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2005年07月の日記
| 今日入院します |
( 2005.7.28,木 ) |
あおいのママは今日から入院することになりました。
昨日病院側から「ベッドが空いたので明日から入院してください」と連絡がありました。まだもうちょっと先だと思ってのんびりしていたので、今慌てて準備しています。
メールやコメント、そしてお手紙をくださった皆さま、温かいこころを本当にありがとうございました。個々にお返事ができないままで申し訳ございません。
少しでも良くなるようにゆっくり休んできますね。それでは行ってまいります。
*ママよりパパの方がちょっと落ち込んでいます。皆さま、どこかで見かけましたら声をかけてくださるとありがたいです。よろしくお願いします。(^^)
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| 入院することになりました |
( 2005.7.26,火 ) |
あおいのママは7月7日の七夕の日、定期検査がありました。その時の検査結果が今までになく非常に悪い結果となりました。
この日の先生はいつもの担当医でなかったため、後日担当医と治療方法や入院などのこれからの相談をするように言われました。
ママはわが子あおいを出産した時に持病がいくつかあることがわかりました。以前にも書いたことがありましたけど、わが子が命懸けで教えてくれた病気でした。
*病院と東京集会と文鳥 http://aoinomama13.seesaa.net/article/3618000.html
まもなくあれから2年が経ちますが、この1年で非常に悪くなってしまいました。普段は元気にしていますけど、自分でも気がつかないうちに病状が悪化してしまったようです。今すぐどうこうということはありませんが、このまま悪くなっていってしまったら深刻な状況になりかねません。
昨日、あおいのパパに病院に付き添ってもらい、担当医と相談をしました。
ママはもうずうっとネット上のことで悩み続けています。それが大きなストレスとなってしまい、先生にも「今の生活を変えていかなければどんどん悪くなる」と言われました。
私たちには諦められない夢があります。それはもう一度わが子をこの腕に抱きしめたいという夢です。それは夢に終わってしまうかもしれません。私たちにはもうタイムリミットが近づいています。年齢的なことやお互いの持病のこと、そして不妊治療が必要なことなど、この先困難が予想されます。
あおいを授かったのは結婚15年目のことでした。長い不妊に悩みながらも迷路に迷い込みそうで治療に踏み切ることができませんでした。若い頃少しだけやってみましたが、経済的・精神的負担や、仕事優先にしてしまったため、続けることができませんでした。
そして15年目の突然の自然妊娠にお互い戸惑いました。このような高齢になっての妊娠。不安でした。でも、お互いに徐々に順調にお腹の中で大きく成長していくわが子に、深い愛情がだんだん芽生え始めました。
超音波で撮影したビデオを見ながら、あのかわいらしいしぐさにお互い涙しました。元気いっぱいのわが子に、「早く逢いたいね」って何度言ったかわかりません。
ママとパパの声を聞いてあおいちゃんは早く逢いにきてしまいました。今でもそのことでは自分を責めてしまいます。助けてあげたかった、何としても。
もう一度あの子に逢いたい。取り戻したい。それはもうできないのはわかっていても、ママの本能が母性が諦められません。
普通は自然分娩をしたら赤ちゃんはできやすいと言いますけど、ママの場合は不妊治療が必要なようです。でもその治療をする前に、まず、自分の身体の状態を良くしなければいけないということです。
先のことを考えるとつらいものがあります。でも、やはりわが子がママとパパを想って教えてくれたことです。ほんのちょっぴりでも可能性がある限り諦めないで頑張りたいと思います。
入院の日時は病院側の都合でここ数日中に決まると思います。だいたい2週間くらいの入院になるようです。
仕上がっていないレポートもたくさんあって少し心残りなのですが、とにかくいい状況になって帰宅したいです。皆さんにご心配をかけてしまい申し訳ございません。
入院日時が決まるまでは少しでもHPとブログを更新したいと考えております。無理しない程度にやっていきますね。
心身ともに元気になりたい。自分のこと、ネット上のことでいつも悩んでばかりいて、泣いてばかりいる、こんな私はイヤです。以前のようないつでも明るく笑顔が絶えない、そんな私でいたい。
どんなに願ってもわが子を抱けない方々が大勢います。私たちはわが子を抱くことができました。ママにパパになった喜びを味わうことができました。たとえそれが悲しみになってしまったとしても、やはり私たちは幸せだと思っています。
入院日時が決まりましたら、こちらにも報告させていただきますね。
*あおいのページ http://aoinomama13.seesaa.net/category/333731.html
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| 砂漠 |
( 2005.7.24,日 ) |
【徳永 英明 〜honestoより〜】
もう限界だと声を出せば 昔は誰もが近づいて あと少し頑張れって言って 笑顔でたたえてくれたっけ
砂漠という名のこの時代は 助けを呼ぶ手段も無くて 息をつき顔を上げたなら お日様が僕を睨んでた
ああ行けば行く程辛い 風が熱が力を奪う もう駄目とたやすく倒れたら きっと死ぬだろうこのまま・・・
夕日が綺麗と言えたなら 少しは水でも浴びたかな 誰かが僕に水をかけた まだ頑張れと水をかけた
ああ行けば行く程辛い でもね少し夢を見たんだ もうイヤと全てを投げ出さず 歩いてみようしばらく砂漠を・・・
ああ行けば行く程辛い 風が熱が力を奪う もう駄目とたやすく倒れたら きっと死ぬだろうこのまま・・・
ああ行けば行く程辛い でもね少し夢を見たんだ これというものではないんだけど 何故か優しさにあふれていたんだ 次の新しい場面が
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| 7/17 第11回藤沢市民集会 斉藤文代さん |
( 2005.7.23,土 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (・・・は聞き取り不能です)
*多少読みやすいように変えております。ご了承ください。
神奈川の皆さま、こんにちは。今日はお暑い中、こんなにたくさんの方が私のお話を聞いていただけるということで、本当に私もう胸がいっぱいで、「今日藤沢に来てよかったなぁ」って思っております。聞こえますでしょうか?だいたい私地声で声が大きいんですけれども。ちょっとの間、よろしくお願い致します。
私の弟「松木薫」は1980年にですね、スペインのマドリッドから北朝鮮の方に拉致されました。拉致した犯人は森順子さん、若林佐喜子さんという、まぁ「2人で拉致したんじゃないか?」というようなことで、私は警察の方からそうお話をうかがっております。
*松木薫さん 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.net/jokyo/08.html *よど号犯妻、帰国の目処立たず 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3950
それで私の弟は父に、スペインに行く時に「一年で帰って来ますので、ぜひ行かせてください」ということで、まぁ父はその当時は「絶対にダメだ!!」ということで反対しましたけれど、私たち家族、母、そして私は「これから先は何でも勉強することは大事だから、お父さん、最後の願いだって言っているから、行かせてやってください」とお願いしたのが、ちょっと今でも後悔しております。あの時に父が反対したようにみんなで反対していれば、こういうこともなかったんじゃないかなぁ、と時々布団の中で考えて眠れない時もあるんですよね。
まぁ、それで父もおれまして「1年だけ」ということで許してくれて、弟は最後のバイトの、富士山でバイトをしていまして、その費用と父からもらった費用でスペインの方に渡って、語学の勉強をしていたんですけれども、まさかこの26年間、帰って来られなくなると思うことは一回もなかったわけです、私も。本当に「かわいそうなことだなぁ・・・」と思っております。
それで、1980年に拉致されてから全然帰って来ないので、父はもう慌てふためいてスペイン大使館だの外務省だの、ずいぶん駆けずり回って「捜してください!!」ということでいろいろお願いして回ったんですけれども、その当時はもう門前払いでした。
外務省の方も「まぁ、そのうち気が向いたら帰って来られるんじゃないですか?」っていうような簡単な気持ちでしたので、父も本当にあの、ずいぶん色んなところに行ってお願いしてもらって、助けてやることもできなくって亡くなりましてけれども、本当に父も無念だったと思っております。本当にかわいそうな父だなと思っております。(声が詰まる)
その後に、本来なら私の母が活動を続けなければいけないんですけど、母はおとなしい母でありまして、まぁ、父の言われるがままに、父の後ろについて回るようなおとなしい母なもんですから、本当にショックが大きかったんだと思います。
それで1988年に平壌で石岡(亨)さん、有本(恵子)さん、そして弟が暮らしているということがわかりましたけれども、まぁ、父はそういうこと(救出活動)もできないままに亡くなりました。あの、母の方に手を差し伸べて・・・(涙声で聞こえませんでした)本当にそれを考えると、「何と北朝鮮は憎いところなんだろう」といつもいつも思います。
未だ「北朝鮮から帰って来られない」ということが本当にあの、私の母は悔しいんだと思います。今病院の方に入院しておりますけれども、あの、あんまり病状はよくないんですね。でも「何としてでも薫に会うために頑張って会うぞ」という気持ちが強いんですよね。
