふうにして帰ったのか」と聞けば、すべて共通していることであります。

 しかし、そのような里帰りはまったく許されることもないまま過ぎていくわけであります。

 それで戻って行った人が、どういう段階で「しまった!帰って来るのではなかった!!」と思い、「騙された!!」ということを知ったかというと、私どもが聞き取りをする中では100パーセントそれはもう新潟港を出てですね、北朝鮮の清津(チョンジン)の港、ここに着いた時なんです。

 いくつかの例がございますが、私が印象に残っているのは、お父さんが朝鮮総連のある支部の委員長でですね、人々を組織して帰国船に乗った。自分たち一家も乗った。で、お父さんはその地域の団長として乗って行って、みんなをまとめて北朝鮮へ行くわけであります。

 それで朝、「清津(チョンジン)の港が見える」と言うのでみんな甲板に出てですね、歓声を上げていた。それを娘さんは、幼い娘さんはお父さんの姿を後ろから見ていたわけなんですね。そうすると北朝鮮の旗を振っていた父が、しばらくするとその旗を海へ捨てたと言うんです。

 これは何故かと言いますと、その当時の北朝鮮、日本と比べてもその経済格差は極めて大きなものです。その港の、新潟港と比べてもまったく違う荒涼たる姿、その姿から経済状態の違いは一目瞭然であったんですね。「こんな所に来るつもりではなかった!!」そういう驚きであります。

 そしてある脱北者は、母親がショックで船の中で倒れこんだと。それでそのままですね、調子が戻らずに、「私が帰った家族みんなの母親代わりをつとめることになった」と言っていました。

 また、その脱北者の人たち及び北側で当時受け入れ担当をしていたオギワン?という方がいらっしゃいます。これはもう60年代の中頃に韓国へ亡命した方であります。日本からの受け入れの担当をしていたんですね、当時向こうの赤十字会で。

 この方からも同じ発言を聞いたのは、清津(チョンジン)で船から降りる時にですね、「こんな所に来るつもりじゃなかった!」と「降りない!次の人たちを迎えにこの船はすぐに新潟港へ行くんだから、新潟港へ送り返してくれ!!」と「降りない!!」とこういう人たちが何グループか起こってきたと言うんですね。それを警察を投入してですね、拘束して連れて行ったと。こういうことであります。

 これは、逆の乗船して来た人からも「同じようなことがあった」ということを話として聞きました。つまりそれ程ですね、向こうと日本の経済状態の違い、日常生活に生じる違いは明確であったにもかかわらず、そのことの説明は一切なされなかった。ただ日本の色んなマスコミで、当時は北のPRばかりでですね、北の実状をまともに報じるような者がほとんどなかった。

 まったくなかったわけじゃありません。しっかり見てきた人たちもあります。でもごく一部であります。ほとんどそう言うことを北側が許さなかった。そして「北は地上の楽園」だと類似するような報道もなされていった。それで帰国者に対してですね、北の実状を正確に知らせることがないまま、判断を誤らせたのであります。そういう点で「巨大な犯罪であった」と私たちは思っております。

 何故このようなことをしたのか?想像できる理由は、一つは労働力確保であります。朝鮮戦争で多くの労働力を失っております。その確保のために、実はロシアからも中国からも帰国事業を展開するんです。

 中国から連れて来た人はその後、陸続きですから、陸って言っても川はありますが、「みんな逃げて帰って来た」って言っています。しかし、日本へは戻れなかった。日本海の、大きな海があるためにですね。

 そしてもう一つは、日本からの技術者、その場・・の動員であります。北側が「もう貧しいのは入れなくていい」「技術者を集めて入れろ」と、こういうような方針を出したようですね。日本で持っていた財産をみんな持って来させる。工場設備を丸ごと移させるわけですね、北へ。そうしてできた工場が北で経済建設に役立ったというような事実もございます。こういったことはまた、いずれ歴史的な問題としてもっと解明されると思います。

 それで、向こうへ戻りました被害者からは日本に、もう、すぐ色んなかたちで手紙がまいります。その手紙にはですね、「味の素を送ってくれ」「小麦粉を送ってくれ」「鉛筆・紙を送ってくれ」「あらゆる日常品を送ってくれ」という手紙がすぐ届くわけであります。もうその手紙からですね、北の日常生活の様子、社会状況・経済状況はすぐわかったわけですね。

 その点についてオギワン?さんは、この59年に始まりますが、60年の始め頃、日本へ出す手紙をいくつかを見ることになったと。そうしたらとんでもないことを書いていた。「暮らしていけない」「品物は送ってくれ」「貧しい、こちらは」というふうなことがですね。

 「このままじゃダメだ」と「それから検閲が始まった」と言うのであります。そして抜き取りをして、北の告発につながるようなものについては、本人に厳重に注意するようなことをどんどん進めていった。

 そうすると、抜き取り調査をしている手紙が、だんだん変な手紙が増えてきたわけですね。ピョンヤン、平壌ですね、「平壌はいつも雨が降っています」雨降ってないじゃないの?何だ?これは?いうふうな手紙です。つまり暗号を書き始めたということです。「向こうの状況はこうだ」「帰って来るな」と伝えるためにですね。

 また、帰る人たちも全員が信じて行ったわけじゃありません。疑いを持っていた人がたくさんある。その人たちの中には「向こうから手紙を出すが、横書きならば嘘だと思ってくれ」と。「何が書いてあっても、縦書きなら本当だ、信じてくれ」。向こうから来る手紙はみんな横書きで、「北はすばらしい国だ」「ぜひ早く帰って来てほしい」と書いて来たと言うんですね。

 またある人はですね、向こうから着た手紙に「誰々さんが大学を卒業したら、一日も早くみんなで北へ帰って来てください」と書いていると言うんです。で、その誰々ちゃんというのはですね、まだ3歳じゃないか?ということでした。明らかに「今帰って来るな」ということを伝えているわけですね。

 そしてある脱北者の人はこういう話をしてくれました。「私は検閲されることを知っていたから、切手の裏に細かな字で『帰ってきちゃダメだ!』ということを兄に知らせた」と。この切手は本当に歴史的に貴重なものだと思います。これは今あるのです。お兄さんが保管して持っているんです。私は重大な歴史の証拠だと思っています。

 そ