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2005年06月の日記

6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(2)
( 2005.6.30,木 )
《真鍋貞樹さん・特定失踪者問題調査会専務理事》

『千葉県の特定失踪者問題について』
「大町ルート」は千葉県が出発点。その道程で多くの拉致・失踪が存在する。このルートに一体何があったのか。

*「大町ルート」 資料の作成は特定失踪者「高野清文さん」のご家族の高野美幸さんです。
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=120&no=30


*撮影したビデオカメラから文字化しました。

続き

 それで、まぁそうなんですけれども、あまり警察ばかり責めてばかりはいけないわけなんですね。

 私どもがこの拉致問題を始めてからしばらくの間、そして特定失踪者問題調査会というものを立ち上げてしばらくの間、私も千葉には何度もお邪魔して色んな方とお話を致しました。えー、ところがお会いした方々皆さん異口同音に「千葉?千葉に拉致なんてあるわけないよ」と「日本海側じゃないし、太平洋側に拉致なんてないよ」というのが警察の方々、他の政府機関の方々、そして普通の住民といいますか市民の皆さん方の、同じようなコメントが返ってきておりました。

 まぁそれだけですね、やはり太平洋側の、新潟の反対側の千葉県ですから、当初そういうような認識を持たれていたというのは、ある意味では「自然なことなのかなぁ」と思っておりますが、今になって、そのような認識を持っていらっしゃる方はまさかいらっしゃらない、というふうに私は信じておりますけれども、信じるどころか私自身は、この千葉県というのは、とっても拉致問題を解明するにあたって、とっても「重要な場所である!」ということを実は認識したわけです。

 まぁ、そのきっかけになったのが、いわゆるかっこ書きの「大町ルート」というものでございます。えー、このかっこ書きである理由はですね、まだまだ検証していかなきゃいけない部分がたくさんあるので、確証にまではまだ至っていないわけですけれども、調べれば調べるほどこのルートというものに、「怪しい存在」と言いますか「拉致との関わりが大変強いルートだなぁ」ということを認識しつつあるんです。

 で、もちろんこうした拉致ルートというものはですね、全国にいくつもあると思っております。そこが具体的に「どこなのか?」ということが、なかなか解明されていないわけですけれども、少なくとも「拉致された被害者を運ぶルート」というものがあるんですね。

 (拉致被害者)田口八重子さんは、東京の池袋のど真ん中で、工作員によって誘き出されて、仕事場から誘き出されて、そしてまだまだ分からないんですけれども、宮崎県の青島海岸まで連れて行かれて、そこから工作船に乗せられて運ばれた、ということのようなんです。


*田口八重子さん 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.net/jokyo/03.html


 まだこれはっきり分かっておりませんけれども、そうすると当然東京から遠路はるばる2000キロくらい離れている宮崎の青島海岸まで「どうやって運んだのかな?」ということなんですね。

 それだけの長い距離を運ぶとすると、相当ご苦労が工作員にも発生しているはずです。えー、車で運ぶとすれば何泊もしなきゃいけないですね?当時とすれば。一人や二人じゃ絶対無理です。工作員だって腹が減るからどっかで飯を食わなきゃいけないし、トイレ休憩しなきゃいけないし。というところで、普通のドライブをしているようなものじゃないわけですから、当然そこに協力者というものが存在しなければ、それだけの距離を運べることはできないわけですね。

 この「協力者の存在なくして、この拉致問題はない!!」という前提に立って、この大町ルートというものをまた眺めてみると、色んなことが分かってきたということでございます。


*大町ルート 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
*特定失踪者問題調査会
http://www.chosa-kai.jp/
*古川了子さんを救う会
http://www012.upp.so-net.ne.jp/Furukawa-Noriko/

続く

*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4782990.html

6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(1)
( 2005.6.29,水 )
*真鍋さんの講演は長時間でしたので、少しずつ文字化をして掲載していきたいと思います。後ほど修正・訂正する場合もあるかもしれませんが、どうぞご了承ください。

《真鍋貞樹さん・特定失踪者問題調査会専務理事》

『千葉県の特定失踪者問題について』

 「大町ルート」は千葉県が出発点。その道程で多くの拉致・失踪が存在する。このルートに一体何があったのか。

*「大町ルート」 資料の作成は特定失踪者「高野清文さん」のご家族の高野美幸さんです。
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=120&no=30


*撮影したビデオカメラから文字化しました。

 皆さん、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました特定失踪者問題調査会の一応専務理事でございます。えー、本当にお暑い中ですね、多数「古川了子さんを救う千葉集会」にお集まりいただいて、心から感謝を申し上げます。

 まぁ、私どももこの古川さんの問題はある意味で、あの四百何十人と言われる特定失踪者の方々の思いを解氷するようなかたちでですね、あの、この度訴訟というかたちで取り組まさせていただいております。

 えー、訴訟となりますとですね、大変難しい問題を抱えますので、私ども、弁護士の先生方「法律家の会」と呼んでいますけれども、30人の弁護士の先生方が団結して、その古川了子さんの訴訟にあたるということでございます。

 訴訟のことですから、その結果がどうなるか予断は許さないわけですけれども、大変重要な意味を持つ訴訟ですので、我々としてもぜひ、良い結果を生むように頑張っていきたいというふうに思っております。


*古川了子さん拉致認定訴訟 国「門前払い」を求める
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4037


 最初に今日は「大町ルート」の話をしながらですね、まぁ、千葉の、千葉県における特定失踪者の方々を触れさせていただいて、この拉致問題の全容解明の内の、極々一部にはなると思いますけれども、これを皆さま方にぜひご報告をさせていただいて、また、皆さんの方でお気づきのこととかそういうことがありましたら、ぜひ情報としてですね、お知らせいただければ幸いでございます。

 あの、房総千葉ということなんですけれども、えー、皆さま方はご存知のことと思いますが、千葉県議会で千葉県警本部長の答弁というのがお聞きご存知でいらっしゃいましょうか?あれはいつだったか、私もちょっとはっきりしませんけれども、千葉県議会でですね、「千葉県における拉致問題はあるのか?」という議員さんの質問の時に、千葉県警本部長は「千葉においては、拉致はありません!」というふうに県議会の場で答弁を行いました。

 その後ですね、まぁ、私ども、その時はもう古川了子さんの案件は明らかになっていたわけですけれども、えー、しかしながら千葉県警としては正式のコメントとしてですね、「千葉においては、拉致はない!」というふうに言明をされたわけです。

 これ今どうなっているのか、私あの・・は知らないんですけれども、まずこの警察の方のですね、「千葉においては、拉致はなかった」と「ない」というふうな見解をぜひ改めていただきたいな、というふうに思っております。

 少なくとも千葉において「拉致の容疑が濃厚である」という方々の存在は認めていただいてですね、えー、ぜひ、千葉県警あげて古川了子さんを始めとする特定失踪者の問題にですね、全力で取り組んでいただきたいなぁというふうに思っております。


*特定失踪者問題調査会
http://www.chosa-kai.jp/
*古川了子さんを救う会
http://www012.upp.so-net.ne.jp/Furukawa-Noriko/

続く

*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 真鍋 貞樹さん(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4740905.html

3日間の行動
( 2005.6.28,火 )
 あおいのパパとママは6月24日〜26日まで、東京・永田町の衆院議員会館前にて座り込み及び集会に参加しました。詳しいレポートを書きたいと思っております。どうか気長にお待ちください。(いつもすみません!)

*写真は26日に撮りました。特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんの大澤茂樹さんと、特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの高野美幸さんです。調査会のポスターをずっと掲げ歩いてアピールをされていました。あおいのパパも高野さんの資料を一緒に配り歩きました。


【6月24日】

 あおいのパパが座り込みに参加しました。当日仕事がありましたので、外回りの休憩時間に参加したということです。あおいのママは急な発熱で参加できませんでした。心配してくださった皆さん、ありがとうございました。無理してでもと思いましたけど、返って迷惑をかけるかもしれませんでしたので、断念いたしました。(泣)


【6月25日】

 あおいのパパとママは千葉県市原市で行われた「古川了子さんを救う千葉集会in市原」に参加しました。講演内容などは文字化をしたいと思っておりますので、こちらもしばらくお待ちください。お二方は仕上がっておりますので、よろしかったらご覧ください。

*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 竹下 珠路さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4628453.html
*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 仲條 富夫さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4681576.html
*皆さんの力で『加瀬テル子』を家族のもとへ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4664625.html

 千葉集会終了後、東京永田町の星陵会館に向いました。午後6時から始まったようですが、到着したのは6時半くらいだったと思います。少しだけでもご家族の皆さんのお話が聞けて本当によかったです。

 私たちは市原市民会館に向うバスで、偶然にこの日講演された増元照明さんとご一緒しました。増元さんはご自分の講演終了後急いで永田町に向いました。そして星陵会館に私たちがいたので驚いていたようでした。


【6月26日】

 あおいのパパとママは座り込みに参加しました。特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの高野美幸さんとご一緒しました。その他、拉致被害者「田口八重子さん」のお兄さんの飯塚さん、本間さんのご家族の方々、特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんの大澤昭一さん、茂樹さん、特定失踪者「佐々木悦子さん」のお母さんの佐々木アイ子さん、特定失踪者「生島孝子さん」のお姉さんの生島馨子さん、特定失踪者「鈴木賢さん」のお兄さん等皆さんとお話をしました。終了後星陵会館の集会にも参加しました。


*写真は、拉致被害者「田口八重子さん」のご家族の方々(飯塚さん・本間さん)と、特定失踪者「佐々木悦子さん」のお母さんの佐々木アイ子さん、特定失踪者「生島孝子さん」のお姉さんの生島馨子さんです。西村幸佑さんを見かけましたので、チャンネル桜の取材をしていただくことになりました。本当にありがとうございました。(ブログに載っております)

 レポートは大変時間がかかると思います。(たまりにたまっているし・・・)この3日間、大勢のご家族の皆さんや支援者の皆さんとお会いしてお話をしました。パパは少しお手伝いもしました。


*この暑い3日間、心をこめて頑張ってくださったボランティアの友人の皆さんです。(ブログに載っております)

 暑い中、ご家族の皆さんの様子などや、一生懸命にボランティアに頑張っていた友人知人の皆さんのことも書きたいと思っております。いろいろな心温まるエピソードがありますので、そういったこともご紹介していきたいと考えております。(でもしばらく待っていてください〜)

 aoinomama13のHPのゲストブックに、ボランティア活動及び参加されました皆さまが投稿してくださっておりますので、よろしかったらご覧になってください。(お返事はしばらくお待ちくださいね〜)

http://aoinomama.trycomp.net/guest/visitor.cgi?do=read

 参加されましたすべての皆さま、この3日間、本当にお疲れさまでした。皆さまの熱い思い願いは、きっと報われると信じて、これからも支援をしていきたいと思っております。

*3日間の行動
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4703401.html

6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 仲條 富夫さん
( 2005.6.27,月 )
《仲條富夫さん・特定失踪者「加瀬テル子さん」の従兄弟》

*撮影したビデオカメラから文字化しました。

 本日はどうもありがとうございます。(拍手)

 この場をお借りしましてひと言お願いを申し上げたいと思います。えー、実はですね、この7月3日の日にあの、古川さんが最初に市民集会っていうことで集まりまして(2004年6月26日)、私も参加させてもらいましたけれども、そこで「加瀬テル子」の方の、まぁ、集会ということで、7月3日の午後7時からっていうことで、集会を開きますので、ぜひご参加いただければ幸いです。


*皆さんの力で『加瀬テル子』を家族のもとへ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4664625.html


 それと先ほど、あのー、ここで言うと真鍋さんに叱られるかもしれませんけれども、増元さんも言っていたんですけれども、「拉致被害者」っていうのは、私ども古川さんもそうですけれども、「特定失踪者」じゃないんですよ、残念ながら。ただ、そのため古川さんがまず、まぁ手始めに裁判を起こして「何とか政府認定を取りたい」っていうのが切実な、その特定失踪者の家族の願いなんです。