だからもう本当に吐血して、何回も吐血しているんですけど、その度ごとに私も一生懸命頑張って頑張って・・・しまして母も「頑張ります」と言ってくれますので、私もつらい気持ちで冷たい言葉を浴びせる時もあるんです、もう。「あなたがいないと帰って来たって、母ちゃんいないと泣くよ」って「薫が泣くよ」って言ってですね、「頑張りなさい」って言って、耳元で大きい声で私怒鳴る時があるんです。
でもやっぱりね、そうやって母を元気づけさせないと「帰って来るんだ」って思って母は待っているわけですから、「絶対に会わせるまでは私も頑張らなくちゃいけないな」と思いまして、皆さんとこうやって活動させていただいております。
もう本当にあの「よど号犯の妻たち」は、平気で日本に帰って来てのほほんと暮らしておりますけれども、もう何故こんなに日本の政府が・・・と思うと毎日本当につらいものですね。毎日毎日、主人にわからないように私布団の中で涙を流して寝る時があるんですよ。何にも自分ができない。何でこんなにね、自分が一生懸命やっているつもりでも「政府が動いてくれないからやっぱりダメなんだな」と思いつつも、やっぱり母も頑張っているし、まぁ、私たちが頑張らなければ母に対しても申し訳ないし。
*『かりの会』帰国支援センター 帰国したよど号犯たちを支援してる団体 http://www.karihayuku.ecnet.jp/ *アジア新時代研究会 北朝鮮のよど号犯たちのHP http://www16.ocn.ne.jp/%7Esinjidai/
母も私がいつもベッドで「母ちゃん、薫が帰って来たら何て言うの?」って言ったら「お帰りなさい」って「私は玄関の前で車椅子に乗って迎えに出るんだ!!」って言って、その、もう歯もないもんですから、それを大きい声で練習しているそうなんです。それを見たら、やっぱり聞いたらですね、絶対に何が何でも私が倒れるまででも頑張らなければいけないと思いつつ、もう一生懸命に皆さんと一緒に活動させてもらって、こうやって回っております。
でも、本当に家の家族の場合には骨も2回も預けられたんですよ。「もう死んでいる」と言ってですね。でも私は最初から信じておりません。2回も、その骨は動物の骨まで混じっているわけですから、で、他人様の骨。そんな骨をですね、私本当に橋本先生に鑑定をしていただいて本当によかったと思っております。
すぐあの時に、もう受け取って父のお墓の中に入れていたら、父が泣いたんじゃないかと思って。「あぁ、私はひとつだけはいいことしたんだなぁ」と、「絶対に受け取らない」と言ってはね退けましたので、「ひとつだけ父にいいことをした」と今でも思っております。あれで父のお墓に入れていたら、本当に父はもう、私のところに毎日毎日出てくるんじゃないか、と思うくらいに。そう思うとゾッとします。
この間の第三回実務者協議の時にも、やはりあの「松木薫さんの骨です」と言って「持って帰ってきました」と言うから、「何でそんなのを持って来たんですか!!」と政府の方に言いました。「前の時も偽物だったじゃないですか!!今回もまた偽物だったらどうするんですか?どう責任取るんですか!!」って言ったんですけれども、「出されたものは全部持って帰って来ることにしましたので、持って帰って来ました」と、このような答えしかないわけですよね。
本当に、めぐみちゃんの骨も偽物ですよね。何とひどい国なんですか?こういうことをする。もう本当に許せないですよ!!めぐみちゃんは13歳ですよ!!本当に、そんな子どもを連れて行っておいて「骨です」とかね、家の弟も2度も「骨です」とか、渡すっていうことは、本当に私はもう、あの北朝鮮は許せない国です!!
*松木さん「遺骨」は別人5人分、横田さんも別人 鑑定書 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3440 *「遺骨」鑑定結果、北が「議論拒否」回答 「勝手にしろ」 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3690
自分でも優しいこころはあるんですけれども、あの、5人が帰って来た時には、「今度は家の番だ!今度はみんな帰って来るんだ!!」と私は自分に言い聞かせながら、そんなに人を恨んだらいけない、いけないと思ってきておりましたけれど、もう我慢が、本当に限界がきているわけです。
もう母もいつそういう状態で「薫に会えないかもしれない」とういうことを考えたら、もう絶対にこれからもう時間もないし、皆さまにこうやって時間を、本当に忙しい中作って来ていただいてお願いするのも本当にあの申し訳ないんですけど、やはり世論の力、皆さまの力を借りて私たちは頑張るしかないと。
それで、そういうふうに解決ができるように、もう何としてでもいい、知恵がありましたら私たちにも聞かせてください。もう私も出来る限りのことはしておりますけれども、何としてでも日本政府が動いてくれなければ、本当に北から家族みんなを助け出すということはできませんので、どうか皆さま、力をこれからも貸してください!!
本当に今日は、皆さまにこうしてお話させていただきましてよかったと思っております。これからも頑張りますのでどうぞよろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)
*斉藤さんはずっと涙ながらにお話されていました。
*'05 1/13 東京集会4 斉藤文代さん http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=60&no=95 *よど号犯妻公判記録 http://aoinomama13.seesaa.net/category/332216.html
*7/17 第11回藤沢市民集会 斉藤文代さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/5317350.html
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| 小山さん ありがとう |
( 2005.7.22,金 ) |
あおいのママはあちこち集会・講演会等に参加しているうちに、ジャーナリストの小山唯史さんと知り合いになりました。
小山さんは光文社発行の『家族』(家族会・著)という本の取材・構成を担当された方で、20日発売の双葉社の『めぐみ』という漫画にも「めぐみ13年間のアルバム」というコラムを書いてくださっています。
*『家族』(家族会・著) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334901107/kaoru-22/ref%3Dnosim/250-5486867-4906655
私は横田早紀江さんの『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』という本をだいぶ前に買いましたが、つらくて読むことができませんでした。この漫画がアクションで連載されていたのは知っていましたが、とてもじゃないけど読めなくて、結局一度も買うことはありませんでした。
支援者としてはどうかなと思いますけど、どうしても手にすることができませんでした。めぐみさんの写真さえ見るのがつらくて・・・。(ごめんなさい)
たまたま7月10日に横浜で萩原遼さんの慰労会があった時に、いつもよど号犯妻の裁判にご一緒している支援者の方が、『めぐみ』の最終回が載っている漫画アクションを持っていたので、少しのぞいてみました。
一人でいたらきっと大泣きしていたでしょうね・・・。その場でも涙ぐんでしまいました。
そして最終ページに小山さんの「めぐみ13年間のアルバム」というコラムが載っていることに気がつきました。
7月14日の東京集会に小山さんが参加されていました。終了後、「20日発売の本にコラムは載りますか?」とお聞きしましたら、「本はプレゼントしますよ」とおっしゃって、昨日ママの自宅に送ってくださいました。
「本は今度お会いした時でいいですからね〜」って私は言っていたので、まさかこんなに早く郵送してくださるとは思っていなくて、とっても感激しました。同封されていたお手紙も、小山さんの優しい人柄がわかる文章でした。
小山さん、本当に優しいこころをありがとうございました。少しずつ読ませていただきますね。
PS.私はこれからも「大拍手」をおくり続けます。
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| 7月の応援行動 |
( 2005.7.19,火 ) |
あおいのママとパパの今月の応援行動をご紹介いたします。
ママの体調不良のため、これからはすべての講演のレポート(文字化を含む)作成はできないと思います。できる限り文字化もしていきたいとは思いますが、やはり何でもそうですけど、こころをこめて仕上げたいので、今までよりも少し絞ってレポートを作成するようにいたします。
写真だけになってしまうこともあるかもしれませんが、どうぞご了承くださいね。
あおいのパパもママも、もっといろいろなお手伝いをして、ご家族の皆さん、それから支援者の皆さんを少しでも支えていきたいと思っています。講演内容のレポートはできなくなるかもしれませんけど、頑張っている皆さんのことをレポートできたらいいなって思っています。
文字化は他サイトにて公開されているようですので、講演内容はそちらをご覧になってくださいますようお願いいたします。
*aoi blogにも掲載しております。(写真も多くあります) http://aoinomama13.seesaa.net/article/5266717.html
【7月5日(火)】
あおいのパパが江戸川区の講演会に参加しました。
7月5日 14:00〜 場所:タワーホール船堀2階「福寿」「桃源」 江戸川区船堀4−1−1(旧江戸川区総合区民ホール) 講師:横田滋代表、増元照明事務局長
開場前にホールで増元照明さんと立ち話をしました。「いつも神出鬼没だね」って言われたそうです。講演内容は横田さんが、めぐみさんが拉致された時とその後の経緯、増元さんが「今、何故経済制裁が必要なのか」というお話を中心に講演されました。
