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2005年01月の日記

1/27「よど号妻」第二回公判に行ってきました(4)
( 2005.1.31,月 )

*写真は、裁判終了後に正面の門から撮ったものです。


◆3人目の弁護士@◆


《旅券返納命令を知ったのは》

・(「旅券返納命令を知ったのはいつごろですか?」という質問に対して)私はこの頃の記憶が定かではありませんが、1988年9月に入ってからだと思います。田宮高麿さんに呼ばれまして「日本の知人からこれが送られてきた」と「かんぽう?」のコピーを見せられました。それで、旅券返納命令が8月6日に発令されていたことを知りましたが、もう「期限が過ぎていた」という記憶が残っています。その場によど号妻の1人森順子さんがいたと思います。

*よど号犯妻、帰国へ申請か 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3557

・(「旅券返納命令が発令された8月6日はどこにいたのか?」という質問に対して)たぶん、東海岸に行っていたと思います。後で、5月頃に日本のNHKなどのメディアで「よど号犯の女性(妻など)に旅券返納命令が出た」と放送されたようですが、私はそれを聴いていませんでした。5月頃は子どもの宿舎(養育目的の)に行っていて、ラジオを聴いていたはずなんですが、そのニュースの記憶がありません。

・朝鮮ではラジオはリアルタイムで聴けます。新聞も希望すれば1週間から10日遅れで郵送されてきます。テレビもNHKが見れますが、電波事情が悪く、午後9時台になるとひどくて見ることができません。テレビを見る習慣は午前7時と午後7時でした。あと見るとしたら午後10時です。私たちには、あまり見たり聴いたりする習慣はありませんでした。ですから他のよど号妻たちも日本のメディアから知った方はいないと思います。

・(「田宮高麿にかんぽう?を送ってきたのは誰か?」という質問に対して)柴田勝弘さんの支援者ではありません。(柴田か?と聞かれたので)どういう関係者かわかりませんが、よく手紙が送られてきていました。その方は男性です。名前は覚えていません。たぶんよど号関係者の私たちに励ましをしてくださる支援者が送ってくださったのでしょう。田宮さんが知ったのも8月20日になってからです。


《ソンダン?の宿舎とインフラ状況》

・その頃、私たち家族は東海岸のソンダン?で海水浴に行っていました。平壌から汽車で15時間くらいのところです。そこには日本でいう国民宿舎のような施設があり、宿泊していました。

・宿泊していた期間は、8月5日から8月29日か30日だと記憶しています。はっきりしませんが、ただ子どもの学校が始まる直前までいました。

・何故長期間その場所にいたのかというと、ちょうど帰る予定の頃に大雨が降りました。それで土砂崩れが起きてしまい、鉄道が不通となってしまいました。当時娘がまだ2歳でしたから、安全のために無理に帰ることはせずに延期してその宿舎に留まりました。

・朝鮮では交通遮断はよくありました。非常にインフラ状況は悪いです。そのために平壌への帰宅が遅れてしまいました。ですから旅券返納命令が発令されたことなどをこの時点で知ることはできませんでした。

・ソンダン?の宿舎は2棟ありまして、私たちが宿泊した棟は部屋が5つか6つありました。私たちの部屋以外は使われていました。

・この宿舎を使いたい時は、当該機関に申し込みます。そこで案内の方に「そこへ行きたい」と言いました。この宿舎には電話がありませんでした。8月20日の時点で田宮さんが旅券返納の件を私に知らせたくても、無理だったと思います。

・(「平壌の電話事情は?」と聞かれて)1990年半ば頃には光ファイバーが導入されて状況はよくなりました。しかしそれ以前は電話をしても聞き取れないとか通じないとか、非常に悪い状況でした。平壌では、電話線を地下に張り廻らせていましたので、雨が降ると通じないというようなことが多くありました。

・(「地方から平壌に急ぎの連絡をする場合、汽車の便や電報などが使われたのでは?」という質問に対して)それは私にはわかりません。

・(「案内の人を通じて旅券返納命令の件を聞かなかったのか?」と聞かれて)聞いていません。

・(「田宮から案内の人に連絡はなかったのか?」と聞かれて)できなかったと思います。

・(「案内の人はどういう人ですか?」という質問に対して)私たちの宿舎での便宜を図ってくださる方でした。日本でいうツアーの添乗員みたいな方でした。通常、外国人に付きます。しかし生活の干渉はしませんでした。


 続きはしばらくお待ちください。

*あおいのママはこの問題に関してあまり詳しくありません。(勉強不足で申し訳ありません)重大な間違い等ありましたら、問い合わせにて教えていただけるとありがたいです。

1/27「よど号妻」第二回公判に行ってきました(3)
2005.1.30,日

*写真は、裁判終了後に正面の門から撮ったものです。


◆2人目の弁護士◆

《結婚後 海外へ》

・(「朝鮮の印象は?」と聞かれて)自分の手で自分の国を作っていると思いました。人々は「私はこの国の主人だ」と言っていました。ユーゴスラビアと朝鮮とでは、国の体制が違っていました。

・夫の田中義三は、よど号ハイジャック事件についてこのように言っていました。「よど号ハイジャックは間違った闘争であった。大義の為と言いながら、人々を犠牲にして目的を達成するのはおかしい」「何故、人々を犠牲にする闘いをしてしまったのだろうか」と、自分で過去を総括していました。それはとても苦しい総括ではなかったのでしょうか?

・よど号犯とその妻たちは、結婚はしても日本への帰国は絶望的でした。「日本で生きたい」という思いが強かったです。私は今回その基盤作りをしようと思って帰国しました。

・1978年5月から2004年10月19日に帰国するまでの間に、何カ国か海外に出ました。

・1979年12月にフランスへ行きました。それは私の日本の家族に無事の知らせをしたかったからです。家族との(留学の)約束は3年でした。手紙で「心配はしないで」と書いて送っていましたが、自分の住んでいる場所(朝鮮だと)は知らせていませんでした。ですからフランスで家族に連絡をとって、安心させようと考えました。

・フランスには自分の旅券で入国しました。

・(「朝鮮から出国する際、共和国の北朝鮮工作員と接触したか?」という質問に対して)日本の旅券を朝鮮の外交官の方にお任せしていましたので、具体的に自分にはわかりません。後にその外交官の方が「キム・ユーチョル」「チェ」という名前だったということを、週刊誌で知りました。

・その外交官にユーゴスラビア(今のクロアチアのザグレブらしいです)で出国手続きをしてもらい、単身フランスへ入国しました。フランスを選んだ理由は、ビジネスチャンスがあるのではと思ったからです。