*古川了子さん拉致認定訴訟 国「門前払い」を求める
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4037


 他の家族もそうですけれども、残念ながら今個人個人で古川さんも大変だと思いますけれども、私どももやはり、今日お母さんも見えておりますけれども、私ども「加瀬テル子」の父親も叔母ももう歳をとって、正直のところそんなに先がないんですよ。

 その点では古川さんも私どもも一緒なんで、ぜひ、なるべくなら、何て言うのかなぁ、待っているんじゃなくて、もう少ない命燃やしていますので、皆さんのご協力なしには、これ政府認定の方取れませんので、ご協力いただければ幸いです。よろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)


(質疑応答で、集会のことを聞かれて)

 あの申し遅れましたけれども、今ペーパーの方ありますので、担当者の方から配らせていただきます。そうでなければ(会場を)出る時にでもお手元の方に届くようにしたいと思います。

 場所は千葉市民会館で、午後7時になります。開場になりまして7時半からの講演ということで、お話させていただければなぁと思います。

*千葉市民会館 交通案内
http://www.f-cp.jp/shimin/map.html

 あの、先ほどちょっと言い忘れましたけれども、今こういう現状ですので、あまり何べんも何べんも言われているんですけども、やはり「特定失踪者家族」と「拉致被害者家族」というのは温度差があるものですから、なかなか同じ壇上に立てないんですよ。

 あの、昨年の例の日朝(実務者協議)の時でもですね、まぁ、増元さんは言わなかったって言っていたんですけれども、その時には「加瀬テル子」の件は一行で、いわゆる特定失踪者ということで片付けられてしました。


*第3回日朝実務者協議報告(特定失踪者問題) 緑風香Weblogより
http://trycomp.net/green/?eid=87


 その時、古川さんや他の特定失踪者ご家族がいたんですけれども、まぁ皆さん、一件一件こういうかたちで説明した中で、私どもはプレハブの所にいて、まぁいっしょくたですよね、そういうような感じになっていましたので、あのこれではっていうことで、ちょっと知り合いっていうかそういうことに詳しい内閣府承認NPO法人の亜細亜人権協議会っていうことで、これはぜひ人権の方で政府の方に圧力をかけて、特定失踪者一緒になって進んで「政府認定」、まずそれが一番だと思いますので、進んで行きたいということで、今回ちょっと古川さんの席にお邪魔して、皆さんにお願いしたいということでございますので、ひとつよろしくお願い致します。(拍手)

*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 仲條 富夫さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4681576.html

皆さんの力で『加瀬テル子』を家族のもとへ
2005.6.26,日
*6/25「古川了子さんを救う千葉集会in市原」にて、仲條富夫さん(加瀬テル子を支援する会代表・従兄弟)からいただいた資料です。

加瀬テル子を支援する会
内閣府NPO法人 亜細亜人権協議会

 北朝鮮による『拉致濃厚の特定失踪者』の加瀬テル子さんは叔母さんと翌日に新宿コマ劇場へ観劇に行く予定だったので、昭和37年4月の午後、千葉県海上町の自宅よりパーマをかけに行き、そのまま戻らなかった。そのパーマ屋では観劇を楽しみにしていると本人が語っていたということから、自らの失踪とは考えられない。当時、新聞の尋ね人欄、テレビ等々お願いするも、いっさいの痕跡がなかった。

 失踪して42年目の平成16年に特定失踪者問題調査会より、匿名の人物により、「加瀬テル子によく似た女性を2002年の夏頃にピョンヤンの薬局で買い物をしているところを見た。本人は、“千葉の海から来た”と言っていた。(後に判明したのだが)夫と思われる人物と常に行動をともにしていた」という目撃情報が寄せられた。

 次の情報として、2枚の写真が複数の報道関係者によって得られた。一枚は全身のスナップ写真、もう一枚の写真はハングル文字の刻印があり、証明書に使用されたと思われるものだった。写真は北朝鮮を脱出した男性が中国で別の脱北者に託し、報道関係者、調査会、そして私達家族のもとへともたらされた。その際、男性は「テル子さんは結婚してピョンヤン市の中心部に住んでおり、拉致された日本人の男性と結婚したと聞いた」と話していたという。

 日本外務省は、第3回日朝実務者協議の終盤に、いわゆる「特定失踪者問題」について、これまで北朝鮮側に対し関連情報の提供を求めている4名に加え、「加瀬テル子」の氏名にも言及した上で、北朝鮮側に対し、日本側からの指摘の有無にかかわらず、日本人拉致問題に関し更なる情報がある場合には速やかに提供するよう重ねて申し入れた。

 これに対し、北朝鮮側からは、上記5名について調査委員会として確認作業を行ったが、北朝鮮内に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

 残念ながら、政府認定拉致被害者ではないために以上のようなやりとりで終了してしまいました。心が急ぎます。父や叔母の心底よりの言葉です。このうえは『一日も早い拉致被害者認定』を切に願います。

 どうか『加瀬テル子を支援する会』に皆様方のご支援・ご協力をよろしくお願いします。

特定失踪者加瀬テル子を支援する会

千葉銀行中央支店
普通口座 3984073

【平成17年7月3日(日)千葉市民会館小ホールにて午後7時より決起集会を行いますので、ご参加、ご協力をお願いします。】

*千葉市民会館 交通案内
http://www.f-cp.jp/shimin/map.html

*'04 10/15 TBS「ニュースの森」《特定失踪者『加瀬テル子さん』》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4524816.html
*加瀬テル子さんのご家族の心情溢れる挨拶 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3270
*第3回日朝実務者協議報告(特定失踪者問題) 緑風香Weblogより
http://trycomp.net/green/?eid=87

*皆さんの力で『加瀬テル子』を家族のもとへ
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4664625.html

6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 竹下 珠路さん
2005.6.25,土
 「古川了子さんを救う千葉集会in市原」に参加してまいりました。暑い中、大勢の方が足を運ばれておりました。

 開会前にロビーで竹下珠路さん(古川了子さんのお姉さん)にお会いしました。そして秋田県の子どもたちが中心になって作っている「思いのこもった折り鶴」(色紙・折り鶴・手紙)をお渡ししましたら、竹下さんはすぐにロビーのボードに貼ってくださいました。本当にありがとうございます。(ブログに写真が載っております)


*思いのこもった折り鶴
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3189276.html


 集会では、古川了子さんの同期生の方、市原市長のごあいさつ、増元照明さん(特定失踪者問題調査会常務理事)、真鍋貞樹さん(特定失踪者問題調査会専務理事)、仲條富夫さん(加瀬テル子を支援する会代表・従兄弟)、竹下珠路さん(古川了子さんのお姉さん)のお話がありました。

 参加された皆さま、本当にお疲れさまでした。(詳しいレポートはしばらくお待ちくださいね)


《竹下珠路さん・特定失踪者「古川了子さん」のお姉さん》

*撮影したビデオカメラから文字化しました。

 改めましてこんにちは。

 今日は暑い中、お忙しい中、こんなにたくさんの皆さまにお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

 昨年、ちょうど1年前に、千葉市民会館で「千葉集会」を高校の同期生の皆さん、そしてその実行委員会の皆さんが立ち上げてくださいました。


*「古川さんは北にいる」 千葉で講演 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=2695


 それを考えまして、また今日なんですが、実は私は昨日、国会を取り巻く座り込みの中に1日座っておりました。

 その思いと致しましては、家族としても、今も先ほども「何をしたらいいんですか?」と言ってくださいましたが(質疑応答で)、家族も「何をしたらいいのかわからない」というのが、この「拉致だ」と家族がはっきりと確認した2年半、そしてその前からの32年間の思いなんです。

 古川了子がいなくなって、この7月7日の七夕の日でちょうど32年になります。「何をしたらいいのか・・・」私は当時とても仲の良かった友だちから、私は長男を産んですぐ後だったんですけれども、「竹下さん、自分の妹だったら何としても捜し出すもんでしょ?」っていうことを、励ましと叱責とも受け止め、投げかけられて、苦しい思いをしたことがありました。

 しかし、家族であっても親であっても「何とかしよう」と思っても、できないことがたくさんあるんです。(声をつまらせて)

 でも「できるところから、今できることから動き出そう」と思って、こうして真鍋さんや弁護士の皆さんや、救う会(千葉)の中村さんや、千葉商の会の皆さんや、その他の皆さんにご支援いただきながら、「ああしたらどうだろう?」「こうしてみようか?」って言っていただけることを、「ではしてみましょう!」と動き出すその一歩一歩が、妹に近づくのかなぁと思って、それを精一杯今しているのが現実です。

 その中で、昨年の千葉集会から、皆さま方に「古川了子を拉致被害者として認定してください!!」という署名のお願いをしたところが、本当にたくさんの皆さま方からお励ましの署名と、お手紙と、いろいろな物をいただきました。「温かいこころ」をたくさんいただきました。見ず知らずの方々から「本当にありがたいことだなぁ」と思っております。

 そして昨日、座っていた5時間の間にもつくづく思いましたことは、一人ずつの人間の力は本当に小さくて、何をしていいのかわからないんですが、皆さんと一緒に「こうしたらいいかもしれない」という思いを、思いを持って行動を起こした時に、しだいに風が強くなり、そして政府を動かし、かの国にいるであろう、私たちはいると信じております、今も元気でいると信じております、了子のところへ届くんだろうなぁと思っております。

 母も一生懸命頑張って毎日暮らしてくれております。私はその母と毎日ご飯を食べながら、「皆さんの力が私たちに勇気を与えてくれるし、日本政府を動かしてくれるんだ!!」と信じております。


*3/13 TBS「報道特集」特定失踪者のご家族『時間がない』(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3579397.html


 今後とも、何をしていいのかわからない中でも、皆さんのお知恵をいただきながら、一生懸命家族として、また日本人として、多くの拉致被害者を救えるように、裁判も含めて頑張っていこうと思いますので、どうぞ皆さま力を貸してください!!どうぞ声をあげ続けてください!!


*古川了子さん拉致認定訴訟 国「門前払い」を求める
 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4037


 テレビで「拉致の問題」というニュースが流れた時に、「ああ、もういいわ」と「進まないのね」と、パチンとスイッチを消すことのないように、「どうなっているの?」「ちょっとは動いているの?」という関心を持って、見ていただきたいと思います。

 今日もこの中に、高校1年生の男の子さんが来てくださいました。昨日も私は、実は座り込みの現場でお目にかかった少年です。こういう若い方たちが、「自分たちの国の問題だ!」として、興味を持ってくださることが、とても私は力強さを感じます。

 若い人たちに「こんなことがあって、二度とあってはいけないんだ!」ということを、また、もっともっと関心のない若い方たちにも、伝えていただけたらありがたいかなぁ、と思います。

 本当に今日はどうもありがとうございます。皆さま、今後ともどうぞよろしくお願い致します。(大拍手)


*古川了子さんを救う会
http://www012.upp.so-net.ne.jp/Furukawa-Noriko/
*特定失踪者問題調査会
http://www.chosa-kai.jp/

*4/24 第7回国民大集会 竹下 珠路さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3159126.html

*6/25 古川了子さんを救う千葉集会in市原 竹下 珠路さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4628453.html

