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2005年04月の日記
| 5/1 TBS「報道特集」 《16人目の拉致被害者》(3) |
( 2005.4.30,土 ) |
*5/1にTBSで放送された「報道特集」を、ビデオに撮ったものから文字化しました。(1)〜(3)に分けて掲載致しております。さらにまとめまして子版aoi blog及びレポート集にも掲載したいと思っております。
続き
(ナレーター)
港町神戸で起きた田中さん拉致と金田さんの失踪。しかし問題はそれだけではありませんでした。
(岡田和典さん)
半径500メートル以内に、全部で6人ですね。
(ナレーター)
拉致被害者『田中実さん』が暮らしていたのは、神戸市灘区。実はそこに関係する拉致被害者や特定失踪者が多いといいます。
(岡田和典さん)
この(神戸市)灘区内に関係のある方、順番に言います。(特定失踪者問題調査会のポスターを指しながら)ここに『田中実さん』がおりますね。で、『金田竜光さん』ですね。ここに『有本恵子さん』ですね。
実はですね、『有本恵子さん』が通っていた学校(神戸市立外国語大学)がですね、当時阪急六甲駅から500メートル以内のところにありました。
* '05 2/10 東京集会5 有本 嘉代子さん http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=20&no=102
ここに『秋田美輪さん』。この方はですね、特定失踪者問題調査会が、1000番台と申しましてですね、「拉致の可能性が極めて高い」という方の1人です。校門の前で友だちと別れたきり、失踪しています。
*「特定失踪者」究明、認定を−「救う会」など請願書 /徳島 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3681
(ナレーター)
特定失踪者問題調査会の岡田理事は、さらに2人の特定失踪者を指し示して、こう言いました。(『松本義明さん』『加藤小百合さん』)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ *『松本義明さん』 調査会リストより http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm 昭和54(1979)年9月20日失踪 当時37歳
母親の葬式に社員2名を伴って会葬、以後連絡なし。当時、貿易商を営み雑貨の買い付けのため東南アジアを中心に海外出張をくり返していた。英語が堪能、羽振りもよかった。姉が連絡を取ろうとしたが、会社は消失、大阪市の居住地に本人がいなかった。当時の社員を含め何一つ連絡なし。
*『加藤小百合さん』 調査会リストより http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm 平成9(1997)年8月18日失踪 当時33歳
午後1時頃自宅を出て以来行方不明。いつもと同じように軽装で出かけて行った。失踪後、不審な人物が居所を知っているようなことを言ってきた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (岡田和典さん)
灘区と言うよりも、灘区と言っても、結構広うございますから。その中で、阪急六甲駅というものを中心とした半径500メートル以内に、この6人がいるということです。
(ナレーター)
神戸市東部にある阪急六甲駅。ここを中心とした半径500メートル以内には、拉致被害者『田中実さん』がいた養護施設や、『有本恵子さん』が通う大学(神戸市立外国語大学)がありました。
さらに、『金田竜光さん』や『秋田美輪さん』(『松本義明さん』『加藤小百合さん』)等の、特定失踪者が暮らした場所や学校もあったのです。
狭い範囲に集中する「拉致被害者」や「特定失踪者」。それは一体何を意味するのでしょうか?
(岡田和典さん)
やはり、これだけ限られた地域に「6名の方がおられる」ということ、それは何か、何か、どこかに大きな何か別の、我々がまだ発見し得ないものがあって、それがどこかでこう繋がっているのだろう、と、私たちはそう判断せざるを得ないということですね。
(司会者)
『田中実さん』に対する政府の拉致認定。これは小泉総理が訪朝して以来、2年半経っての初めての新たな認定ということになりまして、これで政府が認定した拉致被害者は16人となりました。
それで、『田中実さん』が拉致された地域は、ご覧いただきましたように、『有本恵子さん』ら5人が何らかのかたちで関係していた地域でもありまして、拉致が組織的に行われていた可能性がより高くなっているわけです。
特定失踪者問題調査会の岡田さんによりますと、こうして個々の拉致のケースが明らかになっていくのに伴いまして、今後は「拉致がどのように組織的に行われていたのか?」の解明、そして当時の「拉致の実行犯を逮捕する」ということが重要な課題になってきているわけです。
また、もう一つ重要なのは、今回の『田中実さん』の拉致認定によりまして、今、こう着状態になっております、日朝交渉の、新たな糸口・突破口にすることができるのではないか?ということです。
*拉致認定・田中さんに続け 「小住さんも早期に」 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3899
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| 4/24 第7回国民大集会 有本 嘉代子さん |
( 2005.4.29,金 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (・・・は聞き取り不能)
◆未帰還者家族パネルディスカッション◆
《司会・西岡力さん》
ここで、曽我さんが24年間北朝鮮にいた経験からですね、北朝鮮にいる被害者の人たちは、今この時間も北朝鮮で、「日本にいつ帰れるんだろうか?お父さん、お母さん、兄弟、姉妹に会いたい!!」と指折り数えて待っていると、くじけそうになると、きっと日本で暮らしていた楽しい時の思い出を思い出していると、また日本に帰って楽しく暮らすことができると思って、一日一日一生懸命生きていると、それは自分がそうだったからと言っているんですね。
そこでまずですね、ご家族の方々に、向こうで待っている人たちが覚えているであろう、日本で暮らしていた時の楽しい思い出ですね、平壌でこの瞬間も待っている人たちが、心の中でそのことを思い出して「日本に帰りたい!!」と思っているはずの思い出について、親御さん、あるいは兄弟の方からお話をいただければというふうに思います。
では、こちらの有本さんのところからお願いできるでしょうか?有本さんのお母さん、よろしくお願い致します。(大拍手)
《有本嘉代子さん・拉致被害者「有本恵子さん」のお母さん》
皆さん、こんにちは。有本でございます。
あの、本当に娘がいなくなって、先ほど表(外・第二会場)でもお話したんですけれども、恵子は23歳でいなくなりまして、それでちょうど22年になりますので、今年で45歳になります。
だから私も歳がいきますけれども、娘も歳を重ねておりますので、あの地でもしものことがあって、あの、病気にでもなったら本当にどうなるんかな、という思いがずっとあります。
だからその思いはみんな、ここにいらっしゃる方(拉致被害者ご家族・特定失踪者ご家族)みんなそうだと思いますけれども、とにかくこの長い間「どうしてこんなに長くかかったんだろうなぁ?」といつも思いながら暮らしております。
「どうすることが、帰すことができるんだろうなぁ?」と、本当に夜もそう思いますと眠れない夜もあります。だけど「何とか会いたい!もう一度!!この手で抱きしめてやりたい!!!」という気持ちはずっと持っております。(お母さんは泣いていました)(拍手)
何卒、皆さんのお力で、本当にこんなにたくさん来てくださっている、表もみんな下(地べた)に座っていらっしゃるんですよね、冷たいのそこへ、私たちが今お話申し上げたのも、キチッと一生懸命に聞いてくださいまして、声援を送ってくださいました。そのお気持ちを私は本当に大事に思って、いつもあの感謝しております。
本当に、皆さま方が本当に、一生懸命応援してくださる、道で会っても必ず何人かの方が「元気で、ともかく子どもさん、きっと元気でいますから、帰るまでね、(お母さん)元気でね。」っていつも励ましてくださるのが、何よりの心の支えになっております。(会場から「お母さんも身体に気をつけてね」)はい、ありがとうございます!!(大拍手)
ということで、皆さんが一生懸命に応援してくださいますので、いつも「とにかく頑張ろう」と、「二人で最後まで頑張ろう」と思っておりますので、どうか皆さん、・・・どうぞ一緒に闘ってくださいませ。よろしくお願い致します!!(大拍手)
《司会・西岡力さん》
あの、恵子さんが日本にいた時、楽しかったなぁと思われる思い出などありませんか?
《有本嘉代子さん》
恵子は、とにかくわり方小さい時分からおとなしい子で、全然目立たない子だったんです。
幼稚園の時分も背が小さい子で、前の方にいたんですけれども、何かこう、後ろから来た子にどどっと、後ろの子が前に出てしまって、いつでも一番後ろになるんですね。だから表に迎えに行っていましても、一番最後に出て来るんです。
そうしますと子どもだもんだから、おしっこに行きたくても、よくあのこぼれてしまって、家までもたない時が度々ありました。(お母さんは楽しそうにお話していました)(会場笑い)そういう思い出がありまして、冷たい、寒い時分だと、冷たいのを辛抱してね、帰って来るんですよ。そういう思い出が今も残っております。
とにかくおとなしい子で、目立たない子で、あの、怒ったような記憶がないんですね。でも「ヨーロッパに行く」「勉強に行く」と言うた時だけは、絶対に親の言うことは聞かなかったんです。泣いて聞かなかったんです。だから、こういうことになるために、そうして行ってしまったんかなぁ、と今思います。そういう思いがずっとあります。(拍手)
*'05 2/10 東京集会5 有本 嘉代子さん こちらからどうぞ *北朝鮮で「有本恵子さん」の教育係だったとされる「田中協子被告」の公判の様子を「集会・講演会レポート」に掲載しております。(第1回〜第4回まで。途中のものもあります) http://aoinomama.trycomp.net/
http://aoinomama13.seesaa.net/
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| 4/24 第7回国民大集会 曽我 ひとみさんのメッセージ |
( 2005.4.28,木 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
《司会・西岡力さん》
第二部はですね、まだ帰って来ていない「家族会」の家族の方たちに、今までは家族会の役員として色んな発言をされてきましたけれども、今日は「家族会」の役員という衣を脱いでいただいて、「拉致被害者の家族」として、今北朝鮮で待っている自分の家族のことをどう思っているのか?という話をじっくりしていただきたいと思って企画いたしました。座って話をさせていただきます。
最初にですね、実は先ほど帰って来た5人のメッセージと言いながら「4人分」しかなかったですよね?曽我ひとみさんからもメッセージが着ておりますが、第一部ではなくて第二部で紹介させていただきます。
と言うのは、曽我さんは「家族会」に入っていらっしゃっていて、「お母さんの救出を今日訴えたい」というメッセージだったからです。まずそれをご紹介させていただいて、このパネルディスカッションを始めたいと思います。
《曽我ひとみさんのメッセージ》
国民大集会にお集まりいただきました皆さま、こんにちは。今日この席に出席することができず、心より深くお詫び致します。
母と別れてから27年の年月が過ぎてしまいました。今年の2月には父をガンで亡くしました。今でも「母に一目会いたい」と強く願いながら、母の姿を追って天国に旅立ってしまった父。もうすぐ母は帰って来て、みんな一緒に暮らせるととても喜んでいた父の顔が、今でも頭の中から離れません。
母は春になると鍬で畑を耕していた、夏には私と妹のために、学校に持って行く薬草集めを汗だくになって手伝ってくれていた姿、秋には風呂の焚き付けにする枯れた松の葉を集めていた姿、寒い冬、家の中でざるを一つ一つきれいに作っていた姿、今さらのように、見るもの・聞くものみんなが母の姿に思えてなりません。
一日も早く母に会いたくて、いてもたってもいられません。しかしもう母も73歳になってしまいました。ただただ「元気でいてほしい」「一日も早く佐渡に帰って来てほしい」、今私はその気持ちでいっぱいです。
そして被害者の方々は、今この時間も北朝鮮で「日本にいつ帰れるんだろうか?お父さん、お母さん、兄弟、姉妹に会いたい!!」と指折り数えて待っています。くじけそうになると、きっと日本で楽しく暮らしていた時のことを思い出し、また、日本に帰って楽しく暮らすことができると思い、一日一日を一生懸命に生きていると思います。
しかしもう時間がありません。家族の皆さんは高齢になっています。私も24年間北朝鮮にいたので、被害者の方々の気持ちは痛いほどわかります。今、私の立場を考えますと申し訳ない気持ちでいっぱいです。被害者の方々が、全員揃って元気でタラップから降りてくる日を、毎日毎日祈る気持ちで待ちわびています。
「拉致」は絶対にあってはならず、許しがたいことです!!これからも国民の皆さま方には、この問題の解決のためにお力をお借りしたいと思います。何卒よろしくお願い致します。今日は本当にありがとうございました。平成17年4月24日、曽我ひとみ。(大拍手)
*曽我ひとみさんの父、茂さん 死去 電脳補完録さんより こちらからどうぞ
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| 4/24 第7回国民大集会 崔 祐英さん |
( 2005.4.27,水 ) |
《崔 祐英(チェ・ウヨン)さん 韓国拉致被害者家族協議会会長》
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(日本語でお話してくださいました)
皆さま、こんにちは。(会場から「こんにちは」)
今回の、「小泉首相の決断を求める国民大集会」に招待していただいた「家族会」の横田滋代表、「救う会」佐藤勝巳会長、「拉致議連会長」平沼赳夫会長、及び国民大集会の関係者の皆さまにお礼申し上げます。(礼をする・拍手)
韓国の拉致問題の運動の状況を申し上げます。1970年代に拉致されて、生死確認もなかった漁船の「ヒヨン号?」の36人の人々が、北朝鮮で撮られた団体写真が押収されて?レスコム?から報道されました。
今まで「拉致された人は一人もいない」と主張した北朝鮮は「うそつき」だということが明らかになりました。(拍手)闘いはまず、「ヒヨン号?」の36人の安否確認を訴えております。
*色あせた写真に込められた拉致漁師の悲しみ 朝鮮日報より こちらからどうぞ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (全文転載)
約30年前、北朝鮮に拉致された漁師たちが北朝鮮で撮った一枚の色あせた白黒写真が公開された。1971年と72年、西海で北に拉致された36人が74年、妙香(ミョヒャン)山で撮った団体写真だ。
一人一人を指差しながら食い入るように見つめていた年配の女性は、「間違いなく私の夫」とため息をつき、泣き崩れた。女性の視線がとまった写真の中の夫は青年のように若かった。
30年もの間、漁師たちの送還に向け国家と国民はどういう努力をしただろうか。 夫や息子、兄弟が漁に出て、ある日突然拉致され、生存さえ分からなくなった家族たちの悲しみを、この社会は暖かく慰めたことがあるのだろうか。
韓国戦争以降の拉致件数は132件、帰って来られなかった抑留者は約480人だ。 戦争中に拉致された人は確認された人数だけでも8万3000人に達する。
仮に韓国に北朝鮮出身の抑留者がいるとすれば、どういうことが起きただろう。 北朝鮮政府が介入する前に、韓国社会内部から送還運動が大々的に展開されただろう。 実際にこのような運動が起こり、いわゆる非転向長期囚たちが北に帰ったのは、わずか数年前のことだ。いかなる理念も「人間」より優先できないというのが送還運動のスローガンだった。
一方、北朝鮮にこれだけ多くの韓国出身の抑留者がいるにもかかわらず、韓国政府と社会は沈黙するばかりだ。 北朝鮮出身の抑留者だけが「人間」で、韓国出身の抑留者は「人間」ではないという意味なのか。