・フランスでは語学学校へ通いました。他のよど号妻たちが結婚後フランスへ入国したらしいと聞きましたが、私は彼女たちとフランスで会っていません。夫の田中義三とも行動を共にしていませんでした。

・八尾恵さんが「日本人を朝鮮へ連れて行こうとした」とか何とか言っているようですが、そんなことはまったくありません。留学が第一ですから。


《日本に戻る》

・1980年7月に一度日本に戻りました。その理由はプライベートなことなので、一切答えたくはありません。朝鮮への連絡は、日本にいる仲間の方を通じて電話でしました。その方を通じて平壌にいる時も手紙や連絡がありました。

・日本では自分の実家のある愛知県豊橋市に住みました。夫や子どものいる朝鮮へ戻るため、本の販売会社に就職して、お金を作りました。

・その頃に日本で他のよど号の妻たちに会ってはいません。

・(「両親によど号妻だと話したか?」という質問に対して)よど号犯の妻であることや、生活の本拠が朝鮮であることなど一切話してはいません。

・日本を出国するために両親には「ヨーロッパでお世話になった方に、あいさつもしないで帰国してしまった。事情を説明して帰って来るから、もう一度ヨーロッパに行かせてほしい。ちゃんとけじめをつけたいから」と説得しました。次兄にも頼んで、付き添いを条件に出してもらいました。


《再度北朝鮮へ》

・次兄と共にコペンハーゲンからウィーンへ行きました。そこで朝鮮に戻るために北朝鮮外交官に手伝ってもらうことになりました。次兄はその方に会っていません。私は単独で会いました。

・次兄は常に不審がっていましたので、その外交官に会う口実として「買い物をしてくる」と言ってホテルを出て、そして会いました。

・私は次兄に「ヨーロッパでもう一度やり直したい」と話しました。次兄は「お前は最初からそのつもりでここへ来たのか?」とものすごく怒りました。しかし私の性格、一度こうと決めたらテコでも動かないという性格を知っていたので、非常に困っていました。

・家族は1992年4月まで、私がよど号妻だとは何も知りませんでした。

・次兄は困っていましたが、結局私はウィーンを出ました。ウィーン→ベルリン→モスクワを経由して朝鮮に戻りました。


《田中協子被告の朝鮮での役割》

・私の役割は1980年代は自分の子どもの養育と教育でした。また、「日本を考える」という機関紙の編集にも携わっていました。

・1990年代は「日本の自治と・・・」(聞こえませんでした)レター通信「お元気ですか」という雑誌?に投稿していました。それからビデオの編集もしていました。


《旅券について》

・1988年に旅券返納命令があったと聞きました。1992年4月に私はよど号妻であると公表し、代表団に会いました。

・私は1982年3月にオランダのハイムで旅券の更新をしました。そして5年後の1987年にコペンハーゲンで更新しました。日本のパスポートを最後に使ったのは1987年6月です。オーストリア→ハンガリーを経由して朝鮮に帰りました。

・(「旅券返納命令を発令されるようなことをしたのですか?」という質問に対して)まったくありません。日本側に、私がスパイをやりかねないという偏見があったのではないでしょうか?(ソウル)オリンピックテロを口実にしながらの、対策の1つであったと思います。

・(「リーダーの田宮高麿から旅券返納命令について何か指示されたか?」という質問に対して)私は田宮さんからこの件に関して、何も指示されていませんしされたこともありません。


*田中協子被告は北朝鮮のことを「北」または「朝鮮」と言っていました。


以上、2人目の弁護士とのやり取り終了です。
3人目の弁護士とのやり取りはしばらくお待ちください。「旅券返納が遅れた理由」「平壌での通信事情や交通事情」などの話がありました。


*あおいのママはこの問題に関してあまり詳しくありません。(勉強不足で申し訳ありません)重大な間違い等ありましたら、問い合わせにて教えていただけるとありがたいです。

1/27「よど号妻」第二回公判に行ってきました(2)
2005.1.29,土

*写真は、裁判終了後に正面の門から撮ったものです。

 田中協子被告と弁護士3人とのやり取りを、わかる範囲でメモをしました。もしかしたら間違いがあるかもしれませんが、少しずつレポートにしていこうと思っております。正確性に自信はありませんが、どうぞご了承ください。

 また、あくまで田中被告は「旅券を返納しなかったのは事実だが、命令は根拠がなく不当」と無罪を主張していますので、すべて真実を話しているわけではないと思います。

*よど号妻逮捕直前、拉致疑惑に直撃 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3193
*返納命令は不当と無罪主張 よど号メンバーの妻 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3484


◆1人目の弁護士◆
(他のよど号妻の裁判でも腕を揮ったツワモノの女性です)

《大学時代について》

・1977年、私は愛知大学に入学しました。

・サークルは「朝鮮文化研究会」に入りました。そこでは南北朝鮮の関係史、社会主義研究を勉強しました。このサークルに入ったきっかけは、自分の兄弟がこのサークルに入っていて、遊びに行っているうちにずるずると入っていってしまったという感じです。

・「丸山薫」(まるやま かおる)さんの新鮮な詩が好きでした。
http://www.hamajima.co.jp/aichi_bungaku/kindai/16.shtml

・中学時代から社会主義に興味を持っていました。それから南の民主化にも関心を持っていました。

・サークルで「チェチュ思想」を勉強しましたが、よく理解はできませんでした。

・この頃、「豊橋親子劇場」というところによく行っていました。

・大学2年生の時に中退しました。「このままでいいのか?」と、自分の将来が見えなかったからです。それと高校時代から日本の受験体制に疑問を持っていました。

・海外へ、特に「東ドイツへ留学して社会主義の大学で勉強したい」と思いました。「世界を見てみたい、東欧に留学したい」という思いが募りました。それで大学を中退しました。

・東ドイツに行きたかったのですが、自分の学力に自信がなかったので、とりあえず家族には「ブルガリアに行きたい」と言いました。

・家族には「3年くらい居たい」と伝えました。留学資金は、大学時代からのアルバイトで貯めたものと家族からの援助です。


《日本を出国してからの足どり》

・1977年3月末頃に日本を出国しました。まず香港に行って、そこで格安チケットを買い、数日間滞在しました。

・次にスイスに行きました。チューリッヒに1ヶ月くらい住みました。スイスでは、旅行をたくさんしました。お金をだいぶ使ってしまい、つらくなって「これからどうしようか」と考えました。言葉は英語を使いましたが、日常会話程度でしたら困りませんでした。このスイスで知り合った方が「今、ユーゴスラビアがおもしろいですよ。行ってみたらどうでしょう?」と教えてくれました。

