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2005年09月の日記
| 9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(4) |
( 2005.9.30,金 ) |
*9/18 取手市民の集いと東京集会 http://aoinomama13.seesaa.net/article/7121077.html *9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7509862.html *9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7518378.html *9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7544933.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
続き
“北朝鮮による拉致”というのは、確かに非常に異常なことです。我々が調査を致しておりまして、少なくとも100人以上の人が拉致をされた、と。どんなに遅くても昭和30年代から拉致が行われていることは間違いがない!!
しかし、政府は何もしてきませんでした。それに気がついたのは、この9.17の後でございます。9.17で北朝鮮側が出してきたリスト、生存という5人の中に一人だけ日本政府がそれまで「拉致だ」というふうに認定していなかった人が入っておりました。皆さんご存知の“曽我ひとみさん”でございます。
曽我ひとみさんが出て来たことで、日本政府が、北朝鮮当局も、そして私たちもまったく想像もしていないことが起きたんです。それはどういうことかと申しますと、「ひょっとして家の子どもがいなくなったのは『拉致』だったのではないだろうか?」という思いを持たれた方が、たくさんおられたということです。
当時、私は先ほども申しましたように、救う会の事務局長をしておりましたが、我々の事務所に、次から次へとお手紙・FAX・電話・Eメール、そして場合によっては直接ご家族がご連絡を取って来られました。
最初のうちは「まぁ、たまたま偶然そういうことに触発されて言って来たんだろう」というふうに思っていたんですが、しかしもちろんご家族は真剣ですから、こちらもですね、放っておくわけにもいかず、「どこでどういうふうに、どういう方がいなくなったのか?」と書いてもらうペーパーを作りまして、そのご家族に送りました。
えー、しかしあの当時救う会ではまぁ「5人を帰国させる」「帰国した5人を返さないようにする」、そして8人の、確認されていない、ということはやはり生きている可能性が充分にある、ということであろう、ということで、この北朝鮮の嘘をですね、暴いていこう、ということがまぁ正直言いまして最前線でございまして、“失踪者の問題”については、なかなか手をつけられませんでした。
そのうちですね、しかし書類はどんどん溜まってくる、仕方ないので家に持って帰りました。「家に持って帰る」と言ってもですね、私ももう夜遅いですから仕事もしていられない、ということで、家の家内にですね、資料の整理をしてもらいました。
そうしたらば、やがてデータベースを作ってくれていた家内が「これは絶対に偶然じゃない!」「必ず何かあるに違いない!!」というふうに言い始めました。
(5)に続く
*9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(4) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/7628315.html
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| 9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(3) |
( 2005.9.28,水 ) |
*9/18 取手市民の集いと東京集会 http://aoinomama13.seesaa.net/article/7121077.html *9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7509862.html *9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7518378.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
続き
外務省の飯倉公館の中は、マスコミは完全にシャットアウトでした。マスコミを完全にシャットアウトしておいてご家族に一人ずつ、植竹繁雄(ウエタケ・シゲオ)外務副大臣と、そして福田官房長官が手分けをして、「あなたのお子さんは、ご兄弟はなくなりました」というのを伝えたんです。
そしてマスコミからシャットアウトされている内に平壌で何が行われていたのか、というと、あの平壌宣言の調印です。平壌宣言には拉致の『ら』の字も入っていない。それを調印をしたと。
*日朝平壌宣言 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4264
「確認をしていない・・・」
どうしてあの時、私も考えてみれば「どういう確認のしかたをしたんですか?」というふうに聞けばよかったんですけれども、とても雰囲気はそういう雰囲気ではありませんでした。
これはもう、拉致の救出運動に取り組んでいる人間であれば、誰でも心の片隅に必ず持っていることでございますけれども、「ひょっとして運動をやって騒いだことで、拉致被害者に危害が及ぶのではないか・・・」と。
私自身、北朝鮮のこれまでのやり方とか色んなことから考えたらば、その可能性は極めて低いと思っています。思っているからやっているんですけれども、しかしそうではあってもやっぱり心の片隅には「ひょっとしたら・・・」という思いを消すことができないのも事実でございます。
あの時は、あの宣告を聞かされた時は、「自分の今まで5年間やってきたことというのは、人殺しだったのか?」という思いでございまして、頭の中が真っ白になってしまいました。もう私はおそらく死ぬまであの時計を忘れることはないだろうと思います。
しかしそれが翌日になって「確認をしていない」とわかった。あの時もし、私が平沢勝栄さんとあの電話を受けていなかったら、「梅本さんがいる」ということがわからない状態で、梅本さんはその翌日19日に「イギリスに帰国をする」ということになっておりました。
梅本さんが帰ってしまったらば、みんな「確認をしたんだろう」という思いのままでずうーっときてしまった可能性がある。
そしてあの時に政府はどう言っていたかというと、「生存をしている人たちについては会うようにしていきたい」「そして亡くなった方については、遺骨の収拾等について協議をしていく」「これは日朝の国交正常化の協議の中で行う」というふうに言っておりました。
もしあの時、あれがそのまま進んでいれば、誰一人として「日朝国交正常化を動きを止めよう」という人はいなくなったと。そして「死亡というのは、みんな既成事実化されていった」ことは間違いがございません!!