北朝鮮政権の出方を見て、努力しても無駄だろうといった態度を取ってはならない。われわれは日本政府が北朝鮮から拉致被害者の日本人を帰還させたことを確認している。
昨年1年間の韓国の北朝鮮支援規模は2984億ウォンとなり、一昨年に比べ62%増となった。開城(ケソン)工団事業も順調に進んでいる。しかし、こういった南北交流が写真の中の拉致被害者や家族にとって、どういう希望になりうるだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、今年3月に、東京で拉致問題の日韓米の連携のためにセミナーが開かれました。(*2/19の国際集会のことだと思います)その時、韓国からハンナラ党の金文洙(キム・ムンス)議員がいらっしゃって、日韓の議員レベルの上で協力ができました。
*'05 2/19 国際集会 金 文洙さん こちらからどうぞ *「日米韓は拉致問題にどう協力できるか」国際集会 こちらからどうぞ
また、日本の「家族会」の事務局長の増元さんから、増元さんのお父さんが「私は日本を信じています。だからお前も日本を信じろ!!」というお話を聞きました。私もこの言葉を信じております。
日本の拉致問題の解決のために、今のように全力を尽くしていけば、小泉首相は必ず拉致被害者のご家族の「必死の思いを受け止める」と期待しております。(拍手)
今こそ日本人の拉致問題の完全な解決のために「経済制裁を発動すべき」だと思います。(拍手)
日韓が力と心を合わせて一緒に頑張りましょう!!ありがとうございました。(深く礼をする・大拍手)
* '04 7/24 藤沢市民集会 崔 祐英(チェ・ウヨン)さん 「救う会神奈川」活動報告より こちらからどうぞ *「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」レポート logさんより こちらからどうぞ *「政府もメディアも無関心…」韓国拉北者家族会 電脳補完録さんより こちらからどうぞ *「めぐみを帰して」 新潟日報より こちらからどうぞ ↑↑↑ 崔 祐英(チェ・ウヨン)さんのお話の間、側に座っていました横田滋さんが、まるで我が娘を見るような瞳で崔さんを見つめておりました。この記事を読みまして、その理由がよくわかりました。
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| 4/24 第7回国民大集会 中山 恭子さん |
( 2005.4.26,火 ) |
《中山 恭子さん 元内閣官房参与》
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
皆さま、この国民大集会にこのようにたくさんの皆さまがご参加くださいましたこと、心から感謝申し上げます。
先ほど横田さんも言っておられましたが、実は心配しておりました。日本の中で拉致問題が下火になってきているのではないか?と心配いたしましたが、今日、お集まりくださいました皆さまのおかげで、まだ日本では拉致に関して「自分の力を注ごう」と、こう思ってくださっている方が、このようにたくさんいらっしゃるということ、わかりまして、本当にありがとうございます。(礼をする・大拍手)
北朝鮮は今、「拉致問題を何とか押さえ込んでしまおう」という状況になっている、と思っております。
「横田めぐみ」さんの「お骨」と称して麗々しく骨壷に入れてですね、他の方々の、複数の方の「お骨」を日本に渡してきました。横田さんご夫妻が、また、ご家族が「このお骨を見て諦めるだろう」、高温で焼いた「お骨」ですから、「そうすれば日本の中で拉致問題は下火になり、国交正常化へ進んでいく。国交正常化への道筋がつく」と考えてのことでございます。
* 松木さん「遺骨」は別人5人分、横田さんも別人 鑑定書 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3440
でも、日本の科学技術の高さ、そして日本の人々の強い意志で、この「横田めぐみさんと言われるお骨が偽物である」こと、「違う人のものである」こと、そして「このような茶番劇的な動きでは、日本は拉致問題を決して下火にしていかない!!」ということがはっきりいたしました。皆さまのおかげだと感謝しております。(拍手)
北朝鮮は「国交正常化へ進もう、と思ったこの道筋が壊れてしまった」ということで、今は核問題の方へ話題をすり替えてしまっています。「核を保有している」とまで宣言いたしました。
*北朝鮮、6者協議参加を無期限中断 核兵器製造も宣言 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3635
そして今なお、政府が認定している中では「8人の方は死亡し、2人未入国である。それ以外の方々は拉致していない!」というこの方針を貫こうとしております。
私たちは、北朝鮮に対して、このような方針を変えて「拉致していった日本人をすべて帰国させなければ、国交正常化はない!」ということを、改めてしっかりと理解させなければいけませんし、世界に北朝鮮が生き残る唯一の道は「拉致した日本人を帰国させることだ!」ということを理解させなければいけないと思っております。(大拍手)
北朝鮮に拉致され、幽閉され、日本のことを毎日思っている、この被害者の人々を、どうやったら無事に連れて戻せるか?救出できるか?大変難しい問題です。
日本でできることは、日本の国としてできることは、成しうるすべてのことをして、救出にあたらなければなりません。
アメリカとも緊密な連絡を取り、他の国々への説得も必要です。しっかりとした戦略を立て、戦術を練って、北朝鮮に対し「拉致した日本人はすべて帰国させなければいけない!」ということを理解させ、強く要求していかなければなりません。(大拍手)
*「理解超えた残酷さ」 米委員長が横田夫妻に書簡 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3489
そのためには、日本の人々、すべての日本の人一人一人が、「拉致された日本人・同胞を救出するためには、日本としてあらゆる手段を使うのだ!成しうるすべてのことをするんだ!!」ということを心に決めることがまず大事でございます。今日はそのように心に決めてくださっている方々が、ここにいらしてくださっています。本当にありがたいことだと思っております。(拍手)
一人でできることは小さいことかもしれませんが、一人一人がそのように、「救出するんだ!」ということを心に決めて動けば、まとまれば、これは「大きな力になる」と考えております。
1年、この今年1年、また来年、2年、この1〜2年が大きな、重要な年になるかもしれません。
どうぞ、ここにお集まりの皆さまが心に、「成しうるすべてのことをして救出する!!」と心に決めてくださっている、このここにお集まりの皆さまが、さらに輪を広げ、日本が日本の国として、国際社会にも恥ずかしくないためにもですね、私たちは「あらゆる手段を使って、拉致されて北朝鮮で帰国を待っている人々の救出にあたっていきたい」と考えております。
小さい力かもしれませんが、一緒に力を合わせて救出にあたっていこうではございませんか!!これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。(深く礼をする・大拍手)
http://aoinomama13.seesaa.net/
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| 4/24 第7回国民大集会 竹下 珠路さん |
( 2005.4.25,月 ) |
*写真は、特定失踪者「古川了子(のりこ)」さんのお姉さんです。胸に「折り鶴」を着けての訴えです。
今回の集会では、特定失踪者のご家族の皆さんが約60名参加されたそうです。皆さんは、特定失踪者問題調査会に贈られた、秋田県の高校生と中学生の兄妹が中心になって作っている「カブトに入った折り鶴」を胸に着けて参加されていました。(ご家族の皆さんの通行証だったようです)
*「思いのこもった折り鶴」を作っている皆さんの写真です。 4/4の日記より http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/data/2005_04/0404.jpg *もう一度原点に:ブルーリボン、増元さんのメール、伊藤兄妹 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3748
(一部引用) 折り鶴は、すべて正面から見て左向き。逆さにした折り紙のかぶとに収められ、ブルーリボンのシールが張ってある。そこには「いつでも北朝鮮が見えるように左向き」「北朝鮮が申し訳なかったとかぶとを脱いで被害者を帰してくれるように」という二人の願いが込められていた。折り鶴には「愛、感謝、調和」と書かれ、兜には「支え合い 生き合う」とひとつひとつに書かれている。
《特定失踪者「古川了子(のりこ)」さんのお姉さん》
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (多少読みやすいように変えております。ご了承ください。)
皆さま、こんにちは。(会場から「こんにちは」)
(司会の櫻井よしこさんに)1つ訂正させていただきますと、「双子」ではなく私は11歳年上の姉でございます。若く見ていただいて本当にありがとうございます!(会場は笑いと拍手に包まれる)
《櫻井よしこさん》 ごめんなさい!!
竹下珠路と申します。私の妹「古川了子(のりこ)」は、皆さま方の一番左の端の写真の、あれが私の妹「古川了子」の18歳の時の写真です。失踪する3ヶ月ほど前、高校卒業したての時に、仲良しの友だちと遊びに行った時の写真です。一番自然な写真だと思い、私は一番妹を感ずる写真です。
私の妹「古川了子」は、今ご紹介にもありましたように、昭和48年7月7日土曜日でしたが、その日の前日に初めてのボーナスをいただきまして、そのボーナスを手に、母と約束をしていたのですが、「私のお金で浴衣を買いたいから、お母さん一緒に見てね」と言って約束していて、それから美容院に前の晩に予約をしていて、その2つの楽しみな予定を電話で急にキャンセルして、「今どこにいるの?」という美容師さんの問いかけに、「千葉駅にいる」という声を最後に、連絡がまったく取れなくなりました。
持って出たと思われるものは、ハンカチと小さな財布しか入らない程度の、小さな小さなバッグ、それだけでした。そしてその後、本人の銀行口座から一切お金を引き出された様子はありません。
* 拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei2.php * 3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 続き http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3759
母は、そして私たち家族は、あらゆる可能な、自分たちにできる可能な限りの捜し方をしました。母は占いにも頼りにし、テレビにも出していただき、新聞や、同級生の方々に手紙で消息を尋ねるお願いをしたりしましたが、一切消息はつかめず、二十数年が経った時に安明進さんが、元工作員の安明進さんが、あるマスメディアの方に母がお願いしていた写真を見て、「この女性は見たことがある!915病院で自分が会って話をしたその女性に大変よく似ている!!」という証言をいただきました。それが1997年のことでした。
そして私はその話をうかがいまして、すぐ最寄りの警察に行きましたけれども、その当時はまだ「いや、太平洋側では(拉致は)ないですよ。それから今、拉致の被害者という方々が出ているのは昭和52年・53年からですから、昭和48年はちょっと早すぎますね。」というお話で、私自身も母も「そんなものかなぁ・・・」と思いながら、「違うのかしら・・・」と思いながら、ずっと、もしかしたらいなくなった当初から、本人が何かいけなかったのかもしれない、家族が何かいけなかったのかもしれない、という思いで、なかなかお話ができなかった、そのことをまた1997年に封印するようなかたちになりました。
しかし次のチャンスがあれば、安明進さんに私、お目にかかれるものなら「もっと話を聞いてみたい」というお願いもしていたのですが、それが具体化したのは2002年(平成14年)12月のことでした。
*古川了子さんを救う会 お姉さんによる記憶より http://www012.upp.so-net.ne.jp/Furukawa-Noriko/
そのきっかけは「曽我ひとみ」さんという、それまで新聞に名前も載っていなかった方が、2002年9月17日の時点で名前が急に浮上してきた、ということです。
「これはきっと私の妹も、名前がわかっていないだけに、政府も交渉して、そして行方を捜してくれなかったんだ!」と思い、荒木さん・その他の皆さんの「公表しましょう。そして動きましょう!」という「この状況からして、北朝鮮の拉致に疑いがないんだよ!」、という励ましをいただいて、名前を公表させていただきました。
昨年には日弁連の人権擁護委員会に提訴もいたしました。そして訴えをいたしました。その結果、つい3月に「これは北朝鮮の拉致による可能性が大変強い」ということと、「政府はすぐにもこの実態が明らかにして、救出に最大努めなければいけない」という報告書を出していただき、私たちは本当に「10件15人という人たちばかりでなく、もっとたくさんの人たちが拉致されているんだ!!」という日弁連の人権擁護委員会の方々も認めていただいたということ、つい先頃ですが、大変力強く思いましたし、私たちは特定失踪者という、妹に対する呼び方ではなく、「拉致の被害者です!」と大きく言えると確信を持っております。(拍手)
*日弁連の要望書 北朝鮮拉致疑惑人権救済申立事件 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3794
今現在「拉致を認定されているか」「されていないか」、この立場で政府の対応は大きく違っております。それは、北朝鮮との交渉においても、「拉致認定」の方々に対しては、交渉テーブルで名前がきちんと載っておりますが、特定失踪者の私たち、この会場の前方の席にたくさんおられるご家族の、その特定失踪者の方々については、「認定されたか」「されないか」というそこの壁のところで、交渉テーブルに名前も一行も出ていないのです。
これは「拉致された」というこの現実、「拉致されている可能性が非常に強い。いろいろな条件から」、そうしている中で日本政府は、「日本政府自身が、救出に向けて動いていない!」ということになるのではないでしょうか?(拍手)
「曽我ひとみ」さんのお話の中に、日本の要人が向こうを訪ねたというニュースが流れた時に「さあ、次には私を捜しに来てくれたんだろうか」と、「訪問を待っていた」というお話が確かありました。今私の妹はきっとかの国でその思いで、「いつ自分を捜しに来てくれるだろうか?」と、同じ気持ちを持っているのだと思います。(拍手)
その私たち家族が、そして日本の国が、「古川了子」を、「拉致された全員の人々を捜しているんだよ!!」と北朝鮮に出すことによって、所在を要求することによって、本人たちの命が一番確保されると思います。そうしないと、このままではもしかしたら「闇から闇へと葬られてしまうかもしれない」。みんな大事な命なんです!!(拍手)
先だって、今荒木さんから紹介がありましたように、『古川了子の拉致認定を求める行政訴訟』というものを起こさせていただきました。これは「古川了子」を救出する手段の1つなのです。
*拉致認定求め国提訴 特定失踪者・古川さんの家族 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3838
行政訴訟で拉致認定をしていただいたからといって、本人がすぐ帰って来るわけではないのです。政府に、拉致被害者として相手方との交渉、そして救出という行動に移っていただきたい、その1つのプロセスでしかないのです。(拍手)
拉致認定されてから、それからもどんなに大切かは、今この「家族会」の皆さんのお話を聞いても充分私にもわかります。大変道の厳しいこともよくわかります。しかし今、本当に、本人を救出しないと時間がないのです!!(拍手)
私の母もまもなく89歳を迎えようとしています。了子本人は、今年の1月で50歳になりました。しかし、豊かな日本で50歳と、かの厳しいとうかがっている国での50歳と、どちらも同じでしょうか?