・1977年5月、ユーゴスラビアのデオグラードに行きました。お金をだいぶ使ってしまったので、そこでの生活は節約しようと心に決めていました。アルバイトをしながら留学先を調べました。ここでは個人教義を受けていて、語学学校に行くことは考えませんでした。1978年3月まで滞在していました。

・ここで他の「よど号妻たち」に会っていません。八尾恵さんの言っていることは事実に反することです。

*東京地裁で2002年3月12日に開かれた「赤木恵美子被告」の旅券法違反事件の公判で、「八尾恵証人」が証言した要旨などはこちらに載っています。
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3484


《「よど号犯 田中義三」との出会い 結婚》

・夫の田中義三とは、1977年8月にユーゴスラビアのデオグラード市内の食堂で知り合いました。彼はニコニコしながら私に話しかけてきました。当時ここでは日本人がめずらしかったので、話しかけてきたのだと思います。

・知り合った当初は、田中義三が「よど号犯」だとは知りませんでした。「東欧で貿易をしている」と聞いていました。

・印象は「まじめな人」「しっかりしている人」と好感を持ちました。しばらく付き合いましたが、私は「いい人にめぐり会えた」と思いました。翌年、田中義三との結婚を考えました。

・1978年2月末か3月に「結婚してほしい」とプロポーズされました。その時に「自分はよど号犯で、国際指名手配をされていて、北朝鮮に生活の基盤を置いている。」と告白されてビックリしました。

・しかし、私は70年安保闘争を当時テレビで見ていました。ベトナム戦争も反対だったので、告白には驚きましたが理解もしました。

*70年安保闘争史略年表
http://www.asahi-net.or.jp/~gr4t-yhr/zennen.htm

・(「結婚は迷ったか?」という質問に対して)日本にいる家族のことを考えて迷いました。しかし田中義三から「北朝鮮に一緒に来てくれ」と言われて、異国の地で国際指名手配されているのに、こうして告白してくれたのは私を信頼してくれている証拠だと思い、逆に感動しました。

・彼は「よど号ハイジャック事件を起したことは間違っていたと思う。新しく出発したい。自分と人生を一緒に歩んでほしい。」と言ってくれて、すごく感動しました。(涙声で話していました・・・)

・1978年5月、北朝鮮で結婚式を挙げました。この時「よど号妻」の金子さんと魚本さん以外の方は参加していました。


 以上、1人目の弁護士とのやり取り終了です。2人目以降の続きはしばらくお待ちください。


*あおいのママはこの問題に関してあまり詳しくありません。(勉強不足で申し訳ありません)重大な間違い等ありましたら、問い合わせにて教えていただけるとありがたいです。

( 2005.1.28,金 )

ここはどこだろう?
辺りは何だか白っぽい
遊園地かな?パレードをしている
すごい人ごみで 
私は立ちすくんでいる

ああ そうだ
私はさっき赤ちゃんを産んだばかり
入院していたから 歩くことができない
だから ただ立ちすくむだけなんだ

あんなに人がいっぱいのパレードなのに
騒いでいる声が聞こえない

人の波がすごくて
私はどうしていいのかわからない

向こうの方に乗り物が見える
あれはメリーゴーランドかな?
小さな子どもたちが楽しそう

私の足元を子どもが走り去っていく
ああ そんなに走っては見失ってしまう

私は一生懸命に捜している
あんなに多くの人の中に走って行ってしまったら
見つけ出すことができない
あの子の顔もわからないのに

待って 待って お願いよ
行ってしまわないで
行かないで
私が追いつくまで そこにいて

歩かなくちゃ
あの子が行ってしまう
まだ顔を見ていない
追いつかなかったら
きっと顔を忘れてしまう

ああ 足が動かない
追いつかなくちゃいけないのに
足が動かない

あの子が私を見ている
立ち止まって うしろを振り返っている

でも 顔がわからない
どんな子どもなのか わからない
知りたい
誰に似ているの?
小さくて
私にはわからない

微笑んでいるの?
呼んでいるの?
お願いだから 行ってしまわないで
そこにいてね
がんばって歩くから

パレードの先には
急な坂があって
歩いてみようと思うんだけど
やっぱり歩けない

私はどうしたらいいの?
あの子のところまで歩いて行けない
連れ戻すことができない
ただ 
行かないで 行かないで と
泣きながら叫んでいる自分がいる 

辺りがどんどん霞んで白くなっていく
どこかからか パパの呼ぶ声が聞こえる

あけみ あけみ 大丈夫だよ

どうしてパパ泣いているの?
さっき赤ちゃんが生まれたばかり
15年待って授かった愛しいわが子
今日は私たちの幸せの日
違うの?

ああそうか
これは全部夢なんだ
私はまだ赤ちゃんを産んでいない
だってまだ7ヶ月
あと3ヶ月先なんだから

私のお腹に赤ちゃんがいる
パパ そんなに揺すってはダメよ
せっかく寝ていたのに 起きてしまう

私たちもこの子と一緒に眠りましょう
さっき睡眠薬を飲んだばかり
ぐっすり眠りたい

いつものように
私のお腹をさすってね
そうしたら 赤ちゃんが安心するから
私も安心するから

パパと私と赤ちゃんと
親子3人で休みましょうね

目覚めたくない
ずっと幸せな夢を見ていたい

病室の外から 赤ちゃんの声が聞こえる
3ヶ月後には きっとあんなふうに泣くのだろう
私たちのかわいい赤ちゃんに
ここで きっときっと会える

目覚めたくない
ずっとずっと幸せな夢を見ていたい

1/27「よど号妻」第二回公判に行ってきました(1)
( 2005.1.27,木 )
*写真は、東京地方裁判所正面門外から撮ったものです。報道関係者が何人かいて、なかなか写真が撮れませんでした。

 
 この日あおいのママは、東京地方裁判所で行われた「よど号妻・田中協子被告」の第二回公判(旅券法違反)を傍聴してきました。(八尾恵証言によれば、田中協子被告は拉致された有本恵子さんの教育係だったということです。)


*よど号妻の告発目指し協議 有本・石岡・松木三家族 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3591

 
 拉致被害者「松木薫」さんの支援者の方から「今回も傍聴してほしい」という連絡をもらい、傍聴券を得るために東京地方裁判所入口外に並びました。いつもボランティアでご一緒する機会が多いSさんがすでに1番に並んでいました。私は12時半頃到着したのですが、彼女はそれよりも30分前には並んでいたようです。いつもお疲れさまです。