情熱
( 2005.6.21,火 )
【徳永 英明 〜シングルコレクションより〜】

愛しい人よ世間の風と同じルートたどってないか
戦いもせず痛みも知らず過保護なままで
時代を重ねてちゃ未来はないさ
経験つむだけじゃ何も生まれないだろう

運命という光を受けて誰もが生まれてきたよ
許されるなら計り知れない僕らの声で
全ての海が青くなればいいね
大胆に永遠に生きてみたいと思わないか

ゼロになることは恐れないで
全てを賭けて今を走れ
情熱という心映した
君の夢はこんなもんじゃない
伝えて・・・


愛しい人よ眠れないままいくつの夜が過ぎた
君が落とした涙のつぶは季節を越えて
いつかきれいな花になるといいね
簡単に純粋に生きてみたいと思わないか

情熱の風に身をまかせて
できるかぎりの愛を包め
思い出だけにはすがらないで
君の力を信じて
戦え・・・

ゼロになることは恐れないで
全てを賭けて今を走れ
情熱という心映した
君の夢はこんなもんじゃない
伝えて・・・

5/24朝鮮総連結成50周年記念パーティー会場にて
( 2005.6.20,月 )
 あおいのママは、5/24渋谷ハチ公前で行われた家族会の街頭活動に行ってきました。その時の様子はこちらでご覧になってください。


*家族会 渋谷駅頭で訴え 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3968
*家族会 渋谷街頭活動 電脳補完録ー別館より
http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=63


 また、文字化をしておりますのでそちらも合わせてどうぞ。


*'05 5/24渋谷街頭活動 レポートはしばらくお待ちください。
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=&no=161
*5/24 渋谷街頭活動 横田 早紀江さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3931315.html
*5/24 渋谷街頭活動 本間勝さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3973605.html
*5/24 渋谷街頭活動 西岡 力さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3978648.html


 この街頭活動の後、ジャーナリストの西村幸祐さん、電脳補完録の山本さん、tarochan.netさんと軽く反省会をしました。


*酔夢ing Voice 西村幸祐さん
http://nishimura-voice.seesaa.net/
*tarochan.netさん
http://www.tarochan.net/


 この時に、いつもあおいのママと一緒に「よど号犯妻」裁判を傍聴している支援者の方から「朝鮮総連結成50周年記念パーティー会場で、『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会』代表の山田文明さんと名誉代表の萩原遼さんがチラシ(声明文)を配るので、手伝いに来てくれないか」と携帯電話に連絡がありました。

 実はママはこの渋谷街頭活動に行く前に、その支援者の方からチラシ配りの話を聞いていたので、渋谷街頭活動が終わったら駆けつけようと決めていました。(怖いもの知らずかなぁ〜?)

 西村幸祐さんもtarochan.netさんも、お仕事があって会場に行けないことをとても残念がっていました。それでママと山本さんで「朝鮮総連結成50周年記念パーティー会場」の赤坂キャピトル東急ホテルに向いました。

 待ち合わせの時間より少し早めに到着してしまいましたので、近くにある日枝神社にお参りをしました。私は、神さまがきっと困ってしまうほど、たくさんたくさんお願いをしました。


*日枝神社
http://www.hiejinja.net/


 とても静かで厳かな日枝神社を出ると、そこには右翼の街宣車が2台、がなりたてながらゆっくりと道路を走っていました。朝鮮総連に対する抗議なんでしょうけど、会場のキャピトル東急ホテルのことも抗議していました。そして「横田めぐみさん」や「特定失踪者」という言葉も使って何やらマイクで騒いで?いました。でもその街宣車は、ホテルの前の道路を走ることは警察から止められていたようでした。

 それにしても、あれだけ抗議しているのに、たった2台だけなんだなぁと不思議に思いました。日本全国どこにでも街宣車が音楽流しながら走っているのに、この「朝鮮総連結成50周年記念パーティー会場」前には、たった2台しか抗議に来ないんですね。

 ホテルの正面入口前で、山田さんと萩原さんと支援者の方、そしてママと山本さんの5人で、チラシを配る時間までしばらく雑談をしました。

 山田さんとは初めてお会いしましたが、萩原さんもそうですけど、とても澄んだ瞳の持ち主でした。その山田さんが「女性が殴られた方が絵になるね〜」なんてニッコリ笑いながらおっしゃるので、驚いてしまいました!マスコミの方々も取材に大勢いらしていたので、そりゃあ「絵になる」かもしれませんけどね。(笑)「それじゃあ、殴られそうになったら、大げさに倒れますね〜!」と返事しておきました。本当にそんなことになったらいやだなぁと思ったけど、何があるかわからないので、ある程度覚悟しておかないといけないかなぁとも思いました。


*北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
http://homepage1.nifty.com/northkorea/index.htm


 萩原さんは以前(昨年11月)に、上野街頭署名に参加されていたようで、あおいのパパがその時一緒に署名活動をしたことがありました。山本さんもその場にいらしたということで、その時から懇意だということです。私は「救う会神奈川」主催の1/17第9回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」で講演された時に初めてお会いしました。その時の講演内容はこちらに掲載されています。とてもおもしろい方で、お話もユーモアを混ぜながらわかりやすく、時間を忘れてしまうほどでした。


*第9回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」
http://www.geocities.jp/sukuukai/report/09.html#5


 萩原さんはこの場でも、報道関係者の方に名刺を渡す時、「知っている人は知っている『萩原遼』です!でも知らない人は知らない『萩原遼』です!!」というようなことをおっしゃっていました。(笑)

 私たちが配る『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会』のチラシは、「朝鮮総連は『帰国事業』という巨大な誘拐・拉致に責任を取れ」という声明文で、茶封筒に1枚1枚入れられていました。それをパーティーの招待客・参加者に「よろしくお願いします」「どうぞお読みになってください」と手渡すことになっていました。

 あおいのママは、チラシ配りの時間が近付いてくると、やっぱり少し怖くなって足が震えてきました。ホテルの正面入口前にはグリーンのリボンをつけた朝鮮総連関係者が大勢いましたし、もうすでに私たちというか、山田さんや萩原さんはその手の方々の間では有名人のようで、強面の方々に気がつかれていたようでした。

 私の頭の中に、殴られたりすることよりも、パパに迷惑がかからないかな、とちょっと心配がよぎりました。もちろんママの実家や親戚のこともです。だって、何が起こるか誰にもわからなかったし。パパは平凡なサラリーマンで、私に何かあったら(捕まったりしたら)この先どうなるんだろう、なんて、今思ったらすっごく大げさなんですけど、この時の周りの雰囲気からそんなことを考えてしまいました。

 だいたい私だって、ほんの3年前のサッカー日韓ワールドカップまでは、「朝鮮総連」とか「在日朝鮮人」なんて言葉さえも知らない主婦でした。あの2002年ワールドカップ後に拉致問題を知った、そんな私がここにいるなんて・・・。自分でも信じられないことです。

 とにかく、足は震えましたが時間(午後5時半)がきて、チラシを配ることになりました。とりあえず萩原さんと山田さんのじゃま?にならないようにして、写真やビデオを撮ろうと思いました。本当はその時の写真を載せたかったのですが、デジカメの電池が切れてしまって写真は撮れませんでした。(泣)ビデオは少し撮れたんですが、こっそりだったのであまりキレイに撮れていませんでした・・・。編集して掲載する技術がないので、皆さんにお見せできず本当に残念です〜!!(写真は電脳補完録さんからの転写です)

 チラシを配り始めたらワッと報道関係者が集まってきて、テレビカメラや写真を撮っていました。山田さんも萩原さんも取材を受けていました。しばらくそうしながら配っていましたが、少し場所を移動しました。ちょうど横断歩道のところ(交差点)で、雨が降り出したので、地下鉄から急いで渡って来る招待客・参加者の方に「どうぞ」と手渡すと、ほとんどの方々が受け取ってくれました。きっと私たちが朝鮮総連関係者だと思ったんでしょうね。

 中には、ホテルで声明文に気がついて戻しに来た方もいましたけど、思っていたより受け取ってくれたし、何の混乱も嫌がらせもありませんでした。すんなりできたので、何だか気が抜けてしまった感じです!きっとホテルでチラシを見て、そのままゴミ箱行きになったり、回収されたりしてしまったのかもしれませんが、それでも抗議としては成功したと思っています。

 雨がひどく降ってきたので、地下鉄入口に移動しました。警察の方が監視?についていたけど、山田さんの知り合いの報道関係者の方が取材をしたいということで、その方がいらっしゃるまで(車で移動中だったので)警察の方も待っていてくれました。でも私たちが帰るまで、改札の前まで付いてきてチェックしていたようです。

 この場所でチラシを配っていた時に、萩原さんがある招待客の方にお話を聞いていました。その方は何十年も前に1度だけ朝鮮総連の仕事をしたことがあって、今回招待を受けたそうです。招待状が着て本人も驚いたそうです。そんなに昔の、本人も忘れていたのにって。(あくまでもその方がその場でおっしゃっていたことで、本当なのかはわかりません)

 萩原さんはサッとご自分の名刺をお渡しして「あなたの名刺もください」とその方の名刺をしっかりといただいていました。(す、すご〜い早業でした)

 この日に色々と聞いたお話では、「朝鮮総連結成50周年記念パーティー会場」に800人〜900人くらいの方々が招待を受けて集まったようです。何やら資金集めが目的でもあったとか?お祝儀を期待したのでしょうか?どのくらい集まったのかな?

 また情報として、会場やパーティー費用をホテル側にかなり値切らせたんだそうです。一千万円くらいする費用を800万円くらいにしてもらって、その代わりに即金で支払ったらしいということです。(金額はあくまでも大雑把です)

 私たちはこの場に約2時間くらいいましたが、その間に右翼の街宣車は別として(延々とマイクで抗議?していましたが)「朝鮮総連結成50周年記念パーティー会場」に抗議に来ていた日本人は私たち5人だけでした。抗議といっても静かな抗議活動でした。チラシ配りだけですから。

 もっと多くの方が、いろんな立場の方が、この日に抗議に来るんだろうなぁと思っていたので、とても意外に感じました。ママとしては貴重な?体験をしたと思っていますけど。家に帰ってこのことをあおいのパパに話しました。怒られるかなぁ・・・と思っていたら「え〜!?前もって知っていたら仕事を休んで行ったのに。残念!」だって・・・。似たもの夫婦ですね。

 山田さん、萩原さん、そして支援者の皆さん、長い時間お疲れさまでした。

 この日の詳しい様子は、電脳補完録さんでアップされておりますので、ご覧になってください。私たちが配った「朝鮮総連は『帰国事業』という巨大な誘拐・拉致に責任を取れ」という声明文も掲載されています。


*朝鮮総連結成50周年に際して 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3967
*祝 朝鮮総連結成50周年記念パーティー 電脳補完録ー別館より
http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=62


 おととい(6/21)に、電脳補完録の山本さんのもとに、萩原遼さんからこの日のお礼状が届いたと連絡がありました。あおいのママにもお礼の言葉があったということで、私はたいして役に立てなかったと思っているので、こちらこそ恐縮してしまいました。萩原さん、ありがとうございました。

 それにしましても昨日(6/22)、このチラシ配りが原因で、萩原さんが共産党を除名されてしまったというニュースを知りまして、何てことだろうと思いました。

 萩原さん、色々と大変なこともあると思いますが、これからもご活躍をお祈りしております。


*共産党、萩原遼氏を除名 朝鮮総連への抗議が原因
 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4082

*5/24朝鮮総連結成50周年記念パーティー会場にて
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4552295.html

横田めぐみさんを支援するための第2回「めぐみ展」
2005.6.19,日

 あおいのママは6/18「めぐみ展」最終日に、銀座並木通りにあるギャラリー・ミハラヤに行ってきました。

 あおいのパパも仕事中でしたが、休憩時間に署名だけしてきたそうです。ママがお昼過ぎに到着して署名をした時に、パパの署名がありました。また、知り合いの支援者の方々の署名もありましたので、何人かの方々がこの日に来てくださっていたようでした。

 「めぐみ展」は昨年も開催され、私たちはその時2回こちらにおじゃましました。その際、オーナーの倉上さんとお話する機会がありまして、少しばかりのブルーリボンを署名簿そばに置かせていただいたことがありました。


*横田めぐみさんを支援するための「めぐみ展」《'04 5/12の日記より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4502289.html
*銀座に行ってきました(2)《'04 5/15の日記より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4502541.html