「32年間」という、この妹の不在は本当に長いです。命は誰も同じだと思います。(拍手)
先ほど鳩山先生からもお話がありましたように、何よりも命を救っていただきたい!一刻も早く命を救っていただきたい!!たくさんの日本人を救っていただきたい!!!(涙ながらに、強く)
それには、日本国の代表である小泉総理に「毅然たる態度」をとっていただきたい!!いいえ、それよりももっと「決断」をしていただきたいのです!!(大拍手)「経済制裁」も含め、あらゆる可能な限りの、救出に向けた「決断」を、ぜひぜひお願いしたいと思っております!!
それには皆さまの支援のお力が、それが何よりの「力」になると思います。どうぞ今後ともよろしくお願い致します!!ありがとうございました。(深く長い礼・大拍手)
*古川了子さんを救う会 http://www012.upp.so-net.ne.jp/Furukawa-Noriko/ *特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/
*子版「aoi blog」にも載っております。 http://aoinomama13.seesaa.net/
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| 4/24 第7回国民大集会 荒木 和博さん |
( 2005.4.24,日 ) |
あおいのママとパパは、日比谷公会堂で行われた「小泉首相の決断を求める国民大集会」に参加いたしました。会場内外合わせて6000人の方々が集結されたということです。皆さま、本当にお疲れさまでした。
当日、日比谷公園に足を運ぶことができなかった皆さま・スタッフとして一生懸命に頑張っていらっしゃった多くのボランティアの皆さま・関係者の皆さま・公会堂内のお話をお聞きできなかった皆さまに、少しでも文字化テキストをお届けすることができましたら、と思っております。
この日の様子の詳しいレポートはしばらくお待ちください。 (いつもすみません!)
電脳補完録さんにも投稿しております。キレイに仕上げてくださっています。そちらの方もご覧になってみてください。 http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3878
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
ご紹介いただきました荒木でございます。本日はこんなにたくさんの皆さま、お集まりいただきましてありがとうございます。後ほど櫻井さんからご紹介があると思いますが、この(会場席)前の列の方には、特定失踪者のご家族の方々多数お見えになっております。
先ほど櫻井さんの方から「野次」についての注意がございました。おそらく「野次」の1つくらい飛ばしたい!と思って来ておられる方もたくさんおられると思いますので、そういう方は私が話している間に「野次」を済ましていただいて(会場笑い)、後の方々の時にはおとなしく聞いていただきたいと思います。
《櫻井よし子さん》 いえ、あのちょっとひと言。元気付ける「野次」は大いに飛ばしましょう!(拍手)
最近あちこちでいろいろと嫌われておりますので、この際、嫌われついでに申していきたいと思いますが、この(会場の)中にもおそらく警察の関係者の方がたくさん来ておられるかと思います。
*北朝鮮、またも調査会を非難 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3659
我々2年間、特定失踪者問題調査会の活動をやってまいりまして、正直申しまして、「この国の国家権力というのが、いかにいいかげんなものであるか!」ということを痛感いたしました。(大拍手)えー、このまま我々もですね、頭にきてやっておりますと、そのうち治安維持法違反で捕まるのではないのか?というようなことまで思っております。(会場笑い)
現場の方々は、本当に血のにじむような思いで一生懸命にやっているんです。しかし法制度が整わない、それ以上にトップの意志が定まらない、現場で「これは拉致ではないのか?」というふうに思って上に挙げても、上で潰されてしまう。何十年間もの間、こんなことが続いてまいりました。こんなことはもちろん、絶対に許されるべきではありません!!(拍手)
しかし、それが何十年間も続いてしまったことによって、おそらく今、誰も恐くて蓋が開けられないのだろう、というふうに思います。蓋を開けてしまえば「一体今までどうしてきたんだ?」と、当然そういうことになります。
私どもも関係官庁も幹部から、我々が今1000番台リストと言って、拉致の可能性が高いと言っている方々と、警察が持っている拉致の可能性が高いというリストの、かなりの部分が一致している、そしてもちろん我々が持っていないところでも、拉致の可能性が高いというふうに認識している数が相当ある、ということを聞いております。
国会の答弁でも、政府はそういう答弁をしております。しかし「それでは15人以上にならないのか?」というふうに聞くと、「今わかっている者は15人」としか答えないわけでございます。
あの2002年9月17日で、4人の方々が追加されてから、それ以降2年半に渡りまして、1人も拉致被害者認定者の追加をされておりません。これだけいろいろなところで、いろいろな機関が動いて、わかっているのにも関わらず、「出さないということは何事か!!」と。
警察は警察でリストがあるでしょう?首相官邸は首相官邸でリストがあるでしょう?しかしそういう理屈がどうであろうと「拉致被害者は拉致被害者」でございます。(大拍手)そして政府はそれを救う義務がございます。(大拍手)
今回、今日もお姉さんがお見えになっておられますけれども、4月13日に、千葉県市原市で昭和48年7月7日に失踪いたしました「古川了子(のりこ)」さんの『拉致認定を求める行政訴訟』を、提訴をしていただきました。法律家の会、そしてご家族、皆さんが大変なご苦労をされますが、この問題は古川さんお1人の問題ではなく、未だ認定をされていない拉致被害者、それは我々の特定失踪者リストにもないすべての拉致被害者の代表ということでございます。(拍手)
*拉致認定求め国提訴 特定失踪者・古川さんの家族 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3838
この訴訟を通じて我々は「政府が今までやってきた判断が、いかにいいかげんなものであったのか!ということを明らかにし、そしてそれを正していきたい!!」というふうに思っています。(大拍手)
先ほどですね、あの、安倍幹事長代理を始めといたしまして、朝日新聞の批判などが大変あったんですが(笑い)、あの、まぁいろいろございますけれども、しかしこの会場の中には朝日新聞の拉致問題の担当で、一生懸命取材をして記事を書いている記者もございます。
それぞれの機関、それぞれの団体、それぞれの会社に、何とかしてこの問題を解決しようと思っている方が、たくさんおられるわけでございます。(拍手)
そして今現在、我々が突き上げなければならないのは、残念ながら今の(拉致被害者)15人という数でさえ、「政府が自ら先頭に立って捜し出して、それを明らかにした数が1つもない」ということでございます。(大拍手)
平成10年の1月に、横田めぐみさんのご家族で、めぐみさんの名前を表に出すか出さないか、というようなことで、大変激しい議論があったというふうに聞いているということは、皆さんもご承知と思います。
* '04 3/10 西村眞悟氏講演会 http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=100&no=8
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (一部引用)
しかしながら質問日当日まで「実名」にするか「匿名」にするか、「少女A」という名前にするか「横田めぐみ」という名前にするか、私はめぐみさんのご両親に判断を委ねて待っていたのでございます。
お父さんが「今まで20年探し、何の手がかりも得られませんでした。実名でやって下さい。かりに「少女A」という名前でやったとしても、工作員があれほど具体的にしゃべっていれば北朝鮮は必ずわかっているはずです。実名もしゃべれない、日本は我々に本気になって喧嘩を売る気はないと思うでしょう。したがって今のうちに厄介者は消してしまおうということになりかねません。実名を出して下さい。めぐみの命がかかっているのはわかっておりますけれども実名を出して下さい。」
これは拉致救出活動の画期的な、親としての苦しい決断をされたわけでございます。
(引用終わり) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あの時、今「家族会」の代表をされております横田滋さんが決断をして、「危険を冒しても名前を出す」というふうに決断をしてくださらなければ、その後「家族会」もおそらくできていないし、そしてこうやって皆さん集まって「拉致問題を解決しよう!!」ということにもなっていないわけでございます。(大拍手)
何とも我々自身が非常に恥ずかしい話です。何で被害者のご家族がそうやって、苦悩の決断をして、それに我々が寄りかからなければいけないのか?ご家族を、この集会は「家族会」の三つの三団体の1つでございますけれども、ご家族が前に立って「経済制裁を訴えなければいけない」というような状況が、私も含めてここにいる皆さん、「国民全体の恥だ!」と思わなければいけないだろうと思います。(大拍手)
この問題を放っておけば、必ずこれから先も被害者が出ます。「拉致問題の解決」というのは、ここにおられる「家族会」の方々がかわいそうだからやるんではない!この人たちをすべて救いださなければ、次は我々の家族がやられるから、やらなければなりません!!(大拍手)
いろいろなこの解決の方法を申しますと、例えば「憲法がじゃまになっている」とかいろんなことを言う方がございます。これは右でも左でも両方ございます。「今の憲法を変えるまではダメだ」とか、「今の憲法を包囲?しなきゃいけないからダメだ」とかいうふうに言うわけですけれども、しかし皆さん、今の憲法を読んでいただければ、第九条を誰がどう解釈しても「軍隊を持ってはいけない!!」ことになっております。
しかし実際には、この国には現役予備役合わせて30万人の軍隊が厳然として存在をしております。(拍手)それをもし無くそうとすれば、国民から大変な反発が起きるわけでございます。ちなみに言えば、私もその憲法違反の1人でございます。(会場から笑い)
ですから問題は「何が必要なのか?」「何をしなければいけないのか?」という本質を考えることであって、「目先のことにとらわれているべきではない!」というふうに思います。(大拍手)そしてそれを我々自身が本当に認識することができた時に、この拉致問題というのは絶対にあっという間に解決いたします。
人口1億2千万を超え、37万平方キロの国土と、そして世界第2位の経済力を持ち、優秀な国民を持っているこの国が、自国の国民さえ飢えて殺していくようなあんな体制に負けているはずがありません!!(大拍手)
我々は、この1月に発表いたしました、今日もご家族が見えておりますけれども「斉藤裕」さん、そして「松本京子」さんに似た写真、ということで出しまして、残念ながらそれが本人のものではない、ということがわかりました。
*翻弄される特定失踪者家族 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3581
関係したマスコミの方、あるいは東京歯科大学の橋本先生等々大変ご迷惑をおかけし、また、ご家族には大変なご負担をおかけしたことを、大変申し訳なく思っております。がしかし、その間違いを恐れていったならば、この問題の解決なんかできるはずがございません!!(大拍手)我々はこれからもどんなことがあっても情報を集め、明らかにして全体を動かしてまいります。
そして最後に、この問題をやっている間についこの間(2/7)、今日もご家族がお見えですけれども、99歳で「生島孝子」さんのお母さん、生島うらさんが、お亡くなりになりました。私ども、それぞれの役員がご家族と会っているわけでございますけれども、その中でお亡くなりになってしまった方がもう何人もおられます。時間の余裕はございません!!
*特定失踪者・生島孝子さんのお母さん、死去 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3628 *'05 3/13 TBS「報道特集」 『時間がない』 http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=0&no=112
ここで、ここにおられる方の前でお誓いをすれば、私も逃げ場がなくなるので申し上げておきたい!
来年の末までに今、我々のリストにもない人まで含めてすべての拉致被害者を救出してみせる!絶対に!!(大拍手)これができなければ私もそれなりの責任をとるつもりでおります!!
合わせて、ここにお出での国会議員の皆さんも、一番先頭に立ってやってくださっている方々ですから、そういう方々にこういうことを言うのは申し訳ありませんが、もしいつまで経っても取り返せないのであれば「自らのバッジを外す」という覚悟でやっていただきたい!!(大拍手)
改めて申し上げます。もちろんそれが成功しても私の手柄ではございません。みんなでやったことなんですけれども、私はその時の責任を胸にしてこれからもやってまいりたい!調査会一同そのつもりで頑張ります!!どうかよろしくお願い申し上げます!!!ありがとうございました。(大拍手)
*特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/ *特定失踪者問題関連記事 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei.php *'04 11/21 第14回大宮講演会 荒木和博さん こちらからどうぞ
http://aoinomama13.seesaa.net/
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| 皆さまへ |
( 2005.4.23,土 ) |
*写真は、あおいのママの田舎です。伊豆大島が写っています。
aoinomama13のHPを見てくださっている皆さま、いつもありがとうございます。
この度、HPの子版のブログを開設することになりました。いままでの日記やレポートなどを掲載する予定です。また、HPのレポート集ももう一度まとめ直す予定です。
皆さま、これからもどうぞよろしくお願い致します。
『aoi blog』 http://aoinomama13.seesaa.net/
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| 特定失踪者ご家族のblog |
( 2005.4.20,水 ) |
特定失踪者「高野清文」さんの妹さんの高野美幸さんが、この度blogを始められました。
あおいのママとパパは、美幸さんとはちょうど1年前、大宮の講演会で初めてお会いして、それから現在までお付き合いさせていただいております。
お兄さんが失踪した神津島のある伊豆七島を、私は生まれた時からずっと見て育ってきました。(ママは伊豆出身です)昭和51年7月30日、あの日も海を見ていたはずです。
高野さんのお母さんは、毎日わが子の生存と再会を祈りながら願いながら、アクリルの「エコロジーたわし」を編んでいます。それはとてもかわいくて、使うのがもったいないほどです。私もいくつかいただきまして、いつも講演会の時は胸に着けて参加しております。
このアクリルの「エコロジーたわし」を集会などで、美幸さんと販売しています。収益金は特定失踪者問題調査会とSSQ(高野清文、失踪の真相を究明する会の略称)に寄付しております。
お母さんが編んだいろいろな種類の「エコロジーたわし」、その中に「でんでん太鼓」があります。どんなに切ない思いで編んでいるのでしょうか。わが子を思う気持ち、私はそれを見る度に泣きたくなります。
これからも私たちは、お母さんからいただいた気持ちを大切にしていきたいと思っております。美幸さん、どうぞ無理なく続けていってください。ご家族の声を多くの皆さんに届けてください。応援しております。
*KONAboration-SSQ http://konaboration-ssq.seesaa.net/
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| 4/17 第15回大宮講演会 特定失踪者ご家族の訴え(1) |
( 2005.4.19,火 ) |
*(1)〜(3)あります。下に続きます。
*写真は特定失踪者「佐々木悦子」さんのお母さんです。
あおいのパパとママは、埼玉県大宮市で行われた『拉致問題を通して日本のあり方を考える第4弾』 〜忘れてはいけない!特定失踪者問題〜 にボランティアとして参加させていただきました。講演会の参加者は約150人くらいだったと思います。ご参加くださいました皆さま、ご家族の皆さま、スタッフの皆さま、本当にお疲れさまでした。
先週(4/10)行われた神奈川県藤沢市の集会の時にも使っていただいた「ブルーリボンの幟」3枚を、今回も主催の「日本再生フォーラム」さんのご厚意により、正面と後方の特定失踪者ブースに貼らせていただきました。ありがとうございました。(この幟は、関西でボランティアをされているMさんのお手製のものです。早期解決の願いをこめて送ってくださいました。)
*拉致問題協力呼び掛け さいたま 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3853
詳しいレポートはしばらくお待ちください。(いつも遅くなってしまい本当にすみません!)