 私の前には数人の「よど号妻たち」の支援者が並んでいました。後から来て割り込んできた方もいましたが、その方はいつもそのようにしているようです。いつも私たちを誘ってくださる支援者の方が遅れて来たのですが、その方を見て「あの人誰?マスコミの人?」と話しているのが聞こえました。「ああ、あれは・・・。」ご存知のようでした。また、「今回美女軍団は来るのかな?」「来ればいいのにねぇ。」とサッカーワールドカップ予選(2月9日の埼玉スタジアム日本vs北朝鮮戦)の話らしきことを言っているのが聞こえました。

 この日は前回の初公判の時とは違い、傍聴券を求める人たちは少なかったようで、並んでいる方々すべてに券がいき渡りました。まだ残っていたようです。

 並んでいる時に「よど号妻・田中協子被告」の弁護士の女性が、並んでいたやはり女性の支援者の方に何やら渡しているのが見えました。(書類?)松木さんの支援者の方にお聞きしたのですが、この弁護士は他の「よど号妻たち」や「従軍慰安婦問題」などの裁判でも腕を揮った?かなりのツワモノということです。私たちの思いとは全然違う(反する)裁判などにも弁護をしているとのことで、いろいろとそういったことがすべて繋がっているんだなぁ、と思いました。

 ブルーリボンを身に着けた私たちは、傍聴券をもらい、裁判所の職員の方に案内されて○○○号法廷に行きました。カメラやカメラ付き携帯電話、録音機ビデオカメラ等と、男性は手荷物全部預けなくてはいけませんが(メモなどはOK)、女性は手荷物(バッグなど1つ)を持って入ることができます。ボディチェックを済ませて席に着きました。

 手錠と腰縄をかけられた「よど号妻・田中協子被告」が警察官に連れられて入廷しました。今回も傍聴席にいた他の「よど号妻たち」やその子どもたち、そして自分の娘に「にっこり」と笑みをかけていました。私は、その目は「洗脳されている目」だと感じました。「自分は悪い事はしていない」という顔つきでした。

 私たちの前の席には「よど号妻」やその子どもたちがいたようです。公判が始まってしばらくして拉致被害者「松木薫」さんの弟さんの松木信宏さんが席に着きました。その時私はメモをとることに夢中で気づかなかったのですが、隣に座ったSさんが「松木さんが来たよ」とこっそり教えてくれました。その会話を前にいた「よど号妻」やその子どもたちが聞いたようで、何やら動揺していたように見えました。(松木さんの方を見ていました)

 今回は、最初に検察側から新聞などの写真の資料を田中協子被告に1枚1枚見せて、それを裁判長に提出していました。検事さんは何となく頼りなさげな若い女性で、マイクの音量がまだ入っていなかったのか、何て言っているのかはっきりわかりませんでした。(泣)報道席に座っていた男性が「何言ってるのか聞こえないよ!!」と野次?を飛ばして裁判長に注意されていました。(終了間際にも何か言って、裁判長が「あなた、先ほども騒いでいましたね!!」と怒られていました。)

 私には裁判用語などはわからないので、聞き取りにあまり自信はありませんが、今回は弁護士3人が田中協子被告に、日本を出てからどのようにして「よど号犯たち」と知り合ったのか、夫の田中被告との出会い、「よど号妻」としての活動、旅券を返納できなかった理由、旅券法違反の裁判についての考え、これからの生活、家族への思い、その他いろいろと質問をして、被告がそれに答えていました。はきはきと、自信を持って、そして考えながら答えていました。時折涙を見せて声を詰まらせながら・・・。

 八尾恵証言による「有本恵子」さんの教育係であったことなど、とにかく「有本恵子」さんの拉致のことなどひと言も話しはありませんでした。「自分は北朝鮮工作員ではない」「偏見だ」「このような事件(旅券法違反)が二度と起こらないように訴えていきたい」そう言っていました。

 今回の裁判は午後1時半から始まり、午後3時半のきっかり2時間で終わりました。終了後、法廷を出ると、外に傍聴券を求めて並んでいた時に前の方にいた男性が、検事さんに詰め寄って職員の方たちに抑えられていました。(向こうの支援者の方でした。)

 私たちはその後新宿に行きました。そこでこの日、法律家の会の木村晋介弁護士さんの事務所にお集まりになっていた、「よど号妻たち」による拉致被害者「松木薫」さんのお姉さんの斉藤文代さん、弟さんの松木信宏さん、「有本恵子」さんのご両親、「石岡亨」さんのお兄さんの石岡章さん、そして支援者の皆さんと一緒に食事をしながら、第二回公判での話と事務所での話し合いなどについての情報交換をしました。

 途中、石岡さん、松木さん、有本さんご夫妻は退席されましたが、お母さんの有本嘉代子さんが「よく眠れない」とおっしゃっていました。とてもお疲れのご様子で本当に胸が痛みます。私は、「これからも応援しています。お疲れさまでした。」としか言えませんでした。

 残ったメンバーで斉藤さんを囲んで、いろいろと現状や思いをお聞きしました。入院されているお母さんのことや、政府との闘いのことなどたくさんお聞きしました。私はそのお話の中で、昨年松木信宏さんがとてもつらい思いをされていたことがあったと知りました。そのお話を聞いた時、私は泣いてしまいました。ご家族の皆さんは支援者の私たちの前で決して涙を流しませんから、私もご家族の皆さんの前では「絶対に泣いてはいけない」と心に決めていました。しかし泣いてしまいました。松木さんがつらい思いをされていた頃、私は自分の悩みをなかなか乗り越えられずにメソメソしていたあの頃に、松木さんに励ましてもらっていたのだと気づいたからです。

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*1/13「松木薫」さんを救うぞ!東京集会4に参加しました 日記より
http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/

(一部抜粋)
 
 あおいのママは、1年くらい前にいろいろなことで悩んでいました。その時に電脳補完録の山本さんが相談にのってくださったことがありました。山本さんは松木信宏さんにも話してくださって、私は松木さんに励ましていただいて、元気をもらって、そしてこのHPを公開することとなりました。私たちがこうしてHPを続けることができたのも、松木さんや山本さんの励ましがあったからです。

 「どうぞこれからも応援してください、この問題に純粋に関心をもってくれている人はみんな『仲間』ですよ」と。

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 Sさんも泣いていました。2人でお互いに肩を抱きながら泣いてしまいました。