*'04 4/10 流山講演会 横田 滋さん http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=140&no=20 *'04 6/2 戦略情報研究所講演会 増元照明さん http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=120&no=34
【7月9日(土)】
あおいのパパが千葉県柏市の麗澤大学モラロジー研究所主催の特別講演会に参加しました。増元照明さんの講演でした。「拉致家族の悲しみと私の闘い」というテーマでお話されました。
「国民に何ができるのか?」という質問に対し、「ブルーリボンをつける、首相官邸にメール・電話などをする、パチンコをしない、北朝鮮製のものを買わない」とおっしゃっていました。
講演終了後、最寄りの南柏駅ホームで増元さんとバッタリ会い、「これからチャンネル桜で横田ご夫妻と一緒に収録があるんだよ」って、急いで電車に乗って行きました。お疲れさまです。
*増元照明さんWebサイト http://www.interq.or.jp/power/masumoto/
【7月10日(日)】
あおいのパパが埼玉県浦和市で行われた救う会埼玉主催の署名活動に参加しました。その時の様子はこちらでご覧になってください。
*7/10 浦和署名活動 http://aoinomama13.seesaa.net/article/5036928.html *7/10 浦和署名活動 大澤茂樹さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/5070488.html
浦和の署名活動・上野での署名を終えた後、あおいのママと一緒に「萩原遼さんの慰労会」の招待を受けまして、会場の横浜中華街に行きました。
萩原遼さんが共産党を除名されるきっかけとなった場にあおいのママもいました。その他の当事者の方々や日頃お世話になっている方々数人とご一緒しました。
萩原さんのこれからのご活躍を期待したいと思っています。いろいろと教えていただきありがとうございました。
*5/24朝鮮総連結成50周年記念パーティー会場にて http://aoinomama13.seesaa.net/article/4552295.html
【7月14日(木)】
あおいのママとパパは東京芝公園の友愛会館で行われた「原敕晁さんを救うぞ! 東京集会10」に参加しました。100人以上の皆さんが参加されました。報道関係者が大勢参加していました。
登壇者:三宅博・地方議員の会副会長と八尾市議、吉田利幸・大阪地方議員の会会長、大阪府議(原敕晁さん拉致の実行犯として原さんが勤務していた中華料理店の店主・李三俊を刑事告発)、横田滋(家族会代表)早紀江(同夫人)、増元照明(家族会事務局長)、西岡力(救う会常任副会長)ほか 司会 平田隆太郎(救う会事務局長)
パパは仕事帰りなので、いつものようにほとんど終了間際の参加となりました。ママは特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの美幸さんとご一緒しました。拉致被害者「田口八重子さん」のご家族の皆さん、特定失踪者「生島孝子さん」のお姉さんの生島馨子さん、ジャーナリストの小山唯史さん、西村幸佑さんも参加されていました。
*写真は北朝鮮の記念切手です。(拡大写真)原さんを拉致した辛光洙(シンガンス)が右端上から4番目に載っています。
*原敕晁さん救出訴える集会 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4150
集会終了後、お忙しい西村さんをお誘いして、高野さんと一緒に簡単な反省会をしました。と言っても、ほとんどサッカーや教科書問題、船橋西図書館焚書事件の裁判傍聴のお話になってしまいました。西村さん、お疲れのところ引き止めてしまいまして本当にすみませんでした。(でもとても勉強になりました!)
*最高裁がギリギリのところで守った、言論の自由 酔夢ing Voiceより http://nishimura-voice.seesaa.net/article/5164311.html
【7月17日(日)】
あおいのママとパパは神奈川県藤沢市で行われた、第11回藤沢市民集会にボランティア参加いたしました。
第11回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会〜拉致を語らずして人権を語るなかれ〜」 午後1時30分開場・午後2時開演(午後5時30分終了)
講 師: 横田拓也さん (横田めぐみさんの弟) 斉藤文代さん(松木薫さんの姉) 平野フミ子さ(増元るみ子さんの姉) 市川龍子さん (市川修一さんの義姉) 真鍋貞樹さん(特定失踪者問題調査会理事) 脱北者の方(聞き手 北朝鮮難民救援基金 野口孝行さん) 特定失踪者ご家族 場 所: 藤沢産業センター (JR藤沢駅北口より徒歩5分・藤沢郵便局隣り) http://www.cityfujisawa.ne.jp/~fcenter/sisetu4.html
当日の参加者は約200人でした。私たちはいつものように、特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの美幸さんと一緒に、お母さんがわが子の無事と再会を祈りながらお作りになっている「エコロジーたわし」の販売と署名活動をしました。
*母の手編み『エコロジーたわし』 KONAboration-SSQ 高野美幸さんのブログより http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5028171.html
署名は今回「高野清文さん」「大澤孝司さん」「生島孝子さん」のお三方分を皆さんにお願いしましたが、面倒がらずに快く署名をしてくださいまして、とても感謝しております。本当にありがとうございました。
またこの集会では、秋田県の子どもたちが中心になって作っている「思いのこもった折り鶴」を参加された皆さんにお配りさせていただきました。
*思いのこもった折り鶴 http://aoinomama13.seesaa.net/article/3189276.html
藤沢集会につきましては、時間がかかってもレポートを書きたいと思っております。
*藤沢集会参加 大介日々思うこと感じること 大介さんのブログより http://dr-daichan.seesaa.net/article/5166393.html
【7月18日(月)】
あおいのママは東京都町田市で行われた集会にボランティア参加をいたしました。二階エントランスの特定失踪者ブースで、前日の藤沢集会と同様に「エコロジーたわし」と署名活動をしました。(折り鶴もお配りしました)
また、開演前にホール入口にて、参加者の皆さんに高野さんの資料配りをしました。
このブースでの活動は、数日前に特定失踪者問題調査会の荒木和博代表から、高野さんに直接お願いをされたということで、あおいのママもお手伝いをすることになりました。
暑い中、1200人の皆さんが参加をされ、会場のホールはいっぱいになりました。私たちボランティアスタッフは、会場内を多少のぞくことはできましたが、ほとんど講演は聞けませんでした。会場外の持ち場で少し声が聞こえる程度でしたので、講演内容のレポートはできません。また、写真も撮っておりません。
集会終了後のスタッフ打ち上げ会を含めた簡単なレポートをできれば書きたいと思っております。
*logさんのブログにて詳細な講演要旨が掲載されています。 http://adoruk626.seesaa.net/
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| こころをありがとう(1) |
( 2005.7.16,土 ) |
*写真は、秋田県に住む高校生と中学生の兄妹が4月に送ってくれた親子の鶴です。
あおいのママがいつも落ち込んだり悲しんだりしていると、不思議と秋田の皆さんから「鶴のこころ」が届きます。
どんなにどんなに励ましてもらったかわかりません。この親子の鶴が届いた時はもう大泣きしてしまいました。箱をあけた瞬間、涙があふれました。
「これは私たち親子だ!」と。
パパとママとあおいちゃん。私たちには一緒に撮った写真がありません。初めてこの腕に抱いた我が子はすでに息絶えていました。こんなふうにだっこしてみたかった、されたかった。
私たちにとって、夢のような光景です。
佑歩くん、かいなさん、そして秋田で折り鶴を作ってくださっている皆さん、本当にいつもありがとうございます。これからも皆さんの優しい「鶴のこころ」を、拉致被害者・特定失踪者ご家族及び支援者の皆さんにお届けするお手伝いをしていきたいと思います。
紹介が遅くなりまして申し訳ございませんでした。これから少しずつ書いていきますね。
*思いのこもった折り鶴 http://aoinomama13.seesaa.net/article/3189276.html
*鶴のオブジェ(壁掛け)は、特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの美幸さんとおそろいでいただきました。(ブログに載っております)
*こころをありがとう(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/5147016.html
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| 風の一秒 |
( 2005.7.15,金 ) |
【杉山 清貴】
コンクリートのJUNGLEで 君は どんな夢を見るのだろう
胸に秘めた 情熱が いつか 目覚めるとき 待っている
そうさ 誰よりいま 輝くための 力が欲しい
どこまでも ONLY LOVE 風の一秒に 限りなく はじけながら
いつまでも ONLY LOVE 最後はかならず 微笑みの 約束しよう
少年の日 履いた靴 それは 地平線の 贈り物
ごらん 誰もがまだ たどり着けない 場所があるから
どこまでも ONLY LOVE 風の一秒を 追いかけて 行ければいい