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
《進行・高野美幸さん》
どうも皆さん、こんにちは。特定失踪者「高野清文」の妹の高野美幸でございます。今日は私の話をする前に、本来であればここに特定失踪者「藤田進」さんの弟さんの藤田隆司さんがいらっしゃるはずだったのですが、諸事情がございまして、今日はいらっしゃらないということで、私が代行というようなかたちで進行させていただきます。
*特定失踪者「藤田 進」さん 昭和51(1976)年2月7日失踪 「拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト」 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei.php
今日、こちらの会場に特定失踪者のご家族の方が何名かいらっしゃっておりますので、皆さんの紹介をさせていただきます。簡単に失踪等の状況などお話していただければと思います。
まず、特定失踪者「佐々木悦子」さんのお母さん、よろしくお願いします。
◆特定失踪者「佐々木悦子」(ささきえつこ)さんのお母さん◆
特定失踪者「佐々木悦子」の母アイ子と申します。いつもお世話になっております。
平成3年4月22日月曜日、埼玉県のパート勤務のため、朝出たまま未だに日本での行方はわかりません。私もいろいろと、無神論者なんですけれども、拝み屋さんとか占いとか、たくさん行っていろいろとあの、がっかりしたこともあります。警察もダメ、そういうところもダメ、テレビでその頃「バラ色の人生」っていう番組がありまして、そこに娘の写真を持って捜しましたけれど、それも何一つ情報はありませんでした。
それで主人も娘の失踪後、5年後体調を崩して、残念ながら亡くなってしまったんです。それからというもの私、本当に娘のことばかり頭にあって、新聞・ニュースなどで「女性の死亡」とか、身長・体重・血液型なんていうのを、年中そんなことばかり頭にあって、「ああ、家の娘じゃなくてよかった」という安堵の気持ちと、「ああ、この方のご家族はどんな気持ちでいるのだろう」という、そういう暗い暗い毎日の中で、蓮池さん・地村さん・曽我さんが(北朝鮮から)お帰りになった時に、もう最後の頼みと思って、特定失踪者問題調査会の方に電話でお願いしまして、現在に至っております。
一日も早く、この北朝鮮の拉致問題が解決して、娘に会えるまでは、私は(亡くなった)主人のためにも、主人の分まで頑張って生き抜いて、娘に会うまで頑張りたいと思います。皆さまのご支援どうぞよろしくお願い致します。(大拍手)
*特定失踪者「佐々木 悦子」さん 平成3(1991)年4月22日失踪 「拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト」 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei.php
《進行・高野美幸さん》 佐々木さん、ありがとうございました。えー、ちょっと紹介が遅れましたけれども、皆さまのチラシ(事前に配られた)の中に「消えた川口の6人」というのがございます。こちらを参照にしていただけたらと思います。
*消えた川口の特定失踪者5人 緑風香Weblogより http://trycomp.net/green/index.php?day=20040719
同じ川口で関連のある特定失踪者「鈴木賢」さんのお兄さんがいらっしゃっております。ひと言、よろしくお願い致します。
◆特定失踪者「鈴木賢」(すずきまさる)さんのお兄さん◆
初めまして。特定失踪者「鈴木賢」の兄でございます。
現在、ご紹介がありましたようにですね、「拉致問題を考える川口の会」というところで、特定失踪者「藤田進さん」の弟さんの隆司さんのもとで、拉致被害者「田口八重子さん」のご家族と共に、街頭での署名運動、パンフレット・チラシ等の配布、抗議集会、あるいは陳情ということでもって、拉致被害者の救出に向けて、たいしたことはできませんけれども、ささやかですけれども、精一杯一生懸命今頑張っております。
それでですね、先ほどお話をうかがったので、自分自身ということよりも、むしろ日本の国民の1人として考えますと、特にですね、昨年の12月6日、横田めぐみさんの遺骨が北朝鮮から偽物を渡された、という確固たる事実に対してですね、日本のトップがよく精査して「対話と圧力」という言葉に私は耳を疑いました。
こんなことがあっていいのでしょうか?いつまで待てばいいのでしょうか?私どもは少なくても国のトップとしては、北朝鮮の金正日に言い返して欲しかった。「これは何事か!!」と。「日本の国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」と。日本は被害国であって、加害国に対して、交渉も話し合いも見返りも用意するものではありませんよ!!
こういうことでは、今の状況では、5人のご家族と拉致認定されていらっしゃる方々、それ以降については「拉致問題については棚上げ」というような、トップ同士の密約があってのことではないのか?と考えざるを得ません!!(拍手)
少なくともですね、北朝鮮の金正日に対して圧力を示し続けることによって、日本の国民は、あるいは私ども拉致被害者家族・特定失踪者家族もですね、国もトップを信頼し、少なくとも国のトップが「こういうことだ」と、「これだけのことをやったんだ」と、だったら私たちもトップを信頼して、国民として心を一つにして、「闘おうではないか!」というふうな思いになったのではないか?と考えますと非常に残念です。
それとですね、もう一つ、今の状況の中では拉致事件の解決に向けて、国民にですね、再度方向付けを、国のトップから示してほしい、というふうに考えます。皆さま、今日はありがとうございました。(大拍手)
*特定失踪者「鈴木 賢」さん 昭和47(1972)年5月28日失踪 調査会リスト http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm
《進行・高野美幸さん》 鈴木さん、ありがとうございました。それでは特定失踪者「佐々木正和」さんのお母さんにひと言よろしくお願いします。正和さんの弟さんと奥さまも(赤ちゃんも)会場にいらっしゃっております。
◆特定失踪者「佐々木正和」(ささきまさかず)さんのお母さん◆
皆さま、こんにちは。いつもお世話になっております。特定失踪者「佐々木正和」の母でございます。
宮原のアパートに住んでおりまして、昭和62(1987)年11月末にいなくなりましたので、大家さんから聞きましたところ、「ちょっとお使いに出て来るから」と、小さいかばんを持って出たその日から、もう帰って来なくなったんです。それで警察に届けたりしましたけれども、そのままで、全然行方がわかりません。どうか皆さん、よろしくお願い致します。(大拍手)
*特定失踪者「佐々木 正和」さん 昭和62(1987)年11月末失踪 調査会リスト http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm
《進行・高野美幸さん》 佐々木さん、ありがとうございました。特定失踪者「江原信明」さんのお姉さん、よろしくお願いします。
◆特定失踪者「江原信明」(えばらのぶあき)さんのお姉さん◆
こんにちは。特定失踪者の「江原信明」の姉です。
もう、丸16年経ちました。母も亡くなりまして、今、病気と闘いながら父が1人で、家で弟の帰りを待っております。ここに参加させていただきまして、「皆さんが、こんなに関心を持ってくださっているんだ!」って、「支えられているんだ!」って、すごく今日は励みになりました。
これからも、皆さまに支えられて頑張っていきたいと思います。どうかよろしくお願い致します。(大拍手)
*特定失踪者「江原 信明」さん 昭和63(1988)年5月9日失踪 調査会リスト http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm
《進行・高野美幸さん》 江原さん、ありがとうございました。それではあとお二方、1000番台の方です。拉致の可能性が濃厚とのことで、特定失踪者問題調査会の方から指摘を受けております。まず、特定失踪者「生島孝子」さんのお姉さん、ごあいさつをよろしくお願い致します。
◆特定失踪者「生島孝子」(いくしまたかこ)さんのお姉さん◆
皆さま、こんにちは。
私は埼玉ではなくて東京に住んでいるのですが、日頃から川口の皆さまの団結を感じておりましたので、たまたま2月7日に母が99歳で亡くなりまして、こういった集会に出られるようになりました。
私は特定失踪者「生島孝子」の姉です。今日、ちょっと見せていただきたくてうかがいました。妹孝子は、昭和47年に東京でいなくなりました。埼玉県外ではありますが、皆さまどうぞよろしくお願い申し上げます。(大拍手)
*特定失踪者「生島 孝子」さん 昭和47(1972)年11月1日失踪 「拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト」 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei.php *特定失踪者・生島孝子さんのお母さん、死去 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3628 *3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』続々 http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3797
《進行・高野美幸さん》 生島さん、ありがとうございました。それでは特定失踪者「大澤孝司」さんのお兄さんには壇上の方でしばらくお話、よろしくお願い致します。
(2)へ続く↓↓↓
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| 4/17 第15回大宮講演会 特定失踪者ご家族の訴え(2) |
( 2005.4.18,月 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(1)の続き
◆特定失踪者「大澤孝司」(おおさわたかし)さんの次兄大澤茂樹さん◆
ただ今紹介にあずかりました、私、昭和49年2月24日に新潟県佐渡島で拉致された疑いが濃厚な特定失踪者「大澤孝司」の兄でございます。
今日は、神奈川県横浜市の方から出席させていただきました。貴重な時間を5分ほどいただいておりますので、私の訴えをさせていただきます。
特定失踪者問題調査会の荒木先生が、平成15年1月10日に調査会を設立し、それと同時に弟孝司の調査を先生にお願いし、調査していただきました。その結果、荒木先生は、弟孝司は北朝鮮に拉致された以外に佐渡島から失踪する理由は何一つないということで、拉致の可能性が濃厚な1000番台リストに載せていただくこととなりました。
その後昨年の1月29日、その当時1000番台リストは16名の方しかいませんでしたが(現在33人です)、その1000番台リスト16名が、法律家の会の弁護士の先生方のご協力で、拉致されたと思われる各都道府県の県警本部に、被疑者不詳のまま「国外輸送目的誘拐容疑」として県警本部に告発状を提出、またそれと同時に、弁護士の先生方から日弁連の人権擁護委員会に「人権救済を求める手続き」をしていただき、ようやく先月(3月)29日、日弁連の方から内閣府・外務省、それに警察庁それぞれの各政府機関に、人権救済を求める訴えをしていただきまして、ここにきて一歩前進したかなという気が少し致します。
*日弁連の要望書 北朝鮮拉致疑惑人権救済申立事件 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3794
しかし、私たち拉致被害者及び特定失踪者の家族は年々高齢化し、私の父親も今95歳で、もう先がありません!一刻も早くこの拉致問題を解決していただかなければ時間がもうございません!!
小泉首相は何回北朝鮮から馬鹿にされ、デタラメを言われて、侮辱されれば気が済むのでしょうか?このような自国民を救出できないような外交では、今に世界中の笑い者になると私は思います。(拍手)笑い者になる前に、今拉致されている日本人を「1人残らず奪還」していただきたく、それにはもう話し合っても、あの国とは話し合いはつきません!!