 あれから1年経ってしまっていたので、覚えていらっしゃることはないだろうと思っていたのですが、たまたま倉上さんがこの日もいらっしゃって、昨年のことを覚えていてくださいました。今年の「めぐみ展」のことを知ったのが遅かったので、結局最終日になってしまいましたが、今回もブルーリボンをお渡しいたしました。快く引き受けてくださって本当にありがとうございました。

 それから閉館時間まで約2時間半!お話してしまいました。倉上さんのこの拉致問題に対する熱い思いをたくさん聞かせていただきました。そして多くのことを勉強させていただきました。

 途中、この「めぐみ展」の代表世話人の岡田寿子さん、それから取材にいらっしゃったチャンネル桜の方々とお話しました。岡田さんは横田早紀江さんの絵画の先生で、写真の絵も岡田さんが描いたものです。とてももの静かで優しい先生でした。皆さん、「あんなに優しくいい方の横田早紀江さんたちを悲しませるこの国はどうかしている!」とそうおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思います。

 倉上さんは、この「めぐみ展」は商売抜きで開催しているので、自分からあまり宣伝などはしていらっしゃらないということです。今回の出展されている絵も画家さんたちにお願いしたのではなくて、19人の画家さんたちが賛同して出展してくださったということでした。頼んだのは岡田さんだけなんだそうです。

 皆さんとお話している間にも何人かの方々がギャラリーに訪れました。私が持ってきたブルーリボンを皆さんに差し上げましたら、すぐにつけてくださっていました。岡田さんも「昨年もいただきました。つい先日もこのリボンをつけていたんですよ」とおっしゃってくださって、本当にうれしかったです。チャンネル桜の方もすぐにつけてくださって、また「スタジオの方々の分もほしい」と少しばかりですが持って行ってくださいました。本当にありがとうございます。

 ブルーリボンはどこでも「こころが通じ合える」そんなリボンであることを、私たちは今までにたくさん実感してきました。この日もこのように実感できて、本当に感激しました。

 それから今回、開催前に横田さんご夫妻からいただいた「めぐみ展」のお礼のはがきのお話も聞きました。そのはがきの絵を見させていただいたのですが、それは「いわさきちひろ」の「水仙のある母子像」(1972年)という絵で、お母さんがわが子を抱いていました。本当にいとおしそうに。私はその絵を見てあまりの切なさに泣きそうになってしまいました。横田早紀江さんはこの絵をどんな思いで見ていたのでしょうか・・・。

 倉上さんは、この問題が解決するまで何度でも「めぐみ展」を開催する決意だということです。「めぐみ」という名は漢字にすると「恵(めぐむ)」という字になります。拉致被害者「有本恵子さん」も名前にこの「恵(めぐむ)」という字があります。めぐみさんや恵子さんだけでなく他の拉致被害者、そして特定失踪者、そしてまだ被害に遭っているのに名もわからない多くの方々、その皆さんを助ける、そういう意味の「恵(めぐむ)」。めぐみさんたちはきっと多くの方々を助けることができると、これからも「めぐみ展」を続けてくださるということです。

 商売抜きですから、私が見た感じでもとても儲けになるとか、そんなことはまったくありませんでした。はっきり言って赤字になってしまうのではないでしょうか・・・。宣伝もしていませんし、この問題を知ってくださって、関心を持ってくださって、来てくださってありがとう、というような感じです。

 チャンネル桜の取材に来てくださった方も、「たまたまネットの告知で知って来た」とおっしゃっていました。こうして取材に来てくださったら受けますよ、ということなんだそうです。

 倉上さんは、「めぐみ展」をあまりおおっぴらに宣伝して、横田さんご夫妻に迷惑や負担がかかったりしないようにと、とても気を使っていらっしゃるようでした。

 「こうして、同じ思いの方々が一同に介してお話できたということが、本当にうれしい」とおっしゃっていました。私もそうです。こうした草の根の善意の運動が、ひっそりでも、ゆっくりでも、こうして増えていくのがわかって、本当にうれしかったです。

 「日本全国に、静かにでもこうした運動が増えていったらいい。こうしたノウハウはお教えしますよ」とおっしゃっていた倉上さん。本当にそうですね。心は急ぐけど、焦ることなく、自分たちにできることをお互いにしていきましょう。

 皆さん、長時間お付き合いいただきましてありがとうございました。次回の「めぐみ展」の時には、少しでもお手伝いさせていただこうと思っています。お疲れさまでした。

*横田さんご夫妻は、14日にギャラリーにお見えになったそうです。尚、「めぐみ展」の売上金すべては、横田さん(家族会)に寄付されているとのことです。


*横田めぐみさんを支援するための第2回 めぐみ展 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4061


 あおいのママはブルーリボンと一緒に、秋田県の高校生と中学生の兄妹が中心になって作っている「思いのこもった折り鶴」をオーナーの倉上さんにお渡ししました。それをご覧になってとても感動してくださいました。そしてその場にいらっしゃった岡田さんやチャンネル桜の方々にも少し説明させていただきました。皆さんもこの「思いのこもった折り鶴」にいたく感激されて、チャンネル桜の方が「ぜひウチの番組で紹介したい」とおっしゃってくださいました。

 昨日チャンネル桜の方から連絡がありまして、社長さん?にお話してくださって、「報道ワイド」(火曜日午後8時から)という番組で、少しですが紹介してくださるということです。秋田県の兄妹のお母さんにもお知らせましたらとても喜んでいました。「励みになります」と。

 この「思いのこもった折り鶴」は、地元秋田県にある「マリア園」という教会のマリアさまに奉納して、皆さん一生懸命にお祈りして、マリアさまのこころをたくさんいただいて、そうしてご家族の皆さんや支援者の皆さんにお贈りしているそうなんです。

 あおいのママがお預かりしている折り鶴たちも、みんなマリアさまのこころがたくさん詰まっているものです。今まで何十人の方々にお渡ししました折り鶴は、マリアさまと作っている子どもたちの(大人の方々も)こうした願いや思いがいっぱい詰まっています。

 この純粋な人たちの思いを、私たちはこれからも大切にしていきたいと思っています。


*思いのこもった折り鶴(1) 《'05 3/18の日記より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3187833.html
*思いのこもった折り鶴(2) 《'05 4/4の日記より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3189276.html
*もう一度原点に:ブルーリボン、増元さんのメール、伊藤兄妹
 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3748

*横田めぐみさんを支援するための第2回「めぐみ展」
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4512133.html


【追記】

 6/22にチャンネル桜の方から連絡がありました。6/21の「報道ワイド」(火曜日午後8時から)で「思いのこもった折り鶴」(折り鶴の色紙・折り鶴・手紙)を、番組の冒頭の数分間紹介して放送してくださったということです。

 「このように支援をしている子どもたちがいます」と、多くの方々に知っていただけたと思います。本当にありがとうございました。

伊豆に帰りました(5)
2005.6.18,土
 あおいのママは6月13〜15日まで田舎に帰っていました。

続き

 前日(6/14)まで何とか晴れていたのに、帰ろうと決めたこの日は大雨でした。

 朝方までいろいろと考え込んでしまってなかなか眠れませんでした。それで布団から起き上がれず、「帰るのどうしようかなぁ・・・」何て思ってしまいましたが、「明日帰る」とパパに連絡していたので、しかたなく?帰り支度をしました。荷物がものすごく増えてしまい、雨の中大変でした。(泣)

 駅まで車で送ってもらいました。「じゃあまたね」と父と妹とわんこたち、そして山で眠っている母とバイバイしましたが、いつもこの時は寂しいものですね。

 伊豆急線で伊東まで、伊東から熱海までJRに乗りかえることもありますが、この日は熱海まで直通の「リゾート21」に乗って帰りました。平日であったので電車は空いていました。

 「リゾート21」は外から見ると、山側と海側では電車のデザインが違います。車内も、海側は窓に向ってW形に長椅子が並んでいて、山側は一席ずつ前と後ろ交互に並んでいます。混んだりして席につけないと最悪な作りとなっていますが、座れて、そして晴れた日はとても楽しくなると思います。

 また、先頭車両は前向きの席が2列ずつ段々になっていて、運転手さんと距離が近く、声もよく聞こえます。「出発進行!」って手振りも。子どもも大人も「座りたいなぁ!」と思う人気の席なので、休みの日はいつもいっぱいです。ママは運良く前から2列目海側に座ることができました!うれし〜!!

 伊豆熱川駅に着いて、いつものように湯けむりを見ていたら、急に涙が出てきてしまいました。田舎に帰って来る時も、この湯けむりを見ると「ああ、実家に帰って来た!」ってホッとしますが、この時は「今度はいつ帰れるのかなぁ・・・」なんてちょっとセンチメンタルになってしまいました。(いつでも帰れるのにね)あおいのママも「歳をとったなぁ」と思いました。

 雨が降っていたので、この日も伊豆七島は見ることができませんでした。子どもの頃から当たり前のように見ていた島々が見えないのはとても残念です。好く晴れていると、大島なんかはすぐ側にあるように見えたりするんですよ〜!

 写真は車内で偶然見つけました。ここにもブルーリボンがあってうれしかったです。(しかも賞を取っているのね!)もちろんママもいつもブルーリボンをつけています!(ブログに載っています)

 熱海からは新幹線に乗りました。1時間くらいであっという間に東京に着きました。あおいのパパも仕事からいつもより早く帰って来てくれました。ありがとう。留守にしてごめんね。

 そしていつもの毎日がまた始まりました。

終わり


*伊豆に帰りました(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4410787.html
*伊豆に帰りました(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4420970.html
*伊豆に帰りました(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4433407.html
*伊豆に帰りました(4)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4471512.html
*伊豆に帰りました(5)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4486986.html
*伊豆に帰りました《写真集》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4490901.html

*皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました。(*^^*)/~~

伊豆に帰りました(4)
( 2005.6.17,金 )

 あおいのママは6月13〜15日まで田舎に帰っていました。

続き

 この日伊豆七島は見えませんでした。私は松の木の下で、行きかう船や海鳥たちをボーっとしばらく見ていました。そしてハッとしました。

 この松の木は、あの海の向こうの島々を見ているんだって。特定失踪者「高野清文さん」が忽然と消えてしまった1976年(昭和51年)7月30日も、伊豆七島の神津島を見ていたはずだって。私もこの時小学生で、きっとこの日も海を見ていたはずです。

 ここから神津島が見えるのはまれだと思うけど、「この松の木は真実を知っているのかもしれない」、そう思ってしまいました。こんなふうに考えるのは馬鹿げているのかもしれないけれど、松の木の下で「どうか早く真実が明らかになって、高野さんがご家族のもとに帰ってきますように」と、心の中で「松の木の精」にお願いをせずにはいられませんでした。

 ここの浜にたくさん生えていた松の木は、みんな病気で倒れてしまいましたが、この松の木だけは残りました。その生命力を信じたいと思いました。


*KONAboration-SSQ  高野美幸さんのブログ
http://konaboration-ssq.seesaa.net/
*大町ルート
http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
*'05 4/17 第15回大宮講演会 ご家族の訴え
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=40&no=123


 お散歩から帰って、すぐに夕飯のしたくをしました。この日は家族3人プラスわんこ2頭で楽しくすき焼きを食べました。

 父は私とあんまり似ていなくて、細くて、仕事がちょっと忙しくなると、すぐに痩せこけてしまう体質です。頬の肉もすぐに落ちてしまいます。あおいのママを知っている方が父に会ったら「本当に親子?」って思うかもしれません。あまり量は食べませんでしたが、それでもビールを飲みながらいつもより食べていたようでした。やはり1人でも多く一緒に食べたら、何でもおいしいですよね。

 妹が夕食前に、人気があってすぐに売れてしまう「産みたて卵」の販売機から買ってきた卵を、袋ごと落としてしまうというハプニングもありましたが、その卵(きれいですよ〜)でオムレツを作って、わんこたちもご機嫌でした。(卵大好きだから)すき焼きのお肉もゆでて、少しだけあげました。今日はトクベツね!!