 これからも否応なしに闘いは続いてしまうのかもしれません。しかし、ご家族の皆さんがこうして私たちにつらいお話しをしてくださったということを忘れずに、これからも陰ながら支えていきたいと思っています。皆さま、本当にお疲れさまでした。

 
 次回の公判は、2/24(木)午後1時30分〜4時または4時30分くらいの予定です。


*田中協子被告と弁護士のやり取りを、わかる範囲でメモをしました。速記ができればよかったのですが・・・。まとめましてレポートを作成したいと思っていますので、しばらくお待ちください。(正確性にあまり自信はないのですが・・・。)この問題に詳しい方々にいろいろと教えていただきたいと思っております。


★こぼれ話★

《あおいのママの失敗談》
 
 東京地方裁判所の写真を撮ろうと、正面の門の外から「裁判所」という看板の側で写真を撮りました。そしてその後、門を入って建物の写真を撮っていたら、入口に立っていた警察官がすごい形相ですっ飛んで来ました。「写真を撮ってはいけません!」と注意を受けました。私はとにかく知らなくて平謝りして、デジカメに撮った写真を消しました。門の外なら撮ってもいいそうです。


《同じ○○○号法廷で》
 
 今回も傍聴券が必要な裁判が張り出されていました。私たちの傍聴した「よど号妻」裁判と、午前中に2件の裁判が載っていました。最初の裁判は「建造物侵入」。もう1件は傍聴券が「パソコン抽選」になっていました。「何か人気の?裁判なのかなぁ?」と何気に罪名と被告の名前を見て驚きました。「覚せい剤取締法違反」「田代政」って載っていたからです。「あ〜、あの芸能人だった『田代まさし』の裁判があったンだ〜!」って皆さんと話しました。傍聴席は少ないのでそうなったのでしょうね。Sさんも私も、外に並ぶ前に正面門のところにたくさんの報道関係者がいたのを見ていましたので、「それでだったのね。」と納得しました。

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*よど号妻の告発目指し協議(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/news/topics/northkorea/ts__kyodo_20050128ts021.htm
 
 北朝鮮による拉致被害者の石岡亨さん=失跡当時(22)=と松木薫さん=同(26)=の家族らは28日までに、拉致への関与が指摘されるよど号ハイジャック事件メンバーの妻への法的な措置を取ることを目指し、弁護士と協議を始めた。有本恵子さん=同(22)=の両親を含め3人の家族が27日、弁護士と面会。誘拐容疑などの刑事告発や民事訴訟の損害賠償請求が可能かどうか、今後検討するという。
[共同通信社:2005年01月28日11時10分]


*東京地裁で2002年3月12日に開かれた「赤木恵美子被告」の旅券法違反事件の公判で、「八尾恵証人」が証言した要旨などはこちらに載っています。
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3484


*1/15 第9回藤沢市民集会 松木 信宏さん
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=&no=111

(一部抜粋)

 まあ、そういうことを口では言ってみても、所詮彼女、いやメンバーたちは「なかなか口を割らないだろうな」と思っております。何故なら彼らは「北朝鮮の工作員」、日本人の顔をした「北朝鮮の工作員」です。

 娘たちも、娘たちには罪はないとマスコミの人たちは言うかもしれませんけれども、私から見れば、帰国した後にも「北朝鮮に行き来をする」ということは、メッセージを持って行くわけですから、彼女たちも「北朝鮮の工作員」です。

 そういう「北朝鮮の工作員」を、日本から平気で出国させたり入国させたりしている日本の国はどうかしています!!私はそういうことを、ずうっと口が酸っぱくなるほど言っていきたいと思います!!今、政府の方には、そりゃあ帰って来て取調べをしたいでしょうけども、先ほども申しましたように「被害者より先に加害者が、生命の危険を感じない国に帰って来る」っていうのはおかしいと。

 「自分たちの意志で行ってない」人間が、この日本に、先に、「日本の土を踏む」のが当然でしょう?

 あの国で、あの人たちが「邪魔者」として処罰されても、それは自業自得です!ただ私らの家族がそういうふうな目に遭うのは、どうしても納得がいかない!!!

 そういうことをこれから、少しは関心を持ってくださるマスコミの方もいらっしゃるようですので、そういうところをお願いしながら訴えをしていきたいと思います。今後とも皆さまどうかよろしくお願い致します。(大拍手)

わんこのごあいさつ
( 2005.1.25,火 )

 あおいのママの実家のわんこたちが、「aoinomama13のホームページ」をご覧の皆さまに「遅くなったけど、ごあいさつしたいわん!」と言っています。


(柴ちゃん)
 「よく来てくれたわん。今年もよろしくお願いだわん!いいオトコに撮れているかわん?」

(チワワちゃん)
 「ブルーリボンにちなんで、あおい袴でごあいさつだわん!ごはんに釣られてカメラ目線してしまったわん!ちょっと?太りぎみでごはんを減らされてつらいんだわん!」


 今度はブルーリボンつけて写真に納まってね〜!!

1/15 第9回藤沢市民集会に参加しました
2005.1.15,土

*写真は、この日講演されました、萩原遼さん(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・名誉代表)の書籍販売スタッフの皆さんです。萩原さんの講演終了後、飛ぶように売れてしまいました。あやしげな写真になってしまい申しわけありません。(泣)


 あおいのパパとママは「第9回藤沢市民集会」にボランティア参加しました。この日はあいにく雨風強い天気となってしまいました。

 会場に着くとすでに「救う会神奈川」スタッフの皆さんが忙しく準備をしていました。いつもボランティアをされているSさん、Aさんも事前に配る資料を揃えたり、受付の準備に忙しそうでした。私たちは会場入口付近で特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの美幸さんと一緒に、高野さんのお母さんがわが子との再会を願いながらいつも編んでいる「アクリルたわし」の販売(収益金は調査会に寄付と活動費に使われます)と、署名活動をする受付の準備をしました。

 私たちは関西でボランティアをしているお友だちに「ブルーリボンのぼり」の作成をお願いしました。彼女もずっと「何かお手伝いができればと思っていた」とのことで、快く承諾してくれて送ってくれました。白地にブルーリボンをかたどって縫った手作りのとてもかわいいのぼりです。スタッフの皆さんも大喜びで、正面の一番目に付く柱に留めてくださって、会場がとても和やかな雰囲気になりました。Mさん、素敵なのぼりを本当にありがとうございました。