先ほど増元さんがおっしゃっておりましたように、私には詳しいことはわかりませんが、一刻も早く小泉首相から「経済制裁を発動」していただき、金正日体制を崩壊させなければ、私は拉致問題の完全解決はありえないと思っております。
どうか皆さん、もう一回私どもにお力を貸していただき、日本政府に、北朝鮮政府じゃなくまず日本政府に圧力をかけていただき、この拉致問題を一刻も早く解決したく、更なる皆さま方にお力をお願いし、はなはだ恐縮ではございますが、私の訴えとさせていただきます。今後ともよろしくお願い致します。(大拍手)
*特定失踪者「大澤 孝司」さん 昭和49(1974)年2月24日失踪 「拉致の疑いが濃厚とされる特定失踪者のリスト」 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei.php *特定失踪者「大澤 孝司」さん http://trycomp.oc.to/jokyo/12.html *大澤孝司さんと再会を果たす会 http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/ *3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3755 * 4/10 第10回藤沢市民集会 大澤茂樹さんの訴え http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3831
《進行・高野美幸さん》 大澤さん、お話ありがとうございました。
こういった通りですね、特定失踪者問題調査会の方に今、430人からの方が申告をされて、調査会で調べておりますが、後ろの方にポスターが2枚貼ってあります。黄色い方のポスターがつい最近作っていただいたポスターで、こちらの方に拉致被害者「田口八重子」さんや「増元るみ子」さんたちが一緒に入った状態で載っております。
どういった時期に、どのような方々がいなくなっているのか?今はいなくなっているとしか言いようがないんですけれども、私の兄に関しては1000番台になっておりません。ここにいらっしゃる特定失踪者のご家族の方々も、「拉致かどうか?」さえも誰もわからず、誰も拉致かどうかの判定も下してもらえないという、非常に心苦しい状況の中で活動をしております。
一人一人の方、家族がいろいろな事情があるということを、この大宮の一会場だけでもこれだけの特定失踪者のご家族が集まるという事実を、皆さんのこころに強く受け止めていただいて、来週(4/24)に国民大集会がありますが、特定失踪者のご家族が大勢集まると思いますので、その中にこちらで見知った方々が映像に映ることもあるかもしれません。皆さんがそれらを見て、さらに身近に感じていただけたらと思っております。
*特定失踪者問題関連記事 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/tokutei.php
(3)に続く↓↓↓
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| 4/17 第15回大宮講演会 特定失踪者ご家族の訴え(3) |
( 2005.4.17,日 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
(2)の続き
◆特定失踪者「高野清文」(たかのきよふみ)さんの妹高野美幸さん◆
それでは、私の兄の話を少しだけさせていただきます。お手元に配られましたチラシに少し載っておりますが、詳しい資料が後ろの方にございますので、よろしかったらお持ち帰りください。
私の兄「高野清文」は1976年7月30日、私が5歳の時に、電気通信大学の2年生で、伊豆七島の神津島に出かけて行方不明になりました。当時19歳でした。出身は長野県です。
この写真を見るとわかると思うんですけど、「もしかして子どもかな?」って思うほど、私はかわいがってもらいました。(美幸さんとお兄さんは14歳年が離れています)「親が3人いるんじゃないか?」と思われるほどでした。(兄妹2人の写真を見せる)
両親が、兄がいなくなったということで、奔走して、長野県から遠い神津島へ、伊豆下田から船で何度も行っておりました。私も何度か行っております。こうして精神的にも金銭的にも力をこめて一生懸命に捜しましたが、何一つ手がかりとなるものは見つかりませんでした。母親がよく、「こんな悲しい思いは他の誰にもしてほしくない」と言っておりましたけれども、まぁこの問題は今現在、我が家と同じように、「家族がどうなってしまったのかわからない」と、プレッシャーに感じていらっしゃる方が、何百人という単位でいらっしゃるということがわかり、母は大変心を痛めております。
小泉総理の訪朝の際に、日本の方で「名前のわからない方が、1人帰っていらっしゃる」ということで、テレビを見ながら「兄の名前を言ってほしい」と祈りながら見ておりました。
太平洋側の島から、まさか拉致だなんて、それまで考えもしませんでした。母親だけが横田さんのニュースを見るたびに、「もしかして、わが子もこうして北朝鮮に連れていかれたのではないのだろうか?」というようなことを言ってはいましたけれども、まさかと思っておりました。
その時私も「曽我ひとみさん」の名前が出てくるまでは、テレビの前で本当に祈っておりました。まぁ、兄ではないことが明らかになったんですけれども、ただ「拉致された可能性があるのではないのだろうか?」ということで、特定失踪者問題調査会の方に連絡をとり、届出をしました。
今ですね、こうして活動をしてまいりますと、先ほどもお話がありましたように(質疑応答で)、皆さんが「何かできることはありませんか?」とおっしゃってくださいます。
横田さんのお母さんが、心労でお体の調子が悪いとお聞きしました。そして藤田隆司さん(「藤田進さん」の弟さん)も具合が悪いとお聞きしました。先ほども「生島孝子さん」のお姉さんのお話がありましたが、孝子さんのお母さんは、「曽我ひとみさん」のお父さんがお亡くなりになった同じ日に(2月7日)、残念ながらお亡くなりになってしまいました。
そういうわけでして、無理をしては何にもならないと思っております。私が何故このような活動を続けているのかといいますと、私の両親にそんなに無理をさせられないということで、両親には1秒でも長く生き抜いてもらって、1パーセントでも多く、兄と再会してもらう確率を多く保ってもらいたい、という気持ちがありまして、私がなるべく表に出るようにしております。
皆さんに「何かご協力していただく」ということに関しましては、皆さんそれぞれ得意分野があると思います。例えばいい例がございまして、裁縫の得意な関西の支援者の方がいらっしゃいます。この会場正面の、私の後ろに日本の国旗を挟んで右と左にあるこのブルーリボンの幟と、あと後ろの特定失踪者のブースに貼ってあります同じ幟は、その関西の支援者の方が作って、私たちの協力者である支援者の方に送ってくださいまして、こういった集会などの会場で使わせていただいております。(Mさんの手作りの幟です)皆さんが胸に着けているブルーリボンと同じように、こういうところが何かの場面で報道されたりした時に、このブルーリボンの幟が非常に重要な役目をしてくれるのではないかなと思っております。
*対北朝鮮戦 埼玉スタジアム 電脳補完録さんより (この幟を持って観戦しました) http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3632 *4/10 第10回藤沢市民集会での様子 (写真は元・外務事務官の砂川昌順さん) http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/data/2005_04/0413.jpg
それから先ほどヤフー掲示板のトピックスのお話がありましたけれども、(質疑応答で)「拉致問題のトピックスがない」とおっしゃっておりましたが、「万景峰号」(実際は「日本のあるべき外交・安保について」)というトピがありまして、そちらの方では小泉首相の訪朝からだと思いますが、いろいろな拉致の問題であるとか、そういったものがトピになっております。
今日私が皆さんのお手元にあります歌詞を持ってきておりますが(美幸さん作詞)、それらも、協力者の方がその掲示板に載せてくださっている、というようなお話も聞いております。
そういったかたちで、パソコンが得意な方は、何かを発信されている方もいらっしゃいますし、いろいろなやり方があると思います。(美幸さんは講演で「万景峰号」トピとお話されましたが、実際は「日本のあるべき外交・安保について」トピの間違いで、ご本人から「文字化をする際は訂正してください」との連絡がありました)
私も1つやっていることがあります。母親はわが子がいなくなった時にですね、何かをやめると、好きなものを食べないようにすると願いがかなう、という「何とか断ち?」というのがあったようなんですが、家の母親は飴が大好きだったんですが、「飴断ち」をしまして15年くらいかな、食べていなかったです。
まぁ、最近は諦めて食べてはいるんですが、私はこの拉致問題が明らかになってからは、私は成人してから「ウニ」が好きなんですが、「ウニ断ち」を始めました。まぁ、そういうことでもいいと思うんですね。気持ちがあれば。
それで今この場でできることはですね、後ろの方で署名活動をしております。もうされている方もいらっしゃるとは思いますが、私の兄の署名と、それから特定失踪者「山本美保」さんの署名、「山本美保」さんは山梨県甲府市で行方がわからなくなっておりまして、拉致が濃厚な1000番台の方なんですけれども、その両方の署名活動を行っております。署名にご協力いただければと思っております。
*美保さんの家族を支援する会 http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/
それと特定失踪者問題調査会のポスターも、今日はちょっと数は少ないのですが販売しておりますので、入用の方はお声をかけてください。
あとですね、私は5月に兄のことを調べに伊豆七島の神津島に行くことになっているのですが、そちらの費用等に当てさせていただきたく、これは家の母親が、わが子の生存と再会を祈りながら家で編んでいる「アクリルのエコロジーたわし」なんですが、これには意味がありまして、人のこころの「ハート」ですとか、日本人に頑張ってほしいからと「日の丸」であるとか、それから子どもをあやす「でんでん太鼓」などをかたどっています。その他にもいろいろとございますが、裏の方に説明が書いてございますので、お帰りの時にでもご覧になっていただけたらと思っております。
こういったことで調査会へのカンパ等を、420人以上抱えてわずかな人数で調査をしておりますので、本当に申し訳ございませんが、ご協力の気持ちを届けていただけたらと思っております。
*特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/
そういったことで皆さん、得意なことで、できることで、ちょっとずつ、無理なことをなさらずに、この問題を解決するために、一刻も早くと思ってはいるのですが、長くかかるかもしれませんので、そういったかたちでご協力いただければと思っております。
私は自分でできることの1つとして、歌を作りました。皆さんのお手元にある資料の中にありますが「蒼明」(そうめい)というタイトルです。こちらの方の内容等を説明する時間がもうありませんので、割愛させていただきます。この歌詩の中に、今日私がお話した内容であるとか、話せなかった内容の意味が込められています。またどこかでお話する機会があった時に内容等をお話させていただきたいと思います。
先ほど休憩時間が始まる前に、オルゴールの曲が流れていましたが、あの曲の詩がこれになりまして、これから広めていきたいなと思っておりますので、どこかでお聴きになる機会がありましたら、お心にとめていただけたらうれしく思います。
それではこれで私のお話を終わらせていただきます。これからも拉致問題、特定失踪者問題、北朝鮮問題の解決のために、ご協力をよろしくお願い致します。皆さま、ありがとうございました。(大拍手)
*特定失踪者「高野 清文」さん 昭和51(1976)年7月30日失踪 調査会リスト http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm *特定失踪者「高野 清文」さん 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com/takano/ *大町ルート 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html *4/10 第10回藤沢市民集会 高野美幸さんの訴え http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3839
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| 4/10 第10回藤沢市民集会 砂川昌順さん |
( 2005.4.13,水 ) |
*元・外務事務官・駐バーレーン日本大使館員(講演で「クウェート」と訂正されました)、株式会社デプロ・代表取締役
*撮影したビデオカメラから文字化しました。 (・・・は聞き取り不能)
えー、あの、花粉症の薬を飲んでいる関係で、ちょっと唇が乾いて水を飲まないと口が開かないんで、ちょっと失礼していただきます。それで、講演の前に1点修正させてください。先ほどご紹介いただきましたバーレーン大使という役職ではなくなったので・・・当時は、バーレーン大使館はクウェート大使館の方で管轄していただきましておりました。・・・(あとは聞き取れず)
それでは初めまして。砂川と申します。どうぞよろしくお願い致します。(拍手)今日はこうしてあの、皆さまの前でお話をさせていただく機会を与えられましたことを、大変光栄に存じ、深く感謝申し上げます。どうもありがとうございます。
昨年の11月15日早朝、私は新潟の海岸に向かいました。28年前のこの日、横田めぐみさんが拉致をされたその新潟の海を、どうしても東京に戻って来る前に見ようと思いまして、車で出かけました。横田さんご夫妻が「めぐみちゃーん!めぐみちゃーん!!」と声を張り上げながら捜し回ったであろう海岸に立って、私たちがこれからしていかなければならない責務というものを、自分自身でも考えてみようと思っておりました。
今日私は「3つのこと」を胸に、こちらに参りました。「3つのことをお伝えできれば」という思いです。
1つ目は、お詫びの気持ちを申し上げたい、という思いです。 2つ目は、感謝の気持ちをお伝えできれば、という思いです。 そして3つ目は、私たちがこれからしていかなければならない責務について、お話できれば、お話させてもらえれば、という思いです。
長年多くの日本人が、拉致問題に正面から向き合おうとしてきませんでした。多くの人たちが拉致を疑惑として、その疑惑を「ひょっとしたら、事実とは違うんじゃないか?」というように考えて、認めようとしなかった過去があったと思います。それは政府も、マスコミも、そして一部の有識者も、そういうふうな「疑惑の目」を向けてきたのではないかと思います。
この拉致被害者ご家族の声に、耳を傾けなかった我々の責任は大きいのではないか?とそう思っております。その事実を事実として「見誤ってしまったなぁ」という思いもあります。
私が出しましたこの「極秘指令」という本は、1987年11月に発生した「大韓航空機爆破事件」の犯人である蜂谷新一こと「金勝一」(キム・スンイル)、蜂谷真由美こと「金賢姫」(キム・ヒョンヒ)の2人を拘束した経緯をまとめたものです。私がこの本で訴えたかったのは、「事実を事実として、見誤ってはいけないのではないのか?」ということを、少しでもお伝えできれば、という思いで出版しました。
*極秘指令~金賢姫拘束の真相 砂川 昌順 (著) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140808152/kaoru-22/ref%3Dnosim/249-3281338-9708350
1987年12月15日のテレビ報道をご覧になった方も多いと思います。韓国の空港に着いた飛行機から、自殺防止用のマスクを口に取り付けられて、両脇を抱えられてタラップから降ろされる「金賢姫」(キム・ヒョンヒ)の姿を覚えておられる方もいるかと思います。
あのシーン、この世の中に「諜報」「工作活動」というものが存在するんだ!ということを、皆さんも少しは理解し始めた瞬間だったのではないでしょうか?ただそのシーンの裏には、このことを突き止められなかった日本政府の不甲斐なさ、「金賢姫」(キム・ヒョンヒ)を取り調べることなく、韓国側に引渡してしまった日本政府のいわゆる弱腰外交、それが言えるのではないのかなと思っております。
「大韓航空機爆破事件」は115名という尊い人命を失った、尊い人命が失なわれた、単なるテロ事件でないことは皆さんもよく記憶されていることと思います。その事件の裏には、我々が真剣に考えなければならない重大な問題があります。日本国のパスポートが偽造され、日本人化教育された工作員がいて、日本が陥れられようとした重大な問題があります。
日本の国益が大きくそこで失われました。日本人に偽装させるために、日本人化教育に利用された、あるいは北朝鮮によって、その「日本の情報収集の一端を担わされている拉致被害者がいる」ということを突き止められなかった日本政府の、日本の体制そのものにも問題があります。