 食事の後片づけをして、お風呂で温まって「さぁ寝よう」と布団に入りましたが、「明日は帰るんだ・・・」と思うと、なかなか眠れないあおいのママでした。


*伊豆に帰りました(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4410787.html
*伊豆に帰りました(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4420970.html
*伊豆に帰りました(3)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4433407.html

続く

伊豆に帰りました(3)
( 2005.6.16,木 )
 あおいのママは6月13〜15日まで田舎に帰っていました。

続き

 お墓参りを済ませた私たちは、夕飯の買い物とお土産を買いに稲取に行きました。

*稲取温泉 こらっしぇ
http://www.inatorionsen.or.jp/

 いつも駅前の土産物店で、お約束の「どんつくまんじゅう」と「みかんワイン」を買っています。ちょうど1週間前に天下の奇祭「どんつく祭り」があったということで、見ることができなくてとても残念でした。でも毎年このお祭りの日は雨だということです。ご神体の「どんつくさま」の神輿も出ます。(独身女性は見ない方がいいかな〜)

 今もそうかはわかりませんが、ママが高校生の頃、電車通学をしていたのですが、稲取駅前に男性が大勢集まっていて、女性が来ると腰に「つんつん」して、追っかけまわしていました。

 その様子を電車の窓から見たことがありますが、女の子たちが怖がって、その男性たちの囲いを突破できなくて、電車に乗れずに遅刻してしまった、という子がいました。(田舎なので、電車一本逃すと遅刻してしまいます)「つんつん」は女性なら赤ちゃんも幼子もされてしまうので、泣き出してしまう子もいました。

 「どんつくまんじゅう」や「どんつくキャンディ」は、形はちょっと驚きですけど、味はちゃんとした「まんじゅう」と「キャンディ」です!(笑)

 どんつくさまの「木彫りのキーホルダー」もあるのですが、とてもリアルに作られていて、誰かに差し上げる勇気はさすがにありません!(欲しい方います?)父がずっと前に「黄金のどんつくキーホルダー」をいただいたことがあるそうなのですが、どこにしまったのかわからないということで、残念だなぁと思いました。それは良くできた物らしく、ボタンを押すと「ピコッ!」って飛び出す代物らしいです。(笑)もう販売中止になってしまったのかな?お店では見あたりませんでした。

 その他どんつくさまの徳利(ペアですよ〜)とか、○○○ネタの大好きな?殿下さまが喜びそうな物がいくつかありました。

 家に戻った後、暗くなる前にチワワわんこと妹と一緒に、浜までお散歩をしてきました。途中公園に寄りました。その時たまたま「リゾート21」が通り過ぎたので、慌ててデジカメのシャッターを押しました。写真は山側から撮ったものです。デザインの違う海側からも撮りたかったのですが、運悪く「リゾート21」はもう通り過ぎることはありませんでした。伊豆急線は単線の上、本数も少ないのでなかなか難しいです。残念!

 公園をひと回りしていたら、久しぶりに「とかげちゃん」に出会いました〜!嫌いな方すみません!とっても良く撮れていたので載せました。(ブログに載せています)

 子どもの頃、よくとかげちゃんを追っかけたなぁ。「待て〜!!」って。シッポを捕まえたら切れてしまったりして。大人になってからはほとんど見かけることがありませんでした。都会に出てしまったからなのでしょうけど、とかげちゃんに会って、何かうれしくなってしまいました。

 私たちは、川沿いをゆっくりと歩きながら海に向かいました。橋を渡ると海岸の松の木が見えてきました。この松の木の下でよく遊びました。年上の子も年下の子も、あの頃は子どもが大勢いたから、一緒に集まって遊びました。

 今じゃ信じられないけど、よく松の木に登ったりしたものです。どの子も年中ケガをして赤チンを塗っていました。(笑)松の木の下には「まつぼっくり」があるし、川にも海にも石がいっぱいあるから、いつでも投げていました。

 こうして小さい頃から川や海で遊んでいたけど、ちゃんと怖さも知っていたようで、決して子どもたちだけの時は水の中に入りませんでした。親から注意されていたし、それに雨が降ると川も海も荒れ狂っていた様子を覚えていたから、怖かったのだと思います。山だって崩れたりするし。自然は時には怖いものです。


*伊豆に帰りました(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4410787.html
*伊豆に帰りました(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4420970.html

続く

伊豆に帰りました(2)
( 2005.6.15,水 )

 あおいのママは6月13〜15日まで田舎に帰っていました。

続き

 先週、父と妹が柏に来ていたので、車で一緒に田舎に帰ることになりました。パパが「早く帰って来てよ」と寂しそうだったので「うん、すぐ帰って来るよ」と言いました。昨年11月に帰る時にもそう言って、なかなか帰って来なかったので心配したんだと思います。(笑)

 柏をお昼頃出発して、実家には夕方に着きました。途中、海老名・伊東に寄ったりしたので、5時間くらいかかってしまい、私たちもわんこたちもくたびれてしまいました。特に柴わんこは老犬で、心臓も良くないので心配しましたが、家に戻ってホッとしたようでした。

 次の日の14日に、自宅近くの墓地にお参りに行きました。墓地は自宅窓から見える山の斜面にあります。木々に囲まれていて石塔は見えないけれど、いつでも亡くなった母が我が家の方向を見れるし、家族もいつも母のいる場所を見れます。

 妹が月命日には欠かさずお参りに行ってくれているので、お墓の周りはキレイでした。時々猿が出没するというので、遭ってしまったらいやだなあと思いましたが、この日は出てきませんでした。石塔によく猿の足跡が残っているそうです。妹がお墓参りに来ても逃げないでジッと見ていたりするようで、妹も目を合わせないように気をつけているとか。

 以前にお供え物を置いていたことがあって、それを狙っているようですが、もうお供え物は置かないようにしているので、残念に思っているでしょうね。くやしいのでお墓で遊んで?汚していくのでしょう。(笑)

 猿対策というわけではありませんが、犬猿の仲ということで、いつもわんこを連れて行くそうです。この日もわんこたちも一緒に行きました。柴わんこには山の斜面を登るのはきついので「来なくていいよ」と言ったのですが、父について来てしまって、苦しそうでかわいそうでした。

 休み休み登って来て、私たちがお墓を掃除している間、木陰で休んでいました。チワワわんこはそこらじゅう動き回って、ジッとしていてくれませんでした。掃除のためのバケツの水を飲んでしまったりしていました。

 家を出た時はとてもさわやかな風が吹いていたのに、山に入ると木々が(竹やぶが主ですが)風をさえぎってしまって、しかも太陽が照り付けて3人とも大汗をかいてしまいました。

 父が黙々と石塔や周りを雑巾がけしている姿を見ていたら、何だか切なくなってきてしまいました。最近では母の思い出話もしなくなってしまっているからです。話すのもつらいんだと思いました。

 3人プラスわんこ2頭でお線香をあげて手を合わせました。母は生前、柴わんこをとてもかわいがっていましたから、とても喜んでいると思います。きっと「○○ちゃん、登って来るのは苦しいのに、来てくれてありがとう」って言っているだろうなぁ。私も親不孝を詫びながら、長く長くいろんな話をしました。

 どんなに怖い夢でもいい。顔が思い出せなくてもいい。母が逢いに来てくれるなら。また母の夢を見たいと思う。


*母の命日 《'04 11/11の日記より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4408159.html
*伊豆に帰りました(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4410787.html

続く

伊豆に帰りました(1)
( 2005.6.14,火 )

*写真は、川沿いの遊歩道にはめ込まれた「東伊豆町のうた」です。

 あおいのママは6月13〜15日まで田舎に帰っていました。

 ちょっと前に夢を見ました。亡くなった母と一緒に病院に行く夢。「ああ、これは夢なんだ」とわかっている夢でした。

 父も妹たちも一緒。家族5人で山から下りて来て、川べりを歩いて行く。母が「病院の先生から『家族と一緒に来てください』って急に電話があったから、みんな一緒に来て」って言っていました。

 相変わらずそう言っている母の顔はわからない。現実の世界でも私は思い出せない。でもあれはやはり母なんだろうと思いました。

 「ああ、また病院の先生から末期がんだって告知されるんだろうか・・・」と私は思って、「みんな一緒でないとダメなの?」って聞いていました。母が「一緒じゃなきゃだめ!」って言ったので、家族で行きました。

 そして川べりをみんなで歩いていたら、突如後ろから日本刀を振り上げた男性?がものすごいスピードで私たちを追って来ました。私たちは驚いて夢中で逃げましたが、すぐ追いつかれてしまって、川の中に飛び込みました。

 その男性が妹に刀を振り上げたところで私は目が覚めました。ものすごい動悸でした。心臓バクバクでした。

 怖い夢だったけど、家族5人揃っての夢は久しぶりでした。いつ見たのか思い出せないくらい前だったと思います。この夢を見てからママは急に田舎に帰りたくなりました。田舎に帰って「母のお墓参りに行かなくては」と思いました。

 昨年11月の命日の日に帰って以来だから、7ヶ月ぶりに帰ることになりました。


*母の命日 《'04 11/11の日記より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4408159.html
*田舎に帰りました 《'04 11/19の日記より》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4408991.html

続く

2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(10)
( 2005.6.13,月 )
 あおいのママのメモから、裁判の様子を少しずつ再現したいと思います。聞きもれやカン違いなどもあるかもしれません。後ほど加筆・訂正する場合もあります。どうぞ皆さまご了承ください。

*'04 12/24 「よど号犯妻」第一回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3292611.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3337465.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判 傍聴記録
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3489719.html
*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html

*第三回公判傍聴記録はまだ未完ですが、ブログでも掲載しております。ぜひご覧ください。
http://aoinomama13.seesaa.net/

◆検察官の名前◆
・石井 隆
・遠藤 伸子
・大塚 雄毅

◆検察官より◆
・名前などの敬称を省略します。
・「よど号グループ」と質問します。
・西暦を使います。


続き

【検察官】
 あなたは「フランスにビジネスチャンスがあると思って入国した」と言いましたが、フランス語はどの程度できたのですか?

【田中協子被告】
・私は北朝鮮でフランス語を少し勉強しましたので、日常会話程度ならしゃべれました。

【検察官】
 フランスでどのようなビジネスをするつもりだったのですか?

【田中協子被告】
・文学作品、童話や詩の翻訳です。また、絵画などの紹介などです。

【検察官】
 それであなたは本気でビジネスができると思っていたのですか?

【田中協子被告】
・たしかにすぐは無理だと、1〜2年はかかると思いました。

【検察官】
 あなたの生まれたばかりの長女の育児はどうしましたか?

【田中協子被告】
・夫の田中義三と仲間に任せました。

・そしてすぐにフランスでのスポンサーを探しました。

【検察官】
 スポンサーは見つかりましたか?

【田中協子被告】
・いいえ、具体的にはいませんでした。

【検察官】
 それでその後どうしたんですか?

【田中協子被告】
・私は語学をしっかりと習得しようと思いました。

・フランスの美術館などを周って勉強しました。

【検察官】
 あなたの帰国日程は決まっていたのですか?

【田中協子被告】
・いいえ、決まっていませんでした。

【検察官】
 ところで、このフランスでの生活費用はどうしていたのですか?

【田中協子被告】
・生活費用は日本から持参して来ました。自分のアルバイトで得たものと両親からの支援です。

【検察官】
 それで足りましたか?

【田中協子被告】
・たしか足りなくなりそうな時に、フランスのパリから手紙を出して、両親から仕送りしてもらった記憶があります。

【検察官】
 その仕送りの金額と、何ヶ月分送ってきたのかを教えてください。

【田中協子被告】
・覚えていません。

【検察官】
 だいたいでいいですから。

【田中協子被告】
・(しばらく沈黙)2〜3ヶ月くらい・・・。100万円以下だったと思います。

【検察官】
 その仕送りのお金の入手方法を教えてください。

【田中協子被告】
・郵便為替だったと思います。

【検察官】
 仕送りは、北朝鮮政府からの支給だったのではありませんか?