 この日の講演は、拉致被害者「有本恵子さん」のご両親の有本明弘さん・有本嘉代子さん、萩原遼さん(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・名誉代表)、斎藤健兒さん(北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会)、拉致被害者「松木薫さん」の弟さんの 松木信宏さん、特定失踪者「高野清文さん」の妹さんの高野美幸さん、特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんの大澤茂樹さんでした。

 詳しいレポートはしばらくお待ちください。松木信宏さんと大澤茂樹さんの講演の文字化は終わりました。

* 1/15 第9回藤沢市民集会 松木 信宏さん
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=0&no=111
*1/15 第9回藤沢市民集会 大澤 茂樹さん
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=0&no=112


 あおいのママは昨年末、大澤さんが神奈川県内にお住みなので、この藤沢市民集会の参加をお誘いしました。私たちは、大澤さんとは街頭署名活動などで何度かご一緒したことがあります。とても一生懸命に弟さんの救出を訴えていらっしゃいました。私たちが特定失踪者問題を考えるようになったのも、大澤さんの訴えを聞いて胸打たれたからです。大澤さんから「集会に参加します」というお返事をいただきましたので、「救う会神奈川」の方に「訴えの時間をいただけないでしょうか?」とお願いしまして、こちらも快く承諾してくださいました。この日、大澤さんの力強い訴え(講演)をお聞きできて本当にうれしかったです。事務局の皆さん、ご尽力本当にありがとうございました。

 悪天候の中、大勢の皆さんが集会に参加してくださいました。200人以上だったのではないかと思います。また、署名も「高野さん」「大澤さん」のお二方の分をご協力いただきました。皆さん、たくさんの「こころ」を本当にありがとうございました。

 スタッフ・ボランティアの皆さん、参加された皆さん、長い時間本当にお疲れさまでした。

1/13「松木薫さんを救うぞ!東京集会4」に参加しました
( 2005.1.13,木 )

*写真は、集会終了後に報道関係者に取材を受けている斉藤さんと松木さんです。昨年夏の増元さんの選挙の時から、某テレビ局の方がずっと集会の取材に来ています。


 あおいのママは、1/13友愛会館で行われた「松木薫さんを救うぞ!東京集会4」に参加しました。あおいのパパは仕事を終えてからの途中参加でした。

 会場では特定失踪者「高野清文」さんの妹さんの美幸さんとご一緒しました。いつもあちこちでボランティア活動をしているSさんや、レポートでもお世話になっています神奈川太郎さん、特定失踪者のご親類の方や拉致被害者「田口八重子」さんのご家族の飯塚さん、初めてお会いしたlogさん、電脳補完録の山本さん、その他顔見知りの方々に声をかけていただきとてもうれしかったです。

 昨年夏の増元さんの選挙の時に知り合った九州の方々が、東京での集会にも熱心に参加されています。終了後、夜行で帰宅して翌日に地元で署名活動をされるとお聞きしました。少しばかりですが、ブルーリボンをお渡しして、役立てていただくことになりました。いつも本当にお疲れさまです。

 また、特定失踪者の方々を救出するための署名をしてくださった皆さん、いつもありがとうございます。ご家族の方に少しずつお渡ししています。

 飯塚さんには、「住所がわからないので年賀状が出せませんでした。遅くなりましたがお届けします。」と、こころのこもった年賀状をいただきました。本当に気を使っていただいてありがとうございます。皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

 席に着いてビデオカメラ等の用意をしていましたら、ジャーナリストの西村幸祐さんが「万全の用意だね」と声をかけてくださいました。西村さんはお仕事だけではなく、個人的にも被害者ご家族の皆さんの応援・支援をしていらっしゃって、お忙しい中、集会や講演会などの会場に足を運び、私たちもよくお会いします。いつも本当にお疲れさまです。

*西村's Voice
http://nishimura.trycomp.net/
*「反日の構造」西村幸祐著 PHP研究所
http://nishimura.trycomp.net/works/011.html

 今回の講演は、拉致被害者「松木薫」さんのお姉さんの斉藤文代さんと弟さんの松木信宏さんでした。現在のご家族の状況や苦しい胸のうち、それから昨年末の「よど号妻」の裁判の話、今年初めの夕刊フジでの記事についての話などがありました。

*「よど号妻」第一回公判に行ってきました 1/5の日記より
http://aoinomama.trycomp.net/diary2/diary/
*夕刊フジの報道に抗議する 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3519

 ただ今講演内容の文字化をしております。レポートはしばらくお待ちください。お姉さんの斉藤文代さんの文字化は終了しております。

*'05 1/13 東京集会4 斉藤 文代さん
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=0&no=108

 また、電脳補完録さんに投稿しましたら、山本さんが写真など入れてくださってわかりやすくしてくださいました。いつも心遣いありがとうございます。

*1/13 松木薫さんを救うぞ!東京集会4 斉藤 文代さん 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3551

 昨年末、藤沢での忘年会の時に、松木信宏さんが皆さんに「集会のご参加よろしくお願いします」とおっしゃっていました。年初めということもあり、参加される方が少ないのではと心配されていたようですが、この日会場はいっぱいになりました。(150人以上だったのではないでしょうか)本当にほっとしました。

*松木家の怒り 電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3529

 
 あおいのママは、1年くらい前にいろいろなことで悩んでいました。その時に電脳補完録の山本さんが相談にのってくださったことがありました。山本さんは松木信宏さんにも話してくださって、私は松木さんに励ましていただいて、元気をもらって、そしてこのHPを公開することとなりました。私たちがこうしてHPを続けることができたのも、松木さんや山本さんの励ましがあったからです。

 「どうぞこれからも応援してください、この問題に純粋に関心をもってくれている人はみんな『仲間』ですよ」と。

 私たちはこれからも、拉致被害者の皆さんがご自宅にお戻りになるまでずっと、ご家族の皆さんを応援し続けたいと思っております。

12/27有楽町で忘年会
( 2005.1.7,金 )

*写真は「東京ミレナリオ」です。あおいのパパが有楽町であおいのママを待っている間に撮ったそうです。

 
 暮れも押迫った12月27日の夜、あおいのパパとママは、この年最後の忘年会に参加しました。参加者は電脳補完録の山本さん、ジャーナリストのNさん、天下無敵のDさまの合計5人の、気の合った?者同士の集まりでした。(伏字ですみません)皆さんそれぞれサイトを運営されている方々です。

 全員集まって有楽町、銀座とお店を探し求めてしばらく歩きました。年末だというのに、「東京ミレナリオ」開催中ということもあってか大変な賑わいで、なかなか落ち着くお店を見つけることができませんでした。しばらくして何とか席に着くことができました。