政府は何をやりたかったのか?と。「拉致被害者を助けたい」ということは一切なかった。あの時やりたかったことは「日朝国交正常化を進めたかった」、ただそれだけです。そのために、死んだことの確認もできていない人を「死んだことにしてしまった」ということでございます。
後でこのことに気がついた時に、私自身は正直言って「国家権力というものはこれ程恐ろしいもの」という思いで、背筋が寒くなるような感じを致しました。
あの時以来、私自身は、国家というものに対する考え方がかなり大きく変わってしまった、というふうに言わざるを得ないです。
(4)に続く
*9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(3) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/7544933.html
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| 9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(2) |
( 2005.9.27,火 ) |
*9/18 取手市民の集いと東京集会 http://aoinomama13.seesaa.net/article/7121077.html *9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7509862.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
続き
当時、平沢さんは拉致議連の事務局長でございました。昨日9月17日に、平壌で蓮池さんたちと直接面会をしている“梅本さん”という外務省の当時駐英公使でございますが、その前に北東アジア課長で北朝鮮問題をやっていた方が、応援で「平壌に行っていた」と言うので、それで「その人がまだ東京にいる、会えるかもしれない」というふうに言われました。
そして私と横田さんのご両親と弟さん、蓮池さんのご両親とお兄さんの透さんの8人で、たしか夕方の5時半だったと思いますが、外務省にまいり、梅本さんから話を聞きました。
そうしたならば、梅本さんは「8人死亡ということについて確認をしていません」とお答えになりました。「北朝鮮側から出された情報をそのまま東京に伝えただけだ」というふうに言っておられました。
「話が違う!」と。「我々は外務省の飯倉公館で『何度も確認をしました』と『亡くなりました』というふうに聞いている!!」と。
「あなたの言っていることは、北朝鮮側が『8人が亡くなりました』と言っていることだけではなく、8人が亡くなったと北朝鮮が言っているという話と、亡くなりました確認しましたという話の間には、天と地ほどの違いがある!これは間違いなんだから訂正しなさい!!」というふうに申しました。しかし梅本さんは「上司と相談して・・・」と言うだけで、一向に動こうとしない。
後で色んなことを考えてまいりましてわかりました。皆さん、あの9月17日の時ですね、3年前のことを思い出していただければ、夕方ぐらいになってから、あのテレビの画面にですね、選挙の開票速報がありまして、「横田めぐみさん死亡・蓮池薫さん生存」とかですね、一覧表が出たのを記憶しておられる方もあるかもしれません。
ご家族が伝えられた時はどういうふうに伝えられたか。あの9月17日の昼に、あの時政府認定者11人ですが、「11人全員の消息を伝える、だから外務省に来てください」と「外務省でないと、平壌と(通信が)直接つながっていないんです」というふうに言われたんです。
それで我々は、もともと行くつもりはなかったんですが、待機していた国会の議員会館から、首相官邸の指しまわしたバスに乗って、外務省の飯倉公館まで行ったと。そこで聞いた話はどういう話だったか?というと、先ほどの話でございます。
(3)に続く
*9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(2) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/7518378.html
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| 9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(1) |
( 2005.9.26,月 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
ただ今ご紹介いただきました、“特定失踪者問題調査会”と申します、政府が認定していない拉致被害者の調査救出に携わっている団体の代表を致しております荒木と申します。
*特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/ *荒木和博BLOG http://araki.way-nifty.com/araki/
先ほど横田さん、増元さんのお話の中にもいろいろ出てまいりましたけれども、3年前の今日、9月の18日というのは、前日小泉総理の訪朝を受けまして、あの日はもうすでに報道は「5人生存8人死亡」ということで、もうほとんど確定をしたような報道が流れておりました。
3年前の今日の朝(9月18日)、私も横田さんも増元さんもみんな港区のホテルに泊まっていたのですが、朝起きまして、えー、前の日、非常に悪夢のような宣告を聞いてですね、えー、先ほど横田さんのお話の中にもありましたが、横田さんの場合は、植竹繁雄(ウエタケ・シゲオ)外務副大臣が、「誠にお気の毒ですが、お嬢さんは亡くなっておられます」というお話をされました。
*植竹繁雄外務副大臣略歴 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/fuku/uetake/ryakureki.html
あの時、当時私は“救う会の事務局長”をやっておりましたが、えー、同じ部屋に同室を致しました。横田さんのご両親と双子の弟さん、そして救う会の佐藤会長と、当時事務局長だった私がご一緒に話を聞いたんですが、「亡くなりました」と。
横田さんのお母さんが「そんなこと、信じられません!!」というふうに言われたんですけれども、植竹副大臣は「いや、何度も平壌に確認をしたんです」「何度も確認をしたんで、こんなにお待たせをしてしまったんです」というふうに言われたわけです。
外務省の麻布飯倉公館でございました。外務省のゲストハウスに連れて行かれて、そこで外務省の副大臣から「確認をしたんです」というふうに言われれば、さすがに「やっぱりそうなのかなぁ・・・」という気持ちがございました。「嘘だろう!!」と否定をしたいけれども、しかしやはりここまで言うということは「確証があるんだろう・・・」というふうに思ったことがあります。
ところが一日明けまして、翌日、安倍官房副長官、そして平沢勝栄衆議院議員、そして西村眞吾衆議院議員、そのお三方が朝ホテルに来てくださいまして、今後のことをいろいろ協議致しました。
ともかく、「総理から直接お話を聞きたい」というふうに申し上げたんですけれども、「総理は忙しくて会えないんだ」「10日後なら会える」という言い方でございました。
じゃあしかたがないということで、記者会見をやって、そして午前中の記者会見が終わりましてお昼頃、まぁ、ホテルの部屋を片付けてですね、半ば途方にくれながら「出ようかな・・・」というふうに思っておりましたらば、平沢勝栄議員から電話がかかってまいりました。
(2)に続く
*9/18 取手市民の集いと東京集会 http://aoinomama13.seesaa.net/article/7121077.html *9/18 取手市民の集い 荒木 和博さん(1) aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/7509862.html
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| 絶食水 《病院にて》 |
( 2005.9.23,金 ) |
お隣の部屋の方が検査のため「絶食水」のプレートを持っていた
かわいそうに お気の毒になぁ〜って思っていたら・・・
わぁ〜ん あおいのママもついにその時が!!
「明日の朝食と昼食は抜いてくださいね〜」って
看護師さんは軽く言う
「あっ、ついでに今晩は水も飲まないでくださいね!」
ウソっ! お腹空きすぎてなかなか眠れない・・・
次の日の朝
「う〜ん・・・検査が混んでいたら 夕方までかかるかもね」
もう元気に返事ができなかった
でも運良くすぐに検査をしてくれた
ママが バタンキューだったから
看護師さんが検査室に頼んで急がせてくれたのかな?
朝食が1時間遅れただけだった(大げさ?)