さて、ここで少し突っ込んでお話をさせていただきます。私は1989年8月に在バーレーン日本国大使館の勤務を終え、9月に休暇をとりヨーロッパに向いました。基本的には3つの目的を持っておりました。具体的には、当時のソ連のモスクワ・オーストリアのウィーン・東西ドイツのベルリンに向いました。
3つの目的というのは、1つは、北朝鮮大使館側とオーストリアの北朝鮮大使館において、「大韓航空機爆破事件」を始めとする国家犯罪に、北朝鮮が大韓航空機を爆破したと、国際社会では判断していることに対して、北朝鮮がどう考えているのか?それを問い質してみる、という目的がありました。
当然ながら、「金賢姫」(キム・ヒョンヒ)を始めとする工作員に対する日本人化教育、偽造旅券の作成、その真偽を問い質してみる、さらには対日工作活動の全容を調べるために、自分自身で手段を問わず、北朝鮮に入国できるかどうか?の可能性を見いだすための目的もありました。
2つ目及び3つ目の目的は、今日の集会の趣旨とは直接は関係ありませんので、詳細については割愛しますが、簡単に申し上げますと、当時、東西ドイツ・ベルリンの壁の崩壊情報、東側社会の崩壊情報を、当時のソ連国家保安委員会、いわゆるKGBと言われているメンバー等に、その情報の信憑性を確認するという目的がありました。
ウィーンでは北朝鮮側と、オーストリアの北朝鮮大使館側と話し合いを持ちました。先方は参事官以下、書記官も含め計5名と対談を持ちました。私が「金勝一」(キム・スンイル)「金賢姫」(キム・ヒョンヒ)を拘束した当事者であるということで、相手も懐疑心・動揺を示しておりましたけれども、私が「北朝鮮が大韓航空機858便を爆破したのか?」というストレートな問いに対して、彼らは一貫して「南が悪い!南のせいだ!!」と返答してきておりました。
私の予想としましては、私のストレートな質問に対して、彼らもストレートに「何を馬鹿なことを言っているんだ?北朝鮮がする訳がないだろう!!」と返答してくるのかと思っていましたが、彼らは「すべて南のせいだ!南が悪い!!」という他者に責任転嫁するかのような、曖昧模糊と言いますか、議論をかみ合わせまいとする返答に固執しておりました。
私は、言葉や表現を変え、同様の質問を幾度となく行いましたが、彼らは反論するわけでもなく、かみ合わない返答を続けておりました。当然ながら、北朝鮮が大韓航空機858便を爆破したという明確な否定もなく、当然ながら、それを認める返事も彼らはしませんでした。
また、「金勝一」(キム・スンイル)「金賢姫」(キム・ヒョンヒ)の身元についても問い質してみました。さらに、彼らが日本語を話し、日本人化教育を受けていることに対する背景、旅券を国ぐるみで偽造していることの真偽も聞いてみました。しかし彼らは「この2人が誰だか知らない。彼らは南の工作員であり、南のせいだ!すべて南の策略だ!北にも南にも日本語を話せる人たちは大勢いる。日本人化教育などは、かつての日本がやったことだ。偽造旅券のことなども知らない。どうしてどの部分で偽造だということがわかったのだ?」というような返答を続けておりました。
また、バーレーン空港での私と「金勝一」(キム・スンイル)「金賢姫」(キム・ヒョンヒ)のやり取り、彼らの自殺現場を録音したマイクロカセットテープをそこで再生し、彼らの反応も窺った(うかがった)のですが、彼らは動揺を見せたものの、ただ単に、しらを切るかのように無関係を装いながら、「南のせいだ!あくまでも南の策略だ!!」と言い続けておりました。
さらに「ここ数年ヨーロッパから、複数の日本人が北朝鮮に渡っているということを聞いているが、その人たちが何のために北朝鮮に渡っているんだ?単なる旅行とは思えないが?」という質問を致しました。彼らは、「北朝鮮にはチュチェ思想がある。北朝鮮に渡っている日本人は、そのチュチェ思想を勉強しているようだ。」と答えてきました。
日本人がヨーロッパから北朝鮮に渡っている、ということに対して、つまり私が「渡っているということを聞いているのか?」ということに対して、否定をしませんでした。何故「チュチェ思想を勉強しているようだ」とそこで即答できたのか?ということに対しても疑義が残るところです。
そこで私は「チュチェ思想なるものを私自身も勉強したい。ついては、私自身を北朝鮮に連れて行ってもらえないだろうか?」日本の外務省職員が北朝鮮に入国したということは、彼らにとって都合のいい話ではないのか?彼らが「(日本の)外務省職員が北朝鮮に亡命した」という、うまい理由、説明をつけて国際社会に発表すれば、北朝鮮のためにもいい話ではないのか?という交渉を行ないました。
北朝鮮は、国家犯罪を犯し、日本の国益を脅かし、平気で偽証する、そういう北朝鮮という国の実態を私自身「この目で、北朝鮮国内において確認しなければ」という思いがありました。
北朝鮮のその日の対応は、「即答はできない。本国にその旨を伝え、本国の決済・返答を受ける必要があるので、3日間待ってくれ。」ということで、その日の会議は終わりました。それから3日後、私は再度北朝鮮大使館を訪ね、話し合いを持ちました。本国からの返答は「日本の外務省職員を、オーストリアから直接に入国させることは認めない。」という返答でした。
「ただし可能性としては、いったん日本に帰国し、朝鮮総連の誰某とコンタクトを取り、日本の朝鮮総連から北朝鮮本国に対して要望を出せば、高い確率であなたは北朝鮮に行ける。」という返答でした。
「すでにヨーロッパからも、複数の日本人が北朝鮮に渡っている」との情報は出ていましたけれども、それがその日本人自らの意思なのか?それとも意思に反して北朝鮮に渡らざるをえなかったのか?ということまでの情報は、私もつかんでおりませんでした。
私がこの種の情報を得たのは、他国の情報機関、そのエージェントからでした。日本政府はこれに類する情報は何も持っていなかったと思います。私が知る限り、この種の情報を日本政府が持っていた、ということは聞いておりませんし、記録も残っていないと思います。言いかえれば、日本政府にはこういう情報収集する方針や体制がないと、なかったということです。
当時すでに拉致問題があることは、一部の有識者の中ではささやかれておりましたが、日本政府を始めとするマスコミ・行政や国民の目は、冒頭に申し上げました通り、冷たかったのではないかと思っております。
とりわけ日本国内での拉致は、拉致被害者本人及びその家族の尊厳を傷つけるばかりではなく、日本国民の安全を脅かし、主権を侵し、人権を蹂躙するものだと思います。
日本が当時から諜報に対する意識を持ち、国家として総合的な安全保障体制を整えていれば、あるレベルでの拉致の防止やその後の対策が、当時から作られていたのではないか?と思うと、私自身、当時一公務員として働かせていただいた私自身、国民に対し、そして拉致被害者、そのご家族の方々に対し、お詫びを申し上げたいという気持ちでいっぱいです。
1990年3月、私は外務省を辞職致しました。情報というものに対する日本政府の姿勢に愛想がついた、というのも要因の1つですが、当時は日本国の公務員が「公務を離れたプライベートの立場である」といかように主張したとしても、ソ連の諜報機関の関係者や、北朝鮮大使館側、いわゆる北朝鮮の公務員と接触を持つことは禁止されております。当然、金銭での取り引きとかそういったことがあるということはどうなるのか。したがってヨーロッパから無事日本に帰国できたとしても、懲戒免職相応の罰を受けるべく立場でもありました。
結果的には懲戒免職ということにはなりませんでしたけれども、罰は罰、規則を犯した罰を受けるべく立場である、けじめをつけさせるべきとの声も強く、道は道として、筋は通すべきとして、私自身「辞職」というかたちをとり、外務省を去りました。
退職後も他国の諜報機関との接触が続き、その影を消すのに相当の年月を要しました。身の安全も含めて、すべて自己責任において、隠遁生活を続けていた時期もあります。当然、私の身内や関係者に何らかの影響が出ることも危惧し、一切コンタクトを取らず、行動をひかえ、黙して生きてきた時期もあります。
そういった中で、拉致被害者ご家族の闘う姿を見た時、「いや、このままではいけないんじゃないのか?」とその闘う姿に大きく刺激され、自分が黙して生きてきたことを反省して、「これから少しでも、また何かお役に立てれば」という思いを持っております。
さて、時間も迫っていますので、最後に我々が北朝鮮問題に対してどう立ち向かうべきか?私なりに簡単に申し上げさせていただきます。
さてどうするか?「北朝鮮と戦争をしますか?」と言っても日本国民がそれを望むわけもありませんし、法的にもありえません。絶対に戦争を行うべきではないと思います。
「それでは何をいたしましょう?」北朝鮮の体制が崩壊するのを待ちます。もっともそれは我々が望むところです。しかし現実には崩壊に至っておりません。
「それでは経済制裁しますか?」即刻すべきです!!単に経済制裁のみならず、可能な制裁をあらゆるレベルで即刻実施すべきだと思っております。
これ以上何もしなければ完全な手遅れになります。他国の協調行動がなければ、特に周辺国の中国・韓国・モンゴル・ソ連の協調行動がなければ、経済制裁の効果が小さいことはわかりきっています。
かと言って、経済制裁の効果が小さいから、あるいは周辺国の貿易、北朝鮮との貿易関係が強まるからと言って経済制裁をしないという、そういう損得勘定で外交を行えば、主権・日本の尊厳・外交的な立場、国際社会における立場というのは完全に失われることになると思います。単なる損得だけで動くことで果たしていいのか?そうではないと思っております。
また、北朝鮮は日本の世論も恐れておりますが、国際世論も恐れております。国連、あるいは国際的な人権擁護団体に対して、日本側がもっと訴えていく必要があります。
あるいは民衆レベルで、国境のないインターネット等、あらゆるメディアを媒体として、国際世論に、北朝鮮における包括的な人権問題も含めて、その中心となる拉致被害者の人権を軸に国際世論に訴え、国内的には制裁世論と、それから強行にも、あるいは北朝鮮に調査団を強制的にでも乗り込ませ事実究明を図る、という、こういうことに対しての姿勢を国内的にも理解を求め、国内世論と国際世論と両方で高めることで、北朝鮮を包囲していくということが必要ではないか?と思っております。
「即刻、直ちに、あらゆる制裁を発動し、実施し、北朝鮮へ乗り込む!!」という声を挙げていくべきだと思っております。圧力と対話という紋きり型の表現を維持している日本政府、こう着状態の続くこの状況をそのまま見ていいとは思っておりません。みんなが、国民ひとりひとりがまず声を挙げていくことから、このこう着状態を打破できる第一歩が歩き出せるのではないかと考えております。
以上、今日のお話はこれで終わりとさせていただきます。どうもありがとうございました。(大拍手)
あっ、すみません。講演が始まる前に、ある方からお手紙を渡していただきました。ありがとうございます。私は沖縄出身ですが、沖縄出身の中にも1人、1人か具体的にはわかりませんが、特定失踪者に登録されている方もいます。沖縄でもこの拉致問題含めて闘いを続けていきたい、闘いの声を挙げていきたいと思っております。みんなで声を挙げていきましょう!!ありがとうございました。(大拍手)
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| 4/10 第10回藤沢市民集会 高野美幸さんの訴え |
( 2005.4.12,火 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
皆さま、こんにちは。(会場から「こんにちは」)
特定失踪者「高野清文」の妹の高野美幸です。何回かお話させていただいておりますが、初めての方もいらっしゃると思いますので、ちょっとだけ紹介させていただきます。
私の兄は、1976年に伊豆七島の神津島から行方がわからなくなりました。長野県出身で当時、電気通信大学の2年生でした。
*高野清文さん http://nyt.trycomp.com/takano/
特定失踪者のことは先ほどから何回もお話に出ております。後ろに特定失踪者のポスターが貼ってありますが、430名おりまして、その中で顔を公開されている方は約半分いらっしゃいます。黄色の新しいポスターは、拉致被害者の方々も一緒に写っております。いなくなった時期がひと目でわかるようになっておりますので、ご覧になって、入用の方は販売もしておりますので、どうぞよろしくお願いします。
それから、私の母も昭和10年生まれでして、母の父、私にとっては祖父にあたるのですが、北朝鮮に開拓で行っておりまして、(その地で亡くなって)半島の土となっております。お祖父ちゃんの墓参りに行けないことが、私はちょっと違和感を覚えながら育ってきたんですけれども、向こうの土地の方が、母が日本に帰って来る時に、お米を握らせてくれて、母はそれを食べながら帰って来たという話を聞いたことがありますので、そういったこともありまして、向こうに住んでいる方々のことも考えながら私は活動を続けていきたいと思っております。
これは母がいつも編んでいる「アクリルのエコロジーたわし」です。(皆さんに見せる)わが子の無事と再会を願って編んでおります。たぶんそれで気を紛らわしていると思うんですけど、母の思いを何かかたちにしたいなと思って、私がいつも集会などで販売をしております。収益金は特定失踪者問題調査会と私の方の活動費と半々で使わせていただいております。もしよろしかったら後ろの方に販売しておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
それから署名なんですが、先ほどお話のありました特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんも私も署名を集めております。何回も書いていただいて本当に申し訳ありませんが、少しでも署名をいただけたらありがたいと思っております。
それと、私の方のチラシはすでに何回も配布しておりますので、今日は事前に配られた資料の中に入っておりませんが、後ろの署名をしておりますブースに置いてありますので、よろしかったら何枚でもお持ち帰りになって、周りの方に配っていただければありがたく思います。
それから私の作った歌の詩なんですけれども、皆さんのお手元の資料が入っている封筒の中にあります。「蒼明」と「白い道」というタイトルなんですが、「白い道」の方は私の作詞ではないんですが、めぐみさんが歌っているような気持ちに聴こえまして、本当の曲はヴィヴァルディで、今日歌いたかったんですけど、伴奏者が今日は都合がつきませんでしたので、「蒼明」の方を歌わせていただきます。私と同じような年代の方にももっと関心を持っていただきたく、何か訴えかけるきっかけができたらいいなと思って作りました。皆さん、聴いてください。
−蒼明− 作曲 きなさかゆうま 作詞 高野美幸(KONA)
触れることも叶わない セピア色の過去なのに 見送った君の背中 何も変わらず 記憶の片隅に隠す この手つないだ温もり 見つけ出すよ君の全て 胸震わせる真実
Ah 北西の地にはまた 君の命輝き 日よ照らして 月の鏡に 流れ星願いかけて
涙でできた海の蒼い海流 赤い太陽 黄に夜明け染めて 流されないで戦い方も知らない 小さなISLANDS もうこれ以上 待てない その愛を 取り戻す今
白く霞む水平線 一人細波に歌う 無機質なビルの壁に 浮かぶ刹那さ あの日海に沈められて 眠る本当の自分 もう一度見つけ出せたなら 抱き締められる真実
Ah 蒼い絆は切れず 強く結ばれている 風にのせて 空よ映して 海よ伝えてほしい
涙でできた海の蒼い海流 心に灯る火で 橋を架けて 蒼い炎が 深く暗闇を照らす 凍るPARADISE 自由の羽広げる その夢が 蘇るように
最後まで聴いていただきありがとうございました。(大拍手)
*「白い道」(ヴィヴァルディ「四季」から) 作詞 海野洋司 作曲 ヴィヴァルディ
どこまでも白い ひとりの雪の道 遠い国の母さん今日も お話を聞いてください あれからもう三年過ぎ この道にまた白い雪 サラサラ鳴ります
北国の冬は きびしく辛いけど 母さんと歩いた道は あたたかい思い出だけ れんげの春トンボの秋 忘れません声をあわせ うたったあの歌
あしたもこの道 歩きますひとりで 母さんが歩いたように 風の中も負けないで いつか春の風が吹けば 歌いましょうあの日の歌 ひとりこの道で
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| 4/10 第10回藤沢市民集会 飯塚繁雄さんの訴え |
( 2005.4.11,月 ) |
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
皆さん、こんにちは。(会場から「こんにちは」)
実は今日、(登壇予定の)倅の耕一郎が来られませんので、代わりに親父の私がお話したいと思います。ご承知の通り、耕一郎は私の妹で拉致被害者「田口八重子」が産んだ長男です。1つの時に母親が(北朝鮮に)連れ去られて別れたまま、もう28年にもなります。ということは、28年間もこの問題が解決していないことになりますね。
倅は私から見ても立派な青年になった、ということだけがとりえかなと。ですから早く実の母親に、実の子を逢わせてあげたいなと思っております。たぶんこれは八重子も28年間ずっと待っていることだと思います。それがなかなかうまくいかなかったということは、やはり先ほどからお話が出ていますように、(政府は)今まで何をしていたんだ、ということに尽きると思うんですね。