 私たちはDさまにお会いするのは初めてでした。とっても若くて素敵な方でした。(イメージ通り?)Nさんも初めてお会いしたようです。でもサイトを見ているためか、何だか初めてという感じがしませんでした。お2人ともいろいろなことを知っていて、私のマヌケな質問にも嫌がらずに丁寧に教えてくださいました。また、Nさんはスポーツジャーナリストでもあるので、サッカーの話をいろいろと話してくださって、とってもうれしかったです。お互い情報交換をいっぱいしました。飲んで食べて数時間楽しい時を過ごしました。

 12月25日に家族会事務所の掃除に行った時、支援者の方から事務所にカレンダーをたくさん送っていただいたものがあったのですが、それを数枚いただいてきました。そのカレンダーを皆さんにお分けしました。Nさんはその日にこのカレンダーを事務所内で見て知っていました。皆さん大喜び?でした。どんなデザインだったのかはちょっと書けませんが、非常に目につくカレンダーです。

 それからDさまとNさんにブルーリボンをお渡ししました。Nさんには、7月に少しばかりお渡ししていたのですが、そのリボンをバッグに着けてくださって、照れながら見せてくれました。山本さんもさりげなく着けてくださっていました。お心遣い本当にありがとうございました。すっごくうれしかったです。

 また皆さんにいろいろなことを教えていただいて、早期解決のためにともに闘っていきたいなあと思いました。山本さん、皆さん、誘ってくださってありがとうございました。

事務所の大掃除
( 2005.1.6,木 )
 
 昨年のクリスマスの日に、あおいのパパとママは飯田橋にある家族会の事務所の掃除をしました。前日の24日、あおいのママは東京地方裁判所で行われた「よど号妻・田中協子被告」の初公判(旅券法違反)を傍聴したのですが、ご一緒したいつもボランティアにがんばるSさんが「明日事務所の掃除に行きますが、ママさんもご一緒にどうでしょうか?」と誘ってくださいました。ボランティアにがんばるお友だちのAさんもいらっしゃるということで、もちろんOKをしました。

 飯田橋駅で待ち合わせをして、4人で事務所に行きました。選挙の時の事務所と違う場所で、初めて行くので迷ってしまいました。何とか探しあてて事務所に着きましたが、誰もいませんでした。(泣)Sさんが前もって連絡してくださっていたのですが、行き違いがあったようです。メモを置いて、「せっかく4人集まったのだから、食事をしようよ!」と、近くのレストランに行きました。

 しばらくして増元さんから連絡があり、一足違いだったそうです。食事をご一緒した後に事務所に行き、掃除を始めました。

 事務所内はそんなにちらかっていなかったので、それぞれ分担して、1時間くらいで終わりました。私たちはとにかく簡単に掃除を済ませて早めに帰るつもりでいましたが、多くの方々からいただいた署名の中に空欄があるというので、みんなで自分や家族の署名を書いてうめる作業をしました。その時に増元さんが鹿児島のお茶を入れてくださいました。とってもおいしい、あったかいお茶でした。みんなで何杯もおかわりしました。

 途中で、チャンネル桜でキャスターもしているジャーナリストの西村幸祐さんが、増元さんの取材に事務所にいらっしゃいました。しばらくして、お2人は外に出ましたので、私たちはお留守番をすることになってしまいました。

 事務所には支援者の方々から贈られた千羽鶴がたくさん飾られていました。また、壁にはたくさんのブルーリボンシールが貼ってありました。(テープ代わりに使用していたようです。)

 増元さんが戻っていらしたので、私たちは事務所から失礼しました。エレベーターが閉まるまで見送ってくださって、そしておいしいお茶を本当にありがとうございました。また何か少しでもお役に立てればと思っております。

 Sさん、Aさん、呼んでくださってありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。

「よど号妻」第1回公判に行ってきました
( 2005.1.5,水 )

*写真は「柏高島屋ステーションモール」に飾られた、青くかがやくクリスマスツリーです。拉致被害者ご家族の皆さんには、クリスマスなんて関係ありませんでした。


 昨年末のクリスマスイブの午後、あおいのママは東京地方裁判所で行われた「よど号妻・田中協子被告」の初公判(旅券法違反)を傍聴してきました。(八尾恵証言によれば、田中協子被告は拉致された有本恵子さんの教育係だったということです。)

 前日に拉致被害者「松木薫さん」のご家族の支援者の方から連絡があり、ご家族の皆さんが傍聴されるとのことで、意外に少ない傍聴券(30人分くらい?)を求めて並ぶことになりました。当日、いつもボランティアにがんばるSさんと待ち合わせをして、松木さんや有本さんの支援者の方々と一緒に並びました。すでに何人か並んでいましたが、聞くところによると、その中に他のよど号妻や子どもやその支援者たちがいたようです。(誰が誰だかよくわかりませんでした。)私たちもきっとしっかり顔チェックされたと思います。

 しばらくして、拉致被害者「松木薫さん」の弟さんの松木信宏さん、お姉さんの斉藤文代さん、「有本恵子さん」のご両親、「石岡亨さん」のお兄さんの石岡章さんが並ばれました。

 私たちは傍聴券を得てから、○○○法廷にボディチェックと荷物を預けて入りました。報道カメラ?の撮影を済ませた後、警察官に手錠と縄をかけられた「田中協子被告」が入って来ました。ニッコリと、傍聴席にいる支援者や子どもたちに微笑みながら・・・。裁判長に「職業は?」と聞かれて「かりの会の成員」と言っていました。

 悪びれた様子もなく、淡々と用意された資料?を読んで無罪を主張していました。「旅券を返納しなかったのは認めるが、やむを得ない事情で返納命令を知らなかったのだから、逮捕は不当」というようなことを言っていました。

 私は裁判の傍聴は初めてで、詳しいことはわからないのですが、検事さんはまだ若い女性で、何となく頼りなさそうな気がしました。(東大出のエリートさんではと支援者の方が言っていました。)それに引き換え、「田中協子被告」の弁護士は、髪を染めた年配の女性で、とても気が強そうでした。(当たり前なんでしょうけど・・・。)

 テレビドラマで見るような「異議あり!!」って対決があるわけでもなく、前もって用意された資料を読むばかりの、不謹慎ですが眠くなるような裁判でした。実際、こっくりしている方がいたようで、注意されていました。(よど号妻の支援者の方だと思います。)