ごはんがいつもよりいっそうおいしく感じた
ごちそうさま
*「ママの入院」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/626188.html
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| 9/21万景峰号入港抗議活動 増元照明さん |
( 2005.9.21,水 ) |
いつも「万景峰号入港抗議活動」に参加されています新津市民さん(万景峰号の入港を阻止する会)が撮影しましたビデオ映像から文字化しました。いつもご活動お疲れさまです。
*新津市民さんのアルバムです。(9/21新潟西港中央埠頭にて撮影) http://www.photohighway.co.jp/tp/15_f.asp?key=1650096&un=53702&m=0&pa=&Type=15
*聞き取りに間違いのある可能性もあります。どうぞご了承ください。
皆さん、おはようございます。今日は埼玉県議会の皆さんご苦労さまです。あの、どのようなかたちであれ、こうやって日本の国会議員、そして地方議員の方たちがこの地に訪れて、この船の入港状況を見ていただくというのは、何か感じていただけるものが必ずあると思いますので、非常に私はいいことだと思っております。
この船は統一戦線部の所属する、統一戦線部に所属する「スパイ大型工作船である」ことは、もう安明進氏の証言ではっきりしております。「これは希望の船」と言っておりますけれども、はたして在日の人たちは、本当にこの船で北朝鮮に帰るのを喜んでいるのか?
実際のところ、私の聞いている話ですと、この船はあまりにも構造が良くなくて重すぎて、しかも費用も北朝鮮サイドの・・ですので、荷物に対して非常にお金がかかり、返って飛行機で行った方が楽であるし、費用も安いという話も聞いております。
本当の在日の方たちは「この船がなくなることを喜んでいる」という、そういう実態もあるということも良く知っていただきたいと思います。
さらに今日はまた、何かしら化粧し直してきたみたいで、(船の外装が)キレイになってきておりますが、埼玉県議会の方たちに見せるためにやっているのではないか?とそういうように私は感じております。(周りで笑いが)
それだけ「この国の情報が北に流れている」ということは間違いないと思いますが、我々は一昨日、全国協議会救う会、そして家族会のメンバーで、これからの活動方針を決めております。その中のスローガンとして「めぐみさんたちは生きている!経済制裁の圧力ですべての拉致被害者の救出を!!」というそのスローガンをもとに、これから私たちは強く政府に訴えていきます。
「めぐみさんたちは生きている!」というこの現実を、日本の国の皆さんに思って受け止めていただきたい!!生きている人間を早急に救出するのが、我々人間としての道ではないでしょうか?(周りから「そうだー!」)
日本に帰って来れない被害者を、「帰って来たい」と思っている被害者を、私たちは同胞として家族として早く取り戻さなければならない!!政府にそのように強く思っていただきたい!!
しかし国土交通省は“MMIA”なる、非常にあやふやな保険会社の保険に入って来ている、この船を入港させているということは、また北朝鮮政府に対し、ゆるい政策を持っているという事なんです。日本国家が「36社しか認めない」と言ったものを、それ以外の保険会社に入って来るということを認める、ということは、また「北朝鮮に対して優遇措置をしている」ということ、「朝鮮総連に対して優遇措置をしている」ということです。
*北朝鮮船18隻 国交省ずさん審査 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3940
こんなことを許していたら、私たちの国は本当に国家としてこれから頑張っていくのか?という、そこから考えても、絶対にこの船を止めなければなりません!!
*国土交通省 http://www.mlit.go.jp/
まず、国民の声で政府に対しお願いして、この国の許可を取り消させること。そして「私たちの家族が帰って来るまで入港を認めない!」という強い声を上げていっていただきたいと思います。
ぜひ、埼玉県の皆さんにも一般の皆さんにもこの場所にきていただいて、私たちと共に抗議行動をしていただけると非常にありがたいと思います。よろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)
*5/18 万景峰号入港抗議集会 増元 照明さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/3779711.html *6/4 万景峰号入港抗議活動 増元 照明さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/4132630.html *8/24 万景峰号入港抗議活動 増元 照明さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/6211349.html *9/6 万景峰号入港抗議活動 増元 照明さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/6677073.html *「万景峰号入港抗議」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/623097.html
*9/21 万景峰号入港抗議活動 増元 照明さん aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/7161019.html
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| おやすみ コロちゃん |
( 2005.9.20,火 ) |
aoinomama13のホームページ及びaoi blogでも何度か紹介しました、あおいのママの実家の柴わんこ“コロちゃん”が、9月8日に永眠しました。
コロちゃんはこの日、我が家に遊びに来ていました。台風が去った次の日、とても暑い日でした。私たちが5年前まで9年間住んでいた南柏でお散歩をして(以前よくお散歩していた広場で)、それから我が家に来て、いつものようにごあいさつをしていつものように・・・・。
あおいのパパを玄関で待っていました。「まだ仕事から帰って来ないよ」と言い聞かせました。そして突然「わぁおーん」って7〜8回鳴いて、あっという間でした。
「コロちゃん!コロちゃん!イヤだよー!!起きてよー!!」
何度呼んでももう起きませんでした。動物病院に連れて行きましたが、もう息を引き取っていました。先生が「びっくりしたでしょうが、この子にとって苦しまずに旅立って幸せでしたよ」とおっしゃいました。近くの火葬場で小さなお骨になりました。
1年前から心臓が悪くなってずっと薬を飲んでいたコロちゃん。もう苦しまなくてすむね。あんな姿をもう見たくなかったもの。
「コロ〜!」って呼んだらすっ飛んできて、尻尾を思いっきり振って、「わぁう〜!」って手をかんで・・・。そんな元気なコロちゃんが、あんなふうに咳き込んで苦しそうにしている姿なんてもう見たくなかったけど・・・。
13歳と7ヶ月でした。人間でいうと68歳くらいだということです。もう少し長生きできたらよかったけど、先生のおっしゃった言葉を信じましょう。
毎日一緒にいた父と妹は、私たちとは比べられないほどの悲しみだと思います。父は母亡き後、コロちゃんと一緒に寝ていたし、妹もとてもかわいがっていたし・・・。
父が声を詰まらせながら言いました。「本当にいい犬だった・・・」って。うん、そうだね。本当におとなしくていい子で忠犬だったね。家族だものね。