いつまでも ONLY LOVE 遠くをみつめて かみしめた唇 あきらめない
明日への 距離なら 青い空が 教えてくれる
そうさ 誰よりいま 輝くための 力が欲しい
どこまでも ONLY LOVE 風の一秒に 限りなく はじけながら
いつまでも ONLY LOVE 最後はかならず 微笑みの 約束しよう
どこまでも ONLY LOVE 風の一秒を 追いかけて 行ければいい
いつまでも ONLY LOVE 遠くをみつめて ふりかえる 昨日はない
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| 6/30 テレビ朝日「スーパーモーニング」 《遺灰ダイヤモンド物語》 |
( 2005.7.12,火 ) |
6月26日議員会館前での座り込み最終日に、特定失踪者「生島孝子さん」のお姉さんの生島馨子さんからこの番組のことをお聞きしました。ビデオに撮って文字化をしましたので、ご紹介したいと思います。(一部省略しております)
《亡き母の娘への思い “遺灰ダイヤモンド物語”》
【ナレーター】 その日、長女は亡き母の遺灰をある業者に託した。くしくもその日は母の100歳の誕生日にあたる。母は32年間、闇に吸い込まれたかのように消えた娘の行方を捜し続けていた。
【孝子さんの妹・生島敦子さん(61)】 急いで帰って来たらいないんですね。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 異常な感じがしましたよね、やっぱり。
【ナレーター】 その失踪の闇に突如見えたもの・・・。
【特定失踪者問題調査会代表・荒木和博さん】 (拉致の)可能性として極めて高いと。
【ナレーター】 娘の帰りを待ち続けた母。
【孝子さんの母・生島うらさん】 必ずどこかで生きている。そう思っていたの・・・。
【ナレーター】 しかし母は失意のうちにその一生を終えた。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 母の人生の3分の1は娘を思う・・・、それだけだったな・・・。
【ナレーター】 娘を思い続け逝ってしまった母。家族はその思いを残すため、ある手段を選んだ。それが・・・
「遺灰をダイヤモンドに・・・」
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 この光が孝子に届くといいですね。孝子に届いてほしい。
【ナレーター】 32年間、娘の帰りを待ち続けた母。『遺灰ダイヤモンド』の輝きに隠されたその思いとは・・・。
《娘に会いたい 32年間待ち続けた母の思い》
【ナレーター】 連合赤軍の浅間山荘事件が起き、田中角栄元総理の日本列島改造論が全国を駆け巡った1972年。
【リポーター】 生島孝子さんと妹の敦子さんは、東京渋谷区内のこちらのアパートで生活をしておりました。その姉の孝子さんが11月、アパートの一室から忽然と消えてしまったのです。
【ナレーター】 今も当時のまま残るアパート。その日、電話交換手をしていた孝子さんは、勤め先である港区役所に一日の休みを届けていた・・・。(孝子さん 31歳)
【孝子さんの妹・生島敦子さん(61)】 (その日姉は)「ちょっとカゼ気味だから、今日はお休みを取った」って言ったんです。「具合悪いなら私が夕飯作るわよ」って言ったら、布団の中から「それじゃあお願いね」って言ったんです。
【ナレーター】 しかし夕方、妹敦子さんが部屋に戻ると孝子さんはすでにいなくなっていた。孝子さん失踪から二日後の夜、アパートに一本の電話が入った。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 (不審な電話を取って)異常な感じがしましたよね、やっぱり。何にも向こうは言わなくって、こちらが慌ててこう問いかけても電話は切れないのに、一言も言葉を発しないでジッと様子をうかがっているような感じですから。
【ナレーター】 しかし、ふいに男の声が聞こえたという。
「今さらしかたないだろ!!」
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 その言葉の激しさと、それから(電話が)そこでパシャッと切れてしまったっていうのは、やっぱり何か異常なものを感じました。
【ナレーター】 当時67歳だった母うらさんは、娘孝子さんが何か事件に巻き込まれたと思い、警察に捜索願を出した。しかし行方はつかめない。(1975年6月25日の毎日新聞の記事の映像)それでも母は諦めなかった。
「孝子は生きている」
温泉地や観光地など人が集まる場所を選び、全国各地へ孝子さんを捜しに出かけた。時には、占い師に孝子さんの行方を占ってもらったこともある。その占い師はこう告げたという。
「この人死んでいません。北の方にいます・・・。」
その言葉を信じ、北海道や東北地方を捜し続ける母。しかし一向に足どりはつかめなかった。
だが、孝子さん失踪から15年後、転機となる大事件が起こった。1987年、大韓航空機が爆破された。この事件で拘束された金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚が「拉致された日本人女性から教育を受けていた」ことが明らかになった。家族は失踪した孝子さんの行方を確信したという。
【孝子さんの妹・生島敦子さん(61)】 あっ、これ!家のもそう(拉致)だと思ったんです。絶対、家はこれだ!って思ったんです。その時何故か・・・。
【ナレーター】 「娘は北朝鮮にいるのではないか?」母うらさんは大きな希望を抱いたという。しかしそのことを誰に相談すればいいのか、時だけが過ぎていった。そして・・・。
大韓航空機爆破事件から15年後、拉致被害者5人が帰国した。その後、2003年1月(10日)特定失踪者問題調査会は日朝首脳会談以降、全国から寄せられた調査依頼のうち、家族の同意を得られた40人の実名を公表した。その中に孝子さんの名前が上った。娘の失踪当時67歳だった母うらさんはすでに97歳の高齢となっていた。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 (母うらさんに)「孝子の写真がテレビに出て、それを見てどう思った?」
【孝子さんの母・生島うらさん】 やっぱしどこかに生きていると、ずっと日本にはいなくても、どこか世界のどこかで生きているってそう思ってた。今さら死んでいない。必ずどこかで生きている、そう思っていたの・・・。(ご自分で、ハンカチで涙をぬぐっていらっしゃいました・・・)
【ナレーター】 娘の帰りを待ち続ける母の悲痛な叫び。
去年7月、調査会は特定失踪者の中でも拉致の疑いが高いとされる1000番台リストに、孝子さんの名前を載せた。
*拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei2.php
【特定失踪者問題調査会代表・荒木和博さん】 やはりかなり(拉致の可能性が)高いのではないかと思っています。普段の生活とかですね、そういうことから考えても、自分からいなくなるということは考えられない状況だった、ということですね。
【ナレーター】 さらに特定失踪者問題調査会は、ある脱北者から19年前、孝子さんらしき人物を平壌市内の・・ホテル付近で目撃したという証言を得ているという。
【特定失踪者問題調査会代表・荒木和博さん】 (脱北者の証言では)平壌駅のすぐ近くのアパートだということですけども、そのアパートの前で会われたと。(孝子さんは)ちょっと憂いを含んだような表情だった、と話をされていました。
【ナレーター】 30年以上に渡って、娘に会えることを信じ願い続けてきた母うらさん。
【孝子さんの母・生島うらさん】 生きているうちに、あと今年のうちか、来年いっぱい生きられるかどうか、もうわからないんです。自分でも、自分の命がもうないっていうのがわかっているんです。ただそれだけが望みで、会えたら、会えたらと・・・。
【ナレーター】 その望みはかなわなかった。今年2月7日、母うらさんは息をひきとった。死因は肺炎。99歳だった。
*特定失踪者・生島孝子さんのお母さん、死去 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3628
【孝子さんの妹・生島敦子さん(61)】 もう食事が通らなくなっちゃって、それでも頑張って生きて(孝子に)「会おうね」って言うんで、お腹を切って、そこから栄養も入れたりもしていたんだから、そこまでしたんだから、やっぱり(孝子に)会わせたかったですよね・・・。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 娘を思う、母の人生の3分の1は・・・、娘を思う、それだけだったな・・・。
【ナレーター】 会えることを信じ、32年間、娘の帰りを待ち続けた母。その思いをどうすればいいのか。そんな中、孝子さんの姉馨子さんはあるものの存在を知った。
(中略)
亡き息子を思う母が作った小さな『遺灰ダイヤモンド』。姉馨子さんは「スーパーモーニング」で放送されたこの物語に心を動かされたという。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 「遺灰がダイヤモンドになる」ということをうかがって、これならね、母が小さくてもいいから、何か母を孝子に渡してやりたいなぁと。
【ナレーター】 番組放送の翌日、姉馨子さんは母の遺灰からダイヤモンドを作ることを決めた。
東京にあるライフジェム社。この会社では遺族から預かった遺灰をアメリカへ運び、特殊な装置を使って、遺灰から人工ダイヤモンドを造成するサービスを行っている。全工程は遺族への受け渡しまでに数ヶ月ほど。現在、日本国内ではおよそ約160の家族が遺灰ダイヤモンドを注文しているという。
母の死から1ヵ月後の今年3月(12日)、姉馨子さんはダイヤモンドを作るため、母の遺灰を業者に託した。その日は母の100歳の誕生日にあたった。
【リポーター】 もうすぐお母さんのダイヤが届きますが、今どんな気持ちで待っていますか?