【田中協子被告】
・いいえ、違います。そのような北からの支給はありませんでした。

続く

水色の街
2005.6.12,日







【スピッツ 〜三日月ロックより〜】

川を渡る 君が住む街へ
会いたくて 今すぐ 跳びはねる心で
水色のあの街へ

優しくなって プレゼント持って
会いたくて 今すぐ 間違えたステップで
水色のあの街へ

ラララ・・・

頸の匂い 明るい瞳
会いたくて 今すぐ 泥まみれの靴で
水色のあの街へ

ラララ・・・

川を渡る 君が住む街へ
会いたくて 今すぐ 跳びはねる心で
水色のあの街へ

6/9 田中実さんを救うぞ! 東京集会9
2005.6.11,土

*写真は「救う会兵庫」の長瀬猛さんです。

 あおいのパパとママは6/9東京友愛会館で行われた「田中実さんを救うぞ! 東京集会9」に参加しました。パパは仕事帰りの参加なので、終了30分前くらいに到着したそうです。救う会関係者にお聞きしたところ、参加者は約150人弱だったということで、思っていたよりは多かったと皆さん感じていたようです。


■田中 実さんを救うぞ! 東京集会9
日 時 :6月9日(木) 18時半〜20時半
場 所 :友愛会館 9階
〒105-0011東京都港区芝公園2-20 TEL 03-3453-5381 三田会館隣
最寄り駅 都営地下鉄三田線 芝公園 A1出口1分 JR山手線田町徒歩10分
登壇者 :救う会兵庫
     西岡 力


 会場受付ではいつもボランティアをされているAさんとSさんとKさんが今晩も頑張っていらっしゃいました。いつも本当にお疲れさまです。でもこの時、つい話しこんでしまって、この日に配布された資料をいただくのを忘れてしまい、集会終了後にいただきました。(笑)皆さんにはいつも特定失踪者を救出するための署名をいただきまして感謝しております。

 サッカー好きのSさんは、前日の北朝鮮戦の日本代表の勝利で、ドイツW杯の切符を手にいれることができましたので、喜びのブルーの日本代表応援Tシャツを着ていました!彼女とは2/9対北朝鮮戦を埼玉スタジアムでご一緒しました。


*2/9埼玉スタジアムに行ってきました(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4113560.html
*2/9埼玉スタジアムに行ってきました(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4114706.html


 会場内に拉致被害者「田口八重子さん」のご家族の方々と特定失踪者「佐々木悦子さん」のお母さんが一緒に参加されていました。4月の大宮講演会、5月の東京集会、そしてこの日と、私は秋田県の兄妹が中心になって作っている「思いのこもった折り鶴」を皆さんにお渡ししたのですが、とても感激してくださいました。


*'05 4/17 第15回大宮講演会 ご家族の訴え
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=40&no=123
*拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei2.php


 佐々木さんは「こんなに思ってくれる子どもたちがいるのがうれしい」と悦子さんの妹さんにもお見せしたそうです。また、飯塚さんのご家族は、兄妹にお礼の手紙を書いてくださったとのことで(「書きながら涙しましたよ」とおっしゃっていました)、きっと秋田の皆さんも喜んでくれることでしょう。「鶴の思い」を届けるお手伝いをしている私たちもとてもうれしかったです。


*思いのこもった折り鶴(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3187833.html
*思いのこもった折り鶴(2)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3189276.html
*もう一度原点に:ブルーリボン、増元さんのメール、伊藤兄妹
 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3748


 この日の講演予定だった拉致被害者「田中実さん」の高校時代の恩師の渡辺友夫先生は、体調不良のため欠席されました。渡辺先生は田中さんの救出活動に積極的に参加されているとのことで、お話を聞けなかったのは残念でしたが、早くお元気になっていただいて、身内のない田中さんのために頑張っていただきたいと思っています。

 登壇されました「救う会兵庫」の長瀬猛さんの講演内容は、だいたい5/1にTBS「報道特集」で放送されました『16人目の拉致被害者』の番組内容のお話でした。(文字化をしております)「田中実さんについて」という詳しい資料が事前に配られておりまして、それらを読んでいただけるとだいたいのことがわかると思います。

 ですので、今回は長瀬さんの講演内容の文字化は致しません。資料は後ほどレポートに載せたいと思っています。手打ちなので少し時間をください。5/1TBS「報道特集」『16人目の拉致被害者』がとてもわかりやすくまとまっております。


*5/1 TBS「報道特集」 《16人目の拉致被害者》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3276673.html


 電脳補完録さんに文字化テキストを投稿しております。写真付きでキレイに仕上げてくださっておりますので、そちらの方もご覧ください。


*TBS「報道特集」《16人目の拉致被害者》(1)
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3901
*TBS「報道特集」《16人目の拉致被害者》(2)
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3902
*TBS「報道特集」《16人目の拉致被害者》(3)
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3903


 また、拉致被害者ご家族の増元照明さん、飯塚繁雄さんの講演は文字化終了しておりますので、よろしかったらご覧ください。増元さんはお話を終えた後、すぐに万景峰号入港抗議活動のため新潟へ向いました。


*6/9 東京集会9 増元 照明さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4262687.html
*6/9 東京集会9 飯塚 繁雄さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4278209.html


 「救う会兵庫」の皆さんとは「よど号犯妻・田中協子」の裁判で2回ほどご一緒しました。「よど号犯妻・田中協子」は拉致被害者「有本恵子さん」の北朝鮮での教育係だったということです。有本さんご夫妻も裁判に足を運ばれていました。


*'04 12/24 「よど号犯妻」第一回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3292611.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3337465.html


 「救う会兵庫」では、よど号犯妻らによる拉致問題や特定失踪者問題についてもとても熱心で、そういったお話を何度か聞きました。「救う会神奈川」でもそうですけれども、こういったとても面倒な問題に以前から積極的に取り組んでいます。私たちもこれからも大いに応援していきたいと思っております。長瀬さん、遠くからお疲れさまでした。

 登壇されました西岡力さんのお話の中にも「よど号問題」が多くありました。かなり重視されてきたようです。北朝鮮工作員であったと思われるよど号犯・妻たちやその子どもたちが、帰国して日本で暮らしているのですから、何とか洗脳を解いて真実を話していただきたいと思っています。


*『かりの会』帰国支援センター
 (帰国したよど号犯たちを支援している団体)
http://www.karihayuku.ecnet.jp/
*アジア新時代研究会(北朝鮮のよど号犯たちのHP)
http://www16.ocn.ne.jp/%7Esinjidai/


 飯塚繁雄さんのお話でもありましたように、「田中実さん」のようなこういった身の上の方が、まだまだ拉致されているのに気がつかれていない、そういった方が大勢いるのかもしれません。すべての拉致された方が日本に帰れますように、これからも自分たちのできることで支援をしていきたいと思っています。参加されました皆さん、お疲れさまでした。

6/9 東京集会9 飯塚 繁雄さん
( 2005.6.10,金 )

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です)


 皆さん、こんばんは。いつも大変応援いただきましてありがとうございます。

 今日はあの、田中実さんのいろいろな状況・経過その辺については、私も今日初めて詳しい事情を知りました。こういった事情を持った人がですね、まだまだたくさんいると、しかも「もう間違いない」というような判断をされた方が33人おられます。(特定失踪者問題調査会1000番台リスト)


*拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト
 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei2.php


 先日、支援室を訪れまして、政府官邸に「申し入れ書」を出しました。その中で「調査会で認定した人たちを早く認定してください」という報告もあります。

 それと、この問題に関して、我々の願いをさらに小泉さんに伝えるために「ぜひ会いたい」という申し入れをしました。しかしながら、まぁ、伝達なんですけれども、「私は家族の人たちと3回も会った。もう会いません」とこういう返事なんですね。

 ですから、そういうことをいろいろと考えますと、まぁ、今日西岡先生の解説にもいろいろありましたけれども、我々今まで色んな活動で頑張ってまいりましたけれども「一体何をすればいいのか?」というようなことに、だんだんこの追い詰められまして、もはや今の状況を見ると、まぁ「小泉総理が我々の対応する唯一の人」だと、ここでは言葉を控えますけれども、そういう状態になってきていますね。

 経済制裁につきましても、もう段取りはすべてできているわけです。「総理の一声があれば、色んなケースの制裁が、即発動するような段取りもできている」というふうにも聞いております。

 私たち「もう我慢の限界だ!」という時期がですね、何回も来ているんですが、もうここに至っては「本当にこの拉致問題、本当に解決するのかな・・・」という不安も感じますが。

 まぁ、やはりそうは言っても「やるだけやっていかなくてはいけない」と、我々の熱い気持ち、皆さんの応援がありまして、今回座り込みもやりますけれども、まぁ実際、これをやるについてはいろいろと論議がありました。それから議員の先生方からもいろいろ言われました。

 それで官房長官に向って「こんなかわいそうな家族を座り込みまでさせるんですか?」というような発言もありましたし、それを聞いてどう思ったかわかりませんが、まぁ、たしかに横田夫妻、私も少しはそうですけれども、もう歳をとって「体中が痛い」、本当に座り込みなんかさせるのは大変な判断なんですね。かわいそうなんです。

 えー、それでも「やらなきゃならない!!」という時期にありますので、我々ちょっと3日間(6月24・25・26日)座り込みというかたちで抗議をやりますが、これは怒鳴り込みとかそういうのではなくて、粛々とメッセージを掲げながら訴えていく、というかたちにしたいと思いますので、ぜひ皆さまも何らかのかたちで応援いただければ大変ありがたく思います。


*座り込み ご家族の声(記者会見より) 電脳補完録―別館より
http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=66
*座り込み 増元照明さんにお聞きしました。電脳補完録―別館より
http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=67


 こんな事件がですね、もっと10年前くらいに発覚してどんどん進展してすれば、もっともっと特定失踪者の人たちの情報もはっきりとわかっただろうし、私たちの家族も早い解決に繋がったんではないか?というふうに悔やまれますが、今となってはもうそれを挽回するような・・ないということで、私たち、そういった覚悟でこれからもやっていきますので、ぜひ皆さん、相変わらずのご支援ご支持をよろしくお願い致します。ありがとうございました。(拍手)


*'05 4/10 第10回藤沢市民集会 飯塚繁雄さん
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=40&no=117

6/9 東京集会9 増元 照明さん
( 2005.6.9,木 )

*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(・・・は聞き取り不能です)

 こんばんは。

 あの、古川了子さんの裁判が先日始まりました。それであの、この田中実さんの認定っていうのは4月25日でした。発表されたのが、ここ半年あたりで一番騒動しいっていうか、あのJR西日本の事故があった、その日にぶつけてきたのかなぁ?という、そのくらいの感覚でいるのですが。事故の方が大きく報道されて田中実さんの認定の報道が小さくなって・・・考えたんですが。それで、調査会の方では田中実さんの認定は古川了子さんの裁判をそれを提訴したからではないかと。

 先日、裁判所の方でちょっと聞いたんですけれども、政府の、こちらからの提訴に関して向こうの要求書を出してきたんですけれども、とにかく提出した書類がまず、私たちの「提訴をまず却下していただきたい」とその要請があったということです。


*古川了子さん拉致認定訴訟 国「門前払い」を求める
 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4037
*政府、拉致認定訴訟で却下求める 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4008


 つまり自分たちは一生懸命にやっているんだから、これは当然やるべきことだから、やっているんですから、裁判で争う必要はないでしょう?と、そういうふうなことです。えー、それで、その結果として「田中実さんも認定しているではないか」と、そういう言い訳に使われたんじゃないか、というふうなことを言われております。そのくらい、ちょっと姑息な手段だと私は思っております。