まぁ、この問題については十数年前からわかっておりまして、時折この解決のチャンスがあったんです。例えば先ほどからお話があった大韓航空機の件ですが、この事実が明らかになりそうな時に、梶山さんが国家公安委員長として議会で「事実を確かめよう」と発言したのですが、これはまったくマスコミさんも取り上げず、あるいは政府の方も取り上げず潰してしまった、という経過があります。
ですから今から言っても遅いんですけど、その時にちゃんと対応していれば、もちろん私の妹だけじゃなくて、他の被害者の方々のご家族も、こういう問題をその時々に早く解決したかもしれない、と非常に残念に思います。
北朝鮮というのはご承知の通り国家ではない、暴力団みたいなもんですよね。国全体が捏造そのものなんですね。ですから言われてみれば、北朝鮮の常識っていうのは世界の非常識、世界の常識は北朝鮮の非常識で、まったく取り合うすべもない、そういう国を相手にどうやったら我々国民を取り返せるのか、あるいは日本としてきちっと外交的に対応できるのか、その辺をやっぱり国として1つの戦略戦術の上で闘っていかなければ、また違った問題も出るし、これからでも拉致はいくらでもできるという状態、それは今も変わってはいないわけですよね。
そういう状態を「いつまでもいつまでも続けるのか?」という国民の皆さんの怒りが、ようやくここまできました。当初1997年頃は、横田夫妻を中心に「家族会」を結成して皆さんに訴え始めた時には、本当に私もテレビを見ていて「気の毒だなぁ」と思ったのは、皆さんがちっとも振り向いてくれない、そっぽを向いている、「何だ?あの人たちは?」という感じでいたのがですね、「家族会」の地道な、そして「絶対何とかしなければいけない!」という大きな強い気持ちが、ここまで活動が続いて、ようやくここまで皆さんにご理解をいただけた、ということとなってきました。
そういう意味では、今回この問題が何とか少しでも進展したのは、やはり国民の皆さまのそういった「支持」「力」「声」があったからこそ、1つの成果として、5人の方が帰って来て、さらには子どもさんたちが帰って来られました。
これは初めて、歴史上にない、金正日が拉致を認めたと、しかも謝った、ということは歴史上に残る1つの大きな出来事だったし、それを実現させたのは小泉首相ではなくて、まぁ、もちろん我々も訴えましたけれども、それに賛同していただいた国民の皆さんの支持によって「そうせざるを得なくなった」、それでたまたまその時に、アメリカのブッシュ大統領の発言・態度によって、北朝鮮がビビったということもあって、あの結果が出てきたということは、これは1つの成果だと思います。
もう1つはその後の交渉で、北朝鮮が我々10人を含めた生存情報というかそれを出せ、というような話の中から、もう皆さんすでにご承知の通り、北朝鮮が発表した内容については100パーセント嘘のかたまり、嘘を精査して質問すると、またそれに説得化するような嘘をつく、これがようやく政府も解かったということが、1つの成果っていうとおかしいですけれども、段階を踏んでいく中での1つの大きなポイントになるのではないだろうかと思っております。
これをですね、もう4ヶ月も経ちますけれども、去年の暮れにですね、政府もこういう嘘を反映して「迅速かつ誠意ある対応をしない場合、厳しい対応をとる」とハッキリと言いました。それから3ヵ月半経っていますけれども、ちょうど4月24日が4ヶ月目です。(国民大集会の日)
したがってこういうことを考えますと、向こうが言ってきたことが「すべて嘘だ」ということは、「すべて被害者は生きている」というふうに繋がるわけですね。
ですからこれが1つの段階としての、我々が確認する1つの成果ではないかと、そうすれば、また考え方も違ってくるということになるわけですね。
まぁ、そういった意味からすると我々は、もちろんまだこの問題を諦めるわけにもいきませんし、もちろん我々の家族だけではなくて、先ほど登壇された大澤さんのような特定失踪者の皆さんがたくさんいらっしゃいます。
それからまた、これからの日本の国民の暮らしと安全を守る、そういったキチッとした土壌を作る、言ってみればこれは大きな国家的な問題になるわけですね。
そんなわけで、今行き詰っているように見えますけれども、北朝鮮は手をこまねいている、という感じもあるわけです。とにかく日本にやってきたことは逆にそれも嘘だということで、引き延ばしているわけです。電話をかけてもとらない、外務省が何か書いても受け取らない、これは結局逃げているわけですね。日本が黙っていればそれで済むというような軽い感じでいると思うんです。何故かというと、今までそうしてきたから、彼らは知っていますので、今回だけはちょっと違うぞというようなことから、たぶん慌てているのではないかと思います。
先ほど言った経過についても、北朝鮮の思惑とまったく違ったかたちで出てきていますから、少しは返した?ということ、それから嘘が全部ばれてしまったということ、そういうことも含めて、今までと違う反響があるな、ということに気がついていると思うんですね。
ですから我々「経済制裁」ということでは、今回大きな声で訴えておりますけれども、まぁ、あの、我々「家族会」にとってはですね、「経済制裁」と軽く言っていますけれども、本当は大きなリスクを抱えながら訴えていたわけなんですね。
「これをやれば、交渉の窓口を閉じるのではないだろうか?」とか、あるいは「テポドンが飛んで来るのではないだろうか?」とか、さらには「被害者本人に何か危害が加えられるのではないか?」とか、色々な心配はありますけれども、こういうふうに制裁を含めて、北朝鮮に対する大きな強い態度を出さなければ、突破口がないわけなんですね。
北朝鮮は、弱いところは徹底的にいじめて、自分たちの利益に繋げる。強いところについてはそれなりに上手く話を聞きながら調整する、という国ですから、やはり今までの状況からいっても、ガツーンと強い態度でやらなければ、もう進展はしないと思います。
したがいまして、私の個人的な意見なんですけれども、「経済制裁」というからには「最大級の経済制裁をしなさい!!」という意見なんですね。細々細々出していて、たぶんそれで片付く話ではないと思うんですね。
北朝鮮には本当に日本の「経済制裁」で困る、困った時に向こうから申し入れて来て「何とかしてください」という話にならないと、我々の要求は通らないと思うんですね。
それから今、アメリカとかバックアップしてくれる国がたくさんありますけれども、アメリカ曰く「日本政府を信用して援助する」と言っておりますけれども、肝心の当事国である日本が制裁をしなければ、あとの国はどうやって支援をすればいいのかわからないのではないでしょうか。
まぁ、確かにこれが進展して、国連の安保理とかそういうことに繋がるっていうこともありますけれども、まず「日本が怒っている!」ということが、皆さんが、国連の人たちが解らなければ、これはいい方向には行かない。
国民の皆さんの7割以上の方が、この「経済制裁」を支持してくださいますし、各議会、それから各・・についてもですね、かなりのパーセントで、いわゆる内堀も埋まって来たと思います。
後はもうお気づきの通り、一番の長がどう判断するかです。まぁ、そこが今一番の大きな問題で、私としましては前も言ったんですけれども、金正日との闘いもそうですけれども、その前に「我が日本国の総理とも闘わなければならない」という感じもしておりますけれども、やはりそこまでいかなければ進展はしない、ということで、我々はさらに皆さんの力を得まして、今回の4月24日の大集会をきっかけに、相当な覚悟の上の活動を、行動を考えていくつもりです。
したがいまして、皆さん方につきましても、ぜひこのような日本の弱いところを強くするために、引き続き声を大きくして「怒りの声を出していただきたい!!」とお願いしたいと思います。
もちろんこれらは国全体、国民もそうだし、政府も怒っているよ、ということを今回ぶつける、まったくのいいチャンスでありますし、今の時期しかないというふうにも考えておりますので、ぜひとも皆さまのお力をいただきまして、徹底的に闘っていくつもりでおります。
そういうことでして、今日は突然まいりましてお話させていただきましたけれども、皆さん、ひとつよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。(大拍手)
*田口八重子さん 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.net/jokyo/03.html
(一部引用)
■子供がいるから帰して、田口さん訴えも 北朝鮮による拉致被害者田口八重子さん(失跡当時22)が拉致された直後、「生まれたばかりの子供がいるから日本に帰してほしいと訴えたが聞き入れてくれなかった」と地村富貴恵さん(49)に話していたことが25日、分かった。田口さんの兄飯塚繁雄さん(66)が明らかにした。
田口さんは1978年6月に拉致される1年ほど前に、長男の飯塚耕一郎さん(27)を出産している。 繁雄さんが昨年6月、地村さんから聞いた話によると、田口さんは「生まれたばかりの子供がいる」と北朝鮮の担当者に自分の妊娠線まで見せて涙ながらに訴えたことを、拉致直後同じ招待所で暮らしていた地村さんに話したという。 また田口さんは、北朝鮮が制作した映画で親子が登場したり、離れ離れになる場面を見るたびに泣いていたという。 繁雄さんは「この話を聞いて耕一郎もいたたまれない気持ちだだったろう。生まれたばかりの息子と引き裂かれた妹の気持ちを思うとやるせない」と話した。(共同2005/1/25)
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| 4/10 第10回藤沢市民集会 大澤茂樹さんの訴え |
( 2005.4.10,日 ) |
あおいのパパとママは神奈川県藤沢市で行われた「第10回藤沢市民集会」にボランティア参加いたしました。集会参加者は400人以上だったと思われます。救う会神奈川の集会始まって以来の大変な盛会となりました。皆さま、本当にありがとうございました。
いつも集会に参加してくださっているMさんが、ご家族でボランティア参加してくださいました。初めての参加でとても大変だったと思います。お疲れさまでした。そして本当にありがとうございました。
詳しいレポートは後日書く予定です。しばらくお待ちください。
*撮影したビデオカメラから文字化しました。
私は特定失踪者「大澤孝司」の兄、大澤茂樹と申します。私の話をする前に、今年の2月25日に特定失踪者問題調査会の方から、今回18名の拉致の疑いのある方が公開されました。
*北朝鮮に拉致された可能性、18人を追加公表 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3695
その中の1人で神奈川県横浜市戸塚区の出身でいらっしゃいます、「寺島佐津子(てらしま さつこ)さん」のお父さんとお母さんが、本日この会場にお見えになっていらっしゃいます。(「寺島佐津子さん」のご両親が席をお立ちになって、「よろしくお願い致します」と頭を下げていらっしゃいました。会場内大拍手)
「寺島佐津子さん」は昭和54年8月10日、隣町の鎌倉の花火大会に勤務先の銀行の親睦会で行き、午後10時にその現地を解散し、同僚と一緒に鎌倉駅まで行きました。そこから戸塚駅に行き、バスに乗車して降り、停留所から自宅までの道で行方がわからなくなっております。警察の方でも大掛かりな捜索をしていただき、また、警察の捜査でそのバス停を降りたことは確実になっておりますが、それ以降は不明となっております。調査会の方でも「限りなく拉致の疑いがある」ということで、近々1000番台リストに公表されるのではないかと思っております。私の方も今後一緒に活動していきたいと思っております。今後ともどうかよろしくお願い致します。(大拍手)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ *2/25調査会ニュースより 寺島 佐津子(てらしま さつこ)(当時 19歳) 生年月日 :昭和35(1960)年7月26日 失踪年月日 :昭和54(1979)年8月10日 性別 :女 当時の身分 :銀行員 当時の居住地 :神奈川県横浜市戸塚区 失踪場所 :神奈川県横浜市戸塚区 失踪当時の状況:失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
改めて私自己紹介させていただきます。私は特定失踪者「大澤孝司」の兄で、大澤茂樹と申します。前回1月15日の第9回藤沢集会に参加させていただきまして、訴えさせていただきましたが、今回も救う会神奈川の皆さまのご好意によりまして貴重な時間をいただきましたので、前回と重複することも多々あるかと思いますが、再度訴えさせていただきます。前回お見えにならなかった方々も多いと思いますので、弟が失踪した時の状況からお話させていただき、弟の拉致問題を知っていただきたいと思います。
*救う会神奈川活動報告より 第9回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」 http://www.geocities.jp/sukuukai/report/09.html
私ども兄弟は3人兄弟で、一番上の兄は新潟県巻町で家業を継いでおります。私は次男でして、横浜市瀬谷区に在住しております。拉致されたのが濃厚なのは一番下の弟の「孝司(たかし)」でございます。弟の孝司は昭和49年2月24日(1974年)に新潟県佐渡島で、曽我ひとみさん・ミヨシさん母子が拉致された真野町の拉致現場から、距離にして7〜8キロしか離れていない天然記念物の「トキの保護センター」のある新穂村というところで、北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。曽我さん母子が拉致される約3年半前の事件でございます。
事件当時、弟は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります「佐渡の農地事務所」に勤務する新潟県庁の職員でありました。当日は今日と同じ日曜日で、午前中は寄宿舎の仲間と卓球をして遊び、午後から隣町の金井町というところに1人で遊びに行き、その帰り、寮に帰っても、その日ちょうど(寮の)食堂が休みということで、行きつけの飲食店に夕飯を食べに行き、若干アルコールも飲んだようでございますが、そこを午後7時半頃出る時に、店のおかみさんに「あぁ、飲んだし、食ったし、これから寮に帰って寝るか」というあいさつを交わしました。
そこの店を出て帰宅途中、弟は趣味で鉄砲を撃っており、その猟銃期間が2月15日に切れたということで、その許可証の返却のため、その地区の猟銃会の会長さん宅に立ち寄り、そこのおかみさんに手渡し帰ろうとしたところ、そこの会長宅も飲食店を営んでおり、弟の後を追ってきた2〜3人の男が、その店に入ろうとしていた2〜3人のグループか定かではございませんが、弟が(店を)出ると同時にその店に入るのをやめて後をつけたようで、その後まもなくして、車が急発進するタイヤの軋む音をそこのおかみさんと、もう1人近所のおかみさんが聞いたのが最後で、その後の足どりはつかめておりません。
翌日、その車が急発進したと思われる周辺に「ハングル文字のマッチが1つ落ちていた」ということでございます。
また、その会長宅から寄宿舎までの距離は200メートルたらずで、その間に海があるわけじゃなく、川に流されるような大きな川があるわけじゃなく、周りは田んぼと畑が多い非常にのどかなところで、夜8時頃に突然大の男がそこから消える、ということが不自然であり、事件当時、佐渡の両津警察からも大掛かりな捜索をしていただきました。また、農地事務所と私どもの方でお願いした捜索隊も加わり、佐渡中くまなく捜索致しましたが、弟を見つけ出すことも、失踪する理由さえもつかむことはできませんでした。
私ども家族は、これだけ捜索しても見つからないということはもう、神隠しにあったものと諦めもしておりましたが、その後の調査で、曽我さんたちと同じような手口で「北朝鮮に拉致されている疑いが濃厚」とのことで、新潟県警の方で再調査をし、また特定失踪者問題調査会荒木先生の方からも調査していただいたところ、弟「孝司」は北朝鮮に拉致された以外に佐渡島から失踪する理由は何一つない、ということで調査会の認定を得て、1000番台リストにも加えていただくことになりました。
また、新潟県警の方も捜査の途中経過として、一昨年の10月16日の新潟県警の定例記者会見の場におきまして、私の弟と山梨県甲府市で「図書館に行く」と言って自宅を出たまま行方がわからなくなって、4日後に同じく新潟県柏崎の荒浜海岸でセカンドバッグが見つかった「山本美保さん」の二人が「拉致の疑いが濃厚」との新潟県警の異例中の異例の見解をいただくことができ、私どもは新潟の救う会や荒木先生方々と内閣府の拉致支援室に5回も6回もうかがい、「拉致認定」を求めましたが、日本政府からは未だに「拉致認定」をしていただいておりません。
*美保さんの家族を支援する会 http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/
また、昨年の1月29日拉致された疑いが濃厚な1000番台リストの16名全員が、法律家の会の先生方のご協力によりまして、拉致されたと思われる各都道府県の県警本部に16名一斉が、被疑者不詳のまま「国外輸送誘拐容疑」で告発状を出し、それと同時に日弁連の方に人権救済を求める手続きをしていただき、先月3月29日その結論を出していただき、日弁連の方から内閣府、外務省、警察庁の関係各課に対し、人権救済の申し立てをしていただきまして、ここにきてやっと一歩も二歩も前進することができましたが、これで拉致問題が解決するとは思っていません!