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 うーん・・・。変な言い方ですけど、楽しみですね。母がどんなふうに変わったのかなって。
【ナレーター】 そして4ヵ月後、ついに母の遺灰ダイヤモンドが届いた。
【業者】 すっごく、本当にきれいに・・・。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 わぁー、本当にきれいに光るわね・・・。
【ナレーター】 99歳の生涯を終えた母うらさん。その遺灰が小さな輝きを放ち、再び家族のもとへ帰って来た。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 思いがこんなに大きかったのかしらねぇ・・・。ターちゃん、ターちゃん、会いたいっていう思いがこんなに大きくなっちゃったのかしらねぇ。いやぁ、きれいですね。わぁ、こんなにきれいに光る。色もきれいですし・・・。わぁ、これはね、うらさんそのままね。
【ナレーター】 32年間、最期まで娘の無事を信じ、帰りを待ち続けた母。
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 この光が届くといいですね、孝子に。(涙ながらに・・・)届いてほしい・・・。
【リポーター】 もし、手渡せる日がきたとしたら、何て言って渡したいですか?
【孝子さんの姉・生島馨子さん(65)】 「お母さんだよ」って言いますね・・・。「お母さんそのものだよ」って。小さいけれど、母の気持ちが全部凝縮されているような感じですものね・・・。
【スタジオからリポーター】 実はこの『遺灰ダイヤモンド』は2月15日にスーパーモーニングで放送したんですが、お姉さんの馨子さんが偶然テレビを見られて、ちょうど初七日を終えた翌日だったんですけども、このお母さんの思いを何とか残したいということだったんですね。
ここに一つの「金時計」があるんですけど、これは数え年100歳まで生きたうらさんが愛用していた「金時計」なんです。うらさんの人生は(涙で声が詰まる)正に「時間との闘い」だったなぁと思います。
本当はね、身体の弱い方なんですって。90歳の時には脳梗塞で倒れていますし、その後骨折したりとか色んなことがあったんですが、お嬢さんに会いたい一心で、本当に闘って闘ってリハビリをして、数え年100歳まで生きられました。
それでお嬢さんたちはこのお母さんの思いを何とか伝えたい、もしも孝子さんに会えることがあったら、このお母さんの思いを何としても伝えたいという思いで、この『遺灰ダイヤモンド』というかたちにされたそうですけれども、せめてその思いをダイヤの輝きに変えてペンダントか何かにして、いなくなった孝子さんが帰って来た時にはつけさせてあげたい、お母さんの思いを伝えたいということです。
*'05 3/13TBS「報道特集」特定失踪者のご家族『時間がない』(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/3537239.html *'05 3/13TBS「報道特集」特定失踪者のご家族『時間がない』(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/3552129.html *'05 3/13TBS「報道特集」特定失踪者のご家族『時間がない』(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/3579397.html
*6/30 テレビ朝日「スーパーモーニング」《遺灰ダイヤモンド物語》 http://aoinomama13.seesaa.net/article/5112150.html
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| 7/10 浦和署名活動 大澤茂樹さん |
( 2005.7.11,月 ) |
*7/10 浦和署名活動 http://aoinomama13.seesaa.net/article/5036928.html
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
ご通行中の皆さま、大変お騒がせして申しわけございません。私たちは、今北朝鮮に拉致されている日本人同胞を早期救出するための街頭署名のお願いにうかがっております。大変恐縮ではございますが、一人でも一人でも多くの方々のご支援とご協力をよろしくお願い申し上げます。大変猛暑の中恐縮ではございますが、皆さま方の一人一人のご理解をお願い申し上げます。
私は昭和49年の2月24日に、新潟県の佐渡島で北朝鮮に拉致された疑いの濃厚な特定失踪者「大澤孝司」の兄でございます。本日は埼玉の救う会の皆さま、また家族会の皆さま、特定失踪者のグループの皆さまのお仲間に入れさせていただきまして、活動をさせていただいております。どうか皆さま、一人でも一人でも多くの方々のご支援とご協力をお願い申し上げます。
*特定失踪者「大澤孝司」さん 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.net/jokyo/12.html
私ども特定失踪者調査会に、拉致の疑いが排除できないご家族が7月現在で440名おられます。その440名の中に、私も実際どれだけの人が北朝鮮に拉致されたのか想像もつきませんが、北朝鮮からの研究者?によりますと「少なくとも100から200名確実に拉致されている」ということでございます。
今、日本政府が拉致認定している11件16人の他に、まだまだこんなにたくさんの拉致被害者がおられますが、今日本の政府は何でこんなに多くの拉致被害者がいるのに、積極的に拉致問題を解決してくれないんでしょうか?何か理由があるはずですが、私にはまったくわかりません。
どうか皆さま、「こんなにたくさんの拉致被害者がいる」っていうことを知っていただきたく、この解決にはもう日本政府から「経済制裁」を発動していただき、金正日体制を崩壊しなければ、私はこの拉致問題の完全解決はありえないものと確信いたしております。
どうか皆さま方の一人一人のご署名が拉致問題を解決する大きな力となり、小泉さんを励まします。また、外務省への大きな圧力となります。どうか暑い中、大変恐縮ではございますが、一人でも一人でも多くの方々のご支援とご協力をお願い申し上げます。署名時間は30秒ないし1分で終わります。どうか皆さま方の温かいご署名をよろしくお願い申し上げます。
皆さま方の一人一人のご署名は拉致問題を解決する大きな力となります。そして今、北朝鮮で地獄のような生活をしている我が同胞を一刻も早く救出するには、皆さま方のお力が必要でございます。皆さま方一人一人のご署名が拉致問題を解決する大きな力となり、小泉さんを励まします。外務省にも大きな大きな圧力となります。暑い中、大変恐縮ではございますが、どうか皆さま方のご声援を、ご協力をお願い申し上げます。
今日本政府の拉致問題の取り組み状況は、昨年の暮れ、北朝鮮が突如「核の保有宣言」と「横田めぐみさんのお骨は日本政府が捏造したもの」とコメントを発表以来硬直化し、足踏み状態となっておりますが、しかし時は止まっておりません。
*北朝鮮が遺骨問題で反論 疑問3点を提起 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3575
拉致された家族も年々高齢化し、私の父親も今年95歳になりました。せめて父親が元気なうちに弟との再会を果たしてやりたく、私もこうして、私にできる範囲で救出活動に取り組んでおります。どうか私の弟の救出のためにも、どうか皆さま方のご声援を、ご協力をよろしくお願い申し上げます。
*'05 3/13 TBS「報道特集」特定失踪者のご家族 『時間がない』(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/3552129.html
私は、拉致は人権蹂躙で、我が国土に土足で上がりこむ国家主権の侵害、人権侵害、テロという北朝鮮の国家犯罪と認識しておりますが、何で日本政府はこんなに拉致問題に関しては、逃げ腰で弱腰で積極的に取り組んでくれないんでしょうか?どうか皆さま方のお力で日本政府に圧力をかけてください。どうかよろしくお願いいたします。
暑い中、大変恐縮ではございますが、今北朝鮮に拉致されている日本人を救出するための街頭署名に、ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。どうもありがとうございました。
*4/10 第10回藤沢市民集会 大澤茂樹さんの訴え 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3831
*7/10 浦和署名活動 大澤茂樹さん http://aoinomama13.seesaa.net/article/5070488.html
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| たなばたさま |
( 2005.7.7,木 ) |
今日は七夕ですね。あおいのママの住む千葉県柏市では夕立がちょこっとありましたけど、今は晴れているようです。お星さま見れるかな?ひこ星さまとおり姫さまは会えるかな?