*田中実さんの拉致認定について 荒木和博BLOGさんより
http://araki.way-nifty.com/araki/2005/04/post_ff7e.html
*田中実さんは何故拉致認定されたか 電脳補完録―別館より
http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=45


 まぁ、そういうなかたちで現在非常に姑息で、あの、小泉再訪朝の時でもそうですけれども、私は2日前に聞いておりました。あの、まず食糧支援をやること、それから2つ官邸サイドで・・、もう一つは何故か意味がよくわからなかったんですけれども、「在日朝鮮人に対する差別に対して、非常に遺憾の意を表明する」と、この2つなんです。

 何故あの時に、その2つをやらなければならなかったのか?今言っているように、その朝鮮総連のメッセージも一つ入っていました。さらに全国で行われる朝鮮総連の施設に対する課税、金の動きを止める意味合いのこともあったのではないかと思っております。それで、しばらくは止まっていましたけれども、また・・しておりますので、・・朝鮮総連の施設に対する減税措置に対しては・・適正化という言葉で、やはりしっかりやっていただかなければならない、というふうに考えております。

 あと、この田中実さんの認定の中で、先ほど長瀬さん(救う会兵庫)がお話になった中で「張龍雲(チャン・ヨンウン)」という名前が出てきておりましたけれども、私去年の12月に「増元るみ子の集会」('04 12/9 増元るみ子さんを救うぞ!東京集会3)の中で、あの時出ていたのは、私の姉に「子どもがいる」という、まぁ、(蓮池)祐木子さんの話なんですけれども、あの時私この場で言ったはずなんですが、3つの方向から「子どもがいる」という話を聞いております。


*「るみ子さん 拉致に絶望感/市川さんとの間に子供?」
 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3426


 1つは(蓮池)祐木子さん、1つはこの張龍雲(チャン・ヨンウン)さんから聞いた話で、張龍雲(チャン・ヨンウン)さんが、兵本さんという方は皆さんご存知だと思いますけれども、兵本さんが張龍雲(チャン・ヨウウン)さんから、昔しつこく聞いて「市川修一さんと増元るみ子の間には子どもがいる」と。「何人いるんだ?」と聞いたら「2人」と言ったらしいです。

 (蓮池)祐木子さんは「子どもがいる」としか言っておりません。その後、もう一つ平成12年に入ってきた別の情報も「子どもがある」としか書いてないですけれども、張龍雲(チャン・ヨンウン)は「2人」と言ったそうです。まぁ、そういうことがあると。・・いろいろとこの拉致・・が絡んでいろいろと情報が錯綜していることなんでしょう。

 とにかく今この現状、明日(6/10)は万景峰号が入ってきますので、これから新潟の方に行きますけれども、万景峰号の入港阻止というのは、もう「経済制裁」とか「制裁措置」とかそんな問題ではなくて、小泉さんが一言言えばいいんです。

 「あの拉致被害者を全員返すまでこの船を入港させません!!」と。「その入港を求めるんだったら、拉致被害者を全員返しなさい!!」と。

 そして、あの「(万景峰号は)大型工作船である、危険な船である」というふうに認定するか・・小泉さんが認めれば、入れることを拒否することができるわけです。「経済制裁」でも何でもなくて、普通の感覚で「あの船が危険な船である」というふうに私たちは認識しておりますが、小泉さんは認識していないから、たぶん止めないんでしょう。

 新潟県民もあまり認識していないんですけれども、北川一雄国土交通大臣も認識していないと思います。「あの船は大型工作船である!」ということを、私たちはもっと広めていかなければならない。そして「あそこの新潟港で、もっと大きな声をあげていかなければならない」と思っていますので、今日もこれから行ってまいります。


*5/18 万景峰号入港抗議集会 増元 照明さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3779711.html
*6/4 万景峰号入港抗議活動 増元 照明さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/4132630.html


 それから、先ほど話に出ました6月24・25・26日と私たちは座り込みをやりますけれども、本当に同じ思いの人が集まっているのを誰も止めることはできません!!だから意図的に混乱を作る方が出てくる可能性があります。それに対しては厳しく対処していきたいと思っております。私たちと同じように思う方がいらっしゃったら粛々とやりましょう!!よろしくお願い致します。(大拍手)


*座り込み 増元照明さんにお聞きしました。電脳補完録―別館より
http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=67
*増元さんのメッセージ、更新 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4039

翼の勇気
( 2005.6.8,水 )








【徳永 英明 〜honestoより〜】

苦しくなって逃げたくなった
どうすることもできずに
慰められて励まされては
あなたのことを嫌った

自分の弱さ認めながらも
優しさを拒むことで
情けないなと思う心に
死んでしまえと叫べた

誰の目も気にせず僕は泣き
そして壁を殴って
赤く腫れた拳の痛みを
僕は噛み締めた

この永遠を生きる鍵が
ここにあるとしたなら
強く自分に言い聞かせて
はばたける日が来ると

こぼれる涙も拭かないで
空を見上げた時に
胸をよぎったこの想いが
翼になるだろうか
ずっと・・・


あるがままに生きればいいさと
心に言い聞かせて
もっと強い僕でいたならと
胸を抱き締めた

確かな自分を追いかけて
僕は旅立ってゆく
終わりが見えない毎日でも
僕は大丈夫だと

どんな時でも風の中を
歩く勇気があれば
胸に誓ったこの想いが
翼になるだろうか

この永遠を生きる鍵が
ここにあるとしたなら
強く自分に言い聞かせて
もっとはばたける日が・・・

こぼれる涙も拭かないで
空を見上げた時に
胸をよぎったこの想いが
翼になるだろうか
ずっと・・・

6/4 万景峰号入港抗議活動 斉藤 文代さん
( 2005.6.7,火 )
 いつも「万景峰号入港抗議活動」に参加されている新津市民さん(万景峰号の入港を阻止する会)が撮影しましたビデオ映像から文字化しました。

*万景峰号の入港を阻止する会
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8940/
*新津市民さんのアルバムです
 (6/4 新潟西港中央埠頭にて撮影)
http://www.photohighway.co.jp/tp/15_f.asp?key=1602534&un=53702&m=0&pa=&Type=15
*万景峰号、今年4回目の入港 日帰り 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4021


《斉藤 文代さん・新潟西港中央埠頭にて》

(・・・は聞き取り不能です)

 ・・・何でこの船は入って来るんでしょうねぇ。情けないですね、本当に!!悲しいです。

 もう本当に、あの、向こうにいる家族は、帰りたくって帰りたくって、毎日毎日迎えに来るのを待っているのに、何故この船は日本から物資をいろいろと積んで行って、いろいろな物を持って行かなければ生活ができない、そのような長の立っている国、金正日を何故向こうの国民は動かせないのか?もう、本当に情けない国です。

 もう私この船を見ると、何て言うのかつらくてですね、この船が物資を積んで行っても、困っている家族には渡らないのに、何で自分たちだけそういう良い生活をして、人間を傷つけていいことがあるはずがありません!!絶対にこの船が入港するということは許してはなりません!!

 また私たちの家族が1日でも早く帰って来られるように、新潟の皆さまの力を借りまして、あの、これから私たちも努力して「政府を動かしていかなければいけない」と思いますので、どうぞよろしくお願い致します。(大拍手)

*5/18 万景峰号入港抗議集会 斉藤 文代さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3814698.html

6/4 万景峰号入港抗議活動 平野 フミ子さん
( 2005.6.6,月 )
 いつも「万景峰号入港抗議活動」に参加されている新津市民さん(万景峰号の入港を阻止する会)が撮影しましたビデオ映像から文字化しました。

*万景峰号の入港を阻止する会
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8940/
*新津市民さんのアルバムです
 (6/4 新潟西港中央埠頭にて撮影)
http://www.photohighway.co.jp/tp/15_f.asp?key=1602534&un=53702&m=0&pa=&Type=15
*万景峰号、今年4回目の入港 日帰り 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4021


《平野 フミ子さん・新潟西港中央埠頭にて》

 おはようございます。朝早くから本当にありがとうございます。

 またあの万景峰号入港、本当にもう歯痒くてしかたがありません!!もう、どうしてもこの万景峰号を止めることが一番早い、この拉致問題全面解決のための何よりのことだと思っております。

 そしてそれが、新潟県民の方々がみんな力を出してくだされば、もうより一層「万景峰号入港阻止になる!」と私は思っております。

 去年の再訪朝からこうしてきました。5人は帰ってきました。そのご家族も帰って来ましたけれども、100人以上の方がまだあの国におります!!

 「あの人たちを絶対に助ける!!」

 とにかく、本当に名もわからない日本人が、いっぱい囚われの身になっております。その人たちを助けるためにも本当に、このように皆さんが集まってくださったことに感謝しております。

 私たちは絶対に諦めません!!皆さん、日本人として、これだけは絶対に許すべきことではないと思っております。これからもどうぞよろしくお願い致します。

 「1日も早く取り戻したい!!」

 その思いだけで頑張っております。よろしくお願いします。皆さま、ありがとうございました。(大拍手)

*5/18 万景峰号入港抗議集会 平野 フミ子さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3847928.html

6/4 万景峰号入港抗議活動 飯塚 繁雄さん
2005.6.5,日
 いつも「万景峰号入港抗議活動」に参加されている新津市民さん(万景峰号の入港を阻止する会)が撮影しましたビデオ映像から文字化しました。

*万景峰号の入港を阻止する会
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8940/
*新津市民さんのアルバムです
(6/4 新潟西港中央埠頭にて撮影)
http://www.photohighway.co.jp/tp/15_f.asp?key=1602534&un=53702&m=0&pa=&Type=15
*万景峰号、今年4回目の入港 日帰り 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4021


《飯塚 繁雄さん・新潟西港中央埠頭にて》

(・・・は聞き取り不能です)

 皆さま、おはようございます。(「おはようございます」・拍手)

 また、我々の立腹の船が入ってまいりました。これを我々は何と見るのでしょう。日本人を拉致した犯人の船で、これを当然のように入港を許すこの日本、あるいは新潟県、これは私たちにとってはまったく遺憾でございます。

 こんな船が堂々と入って来られるような今の(日本の)体制、これは日本が・・に対し、あるいは北に対し、間違ったメッセージを与えるのと同じですね。

 我々は、この船が入って来る度に入港反対の集会を開きます。これを黙って見ているのは、本当に北に対して「許している」ということになります。

 私たちは長い間被害者が・・苦しんできましたけれども、日本の怒りの声は・・・、「何であんな船ひとつ止められないのか?」という声をたくさん聞きます。まったくその通りで、日本の政府がきちんとこの問題を捉え、きちっとした対応をしていれば、こんな船は簡単に止められるはずです!!

 私たちは、いつもこの船を見ると悲しくなります。残念でたまりません。新潟市民も・・・ではありませんか。

 皆さんお互いに頑張りましょう。ありがとうございました。(大拍手)

*5/18 万景峰号入港抗議集会 本間 勝さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3855740.html

6/4 万景峰号入港抗議活動 増元 照明さん
2005.6.4,土
*いつも「万景峰号入港抗議活動」に参加されている新津市民さん(万景峰号の入港を阻止する会)が撮影しましたビデオ映像から文字化しました。

*万景峰号の入港を阻止する会
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8940/
*新津市民さんのアルバムです
(6/4 新潟西港中央埠頭にて撮影)
http://www.photohighway.co.jp/tp/15_f.asp?key=1602534&un=53702&m=0&pa=&Type=15
*万景峰号、今年4回目の入港 日帰り 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4021


《増元 照明さん・新潟西港中央埠頭にて》

(・・・は聞き取り不能です)

 おはようございます。(「おはようございます」)ご苦労さまです。(拍手)

 あの、5月18日から毎週毎週この岸壁で、言うこともなくなってきたんですけれども、とにかくあの、何故小泉さんは言えないのかな?といつも思っているんです。

 被害者を返せば、すぐこの船の入港を、こんなにここに集まって私たちが「反対をする」こともないのかもしれないのに。

 小泉さんがひと言言えばいいんですよ。「被害者を返しなさい!!」と。

 そうしたら、こういう反対行動はなくなるかもしれないのに何も言えない。「とにかく被害者を返すまでこの船の入港を差し止める」と何故それが言えないのか?私は不思議でなりません!!(「そうだー!!」という声が・・)

 どういうふうに小泉さんは思っているのか?国会議員の方たちが何故黙っているのか?北川(一雄)国土交通大臣は何故この船の入港を認めるのか?彼らは被害者を取り戻す気はないのか!!日本人を取り戻す気がないのか!!この船が入る度に常に腹立ち苛立ちを覚えて私は・・感じるんですけれども。

*国土交通省
http://www.mlit.go.jp/

 私たちの抗議は「私たちの家族を、日本人を取り戻す気があるのでしょうか?」ということです。本当にこの皆さんの怒りの声を上げていって、「この船を止める方向」に持っていきましょう!!