* 日弁連の要望書 北朝鮮拉致疑惑人権救済申立事件 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3794
今、日本政府の拉致問題の取り組み状況は、昨年の暮れ、北朝鮮が突然核保有宣言と、横田めぐみさんの遺骨と称するお骨の「DNA鑑定は日本政府が捏造したもの」と北朝鮮がコメントを発表以来、硬直化し足踏み状態となっておりますが、時の流れは止まっておりません!
*北朝鮮が遺骨問題で反論 疑問3点を提起 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3575
特定失踪者のご家族は年々高齢化し、荒木先生が一昨年の1月10日に特定失踪者問題調査会を設立してから2年3ヶ月が経過しますが、この間にも特定失踪者の親御さんが、私の知っている範囲で4名の方々が亡くなっております。
先ほど申しました山梨県の「山本美保さん」のお父さん、そして山口県宇部市で「お母さんのタバコを買ってきて」と頼まれて買いに行ったまま行方がわからない「国広富子さん」のお母さん。北海道稚内で高校の同級生の家に遊びに行き、その帰りそのまま失踪した「斉藤裕さん」のお母さん。
*不明山本さんの父死去=北朝鮮拉致の疑い、再会果たせぬまま−甲府 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=322 *母、死の3日前に目撃証言 国広富子さん 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=1792 *特定失踪者・斉藤裕さんのお母さん、再会叶わず逝去 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=2962
そして今年の2月、今から33年前、東京渋谷区で夕方「洗濯物を出しに行く」と言ってクリーニング店に出した後、そのまま失踪しました「生島孝子さん」のお母さんが99歳で亡くなられました。
*特定失踪者・生島孝子さんのお母さん、死去 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3628 *3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』続々 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3797
私はとても他人事とは思えず、東京とは近いため告別式に参列してまいりましたが、「生島孝子さん」は信用できる脱北者の目撃証言もあり、今ちょっと待っていただければ再会できたかと思うと非常に残念であり、お母さんは「孝子さんと絶対に会える」という確信をしており、無念の死であったと思います。
このようにして、特定失踪者のご家族は年々高齢化しております。私ども父親も例外ではなく、今95歳でございます。もう先がございません!時間がありません!!私はせめて父親が元気なうちに弟と再会を果たしてやりたく、未熟ではございますが、私にできる範囲で署名活動等皆さまに訴えております。
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3755
それにしましても小泉首相は北朝鮮に対して、何回騙され、何回侮辱され、何回馬鹿にされれば気が済むのでしょうか?このような拉致されている日本国民を奪還できないような外交では、そのうち世界中の笑い者になると思います。世界中の笑い者になる前に、今拉致されている日本人1人残らず奪還していただきたく、それにはもう対話だけでの交渉では埒があかないと思います。
一刻も早く小泉さんから経済制裁の発動をしていただき、金正日体制を崩壊しなければ、私は完全な拉致問題の解決にはならないと思います。どうか皆さん、今の日本政府に、さらにバックアップをして勇気付けていただくために、さらなる皆さま方のご支援とご協力をお願いし、はなはだお粗末ではございますが、私の訴えとさせていただきます。今後ともよろしくお願い致します。
*大澤孝司さんと再会を果たす会 http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
*電脳補完録さんに投稿しましたら、山本さんが写真付きでキレイにしてくださいました。 http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3831
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| 思いのこもった折り鶴(2) |
( 2005.4.4,月 ) |
*写真は、秋田県の兄妹といつも一緒に折り鶴を作っているお友だちの皆さんです。4月4日に撮って、すぐに送ってくださいました。あおいのママの作ったブルーリボンもお仲間に入れていただきました。皆さんお疲れさまです。そして本当にありがとうございます。
あおいのママは3月18日の日記で「思いのこもった折り鶴」のことを書きました。 http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/(3/18日記) http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/data/2005_03/0318.jpg(写真)
この折り鶴を作って拉致被害者及び特定失踪者ご家族に贈っている、秋田県の兄妹(この春、高校生と中学生になったそうです。おめでとう。)と仲良しのNさんが、電脳補完録さんから私たちのHPを知って、そして日記を見てくださいました。
青森県に住むNさんは、愛しいお孫さんが天使になってしまったという、つらい経験をされた方です。(ゲストブックに書いてくださいました)子どもたちに励まされて、一緒に折り鶴を作って、ご家族の皆さんに贈っているのだそうです。
Nさんが私たちのこと、あおいのこと、日記のことを知らせてくださって、お二人のお母さんと連絡をとることができました。本当にありがとうございます。
お母さんから、私たちのもとにやってきた折り鶴の話を聞きました。昨年末と今年2月に私たちは家族会事務所に行った折り、増元さんと高野美幸さんからこの折り鶴をいただいたのですが、お母さんがおっしゃるには、それはたぶん、昨年12月はじめに秋田で横田さんの講演会があり、その折に横田さんにお渡しした折り鶴ではないかということでした。
子どもたちが自分で考えて、「できることをしていこう」と始めたこの折り鶴作り。全国の拉致被害者ご家族や特定失踪者ご家族の皆さんに、励ましの手紙と一緒に贈っているそうです。電脳補完録さんのニュースなどや、特定失踪者調査会のポスターを見て、直接ご家族の手元に届くように苦心されているようです。
届いたご家族はきっと、子どもたちの励ましに驚きと感謝の気持ちでいっぱいのことと思います。実際、感謝の気持ちをそれぞれいろいろなかたちで受けているとのことです。
先日ニュースにもなりましたが、福井県小浜市で1974年に失踪した「山下春夫さん」のお兄さんに、折り鶴の色紙と100羽の折り鶴、そして応援の手紙をお贈りしましたら、山下さんが新聞社に連絡してくださったそうです。そして山下さんからは、感謝のお手紙をいただいたとのことです。
*再会の日を祈り 励ましの折り鶴 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3812
また、拉致被害者「増元るみ子さん」のお姉さんの平野フミ子さんから感謝のしるしにいただいた、映画「ペイ・フォワード」のDVDを、4日に集まった皆さんで観て、子どもたちもとても感動したようです。そのストーリーをお母さんからお聞きしましたが、私も観たいと思いました。
*ペイ・フォワード ~Pay it Forward~『次へ渡そう』運動:あなたにも世界は変えられます http://www.awaji-net.com/pay-forward/
2月7日に生島うらさんがお亡くなりになりました。特定失踪者「生島孝子さん」のお母さんです。孝子さんは拉致の可能性が非常に高く、北朝鮮での目撃証言もある方です。お母さんやご家族の皆さんはどんなに無念な思いでしょうか。孝子さんのお姉さんから、折り鶴が四十九日の法要に合わせてお寺さんに送られてきたという連絡をいただきました。お姉さんは日記に載っていた折り鶴を知っていたので、その折り鶴が贈られてとても感激したそうです。感謝の手紙を秋田県の兄妹に送ったということです。
*3/13 TBS「報道特集」にて(3) 日記より http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/bn2005_03.html
新潟県佐渡島で行方がわからなくなった、拉致の可能性が濃厚な特定失踪者「大澤孝司さん」の実家にも折り鶴をお贈りしたそうです。お兄さんの昭一さんから丁寧なお手紙をいただいたということです。私も2番目のお兄さんの茂樹さんに、事務所でいただいた折り鶴を送りました。
*3/13 TBS「報道特集」にて(1) 日記より http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/bn2005_03.html * 大澤家の願いのこもった看板 電脳補完録さんより http://trycomp.oc.to/jokyo/12.html *写真は2004年7月4日、増元さんの有楽町マリオン前での街宣演説に応援に来られた特定失踪者の「大澤孝司さん」の二人のお兄さん(昭一さん・茂樹さん)です。街頭署名活動を終えて応援に駆けつけていらっしゃいました。 http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/data/2005_03/0315.jpg
昨日、特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの美幸さんから、子どもたちが高野さんの長野県の実家に折り鶴を贈ってくださって、ご両親が大変感動していたというお話を聞きました。美幸さんに電話でうれしそうに話してくれたとのことです。お母さんが電話の向こうで泣いていたそうです。
高野さんのお父さんは、毎年お母さんと一緒に作っている大きな手作りのクリスマスリースを、お母さんはわが子の無事と再会を祈りながら編んでいる「アクリルのエコロジーたわし」を、感謝の気持ちをこめて子どもたちにお贈りする予定だということです。皆さん、楽しみにしていてくださいね!
*長野県の新聞にも掲載されたお二人の手作りのクリスマスリースです。これらは保育園などに寄付されたそうです。(写真) http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/data/2004_12/1210.jpg *お母さんの手作りのエコロジーたわしです。(写真) http://aoinomama.trycomp.net/coldata/104.jpg
まだまだありますが、遠くに住んでいる見ず知らずの子どもたちの優しい思いが、多くのご家族の皆さんや、折り鶴を受け取った人々に伝わっています。
折り鶴はすでに一万羽に達しました。お母さんが子どもたちに「なぜ100羽贈るの?」って聞いたら、ご家族に100羽の折り鶴を贈るのは、皆さんの無事と再会を願う気持ち、お百度参りの気持ちなのだそうです。
あおいのママも純粋な子どもたちのこの思いのお手伝いを、少しですがすることになりました。多くのご家族の皆さんに、集会などに参加した折にお会いしたら、届けたいと伝えたいと思っております。
秋田県の兄妹、そしてお友だちの皆さんが思いをこめて、願いをこめて、一生懸命に作っている折り鶴です。尊い思いです。これからもお互い支え合って、一緒に闘っていきたいですね。皆さん、無理することなくやっていきましょう!健康第一、勉強第一でね!!(特にね。お母さんにも「言ってください!」と頼まれましたので。)
これからも皆さん、どうぞよろしくお願い致します。
*「ブルーリボンシール」の電脳補完録の山本さんと殿下さまにも、秋田の皆さんから私に連絡があったことをお話しました。お二人にもすてきな思いのこもった折り鶴を贈ってくださったんですよね。お二人とも私たちの友だちです。「こうして少しずつ輪が広がっていくのはうれしいですね。」って、おっしゃっていました。
*もう一度原点に:ブルーリボン、増元さんのメール、伊藤兄妹 電脳補完録さんより http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3748
*かいなさんから、「あおいのママさんと私たちをつなげてくれた、あおいちゃんとRちゃん(Nさんのお孫さん)に感謝します。」というFAXをいただきました。本当にそうですね。かいなさん、ありがとう。私はうれしくって泣いてしまいました。
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| ローマ法王さま |
( 2005.4.3,日 ) |
4月3日にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が84歳でお亡くなりになりました。
あおいのママもパパもクリスチャンではありませんが、パパの通った長崎の高校はカトリック系でした。(ちなみに大学は仏教系です・・・)その高校では神学科があったそうです。
プロフィールにも書いておりますが、パパが大学受験で東京に来ていたときに、羽田空港に降り立ったローマ法王を遠くからですが、お見かけすることができました。日本の地にキスをしていたことが印象的だったそうです。
そしてその後パパは長崎に帰郷し、ローマ法王は長崎の「26聖人碑」にお越しになりました。パパはその日所用で近くに行っていたので、「26聖人碑」に足を運んだそうです。
*日本26聖人殉教地 http://www6.ocn.ne.jp/~tanakakz/seijin.html
ローマ法王は「26聖人碑」の前で、多くの信者に囲まれて「VIVA PAPA」と呼ばれていました。ほんの2〜3メートル先で、信者の方の赤ちゃんを抱いてキスをしていた姿は、人を引き付けるオーラがあったそうです。
東京と長崎でお会いする機会があったことが、ちょうど人生の節目であったため、大変感慨深い思い出だということです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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