子どもの頃、七夕の日に願うことは他愛無いことばかりでした。「頭が良くなりますように」とか、「お小遣いがいっぱいもらえますように」とか、「ピアノが上手になりますように」とか。
でも、大人になってからはひとつのことを願うようになりました。
たったひとつの願いごと、かなうといいな。
皆さんの願いごともかなうといいですね。(*^^*)/~~
*あおいのママの田舎では、たなばたさまは8月でした。笹の葉にお飾りや願いごとを書いたたんざくをいっぱいつけて、玄関に飾って、そして家族で橋の上から川に投げました。今もやっているのかな〜。
【たなばたさま】
ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎん砂子(すなご)
五しきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
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| 6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(8) |
( 2005.7.6,水 ) |
《真鍋貞樹さん・特定失踪者問題調査会専務理事》
『千葉県の特定失踪者問題について』 「大町ルート」は千葉県が出発点。その道程で多くの拉致・失踪が存在する。このルートに一体何があったのか。
*「大町ルート」 資料の作成は特定失踪者「高野清文さん」のご家族の高野美幸さんです。 http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=120&no=30
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4740905.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4782990.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4791328.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(4) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4840069.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(5) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4865923.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(6) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4878596.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(7) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4935551.html
(7)の続き
あと10分しかなくなってしまいました。もっとたくさんお話をしたいことが山ほどあるわけですけれども、そういうふうにですね、千葉県の失踪といいますか拉致というのは、最初に申し上げましたように、千葉県警本部長が議会で答弁された状況とはまったく違う可能性があるということです。
千葉というのはある意味「非常に重要なポイントの一つではなかったのか?」というふうに思います。現在ですね、千葉県内にお住まいの特定失踪者のご家族が19人いらっしゃいます。えー、もちろん失踪当時から家をね、移られた方も含めてご家族が19人いらっしゃいます。
それから、千葉県から失踪された方が15人いらっしゃいます。ダブっている方もいるしダブらない方もいらっしゃるんですけれども、そのくらいの数になっておりまして、その特定失踪者の方々が全員拉致というふうには私どもも思っていません。
当然、他の事件事故といったようなことがありうると思っておりますが、我々も活動を始めて2年半、現在440名くらいの失踪者のご家族から届出をいただいておりまして、その内ですね、日本で何らかのかたちで元気に暮らしていらっしゃる方、残念ながら自殺されていた方、残念ながらもう死亡されていた方が分かった方は「13名」にすぎません。
まぁ、これだけ我々なりにマスコミの皆さんにご協力いただきながら、テレビや新聞雑誌等々で取り上げていただいて、ポスターなども広めていただいているにもかかわらず、日本国内でそういう結論が出た方はまだわずか「13人」という現状ですから、えー、我々なりにもっともっとよく捜せば、ということになるんでしょうけれども、本当に真相というものはですね、まだまだ闇の中という状況でございます。
それとですね、ちょっと時間の関係で一つだけご紹介したいことがあります。千葉の関係でご紹介しておきたいなと思うのはですね、万景峰号ですね。新潟港によく来ている万景峰号ですね。それからもう一つ重要なのは普通の貨物船です。
これと千葉との関係ですけども、実は万景峰号はですね、何代か更新されているわけなんですけれども、古い、昭和50年代ぐらいの、(今のより)前の前の万景峰号が実はですね、横浜にも入っています。それから茨城の日立港にも入っています。
(ボードで説明)それと不思議なのはですねぇ、万景峰号は変な動きをするんです。あのウォンサン(元山)という、半島の朝鮮半島のこの辺(東側)にありますね、ウォンサン(元山)という、それがこの日本の港に来る経過で変なのがあって、日本一周する旅があるんです。
万景峰号はウォンサン(元山)を出ましてですね、(玄界灘を通って)横浜に寄ります。横浜に寄る時は、真っ直ぐ九州は渡ってこないんですね、(玄界灘を)この辺通るんですかね、(四国をぐるっと周って)横浜に入ります。そして青森に寄ります。そしてこっちに(ウォンサン(元山)に)戻ります。
ちょっとわかんないですけど、最初に(青森の方から)横浜に来て青森に行ってウォンサン(元山)なのか、(九州の方から)ぐるっと周って横浜かこうなのか、ちょっとはっきりはしないんですけども、要するに日本一周の旅を万景峰号がやる時がたま〜にありました。
それで不思議なことはですね、あの、さっきの大町ルートの関係なんですけれど、大町ルートの最終地点っていうのがですね、地図で見ていただくと富山方面の、赤い線で日本海の出ているところ、これが糸魚川市(いといがわし)のところまで行っているんですが、この線は実は西に行きます。
西に行ってですね、ずうーっと富山湾を西に行きまして、ここに「伏木(ふしき)」というあまり聞いたことのない地名なんですが、富山市の西で新湊という大きな貿易港がありますが、その西に「伏木(ふしき)」という小さな港があるんですけれども、でもまぁ国際港なんで、何故か万景峰号がそこに何回も入って来ます。
*伏木港事務所のホームページ http://www.pref.toyama.jp/branches/1540/top.htm
それで不思議、洒落じゃないんですけれども、あの不思議なのはですね、ここの伏木港でいっぱい失踪があるんです。あの、アベック事件があります、あの富山のアベック未遂事件、これは伏木港から車で10分も行けばその現場になりますし、正に伏木港で失踪した人が山田健治さんと言いますね、我々の1000番台リストに入っている方なんですけれども、拉致濃厚という方なんですけれども、こういうところに(港に万景峰号が)入っています。
*「拉致濃厚」新たに10人 入善町の屋木さん、福岡町の山田さんも 失踪者調査会発表 http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20040522002.htm *拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei2.php
えー、本当に不思議なんです。「何で伏木みたいなところで万景峰号が入るんだろう?」それから「何で日本一周するような、あえて航路をとるんだろう?」それからまぁ言い出したらキリがないんですけれども、「何でこんなところに泊まるの?」というのがあります。
ここに「七尾(ななお)」というのがあるんですけれども、(ボードに書く)この伏木のちょっと先に「七尾(ななお)」っていう、あまり聞かない地名があるんですけれども、ここに何故か万景峰号が停泊した時もあるし、何故かずうーっとそこに海上に泊まっている、という時があります。あの、港に入るわけでもなし、今ほど厳しくないわけですから、まぁ色んな事情があったんでしょうけれども、そういう状況があります。
*七尾市役所ホームページ http://www.city.nanao.lg.jp/
それから、その北朝鮮の貨物船なんていうものはですね、救う会ではいつも新潟港で「万景峰号帰れー!!!」とか言っていますけど、まぁご存知の通り今でもですね、もう貨物船はいっぱい入っているわけなんですね。あの、私も現場を見ましたけれども、未だに堂々と入って来ています。
それで、当然貨物船は千葉港に入って来ています。で、安明進(アンミョンジン)ですね、横田めぐみちゃんの目撃証言をした、安明進(アンミョンジン)は「貨物船に気をつけろ!!」とずうーっと前から言っています。「貨物船じゃないんだから、あれは!!」と。「工作員が乗っているんだから!!」と。
「あそこに小船が入っていて、モーターボートみたいなのがあって、それから(日本に)上陸しているんだから、気をつけなさい!!」ということを何度も言っているんですね。まぁ、それがやはりあの、一つの大きなポイントになればと思っています。
*マンギョンボン号の母港ウォンサン(元山) 観光された方が撮影した写真がたくさんあります。 http://www.geocities.jp/matsumuratomio/page008.html
(9)に続く
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(8) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4960437.html
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| 6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(7) |
( 2005.7.5,火 ) |
《真鍋貞樹さん・特定失踪者問題調査会専務理事》
『千葉県の特定失踪者問題について』 「大町ルート」は千葉県が出発点。その道程で多くの拉致・失踪が存在する。このルートに一体何があったのか。
*「大町ルート」 資料の作成は特定失踪者「高野清文さん」のご家族の高野美幸さんです。 http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=120&no=30