コロちゃん、今までありがとう。最後に会いに来てくれたんだよね。ぐっすりおやすみなさい。お空で目覚めた時、きっとお母さんとあおいちゃんが迎えてくれたでしょうから。
*「伊豆に帰りました」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/642440.html *おやすみ コロちゃん aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/7222851.html
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| 9/18 取手市民の集いと東京集会 |
( 2005.9.18,日 ) |
あおいのパパとママは、9月18日に「茨城県取手市民の集い」と「東京集会」に参加しました。一日二つの集会に参加するのは体調的に厳しいので、「茨城県取手市民の集い」にはパパが、「東京集会」には二人で参加しました。
【取手市民の集い】
あおいのパパが参加しました。主催は「拉致問題早期解決を実現する取手市議員の会」(有志32名)で、この日は大変多くの皆さんが参加されまして、1100人収容のホールが8割方うまっていたということです。お話を聞いている皆さんもとても熱心に、うなずきながら聞いてくださっていたそうです。
署名もこの集会で600人分集まり、カンパも24万5千円集まりました。そのお金は増元照明さんに直接手渡され、家族会と特定失踪者問題調査会で半分半分に活用させていただくということです。
講演は、拉致被害者家族会代表の横田滋さん、家族会事務局長の増元照明さん、特定失踪者問題調査会の荒木和博さんでした。
横田滋さんは、めぐみさんの拉致された時の状況から現在に至るまでの経緯のお話でした。そして最後に「この前の選挙の時に、拉致の『ら』の字もなかった。日本国民の声、世論の力が大きいので、ぜひ皆さん、これからもこの問題に関心を寄せていただきたいと思っています」とおっしゃっていたということです。
増元照明さんと荒木和博さんの講演内容については、文字化か簡単なレポートを作成したいと思っていますが、少し時間がかかると思います。ご了承ください。
集会の最後は合唱をしました。コーラスを担当した皆さんはボランティアとして参加された「ひまわり合唱団」です。「私たちにも何かできないか」と考えていた方々が、歌でも歌って被害者ご家族の皆さんを励まそうと集まり、それに賛同した「ひまわり合唱団」の皆さんがこの場で歌うことになりました。増元さんが大きな声で歌っていたことがとても印象的だったそうです。(パパは泣いてしまってまともに歌えなかったとか)
とどけ北朝鮮へ!美しい日本のうた 《事前に配られたプログラムより》
*故郷(ふるさと) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7101869.html *七つの子(ななつのこ) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7102475.html *見あげてごらん夜の星を http://aoinomama13.seesaa.net/article/7102394.html
集会終了後、ロビーにいた増元さんに声をかけました。「来てくれてありがとう」と「奥さんは?」とおっしゃってくださったそうです。ありがとうございます。その後、パパは東京芝公園の友愛会館に急ぎました。
*経済制裁必要性訴え、取手で拉致問題集会 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4325
【東京集会】
あおいのママとパパは「拉致被害者は生きている! 東京集会11」に参加しました。受付にはいつものようにSさんがボランティアをされていました。いつもご苦労さまです。(会えてうれしかったよ〜)
会場はいっぱいになりました。(150人くらい?)拉致被害者田口八重子さんのご家族の皆さんや、特定失踪者佐々木悦子さんのお母さん、その他特定失踪者のご親類の方など、私たちと同じ席でお話を聞いていらっしゃいました。
報道関係者も大勢来ていました。(6社以上だったと思います)今回は珍しく?テレビ東京もカメラを回していました。ジャーナリストの方々の中に、先日漫画「めぐみ」を送ってくださった小山唯史さんも参加されていました。お疲れさまです。
*小山さん ありがとう http://aoinomama13.seesaa.net/article/5289714.html
今回の集会はいつものようなご家族のお話ではなくて、元北朝鮮工作員の安明進さんが北朝鮮にいた時に目撃した拉致被害者の方々のこと、先日NHKで放送された「クローズアップ現代」の中で出てきた新事実についてのお話などがありました。できましたら後ほど内容をレポートしたいと思っています。
*9/15 NHK「クローズアップ現代」 http://aoinomama13.seesaa.net/article/7003777.html
拉致被害者ご家族の皆さんが質問や、安さんに今までのお礼の言葉を含む思い思いのお話などもありました。とても感謝しているのがよくわかりました。(質問は飯塚繁雄さん、増元照明さん、本間勝さん、お話をされたのは、平野フミ子さん、斉藤文代さん、寺越昭男さん、有本さんご夫妻です)
安さんに、報道関係者の方々の質問もありました。日本テレビの「ザ・ワイド」のリポーターの方がいろいろと質問をしていました。集会終了後もカメラをまわしてずっと取材をしており、それが次の日の番組で放送されていました。
また、安さんは拉致問題だけではなく、北朝鮮で苦しんでいる同胞を救うために、韓国で同じ脱北者の皆さんと一緒にいろいろと活動されているようです。妨害などもあって大変だということですが、安さんにはぜひとも頑張っていただきたいと思います。
あおいのママは退院後久しぶりに集会に参加しました。ご家族の皆さんや知り合いの皆さんに声をかけていただいてとてもうれしかったです。
飯塚さん、いつも気にかけてくださって本当にありがとうございます。入院中にはステキなユリの花の絵葉書で励ましてくださって感謝しております。
また、ボランティアの友人の埼玉のAさんや自転車男さん、いつもありがとうございます。自転車男さんには、「気が滅入った時に」とかわいい絵本を貸していただきました。Aさんには葉書やメールでずっと励ましていただいており、感謝の気持ちでいっぱいです。
いつもお友だちを連れて集会・講演会等に参加してくださる紫ハナナさん、お疲れさまです。久しぶりにお会いできて、お話できてうれしかったです。
遠くからご参加のnikitaさん、よく私がわかりましたね。声をかけてくださって本当にうれしかったです。お友だちの方も見てくださってありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。
そのほか声をかけてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
終了後に斉藤文代さんと平野フミ子さんに、少しばかりのブルーリボンをお渡ししました。近いうちに地元で署名活動をされるということで、その時に使ってくださるそうです。
*写真は昨年の選挙戦最終日、事務所でのスタッフ打ち上げ終了後に、撮らせていただきました。(ブログに載っております)
また、私が特定失踪者「高野清文さん」のお母さんから作っていただいたブルーのバラをいつも胸につけているのですが、平野さんがそれを見て「高野さんは元気にしている?」と聞かれました。このバラは昨年の参議院選挙の際に、高野さんが同じものを、増元さんに成功を願ってプレゼントしていたのをご存知なので、そうお尋ねになったのだと思います。「はい、元気に頑張っています」と答えました。