 新潟の皆さんにも大きく声をかけていただいて、ここに500人から1000人の方たちが集まってくれれば、新潟県も動くし国も動くはずです。

 ぜひ皆さん、その方向でこれからも一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願い致します。ありがとうございました。(大拍手)

*5/18 万景峰号入港抗議集会 増元 照明さん
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3779711.html

2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(9)
( 2005.6.3,金 )
 あおいのママのメモから、裁判の様子を少しずつ再現したいと思います。聞きもれやカン違いなどもあるかもしれません。後ほど加筆・訂正する場合もあります。どうぞ皆さまご了承ください。

*'04 12/24 「よど号犯妻」第一回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3292611.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3337465.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判 傍聴記録
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3489719.html
*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴未完(1)〜(4)
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=40&no=111

◆検察官の名前◆
・石井 隆
・遠藤 伸子
・大塚 雄毅

◆検察官より◆
・名前などの敬称を省略します。
・「よど号グループ」と質問します。
・西暦を使います。

続き


《単身フランスへ》

【検察官】
 あなたは1979年2月3日に長女を出産していますね?そしてその後1979年12月に「ビジネスチャンスがある」と単身フランスに入国しました。長女は1歳にもなっていませんね?

【田中協子被告】
・はい・・・。

【検察官】
 フランスに入国する前の1979年7月に次兄の「水谷しんじ」とヨーロッパで会いましたか?

【田中協子被告】
・いいえ、会っていません。

【検察官】
 あなたのフランス入国を決定した機関は何というのですか?

【田中協子被告】
・それは私たち自身で決定しています。

【検察官】
 手続きはどのようにしたんですか?

【田中協子被告】
・北朝鮮の外務省です。

【検察官】
 それらの書面はどのようなものでしたか?

【田中協子被告】
・知りません。

【検察官】
 手続きした本人がわからないのに、どうやってフランスに入国する手続き・許可が出されたのでしょうか?

【田中協子被告】
・リーダーの田宮高麿さんから「許可が出た」と知らされました。

【検察官】
 それは口頭ではないですよね?

【田中協子被告】
・書面だったと思いますが、覚えていません。

【検察官】
 よど号犯の妻たちは、いつ頃から北朝鮮から出国したのですか?

【田中協子被告】
・1979年頃からだったと思います。

【検察官】
 自分より前に北朝鮮から誰が出国しましたか?

【田中協子被告】
・覚えていません。

【検察官】
 小西(福井)タカ子はどうですか?個人的な目的で出国していないのではありませんか?

【田中協子被告】
・いいえ、純粋な目的で行ったと言っていました。

・私も個人的目的で出国しています。

【検察官】
 あなたはフランスに行く前に、日本の家族に手紙の投函をしましたか?無事を知らせたかったんですよね?

【田中協子被告】
・手紙は田宮さんにお渡ししました。その後はどのようにしたのかわかりません。

・海外から出すように頼みました。北朝鮮で生活している、結婚しているとは知らせていなかったので。その手紙で、自分の家族に留学地(フランス)と住所を知らせました。

続く

2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(8)
( 2005.6.2,木 )
 あおいのママのメモから、裁判の様子を少しずつ再現したいと思います。聞きもれやカン違いなどもあるかもしれません。後ほど加筆・訂正する場合もあります。どうぞ皆さまご了承ください。

*'04 12/24 「よど号犯妻」第一回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3292611.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3337465.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判 傍聴記録
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3489719.html
*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴未完(1)〜(4)
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=40&no=111

◆検察官の名前◆
・石井 隆
・遠藤 伸子
・大塚 雄毅

◆検察官より◆
・名前などの敬称を省略します。
・「よど号グループ」と質問します。
・西暦を使います。

続き

【検察官】
 よど号グループメンバーで毎朝集まって会議はありましたか?

【田中協子被告】
・答えられません。本件とは関係ありません。

【検察官】
 もう一度聞きます。会議はありましたか?

【田中協子被告】
・(しばらく沈黙)朝集まって会議がありました。

【検察官】
 その会議ではどういった話題が多かったのですか?

【田中協子被告】
・主に日本のニュースの話などでした。

【検察官】
 よど号グループの学習の時間はどれくらいでしたか?

【田中協子被告】
・答えられません。答える必要を感じません。

【検察官】
 毎週土曜日に金日成を称えて、午後に総括がありましたか?

【田中協子被告】
・答えたくありません。その必要はありません。

【検察官】
 よど号グループは、村の中の建物の食堂で食事をすることがありましたか?

【田中協子被告】
・それはありました。

【検察官】
 その食堂で金日成の教えはありましたか?また、書簡というのはありましたか?

【田中協子被告】
・答える必要はありません。

【検察官】
 よど号犯「柴田泰弘」(1988年5月6日 国外移送略取、強盗致傷容疑)の逮捕のニュースはどこから知りましたか?

【田中協子被告】
・日本のラジオのニュースで知りました。

【検察官】
 ニュースのことは誰から聞いたんですか?よど号グループのメンバーからですか?

【田中協子被告】
・メンバーそれぞれがラジオのニュースで知りました。

【検察官】
 柴田泰弘逮捕後、よど号グループの通信事情は変化しましたか?

【田中協子被告】
・それは多少ありました。柴田さんの救援のため、高麗ホテルに事務所を設けました。そこには電話もありました。

【検察官】
 高麗ホテルの事務所の電話は、国際電話はできましたか?

【田中協子被告】
・それはホテルを通じてできたと思います。

【検察官】
 その高麗ホテルは、村からどのくらいの所にあったのですか?

【田中協子被告】
・村から車で40分くらいでした。

【検察官】
 高麗ホテルの事務所設置の手配はどこに申し出たんですか?

【田中協子被告】
・北朝鮮の外務省に申し出たと思います。

【検察官】
 その事務所を設ける申請をして、ホテルを借りたのはいつ頃ですか?

【田中協子被告】
・記憶にありません。

・「日本を考える」という雑誌を見ればその時期がわかると思います。

【検察官】
 柴田泰弘の妻「八尾恵」が1988年5月25日に「有印私文書偽造容疑」で逮捕されましたが、それは知っていましたか?

【田中協子被告】
・はい、知っていました。日本の新聞で知ったと思います。

【検察官】
 八尾恵の裁判の経過について、新聞で知りましたか?

【田中協子被告】
・たぶん・・・。報じられるとしたら新聞以外ありませんから。

【検察官】
 そういった刑事事件の情報は、新聞以外からありましたか?

【田中協子被告】
・それはなかったと思います。

続く

2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴記録(7)
( 2005.6.1,水 )
 あおいのママのメモから、裁判の様子を少しずつ再現したいと思います。聞きもれやカン違いなどもあるかもしれません。後ほど加筆・訂正する場合もあります。どうぞ皆さまご了承ください。

*'04 12/24 「よど号犯妻」第一回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3292611.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3337465.html
*'05 1/27 「よど号犯妻」第二回公判 傍聴記録
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3489719.html
*'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判
http://aoinomama13.seesaa.net/article/3665096.html
'05 2/24 「よど号犯妻」第三回公判 傍聴未完(1)〜(4)
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=40&no=111

◆検察官の名前◆
・石井 隆
・遠藤 伸子
・大塚 雄毅

◆検察官より◆
・名前などの敬称を省略します。
・「よど号グループ」と質問します。
・西暦を使います。

続き

【検察官】
 北朝鮮政府から生活費・食料費など全般を受け取っていたということですね。ところでよど号グループに「吉田金太郎」がいましたね。彼に会ったことはありますか?

【田中協子被告】
・いいえ、会ったことはありません。

【検察官】
 よど号グループ内で彼の話題はありましたか?

【田中協子被告】
・あると思います。しかしそのことは本件とは関係ありません。

【検察官】
 この写真は誰ですか?(証拠の写真を示して1人1人名前を言わせていました)

【田中協子被告】
・(よど号グループの写真を見て、1人1人名前を言っていました)

【検察官】
 よど号グループのリーダー田宮高麿はどのような権限を持っていましたか?

【田中協子被告】
・仲間の意見をまとめて1つにする権限を持っていました。

【検察官】
 田宮は北朝鮮との交渉をしていたんですね?

【田中協子被告】
・はい。私たちは亡命者の妻ですから、滞在資格など扱っていたのではないでしょうか。

【検察官】
 北朝鮮では、あなた方よど号グループの在留期限のことはどのようになっていましたか?

【田中協子被告】
・在留期限はありません。でもそれは無期限かどうかは知りません。

【検察官】
 あなたの「水谷協子」名義の旅券の保管はどうしていましたか?また、その他の妻の旅券はどうですか?

【田中協子被告】
・旅券は田宮さんに預けていました。他の方の旅券に関しては知りません。

【検察官】
 よど号犯「岡本武」その妻「福留貴美子」を知っていますね?彼らはいつまで村に住んでいましたか?そしていつ頃彼らは村を出たのですか?

【田中協子被告】
・何年かは・・・。80年代だったと思います。記憶にありません。

【検察官】
 彼らはどうして共同生活を止めたのですか?

【田中協子被告】
・本件とは関係ありません。

【検察官】
 あなた方が村を出る時の手続きはどのようになっていましたか?

【田中協子被告】
・それは何の許可も必要としません。自由です。

【検察官】
 月に何回くらい村を出ましたか?

【田中協子被告】
・何回でも思い通りに出ることができます。

【検察官】
 よど号グループリーダーの田宮高麿は、北朝鮮のどの機関に所属していたのですか?

【田中協子被告】
・本件とは関係ありません。

【検察官】
 よど号クループのメンバーは日本の新聞、ラジオ、テレビをよく見ていましたか?

【田中協子被告】
・日本で発行している朝日新聞、日経新聞など数社読んでいました。ラジオやテレビの受信もありました。

【検察官】
 それらはいつ頃からですか?

【田中協子被告】
・もうずっとです。

【検察官】
 日本の新聞は、朝鮮労働党から届いていましたか?

【田中協子被告】
・(沈黙)

【検察官】
 衛星放送は見ることができましたか?

【田中協子被告】
・はい、90年頃から見ることができました。

【検察官】
 何の番組を見ていましたか?また時間帯は?

【田中協子被告】
・日本のニュースを見ていました。時間帯は午後7時です。

【検察官】
 その目的は何ですか?

【田中協子被告】
・日本は私の祖国ですから。自分の国ですから。日本に対する研究をしていたいからです。

【検察官】
 あなたの自宅には電話がありましたか?国際電話はできましたか?

【田中協子被告】
・本件とは関係ないと思います。

・自宅にも村にもありませんが、管理する所にはありました。国際電話はできません。

【検察官】
 その管理する所の電話は、柴田泰弘逮捕後に設置されたのではありませんか?

【田中協子被告】
・違います。そうではありません。

【検察官】
 その管理する所の電話は、自由に電話をかけることができましたか?

【田中協子被告】
・はい、できました。

続く

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