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4740905.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4782990.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4791328.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(4) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4840069.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(5) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4865923.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(6) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4878596.html
(6)の続き
それから加瀬さんの周辺でですね、実はたくさん失踪していますね。あの、公開されている方が伊藤克(いとう まさる)さんという方です。
*特定失踪者問題調査会公開リスト 昭和60(1985)年8月29日失踪 http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm *新たに4人が「拉致濃厚」 失跡者5人を公表、調査会 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=1437
お隣の旭市で農業を営んでいた伊藤克さんですけれども、時期が全然ずれるんですけれども、有名なメロン農家でした。千葉県でもコンクールで金賞を取るくらい有名なメロン農家なんですけれども、この方が仕事仲間と一緒に東京に出張に3人で行って、3人で旭市まで戻って来て、「じゃあね」と言ってタクシーに乗ったきり、家に帰って来られていないという事件です。
タクシーの運転手は伊藤克さんの同級生の方でして、「家の前まで送ったよ」と、いや、「家の近くまで送った」と「送って歩いて帰る姿を見たけれども、それが最後だった」というふうに証言されていますが、私もその現場に何度も行きましたけれども、「何があったんだろう?」と「一体、何があったのか?」というところなんですが。
それで実は、ということで調べますと、伊藤克さんと加瀬テル子さんの、まぁ本家筋と言うか、あれは何ていうんですかね?親戚筋に辿っていきますと「お隣同士」なんです。えー、ご本人同士がほぼ同い年なんですけれども、ほぼ同い年なんですけれども、面識があったかどうか?というところは一つのポイントになるんですけれども、現在のところ、このお二人が昔々面識があったかどうか、ということは明らかになっておりませんが、ほぼ同い年ということですから、非常に注目しているところですね。
それから千葉ではたくさん他にも失踪があるんですけれども、公開されている方では、鵜沢幹雄(うざわ みきお)さんという方が御宿で失踪されていますけれども、これはとっても不思議な失踪でして、会社の忘年会でみんなでわぁ〜っと飲んでって、それで「酔いを醒ましてくるよ」と言って仲居さんのサンダルをですね、借りてふらふらふらふら海岸の方に歩いて行ったのが同僚が見られた最後の姿なんです。
その御宿の海岸で夜釣りをしていた方が、その「ふらふら歩いている男性を見ました」という証言をなさっていまして、その方曰く「その、ふらふら歩いて来た人物を介抱するようなかたちで連れて行った男性がいます。どっか遠くに歩いて行きました」という証言があります。
*特定失踪者問題調査会公開リスト 昭和53(1978)年12月15日失踪 http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm
それはとても重要なので、「その介抱した人物は誰なのか?」ということになるんですけれども、未だに現れておりません。「それは一体誰だったんだろう?」つまり鵜沢さんは自殺とか事故ではないということですね。
その鵜沢さんが履いていたという女性物のサンダルはですね、堤防のところに落ちていましたので、というか転がっていたので、「事故じゃないのか?」ということで終わってしまっているわけですけれども、目撃証言はあるわけですし、事故の形跡がまったくない、という事件ですね。
「一体鵜沢さんはどこにいっちゃったんだろう?」それから「鵜沢さんを介抱した人は一体誰なんだろう?」と、未だにわからない事件ですね。
それからですね、千葉で怪しい事件はですね、あのこれは千葉ならではのことなんですけれども、「印刷関係の方の失踪が多い」ということです。これもマスコミで紹介されていますので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、千葉の西・東京の東地区に失踪の方が多発しているんですけれども、それが何故か「印刷関係の仕事に就かれていた方ばかり」ということです。
えー、あの千葉大学というのはですね、とても印刷業界の中では有名な大学なんですってね。それで千葉大学の卒業の方も失踪されていますが。
それがですね、マスコミの人が一生懸命に調べてくださって、印刷関係の失踪者の方の経歴、それからどういう分野に優れているかということを分析すると、だんだんだんだんレベルが上がってきているんです。最初に失踪された方は職工さんみたいなかたちでですね、それで最後に失踪されている方は千葉大学を出て、ちゃんとした理論的に印刷を勉強されてきた方で失踪はストップ、後は印刷関係の人たちはそれっきり失踪はないんです。
その時に、その時期、その場所でしか印刷関係の人たちの失踪がないという不思議なことなんですが、それと北朝鮮における偽札作りっていうのがありますが、偽札作りが作られていくプロセスと一致するということです。
偽札も最初はもう粗悪品と言いますか、今や本物のドルよりも、アメリカで刷られるドルよりも、精巧な北朝鮮製の偽ドルが出回っているわけですね、アジアに。もう本当にアメリカ人もビックリというくらい細かい、本物のドルよりも細かい精巧なものが。
あの拡大するとですね、本物のドルの線はやはりにじんでくるんだそうです、拡大してみると。しかし、北朝鮮製の偽ドルはそれがくっきり入っているということで、やはり高度な技術を持っていることは間違いない。じゃあ「一体誰がそれを作るんだい?」ということになると、とてもとても北朝鮮の国内だけでそうした偽札を作る技術が入手できるとは思えません。
ということは、これから先はまぁ推測になるわけですけれども、「そうした技術がやはり日本から持ち出されたのではないだろうか?」というふうに思うわけです。これがまだまだ推測の域を出ていないわけですけれども「もしかしたら・・・」という状況でございます。
*日本の印刷職人8人"失踪"の謎 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3179
(8)に続く
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(7) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4935551.html
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| 6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(4) |
( 2005.7.2,土 ) |
《真鍋貞樹さん・特定失踪者問題調査会専務理事》
『千葉県の特定失踪者問題について』 「大町ルート」は千葉県が出発点。その道程で多くの拉致・失踪が存在する。このルートに一体何があったのか。
*「大町ルート」 資料の作成は特定失踪者「高野清文さん」のご家族の高野美幸さんです。 http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=120&no=30
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4740905.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4782990.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4791328.html
(3)の続き
それから、朝鮮総連との関係もこのルートで探してみましたところ、たくさんのことがわかってきました。
まず、朝鮮総連直営のパチンコ店というのがこのルートにいっぱい存在します。特に多いのが実は山梨なんですけどもね。そういった所に、このルートに、朝鮮総連が直営店っていうのがたくさんあるんですね。全国で40〜50(店舗)あるわけですけども、このルートに何故かたくさんあるということですね。
えー、それからさっき、あの増元さんの方からお話がありましたけれど、山形というのはですね、不思議と朝鮮総連の直営パチンコ店が多いところなんですが、まぁこれはちょっとあれですけれども、そういったルートでありました。
それから、う〜ん、いわゆる「協力者」と言いますか「土台人」と呼んでいるんですね、(ボードに書く)まぁ、ご存知の方いらっしゃると思いますが、「トテイ?」と言いますけれども、日本語で「どだいじん」と言いまして、言葉の通り「土台を作る人」という意味で、日本に定着をしてですね、たまたまそういった活動に従事する人たちを称して、この「土台人」ということになるわけです。
この「土台人」と言う人たちが、よく我々がそう呼んでいる人たちが、おそらくはこの拉致、最初に申し上げましたけれども、「拉致された被害者を運ぶ上で、重要な役割を果たした人たちであろう」というふうに思っております。
*拉致協力者「佐渡に住んでいる」=曽我さんが目撃 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3386
その「土台人であろうと思われる人たち」が、このルートにたくさんいるということです。えー、名前はわかっていますけども、ここでしゃべっちゃうと名誉毀損で訴えられる可能性がありますから、ちょっとそれは避けるといたしましても、日本の朝鮮問題でとっても重要な役割を、役割というか大きな事件があったんですが、それに絡んだ「土台人」がこのルートに存在しております。
一番有名なのがですね、『朴正煕(パクチョンヒ)大統領狙撃事件』というのは皆さん覚えていらっしゃいますか?奥さんが殺されました。あの、こういう壇上に文世光(ムンセガン)という在日の人がこう近寄って来てですね、バンッバンッと撃ったら朴正煕(パクチョンヒ)大統領に当たらないで、奥さんに弾が当たって亡くなったという事件です。