*高野清文さん http://nyt.trycomp.com/takano/ *KONAboration-SSQ 高野美幸さんのブログ http://konaboration-ssq.seesaa.net/
斉藤さんにも入院中のお母さんの状態をお聞きしました。斉藤さんとは何度かよど号犯妻の裁判でご一緒していて、以前につらい話などもいろいろとお聞きしたことがありました。
「今のところ母も何とか頑張っていますよ」「こうやって手を握ってね、『薫、薫』と呼ぶんですよ」とおっしゃっていました。(切ないです・・・)そういう斉藤さんもあっちこっち持病を抱えながらの活動ということで、少しお痩せになっていましたので、とても心配になりました。
*「よど号犯妻公判」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html
集会などに参加すると常連さんが多い時もあり、ご家族の皆さんもガッカリするのでは、と思うこともありましたが、お会いすると皆さん「今日も来てくれてありがとう」と、とてもうれしそうにおっしゃってくださいます。(もっと多くの皆さんにご参加いただけるのがいいのでしょうけれど・・・)
ご家族の皆さんは、私たちには到底わからない苦しいことがいっぱいだと思います。そういった中で、ほんの一瞬でも悲しい顔ではなく、満面の笑みを見せてくださったら、それが私たちにできる支援の一つかな、とも思います。参加することで少しでも皆さんの心の支えになれればいいなと。
支援者の皆さんも含めて、みんなでみんなを支え合って、助け合って、この問題の早期解決のため、一緒に闘っていきたいと思っています。
皆さん、本当にお疲れさまでした。
*9/18 取手市民の集いと東京集会 aoi blog(写真もたくさんあります) http://aoinomama13.seesaa.net/article/7121077.html
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| 今日という日に感謝 |
( 2005.9.13,火 ) |
あおいのママの名前は“あけみ”といいます。ひらがなです。
私が生まれた昭和4?年の頃は、まぁ母がそう言っていたのですが、○子という名前は流行りではなかったそうです。それで父も母も“秋子”と名づける予定を、“あけみ”にしました。
漢字でよくある“明美”ではなく、ひらがなの名前にしました。今思えば、漢字でなくてよかったと感謝しています。そんなキレイな名前でなくて。何しろ名前負けしてしまいますから!
子どもの頃、母にこう言いました。「名前を変えたい。大人になったら名前を変えていい?」と。
“あけみ”という名前はよく馬鹿にされました。「何番テーブルお願いしま〜す!」って何度言われたかわかりません。「安っぽい名前」「つまんない名前」だと言われたこともありました。今はそんなこと全然思わないのに、子どもの頃は気にしていたんでしょう。
それともう一つ、母の名前は○子で、ママの二人の妹も○○子、○子です。何で私だけなの?血液型だって父も母も妹たちも同じなのに、私だけ違う。
「名前を変えたい、最初に決めた“秋子”にしたい。お母さん、いいでしょう?」
母はその時とても悲しい瞳をしていました。「どうして?こんなにいい名前なのに・・・」それ以上は何も言いませんでした。
結局、名前は変えませんでした。あの母の悲しい目が忘れられませんでした。母を傷つけてしまったかもしれないと、今でも後悔しています。
子どもの名前を決める時、親がどんなに気持ちを込めて、愛情込めてつけるか、自分がママになってよくわかりました。お母さん、あんなこと言ってごめんね。
今私は本当に心から“あけみ”でよかったなぁと思っています。それはパパの血筋は“あけみさん”に弱いからです。パパの父方の従兄弟はパパを入れて3人いますが、偶然にもお嫁さんはみんな“あけみさん”なんです。(漢字ですが)おまけに一番歳若い従兄妹の名前も“あけみちゃん”です。○○家の男性はみ〜んな“あけみさん”に弱いことがわかります。
パパはママに初めて会った時から、やけに呼びなれているなぁと思いました。もしや元彼女が同じ名前では?何て勘ぐってしまったこともありましたが(笑)そういうわけだったんですね!
私は母の実家で産婆さんに取り上げていただきました。逆子だったそうです。へその緒が首に巻きついた状態で生まれてきました。息が詰まって最初は泣けなかったとか。
母の実家では当時初孫誕生でとても喜んでくれたそうです。寝たきりの曽祖母が「あけみを抱きたい」と言ってくれたそうですが、もう赤ちゃんを抱く力はなく、しばらくして亡くなりました。
今日9月13日は、あおいのママの誕生日です。今年も元気に誕生日を迎えることができました。今日という日にとても感謝しています。
*今日という日に感謝 aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/6880251.html
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| Wさん おめでとう |
( 2005.9.11,日 ) |
先日、学生ボランティアのWさんから「来年の進路が決まった」と連絡がありました。Wさん、おめでとうございます!本当によかったですね!!ホッとしました。
Wさんと初めてお会いしたのは昨年5月、街頭署名活動をしていた時でした。「お手伝いをさせてください」と声をかけてくれたのがきっかけでした。聞けば救う会神奈川でもボランティアを何度かしていて、こういった街頭にも立って声を出しているということでした。
また、Wさんは特定失踪者「中村三奈子」さんの高校の後輩で、三奈子さんの失踪の解明・救出を、地元新潟だけでなく関東でも、何か自分にできることがあればと考えての行動だということでした。
*Wさん おめでとう aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/6855343.html
*中村三奈子さんを捜す会 http://www2.nct9.ne.jp/murasaki-tuyukus/ *中村三奈子さんをさがしています。 http://soiga.com/minako/
ちなみにその高校の先輩には、山本五十六や櫻井よし子さんがいるということです。とても優秀な人材を出している学校だと思いました。
昨年の夏に朝霞市で講演会がありました。その時にWさんとご一緒したのですが、夏休みに実家の新潟に帰省するので、講演会で配られた資料や署名用紙を「三奈子さんのお母さんにも渡したい」と言うので、あおいのママの持っていた資料を差し上げました。
その後9月17日の緊急国民集会の際に、三奈子さんのお母さんが集めてくださった署名を預かってきて、特定失踪者「藤田進」さんの弟さんの隆司さんにお渡していました。
街頭署名活動でも、自分で用意した三奈子さんの資料を配ったり説明したりと、一生懸命に頑張っていました。救う会神奈川の活動にもいつも参加していました。
最近は来年度の進路のため、なかなか参加はできないようでしたが、「決まったらすぐに連絡します」と約束をしていまして、いい知らせが来るのを待っていました。
そろそろかなぁ〜と思っていましたが、11日にいい知らせが届き本当にうれしかったです。
Wさん、本当におめでとうございます!!ここまで来られたのもご両親の愛情の賜物だと思います。いつか必ず恩返しをしてくださいね。いつでも優しいWさんでいてください。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
*昨年Wさんに「中村三奈子さんをさがす会 会報 第5号」をいただきました。その全文が電脳補完録さんに載っています。
*特定失踪者・中村三奈子さん 25回目の誕生日 18日 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3044