 斉藤さん、石岡さん、有本さんご夫妻は、終了前に席を立ちました。それは、外務省から実務者協議の時に北朝鮮から持ち帰ってきたものの精査報告があり、その後家族会の記者会見があるためとお聞きしました。

 裁判終了後に支援者の方に、今回の「田中協子被告」の罪はどのくらいになるのか聞いてみましたが、「旅券法違反」ではたぶん執行猶予付きの判決になるだろうとのことです。

 ご家族の皆さんはこの日とてもお疲れのご様子でした。私は諸々のことを考えると、とても切なくて、何ともやりきれない思いでいっぱいになりました。これからもご家族の皆さんを陰ながら支えていかなければ、と強く思いました。

 次回の公判は、1月27日(木)の予定です。


*こぼれ話
 
 東京地方裁判所に入る時、手荷物検査と飛行機に乗るときにチェックされるのと同じようなチェックがありました。(金属探知機みたいなもの)

 正面のテーブルには、この日の裁判(民事・刑事)の一覧表がありました。Sさんと時間がある時にのぞいてみましたが、膨大な数で驚きました。特に刑事事件の裁判の方は、「強盗殺人」とか「窃盗」とか「脅迫」「麻薬売買」とか、罪状を見るだけでも生なましいものばかりでした。しかも被告の名前を見ると、外国人ばかり・・・。(中国人・韓国人らしき人ばかり・・・。)

 「田中協子被告」の初公判を含む4〜5件は、傍聴券が必要だと貼り出してありました。


*返納命令は不当と無罪主張 よど号メンバーの妻  電脳補完録さんより
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3484
 
 24日、東京地裁(小川正持裁判長)で開かれ、田中被告は「旅券を返納しなかったのは事実だが、命令は根拠がなく不当」と無罪を主張した。
 
 検察側は冒頭陳述で「よど号グループは組織を拡大するため、欧州の日本人旅行者らに接触。北朝鮮に入国させる活動を組織的に行った」と指摘。「外務当局は北朝鮮工作員との接触が公安を害すると判断し、命令を出した」と述べた。
 
 弁護側は「接触したのは北朝鮮の外交官で、工作員ではない」と反論した。
 
 法廷には、欧州で拉致された有本恵子さん=失跡当時(23)=ら3人の親族も傍聴に訪れた。(ニュースより)


(一部抜粋)
 八尾恵が裁判で有本恵子さん拉致を証言したのが、2002年3月12日。小泉首相はその1週間後の3月19日、初めて拉致被害者家族と面会した。予定では面会時間は10分。署名簿などは一切持ってこないことが条件だった。

 首相との面会の翌日、当時の「拉致議連」の会長である中山正暉氏から有本恵子さんの両親のもとに電話が入る。有本嘉代子さんによると「日本人が日本人をさらった。北朝鮮は関係ない。交正常化が重要で拉致問題とは別個にしないと仕事がしにくい。(日航機)よど号(乗っ取り犯)のメンバーを帰すよう努力してきたのに、ああいう証言が出ると帰れなくなる。」と話したという。


*東京地裁で2002年3月12日に開かれた「赤木恵美子被告」の旅券法違反事件の公判で、「八尾恵証人」が証言した要旨などはこちらに載っています。
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3484

1/3箱根駅伝の写真               「選手がいない〜!!!」
( 2005.1.4,火 )

 あおいのパパとママは、有楽町国際フォーラム近くで箱根駅伝(10区)を観戦しました。ゴールまであと2〜3キロ地点だと思います。沿道はすでに応援の方々でいっぱいでした。コースはビルに囲まれていましたので、ビル風が舞い、寒くて震え上がりました。

 1位の駒澤大学の選手がやってきました。私たちはわくわくしながら「がんばって〜!!」って応援しました。あおいのママは通過する瞬間をデジカメで撮りました。が、なぜか写っていませんでした。(泣)選手のあまりの速さのために、シャッターを押した瞬間に通り過ぎてしまったようです・・・。本当に残念でした。

 あおいのパパの母校の大学はダントツ○位でした。初めて間近で観戦しましたが、選手の皆さんのがんばりに本当に興奮し感動しました。

 来年もまた応援に行きたいと思います。「今度こそ〜!!!」

銀座と箱根駅伝と水天宮
( 2005.1.3,月 )
*写真は並木通りの日の丸です。

 あおいのパパは1月3日の午前、初仕事でした。
仕事が終わってから、有楽町であおいのママと待ち合わせをして少し銀座を歩きました。

 
 いくつかの通りにはたくさんの日の丸が掲げられていました。1年前の暮れにやはり銀座に行った時も、同じように日の丸が掲げられていましたので、年末年始はいつもこのような状況なんでしょうね。ずうーっと先の通りまで日の丸が掲げられていて壮観でした。

 しばらく歩いた後、国際フォーラム近くで箱根駅伝(10区)を観戦しました。沿道は大勢の方々の応援ですでにいっぱいでした。選手の皆さん、ビル風舞うものすごい寒さの中、一生懸命に走っていました。(私たちも寒かったです)あおいのパパの母校の大学はダントツ○位でしたので、2人して大喜びしました。初めての間近の観戦に本当に興奮しました。

 私たちはその後、水天宮にお参りに行きました。ここにお参りに行くのは3回目です。初めてのお参りは平成15年8月の戌の日でした。お腹にいるわが子が無事に成長しますように、そして「拉致問題の早期解決」を願いお祈りしました。

 2度目はあおいを失った平成15年の暮れ。3度目の今回も同じ想いでした。「拉致問題の早期解決」それから・・・「もう一度、あのかわいかったあの子に逢いたい。戻ってきてほしい」と願いお祈りをしました。

 何人かの妊婦さん、赤ちゃんやおちびちゃんを連れたご家族が大勢お参りに来ていました。私は、あおいがお腹にいた時つわりがつらくて苦しかったけれど、あの初めてお参りにきた戌の日の、幸せだった日々を思い出して少し泣いてしまい、あおいのパパを困らせてしまいました。

 パパ、いつも泣いてばかりでごめんね。

新年明けましておめでとうございます
2005.1.1,土

 皆さま、昨年中はaoinomama13のHPに訪れてくださってありがとうございました。また、多くの励ましをいただきまして、何とかこのHPを続けていくことができました。

 今年も昨年同様できる範囲の行動で、拉致被害者ご家族の皆さんや特定失踪者ご家族の皆さんの、一刻も早い解決のための「力」に、少しでもなりたいと思っております。

 皆さま、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                       あおいのママ&パパ


*写真は「柏高島屋ステーションモール」で撮ったものです。

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