その文世光(ムンセガン)という人物は、日本で交番を襲ってお巡りさんの拳銃を盗んで、そしてそれで韓国に渡ってそしてその事件を起こしたわけですけれども、この文世光(ムンセガン)を日本で匿っていた(かくまっていた)人物がこのルート上に存在するというわけです。
*文世光事件 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%B8%96%E5%85%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
それからもう一つ言いますと、あのー、有名な辛光洙(シンガンス)っていますよね?原敕晁(はら ただあき)さんの拉致の実行者ですね。
*【工作員「辛光洙」】原敕晁さん拉致の全容 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com/nenpyo/siryo03.html
もう、もちろん超有名人ですけれども、この辛光洙(シンガンス)を匿っていた人物もこのルート上に存在します。
とこう言い出すとキリがないんですけれども、要するにこのルートにはそういうふうにですね、「色んな工作活動をする上で、重要な役割をする土台人というものが存在する」ということでございます。
それからこれも固有名詞を申し上げるとちょっと難しいんですけれども、足立区にあるN病院、N病院と言えばあの、ご存知の方は「あそこだ!」ということなわけですけれども、このN病院というものがですね、あの、在日の者の経営する病院なんですけれども、ここが当然大町ルートに存在し、尚かつですね、このN病院の保養施設が、このルートからちょっと外れるんですけれども、鴨川とえみ?にあります。
*藤田進さんはどこで拉致されたのか 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=2883
当然ここがですね、あの、何かしらの工作活動に使われたのではないのだろうか?というふうに想像をしていたわけですけれども、これちょっと後でお話したいと思いますけれども、そういう関連施設がですね、た〜くさんこのルートに存在します。
えー、それからこのルートの重要性を証明する一つの事件としてですね、あの有名な黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)書記さんがいますね。
*黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%95%B7%E3%83%A8%E3%83%97
あの北朝鮮から亡命した方で、今韓国にいますけれども、超大物の方で、この方が日本に、あの韓国に亡命する前に日本に立ち寄っておられるんですね。
それで、そのルートというのがこの逆コースです。大阪方面から富山に抜けて、富山からこのルートを使って長野に寄って、そして甲府に寄って、そして東京の小平市、私の住んでいる所ですけれど、そこに朝鮮大学校というのがございます。あの、朝鮮総連の経営する大学校ですね。
そこに立ち寄って東京方面に行って、そこから中国に渡って中国で亡命をしたという経過になっておりますから、この黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)さんが通った所はですね、ただ通っただけではなくって、そこに拠点拠点に重要な人たちがいたわけです。
そこの重要な人たちといろいろ話をしながら、何の話をしたのかわかりませんけれども、話をしながら亡命ルートを辿った、していったという意味で、このルートというのは「とても彼らにとっては重要なルートなんだなぁ!」ということに気がついたわけでございます。
*大町ルート 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
(5)に続く
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(4) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4840069.html
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| 6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(3) |
( 2005.7.1,金 ) |
《真鍋貞樹さん・特定失踪者問題調査会専務理事》
『千葉県の特定失踪者問題について』 「大町ルート」は千葉県が出発点。その道程で多くの拉致・失踪が存在する。このルートに一体何があったのか。
*「大町ルート」 資料の作成は特定失踪者「高野清文さん」のご家族の高野美幸さんです。 http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=120&no=30
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(1) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4740905.html *6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(2) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4782990.html
続き
最初にこの大町ルートというものはですね、まぁ時間が許す限り詳しくお話したいと思いますけれども、えー、お手元に大町ルートの地図がございますかね?ちょっと暗くて見づらいかと思いますけれども、これに基づいて直接説明させていただきたいと思います。
*大町ルート 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
この地図はですね、私が作ったんではなくて、特定失踪者(高野清文さん)のご家族で高野美幸さんという方がですね、一生懸命作ってくださったもので、大変重宝しておりますが、これに基づいてお話をしていきたいと思っています。
*高野清文さん http://nyt.trycomp.com/takano/ *KONAboration-SSQ 高野美幸さんのブログ http://konaboration-ssq.seesaa.net/
それでこの大町ルート、出発点が銚子周辺ということになります。まぁ、我々知る限り、このきっかけになったのが実は「加瀬テル子さん」を調査している中でですね、出てきたわけです。
*'04 10/15 TBS「ニュースの森」《特定失踪者『加瀬テル子さん』》 http://aoinomama13.seesaa.net/article/4524816.html
私が初めて加瀬テル子さんの叔母さんにお会いした時に、叔母さんの口から「当時、この海上町で『砂鉄』を採っていました。で、その『砂鉄』の回収に、日本人はもとより、地在日の人たちがたくさんいましたよ」という話から「一体これはどういうことなのかなぁ?」というふうに強い関心を持ちました。
今日も来られていますが、加瀬さんの従兄弟の仲條さんたちと一緒になってこれを調べていくうちに、『砂鉄』のみならず、当時はあの海上町とか旭市の周辺では『水あめ』を作っていました。
えー、それも日本人も作っていたし、在日の人たちも作っていて、加瀬テル子さんの家もご実家もですね、そういった『砂鉄』だとか『水あめ』にも関わっていて、在日の人たちが加瀬さんの自宅の方にも来られていた、というようなことが、だんだんだんだん明らかになってきまして、「これは一体なんだろうな?」ということでした。そして「『水あめ』と『砂鉄』がどういうふうに使われるんだろう?」というふうに考えました。
そうすると『砂鉄』というのは当然上質の金物ですね?刃物とかですね、そういった物に非常に有効な物ですし、高品質の鉄ができるわけですが、それがどうも「新潟方面、富山方面に当時運ばれていた」ということで、またそれがどうも「北朝鮮にも渡っていたようだ」ということでした。
それから『水あめ』の方なんですけれども、『水あめ』同じようにどうも「新潟方面、富山方面に向けて運ばれていたようだ」と。そして『水あめ』っていうのは、「北朝鮮にも送られていたようだ」ということなんですが、『水あめ』というのはですね、朝鮮の焼酎があるのですが、まぁ韓国で言う『眞露(じんろ)』が有名ですけれども、あのああいった朝鮮の焼酎の味付けに『水あめ』というのが使われているようですね。
だからこの『水あめ』と『砂鉄』というものがこの銚子周辺で採られて、そしてそれが千葉市を経由して東京、そして山梨、長野、そして新潟方面と富山方面に運ばれて行った、ということが判明してきました。
それで「拉致」とは結びつかなかったんですけれども、これをヒントにですね、この大町ルートというのは何度も調べているうちに、類似した産品も明らかになりました。
それは実はですね、『天草』なんですね。あの寒天の材料になる、えー、『天草』です。これがですね、戦後ですけれども、当然『水あめ』とか『砂鉄』とか戦後の話なんですけれども、この『天草』というのはですね、この地図にありますけれども、(伊豆七島の)大島とか新島、それから三宅島といったような所で採取されていました。
*首相官邸監視業務 この件で情報協力してくださった方のことが書いてあります。 高野美幸さんのブログより http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/4557316.html
この『天草』を採っていた人たちが、当時在日の人たちだったんですね。その在日の人たちが、あの『天草』を採って、それが横浜に運ばれて、この同じルートを伝わっていって、これは北朝鮮ではなくてですね、「長野の名産になっている」わけです。
えー、『天草』というのが『ところてん』の原料になりますから、『ところてん産地』ってご存知でしょうか?実は長野なんです。「何で長野が、海のない長野が『ところてん』の産地なんだ?」ってことでですね、非常に興味を持ったところ、このルートを伝ってですね、当時、戦前ですよ、あの「『天草』が運ばれて来た」ということになるわけなんですね。
*特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/ *古川了子さんを救う会 http://www012.upp.so-net.ne.jp/Furukawa-Noriko/
続く
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(3) http://aoinomama13.seesaa.net/article/4791328.html
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