その会報の最後にWさんのことが書いてありました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 《感謝!!こんな善意の方がいらっしゃいます》
長岡高校の卒業生で現在大学生の方。・・三奈子さんのことを知って何ができるか考えました。 自分がいる場所で、さがす会の地域版のような形で会をたちあげ、できることをして行きたい・・・という連絡をくださいました。 そこでの活動から、どんな情報が飛び込んでくるか・・・。ありがたいことです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
翌9月18日(昨年です)が三奈子さんの25歳のお誕生日ということで、三奈子さんのお母さんは17日の緊急国民集会には参加されなかったということです。
中村三奈子さんが、一日も早くお母さんのもとへお帰りになりますように、心より願っております。
*Wさん おめでとう aoi blog http://aoinomama13.seesaa.net/article/6855343.html
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| 黄色いカーディガン |
( 2005.9.9,金 ) |
私は妊娠がわかった時から、わが子に着せたくて「黄色いカーディガン」を編み始めた。出産予定日は平成16年1月1日。冬に生まれるわが子のために編もうと決めた。
記念すべき退院する際に着るベビードレス、帽子、靴下、手袋、おくるみを編む前に、久しぶりに編み物をするのでならす意味で、12ヶ月頃まで着れそうなカーディガンを編むことにした。
その時点ではまだ男の子か女の子かわからなかったので、とりあえずどちらでも似合うように柔らかな色の黄色の毛糸にした。
しばらくして「お腹の子は男の子です」と先生に言われ、「そうなのかなぁ・・・」と納得できなかったんだけど、「まぁ、男の子でも黄色は似合うから」とパパにも応援されて、何とか前身ごろ、後ろ身ごろ、袖などのパーツを編み終えた。
後はそれぞれのパーツを縫い合わせて、そして仕上げにボタン付けをすればできあがる状態になった。
このカーディガンを編むのは私にとって本当に大変だった。編み物が特に得意だというわけでもないし、久しぶりに編むというのに、難しい模様編みだったから。何度間違えて編み直したことだろう。本とにらめっこしながら、「もうやだ〜!!」って何度言ったことだろう。
つわりで吐き気が続いたし、微熱や頭痛で気分がすぐれなくてつらかったし、夜はなかなか眠れなかったし。私は大柄なので「妊娠中は体重を増やしてはいけない、むしろ減らすように」と先生や栄養士さんに言われ、元の体重より1.7キロ増えた時は怒られてしまった。妊娠は病気じゃないって言うけど、私にはそう思えないほど苦しく感じた。
そんな中、後は仕上げだけという状態になったので、ものすごくうれしかった。パーツを合わせてみると「赤ちゃんて何て小さいんだろう、こんなにかわいいんだね」って、パパと一緒にここまで仕上がったことを喜んだ。
遅くに生まれてくるわが子。パパもママも長男長女で、父も母も25〜6歳の時の若い時の子どもだった。わが子にとって私たちは決して若くなく、この子はお友だちの若いお母さんを見てうらやましく感じるかもしれない。本当にごめんね、あと5歳若ければねぇ・・・、そんなことをずっと考えていた。
だからせめてできるだけ手作りをしようと思った。愛情をたくさん込めて色んなものを作ろうと思った。
平成15年9月9日、生まれたわが子は男の子ではなく女の子だった。そして誕生死。誕生日が命日となってしまった。
2日後の11日に退院することになった。体の悪いところはこれから外来でということになった。婦長さんが「ここに入院しているのはつらいだろうから」とおっしゃって、早めに退院させてくれた。
退院する日がわが子とお別れの日になった。婦長さんのはからいで、かたちだけでも授乳することもできた。私とわが子をつないでいたへその緒もくださった。そして業者の方に頼んで小さな棺を用意してもらった。
50センチにも満たない小さな棺に、パパが買ってきてくれたかわいい御花を散りばめた。戌の日に水天宮で買ったお守りを持たせた。そしてわが子には、あの黄色いカーディガンをかけてあげた。
私が初めてわが子のために編んだ黄色のベビー服。前日にそれぞれのパーツを編み合わせて仕上げた。それを旅路の衣装にした。よく晴れた青空がまぶしい、とてもとても暑い日だった。冷暗所から来たわが子は汗をかいていた。「こんな暑い日に毛糸のカーディガンでごめんね」と謝った。
あんなに小さいと思った黄色いカーディガンは、わが子にはとても大きかった。でも不思議とよく似合っていた。
業者の方、婦長さん、看護師さん、助産師さん、パパとママの6人で最後のお別れをした。看護師さんが「ママのカーディガンがよく似合いますね」と言ってくれた。助産師さんも一緒に泣いてくれた。
お世話になった病院の皆さんにごあいさつをして退院した。火葬場までパパがわが子の御棺を抱いて連れて行った。火葬する際に、職員の方から「お子さんが小さいので、もしかしたらお骨が残らないかもしれません」と言われ悲しかった。
「ずっと愛し続けるよ!!」パパが大声で叫んでいた。私はずっと「ごめんね、ごめんね」と謝っていた。
あおいはお骨になった。マッチ棒より細いお骨になった。この世に生まれた証をちゃんと残してくれてありがとうね、あおいちゃん。
小さな骨壷のわが子を抱いて帰路に向った。電車で下校途中の中高生が大勢乗ってきた。制服を着た女の子が楽しそうに笑っていた。この子も大きくなったら、こんなふうに楽しそうに笑うのだろうか。涙が止まらなかった。
あおいは今もわが家にいる。ずっと赤ちゃんのままで。あの黄色いカーディガンが似合う小さな赤ちゃんのままで。
*向こうの病棟 《病院にて》 http://aoinomama13.seesaa.net/article/6708580.html *「あおいのページ」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/333731.html
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| 向こうの病棟 《病院にて》 |
( 2005.9.8,木 ) |
今日も救急車のサイレンがひびく。ああ、また誰かが運ばれて来る。あおいのママも2年前、平成15年9月8日の夜、この病院に運ばれて来た。
陣痛の苦しみと痛み、それと救急車の乗り心地の悪さに酔ってしまって、もう大変な状態だった。何故気を失わないんだろうと思ったくらい。
分娩室に運ばれたのが午後9時過ぎだった。先生が必死で子宮口が開かないように押さえていたようだったけど、程なく破水。水がパンパンに入った風船がパァーンと破裂した感じだった。その瞬間、痛みもなくなった。
あの時あおいは一度死んだ。少なくとも先生はパパにそう告げた。死産だと。
「大丈夫だよ、頑張ろうね」
いつも私に嘘をつくと必ずばれる。でもこの時はわからなかった。だけどパパは泣いていた。
しばらくしてあおいは息を吹き返したらしい。モニターから元気な心音が聞こえていたから。先生たちも驚いたようだった。
でも破水の時に、あおいはうっ血してしまったらしい。万が一無事に生まれたとしても、大きな障害が残る状態だったそうだ。
500グラムしかない超未熟児のあおい。日本で生まれた一番小さな子は490グラム台だという。
「先生、この病院で今までに、この子のような小さな子を出産された方はいますか?」と聞いてみた。
「いません」
そう言われる覚悟はしていた。出血して他の病院に緊急入院した時に「7割はだめだろう」と言われていたから。でもこの子は私たちにとって奇跡の子。きっと助かる。そう必死で信じ願い続けた。
陣痛の間隔が短くなってきた。痛みが走るたび「痛い、痛い」と叫ぶしかなかった。心の中で「お母さん、この子を助けて、守って」と亡き母にもすがった。
自分との戦いだったと思う。自分に負けそうになるのを自分なりに必死で戦ったと思う。
9日午前2時過ぎ、あおいはおぎゃあとは泣いてくれなかった。涙が流れた。
「ごめんね」
窓から見える向こうの病棟。あそこでまたあの子を産みたい。もう一度あの子に会いたい。
*「あおいのページ」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/333731.html *「ママの入院」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/626188.html
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| 9/6 万景峰号入港抗議活動 増元照明さん |
( 2005.9.6,火 ) |
いつも「万景峰号入港抗議活動」に参加されています新津市民さん(万景峰号の入港を阻止する会)が撮影しましたビデオ映像から文字化しました。ご活動お疲れさまです。
*新津市民さんのアルバムです (9/6新潟西港中央埠頭にて撮影) http://www.photohighway.co.jp/tp/15_f.asp?key=1643447&un=53702&m=0&pa=&Type=15
皆さんおはようございます。ご苦労さまです。えー、今日は「救う会」の佐藤会長が、皆勤賞崩れてしまいましたけれども、あの、今日堺市で西村眞吾さんの決起集会、総決起集会がありまして「家族会」の役員、それから「救う会」の役員が、ほとんど向こうの方に行っておりますので、今日は私だけがここにいさせていただきます。
昨日、今馬場先生からお話があったように、アンケートの調査結果を発表しました。自民党78パーセント、民主党66パーセント、公明党は50パーセント弱、これが経済制裁の早期発動に賛成しております。
*平成17年衆議院選挙立候補者アンケート結果 「救う会」HPより http://www.sukuukai.jp/H17enquete/
しかし、前回の衆議院選挙の時のアンケート、それは7割8割の方が、あの経済制裁法案の・・(成立?)には賛成していたんです。
*平成15年衆議院選挙立候補者アンケート結果 「救う会」HPより http://www.sukuukai.jp/H15enquete/index.html
それが「発動」となると、このようにちょっと落ちていってしまう。本当にあの、小泉さんと同じで、腰が引けた状態が続いているのが国会議員です。
本当にこれは非常に残念なのですが、特に自民党の78パーセントの、立候補者の内78パーセントが早期発動に賛成なわけです。
小泉さんは、じゃあ今度まとまった?時に、経済制裁の早期発動でまた“解散総選挙”をするのか?と私は思うくらい、自民党の党員はそれだけいるんですけれども、実際やっていないし、経済制裁を発動しない小泉さんに対して、自民党員は突き上げするかというとほとんどやっていない。
これがあの非常にわからないところというか、結局は口だけは「早期の経済制裁発動」を言っているだけで、「書いておけばいいだろう」という、それだけの意識だと私は思っているんです。
今、この船を止めないと、経済制裁の発動を持って圧力をかけて、私たちの家族を同胞を救出する方法を、頑固たる意思を示していかないと、六者協議はやったって、まったく前回と同じような結果になるのが目に見えているのに、その意思さえ意識さえない。
とにかく残念なことは、この新潟の選挙区から出ている立候補者の中で「拉致は争点になっていないから、言及する必要はない」とはっきりおっしゃった方がいらっしゃる。この新潟の土地で、そのような考えしか持たない方が立候補している。国政に立候補している。これは非常に残念なことです。
*拉致問題への姿勢は投票に影響しない・・・(新潟) 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4258
私たちは、この国会議員の意識をまず変えていかなければならない。そのためにも、この船を止める抗議行動を止めるわけにはいきません。
私は「家族会」としても、この船を入港を阻止する抗議行動、これに対し、毎回毎回この地にまいりたいと思っておりますので、皆さんも仲間を増やして、これ本当にここに500人から1000人ぐらいの人が集まってみませんか、一回。
それぐらいの大きな目標を持って、これからもやっていきたいと思いますので、ぜひご協力ください。そして頑張りましょう。ありがとうございました。(大拍手)
*「万景峰号入港抗議」 カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/623097.html
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| ブルーリボンを作ろう(2) 《病院にて》 |
( 2005.9.5,月 ) |
*ブルーリボンを作ろう(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/6540663.html
入院していた15日間、毎日(日曜日以外)清掃の方が病室の掃除をしてくれた。いつも同じ女性の方だった。
ある日、その方が「お掃除です」と部屋に来た時、ママはブルーリボンを作っていた。いつも「お願いします」と部屋を出て、ロビーで掃除が終わるのを待っているんだけど、ブルーリボンを見て、「キレイですね、これはどうして作っているんですか?」と尋ねられた。
拉致被害者の皆さんのこと、ボランティアをしていることなどを話して、いくつかブルーリボンを差し上げた。「ありがとうございます。尊いお仕事をなさっているんですね」と喜んでもらってくれた。
“尊い仕事”と言われて、何だか恥ずかしくなってしまった。そんなんじゃないんだけど・・・。
ママのブルーリボンはラメ付きなので、作っているとその細かいラメが床に落ちてしまい、掃除をしてもなかなか取れなかったりして、迷惑をかけていたので、こちらこそ申し訳なく思っていた。だから喜んでもらえてすごくうれしかった。
私の知る限り、ブルーリボンを作っているのはボランティアの方々が多いのだけど、この方も含め看護師さんたちも、「ブルーリボンは買うもの」だと思っていたらしい。
「早く横田めぐみさんたちが日本に帰って来るといいですね」とおっしゃって、毎日部屋をキレイに掃除してくださった。
これからも私は早期解決を目指して、このブルーリボンを作っていこうと思う。
(3)に続く
*「ママの入院」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/626188.html
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| ブルーリボンを作ろう(1) 《病院にて》 |
( 2005.9.4,日 ) |
あおいのママは、どんなに忙しくてもブルーリボンを作るのが好き。一針一針思いをこめて作る、このブルーリボンは私の精神安定剤。
本当は早く、こうやって作らなくてもいい日が来るのが一番なんだけど・・・。
病室でもブルーリボンを毎日作っていた。集会・講演会や署名活動に、それからご家族の皆さんの応援に、支援者の皆さんの頑張りにと、一つでも多く作ろうと決めた。きっとまたどこかで使われることもあるだろうから。
好きな音楽を聴きながら、嫌なことはみんな忘れて作ろう。ほらっ、今日のリボンは、うん、いつものよりキレイにできたみたい。
検査に来た看護師さんが、「あらっ、これブルーリボンじゃない?キレイね〜!」ってほめてくれた。わぁ〜うれしいなぁ!ありがとう!!
「拉致被害者の皆さん、横田めぐみさんたちを助けたいから・・・」と言って、ボランティアをしていることを話したら、いろいろと話を聞いてくれた。そのお礼に色違いのできたてホヤホヤのリボンを二つ「はい、どうぞ!」って差し上げた。
ブルーリボンって本当にすごいな。心で話ができるから。
(2)に続く
*写真は、病室で作ったいつものブルーリボンです。入院中、350個作りました。
*「ママの入院」カテゴリ http://aoinomama13.seesaa.net/category/626188.html
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| 9/2 柏駅東口にて 安倍晋三さんの「拉致問題」についての発言 |
( 2005.9.2,金 ) |
あおいのママは、午後4時から柏駅東口デッキ上で行われた、千葉県第八選挙区から出馬した自民党公認候補の方の遊説に行ってきました。自由民主党幹事長代理の安倍晋三さんの応援演説があるということで、時間になってすっ飛んで行きましたが、すでにものすごい人でした。
強い日差しの中、安倍さんのお話を多くの方々が聞きに来られていました。声はもうガラガラでした。安倍さんの人気は絶大で、お話が終わって公明党の方のお話になりましたが、サァ〜っと人の波が引いていってしまいました。
「拉致問題」に関するお話をしてくれるといいなぁと思って最後まで聞いていました。少しですがしてくださいましたので、その部分だけかいつまんでご紹介致します。
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2002年に小泉さんが初めて北朝鮮の訪問をしました。そして、5人の拉致被害者が日本の土を踏むことができました。
私たちはその時に「この5人の被害者はもう北朝鮮には戻さない」そう決断をしました。この決断によって今5人の被害者の皆さんは、ご家族と一緒に幸せに平和に暮らしています。
2002年に今の民主党の代表の岡田さんが何と言ったか、思い出していただきたいというふうに思います。岡田さんはこう言いました。
「北朝鮮が『5人の拉致被害者を北朝鮮に戻せ!』と主張している。そしてそれは『日本との約束だ』と。北朝鮮が主張しているんであれば、この5人を北朝鮮に戻すべきだ!!」
と、そう岡田さんは何と主張して、私たちを非難しました。
「拉致問題」はまだ残っています。完全解決を目指して「対話と圧力」、しっかりと頑張っていきます。一人の日本人の命といえどもおろそかにしない、これが私たちの姿勢です。
そして小泉さんも私も、そして○○○○○○さんも、「横田めぐみさんたちを決して見捨てはしない!!」ということをはっきりと宣言をしたい、とこのように思います。(大拍手)
力強い外交を展開していくためには、私たちに力が必要であります。どうか力を与えてください。そしてこの選挙は30年経って「あの選挙で日本は変わったな」そう言われる選挙になります。そう言われる選挙にしたいと思います。どうか皆さん、その答えをはっきりとこの選挙区で出そうじゃありませんか。
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以上です。お話が終わると次の方の応援に向われました。
*安倍晋三さんのHP http://tokyo.s-abe.or.jp/
遊説終了後、○○さんが有権者の皆さんと握手をしていましたので、私もそこに行きました。(女性はこういう時、優遇されます)そして握手をする際に「どうか拉致問題もよろしくお願いします!!」と、ママの胸についているブルーリボンを見せながらお願いしました。
その場に1時間もいなかったのに、ママの顔や腕はみごとに日焼けしてしまい、ただ今ヒリヒリと痛いです。(泣)
*9/2 柏駅東口にて 安倍晋三さんの「拉致問題」についての発言 http://aoinomama13.seesaa.net/article/6497085.html
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| 花 〜balada〜 |
( 2005.9.1,木 ) |
【徳永 英明 〜honestoより〜】
あの星に君の顔 映しながら見つめても 声を出すには遠すぎるから 言葉よ風になれ
遠い街を歩いたら 時間はいつも速足で 無駄に僕だけを待ちはしない 瞳よ強く持て
静けさを繰り返す 部屋で眠りながら 心ごと今すぐに 君の場所へ飛んで行きたい
僕のいう大人になることだけが 全てじゃないと思うけど 心が決めた道に咲くだろう 知らない色の花が・・・
風かおる季節の中 無口になるけれど 負けないで息をして それが声に変わってゆくのなら
君のいうきれいになることだけが 全てじゃないと解り始めた 心のままに涙流せたら 知らない色の花が・・・
心が決めた道に咲くだろう 知らない色の花が・・・ 知らない色の花が・・・ 知らない色の花が・・・
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